中二病──という病をご存じだろうか。
それはその名の通り、中学二年生の少年少女にありがちな言動を疾患として揶揄した造語である。例えば、身の丈に合わない大人びた振る舞いをしてみたり、自分は特別な存在であると思い込んだりといったものが顕著だ。
なので中二病という言葉には、医学的な意味は全くない。
しかし、罹ったが最後。その過去は決して消えない痛い記憶として脳裏に一生巣食い続けるという厄介な性質を持っている。中二病は黒歴史となり、思い出した日には布団でバタバタせずにはいられない! そう、中二病は決して不治の病などではなく、第二次性徴期の不安定な精神が生み出す殻のようなもので、成長と共にやがて失われていくものなのだ。
だが!
中二病を発症した少年少女、その中の更にごく僅かな存在──選ばれし適合者たちは違う!
中二病を己が信念として受け入れ、現在進行形で黒歴史を刻み続ける者!
世間から白い目で見られようとも、社会から隔絶した立場に置かれようとも……いやむしろ! 自ら望んで画一化された世の中に抗う者たち!
そしてここにも、立派な中二病患者たる高校二年生の少女が一人!
「──ッ、フフ、くはははははははっ!」
まるでこの世の全てを掌握した、とでも言わんばかりに、少女は高笑いを上げる。
「ついに、ついにこの
未だ興奮冷めやらぬと言った様子で、顔を手で覆いながら、口角を歪ませる。
「祈る神など私にはいないが……感謝しなくてはな。運命ってやつに。何、此度の饗宴は上手くやって見せるさ。その為に、ありとあらゆる魔導書を手に入れたのだからな!」
ふーっと満足げに一息吐く。ちなみに、彼女が魔導書と呼んで手に取った一冊は、友達の作り方について書かれたエッセイ本である。
「抜かりはない。さあ、待っているがいい新世界よ! この私に征服される時をな! ふふふっ、あーっはっはっはっはー! …………ん?」
少女は、机に投げ出されたスマートフォンが振動していることに気付く。
電話の着信画面には【二乃姉】という登録名が記されていた。
「待たせたな、私だが」
「待たせたな、じゃないわよ!」
「ひあぁっ!?」
ピッと応答ボタンを押した瞬間、スマホのスピーカーから響き渡る怒号!
ちょっと呑気していた彼女も、これにはビビって思わず仰け反ってしまう。
「今何時だと思ってるのよ! さっきからずっとアンタの笑い声が響いてるんだけど!」
通話相手の有無を言わせぬ剣幕に既に涙目の少女である。ちらっと壁に立てかけられた近未来的なデザインの時計を見ると、時刻は深夜の三時半。良い子は間違いなく就寝している時間だ。
「ご、ごめんなさい! 謝るから怒んないでぇ……!」
「ハァ。明日……いや、今日だったわね。転校初日で緊張するのは分かるけど」
「き、緊張なんかしてないやい!」
「そ。まぁ、なんでもいいけどね。アンタ、ただでさえ緊張しいなんだから、睡眠くらい取っときなさい」
「フッ、私は夜と共に生きる闇の血族。この私に睡眠など──」
「いいから寝る!」
「ひゃ、ひゃい!」
「……じゃ、おやすみ、六海」
「う、うん。おやすみなさい、二乃姉ぇ」
シュンとした様子で電話を切る。
少女の名前は中野六海。中野家の六女で、どこに出しても恥ずかしい立派な中二病患者だ。
「うおおおおおおおおっ!」
上杉風太郎は汗だくになりながら高層マンションの階段を駆け上がっていた。鉛のように重たい両足を踏み出すたび、運動を不要だと切り捨ててやってこなかったことを後悔する。しかし、立ち止まるわけにはいかない。この選択は、風太郎、ひいては上杉家の今後の人生そのものを左右すると言っても過言ではないのだから。
きっかけは父親が見つけたアルバイト。同学年の少女の家庭教師である。その給料は相場の
しかし今、風太郎は己の愚行が原因で、家庭教師の話を失いかけている。
(クソッタレ……!)
