虚無を継ぐもの(旧)   作:片玉宗叱

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プレイアデス・オペレーション 3

 眩しい残暑の日射しの中、閑静な住宅地の歩道を水色のワンピースに大きな白い帽子の少女が駈けて行く。

 少女は腰まで伸びたブラウンの髪を(なび)かせながら振り返ると後ろから付いて来る少年に向かって叫んだ。

 

「お兄ちゃん、はやくはやくー!」

 

 目立たない様に髪を染めたルイズだ。

 

「ルイズ! そんなに急いで、転んで膝痛くしても知らないぞ」

「いいもん! そしたら、お兄ちゃんにおんぶしてもらうから!」

 

 そう言って屈託無くころころと笑いながら走りだしたルイズに「おい待てよ!」と声を掛けながら、まったく変わりすぎだよ、と内心苦笑しながらも才人は彼女の後を追う。

 蝉の鳴き声が響く住宅街に賑やかな笑い声を振り撒きながら、まるで兄妹のような二人の子供は地下鉄の駅へと消えて行った。

 

 ルイズが週に一回のペースで筑波に通う様になってから二ヶ月近くが過ぎていた。

 才人の母親から「必ず故郷に帰してあげる」と聞いてから、ルイズは自然と笑顔が出る様になっきた。

 自身を抑圧していた物が無くなった為なのだろうか、それまでの不自然な固さが無くなり、ルイズ本来のものであろう子供らしい振舞いが徐々に表に出る様になっている。

 ルイズが持っていた“杖”は、彼女自身の「無くしたら大変だから預かっていて欲しい」と言う希望によって、実験で使用する以外は筑波の研究所で厳重に保管される事になった。

 

「ねえ、お兄ちゃん。あっちに着いたらアイス買って。いいでしょ?」

 

 地下鉄車両の中、ルイズは隣に座っている才人におねだりをする。地下の真っ暗な中を走る地下鉄に初めて乗らされた時、思わず泣き出しそうだった彼女も今では慣れたものだ。

 

「ダメ。お前、かき氷とアイス食べ過ぎてお腹こわしたばかりじゃん」

 

 才人にダメ出しをされて、むぅっと頬を膨らませるルイズ。そんなルイズに才人はいつもの切札を出す。

 

「着いたらすぐにお昼だし……。そうだな、蝦蟇(がま)屋の牛丼、食べなくてもイイなら買ってやってもいいぞ?」

 

 それを聞いたルイズは目を大きく見開き、即座に〝とんでもない〟と言う風に、ふるふると首を小刻みに横に振る。彼女にとっては、そこで食事が出来なければ研究所に行く意味が無い。

 いわゆる〝お食事処〟である蝦蟇屋。それは実験初日の昼時に「お前は犬か!」と才人に突っ込まれつつ、文字通りルイズが鼻で探し出した、日本全国どこにでもある様な定食屋である。

 研究所の近所にあり六十歳を過ぎた位の夫婦が切り盛りしている小さな店で、盆暮れ正月以外は基本的に年中無休。出前も受けてくれる上に飽きの来ない家庭的な味が好評で、研究所でも贔屓(ひいき)にしている者が少なくない。

 ルイズの魔法を観測する為の実験は、毎回土曜日の午後と日曜日の午前に一泊を(はさ)んで行われる。しかしルイズにとって筑波で行われる実験など今となっては、ぶっちゃけどうでも良い事になっている。

 彼女にとって今や大好物である蝦蟇屋の〝お子さま牛丼セット〟を二日連続で食べられる事の方が重要になっている。

 この〝お子さま牛丼セット〟だが、ルイズの事を気に入った蝦蟇屋の女将(おかみ)さんが、ルイズの為にと旦那さんに作らせた特別メニューだったりする。

 その内容は、量をお子さま向けにした牛丼、温泉たまご、季節の漬物、味噌汁、茶碗蒸し、そして何故か枝豆が付く。

 この枝豆をルイズが両手を使いながら、はむはむと一心不乱に食べる様子は小動物の様で大変に可愛らしい。これをメニューに加えたのは絶体に女将さんの策略である。

 この蝦蟇屋発見のお陰で、最初の予定は月に二回の筑波通いが、ルイズからの強い希望によって毎週行う様に変更になったのだが、これが真相だと才人だけが知るのみだ。

 彼女を故郷に帰す為の研究、実験への協力なのに牛丼目当てとは如何(いかが)なものかとも思うが、既に牛丼ジャンキーの片鱗を見せ始めているお子さまルイズにそんな事は関係無い。

