「……六海、この解答はなんだ?」
「フッ、見て分からぬか上杉風太郎よ。愚鈍なる男だ」
「見た上で分かんねぇから訊いてんだよ」
二乃の計略に一泡吹かされた、その翌日。
風太郎は、再び中野家を訪れていた。六つ子姉妹は「また来たよこいつ……」という呆れを隠そうともしないが、そんなものに屈する風太郎ではない。
むしろ風太郎は、彼女たちにとって好都合なアイディアを提案しに来たのだ。
「昨日できなかったテストだ。こいつの合格ラインを超えた奴には金輪際近づかないと約束しよう」
依頼者である彼女たちの父親からは、姉妹全員を卒業に導いてほしいとしか言われておらず、その方法については問われていない。つまり六人全員に馬鹿正直に勉強を教える必要はないのだ。卒業が危うい落第候補にのみ、集中して教えてやればいい。
かなり婉曲的な解釈ではあるが、姉妹たちも乗り気だったのでそこは問題なかった。そこだけは、問題なかった。
無事テストを終えて、そして話は冒頭へと戻るのである。
風太郎が今にもクシャクシャにしてしまいそうなほどの力で握っている答案用紙。
そこの名前欄には『Marina von Hexagram』と記入されていた。無駄に達筆なのがムカつく。
「ならば教えてやろう! 中野六海とは敬愛するお母さんより賜った人間界での名前なのだ! 我が真名はマリーナ=フォン=ヘキサグラム! 魔界帝国ブラックローズの第六皇女にして、封印されし六芒星の魔眼をその身に宿す者なり!」
ババーンとポーズを決めながら高らかに宣言する六海である。
一花と四葉は「おぉー」という感嘆の声とともに拍手をしている。二乃と五月は「またいつもの発作が始まった」とでも言いたげに溜め息を吐き、三玖は目を逸らして無反応だった。
そして、どうだ見たかとドヤ顔を決める六海に対し、風太郎は──
「……」
「うぁっ!? ちょ、眼帯を引っ張るなぁ! やめっ、ヤメロォー!」
無言で彼女の眼帯を掴み取り、一気に引っ張った。六海は眼帯を取り返そうと両手をわたわたとさせるが、高身長の風太郎には敵わない。
「貴様っ! これは我が魔眼を封印するための魔法具なのだぞ!? 世界に災厄が齎されてしまうかもしれないのだぞ!?」
「で、一花。こいつは実際なんで眼帯を付けてるんだ?」
「オシャレで付けてるだけだね。封印とかは全部六海ちゃんの中での設定だから気にしなくていいよ」
「い、一花姉ぇ酷いっ! 可愛い妹を信用してないのっ!?」
「六海ちゃんのことは勿論信じてるよ? でもマリーナさんの話は胡散臭いからねぇ」
「お前容赦ないな……」
「フータロー君には負けるけどね」
けらけらと笑う一花である。
そんな会話の最中にも、六海の眼帯はどんどん引っ張られていく。ゴムは明らかに限界まで伸び切っていた。
「は、放してっ! あ、でもこの状態で放したら絶対痛いやつだから、そのままゆっくりと戻せっ! ゆっくりだぞ! 絶対ゆっくり!」
「ああ、分かった」
風太郎はそのまま手を放した。
「ぴやぁ!? 痛ったぁぁぁーっ!? 目が、目がぁぁぁっ!」
張力が解き放たれ、右目に眼帯が直撃する。走る激痛に、六海は両手で顔を抑えながらその場をのたうち回った。
「……フータロー、鬼畜」
「うわぁ、痛そうです……」
「最低ですねこの男」
三玖、四葉、五月はドン引きである。
二乃だけは、蹲る六海の背中を優しくさすっていた。
「六海、大丈夫? ほら、私の目薬を貸してあげるわ」
「ありがとう二乃姉ぇ、大好きだよ……」
「私もよ。でも、その眼帯は目が悪くなるから外した方が良いと思うわ」
「ガーン……」
ぐすんぐすんと呻きながらも眼帯をつけ直す六海だった。
姉に苦言を呈されても懲りない彼女の姿を見て、風太郎は溜め息を吐く。だがそれ以上に深刻な現実が、彼に伸し掛かっていた。
「お前ら、全員合わせて百点ってのはどういうことだ?」
パサッと風太郎がテーブルに投げ捨てた六枚の答案用紙。その点数はどれも悲惨なものだった。六海に至っては氏名欄の記入ミス(故意)で0点扱いである。
彼女たちは皆一様にどんよりとした表情で現実から目を逸らしている。
「いやー、皆お疲れ。私達は頑張ったよね、うん!」
「そうね。仕事が終わったのなら、家庭教師様にはとっととご退勤願いましょうか」
「……点数なんかより、内面的な部分を見てほしい」
「おっ、良いこと言うね三玖! 上杉さん、世の中数字だけじゃやっていけないですよ!」
「おかしいです。こうなることを想定してちゃんと勉強したはずなのに……!」
「私も昨日遅くまで絵の勉強をしてたんだぞっ。そんな怒ることないじゃないか!」
そんな捨て台詞を各々が残して、勉強からの逃走を図る六つ子たち。
風太郎の嫌な予感は、またしても的中していた。
(こいつら全員揃って、赤点候補かよ……!)
