「では中野六海さん。自己紹介をお願いします」
「ひゃ、ひゃい! わ、我が名はッ……え、えっと……な、なか、なかなかなか、中野っ! む、六海だっ! あっ……です!」
(緊張しすぎだろ……)
見てるこっちのほうがハラハラしてしまう。無難にこなしていた先日の五月とはえらい違いだと、風太郎は思った。
新たな転入生・中野六海は、教壇の上に立ち自己紹介をさせられていた。
周りのクラスメイトたちはその優れた容姿と奇抜な格好、そして五月の妹であるという事実から、彼女に対して強い注目を向けている。
そんな大量の視線に耐えきれず、六海は完全に取り乱していた。
(頑張って下さい、六海……っ!)
そして彼女の姉・中野五月の心中も気が気でなかった。五月にとって六海は唯一の妹である。六海の重度の人見知りを考慮すれば、この自己紹介というイベントが地獄だということは想像に難くない。頼むから無事に終わって下さいと、両手を合わせて祈りを捧げてすらいた。
だが、そう上手くいくはずもないのが世の中の常である。
既に目眩と吐き気を覚えて涙目になりつつある六海は、自分のことを凝視している姉の姿に気付く。そして何かを感じ取ったのか、小さく頷いた。
(そうです! 六海、あなたはやればできる子ですよっ!)
妹に期待の眼差しを送る姉と、姉の期待に応えようとする妹の姿。ここだけ切り取ればトレンディドラマのワンシーンのようである。ここだけ切り取れば。
六海は突然髪留めを外し、懐からライトグリーンの大きなリボンを取り出して頭に装着した。
「なーんちゃって、皆さんはじめましてっ! 私は中野四葉と申します! 好きな食べ物はみかん、好きな飲み物は炭酸ジュース全般でーす! よろしくおねがいしますっ!」
「違いますよ六海!? さっきのアイコンタクトは純粋に応援していただけで、他の姉妹のフリをして自己紹介を乗り切れって意味じゃないですよ!?」
「で、でも私、こうでもしないともうこの空気耐えられない……うぷっ」
「ああっ、六海が吐き気をっ!? すみません先生! この子をお手洗いに連れて行ってもよろしいでしょうか!」
「わ、わかった……行ってきなさい」
ありがとうございます! という言葉を残して五月と六海は教室を出ていった。取り残されたクラスメイトたちには、とても居た堪れない空気が広がっている。
風太郎は窓の外の景色に目を向けながら、呆れたように呟いた。
「ほんと、騒がしい連中だな……」
そんな連中とこれからやっていかなくちゃならないという現実が、彼の両肩に重く伸し掛かっていた。
「頭良いって言ってたけど、こんなもんなんだ」
風太郎を見下ろす少女――中野三玖の目から興味の色が急速に失われていく。
彼女から呼び出されて訪れた屋上で、風太郎は三玖が歴女であり、戦国武将マニアであることを知った。
それを利用して、何とか彼女を家庭教師の授業に引っ張り出そうとしたのだが、結果はご覧の通りである。風太郎は、三玖が好きな石田三成の逸話を知らなかったのだ。
「やっぱり教わることなさそう。バイバイ」
風太郎を置き去りにして、三玖は階段を降りていく。風太郎は知識で敗れたことが相当ショックだったのかその場に呆然と立ち尽くしているが、そんなの三玖の知ったことではない。
教室に戻ろうと廊下を歩いていると、そこで涙ぐむような声が三玖の耳に届いた。
「ふぇぇ……三玖姉ぇぇ……」
モロに知り合いというか、妹の六海だった。実の妹が学校の廊下でグスグスと泣いている姿に、流石の三玖も動揺を隠せない。
「ど、どうしたの? お腹でも痛い……?」
「教室に帰れないんだ……もうすぐ授業始まっちゃうのに……」
