虚無を継ぐもの(旧)   作:片玉宗叱

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異世界の優しい平民 3

 ルイズのアレルギーに関しての調査が完了した。

 結果は〝全て問題無し〟だったので彼女の食事は現状の免疫疾患患者向け栄養食から普通の食事へと変更される事が決まった。

 ちなみにルイズと才人(と言うよりルイズが主なのだが)の食事については専門チームがその管理に携わる事が決まっていた。

 この頃になるとルイズの日本語の理解も大分進んでいて日常会話程度なら難無くこなせるようになっていたが問題もあった。

 ルイズの場合、聞き取りの時は言葉を記憶の中にある単語帳と照らし合わせて彼女が元々使っている言語であるハルケギニアの公用語へと翻訳して意味を理解し、話す場合にはその逆が行われている事が、彼女への聞き取り調査と彼女に装着されている脳内活動領域をモニターする装置〝BIAM〟が取得したデーターから判明した。

 いわゆる〝単語丸暗記〟による語学の学習方法みたいなものであり文法等についての記憶はコピーされなかったらしい。

 しかし、そのコピーが行われたプロセスについては依然として謎のままであった。

 そしてルイズは〝魔法〟についての事柄を話していなかった。

 もし魔法の事を話したら、また色々と検査をうけさせられるんじゃないかと恐れ、口を(つぐ)んでいたのである。

 このルイズの日本語習得に関して幸いな事が一つ有った。才人の母親である。

 彼女は才人が学校に戻った時に周りから遅れない様にと、スクリーン越しにだが息子の勉強を見ていたのだ。

 日本語は曖昧さに寛容な言語であり、ルイズの話す言葉に多少おかしな所があってもコミュニケーションは成り立つ。

 しかし(こまや)かな感情の表現や意思を(しっか)り伝えようとすると、やはりきちんと教わった方が良いに決まっている。

 その点でマルチリンガルである才人の母親は適任だった。彼女が教える事でルイズの日本語能力は格段に進歩して行ったのである。

 

 蛇足だが、初めてスクリーンに人が映るのを見た時のルイズはの反応だが、何も無い壁に向こう側に人が居る窓が突然現れた、と驚いていた。

 この時にルイズは才人に、これはどんな〝魔法〟で動いてるのかと訊ねそうになったが、検査で怖い思いをしたのを思い出した彼女はそれを口にする事は無かった。

 そんなルイズだったが、(たちま)ちスクリーン絡みの操作方法を憶えてしまい、今では自分から才人の母親に繋いでお喋りをしたり、フィルタリングされてはいるが一般配信されている番組を楽しんだりしている。

 子供ゆえに順応性も高いのだろが、何故か才人と一緒に居る事で安心するらしい。

 そんなルイズはいつの間にか才人の事を名前ではなく「お兄ちゃん」と呼ぶ様になっていた。

 

 さて、普通の食事になると聞いて喜んだのは誰あろうルイズよりも才人の方だった。ルイズと同居(?)し始めてからこの方、まともな食べ物を口にしていないのだから無理も無い。

 また才人に限って〝初日の夕飯〟だけは好きな物をリクエストしても良いと言われていたので彼は悩んでいた。

 普段の彼なら大好物の照り焼きバーガーで一択なのだろうが、この時ばかりは違った。

 この機会を逃すとひょっとしたら退院するまでルイズと一緒の食事メニューとなるかも知れない。

 そう考えると、そりゃあもう授業で先生に指された時以上に真剣に考えたのである。

 まず才人の中に浮かんだのが「米の飯が食いたい! もちろん味噌汁付き!」と言う思いだった。

 やはり子供とは言え日本人、慣れない食事が続くと米飯が恋しくなるらしい。

 何にしようかギリギリまで才人は迷ったが、最終的には候補を三つにまで絞った。

 後は決断するのみだ! と、たかが夕飯如きで人生が決まってしまうかの様に悩む才人をルイズは生暖かい目で見ていた。

 しかしそんな視線に気付けない程、才人の中では切実な問題だったのだ。そしてその決断が予測しえない結果を生む事になるのだが神ならぬ身の彼等(この件に関わった全員)には知る由もなかったのだ。

