虚無を継ぐもの(旧)   作:片玉宗叱

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プレイアデス・オペレーション 1

 筑波にある高次物理学研究所。そこでは昼夜を問わず地球人とテューリアンの共同チームにより別ブレーン宇宙への転位方法が精力的に研究されている。

 チームは平賀教授がリーダーとして取り纏めているが、実質的には南武(みなたけ)准教授を中心に研究が進展していると言っても過言ではない。

 南武の非凡な才能を見出だしたのは平賀教授である。南武が合衆国留学中の博士課程で発表した論文を偶々目にした平賀教授が「南武(コイツ)高次研(うち)で貰う!」と言うが早いか、スカウトする為に即日でアポイントを取り、翌日には合衆国まで出掛けてしまった程の惚れ込み様だったのだ。

 その後、南武は合衆国で博士号を取得すると正式に平賀の招きを受けて高次物理学研究所へと入る事になる。

 南武を中心とする彼等はPS転位に関しての理論面での裏付けを確固たる物にする事を現在の第一目標としていた。これを確実にしておかないと、いざ実験を行おうとした時に不測の事態が起きないとも限らない。シミュレーションやその検証など、机上での作業を疎かにしては、まともな結果など得られはしないのだ。

 このプロジェクトには、遠い過去に因縁を持つ同士である地球人(セリオス人)ジェヴレン人(ランビア人)、そしてテューリアン(巨人たち)ヴィザー(人口知性)も参加している。

 彼らは一丸となって驚異的な働きを見せ、半年以内には最初の実験装置の開発に取り掛かれるだろう、というところまで来ていた。

 

 筑波の研究チームが着々とその仕事を進めている間、ルイズは晴れて滅菌室から出られる事になった。

 彼女の細菌やウイルスに対する耐性について結論がやっと出揃って薬品の準備が整ったからだ。それら薬品類は結局は、小児に対して普通に行われている予防接種の類と何ら変わりが無かった。

 これは彼女が生活していた環境の微生物類が地球のそれと大差無い事を意味している。この件は別ブレーンの宇宙ではあるが〝環境の違う他惑星での並行進化〟と言う新たな難題を生物学者達に対して突きつける事になったのだ。

 

 さて、予防接種の注射に泣きべそをかきながらも病室から解放されたルイズは平賀母子と一緒に国立生物医科学・生物工学研究所のゲストルームで暫く生活する事になった。

 彼女が故郷へ帰還するには最低でも六年から七年は掛かると思われる現状では、いつまでも研究所に閉じこめておく訳にもいかない。

 そこで平賀教授の提案(ごり押しとも言う)により帰還準備が整うまで彼女は平賀家で生活する事になっている。

 今回、彼等を留め置く理由だが、ルイズの予防接種後の経過観察、及び彼女をいきなり平賀家に連れて行くよりも研究所に居るうちに地球の、主に日本の常識を教えておけば、平賀家に移ってからの生活もスムーズに行くだろうとの配慮からだ。

 彼等の滞在するゲストルームはキッチン等の設備や家具類一式も備わっており、どちらかと言えば長期滞在する外部研究者用の宿泊施設としての意味合いが強いものである。

 こちらに迷い込んで以来、ルイズは建物内部と言えば平賀家のダイニングと病室以外の部屋を見た事が無かった。

 貴族の娘として豪華な家具調度品に囲まれた生活を送っていた彼女にとって、無駄な装飾を排して機能性を重視したデザインの室内は、質素且つ殺風景で奇妙に見えた。

 しかしこの生活空間には彼女にとって初めて経験する事ばかりである事に直ぐに気付かされる。

 ルイズが今居るのは地球と呼ばれる場所の日本と言う国。地球では科学技術と言うものが発達していて、身の回りにある様々な物がそれで作られたり動いたりしている、と言う事をルイズは才人と彼の母親から教えて貰っていた。

 夜に点く灯りや、人や風景をまるでそこに在るかの様に映し出すスクリーンと呼ばれる不思議な窓は電気とかオプト・エレクトロニクスとかで動いたり作られたりしているらしい。

 この様な説明は才人に聞くよりも、彼の母親に聞いた方が分かり易かったので、結果的にルイズの才人に対する評価はダダ下がりとなっていく。

 そして彼女の中で才人は最終的に〝優しいけどヌケてるお兄ちゃん〟と言う実に微妙な位置付けが成されて行くのだった。

 

