虚無を継ぐもの(旧)   作:片玉宗叱

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プレイアデス・オペレーション 4

 ヤヌスにある二十四本のスポークが集まっているハブと呼ばれる区画には、本来なら八角形をしたリングの回転をキャンセルし、中央構造物を相対的にだが一定方向へ向けておく機構が組み込まれていた。

 しかし改装によってヤヌス全体に重力制御がされる様になると、それに伴ってハブ区画に有ったキャンセル機構は撤去され、その空いたスペースには管制、指令を行うブースと実験ステージが設置された。

 直径四十メートル、天井までの高さ十メートルのその空間の中央には、床から五十センチメートル程高くなった直径二十五メートルの円形舞台があり、その舞台に向かう様に壁際に半球状で二メートル程の透明なキャノピーが設置されている。

 実験中、ルイズはこのキャノピー越しに円形舞台をターゲットに杖を振るう事になっている。マクロサイズのブリッジを発生させる事で不測の事態が起こっても、ルイズの安全を確保する為だ。もし危険な兆候が見受けられた場合は即座に遮蔽用のシャッターが降りる様になっている。

 その実験ステージをぐるりと取り囲む様に、高さ三メートル程の所、壁から迫り出した大きな窓が並んでいる。

 そこは実験施設としてのヤヌスの中枢、管制、制御を行う指令ブースで、ブース内には複数のコンソール群が並んでいる。

 実験に際して機器の制御はヴィザーが行う様になっているが、万が一に備えて独立したサブシステムも用意されており、場合によっては手動による緊急停止等の操作が行える。

 

 現在ヤヌスでは、実験への最終調整が各部署で着々と進められていた。

 最初このプロジェクトはクラークと友永、それと数名の院生で始められた非公式のものであったが、今では地球人とテューリアンを合わせて百人を超える研究者、技術者が従事する規模となっている。

 各部署から上がって来る報告を確認しながら「全く、こんな大事になるなんてな」と友永が感慨深げに呟く。

 今やクラークと友永の二人は、このチームを纏めるプロジェクト・リーダーとなっていた。もちろん平賀や南武、エィドレフ等の本流の研究を行っている者達からの助言や協力は貰ってはいるが、彼等はオブザーバーとしての立場を崩していない。

 

「あの時は、こんな大規模な事になるなんて予想も出来なかったな。しかし、これだけの設備を揃えたところで、結局は使い捨てか」

 

 チェックをしながらボヤく友永にクラークが応える。

 

「仕方無いだろう。現状の技術で出来るのは、超立方振動に干渉してブレーン間ブリッジを接続する事と、こちら側の端点位置コントロールだけ。本質的にはルイズ嬢が持っている〝魔法〟が頼りなんだから」

「だからと言って、このまま終わるのも悔しいな。ルイズ嬢のパターンは重力場を発生しないから応用が可能なら星系内へのエントリーポートの発生が可能になるだろ?」

「そればかりか惑星表面上での瞬間移動が可能になるかもね。だが、まずはどうやれば超立方振動を励起できるのかを解明しないと。まあ今はそこまで考えても埒がない。やるべき事をやるまでさ」

 

 そう言いながら彼等は作業に没頭して行った。

 

 今回のマクロサイズ・ブリッジ発生確認後に、次のステップとして、自立航行が可能な小型の宇宙船にルイズと複数の乗員を乗せて送り込む事が計画されている。

 向こう側の端点が惑星上にあると思われるので、そう大きな船体は送り込めない。それ故に乗員も限られた数になる。

 ルイズを送り届けた後だが、大質量の移動による共鳴状態が維持され、暫く時間軸が一致する事が予想される。

 宇宙船の乗員はこちらで転位装置が完成するまでの間を別な宇宙で同じ時間だけ待たされる事になってしまう。

 この問題の解決策としては、宇宙船を星系の最外縁部で光速近くまで加速して飛行させ、相対論的効果によって船内時間の進み方を星系に対して大きく遅れさせる事が検討されている。

 転位施設建設まで十年かかろうと、宇宙船の速度を調整すれば乗員は船内時間で一週間も待たずに帰還出来る事になる。これにより小型宇宙船で過ごす乗員のメンタル面や食料等についての問題は解消する。

 だが、それはあくまで船内時間で一週間であり、その間に地球では十年の時間が経ってしまう。故に妻帯者や恋人が居る者にとっては辛い事となるであろう事から、UNSAでは独身者で、しがらみの少ない者を中心に人選を行なっていた。

 

 ヤヌスに設置された機器では、発生可能なマクロサイズ・ブリッジの大きさが、最大で二メートル程度と計算から見込まれている。

 向こう側の端点が惑星上、または惑星の自転に同期した場所に開いている事は判明しているが、そこがどんな場所かが判っていない。その場所を確認する為に小型の探査体の類を送り込んで、向こう側の様子に探査する事になっている。

 ルイズの能力により作られる宇宙間ブリッジは、マイクロ波を使った反射実験によって端点間での双方向のエネルギー移送が可能な事が判明している。探査体からの信号はブリッジが発生している間は問題無く受信出来るだろう。

 ちなみに反射実験時で観測された反射波が返って来る時間から、向こう側の端点の三乃至四メートル付近に何かしらの遮蔽物がある事が予想されている。

 用意された探査体は十五センチメートル大の正二十面体をしており、その半分の十の面に広角カメラが埋め込まれており、ほぼ全方位の光学撮影を可能としている。

 表面は透明な耐熱・耐圧プレートで覆われているが、大気圧や組成、温度等の測定が行われる場合には、それぞれのセンサーが埋め込まれている面のプレートが剥離する様になっている。