 しかし才人が今し方行った様に、牛丼を餌にして言う事を聞かせる事も可能だったりもする。

 

「次は新上野。新上野。JLR東北線、高崎線、上越線、常磐線、筑波線にお乗り換えのお客様は……」

 独特の節回しで車内アナウンスが目的の駅に到着する事を告げる。

 ドアが開きホームに下りた二人は乗り換えの連絡通路を通り抜けてコンコースへと向うと、駅の構内は週末と言うこともあり郊外へ向うのだろうか、家族連れが多く見受けられる。

 平日よりは(まば)らだが、それでも余所見をしていたら誰かにぶつかる程度の人混みの中、才人は自分の手をルイズに握らせて筑波行きのホームへと向った。

 それにしても才人は兎も角、ルイズを護衛も無しに街中に出しても大丈夫なのだろうかとも思うが、実は彼女が外出する際には、要人警護の訓練を受けた内閣調査室所属の腕利き達が、目立たない様に付かず離れず交代で護衛に就いているから心配には及ばない。

 そんな大人達の事情を知らない小さなナイトとお姫様は筑波行きの列車が出るホームに到着した。

 列車はまだ入線しておらず、時計を見ると発車まで時間がある。空調があるとは云え半解放のホームはそれなりに暑くルイズは少しヘバり気味。

 そんな彼女を見て、才人はホームにある飲み物の自動販売機の前に立つと、ルイズに「どれにする?」と聞く。聞かれたルイズは表示されているサンプルを見ながら、どれにしようか少し悩んでいる様子。

 この自動販売機をルイズが初めて見た時の驚き方は面白かったな、と才人は思い出し笑いを浮かべる。

 ルイズからしてみれば大きな箱に描かれた商品の絵に触れると、選んだ商品がいきなり箱の中から出て来るのだから驚かない訳がない。

 そんな事を考えているうちにルイズは選び終わったのか「これ」と言って商品を指差すと、才人はカードを自販機に(かざ)す。するとルイズから要求の声が上がった。

 

「あたし押す! お兄ちゃん持ち上げて!」

「下の方に子供用ボタンあるんだし、そこ押せば良いじゃん」

「上のを押すの!」

 

 才人は小学六年生に似つかわしくない諦めの溜息を吐くと、後ろからルイズを抱き上げて商品表示の部分に彼女の手が届く様にする。

 端から見れば我が儘を言う妹に付き合っている優しいお兄ちゃんだ。実際、ルイズは無意識に才人に甘えているし、才人は才人で、そんなルイズを不快に思う事は無い。

 二人並んでホームのベンチに座って飲み物を飲みながら、才人は〝こいつが帰るとき俺どんな顔してるんだろな〟と予感めいた物をぼんやりと考えていた。

 

 新上野からJLR(日本リニア鉄道株式会社)筑波線で学園都市駅までは一五分程で到着する。

 そこから研究所まではバスに乗れば五分程で着くのだが、彼等はいつも徒歩で行く事にしていた。

 大きな公園を抜けるこのルートは子供の足で二十分程かかる。だがルイズはいつもこの公園を通る事を望んだ。

 何でも〝懐かしい感じがする〟と言う事で、ここは彼女が気に入っている場所の一つであり、日曜日の実験を終えて昼食を終えた後は、何をするでも無くここで時間を潰してから帰るのである。

 そんなルイズお気に入りの場所を(主にルイズが)走ったり、時に立ち止まったりしながら通り抜けると〝関東工科大学・高次物理学研究所〟の正門が見えてくる。

 だが彼等は、そちらへは向かわずに蝉の鳴き声を聞きながら脇道に逸れ、昼食の為に件の蝦蟇屋へ向かう道へと歩いて行く。

 

「いらっしゃーい! あらルイズちゃんと才人君じゃない。そろそろかなって思ってたわ」

 