前日の昼休み、風太郎はとある女子生徒とちょっとしたトラブルを起こした。それだけならばどうでもよかったのだが、その女子生徒こそ彼が家庭教師となり教鞭を執ることになる相手──中野五月だったのだ。このままだと、彼女に家庭教師の話を拒否されてしまう可能性がある。それだけはどうにかして避けなければならない。だからこそ風太郎は今日一日中、五月に謝るチャンスを窺っていた。
(全部あいつのせいだ!)
しかし、彼は今に至るまで彼女に謝るどころか、接触することさえままならずにいる。
見透かしたような少女に絡まれ、能天気な少女に付き纏われ、表情が読み取れない少女に警戒され、気の強そうな少女に因縁をつけられ──そのチャンスを悉く潰されてしまったのだ。
二十九階を通り過ぎ、最上階の三十階へ向かう。そこが依頼者である彼女の父親から伝えられた、中野五月の自宅だ。彼女が乗ったエレベーターより先に、そこへ到達しなければならない。
(間に合え……っ!)
普段の運動不足が祟って悲鳴を上げている肉体に鞭を打ち、非常階段のドアを開く。
彼の思考を占めるのは、中野五月に対する理不尽な恨み。同時に、脳裏には嫌な予感がちらつく。
風太郎は今日、まるで良いことがなかった。そして、古来より七転八倒、二度あることは三度あると言うように、悪いことは連続して起こるのだ。
しかも風太郎の予感は、悪いものに限ってよく当たる──
「待っていたぞ」
エレベーター前のフロアに出ると、そこには一人の少女が立っていた。一瞬、五月かと思ったが違う。その格好がさっきまでの五月とまるで別物だったからだ。
特に違いが顕著なのは、彼女の片目をすっぽりと覆う眼帯と両腕に巻かれた包帯。こんなものを五月は付けていなかったし、怪我をしている様子もなかった。しかし、それ以外は──淡い茶髪に、白い肌、透き通るような碧眼──とてもよく似ている。瓜二つと言ってもいいだろう。
突然の少女の出現に、風太郎は呆然としていた。それを知ってか知らずか、彼女は口元を歪ませて楽しそうに笑う。
「ククッ。さあ、今こそ我ら
自信満々な表情で手を差し出す少女。対する風太郎の視線は冷ややかだ。
その時、ようやく目が合った。自分の世界に入り込んでいた彼女が、初めて風太郎を認識した。
「……」
「……」
しばしの沈黙。
やがて、風太郎の視線(目つき悪め)に居心地が悪くなったのか、少女はバッと飛び退いて距離を取る。そして臨戦態勢になりながら言った。
「な、何者だ貴様はっ!?」
「こっちの台詞だ眼帯女」
これが上杉風太郎と中野六海の出会い。
風太郎が経験した六つの悪夢のうちの一つである。
高級住宅地で知られる通りの中でもひと際巨大な高層マンション。その最上階のベランダで、風太郎は受話器を片手に驚愕の声を上げた。
「六つ子ですか!?」
風太郎は、家庭教師の依頼者である五月たちの父親から、改めて仕事についての説明を受けた。
彼女たちは一卵性の六つ子の姉妹であること。姉妹全員が無事卒業できるように導いてほしいということ。報酬は六人分支払われるということ。
元々、一筋縄ではいかない仕事だろうと腹を括っていた風太郎だが、それでも全てを飲み込めてはいなかった。
上杉風太郎は学年一位の学力を持つ秀才である。例え同級生と言えども自らの勉強と並行して教えるなど訳ないだろうし、その自信もあった。
しかし──六人同時。しかも全員癖のある連中ときたら話は別だ。そもそも風太郎はとあるきっかけにより小学生の時から勉強だけをやってきた人間なので、対人能力はまるでからっきしである。
(だが……相場の六倍という報酬。こんな割の良い仕事、逃がすわけには……!)