 閑話休題。

 

 目についた調度品で、まずルイズが驚いたのは調理台、所謂システム・キッチンだった。

 才人の母親は料理上手である。才人がルイズと病室に押し込まれている間は流石に面倒だったのか研究所の食堂で食べていたのだが、才人が戻ってからは職員に頼んで食材を届けて貰い、才人の、と言うよりはルイズの為に腕を奮っていた。

 そんな彼女の料理をする様子を見てルイズは驚いた。

 火が使われていないのだ。

 それなのに水を張った鍋は沸き立ち、フライパンは食材を入れるとジュウジュウと音を発てる。

 ルイズは内緒で屋敷の厨房を覗き見た時に、(かまど)の炎と格闘する御抱え料理人の姿をがあった事を思い出す。

 科学技術って凄いな。これも電気の力なのかな? とルイズは思ったが、良く分からないので調理を続ける才人の母親に尋ねた。

 

「おばさま、火が無いのにどうしてお料理ができるの?」

 

 それを受けて平賀夫人は、さてどうしたものかしらねぇ、と考えた。

 誘導加熱やマイクロ波加熱は二十世紀からある枯れた技術だし、今の時代に生まれ育った子供なら詳細については無理だとしても説明を受ければ、なんとなく理解出来る類いの事なのだ。

 しかしルイズは文化や習慣が全く違うであろう別な世界から迷い込んだ子供である。

 彼女が居た世界の文化文明についての詳細は不明だが、彼女からの聞き取りや彼女が身に着けていたドレスの縫製や生地の織り、靴の作り等から地球の十七世紀から十八世紀頃に相当するのではないかと推測されていた。

 一通りの調理を終え、あとはゆっくり煮込めば良いだけになっていので、平賀夫人はしゃがみ込んで目線をルイズに合わせて、逆にルイズに質問する。

 

「ルイズちゃん、どうしてか知りたい?」

 

 微笑みながら問いかける平賀夫人の顔をルイズはじっと見つめると「はい」と言って大きく(うなず)いた。

 

「そっか。教えてあげてもいいけど、ルイズちゃんのお勉強が足りないから、どうしようかな?」

 

 平賀夫人がわざと意地の悪い事を言うと、ルイズは肩を落としてしょんぼりと下を向いてしまう。

 そんなルイズを微笑ましく思いながら内心で「学習意欲はあるみたいだし、これなら上手く行きそうね」と考えた平賀夫人は優しく彼女に提案する。

 

「ルイズちゃんが解るように、まずは基本をお勉強しようね。おばちゃん、頑張るからルイズちゃんも頑張るのよ?」

 

 それを聞いたルイズは表情を明るくして「おばさま、ありがとう!」と元気良く返事をするのだった。

 

* * *

 

 ルイズが新しい環境に移ると同時に筑波と東京の合同チームが動き始めていた。

 彼等は才人達が滞在しているゲストルームの周囲にある部屋と言う部屋に、考えられ得る限りの測定器・観測装置を持ち込んだのだ。

 それによって一時的にではあるが、別な建物に追い出された研究者達から抗議の声が上がったが宝条所長がそれを宥め賺して(なだめすかして)説得したのは言うまでも無い。

 

 ルイズに対しての観察と分析は二十四時間体制で行われるが、音声や映像についてはプライバシーに配慮して、平賀夫人の了承が無い限り記録やモニターされる事は無い。

 彼等が滞在するゲストルームのそこかしこには目立たない様に改良型の非接触BIAMを始めとした各種センサーが設置され、階下の部屋には電磁場や重力場の様な古典的な場の検出機は言うに及ばず、高次放射検出機に高次空間及び通常空間歪曲率分析装置、果ては共通余剰空間次元軸振動モード共鳴検知装置、略称CS2DAVと言うブレーン間質量移動の監視に使われている大層な名前の物まで持ち込まれ各部屋を所狭しと占拠している。

 これ等は地球の通信網(アースネット)経由でオムニヴァース・ネットワークに接続され、ヴィザーが統括的に監視、管理を行う。

 そうして集められて処理されたデーターの分析、解釈は地球人とテューリアン、ジェヴレン人の混成チームが行う事になっている。

 この混成チームに参加するテューリアン研究者のうち何名かは、知覚伝送を使えば事足りるというのに、わざわざ定期便で地球にやって来ていた。それだけ彼等も関心を抱いていると言う事の現れでもある。