 蝦蟇屋の暖簾(のれん)をくぐると、女将さんの人懐こい笑顔が出迎える。まだお昼にはほんの少し早く、また土曜日と云う事もあり店内に客は居ない。

 匂いに釣られてルイズが初めてこの店を見つけた時、入口に置いてある笠間焼きの大きな蝦蟇を見て真っ青になって驚き、脱兎の如く逃げ出したのは今でも話にネタになっている。

 

「こんにちは。おばさん、あたしいつものね」

「はいはい、ルイズちゃんのは分かってるからね。才人君は?」

 

 まるで孫が遊びに来た事を喜ぶかのようにニコニコしながら女将さんは注文を聞きながら二人の前に冷えた麦茶を置く。

 

「こんちは。俺は味噌焼き定、半ライスでお願いします」

「はいよ。あんたー、お子さま牛セットと味噌焼き定半で一丁ね」

 

 女将さんの声に旦那さんが厨房から出て来て「おう、ルイズちゃん来たのか。気合い入れて美味いの作るからな」と笑顔で挨拶すると、調理の為にすぐに戻って行く。

 この夫婦には二人の息子が居り、合わせて五人の孫が居るのだが、女将さん曰く「それが全員男の子でね。一人くらいは身内にルイズちゃんみたいに可愛らしい女の子が欲しかったわ」との事。そんな事もあり、この二人はルイズの来店を心待ちにしていたりするのだ。

 

「ほんとルイズちゃんはお人形さんみたいに可愛いねぇ。あたしの孫で同じ位の子が居るから、お嫁さんに来るかい?」

 

 そう女将さんに聞かれたルイズは、才人と女将さんの顔を交互に見る。

 

「お兄ちゃんが一緒じゃなきゃヤダ」

「おやおや、家の孫は会わないうちから振られちゃったか。会っても才人君が居るから無理だろうけど」

 

 ルイズの一言に女将さんは笑いながら応え、才人に「がんばんなさいよ」と冷やかしを言うと旦那さんを手伝う為に厨房へと入って行った。

 

* * *

 

 今まで行った観測の結果、ルイズが初歩の魔法だと言う〝レビテーション〟を唱えそれを行使すると、才人からの記憶転写でも現れた共通余剰空間での超立方振動が発生する事が認められた。

但し魔法を行使する対象物に対してルイズが言う様な浮遊、若しくは爆発が起こる事はm全く無かった上に、通常空間と高次空間(i-スペース)での変化を計測器類が捉える事も無かった。

 また、魔法を行使する事でルイズの脳内に疲労が蓄積して行くのをBIAMによるモニターが明らかにした。

 しかし、これまでの観測でルイズが〝杖〟を振るう度に彼女が精神的に消耗する以外、何も新しい事が見いだせない状況だった。また、南武とエィドレフが選抜したグループが中心となって行っている超立方振動の発生に関する理論の構築の進行も芳しくない。

 そんな状況の中、最近ナヴコムから派遣されて来た若手の研究者から「こちらに来る切っ掛けとなった事をルイズ嬢にやって貰ったらどうだろうか」と提案が上がった。

 

「目的はプレーン宇宙同士を繋げる事なんだから、関係の無い事象について観測しても無駄でしょう」

 

 彼は会議の重苦しい雰囲気を解消しようとして軽い気持ちで言ったのだが、確かに言われてみればその通りだと皆が納得してしまい、次回からはそれで行こうと言う事で、提案をした(言い出しっぺの)若手研究者、アイザック・A・クラークが実験観測のリーダーに祭り上げられる事になった。

 

「我らがお姫様はまだ来ないのかね」

「まだ昼時だからな。大方いつもの蝦蟇屋で飯でも食ってんだろ」

 

 クラークが観測の準備をしながら誰に言うでもなく呟くと、向かい側で作業をしていた友永(ともなが)慎一(しんいち)が笑いながら言う。

 

「蝦蟇屋?」

 

 準備の手を休める事なくクラークが友永に問い返す。勿論、それに答える友永も手は止まっていない。

 