家庭教師の相場は元より高い。それがさらに六人分で六倍である。一日で稼げる給料は、彼が掛け持ちしている他のアルバイトとは比べ物にならない。それらを天秤にかけ、風太郎はこの仕事を引き受けることに決めた。彼女たちの父親に対して、電話越しで啖呵も切ってしまった。だが、本当の問題はここからである。
全面ガラス張りの戸を開いて、室内に戻る。風太郎の自宅のアパート三個分以上の広さがあるであろうリビングには、誰一人の姿もなかった。
そう、最初にして最大の難関がこれだ。この場所は中野姉妹の自宅で、風太郎はまるっきり部外者。しかもお互いの第一印象は最悪。歓迎されるわけがない。
つまり風太郎はこれから、姉妹全員と交流を図り、警戒されない程度の信頼を築き上げ、その上で勉強を教えなければならないのだ。考え得る限り、彼の最も苦手とするところである。どうしたもんかとソファーで項垂れていると、背後から声をかけられた。
振り返ると、頭に巨大なリボンをつけた、人懐っこそうな笑みを浮かべる少女がいた。
「四葉だっけ……0点の」
「えへへ」
昼休みにしつこいくらい付き纏ってきた中野四葉である。姉妹は全員部屋に篭ってしまったと思っていたが、彼女だけは風太郎の授業を受けるために残ってくれたらしい。それだけで風太郎にとっては感涙ものだが、彼女一人に勉強を教えただけでは依頼をこなしたとは言えない。彼女に案内されながら、風太郎は他の五人も呼びに行くことにする。
しかし──
「嫌です」
バタン。
「嫌」
バタン。
「……」
無人。
「ふぁ~、おはよ」
汚部屋+裸。
「お前ら姉妹はどうなってんだ……」
「いや~、面目ないです」
深い溜め息を吐く風太郎の隣で、四葉はどこか楽しそうな笑みを零す。
既に諦めムードが漂いつつあるが、それでも風太郎はめげずに六つ目の扉を探した。彼が最後に出会った中野姉妹の六女──六海を呼ぶためである。だが、そこで彼は違和感に気付く。
「おい四葉。ここ、扉が五つしかないんだが」
「ああ、それはですね」
中野家は、メゾネットで構成された住宅である。マンションの一室がさらに二層に分けられており、一層目にリビングなどの共同フロア、二層目に各姉妹個人の部屋といった具合だ。
しかし、風太郎が確認した限りでは、姉妹たちの部屋は五つしかない。一つは四葉が通り過ぎたので、彼女の部屋なのだろう。ならば、六海の部屋はどこにあるのだろうか。まさか……と、悲しい六つ子事情を風太郎が想像し始めたところで、四葉は廊下の隅の方へと歩き出した。階段を下りるのかと思いきや、四葉はそこでくるっと翻って、唐突に駆け出した。
「な、なにを……!?」
今までの友好的な態度はすべて演技で、俺をここから突き落とすつもりじゃ──と不穏な考えが風太郎の脳裏を過るが、それは杞憂だった。四葉は廊下の途中で大きくジャンプし、天井に向かって勢いよく手を伸ばしたのだ。
そこには、一メートル四方くらいのハッチがあった。その取手を掴むと、その勢いのまま四葉は天井裏へと入ってしまう。
「えぇー……」
人間業とは思えぬ驚異の身体能力である。
よく見ると、ハッチのすぐ横に折り畳み式の梯子が収納されている。ボタンを押すと自動で上下する仕組みのようだ。
「よ、四葉姉ぇ! 顕現する時は梯子を使えといつも言ってるだろう!」
「いいじゃん、こっちの方が楽だし! おーい上杉さーん、こっちですよー」
「あ、ああ」
向こう側にもボタンがあるらしく、勝手に梯子が下りてくる。それを使い天井裏に入ると、そこに六つ目の部屋があった。