 探査体の稼働時間は連続で百二十時間。接続が切れている間は、自動で内蔵ストレージに記録するので、破壊されない限りは向こう側を五日間に渡って観測出来る。

 その探査体を担当技術者とチェックしながらクラークは友永に問う。

 

「君はこれが終わったらどうするんだい?」

「はっきり決めている訳じゃないけど平賀教授のチームに戻ろうかと思ってる。君こそどうするんだい?」

 

 友永はチェックリストからは目を離さずに素っ気なく言うとクラークに問い返した。

 

「UNSAから離れて、今回の超立方振動の研究を続けようと考えていてね。どうだい、この話に乗ってみる気は? テューリアン側の協力は既に取り付けてあるんだけどさ」

 

 それを聞き驚く友永を見ると、クラークは満足そうに、にやりと笑った。

 

 

 ヤヌスでの準備が進む中、ルイズはヴァーユ号の自分に宛われた部屋で待機していた。

 あと一時間程でヤヌスへ向かう事になっているルイズが何気なく触った彼女の髪は、染料が落とされて本来の艶やかなピンクがかったブロンドへと戻されている。

 

「キレイだったなぁ……」

 

 ルイズはシャトルで地球から飛び立ってヴァーユ号へ乗り込んだ時の事を思い出していた。

 彼女が乗ったシャトルは三角形のリフティング・ボディの両端に、斜め上に伸びるウイングレットが付いた滑空による降下も可能なタイプだった。

 通常、殆どのシャトルは軌道上にある重力制御衛星によって飛行制御が行われる為、シャトルが自力で飛行するのは余程の事が起こらない限りは皆無と言って良い。

 テューリアンの重力工学を学んだ人類は、星の重力に縛られる事無く自由な軌道を選んで宇宙空間を飛行する事が出来る様になっているのだ。

 重力制御衛星の管理下での飛行は静かで、不快な振動や騒音とは無縁だ。

 宇宙港から離陸して高度が上がるに従い、窓から見える空は所謂空色から濃紺へと移って行く。窓から見える空に星が見え始めると急速に漆黒へと変わって行き、輝く星々が見える様になる。

 この時、シャトルの速度はとっくに音速を超えており、見ると地平線はいつの間にか弧を描き薄い膜のような大気層がそれに沿って蒼く輝いていた。

 ルイズは地球外からの景観を平賀家で才人と一緒に何度も映像で見ていた。しかし実際にシャトルに乗って、自身の肉眼でそれを見るのでは印象は全く違う物になる。

 丁度ルイズの気分が高揚したところで、偶々彼女が座る席の窓が地球側を向く様に、シャトルが軌道変更を行う予備動作の機体ローテーションを開始する。

 

「うわぁ」

 

 紺碧の海を背景に白い雲が散りばめられている様にルイズは思わず感嘆の声を漏らす。

 この時、シャトルは地表から百五十キロメートルを超えて更に上昇を続けていた。

 軌道変更を終えたシャトルの窓から地表は見えなくなり、重力制御衛星はシャトルを秒速五キロメートルまで一気に加速させ、地上から千二百キロメートルで地球自転に同期しながら待機している宇宙船《ヴァーユ号》まで減速込みで僅か四分強で到着させた。

 ヴァーユ号の制御圏に入るとシャトルの制御はヴァーユ号に移され、ランデブーからドッキングと一連の操縦が行われる。

 その時、ルイズが座る席の窓から地球が見えた。

 青い海を背景に流れ渦巻く雲が白のマーブル模様を作り、所々に陸地の緑と茶色が確認出来る。見えていたのはインド亜大陸を中心とした地球の半球だ。

 漆黒の宇宙空間に浮かぶ地球を見てルイズは、まるで宝石みたいだと思う。

 

「ハルケギニアも、こんな風に宝石みたいに見えるのかな」

 

 漆黒の闇に浮かぶ地球の景色は、郷愁の想いと共に彼女の心に強烈に焼き付いた。

 

「ルイズ、そろそろヤヌスへ出る時間だぞ」

 

 不意に掛けられた声にルイズは、はっとして部屋の入り口を見ると、そこには才人の姿があった。宇宙からの景色を思い出している間に時間が過ぎていた様である。

「支度は出来てるのか?」と言う才人の問いに「うん」と応えると、彼女は才人と一緒にシャトルの格納庫へと向かう。その間、不安なのかルイズは才人の手をしっかり握っていた。

 

* * *

 

 実験はスケジュール通り問題無く進んで行った。

 数日をかけて段階を踏んで行われたマクロサイズ・ブリッジの拡大は、ルイズに負担を強いる事も無く大きさ十センチメートルを超え、いよいよ探査体を送り込める段階を迎えていた。

 ルイズの詠唱が終わると、ステージ中央、高さ一メートル程の位置に銀色に輝く長径二十センチメートル、短径十五センチメートルの楕円形をした端点が現れる。

 端点が銀色に輝くのは光子が放出されている事によるのだが、なぜ光子放出が起こるのか原因は分かっていない。

 端点が出現するとヴィザーから〝全て異常無し〟と報告が上がり、ルイズの精神疲労も僅かである事が確認される。

 これまでの実験でルイズが明確に〝閉じろ〟と念じない限り超立方振動は持続する事が判明している。

 干渉装置からエネルギーを供給し続ければルイズに精神疲労を起こさせずにブレーン間の接続を維持出来るのだ。

 ただ、ルイズ自身がブリッジを通過した場合については、接続の維持がどうなるかは分かっていない。

 

「端点拡張と端点間安定状態を確認。これより探査体を投入します」

 

 ヴィザーの声とともにマニュピレーターに吸着された探査体が銀色に輝く端点へと運ばれて行く。

 