 

 ルイズに普通の食事が出される初めての日の朝食は、ビタミン類を調整して食物繊維を加えたオレンジジュースとドライフルーツが入った小麦と大豆を使用したカロリーブロックだった。

 味はバター風味で仄かに甘くしてあり、しっとりとして食べやすい様になっている。

 ルイズは「最初は簡単な物になるよ」と才人や看護師から聞かされていたが、やっぱり少しだけがっかりした。

 今までの味気の無いゼリー状の食事に比べれば、歯応えがあり味もしっかり付いているので格段にマシなのだが、量が少ないと感じたのだ。

 食事量についてはきちんとした理由が有るのだが、そんな事は知らないルイズは少しだけ不機嫌になったのだが食後に出されたメープルシロップが掛けられたフローズン・ヨーグルトを食べるとたちまち機嫌を直すのだった。

 昼食はパンにミートローフ、コーンポタージュ・スープ、野菜サラダと貴族の子女に供される食事としては質素過ぎる物だったが、地球に迷い込んでから今まで、普通の食事を与えられていなかった彼女は濃い目の味付けに餓えていた。

 それ故にミートローフに掛けられていたデミグラスソースまでパンで拭うようにして全て残さず綺麗に食べたのである。

 流石は貴族の子女、その食べ方も子供ながら優雅なものだった。

 片や一般人の子供代表である才人の食べ方は、まぁ頑張れとしか言い様の無いものだったと付け加えておく。

 

 何だかんだで一日が終わり夕食の時間となる。

 才人にとっては待ちに待った「久し振りに米の飯が食える」機会が訪れたのだ。

 食事が運ばれて来て各々に配膳される。

 才人の前には蓋付きの丼とお椀、小鉢に入った温泉たまご、小皿に盛られた漬物、そして茶碗蒸しが置かれた。

 才人はまず、お椀の蓋を開け中を確認すると、それは正しく豆腐の味噌汁であった。

 ああ! これだよ、これ! と久し振りに鼻孔をくすぐる味噌汁の香りに感動しつつ丼の蓋を開ける。

 それは芳しい香りの湯気を発てる牛すじ肉の海であった。

 手間暇をかけて玉葱と共に醤油と味醂、そして出汁によって柔らかく煮込まれたそれは正に丼物の王者としての風格を醸し出す一品である。

 才人は馥郁(ふくいく)たる肉の海の中央を退けて飯が見える様にすると、(つゆ)により濃い目の琥珀色(こはくいろ)に輝くステージに温泉たまごを降り立たせた後に、それと肉とを程好く混ぜた。

 人それぞれに牛丼のトッピングに拘りがある。

 ある者は生たまごを溶いて、またある者は黄身のみで、またある者は意地でも紅生姜は乗せないとか、まあ色々とある訳だが、才人は温泉たまご派だった。

 ちなみに七味唐辛子と言う選択肢はお子様の彼には存在しない。

 さあ機は熟した。いざ征かん、牛すじ肉の海原へ!

 

「いただ、き?」

 

 そこまで言って才人は言葉を切り固まった。

 理由は強烈に刺すような視線にあった。

 それは自分にではなく手元の牛丼に向けられている。

 ふと見るとルイズが身を乗り出さんばかりに才人の持つ牛丼を食い入るように見つめているではないか。

 無言で牛丼を見つめるルイズ。時折その愛らしい鼻をひくつかせている様は小動物の様だが、目の輝きはそんな可愛いものではなく獲物を狙う肉食獣のそれに近いものだ。

 なんだこいつ、やばい。マジやばい。

 なんで俺の牛丼をガン見してんだよ。

 これは俺んだぞ。久しぶりに食う米の飯なんだぞ。

 だからそんな見るなって。ああっ! もう!