「ああ、君は日が浅いから知らないか。近所にあるジャパニーズ・スタイルの食堂で、彼女らはいつもそこで昼食を済ませてから来るんだ。そうだな、チェックを終わらせたらそこで食事にするか。たまには外で食べるのも良いんじゃないかな?」

「こちらに来てから毎日、研究所と宿舎の往復だものな。だが時間が足りなさそうだから、今日は所内で済ますよ」

 

 二人は黙々と作業を続け、終わる頃には時計は一時を告げようとしていた。

 

「まいったな。ゆっくり食事してる暇は無いぞ?」

「仕方無い、今日もファーストフードで我慢するか」

 

 クラーク達は諦めの表情で言うと足早に所内の売店へと向う。

 

「それにしても君、本流のPS転位研究を蹴って、どうしてこちらを専任する事にしたんだい?」

 

 道すがら友永はふと思った事を口にした。それを聞いてクラークは片眉を上げながら「そりゃ面白そうだからだよ」と答える。

 

「考えてもみたまえ。既存の理論に当て嵌められない未知の現象が目の前で起こってるんだ、黙って指をくわえてるなんて出来る訳ない。君だってそのクチだろ?」

「それは無い、と言えば嘘になるけど、やっぱり我等がお姫様を早いとこ親御さんに会わせてあげたいじゃないか。現行理論の枠内だと彼女を送って行くには最短でも七年もかかる。知らない場所でそれだけ長い間、心細い思いをさせるのも可哀想だろ?」

「違いない。早いとこ僕らで帰還手段を見つけられると良いな」

 

 そう言うと彼等は笑いながら所内の売店へと向かって行った。

 

* * *

 

 食事を済ませた才人とルイズは蝦蟇屋を出ると、研究所の正門まで戻らずに通用門へと向かった。

 蝦蟇屋は研究所の裏手の方にあり、また観測が行われる実験棟が通用門から近い位置にある事から彼等はいつもそこから入るのだ。もちろん通用門には守衛が居り、彼等は各々のIDカードを提示して、それを首から下げて中に入って行く。

 通用門から暫く歩くと目的地の実験棟だ。エントランスから奥に入るには指紋、指静脈、虹彩と三種類の生体認証を行い、全てがIDカードと研究所のセキュリティ・センターに登録されている情報と一致しなければならない。

 また建物内ではIDカードの携行が義務付けられており不携行で歩き回ると、たちまち警報が鳴り響き保安要員がすっ飛んで来る事になる。

 才人とルイズはセキュリティ・チェックをパスするとヴィザーのサポートが受けられるイヤーセットを装着する。テューリアンも含め、多国籍の人々が働くこの研究所ではヴィザーが提供する自動翻訳は必須となっている。

 廊下を歩いて行き、目的の実験室の前でIDカードに反応して自動でドアが開く。そこから部屋に入った二人は「こんにちは」と挨拶をする。

 その声に気付いたクラークが所狭しと並んだ機器の間から顔を出した。

 

「お、いらっしゃい。二人とも毎度ご苦労さま。今回からは、えーと何だっけ、ああ〝サモン・サーヴァント〟か。それを実演して貰う事になるからね。宜しくお願いするよ」

 クラークの言葉にルイズは「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」と応えて、ぺこりとお辞儀をする。

 そんなルイズを見てクラークは笑いながら「もう少し準備に時間が掛かるから、控室で待っててもらえるかな」と言い、作業に戻ろうとしたが、ふと思い出した様に二人に告げた。

 

「冷蔵庫にチョコレート・エクレアがあるから食べていて良いよ。飲み物はセルフサービスね」

「クラークさん、ありがとう」

 

 にこにこしながルイズはお礼を言うが、才人は彼女に釘を刺す。

 

「ルイズ、今食べちゃうと三時の休憩のオヤツは無しだな」

「えーっ、なんで?」

「さっき蝦蟇屋で、サービスのプリン貰って食べたばかりだろ? 食べ過ぎでお腹壊しても知らないぞ」

 

 ルイズは、うーっと唸りながら、冷たい物の食べ過ぎでお腹を壊した時の事を思い出し、待っている間のエクレアは我慢する決心をした。

 

* * *

 

『我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力をつかさどるペンタゴン。我のさだめにしたがいし、〝使い魔〟を召喚せよ』