三玖は思わず苦笑してしまう。六海は黒薔薇女子の入学式でも迷子になっていたが、転校先でも再び迷うとは。方向音痴というレベルを軽く超越している気がする。
「五月と同じクラスだったよね。こっちだよ」
「ありがと三玖姉……」
「うん……六海は転校してきたばかりだし、ちょっとずつ覚えていこう」
将来が些か不安な妹の手を引いて、三玖は教室に向かう。
自由奔放な四葉と生真面目な五月に対して、六海は色んな意味で危なっかしくて放っておけない。それが三玖の妹に対する評価だった。
「そういえば三玖姉。さっきまで上杉風太郎と一緒にいなかったか?」
「えっ……」
どうやらさっきまでの光景を見られてしまったらしい。一部始終を聞かれていたわけではないようだが、それでも三玖の血の気が引くには十分だった。武将好きは、姉妹にも秘密にしていることだから。
顔を伏せる三玖に対し、六海は目を輝かせている。
「話の全容までは聞き取れなかったが、あの男を打ち負かしている雰囲気は伝わってきたぞ! やっぱり三玖姉は凄いなっ!」
「あ、うん。まあそんなとこ……かな」
六海が勝手に納得してくれていたので、三玖もそれに乗っかっておくことにした。
「やはりそうか! 三玖姉は私達の中で一番頭が良いもんな! 私もあの男に勝てるよう精進しなければなるまい……!」
高笑いを上げながら廊下を駆け出す六海。あっ、と三玖が声をかけるがもう遅い。
「そっちは教室とは反対……」
結局六海が教室に辿り着いたのは、授業開始時刻ギリギリだった。
「待っていたぞ、上杉風太郎よ! 私はこの運命の邂逅を待ちわびていた! 貴様とは敵同士とはいえ、今は不測の事態。さあ、共に手を取り合い、この窮地を脱しようではないか!」
「……」
「お、おい! 無視して通り過ぎようとするなっ!」
「……なんだよ六海。俺は今猛烈に疲れてんだよ」
その日の放課後。
三玖に再び戦国クイズで勝負を挑むために図書室に篭もっていた風太郎は、その帰りに変な女と遭遇した。
右目には眼帯を装着し、腕に巻いた包帯を靡かせる中野姉妹の六女、中野六海である。
「フッ、哀れだな上杉風太郎。三玖姉ぇに敗れたらしいじゃないか」
「ぐっ……」
痛いところを突かれ返す言葉もない風太郎である。
だが、何故六海がその話を知っているのだろう。三玖が姉妹に歴女であることを隠している。いくら風太郎を打ち負かしたとはいえ、それを言い触らすとは思えない。
そう問いかけると、今度は六海が痛いところを突かれたかのような呻き声を上げた。
「うっ。じ、実は昼休みの時間、校内を見て回っていたら迷子に……じゃない! 私の力が強大過ぎる故に、校舎の方が耐えきれなかったようでな。そこで迷宮探索に勤しんでいる最中、偶然二人を見つけたのだ。その後三玖姉ぇに教室まで送ってもらったぞ」
「……」
いくら転校してきたばかりとはいえ、そこまで複雑でもない校内で迷子になるものだろうか。風太郎は六海の将来が割と本気で心配になった。
「そうかよ。それは大変だったな。じゃ、俺はこれで」
「だ、だから置いていこうとするな! 貴様、今の話を聞いて何も思わんのか!?」
「置いていくも何も、今日は家庭教師の日じゃないだろ? 荷物もあるし、とっとと帰りたいんだが」
風太郎はカバンの中に、大量の歴史書を押し込んでいた。これも全て、三玖をギャフンと言わせる為である。
家庭教師の仕事がない今日、風太郎は今すぐ帰宅し、全ての書籍を読み込むつもりであった。六海に構っている余裕など皆無である。
「え、えっと、その、だからな……。なんていうかだな、その……」
「言いたいことがあるならさっさと言いやがれ。こっちは今気が立ってんだよ」
「……お、お家に帰れないのだ」
「……………………はあ?」