 ルイズの視線に耐えきれず、ついに才人は観念し、丼を彼女の前に差し出した。

 

「いいか? 一口だけ、一口だけだからな?」

 

 ルイズは念を押す様に言う才人の顔と丼を何回か交互に見ると、花が咲き誇るかのような満面の笑みを湛えて無言で丼を引ったくり、自分の前に置かれた料理には目もくれず手にしたフォークで温泉たまごが程好く絡んだ牛すじ肉と玉ねぎとご飯を一緒にすくい上げて口へと運んだ。

 なにこれ、今まで食べたことない味付けだわ。

 口にした事の無い味覚に戸惑いながらもルイズは咀嚼(そしゃく)する。

 不思議な味付けに未知の食感。かと言って不快感は無く(むし)ろ美味しく感じる。

 お兄ちゃんは一口だけだぞと言っていたけど、ダメだわ止まらないわ。

 って言うかこんな美味しい物があるなら最初から出してよね。

 と、心の中で悪態を吐きながら彼女は黙々と牛丼を食べる。

 

「おいルイズ、一口だけって言ったじゃんか! 返せよ!」

「やだ」

 

 手を伸ばして牛丼を奪還しようと試みる才人をかわしながらルイズは間髪入れずに短い拒否の言葉を返して、守る様に丼を抱え込みながら食べ続ける。

 この事態に医師と研究者達は慌てた。

 彼等はルイズに対して段階的に様々な食物を与えて変調を来さないか、免疫系に変化が起きないか等の経過を観察しようとしていたのだが既に手遅れ、計画は台無しになってしまった。

 こうしてルイズは牛丼ジャンキーへの道を一歩踏み出すと同時に才人に対して遠慮と言うものが無くなったのだった。

 

* * *

 

「では彼等に起こった〝現象〟について、現状で判明している事をおさらいするとしようか」

 国立生物医科学・生物工学研究所の会議室の一つに宝条所長の声が響く。

 突然ルイズが日本語を理解し、たどたどしいながらも会話が行える様になるという常識では考えられない〝現象〟を目の当たりにした科学者達は困惑していた。

 才人とルイズに装着されていたBIAMと室内をモニターしていたカメラが、その時の様子を克明に捉えていた。

 

 才人がルイズの頭に手を置いた時点で、まずルイズの〝ヨモギの葉の様な〟と形容された彼女の脳内にある松果体様器官の中心から活性化された領域が葉脈状に広がって行く。

 それに呼応するかの様に才人の脳の側頭連合野、とりわけ言語野にニューロンの活性化を示す反応が集中する。

 その反応の仕方も常軌を逸していた。

 それまでの才人の言語野の動きをBIAMは記録しているが、その反応は神経細胞が次々に連鎖反応していく、例えれば雲の中を稲妻が走り回る様な通常のヒトに見られるパターンを描いていた。

 しかしルイズの松果体様器官が活動し始めた時に才人の脳内で見られた反応パターンは言語野全体が塗りつぶされる、いわば神経細胞が一斉に活性化したと判断せざるを得ない状態となる。

 その状態が十ミリ秒と言う極めて短時間の内に終わると今度はルイズの脳内、特に海馬で新たな反応が現れ始める。

 それは人間が母国語以外の別な言語を学習している時のそれに酷似していた。

 しかし、聴覚野や視覚野をすっ飛ばしていきなり海馬から側頭連合野へと反応が流れて行くのだ。

 しかもその速度が常識から外れていた。

 ヒトの神経繊維上での信号の伝導速度は速くても秒速一二〇メートル程度であるが、ルイズの脳に見られた反応の伝導速度は生体では有り得ない秒速一万キロメートルにも達する事が判明した。

 それらの反応が何百回と繰り返され、最後にルイズの前頭前野の数カ所に強い反応が現れた後で彼女の松果体様器官に出ていたニューロンの活性化反応は急速に収まって行く。

 ルイズが才人の問い掛けに対して日本語で応えたのはその直後である。

 

 まとめを報告した生物学者が最後に「現象面だけ見ても何が何やら皆目見当も付きません」と諦めの溜息と共に締めくくった。

 この場には居ないが筑波の高次物理学研究所の面々とテュリオス、通称ジャイスターに居るテューリアン科学者もヴィザーのネットワークを介してリアルタイムで参加している。

 

「まるで通信でもしているみたいだな」

 