 

 ルイズがハルケギニアの言葉で呪文を紡ぎ〝杖〟を振るう。暫くすると研究者達から「おお!」とか「これは……」等の感嘆とも驚愕ともつかない声が上がった。

 

「振動のパターンが今までと違うな」

 

 モニターを眺めて、誰に言うでも無く呟いた友永にクラークが話しかける。

 

「そればかりじゃ無い。i-スペースで観測可能な虚数項の部分に曲率変化が出ている。……待てよ! ヴィザー、ルイズ嬢が転位した時のデーターを表示してくれ」

 

 クラークの依頼にヴィザーが「はい」と応えると、モニターには以前に解析されたデーターが表示される。

 

「今、観測されたデーターに同じ処理を加えて貰えるかな? i-スペースについては虚数項のξ軸限定で一致点の抽出も頼む」

 

 ヴィザーにより処理され視覚化されたデーターを、クラークくは目を見開いて何度も見直している。その様子に友永はクラークが何か見つけたなと感じた友永が「どうした?」と声を掛けた。

 

ユリーカ(みつけた)! 一次元、しかも虚数項だけだが、以前の転位データーと完全に一致する項が含まれている。ヴィザー、端点情報についても比較と確認してくれ」

 

 クラークの興奮した声が実験室に響き渡る。この日を境に彼等若手中心のチームは目覚ましい成果を挙げて行く事になる。

 

 

 まず彼等は正確な端点情報を得る為に更なるデーターの取得を行なった。

 ルイズが転位した時空位置から相対的なズレはどれ程あるのか、短時間での変化が現れるのか、共鳴状態は維持されているのか等々、様々な情報が得られる事を期待しての測定だった。その日は都合六回、翌日にも六回の測定が行われた。

 もちろんルイズのご機嫌を取る為に、土曜日の夜と日曜日の昼に蝦蟇屋から出前を取ったのは言うまでもない。

 その後、データー取りは毎週行われた。解析を行い正確な結果を出すにはサンプル数は多ければ多い程良い。クラーク率いるチームはその精度を上げるべく着々とデーターの蓄積を行っていった。

 その結果、彼等は遂に共通余剰空間での超立方振動と、それによるi-スペース及び通常空間に発生する歪みについて、定量的に説明可能な方程式を見出(みい)だす事に成功する。

 超立方振動を起こすエネルギー源については依然として未知のままであったが、発生している振動に対してならば、既存の技術で干渉出来る可能性が見えて来たのだ。

 更に、ルイズが本来居るべき宇宙と、こちらの宇宙は特殊な共鳴状態を保っており、彼女が存在した局所的な時空間と地球近傍(とは言っても差し渡し五十光年程の空間であるが)の時空間が重なり合う様になっている為に、〝あちら側〟と〝こちら側〟で時間軸が殆ど一致する状態になっている事が分かって来た。

 この事が〝あちら側〟で発生する端点の軌跡の特定を容易にした。結果、端点は惑星と思われる天体の軌道と自転周期に同期している事が判明。これについては研究者達は発狂せんばかりに驚いた。

 エネルギー源も謎である上に、端点の位置が現行技術ですら不可能な、自転を含めての複雑な軌道に同期した惑星上へのピンポイントの誘導が、いかなる機械装置も用いずに成されているのだから驚くなと言う方が無理だ。

 後年にクラークは高次空間物理関連の書籍を幾つか出し、その中で「魔法とは何とも出鱈目で悩ましくも素敵な物だ」と語る事になるのだが、それはまた別のお話。

 こうして若手を中心としたチームが成果を出して行くにつれて研究の主流はそちらにシフトして行く事になり、より多くのリソースが割かれる様になって行った。

 そしてルイズが地球に迷い込んでから一年半が過ぎた頃、彼等の研究は共通余剰空間で起こる超立方振動に対して、小規模だが振動モードに干渉可能な実験装置の完成として実を結ぶ事になる。

 

* * *

 

 最初の出会いから一年半、才人は中学生に、ルイズは地球換算で八歳か九歳程になっていた。

 

「ねぇ、お兄。今日、うまく行くよね?」

 