 これ等の機器の搬入は大規模な物にならざるを得ず、外部には〝画期的な生化学システムについてのテューリアンとの共同研究を行う為〟と苦しい言い訳が発表されている。

 

* * *

 

「どう、ルイズちゃん。分かる?」

 

 ルイズに勉強を教えるついでに才人の進み具合を観ていた平賀夫人が声を掛ける。

 いや、本来は才人に勉強を教えるついでにルイズだろうとは思うのだが細かいところは気にしないでおこう。

 平賀夫人の言葉にルイズは悲しそうに首を横に振る。ちなみに今ルイズが教えて貰っているの簡単な足し算と引き算である。

 もちろんルイズには事前にアラビア数字を教えてあるし、彼女はそれを理解していて数を数えたり書いたりする事が出来る。

 しかし何故か足し算と引き算のやり方教えても微妙に齟齬(そご)が生じるらしく、上手く理解してくれないのだ。

 これには平賀夫人も苦笑するしかなかったが、ふと何かを思い付いてわざとらしく話を才人に振る。

 

「あら、困ったわね。そうだ才人、あんたルイズちゃんに教えてみなさいよ。誰かに教えるって言うのは、ちゃんと分かっているかどうか確かめる事にもなるんだし」

「かあちゃん、いくら俺の成績が悪いからってさぁ……。足し算と引き算くらいはできるよ?」

「あら、だったら尚更、あんたがルイズちゃんに教えても問題は無しよね?」

「ええっ? なんでそうなるんだよ!」

 

 母の作戦勝ちらしい。僅かな抵抗の機会もなく才人はルイズに算数を教える事になってしまった。

 ここで平賀夫人が才人に話を振ったのは、彼女なりの思惑(おもわく)があったからである。ひょっとしたら才人とルイズの間に起こった〝例の現象〟が再現出来る可能性があると考えたからだ。

 ルイズと接する機会の多い、いや四六時中彼女と接している唯一の大人である彼女は、ルイズが憶える事柄について、ある傾向が有るのに気付いていた。専業主婦になり現役から引いたとは言え、やはり彼女も科学者だ。

 平賀夫人は「おやつの用意してくるわね」と言い残し子供部屋から出て居間へと向かうと、ここを常時モニターをしている人工知性(ヴィザー)に呼びかける。

 

「ヴィザー。ひょっとしたらルイズちゃんと才人に起こったアレが再現されるかも知れないからモニター室の人達への連絡お願いね」

「承知してますよ。ミズ・ヒラガ。待機している全員に既に伝えてあります」

 

 そう応えるヴィザーはどこか楽しげであった。

 

「流石ねぇ。今からあの子達のおやつを用意しなきゃならないから、後で結果だけでも教えてね」

 

 平賀夫人は母親の顔に戻ってそう言うとキッチンへと向かった。

 

 

 

 平賀夫人が子供部屋へ戻ったのは、才人がルイズに繰り下がりのある引き算を教え終わったタイミングだった。

 才人は彼の母親がおやつのプリンと清涼飲料水を持って部屋に入って来ると、彼女に対して何とも不思議そうな顔で問いかける。

 

「かあちゃん、ちゃんとルイズに教えてた?」

「あんたに教えた時より丁寧に教えてたわよ。どうかしたの?」

 

 首を傾げながら才人の母親は質問を返すと、才人は更に不思議そうな顔をする。

 そんな才人に母親は「なによ、変な顔して。どうしたの?」と更なる問いかけをすると才人に代わってルイズが嬉しそうに答える。

 

「おばさま、あたしね、お兄ちゃんに教えてもらったら分かるようになったの」

「あらルイズちゃん凄いわね。才人、あんた結構やるじゃない」

「いやそれがさ、ルイズってば一発でやり方を憶えちまったんだよ」

 

 母親の冷やかしに才人は戸惑いを隠さずに何か納得が行かない表情で応えた。

 それに何か有ると感じた才人の母親は「何が有ったの?」ともう一度問いかける。

 

「普通はさ、何回か練習しないと憶えないじゃん。それがルイズはさ」

 