 沈黙が支配する中、一人の物理学者が言葉を漏らした。

 それが切っ掛けとなったのか各々が発言を始めて会議室は騒然となる。

 

「生体の神経系で直接に記憶の交換とか有り得ないだろ!」

「才人君の脳内で腕に関する部位には通常の反応しか出ていないから接触が直接原因ではなさそうだが」

「空間を隔てた生体の脳同士が直接情報交換するなんて、BIAMを通して情報が流れ込んだとは考えられないか?」

「いや、それは有り得ないだろう。知覚伝送の技術を応用しているとは言え、あれは神経細胞の反応を拾うだけに特化した物だ」

 

 様々な推測と憶測が飛び交う中、宝条は両手を挙げながら皆に発言を抑えるように告げるとスクリーンの一つに向き直る。

 

「テューリアンの方々にお聞きしますが、似たような現象を起こす生命体をご存じありませんか?」

 

 遠くテュリオスからネットワーク越しに参加している巨人達の中の一人が宝条の質問に応える為にスクリーンの中央に進み出た。

 その表情には慣れた者ならそれと分かる彼等独特の戸惑いが表われていた。

 

「光を含む電磁波や化学物質を利用して個体間に於いて〝記憶そのもの〟を伝達する生物は確かに存在します。ですが、それ等は例外なく神経系や皮膚に特殊な送信体と受容体を持っており、伝達された記憶の転写方法も最終的に生化学的な物で行われてます」

 

 応えたテューリアンはそこで一区切り入れ少しの間を置いた。

 

「今回の事例ですが現象面から見ると相関が有るように思えます。ですが双方で起こっている反応が全く違う上に、彼等の間で何が媒介して記憶が転写されているのかも不明です。いえ、記憶の転写と我々が思いこんでいるだけで全く別なものかも知れません。前例が全く無いので我々も困惑しています」

 

 質問に答えたテューリアン科学者はそう応えると「せめて電磁波だけでも観測が行われていれば何かしらの手掛かりは掴めたかも知れませんね」と付け加えた。

 結局、ルイズと才人の間に起こった謎の現象について「何も分からない事が分かった」と言う事が確認されただけであた。

 それを受けて宝条はスクリーンの一つ、筑波に居る物理学者チームへ苦笑を浮かべながら声をかける。

 

「と、まあ。こちらはこんな状況だよ。ルイズ嬢との意志疎通が出来る様になったのは僥倖だけど、なんとも難しい課題が増えてしまってね。それでそちらの方の進み具合は?」

 

 宝条が言い終わると、筑波チームの面々が映っている中で、面長の顔に太眉で厚い唇、柔和だが強い意志の光を湛えた目を持つ三十代半ばと思われる男性が拡大されてスクリーン上に大写しとなる。

 

「平賀教授の補佐と今回の件の解析を担当している南武(みなたけ)洋一郎(よういちろう)です。私の方から説明します」

 

 彼がそう言うと別なスクリーンに数式やグラフ、図表が表示される。

 

「我々は現状で得られているデーターを元にして彼女が居たであろうブレーン宇宙を特定する作業を行っています。ブレーン宇宙間の移動、これを便宜的にPS転位と呼びますが、ルイズ嬢の転位には理論面で辻褄が合わない点が多々あります。例えば我々の理論ではPS転位に於いての通常空間への出入口はアインシュタイン-ローゼン・ブリッジ、いわゆる〝ワームホール〟として表現出来るのですが、彼女の転位した時のデーターを解析した結果、理論面からは説明不可能な空間接続となっています」

 

 南武はそこで言葉を区切りスクリーンに別なデーターと図を表示させた。

 図の一つは二つの平面を両端がラッパ状になった円筒面が繋ぐ図形が表示されている。

 もう一つは一枚の奇妙に捻れた細いリボン状の平面が二つの平面の間を渡っている図形である。

 南武は、まず一つ目の図形を指して説明を始めた。

 