 いつもの週末と同じく筑波の研究所に向う途中、ルイズは少しばかり不安げな表情で才人に言う。

 今日は初めて超立方振動に対する干渉装置の実働実験が、ルイズの魔法行使中に行われるのだ。

 研究者達が正しければ、この干渉装置によって僅か数マイクロメートルと微小ながらも、ルイズが転位した時に発生した〝特異なプレーン宇宙間ブリッジ〟が再現される事になるのだ。

 

「大丈夫さ。研究所の人達と、お前の魔法を信じろよ」

「……でも」

 

 才人の励ましにルイズの返事は歯切れが悪い。この一年、実験に協力して来た彼女だが、一度も目に見える形で魔法が発動していない為に、自分自身で実感が湧いていないのだ。

 

「心配すんな。今度のが上手くいかなくても、お前を送って行く為の別な方法も、父ちゃん達が研究してんだからさ。いつも通り気楽にしてろよ」

 

 才人にそう言われ、いつもの様に頭をポンポンと軽く掌で叩かれたルイズは不思議と気持ちが落ち着くのだった。

 

 蝦蟇屋で昼食を済ませると二人は研究所へ向かう。いつもの通りセキュリティチェックを行い、いつのも通り実験室に入る。

 しかし今日の実験は、いつもと違うのだ。緊張しながらルイズが入室すると、クラーク達は既に準備を完了させていた。

 実験を始める前にルイズには接触型BIAMが装着される。彼女の体調等のバイタルモニターと、表層意識やニューロンの活動等のメンタルモニターを行い、もし異常が見られた場合には即座に装置を停止する為だ。もちろんシステム全体の監視とコントロールはヴィザーが担当する。

 

「よし、ルイズちゃん。自分のタイミングで始めてくれ」

 

 クラークが告げるとルイズは深く頷き、杖を構えると詠唱に入った。

 

『我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力をつかさどるペンタゴン。我のさだめにしたがいし、〝使い魔〟を召喚せよ』

 

 ルイズは〝杖〟を振るい目を閉じる。実験室には機器の出す低い音のみが響いている。

 

「超立方振動確認。パラメータは既定値通り、干渉装置動作開始しています。被験者、装置共に異常無し」

 

 ヴィザーの声がルイズを除く関係者全員のイヤーセットに響く。

 

「モード安定確認、フェーズA開始。干渉装置出力上昇中。パラメータ、フィードバックともに正常値の範囲内。被験者バイタル、メンタルともに正常」

 

 研究者達が見つめるモニターの表示は刻一刻と変化を続る。その向こうではルイズが杖を振った姿勢のまま、じっと目を閉じて精神を集中している。

 

「出力、定格値に到達。i-スペース、通常空間に重力異常認めず。被験者バイタル安定、フェーズB開始します」

 

 ヴィザーの報告に友永が「いよいよだ。始まるぞ」と声を押し殺し呟く。

 

「超立方振動、モード変化します。h-リンクからのエネルギー供給異常無し。時空間端点確認。両端点位置座標は誤差範囲内。端点でのi-スペース、通常空間の曲率増大中、計測値は全て予測範囲内。重力波発生認められず。被験者のバイタル、メンタルともに安定、続行します」

 

 全員が固唾を呑んで見守る中、各々のイヤーセットにヴィザーの声だけが淡々と響く。

 

「超立方振動のモード安定、フィードバックは正常、曲率なおも増大中。端点間ブリッジ接近――接続。端点領域の大きさは予測値通り五マイクロメートル未満、微弱な光子の放出を検出」

 

 研究者達の口から「おお」とか「ああ」と言う感嘆の声が漏れた。

 

「被験者の転位時ブリッジとのパターン相似を確認、停止フェーズに移行します。振動モード変更――ブリッジ消失します。超立方振動は初期値へ収束――確認。被験者のバイタル、メンタルともに安定、異常無し。h-リンクからのエネルギー供給のシャットダウン・プロシージャ開始します。三、二、一。干渉装置停止」

 

 ヴィザーが正常終了を告げると実験室は興奮に包まれた。その中心でリーダーであるクラークは皆に背中を叩かれ揉みくちゃにされていた。

 そんなクラークに友永は「やったな」と声をかける。

 