「ふふふっ、ここは私たちしか知らない秘密の部屋なんです」
「ちっ、金持ちめ……」
「まあ、六海が人見知りっていうのもあるんですけどね」
風太郎は悪態を吐きながら部屋を見回す。周囲には収納棚が幾つも連立していた。隅にベッドが置かれているものの、部屋というよりは完全に倉庫だ。
「お前ら、末の妹を屋根裏の倉庫に追いやるとは……」
「ええ!? 違いますよっ、これは全部六海の私物です!」
「何?」
よく見ると、棚に収納されている物は全て筆や絵具、キャンバスやスケッチブックなどの画材である。本棚には絵画関連の書籍が並んでおり、壁にはイーゼルや額縁に入った油絵が立てかけられてる。画家の工房はこんな感じなんだろうなと、適当な感想を風太郎は抱いた。
だが、絵具の独特な臭いが鼻につくこの部屋には、肝心の宿主の姿がないように見えた。先ほど四葉が上がった(飛び込んだ?)際、驚く声がしたので、ここにいるはずなのだが。
周囲を見回していると、視界の隅で、四葉がしゃがみ込む姿が映る。隠れていた六海の説得を試みているらしい。
「六海、家庭教師の先生が来てくれたよー。相手は何と、同級生の上杉さんです!」
「断る。奴は機関の手先。そのような者に教えは乞わない」
「ええー!」
機関が何なのかはよく分からないが、少なくとも受け入れられていないというのは風太郎も理解していた。
部屋の奥へと風太郎も顔を覗かせると、棚の陰で大きめのスケッチブックを抱えて、ジャージ姿で小さく体育座りをする少女の姿があった。
二つ結びにした髪と右目を丸ごと覆い隠す眼帯が印象的だが、顔立ちを隣の四葉と見比べてみるとやはりそっくりである。改めて彼女たちは本当に六つ子なんだなと、風太郎は驚かされる。
彼女こそ、先ほどエレベーターホールで遭遇した少女、中野六海だ。
「上杉風太郎……と言ったな」
「あ、ああ。なんだ、六海」
彼女の視線には、先ほど会った時とはまるで別物の、強い意志のようなものが宿っている。四葉以外の姉妹に悉く拒否されて精神的に弱っていたのもあったが、その迫力に、風太郎は思わず仰け反った。
「既に貴様は、私の構築した結界に足を踏み入れている。その罪は重いぞ。無事に帰れるとは思わないことだ」
「…………は?」
いきなり何を言い出すんだコイツは、そんな呆れを隠そうともしない風太郎の反応。その横で、四葉は吹き出しそうになるのを必死に堪えている。
「ところでお前。今日学校にいなかったよな? 食堂ではこいつら五人で飯食ってたし」
「ぐっ……」
痛いところを突かれた、とでも言うように、呻き声を漏らす六海。その風太郎の最もな疑問には、代わりに四葉が答えた。
「六海は新しい学校が楽しみすぎて、中々寝付けずそのまま寝過ごしたんですよ」
「ちょ、四葉姉! それは他言無用だと……!」
「遠足前の小学生かよ……」
そう言えば、五月が転校してきたとき、教師がもう一人の転校生は病気で休みだと言っていたような記憶がある。本当のことを言うのが恥ずかしく、仮病を使ってしまったが故に、しばらく学校に来られなくなってしまった──そんなところだろう。
バカじゃね、と風太郎は率直に思った。
「バカじゃね」
風太郎は率直に言った。
「喧しいぞ上杉風太郎。というか、勝手に私の絵を見るな、寛ぐな!」
既に風太郎は六海の相手をするのに飽き始めているのか、棚にあった絵を一つ取って、それを寝っ転がりながら眺めていた。
「いや、幾らで売れるかなと」
「普通に最低だな! 貴様は金銭的価値でしか物事を計れないのか」
「あ、でもその絵は昔コンクールで入賞してたやつですよ。確か賞金も貰っていたような」