「ワームホールによるブレーン宇宙間の接続はこの様な略図として表す事ができます。この図では高次空間と共通余剰空間は省略してありますが、敢えて言えばこのZ軸が共通余剰空間の一つの次元に該当します。もう一つがルイズ嬢が転位した時のデーターを解析した結果を略図で表現したものです。実際には高次空間と共通余剰空間で複雑なパターンを示しているのですが視覚化が不可能な為この様な図で近似しています」

 

 南武は確認するかの様に再び言葉を区切ると生物学者のチームの誰もが黙って首是した。それを見て彼は説明を続ける。

 

「ワームホールの通常空間に於ける写像は中心に向かうに従って空間の曲率が変化する球体として表せます。この時空の曲率が大きくなり事象の地平面を形成した場合には自転しないブラックホールと等価になるのは古典理論でも論じられていて、その出現と消滅には重力異常を伴います。一方、ルイズ嬢の方ですが」

 

 南武はそこで言葉を句切り、手元にあったコップの水を含んで咽を湿らせた後に絞り出す様に言葉を続ける。

 

「お手上げ、謎だらけです。データーには通常空間との接続で明確な不連続面、つまり微分不可能な領域が形成されています。更に接続面が球面では無く平面となっています。h-リンクや高次空間移動に使われるエントリー・ポートでも同じ様な接続面が形成されますが、その場合でも辺縁部は微分可能な連続した超曲面から成り、その生成と消失に於いては移動させる質量、言い換えればエネルギー量に見合った重力波を発生させます。これ故に宇宙船等の大質量の高次空間移動には星系への影響を少なくする為に主星から一光日以上離れた場所で行う事になっている訳です」

 

 南武はそこでまた一息つき水を一口飲むと、彼の生真面目な性格を現すかの様な口調で淡々と話し始める。

 

「まだ他にも彼女の転位に関して現状の理論と合わない部分が多々あります。しかしそれ等の理論面での考察と解決は取り敢えず先送りにして、彼女が存在していたブレーン宇宙と、そこでの時空位置の特定をしなくてはなりません。そしてブレーン宇宙についての解析とそこでの時空位置の特定の作業は終わりました」

 

 南武がそう言った途端、どよめきの声が上がるが、それを遮る様に彼は声を大にして続ける。

 

「だからと言ってルイズ嬢を直ぐに送り返せる訳ではありません。解決すべき問題が何点もありますし技術的課題も、それこそ山ほど出て来るでしょう」

「それについては俺の方から話そう」

 

 南武の説明を引き継ぐ形で筑波チームのリーダー、才人の父親である平賀教授が話し始める。

 

「彼女が居た座標を特定出来たとしても、ブレーン宇宙間でのPS転位の各々の端点は相対座標でしか表せない上に、彼女の居た惑星の自転、公転、恒星系の銀河内での公転や律動に銀河の移動に空間の膨張、付帯する高次空間のエネルギー順位やらブレーン間のエネルギー障壁と、ざっと上げただけでもこれだけのパラメータが逐次変化している訳だ。つまり彼女側の始点が分かったからと言って転位させたら確実に〝そこは真空の宇宙空間でした〟になるだろう」

 

 平賀教授は更に続ける。

 

「彼女を無事に家に送り届けるには幾つかの手順を践まなければならない。まずはルイズ嬢が居たブレーンへ物質をPS転位させる為に必要なエネルギーを仮のパラメータで計算すると、十トン程度の質量を送るのにアッタンにあるジェヴレン・サブシステムで出せる最大出力の七十倍以上にも及ぶ。後で話すが最終的には最低でも百トン以上の物を送り込む必要が有ると考えている。その為に新たな専用エネルギープラントの建設が必須だが、幸いにもテューリアン側で建設を担当してくれる事で話が付いた。こいつの建設にかかる期間は地球時間で凡そ五年以内との事だ。このエネルギープラントの建設開始と同時に、PS転位用の変調システムの実験と実用化研究を開始する必要があるが、現時点では開発期間がどれ程になるのか不明だが、何としてもエネルギープラントの完成に合わせて完成させたいと思う」

 

 平賀教授はそこまで言うと南武へと視線で合図を送る。彼はそれを受けてスクリーンに映る画面を切り替えた。

 

