戒莉という男との会話は、それほどはずむものではなかった。
だが、すれ違えば挨拶を交わしてもかまわない程度の関係となった。もちろん、声をかけるのはだいたい紅瑚の方からだ。
目は、何かの薬品を浴びたせいで見えなくなっているのだという。一時的なものらしいと、戒莉は言っていたが、紅瑚にはそれが希望を述べているだけのように響いた。
体も思うように動かないらしく、特に左手はものをつかむことすら覚束ない。なぜこんな状態になったと訊ねてみたいが、紅瑚は聞きあぐねていた。
「死にかけたということですよ。なんか、噂ですけどね。盗賊かなんかとやりあって」
どこからその噂を仕入れてくるのか分からないが、伸行の口は今日も軽やかだった。
「へえ、盗賊ね」
あの戒莉が、盗賊とやりあって……などというのは、想像もできない話だ。まあ、噂は噂なのだと思った方がいいのだろうと、紅瑚は納得していた。
「それはそうと、また例のお客さんがお待ちですが……」
伸行は、常よりは真面目な顔で、紅瑚に話を向けた。
例のお客。と、伸行は言うが、あれは客ではない。
いつも仕事を持ち込んでくる、仲介屋だ。
ありがたい存在だが、ありがたくない時もある。
紅瑚が街にいるという話を聞き込んで、頼んでもいない仕事の口を持ってやってきたのだ。
「あたしは休養中だからね、他を当たってくれって言っただろう」
話を聞いてしまっては、やっかいだ。紅湖は先ずきっぱりと断りをいれた。
「でも、あちらとしては、そんじょそこらの剣客には頼みたくないって言ってるんですよ」
本当だろうか。
紅瑚は仲介屋の言葉をあやしんだ。
「あたしなんかより、ほら『風渡り』の方がいいんじゃないのか。有名人だよ」
珊揮は、紅瑚なんかよりも、よっぽど名の通った剣客だ。
それを聞いた仲介屋は、困ったような顔をした。
それを見た紅瑚は、『なるほど、先に断られたんで、こっちに話を持ってきたんだな』と、理解した。しかし。
「功の女将軍だったっていう紅瑚姐さんだって、珊揮さんに負けないくらい有名ですよ」
仲介屋は、そんなことを言うが、紅瑚にはどうにも無理がある気がした。確かに、紅瑚は将軍などと呼ばれていたこともある。しかし、それは空席を埋めるための一時のことであったし、末席の将軍に過ぎないのだ。
「とにかく、お断りだよ」
「でも、紅瑚さんしかいないんですよ」
「そんなはずないだろう」
「でも、強くて、名が通っていて、女っていう条件なんですよ」
「女?」
はじめのふたつは、理解できるが、女という条件はなんとも珍しい。体の構造的に、男の方が力のいる仕事には向いている。剣を交えれば、女は男より弱いだろうと考えるのが、一般的だ。もっとも紅瑚のことを言えば、並の男など足元にも及ばないほどの力がある。
「その、守って欲しいのは女性なんです。それも、とても美しい。で、たとえ身辺警護の為とはいえ、男を近くには置いておきたくないらしいんですよ」
なるほど筋は通っている話だ。
しかも、仲介屋の言葉の中には、紅瑚が心惹かれてしまうものが入り込んでいた。
「その女は、何者なんだい?」
仕事を引き受ける気もないはずの紅瑚だが、気づけばそんなことを聞いていた。
「それはお引き受けいただけないと申し上げられません」
仲介屋は、さらりとそう答えた。