「探査体とのリンクは問題無し。映像もクリアと。ヴィザー、投入後は異常が無い限り手順通りに三秒間でシャットダウンを」

「わかっています」

 

 ヴィザーからの返事と同時に、マニュピレーターは探査体を輝く端点に接近させて行く。皆がモニターを凝視する中、探査体は銀色に輝く端点に触れた瞬間、吸い込まれる様に消えて行く。

 ――その一拍後。

 

「おい、これはベッドじゃないか?」

 

 映像を見ていた誰かの一言から指令ブースは騒然となる。

 

「クローゼットらしい物が見えたぞ!」

「人だ! 人が居る!」

 

 喧噪に包まれた指令ブースにヴィザーの冷静な声が響く。

 

「リンク正常、映像取得正常。停止フェーズに移行。ブリッジ消失します」

「ヴィザー、通過時間は?」

「千八百七十二ミリ秒です」

 

 クラークの問いにヴィザーが答えると、彼は満足げに肯きヴィザーに告げる。

 

「データーの記録は実質一秒か。映像解析を優先させてくれ」

「クラーク、ちょっと良いかな?」

 

 傍らでモニターを見つめていた友永が声をかけた。その問いかけにクラークも気付いていた様で友永が予期していた答えが返ってくる。

 

「ああ、僕も気付いたよ。どうする? この後すぐ、彼女に確認して貰おうか?」

「それが良いだろう。君はヴィザーとの映像解析を頼む」

 

 友永はそう言うと、実験ステージを挟んで向かい側のキャノピー内に居るルイズに、インカムを通して話しかけた。

 

「ルイズちゃん、ご苦労様。疲れてないかい?」

 

 BIAMを使ったメンタル・チェックで精神的な疲労が無い事は分かっているが、友永は彼なりの気遣いを見せる。

 

「はい、だいじょうぶです。映像、撮れたんですか?」

 

 ルイズは友永の居る指令ブースを見上げ笑顔で答える、と同時にキャノピー内に才人が入って来る。友永は窓越しにルイズに向かってサムズアップをしながら話しかけた。

 

「ああ、ばっちりだよ。それで気になる事が有ってね。すぐにでもルイズちゃんに確認して貰いたいんだ。三十分くらい待たせてしまうけど、このままブリーフィング・ルームに向かって貰えるかな?」

 

 友永の声はイヤーセットを通すまでもなく、キャノピー内に流れていたので才人にも聞こえていた。才人が何事かをルイズに言う様子が見える。

 

「あの、お兄も行きたいって言ってるけど一緒に行って良いですか?」

「ああ、平賀教授達にも同席して貰うから、彼だけ仲間外れって訳には行かないだろう。才人君にはイヤーセットを付けて来る様に伝えておいて。それじゃまた後で」

 

 そう言って窓越しに手を振った友永の前にあるモニターには、ルイズと同じピンクがかったブロンドの長い髪を持つ人物の後ろ姿が映っていた。

 その映像に目を向けると友永は「もしこれが彼女の関係者なら、一年も待たせなくて済むかもな」と一人呟く。その横ではクラークがヴィザーと一緒に映像の抽出と構成を行なっていた。

 

 

 何が映っていたのかが気になるルイズは落ち着き無くブリーフィング・ルームでそわそわしながら待っていた。そんなルイズを、やれやれと言う目で追いながら才人が話しかける。

 

「ルイズ、少しは落ち着けよ」

「だって、だって。友永さんが言った気になる事って何なのかなーって。すごく気になるし」

「だからって動物園の熊みたいにうろうろうろうろと。なんか飲み物持って来てやるから、それ飲んで落ち着け」

「あ、じゃあココアとねー、バタークッキー」

「ブリーフィング・ルームは飲食禁止だよ」

 

 不意にヴィザーの声が響いたので二人は飛び上がらんばかりに驚く。

 

「ヴィザー、脅かさないでくれよぉ」

 

 恨みがましい目で才人は虚空を見つめた。

 

「準備が出来たから、もうすぐ皆が来るよ。お手洗いを済ませておくなら今のうちだね」

 ヴィザーに対して余計なお世話だよ、と才人はぶつくさ言っているが、ルイズは素直にヴィザーの忠告に従う事にしたらしく、化粧室へと駆けて行った。

 

 

 ルイズがお手洗いを済ませて戻って来ると、ブリーフィング・ルームに既に主だった人達が揃っていた。

 うわ、気まずいなぁと思いながら、皆の視線を集めながら彼女はこそこそと移動して才人の横へと着席する。

 それを待って友永が話を始めた。

 

「揃いましたね。ここに居る皆さんは既に事情をご存知なので、前置き無しで結果をお知らせします。まず探査体からの映像ですが、およそ一秒間の記録が確認出来ました」

 

 友永はここで一旦言葉を区切り各々の反応を確認するが、特に質問も出ない様なので先を続けた。

 

「説明するより処理した映像を見て頂いた方が早いでしょう。これが記録された向こう側の端点付近の様子です」

 

 それを見たルイズは「あ……」と声を上げると目を見開き、無意識に両手で口元を押さえた。

 スクリーンには天蓋付きの豪華なベッドが映し出されている。

 見覚えのある造り、見覚えのある装飾に布地の模様、間違い無い。あれは自分のベッドだ。

 ルイズの様子に心配した才人が「どうした? 大丈夫か?」と彼女に声をかけるが、ルイズから返事は無かった。

 

「ここに映っているのは、かなり豪華なベッドと思われます。壁や天井と思しき物が見える事から、端点が開いた場所は、どこかの室内であると考えられます」

 