 才人がそこで言葉を区切り母親が持って来た飲み物で口を湿らす。

 二人のやり取りを黙って見ていたルイズは、才人が飲み物に口を付けたの見て「食べていいの?」と子犬が訴えるような目をしながら才人の母親を見る。

 それに気付いた平賀夫人は微笑みながら「召し上がれ」と言うと、ルイズはにこにこしながら行儀良く「いただきます」と言ってプリンを食べ始めた。

 そんなルイズの様子を横目で見ながら才人は言葉を続ける。

 

「俺が、どうやって教えようかな、と頭の中で考えてから話し始めるたらさ、いきなり〝わかった!〟とか言って問題を解いちゃったんだよ。引き算も、繰り上がりも繰り下がりも、同じ感じ」

 

 それを聞いて才人の母親は〝例の現象〟が起こった事を確信し、彼に提案した。

 

「才人。あんたルイズちゃんに掛け算と割り算も教えてみない?」

「えー、大丈夫かな……?」

 

 母親と不安気に話す才人を余所にルイズは美味しそうにプリンを食べていた。

 彼女は自分の分を既に平らげており今は二つ目に取り掛かっている。勿論それは才人の分なのだが。

 この後プリンが原因で才人とルイズの間に一悶着あったのだが兄妹喧嘩みたいな低レベルの言い合いなので割愛しよう。

 結果は、もちろん才人の負けである。この女児、彼に対して全く容赦無しである。

 

* * *

 

「事前に知らされていても、実際に目の当たりにすると驚くしかないな」

 

 モニター室に詰めていた科学者の一人が息を飲み、そして呟く。

 彼等は常識では理解出来ない現象を目の当たりにしていたのだ。

 最初の変化は予想通り、ルイズの脳内にある松果体様器官から始まった。その様子はBIAMによって詳細にモニターされている。そして今回は様々な計測装置類でデーターを記録しているのだ。

 その中の一つに今までに知られていないピーク・パターンが現れ、ヴィザーは自己の判断で各機器のサンプリング周期と感度を限界値まで上げると、現在このチームの指揮を執っている人物に報告をする。

 

「イルムシャー先生。不明なパターンがCS2DAVに現れました。詳細を得る為にサンプリング周期と感度を限界値まで設定。他の計測器についても同様に設定しました」

「ああ、ヴィザー。有り難う」

 

 短く刈り込んだ白髪にきちんと手入れされた顎髭の人物、呆然としていたヴィルヘルム・イルムシャー博士はヴィザーの呼び掛けに混乱から脱け出した。

 ルイズの件について、地球側は日本がプロジェクトを主導しているが〝彼女が帰還するまで一般から秘匿する〟のを条件に、世界中の代表的な研究機関から科学者や技術者の派遣を受け入れている。

 イルムシャーもその一人であり、欧州に於ける脳科学の第一人者として送り込まれて来ていた。その彼をして呆然とさせる〝現象〟が目の前で起こっている。

 

「一応は資料や映像を見て予習して来たつもりなんだがね。いやはや、実際に目の当たりにしてもまだ信じられない。エィドレフ、貴方はどうかね?」

 

 イルムシャーが彼の横に座る一人のテューリアンに問い掛けると、彼は地球人の頷きを真似て「私もです」と同意を表す。

 エィドレフは物理学の面でイルムシャーをサポートする事を担っている、このチームのサブ・リーダー的な立場に居る。

 現実空間での地球人とテューリアン間の同時通訳は、片耳に着けたイヤーセットを介してヴィザーが行っているので意思の疎通に困る事は無い。

 

「私らも知り得なかった事象ですよ。ヴィザーが視覚化してくれた一次データーを見ると水面下で何かが移動して水面に波が起っている、そんな感じにも見えますね。データーの詳細な解析が楽しみですよ。それにしても……」

 

 彼はそこで言葉を切りテューリアン独特な困惑の表情を見せながら続ける。

 

「共通余剰空間の四つの次元軸で超立方振動を起こすなんて、それなりのエネルギーが投入されているはずなんですが、それが何処から来ているのか皆目(かいもく)見当も付きませんね」

 

 それを聞きイルムシャーは渋い顔をする。

 

「それが調査対象達の間に起きている記憶の転写と思われる事に、どう言った関連性があるかだね。現象面での相関が有るのだから何らかのメカニズムで成されてはいるのだろうが」

「イルムシャー先生、研究はまだ始まったばかりですよ。地球人はせっかちと伺っていましたが、それにしても急ぎすぎです」

 