「……」
風太郎は極めて慎重に、持っていた絵を棚に戻した。
「そんなに欲しいなら一枚くれてやってもいいぞ、上杉風太郎よ」
「いや、別にいらないが」
「遠慮することはない、ちょうど今書き終わった」
六海はスケッチブックの一枚を破り取ると、それを風太郎に手渡す。どうやら話している時もずっと絵を描いていたらしい。
「名付けて、六等分の愚夫」
その絵には、頭、胴体、右腕、左腕、右足、左足がそれぞれ分断された、風太郎がモデルと思われる笑顔の男が描かれていた。猟奇的な絵面にも関わらず、ポップなイラスト調で描かれているのが余計に恐怖を煽る。
「……喧嘩売ってんのか?」
「買ってるんだよ、上杉風太郎」
「上等だこの野郎……!」
「わー!? 上杉さん落ち着いてください! 六海も! 上杉さんは一応お客さんなんだから!」
一触即発の空気になり始めた風太郎と六海を四葉が仲裁していると、下のフロアから声が聞こえた。
「おーい、君らそこで何やってんの? クッキー作りすぎちゃった、食べる?」
ジャージ姿の二乃である。キッチンの方からは、甘く香ばしいクッキーの匂いが漂っていた。
「い、いま行くー! 二人とも、せっかくですし甘い物でも食べましょう!」
屋根裏から降りてわーいとリビングの方へ向かう四葉に、二人も渋々ついていく。
こいつとは絶対仲良くなれねぇと、風太郎は六海を睨みつけながら思った。
「改めて、これから家庭教師を務める上杉風太郎だ。五月はいないが、始めてしまおう」
風太郎は持参したプリントを五枚取り出し、それをテーブルの隅に置く。
「まずは個人の実力を測る為にも小テストをしよう!」
隅に置かざるを得なかったのは、テーブルには既にお菓子やジュースが並べられていて、スペースがなかった為である。そこにこれから勉強を始めようという雰囲気は皆無である。実際、中野姉妹の半数は風太郎の提案を無視して、お菓子を頬張ったり、雑談に興じていた。四葉と六海だけが筆記用具を手に取って、小テストに記入を行っている。しかし、四葉は氏名欄に『よつば』と書いた段階で手が止まっており、六海は記入欄を無視して何かを描き始めた。五月に至っては未だに部屋に閉じ籠っている。
彼女たちの想像以上のどうしようもなさに、風太郎は絶句した。
(くそっ、こいつらからすれば当然の反応だが)
元々この仕事は中野姉妹の父親から依頼された仕事であり、彼女たちが望んで風太郎を家庭教師として招き入れたわけではない。しかも風太郎は異性の男で、しかも同世代。抵抗を示すのも当然と言える。
だが、風太郎にも意地がある。何より給料の為だ。向こうが勝手に仕事を拒否するというのなら、こちらも勝手に仕事を遂行するしかない。
何かできることはないかと辺りを見回すと、六海が一仕事終えたかのように一息吐いていた。どうやら描き終えたらしい。彼女の小テストを遠目で覗くと、そこには教科書にも載っている有名な武将・伊達政宗の肖像画が、驚くべきクオリティで描かれていた。模写でも凄まじいレベルだが、彼女は教科書を開いていない。つまり、記憶からこの絵を描き上げたということになる。風太郎は感心しそうになったが、同時に彼が作り上げた小テストの問題を思い出す。
(……問一、厳島の戦いで毛利元就が破った武将を答えよ)
もし六海がこの問題に対する回答として、伊達政宗の肖像画を描いたとするならば──
「おい、六海」
「なーにフータロー君。五月ちゃんの次は六海ちゃんが気になるの?」
間違いを訂正してやろうとすると、横からの声にそれを遮られる。中野姉妹の長女、中野一花だ。