 友永の説明が続いているが、彼の声はルイズには聞こえていない。才人が心配そうに見ているが、それすらも気付かない様子で彼女は食い入る様にスクリーンを見つめている。

 スクリーンの映像がゆっくりと横に移動して行くと人の後ろ姿が現れた。

 腰まである長い髪はルイズと同じピンクがかったブロンド。そして、その人物の向こうに緑色の植物が見え隠れしている。

 

「おい、あれ」

「家にあったエバーフレッシュじゃないかしら?」

 

 それを見た平賀夫妻が囁きあっていた。

 ざわめく室内を見渡しながら友永は続ける。

 

「映像はこの人物が振り向き横顔が見えた所で終わっています。ヴィザー、ここから五倍スローで再生、最後で静止。人物の顔にズームしてくれ」

 

 友永の指示通りに映像が再生されて行くと、それを見つめるルイズの目が潤み始め、その人物の横顔がスクリーンに映ると彼女の眼から涙が溢れ出す。

 

「……ちいねえさま、ちいねえさまだわ!」

 

 ルイズは自分がよく知る、大好きなその人の事を大声で叫んでいた。

 

* * *

 

 自身の虚弱な身体の事も気にせずに、カトレアは父母の居室に向かって息せき切って走っていた。その手にはルイズの部屋に落ちていた、いや落ちて来たと謎の正二十面体が抱えられている。

 それはヤヌスから送り込まれた探査体であり、接続が切れた今でも映像を記録し続けている。

 

「お父様! お母様!」

 

 扉を開けて転がり込む様に入室すると、そこには彼女の両親が揃っていた。

 

「どうしました、カトレア。大声など出して、はしたない」

 

 カトレアと同じピンク・ブロンドの髪をした女性、彼女の母親でありヴァリエール公爵夫人であるカリーヌ・デジレが彼女を窘めるが、その声は精彩を欠いている。

 

「……お、かあさま……。申し訳……ありません、でも……」

 

 息を切らせたカトレアは息を整える間もなく話そうとする為に、その言葉は途切れ途切れになってしまう。少しずつ息を整えながらカトレアは自分が抱えている物を目の前に差し出しながら言葉を続けた。

 

「ル、イズの……ルイズの部屋に……この、ような物、が……突然、現れまし、て」

 

 差し出された物を受け取りながらヴァリエール公爵はカトレアにヒーリング(治癒)の魔法をかけてやる。

 

「カトレア、お前は身体が弱い。無理をしないでおくれ。……しかし、これは一体?」

 

 見慣れない物を手に収めて、しげしげと眺めながら公爵はカトレアに尋ねた。

 

「これがルイズの部屋に突然現れたと言ったね。それは本当なのか?」

「……はい。ルイズの部屋で、あの植物の手入れをしておりましたら、物が落ちる音が聞こえました。その音がした辺りを見ましたら、それが床の上に落ちておりました」

 

 カトレアの話を聞いたヴァリエール公爵は「ふむ」と首を捻ると探査体に対してディテクト・マジックを唱える。

 

「あなた、何かお分かりになりまして?」

 

 カリーヌが尋ねるが公爵は難しい顔をしたまま黙っている。

 

「あなた?」

「……何かのマジック・アイテムかと思ったのだがな。魔力が全く感じられん」

 

 カリーヌの「土メイジを呼びつけましょうか?」との提案に公爵は首を横に振る。

 

「いや、この件は私ら以外に知らせない様にしておこう。……そうだ、エレオノールを急ぎ呼び戻すぞ。あの子は優秀な土メイジだからな」

 

 二人にそう言って「これはお前が持っていなさい」と探査体をカリーヌに預けると公爵は長女へ手紙を書く為に執務室へと向かった。

 

 

 アカデミーに勤める長女のエレオノールが帰って来たのは、公爵が手配した竜籠と共に手紙を送ってから三日後だった。

 公爵令嬢とは言え宮仕えの身である。駆け出し研究員の彼女が、上司から休暇の許可を得る為にはそれだけ時間が必要だった。

 

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 

 竜籠から降りるエレオノールを、ヴァリエール家の執事、ジェロームが恭しく頭を垂れて出迎えた。

 

「皆様、翡翠の間でお待ちになられております」

 

 エレオノールは「そう」と言って鷹揚に頷くと屋敷へと歩を進める。

 

「ほんと、お父様ったら用件も書かずに、ただ〝急ぎ帰って来い〟だなんて、一体全体何なのかしら。お陰であの上司から嫌味を言われるし、ヴァレリーには〝あら、またお見合い?〟とか言われるし、なんなのよ、もう!」

 

 怒りのオーラを撒き散らしながらエレオノールは翡翠の間に到着すると、扉を開ける前に深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 父親だけなら別に問題無いのだが、執事が〝皆様〟と言ったからには母親のカリーヌも同席しているに違いない。流石のエレオノールもカリーヌだけには頭が上がらない。

 淑女然とする為に気を落ち着けてドアをノックすると、中から「入れ」と入室を促すヴァリエール公爵の声がした。

 ドアを開けると、そこには彼女の両親と妹が待っていた。

 

「お父様、お母様、エレオノール只今戻りました」

 

 エレオノールは帰着の報告をしてドアを閉めると父親に挨拶の接吻をした。その時「急に呼び出して済まないね」と父親から労われた彼女は少し驚く。

 

 そんなエレオノールを席に着かせると、公爵は妻に遮音の魔法を促し、この場に居る者以外に話が聞かれない様にした。

 

「お父様、一体何があったのですか?」

 

 怪訝な顔で質問するエレオノールに、公爵はテーブルの上に置いてあった箱から正二十面体をした見慣れない物を取り出し娘に渡す。

 