 考え込み始めたイルムシャーにエィドレフが彼ら独特の〝笑い〟を含めながら言うと、イルムシャーは照れ隠しに咳払いを一つして誤魔化すし、独り言の様に呟いた。

 

「真実とは、経験という試練に耐える物のことである、か」

「含蓄のある言葉ですね。先生ご自身の?」

 

 エィドレフの問いにイルムシャーは微笑みながら答える。

 

「私の座右の銘でね。二十世紀に活躍した私ら地球人の物理学者、アルベルト・アインシュタインの言葉だよ。しかしまぁ、今ここで起きている事は、我々にとっての〝耐えるべき試練〟になりそうだねぇ」

 

 イルムシャーの言葉を聞いた他の地球人研究者達は黙って頷いたが、エィドレフは不思議そうに彼に尋ねたのだ。

 

「おや? 先生は地球人にしては珍しく弱気な方ですね」

「いや、あまりにも常識から懸け離れた現象に思考停止直前なだけだよ。そのうち現実として受け止められれば、自然と好奇心の方が勝って来るもんだ」

 

 そう言ってイルムシャーは乾いた唇を潤す様に舌なめずりをした。この時、彼の眼を見る者が居たならば獲物を狙う餓えた野獣のそれと同じだと感じただろう。それ程までに彼は、この未知なる現象に対して貪欲になっていたのである。

 

* * *

 

 それからのルイズは真綿が水を吸うような勢いで知識を吸収して行った。途中に何回かルイズの知能指数テストが行われたのだが、その値は同年代と思われる女児を少し上回る程度で、結果として異常とは言えない物だった。

 この驚異的な学習速度と理解力は才人の脳からの転写によるものだろうと、各種計測データーとの相関から仮定されている。

 しかし開始から一ヶ月、イルムシャー達のチームは未だ深い霧の中を手探りで歩く状態が続いていた。

 手掛かりになりそうなのが共通余剰空間での超立方振動なのだが、これを引き起こしているエネルギー的な要因が不明なままなのだ。

 このエネルギーが何処から来るのかに目を瞑れば、引き起こされている超立方振動が才人とルイズの脳内変化に合わせて振動モードを変化させると言う明確な相関関係を示しており、いずれこれが突破口になるだろうと考えられていた。

 しかし現状では、才人とルイズの間に在るであろう〝繋がり〟を説明する為には何もかもが決定的に足りないのだ。

 また、才人からルイズへ記憶転写が行われる時の知識の傾向として、特に数理物理的な事に限定される訳では無く、ルイズ自身が概念として理解し難いと感じたものであるらしい事が判明してきた。

 無意識にせよ何にせよ、そこにはルイズの意思が介在している事になる。

 意思や意識と言うものは、脳内の神経細胞により形成されたネットワークが織り成す電気化学反応によるもので、そのエネルギーはとても小さく、共通余剰空間で超立方振動を起こす事など不可能なのだ。

 

「と、まあ行き詰まってましてね」

 

 所長室に呼び出されたイルムシャーは宝条にこれまでの経緯を説明していた。それを受けて宝条は米神(こめかみ)に人差し指を当て、イルムシャーの隣に居る巨人に問いかける。

 

「エィドレフ君の物理学チームも、かね?」

「ええ、全く五里霧中の状態です。BIAMとCS2DAVのデーター以外に相関が見られる物が全くありません。それに超立方振動のエネルギー源も不明なままです。筑波チームと共同で一応の仮説は立てているのですが、対象がコンパクト化された次元軸なので観測が不可能なんです」

 

 エィドレフに宝条が「観測が不可能とは?」と問いただす。

 

「ああ、失礼しました。共通余剰次元は一三次元で表現出来るのですが、そのうちの四つはコンパクト化、(たと)えて言うなら地球人が使うプランク長でしたか? それ以下に折り畳まれているのです。それを観測しようにもブレーン宇宙共通の“最小の時間単位”以下の領域なので、どんなに頑張っても認識そのものが不可能なのですよ」

 

 エィドレフの説明に宝条が「古典的な量子力学にある不確定性って奴かな?」と問い直すと「多少違いますが、概ねそう言う理解でよろしいかと思います」と答えが返って来た。

 

「その仮説が正しいとしても、調査対象の間に起こっている事の解明には程遠いのだがね。出来れば対象の脳に知覚伝送で直接インターフェースが出来れば何か掴めると思うのだが」

 