「それでは変調システム完成後のミッション概略について説明します。まず送り先ブレーンでの初期実験宙域は今回特定された座標から二十万光年以上離れたところに設定し、万が一にも目的地の恒星系と其れが属する銀河に対して出来るだけ影響が無い様にします。この初期実験宙域に低エネルギーの物を転位させる事でこちら側へのフィードバックが正常に検出が出来るかの確認を行います。ここまでをフェーズ1とします。この確認の後、ミッションはフェーズ2へ移行します。フェーズ2では質量千キログラム未満の共通余剰空間通信技術試験体を複数送り込み、ブレーン間での通信リンク技術の確立、及び空間膨張率と目的銀河の移動ベクトルの測定を行います。不確定要素は有りますが、変調機の完成後から遅くともフェーズ1と2の完了は二年と見積もっています」

 

 ここまで聞いて出席者の一人が「最短でも足掛け七年のプロジェクトか」と誰に言うでもなく呟いた。それを聞いた南武は人の良さそうな笑顔になり言い放つ。

 

「いいえ、それで終わりではありません。このミッションは一人の迷子を無事に親元まで届ける事で完了するのです」

 

 そう言うと彼はまた大真面目な顔に戻り話を続ける。

 

「ブレーン間通信リンクが確立された後、ミッションはフェーズ3へと移行します。ここでの目的は目標星系の探査と惑星の特定です。フェーズ2で得られた空間膨張と銀河移動のベクトルを元に開始端点座標の補正を行います。そうして得られた時空座標を中心に半径一光年の球面に三~五機の無人観測機を送り込み恒星系が存在するかを確認します。この無人観測機ですが、自立航行能力を持たせておき存在が確認出来た恒星系まで航行させて詳細な惑星系探査を行わせます。ここでルイズ嬢からの聞き取りで彼女が居た場所では目視で大きな月が二つ見えていたと言う事が判明していますので、比較的大きな衛星を二つ持つ惑星が見つかれば目的地の確定と言う事になります。順調に行けば一年強で完了し、次のフェーズ4へ移行します」

 

 南武は一旦区切り、口を水で潤すと話を続ける。

 

「フェーズ4は本ミッションの最終フェーズとなります。目標惑星上でルイズ嬢の実家を特定し連れて行く必要がある事から、惑星上での有人探査、調査が必要になると考えられます。また、ブレーン間を接続するワームホールは理論上は可逆性を持ち得ません。故に探査、調査に携わる人員の帰還用のエネルギープラントと転位用変調システムの建設が必須となります。惑星上での調査方法等の仔細については、実際に現地の状況を確認出来てからになるでしょう。更にこのフェーズに関しては惑星への上陸と調査隊の安全確保の為にUNSA(国連宇宙軍)の協力を得る必要があると考えます。以上が本ミッションの概要です」

 

 一通りの説明が終わる誰もが溜息を吐いた。

 この宇宙とは別のブレーン宇宙に行き、そこに在る惑星に上陸し帰還する。

 足掛け十年以上に渡り遂行されるミッションである。

 科学的、技術的な発見や進歩が見込める壮大な計画であるが、その主たる目的は〝迷子になった一人の少女を親元に帰す〟事なのだ。

 

「君達、地球人(テラン)が、こんなにも御人好しだとは思ってもいなかったよ」

 

 参加しているテューリアンの一人が言うと宝条が何を当たり前の事を言っているんだとばかりに笑いながらやり返す。

 

「永いこと底抜けに御人好しな隣人達(テューリアン/ガニメアン)と一緒に居るからね。我々だって少しは見倣うさ」

 

 その言葉で場が和むと「ミッション名を決めなきゃな」と誰かが呟いた。

 それを聞いた平賀教授が得意気な笑みを浮かべながら応える。

 

「それはもう考えてある。古代ギリシャ語の〝出航〟を語源に持つ我々に馴染む深い天体から取って〝プレイアデス・オペレーション〟なんてのはどうだろう? 和名の〝すばる〟は〝一つにまとまった〟と言う意味もあるから我々におあつらえ向きだと思うんだがね」


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