「これは?」

 

 見慣れない物を受け取り戸惑うエレオノールに、彼女の父親はゆっくりと説明する。

 

「お前に手紙を出した日にルイズの部屋に落ちていた物だよ。土メイジに調べさせようにも、この事を家族以外の者に知られるのは拙いと思ってな。それでエレオノール、お前を呼んだのだ。先だってディテクト・マジックで確認したが魔力は感じられなかったから、マジック・アイテムの類ではなさそうだ」

 

 公爵から差し出されたそれをエレオノールは恐る恐る受け取ると、土メイジ独特の感覚を使って調べ始める。

 目を閉じて手に持った物体に意識を集中して構造を探って行くと、うっすらと額に汗が滲んで来る。全員が息を詰める中、暫くして彼女は薄く目を開けると、やっとの事で口を開いた。

 

「……信じられない。この中には、精緻なカラクリが組み込まれています。一つ一つが麦粒よりも小さな部品が複雑に組み合わされて。……こんな物、見た事も聞いた事もありません。それに使われている金属も表面を覆うガラスの様な物も、私が知らない物質で出来ています」

 

* * *

 

 最初の映像が確認されてから、マクロサイズ・ブリッジを拡大する実験は控えられていた。

 代わりに一日に数回、探査体が使用する三十ギガ・ヘルツの電波が通過出来る様に、二センチメール程度のマクロサイズ・ブリッジを発生させて、探査体内蔵のストレージにある映像情報を収集する事が優先されていた。

 探査体の活動限界である百二十時間をフルに使い、可能な限り向こう側の情報を得る為だ。

 初日にルイズの父母が確認された後、探査体は箱の様な物に入れられてしまったらしく映像情報が入らなくなってしまった。ちなみに父母と姉のはっきりした映像を見たルイズが泣いてしまったのは言うまでも無い。

 探査体から映像情報が入らなくなったからと言って、研究者と技術者達は手を拱いていた訳では無い。

 箱に入れられていても探査体との通信は出来る。ならば映像以外の方法で向こう側の様子を得られる物は無いかと模索した結果、探査体に内蔵した大気圧センサーで音声情報が得られる可能性がある事が分った。

 その後すぐ予備機を使っての確認が行われた結果、信号処理を行う事で音声記録が出来る事になったので、それを追加プログラムとして探査体へアップロードしたのが投入から三日後の事だった。

 

「父さま、母さま……」

 

 懐かしい家族の姿と声を聞いたルイズは泣いていた。彼等の音声はヴィザーにより各言語に同時翻訳されていたがルイズにはそのまま聞かされていた。

 ハルケギニア言語との翻訳ライブラリの作成は、ルイズの協力により行われていたが、今回の件で不明な表現や単語が多く出て来た事もあり、今後の懸案事項となった。

 

「エレオノール姉さま、ちいねえさまぁ……」

 

 夢じゃない。地球世界に迷い込んでから二年間、片時も忘れた事が無かった自分の家族がそこに居る。

 魔法が上手くいかなくて、いつも厳しい課題をやらさられていたルイズは、カトレア以外の家族から疎まれていると思っていた。しかし、探査体の前で吐露された家族の後悔と懺悔の言葉を聞いて、自分は愛されていたのだと気付く。

 今すぐには無理でも、自分の無事を伝えたい。ルイズは思わず〝会いたい〟と声に出していた。

 

「ルイズ、今なんて言ったんだ?」

 

 ハルケギニアの言葉で語られたそれは誰も理解できなかったが、敏感に何かを感じ取った才人はルイズに聞き直したのだ。

 

「え? あたし声に出してた?」

「ああ、多分お前んとこの言葉だと思うけど。お前の様子から見て、会いたいとか言ったんじゃないか?」

 

 ルイズは驚きの表情で才人を見ながら「お兄、何でわかるのよ?」と言うと、才人は「妹分の気持ちくらい分からんと兄貴面できないからな」と、ニカっと笑いながら答える。

 そんな二人を隣で見ていたクラークは、はたと気付く。今すぐにでもルイズの無事を彼女の家族に伝えられるじゃないかと。それどころか向こう側とコミュニケーションが可能になるかも知れない。そう考えると彼は即座に行動に移す。

 

「ヴィザー。友永と私らのチームを呼びだしてくれ。場所はブリーフィング・ルーム。それと平賀教授達オブザーバー組にも連絡を頼む。用件はルイズ嬢の家族に関する事で」

 

 才人とルイズは、いきなりヴィザーに指示を出し始めたクラークに驚いて、きょとんとした顔をして固まっていた。

 

 

 

「今回、探査体を送り込む事で向こう側の端点がルイズ嬢の実家、それも彼女の使っていた居室に出現している事が判明しました。また、彼女の発生させるブレーン間ブリッジは、そこに投入された物質を問題無く転位させる事が可能な事も併せて確認できました。更なる実験と調査は必要ですが、向こう側の端点がルイズ嬢にとって全くリスクの無い場所に出現しており転位そのものにも問題が無いのなら、普段着のまま彼女を送り出す事が出来ます。先だって計画されている様な小型宇宙船を送り込む必要が有りませんから、乗員を別宇宙に置き去りにするリスクを負う事も無く、我々としても好都合な状況です」

 

 クラークは言葉を一旦切って、ブリーフィング・ルームに集まった面々を見渡す。

 