「ああ、一年でこれだけの成果が出せたなんて奇跡だよ。彼女の頑張りが有っての事だ」

 

 クラークはそう応えると、友永と固く握手をしながらルイズの方を見る。そこには満面の笑みを浮かべ彼女に駆け寄る才人の姿があった。

 

「ルイズ! 成功だってさ! お前、もうすぐ帰れるかも知れないんだよ!」

 

 才人の陽気な声を聞きながらルイズは思った。

 帰れるんだ。お兄も喜んでる。でも、なんか寂しい。

 寂しい? どうして? 帰れるのに。みんなあんなに喜んでいるのに、どうして?

 そんな自身の感情にルイズは戸惑い、どうして良いか分からなくなった。そして自分でも気付かずに涙を零していた。

 

* * *

 

 王都トリスタニアから馬車で凡そ二日ほどの所に、トリステイン貴族の名門、ヴァリエール公爵の居城は建っている。

 重厚な造りのその城は、二年前に公爵家の三女であるルイズ・フランソワーズが魔法の練習中に庭先から忽然と消えてしまってから現在に至るまで、悲痛で重苦しい空気に包まれたままだった。

 

 ルイズが消えた瞬間を目撃した者は居なかったが、直前に通りかかった使用人が、顔を袖で拭いながら魔法の練習をしている三女の姿を目撃している。

 その使用人が五分程後に用事を済ませ、同じ場所に通りかかった時には既に彼女の姿は無く、代わりに見たことも無い、子供の背丈程もある植物の鉢植えが置かれていたのだった。

 営利誘拐か、はたまた幻獣によって攫われたのか。平時でさえ厳重な警備が敷かれているヴァリエール城でその様な事を企てる事など不可能であり、ルイズの身に一体何が起こったのか全く不明だった。

 ルイズが居たと思われる場所に置いてあった植物を学者に調べさせたが、ハルケギニアに存在しない未知の植物だという事以外、何も分からなかった。

 しかし、それが分かったところでルイズが戻って来る訳では無い。どこの物とも知れない植物と可愛い末娘が入れ替わってしまった事にヴァリエール公爵は怒り心頭に発し、植物を叩き切って燃やそうとしたが、それを止めたのは次女のカトレアだった。

 カトレアは幼い頃から身体が弱く部屋で伏せっている方が多かったが、勘のようなものがよく働き、人や獣、物事の本質を言い当てる事が多々あった。その次女が言う。

 

「この植物を通してルイズは〝繋がって〟いるのではないでしょうか。これを失えばヴァリエール家からルイズは永遠に失われてしまうかも知れませんわ……」

 

 公爵は苦虫を噛み潰した様な表情で植物を見つめ「忌々しいが、カトレアがそう言うならば、僅かだが〝希望〟として、こいつは捨てないでおこう」と肩を落とし力無く呟いた。

 そして、その植物はルイズの部屋に置かれ、カトレアが世話をする様になったのだ。

 

 あれから二年、屋敷ではルイズの話をする事はタブーとなっていた。一部の口さがない宮廷貴族等はヴァリエール家の元使用人から聞いた「公爵家では魔法の才能が無いルイズを疎ましく思い、どこかに放逐した」だの「実はルイズは不義の子で、その事実を隠す為に密かに始末された」等の噂話を王宮で真しやかに流していた。

 その噂話の類は公爵の心を抉り、彼はすっかり塞ぎ込んでしまい、政務に対しても億劫になり王宮へ出仕する事も無くなってしまった。

 その妻である公爵夫人はルイズに敢えて厳しく接していた事を悔やみ、日々始祖ブリミルへの懺悔と祈りの日々を送っている。

 

「ルイズ、貴女はいつ帰って来るのかしらね」

 

 植物の世話をしながらカトレアが呟いたその時、彼女は何かの気配を感じ辺りを見渡した。途端に、ことん、と何かが床に落ちる音がした。

 カトレアが咄嗟に音がした方を見ると、その床に(こぶし)大の、クリスタルの様な輝きを放つ正二十面体をした何かが落ちていた。

 

* * *

 

