守る対象は、女。女は、この宿の離れに滞在中の客であること。女の素性は、依頼を受けなければ教えられない。
紅瑚に伝えられたのは、ざっとそんなことだった。
もちろん、こんなほとんど内容のない情報のみで依頼を受けるのは不本意だ。そして、ちょっと面倒な仕事を終えたばかりの今は、しっかり休養をとっておかなければならない時だ。そうでなければ、新しい仕事を全うするのは難しい。
だが、仲介屋の再三にわたる『御願い』攻撃に加え、宿の主人の徳行までが頭を下げてきたのには、さすがに紅瑚も参った。
その謎の依頼人というのは、徳行にとってはどうもおろそかには出来ない人物であるらしい。その謎の依頼人については、息子の伸行にも明かしていないという慎重さで、紅瑚がいくら聞いても答えそうにはなかった。
この宿を長年愛用してきた紅瑚である。何とかしてやりたくもなる。なにしろ『根っからのおせっかいやき』の紅瑚であるから、そんな話を聞かされては、動かない訳にはいかなかった。
それに、ひとつ興味もあった。
その女は、たいそう美しいらしい。それを聞いた時に、紅瑚の脳裏に浮かんだのは、月夜の晩に中庭で出逢ったあの女のことだ。もしや、あれはその女ではないのか。あの晩以来、何度か中庭に出てみたが、女を見かけることはなかった。
紅瑚には、あの月下美人に、もう一度会いたいと思う心が、実はあった。
いくら雄雄しくあるとはいえ、紅瑚も女である。女に興味があるというのは、いかがなものかと思うが、端的に言ってしまうと、紅瑚はあの手の美しい者に弱いのだ。しかも、手折れそうな風情や、いかにも守ってやらねばならないという衝動に駆り立てられるような人物に、男であれ、女であれ心惹かれてしまうという厄介な性質を持ち合わせていた。
「ずんぶんと、面倒な性分だな」
低く響く声が、紅瑚の記憶の中から聞こえてきた。
戒莉の声だ。
確かに、面倒で厄介な性分だ。
分かっているが、これは自分でもどうしようもなかった。
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薄紅色の髪は緩やかに波打ち、瞳は翡翠。乳白色の肌は、すべらかで一点の染みもなく、輝いている。
―― 人形……
まるでよくできた人形のようだと、紅瑚は思った。
結局、紅瑚はこの依頼を受けることになってしまい、警護対象者である女と対面するはこびとなった。
そうして、その第一印象は上記のようなものとなった。
確かに美しい。そしてか弱い風情も持ち合わせている。少女のような無垢さと、浮世離れした隔世感をまとい、誰かに庇護される為に生まれてきたと言っても言い過ぎではない程に頼りない様をしている。
紅瑚の心を揺さぶるには、充分過ぎる人物だ。
だが、あの月下美人とは別人であることは、一目で分かった。
女は字を、蘭嶺といった。
まさに、高嶺に咲く花だ。
紅瑚の記憶の中から、その美しい顔が浮かび上がってきた。まるで呪いにかかっているかのようだ。
―― 守りたかった。守れなかった。
口惜しい気持ちまでが、まざまざと蘇る。
「よろしく御願いしますよ」
蘭嶺の傍らに立つ幾人かの女の中で、年かさの一人が、そう言い放った。どうにも『よろしく』とも、『御願い』とも言う態度ではない。たかだか用心棒風情にかける言葉に、心などこめる必要はないとの考えなのであろう。紅瑚は、これに笑みすら浮かべてこたえたものだ。
「お任せください」
その日、紅瑚が蘭嶺の声を聞くことはなかった。