「ルイズ嬢だけを送るなら、基本的にヤヌスに設置されている設備だけで間に合う事は、実験前から分かっています。但し、現状設備では定格出力でギリギリの線ですので、万全を期するなら干渉装置終段にある変調器出力の二十パーセント増加と、二次エネルギー貯留器の容量を倍に増やして余裕を持たせる事が求められます。その改修を行う前に現状設備で理論値通りであるかを確認する為の運転実験を行いたいのですが、向こう側の端点が住居内に発生する事からルイズ嬢のご家族に事前に注意喚起のメッセージを送る必要が有る、と考えます」

 

 クラークがそこまで言うと平賀教授が「とどのつまりは〝増強するので予算くれ〟と〝ビデオレター送りましょう〟だな?」と呆れた様子で問うと、クラークは悪びれもせず「はい、その通りです」と良い笑顔で答える。

 まったく問題児を寄越しやがって、と平賀教授はクラークを送り込んで来たUNSAに籍を置く知人に内心悪態を吐く。そして溜息一つ。

 

「プロジェクト最優先の目的は、ルイズを無事に帰還させる事だからな。小型宇宙船と乗員の訓練が不用になると言うなら、その浮いた分をUNSAから出してもらおうじゃないか。ヴィザー、UNSAのチャールズ・ウィロビー少佐に次の伝言を頼む。〝グリニッジ標準時で明日の十四時、ニューロ・カップリングでヴィザーに繋がっていろ。優秀な人材を寄越してくれたお礼を言うついでに、尻の毛まで抜いてやるからな。覚悟しとけ〟以上だ」

 

 

 

 平賀教授とウィロビー少佐のニューロ・カップリングを使った、本人達曰く〝友好的で穏やかな〟会談が終わってから四日後、UNSAの宇宙船によってクラーク達が注文した物が届けられた。

 

「結局は民生品を使う事になったな」

 

 技術者の一人がコンテナを開けて中身を確認する。

 

「下手に特注で制作したら納期がかかるだろ? 今回の目的なら、これで十分」

 

 彼等がコンテナから取り出した物は個人向けコンピューターとアウトドアでよく使われる太陽光発電ユニット、そして小型大容量キャパシタと呼ばれる蓄電装置だ。

 発電ユニットは折り畳み式で広げると五メートル四方の大きさになる。地球の中緯度地方であれば最大五百ワット時の発電が可能。キャパシタは厚さ十センチメートルで四十センチメートルの正方形をしており、小型ながら二百キロワット時の容量を持つ。

 ヤヌスに滞在する技術者達は発注したその日に取り扱い説明書を入手し、分かり易く簡潔に再編集した。それをルイズが知識面で才人の助けを得ながら、手書きでハルケギニア語へと翻訳した。

 

「問題はコンピューター、と言うか映像再生と記録の説明か。っと、付属品はよし」

 

 雑談を交えながら彼等は荷物の員数を確認して行く。

 

「その件は問題無しだな。ルイズ嬢に向こうの言葉で実演して貰って録画しとけば良いだろう」

「初動の操作だけイラスト付きで書いておけば良い訳か。基本、アイコンでの操作だしな。って、発電ユニットとキャパシタも、わざわざ取説を書き起こさないで、映像での操作説明で良かったんじゃないのか?」

 

 そう言われ、取り扱い説明書の作業に携わった技術者の手が、ぴたりと止まる。

 

「……あ。ま、まあ、良いんじゃないか? バッテリーが切れたらコンピューターは使えなくなるからさ、印刷媒体で用意しておけば安心だろうし。それより我等のボスがお待ちかねだ。さっさと荷物のチェックを終わらせよう」

 

 彼は誤魔化すように言うと相方に作業を促すのだった。

 

 

 

 その頃、ルイズは家族への無事を知らせるビデオ・レターを撮り終え、ヴァーユ号に戻っていた。

 いつもなら食堂に行って食事をしている時間なのだが、ルイズは今日の事で色々と考えてしまい、時間が過ぎるのを忘れていた。

 明日、こっちの人達がブレーン間ブリッジと呼んでいる〝扉〟を開いて、荷物を送る事になっている。

 今の自分の気持ちが上手く家族に伝わるだろうか、自分がハルケギニアに帰る為に行われる実験についての事が正確に伝わるだろうか、家族から返事が来なかったらどうしよう等々、不安が心の中に浮かんで来る。でも。

 

「考えててもしかたないわよねー」

 

 ふと、そう呟くと、何となく気持ちが楽になった気がした。

 あれ、最近あたしって考え方がお兄に似てきてない? ええー、何かヤだな。このまま帰ると母さまに叱られそう。うん、そうよ。ちゃんとしたレディでなきゃダメなのよ。今からでもお作法を思い出して練習しとかなくちゃ。まずは――。

 

「ルイズー! 今日の晩飯のメニューに牛丼があるってよ。早くしないと無くなるぞ」

 

 食堂に行く途中でルイズがまだ部屋に居る事に気付いた才人によってかけられた、間抜けな声による〝牛丼が無くなる〟と言うキーワードによってルイズの(ささ)やかな決意は微塵も残さず吹き飛んだ。

 

「いやーっ! お兄、なんでもっと早く教えてくれなかったのよ!」

 

 ルイズは、淑女にあるまじき大声で才人に文句を言うと、脱兎の如く部屋を飛び出して食堂へパタパタと駆けて行くのであった。

 

* * *

 

 ルイズのビデオ・レターが収まったコンピューターその他一式二セット分と、ルイズが自ら書いた手紙の転位が無事に終わってから三日が過ぎた。

 毎日五回、通信に使用する波長より大きめのブリッジを短時間だけ接続させて確認が行われていたが、コンピューターが起動された様子は無く、最初に送り込んだ探査体のエネルギーも切れてしまっているので、向こうの様子を窺い知る事が出来ない。