 地球の公転面から垂直に三光日の空間に人類の手により作られたその建造物は浮かんでいる。

 直径五十メートル、長さ三百メートルのパイプを繋げて形作られた八角形の中心を、直径八十メートル、長さ五百メートルの筒状の構造が貫いており、八角形の部分と中心構造物の中央が二十四本のスポークで繋がれている。

 本来は中心構造物を軸に五分間に一回の速度で回転しているのだが現在は停止した状態に保たれている。

 それは凡そ八十年前に作られた〝技術試験用宇宙島(コロニー)ヤヌス〟だ。役目を終えたそれは地球軌道のラグランジェ点、L1に在って解体を待つばかりだった。

 そのヤヌスに半年前、最後の仕事が与えられる事になり、ヴィザーがi-スペースを通して発生させた重力場によって一ヶ月間ほど曳航され、現在の軌道に投入されたのだ。

 軌道投入後、ヤヌスにはh-グリッドからのエネルギー供給を受けるジェネレータの追加、八角形をした元居住ブロックへの改良型超立方振動干渉装置の設置、中央構造部への重力制御装置の設置等の大改装が施された。

 よく見ると正八面体の物体が二十個、ヤヌスを中心にして正二十面体の頂点に位置する様に配置されている。

 正八面体は、ヤヌスに設置されている干渉装置を補助するブースターの役割を持つと同時に、装置稼働時に発生するかも知れない異常な空間曲率をキャンセルする機構が組み込まれている。

 もし、ルイズが転位して来た時と同じブリッジが発生せず、重力異常を伴う様な事態が発生した場合に、危険な重力場をキャンセルし、安全を確保する為の保険である。

 そのヤヌスにUNSAの標準シャトルが一機、ゆっくりと接近して行く。シャトルはヤヌスから千キロメートルの位置に停泊している直径千二百メートル程の球形をした小型宇宙船、地球での識別名〝ヴァーユ号〟から発進した物で、そこには筑波で研究を続けていたクラークを中心とする研究者達と技術者達が乗り込んでいた。

 もちろん平賀家一同とルイズも来ているが、今はヴァーユ号で待機中であり、準備が整い次第、シャトルでヤヌスへと向かう事になっている。

 

「ついにこの時が来たな」

 

 友永がクラークに話しかけた。感慨深げにクラークは言葉を発した。

 

「ああ、こんなに早く準備出来るとは思ってもいなかったよ」

「アッタンに放置されていたカドリフレクサーが役に立つとはね。なんとも愉快な事じゃないか」

 

 カドリフレクサー、それは(かつ)て、ジェヴレン人が地球人を太陽系に封じ込める、と言うお題目で、テューリアンの技術協力によって作られた〝i-スペースを含めた空間で通過不可能な障壁〟を発生させる装置の事だ。

 ジェヴレン人が実際に封じ込めようとした目標は巨人たちだったのだが、彼らの知らない所で密かに接触を果たした巨人達と地球人達の協力によって野望は挫かれ、使われる事無くジェヴレンの支配星系にあるアッタンに放置されていたのだった。

 このカドリフレクサーの変調機構が超立方振動干渉装置へ転用可能である事が分かったのがヤヌスの軌道投入と殆ど同時期だった。

 そのお陰で本来なら一年以上かかるはずだった大型の干渉装置の開発が大幅に短縮され、半年未満と言う短い期間でヤヌスに設置する事が可能になったのだ。

 シャトルのエアロック・ドアがドッキング・ポートに接続されるとクラーク達はハッチを通り重力区画にある指令室へと向う。その途中で友永が口を開く。

 

「明日から、いよいよ本番か」

「なに、ブリーフィングで言った通りに手順を踏んで行けば間違いは起こらんよ」

 

 クラークの言葉に、友永が確認する様に分厚いチェックリストを捲る。

 

「まずはミクロサイズでのブリッジ発生確認、これは地上で何度もやったヤツだな。問題は次か」

「マクロサイズのブリッジ発生は今回が初めてだからね。ルイズ嬢にかかる負担も未知数だし時間をかけて慎重にやるさ」

 

 クラークは決意を込めてそう言うと、力強い足取りで指令室へと歩を進めた。

 


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