 イルムシャーがそう言うと再び宝条は米神に人差し指を当てて暫く考え込むと(おもむろ)に口を開いた。

 

「手詰まりねぇ。まあ、このプロジェクトの目的そのものがルイズ嬢の安全を保障した上で無事に帰還させる事であり、今回ここでやってるのはオマケみたいな物だしね。これ以上どうしようも無いのなら後はシミュレーションで何とかするべきかな。十分なデーターも取れた事だし」

 

 その言葉にイルムシャーが不満を(あらわ)にして宝条に噛み付いた。

 

「そんな! 世紀の大発見になりそうな、こんなにも貴重なサンプルを私から取り上げると言うのかね? 何故に君達は〝あれ〟に肩入れしてる? 〝あれ〟は別な宇宙からの闖入者で国籍も何も無いし、ましてや我々と同じ人類ですら無いんだろ? それに一般には秘密にされてる。ならばBIAMとかCS2DAVを使ったまどろっこしい事なんか止めて、知覚伝送で直接インターフェースを取ってフィードバックを解析しても問題無いだろう」

 

 そこまで言ってイルムシャーは息を飲んだ。いや正しくは恐怖を感じたのだ。自らのエゴを剥き出しにして息巻く彼を見て、目の前に居る宝条は黙ったままだが明らかに怒気を放っている。隣に居るエィドレフはテューリアンが滅多に現さない目を大きく見開く怒りの表情を見せていた。

 

「ヴィルヘルム・イルムシャー博士。それが貴方の本音、いや貴方を派遣した欧州科学機構の意向ですかな?」

 

 宝条は静かに、しかし怒りを込めてイルムシャーに質問した。気圧(けお)されたイルムシャーは狼狽(うろた)えながら「宝条所長、わ、私は純粋に研究者として」と弁明を始めたが、彼を無視する様に宝条は虚空に向かって声を掛けた。

 

「ヴィザー、今の会話記録は私の承認無しでは消去不可としてくれ。それと欧州科学機構のハマーショルド理事長の呼び出しを」

「了解しました。しかしハマーショルド理事長の住むストックホルムは夜中ですが宜しいのですか?」

 

 時差を考慮したヴィザーの言葉に宝条は吐き捨てる様に言う。

 

「こんな不心得者を寄越したんだ。叩き起こしてもバチは当たんだろう。さてイルムシャー博士。貴方は私の権限により只今を以てプロジェクトから外れてもらう」

「不心得者だと? 私を侮辱するつもりかね? 規約違反を起こした訳でも無いのに、こんな横暴な処分を私は認めんぞ!」

 

 顔を真っ赤にして(いき)り立つイルムシャーに対して、宝条はうんざりとした表情で冷ややかに告げる。

 

「ふん。その件ならば全く問題無い。ヴィザー、この不心得者が外部と遣り取りをしていた通信記録の表示と通信内容の再生準備をしてくれ」

 

 その言葉に、たちまちイルムシャーの顔から血の気が引いて行き、まるで信じられない物を見るような表情で宝条に見つめている。

 

「このプロジェクトに参加する時、誓約書にサインする前にきちんと全文を読まなかったのかな? 項目の中に〝部外者とのいかなる接触について、それを記録する〟と書かれているのを。ああ、記録者はヴィザーだから暗号化は無意味だって事は書かれていなかったか」

 

 それを聞いてイルムシャーは、がっくりと肩を落とし力無く言葉を発した。

 

「それで、私は、どう、なるんだね?」

「規約違反で解任、ただそれだけさ。ああ、そう言えば」

 

 宝条は窓の外を眺めながら、思い出した様に続ける。

 

「先だって連絡が入ってね。貴方が連絡を取っていた結構有名なフリーライターだが〝身の安全を守る為〟にUNIA(国連情報局)が、彼を〝保護〟したと。ヴィザー、それに関して彼にも何か連絡が来てたね」

「はい。イルムシャー博士、UNSAから貴方宛に〝UNSAが全責任を以て貴方の身の安全を保障する〟と連絡があります。早急に〝保護〟する必要があるとの事で、今夕には迎えの車が来るそうですから、外出などなさらず速やかな準備をお願いします」

 

 ヴィザーの無機質な声が部屋に響く。

 この日から二年余り、イルムシャー、及び彼と共謀したフリーライターは、UNSAによる〝手厚い保護〟の下で暮らす事となったのだった。

 


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