 ヤヌスの改修スケジュールの都合もあり、今日一回目のブリッジ接続で送ったコンピューターの起動が確認出来なければ、予備の探査体を送り込んで、向こう側の端点がルイズの部屋に固定して出現している事を確認する手順になっている。

 そして端点位置固定の確認が取れれば、翌日には当初予定されていた通りに、干渉装置の定格運転によるブリッジ接続が行われる。

 その時に出来る端点の大きさは概ね二メートルと予測され、装置の安定性確認も兼ねて一分間、出現させる事になっている。

 ルイズの家族が彼女のメッセージを受け取っていなかった場合、それを知らずに誰かがルイズの部屋に居た場合、非常に危険な状態になるかも知れない。

 この三日間、全く応答が無かった事でルイズは不安になっていた。もし、家族が自分の手紙を見ても信じていなかったら……。それでも彼女は待つしか無かった。

 

『我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力をつかさどるペンタゴン。我のさだめにしたがいし、〝使い魔〟を召喚せよ』

 

 いつも通り呪文を唱える。家族からのメッセージが届く事を信じて精神を集中する。そしていつも通り宇宙間を結ぶブリッジが接続される。

 

「端点間ブリッジの接続を確認。コンピューターの起動済みビーコンを検出。リモート操作により映像データーを確認、取得を開始します。取得完了まで十五秒、振動モードを維持します。ルイズ、落ち着いて。完了まで頑張ってください」

 

 ルイズはヴィザーの報告に心が乱れそうになっていた。それをBIAMで感知したヴィザーが彼女に声をかけたのだ。それを聞いてルイズは集中を取り戻す。

 

「完了まであと五秒、三、二、一。停止フェーズに移行。振動モード変更――ブリッジ消失。ルイズ、よく頑張ったね。映像は君のご家族からのメッセージだよ」

 

 それを聞いたルイズの鳶色の瞳からは、知らず知らずのうちに涙が溢れていた。

 

 

 ルイズが落ち着くのを待つ間もなく、すぐに映像の再生が行われる。スクリーンにブロンドの髪をバックに流し、モノクルを嵌めた髭の男性が映ると、見ている全員がどよめいた。

 

「……父さま」

 

 思わずルイズは呟く。以前より(やつ)れて老け込んでしまっているが紛れも無く自分の父親だ。

 父は視線を少し横に移すと「もう良いのか?」と視線の先に居るであろう人物に声をかけた。

 

「はい、お父様。もう記録は始まっておりますわ」

 

 聞き覚えのある声が画面の外から聞こえた。エレオノール姉さまが撮ってるんだ、と一番上の姉が真面目な顔でカメラを構えているのを想像してルイズは思わず頬が緩む。

 

「ルイズ、返事が遅れてしまって、すまない。元気なお前の姿が見られて皆喜んでいる。わたしも嬉しかったよ」

 

 音声はヴィザーにより翻訳されているが、精度を上げる作業は後回しにされている。きちんと伝わっているかは後でルイズに聞けば良いからだ。

 

「お前の手紙と、この不思議な道具を受け取った時、(にわか)には信じられなかった。幻獣か亜人か、何か得体の知れない物の罠かとも疑い、開封する前にエレオノールに色々と調べさせたり、お前の筆跡を確認したりで時間がかかってしまったよ。ルイズ、無事で良かった。本当に良かった」

 

 声を詰まらせる父に、画面の外から「あなた」と、また別な声がかけられた。

 今のは母さまだわ、でも、こんな、母のどこか辛そうな声色は、以前には聞いた事が無かった気がする。父親はその声に、うむ、と答えて姿勢を正す。

 

「我が娘ルイズを保護して下さった異郷の方々も、娘と一緒に見ておられると思う。貴殿方には幾ら感謝しても足りず、それを表す贈り物を私共から貴殿方に送る手段を持たない事を非常に心苦しく思っています。トリステインの貴族としてでは無く、只々ルイズの父親として、言葉だけでしか感謝を表せない非礼をお許しいただきたい。本当に、本当にありがとう」

 

 誇り高いトリステイン貴族であるヴァリエール公爵は、まだ見ぬ異郷の人々に対して最大の敬意を込めて言葉を紡いだ。ヴァリエール公爵は感謝の言葉を述べた後、実験での危険性を理解した事、ルイズの帰還を心待ちにしている事を伝えた。

 ビデオレターの返事の最後は「また、お前をこの手で抱き締める事が出来る日を、皆で心待ちにしているよ」と言う娘に対する言葉で締めくくられていた。

 

 

 明けて翌日、いよいよ定格出力によるブリッジ発生実験が行われる。前日、部屋の中央に設置して貰う様に手紙を添えられた予備の探査体の転位が行われていた。

 実験中にブリッジ端点周辺で異常が発生しないかを確認する為だ。現場にはルイズの父親が監視に立つ旨の連絡が入っている。

 ついでに目をキラキラさせたエレオノールから地球の技術に関する書籍のリクエストがあったとか無かったとか。翻訳は一番下の妹に任せる気満々であるのを見て、ルイズは溜息をついていた。

 そんなこんなで脱力する出来事もあったが、準備は整いルイズが定位置に付いて実験が開始された。

 今回ルイズが長い時間集中する必要があるので、彼女に対するヴィザーの音声通知は開始時と終了時のみ行われる事になっている。

 ルイズの詠唱が終わり共通余剰空間で起きる超立方振動が検出され、その振動モードをブリッジ発生状態にする為に、ヤヌスに設置されている干渉装置が稼働を始め、こちら側の宇宙と向こう側の宇宙を繋ぐブリッジが出来る。