心の底から軽蔑するような声が、思わず出てしまった。
「し、仕方ないだろう! 私は今日初めて登校したのだぞ!? 朝は江端さんに送迎してもらったから通学路なんて知らないし!」
「ケータイくらい持ってんだろ。自分で調べろよ」
「……授業中ゲームで遊んでたら、バッテリー切れちゃった」
「お前って奴は本当に……!」
「あっ!? ちょ、痛い痛いっ! だから眼帯を引っ張らないでっ!」
ただでさえ三玖に辛酸を嘗めさせられてご立腹状態の風太郎は、更なる苛立ちを覚えた。
またも手を放し、眼帯を叩きつける。
「ぴぎゃあ!? 目がぁぁっ!」
「というか他の連中はどうした。一緒に帰ればよかったじゃねぇか」
「ふ、ふふ……私だけ遅れて転校してきたからか、部活動の勧誘がしつこくてな……。私を置き去りにして先に帰ってしまったのだ……」
ちょっとだけ可哀想だった。
だが、遅れて転校してきたのも結局のところ彼女の自業自得なので、同情の余地はなかった。というか他の姉妹も、まさか六海が一人で家に帰れないほどのポンコツだとは思っていなかったのだろう。
「そういうわけだ上杉風太郎! 私を家まで送り届けてくれ!」
「じゃあな」
「うぁっ!? ま、待ってよっ! 家庭教師のくせに可哀想な生徒を見捨てるのかっ!?」
「うるせえええっ! こっちはやらなきゃいけないことが山ほどあんだよ! 問題児に付き合ってられるか!」
「問題児!? ひ、ひどすぎるっ! 父上に言いつけるぞこの薄情教師!」
「ああどうぞご勝手に! お前の親父さんも娘の阿呆っぷりに涙が止まらないだろうよ!」
睨み合う二人。なお六海の方は完全に涙目である。
溜め息を吐いてから、風太郎は六海を無視してずんずんと歩き出した。
「……」
「……」
「おい、なんでついてくるんだ。どっか行け」
「つけているわけではない! たまたま行き先が同じなだけだっ」
「じゃあ、お前が先に行けよ」
「な、なんでそんな酷いことばっか言うのだ! 私に意地悪してそんなに楽しいか!?」
「はあ、この際だからはっきり言うけどな──」
俺はお前らに必要以上に干渉するつもりはない。
そんな拒絶を風太郎は突きつけようとした。
だが、その直前に六海が発した一言に、風太郎は固まってしまった。
「私にはお前が必要なのにっ!」
瞬間。
風太郎の脳裏で、あの日の景色がフラッシュバックする。
“──私には、君が必要だもん。”
京都で出会った、長い髪の女の子。
頑張ろうねと誓い合ったあの子の姿が。
どうして、この
「ふんだ! もういい! 貴様に頼んだ私が愚かだった! お巡りさんに道教えてもらうもんね! バーカバーカ!」
「いや、高校生の迷子とか迷惑すぎるだろ。警察も慈善事業やってんじゃねぇんだぞ。……仕方ねえな、俺が送ってやるよ」
「もうお前には頼らない! 家庭教師しに来ても受けてやらないからなっ! …………え? 今なんて?」
「だから、送ってってやるっての」
六海はパッと笑顔になったかと思うと、素直に喜んでしまったのが恥ずかしかったのか、ハッとなって咳払いをした。
「んんっ。フッ、やはりこの私の圧倒的なカリスマの前では、貴様も折れるしかなかったようだな。で、でも、一応礼は言っておくぞ。そ、その、ありが──」
「その代わり、お前も少しこの本を持ってくれ。重くてかなわん」
「う、うわっ! 重っ!? これ何冊あるんだ!?」
「ざっと三十冊ってところだな」
「さんじゅう……!? 貴様、馬鹿じゃないのか!?」
「お前らだけには馬鹿って言われたくねぇぞ!?」
上杉風太郎と中野六海。
何もかもが正反対な彼らの物語は、ここから始まる。
大人になってからも夢に見る──とんでもない悪夢の物語だ。