それから二日後の月曜日。
風太郎は参考書を片手に通学路をダッシュしていた。昨夜は遅くまで問題の作成をしていた為に寝過ごしてしまい、遅刻寸前だったのである。
だが、どれだけ寝坊しようが朝礼に間に合えば遅刻にはならない。風太郎は汗だくになりながらも時間ギリギリで校門をくぐり抜けた。
間に合ったことで一気に緊張が解けた風太郎は、その場で立ち止まり呼吸を整える。そんな彼の真横を、見るからに高級そうな外国車が通り抜けていった。普通の公立校である旭高校にはあまりにも似つかわしくない高級車の出現に、思わず凝視してしまう。
「げっ、上杉君……」
「上杉さん! おはようございますっ!」
車内から出てきたのは、風太郎にとって目下最大の悩みの種である中野姉妹だった。
そういやこいつら金持ちだったなという思考が風太郎の脳裏を巡った瞬間、彼女たちは既に一目散に駆け出していた。
「待てお前ら! 今の俺は無害だ!」
参考書を投げ捨てながらそうアピールする風太郎である。家庭教師の話がこのまま無かったことになってしまうのだけは絶対に避けなければならない。納得はいかないが、まずは少しでも受け入れてもらえるよう努めることを優先した。
「へー。じゃあアンタは人畜ってことね」
「そこに落ちてる本、参考書に見えるんだけどなー?」
「やっぱり油断させて勉強を教えてくる気だ」
酷い言われようだった。特に二乃は風太郎のことをゴミを見るような目で見ている。
勉強を教えてくるやべーやつこと風太郎に対し、彼女たちはそれぞれの見解を口にしてきた。
自分の問題は自分で解決する、勉強は一人でもできる、余計なお世話だから関わるな──と。
「じゃあお前ら、勿論一昨日のテストの復習はしたんだよな?」
勉強において、復習とは基本中の基本である。一般的な人間の記憶能力では、一度の学習で全てを覚えきることはできない。むしろ、時間の経過と共にどんどん忘れていってしまう。しかし、復習によって定着したものは別だ。何度も繰り返し学習した知識こそが、己の血となり肉となるのである。
風太郎も、彼女たちの反応をなんとなく察してはいた。だがそれでも、この時の彼はまだ期待を捨てきれていなかったのも事実だ。
しかし現実とは非情なものである。
案の定、全員が一斉に目を逸らしていた。
「……問一、厳島の戦いで毛利元就が破った武将を答えよ」
半分諦めを含んだ風太郎の問いに、返ってきたのは沈黙のみだった。
彼女らは風太郎を置き去りにして教室へと向かってしまう。
風太郎は思わずその場に立ち尽くしてしまった。報酬に目が眩んで安請け合いしたのは失敗だったかもしれねぇという考えすら浮かんできてしまう。
「上杉っ! おいっ、上杉風太郎!」
「ああ? なんだ、まだ言い足りないことでもあるのかよ六海」
そんな彼に対し、唯一その場に残っていた六海が声をかける。
もう罵りたけりゃ好きに罵ってくれという心持ちだった風太郎に、彼女は予想外の物を手渡してきた。
「見てくれ! この前の問題を、また私なりに解いてみたんだっ!」
「そうかよ。……………………え? マジで!?」
それは、予備として中野家に置いていった問題の答案用紙だった。
風太郎はもはや感動すらしていた。まさかちゃんと復習してくれる奴がいたなんて……! 彼の中での六海の株がストップ高だった。
「六海! お前ってやれば出来る奴だったんだな!」
「フッ、この私を誰だと心得る? 我が名はマリーナ=フォン=ヘキサグラム! 神算鬼謀にして全知全能の──」
「あっ、それはもういいから」
「ひ、人の名乗りを遮るなっ! この無礼者!」
頬を膨らませる六海に、風太郎は「悪い悪い」と適当に返す。しかし、復習をしてきてくれたというのは本当だ。彼の中に、初めて家庭教師のやり甲斐が芽生えた瞬間だった。
答案用紙を受け取って、内容をチェックする。しかし、最初こそウキウキだった風太郎の表情は、次第に冷めたものへと変わっていった。
「……六海、この解答はなんだ?」
「フッ、見て分からぬか上杉風太郎よ。哀れな男だ」
「見た上で分かんねぇから訊いてんだよ」
なんだかデジャブを感じるやり取りである。
まず確認したのは氏名欄。そこには確かに中野六海と記されていて、風太郎は六海の成長を実感した。
しかし、問題はその下だった。
問一、厳島の戦いで毛利元就が破った武将を答えよ。
その解答欄には、何故か少女漫画のイケメン風に描かれた、独眼竜・伊達政宗の姿があった。
「お前に描くものが間違っていると言われてしまったからな。あれから私なりに考えて、やはり肖像画のトレースが良くなかったという結論に至ったのだ。そこで、一からデザインしてみたんだが……どうだ!? 上杉風太郎!」
何故かキラキラした目で風太郎を凝視する六海である。彼女は間違いなく、称賛を期待しているのだろう。鈍感な風太郎でも、それくらいは察することができた。
そんな六海に対し、彼は「ふぅー……」と長い溜め息を吐いてから、こう告げた。
「やっぱお前馬鹿だろ……!」
「ちょっ!? だから眼帯を引っ張るなぁ!」
もう六海を無視して、教室に向かおうかなと考えた瞬間──
キーンコーンカーンコーン。
そんな、朝礼の開始時刻を知らせるチャイムが鳴った。
そう。彼らは遅刻しかけていることをすっかり失念していたのである。
「ま、まずい! 走るぞ六海!」
「えっ!? わ、私教室がどこか知らない……」
「ああもう! こっちだよついて来い! 転校初日から遅刻なんて笑えねぇだろ!」
「わわっ!? う、腕を引っ張るなぁっ! 痛いぞっ!」
「痛いのはお前の格好だろうが!」
騒ぐ六海を見ながら、風太郎は思った。
もし神様がいるのなら、きっと俺のこと嫌いなんだろうな、と。