 ここまではいつもと同じだ。ルイズは目を硬く閉じ、自身の感覚の中に湧き上がっている或るモノに意識を集中している。

 ヴィザーがフィードバック状態を監視しながら最終段の出力を上げて行くと、こちら側の研究者達が端点と呼ぶブリッジの出入り口が徐々に拡張されて行き、目視で確認出来る大きさまでになると、送り込んだ探査体からの電波が届き始めて向こう側を映像で確認出来るが様になった。

 向こう側の端点は、エバーフレッシュが置かれている反対側に出現している。ここで映像にルイズの家族達がドア付近に陣取っているのが確認された。端点から距離にして十メートル近く離れている。

 探査体からのデーターに重力異常の兆候が見られない事からルイズの家族には影響が無いと判断され実験続行が指示される。

 定格出力の六十パーセントを超えた辺りから、端点の形状が楕円から円に変化し始め、直径が一メートルを超え、その時、探査体からの信号が突然途切れた事をヴィザーが報告する。

 

「探査体からの信号が途切れました。原因は端点から発生する光子の周波数分布の変化による擾乱です。低レート通信に切り替えました。こちらの周波数に影響はありませんが、通信速度が遅い為に映像取得は不可能です。重力、温度その他については五十ミリ秒サンプリングでモニター出来ています。続行しますか?」

 

 クラークは決断を迫られた。この場の責任者は彼だ。どうする? ルイズの家族には危険性は伝えてあるし、重力異常や温度の上昇等の異常が僅かでも発生した場合は五十ミリ秒あれば緊急停止手順で安全を確保出来る。

 

「ヴィザー、続行だ。出力を上げてくれ」

 

 クラークの決断を受けてヴィザーが出力を上げて行くと、端点は輝きと面積を増して行く。

 

「定格出力に達しました。全パラメータ安定。ルイズ嬢のバイタル、メンタル共に安定しています」

 

 そうヴィザーが報告した時だった。ヴィザー内部のフィードバック・チェック・ルーチンが異常を検出した。超立方振動のモードが強制的にずれて行き不定状態に移行しようする。

 干渉装置の出力段は短時間であれば定格の百二十パーセントでの運転を可能にしているので、ヴィザーは出力とモード・パラメーターを調整し安定モードへと戻そうとした。この間に経過した時間は十ミリ秒未満である。

 ところが、修正したにも係わらず、振動モードは不定状態へとずれようとする。

 ヴィザーは探査体から取得していたデーターのスキャンを行うと、赤外線データーの変化から人間の体温程の物体が移動していた事を見付けた。

 この事からヴィザーは向こう側の誰かが端点付近に居るか、若しくは転位状態に入った事を導きだした。

 ヴィザーには、生命が危機に瀕た、若しくはそうなる可能性が有る場合、最善を用いてそれを守ると言うテューリアン特有の行動原理が組み込まれている。

 ヴィザーは躊躇(ちゅうちょ)無く干渉装置とジェネレータのリミッターを解除すると、ヤヌスの制御向けに割り振られている自身のリソースを全て使い、宇宙間ブリッジの制御を始めた。

 異常検出からここまで二百ミリ秒が経過した。転位完了まで二秒弱の間、ヤヌスの限られた設備で安定を確保しなければならない。勿論、ヤヌスに居る全員の安全も確保した上でだ。

 異常検出から千ミリ秒、終段の出力は既に定格の百五十パーセントを超えている。変調器の位相制御範囲からの逸脱を防ぐ為に、ヤヌス周辺に配置してあるブースターの出力も定格の百五十パーセントに達している。

 振動モードは相変わらず危ういバランスの上で推移しており、いつ崩れてもおかしくない状態だ。干渉装置の放熱が追いつかず、リング内の温度が急激に上昇する。ヴィザーはあと一秒保つか保たないかのギリギリの運用を、マイクロ秒単位で行う事を強いられた。

 終段出力が定格の百八十パーセントを超え、ジェネレータ出力は飽和し、予備キャパシタに蓄えたエネルギーで補う様に回路が接続される。

 転位完了まで残り二百ミリ秒、ブースターの出力は既に限界に達しており、予備キャパシタのエネルギー残量もギリギリ。それでもヴィザーは最善の解を探しながらシステムを運用する。

 残り八十ミリ秒、干渉装置終段で部品の一部が溶融し始める。

 残り二十ミリ秒、ブースターの一部の応答が遅れ始める。

 残り十ミリ秒、ヤヌスのヴィザーから独立たサブ・システムが警報を発する。

 

「生命体の転位を検出。干渉装置終段破損により振動、衝撃が発生します」

 

 ヴィザーのアナウンスと同時に実験ステージ中央の端点が眩い光を発し、限界を超えた運転を強いられた干渉装置が、溶損によって発生したガスが原因で次々と断裂して行く。

 

「何だ? 何が起きているんだ?」

「リングで爆発が起きている? サブ・システムが緊急切り離しを発令しているぞ!」

「保安要員は全員の安否確認を! 急げ!」

 

 騒音と振動で騒然とする中、実験ステージ中央で輝いていた端点が消えた。その消えた場所には本来何も無いはずだった。

 

 そう、何も〝居る〟はずが無かった。

 

 ルイズは振動によろめき、キャノピーの内側に手を付いて体を支える。

 その時、彼女はステージ中央に人影を認めた。実験中は立ち入り禁止になる場所なのに、そこに人が居るのはおかしい。

 よく見ると、何が起こったのか理解出来ずに呆然としている様子の二人の人物、その姿を見てルイズは思わず我が目を疑った。

 

「ちいねえさま! それにエレオノール姉さま! なんで?」

 

 ヤヌスの設備をおシャカにして転位して来たのはルイズの姉達だったのだ。

 


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