「い、いや」
「あはは、フータロー君も意外とお年頃なんだね」
どうも一花は煙に巻くような飄々とした言動で人を揶揄うのが好きらしい。昼の食堂の一件から面白がっているだけなんじゃないかと疑っていたが、それは確信に変わった。
既に六海は三玖と話を始めてしまっていて、とても風太郎が混ざれる空気ではない。恨みがましく一花を見やると、相変わらず彼女は人を見透かしたかのような薄い笑みを浮かべている。
仕方なく、風太郎は一花の茶化しに乗ってやることにする。直接言えないのなら、間接的に言ってやるまでだ。
「ああ、六海の描いている絵がどうも気になってな」
ぴくり、と六海が反応するのを尻目に捉える。
「六海ちゃん、絵上手だもんね」
「いや、そういうことじゃない。俺は、描くものが根本的に間違っているように感じたんだ」
一応断っておくと、風太郎は善意で言っている。だが、あまりにも直球な言葉は他者の誤解と軋轢を招くことを、彼は未だに自覚していなかった。流石の一花も、風太郎の歯に衣着せぬ物言いに困惑するしかない。そして、当の六海といえば。
「……」
風太郎のことをめっちゃ睨んでいた。風太郎は能天気にもはははっと笑っている。これも一応、間違いは誰にでもあるから気にしなくていいんだぞという彼なりのアピールなのだが、完全に逆効果である。六海は風太郎のことを呪おうと怪しい動きを始めていた。
なんにせよ一仕事を果たした(と思い込んでいる)風太郎は、空腹を自覚して、クッキーを一つ手に取る。それを口に放り込み咀嚼すると、普段は馴染みのない菓子の美味しさが口いっぱいに広がった。一つ、また一つと彼はクッキーを食していく。思い返せば、昼に焼き肉定食焼き肉抜きを食べて以来、何も口にしていない。空腹は当然と言えた。
「わぁ、モリモリ食べてくれる! 美味しい?」
「ああ、美味いな!」
二乃の問いかけに、風太郎は珍しく素直な感想を口にする。普段は嗜好品なんて口にできないほど困窮していることを抜きにしても、このクッキーは絶品だった。
「そんなに急いで食べなくてもクッキーは逃げないよ。はい、お水」
「サンキュ」
差し出されたコップを、疑うことなく一気に飲み干す。クッキーに口内の水分を奪われ、丁度喉が渇いていたのだ。見計らったかのような気の利きようである。だからこそ、風太郎は二乃の口元が一瞬歪んだことに気付かなかった。
(……んあ?)
少し経ち、風太郎は急激な眠気を覚える。
そして、六海が風太郎を呪い終えたのは、奇しくも風太郎が倒れたのと同じタイミングだった。
「…………えっ?」
突然意識を失った風太郎に対してそんな素っ頓狂な声を上げたのは、他ならぬ彼を呪おうとしていた六海だった。
彼女は風太郎のことを本気で呪っていたが、それは決して意識を奪うほどのものではなかった。例えるなら、箪笥の角に小指ぶつけろとか、鉛筆の芯が折れまくってしまえとか、その程度の呪いである。つまりこれは。
「ま、まさか私の六芒星の魔眼がついに目覚めてしまったというのか……っ!? くっ、すまない上杉風太郎ッ!」
「何言ってんのアンタ」
中野六海は中二病であり──そして、馬鹿である。
◆
中野家の六女。五年前から中二病を患っているがメンタルは姉妹一弱い。好きな食べ物はゼリー。好きな飲み物はエナジードリンク。容姿は読み切り版三玖+眼帯。
中野六海は人間界へと紛れるための仮初の姿。真名はマリーナ=フォン=ヘキサグラム。魔界帝国ブラックローズの第六皇女である。右目の眼帯の下にはこの世の全てを無に還す六芒星の魔眼が封印されている。