「裁判長、私はこの男に我が家への今後の出入り禁止と家庭教師の契約破棄を申し出るわ」
「私は上杉被告に、妹さんの連絡先とカレーのレシピの提供を追加要求します」
「まあまあ二人とも落ち着いて。まずは状況を整理しようよ」
(……俺はこの状況が何なのか教えてほしい)
目を覚ました風太郎の目の前に広がるのは
風太郎から見て右手の検察側には二乃と五月が。左手の弁護側には三玖と六海が座り、風太郎の反対側には裁判長といった面持ちで一花が鎮座している。四葉は部活の助っ人で欠席のため、被告人はもちろん風太郎だ。
「整理も何も、これ以上ない物的証拠がここにあります」
一花の窘めるような言葉に対し、五月は屹然とした態度でスマートフォンの画面を差し出す。そこには倒れ込む風太郎と六海の姿がバッチリと映っていた。撮られていたのかと風太郎は一気に冷や汗が吹き出すが、それでも冤罪を主張する。だが、こんな写真を突きつけられてしまってはどんな言葉も言い訳にしか聞こえないだろう。
「これは家庭教師という立場を利用した、大変悪質極まりない犯行だと思います」
「よりにもよって気の弱い六海を狙うなんて……! アンタだけは許さない!」
五月と二乃の怒気を含んだ言葉に風太郎は閉口するしかない。特に二乃の怒りは凄まじく、当事者以上の憤りっぷりだった。
逆に当事者の六海は二乃のジャージを羽織ってテーブルの隅で俯いている。五月たちは傷心状態の彼女をそっとしておこうと決めたのだが、実際はその真逆だった。
(あわわわわ……! なんか大変なことになっちゃったぞ……!)
傷心どころか、彼女は予想だにしていなかった事態にパニックを起こしていた。
何故なら、彼女の中でこの問題は、風太郎に一撃をお見舞いした時点で解決しているのだから。
そもそも風太郎があの状況で自分に劣情を催すなんてありえない。むしろ転落しそうになった自分を助けようとしてくれたことは明白だ。それなのに、ちょっとした不慮の事故で動転してしまった。その上暴力を行使してしまった自分に罪悪感を覚えてすらいる。
と、こんな感じのことを姉たちに提言できればよかったのだが、怒髪天を衝く勢いの二乃を前にして発言する勇気は残念ながら六海にはなかった。
「異議あり。フータローは悪人面だけど、そんなことをする人じゃない」
沈黙を貫く六海とは裏腹に、二乃たちに異を唱えたのは三玖だった。
彼女自身が風太郎を部屋に招いたのは記憶に新しいし、何よりインターホンに記録が残っているだろう。風太郎が財布を忘れ、それを了承した三玖が彼を家に通した。これは紛れもない事実であり、その後のことは不運な事故なのだと彼女は主張する。
「へぇ、じゃあこいつが六海の胸を揉んだのも不幸な事故ってわけ?」
「え……。そうなの、フータロー?」
「い、いや、その……まあ」
三玖は小さく「胸……」と呟いた後、ボンッと赤面して、頬を膨らませた。
「やっぱり有罪、切腹……!」
「三玖さん!?」
唯一の味方だった三玖も向こう側についてしまい、いよいよ風太郎は追い詰められる。
もし正直に事のあらましを話したとしても信じてもらえる可能性は低いだろうし、そもそも事故とはいえ女の子に対して失礼を働いてしまったのは覆しようのない事実だ。デリカシーに疎い風太郎でも、それくらいは分かっている。
だが、こんなことで家庭教師を首になってしまうのだけは避けなければならない。無意識のうちに姿勢が土下座に向かい始めていた──その時。それまでだんまりだった六海が突然立ち上がり、大声を上げた。
「待ってくれ二乃姉! これは三玖姉の言う通り、不幸な事故なのだっ!」
「事故って、アンタはそれで済ませていいの!? コイツは──」
「そう! 我が右目に宿る六芒星の魔眼が暴走してしまったのだ!」
「………………は?」
ぽかんとした様子の二乃。それに構わず六海は続ける。
「月満ちる夜が訪れる度、この眼には月光の魔力が溢れてしまう……! 普段なら抑え込むことが可能なのだが、時偶魔力が暴発してしまうのだ!」
「最近は満月が綺麗だもんねー。昨日も一緒にベランダで見たもんね」
「い、一花姉! それは今関係ないだろうっ!? え、えっとだな……だから、その……上杉風太郎は、私の
「六海……」
風太郎には、六海が何を言っているのか一ミリも理解できなかった。だがそれでも、彼女が彼女なりに自分を庇おうとしてくれているのだけは何となく分かった。一体どれだけ不器用なのだろう。
「まあ六海ちゃんがこう言ってることだし。許してあげたら?」
「六海本人が納得しているのであれば、やむを得ません……」
「そもそも、フータローにそんな度胸はないと思う」
「ちょ、ちょっとアンタたち!? なに勝手に話を終わらせようとしてんの!?」
解散ムードが漂い始めた姉妹たちに、今度は二乃が異を唱える。
「本人が許したからって、私達が『はいそうですか』って認めていいはずがないじゃない! 六海は私達の大切な──」
「そうカッカしないでよ二乃。私達、昔は仲良し六つ子姉妹だったじゃん」
「……っ! 昔は、って何よ。これじゃ私だけが……!」
吐き捨てるように呟いてから、二乃は部屋を出ていってしまう。
風太郎は助かったと一先ず安堵するが、同時に小骨が喉に引っかかるような罪悪感を覚えた。
「はあ、やっと帰って勉強できる……」
そのまま流れ解散となり、風太郎はエレベーターの到着を待っていた。すると、背後からドアが開く音が小さく響く。
ドアの陰から顔だけを出してこちらに目を向けているのは、眼帯少女の六海だった。
「六海か。さっきは悪かったな……それに、助かった。お前が庇ってくれなかったら、どうなっていたか」
風太郎が頭を下げると、六海は玄関から出てきて、彼女も頭を下げた。
「こ、こちらこそすまない。その……動転して、つい武力行使に出ちゃったからな……」
まさか謝られるとは思っていなかったので風太郎は目を丸くする。
「……お前ってもしかして、結構いい奴なのか?」
「なッ、どういう意味だそれは! 私はあくまで取引を果たしただけであって、貴様の味方になったつもりはないからなっ!」
「取引……ああ、そういうことか」
二乃に見つかる直前、確かに風太郎と六海は一つ取引を交わした。助けてもらう代わりに何でも一つ言うことを聞く、というものだ。まさかまだ有効だったとは思ってもいなかったので、風太郎は思わず苦笑してしまう。
「どちらにせよ、助かったのは事実だ。それじゃ、俺に命令してくれていいぜ」
「ふむ。生憎だが、今この場ではタイミングが悪い。また今度お願いすることにする」
「そうなのか? まあ別に構わないが」
風太郎は適当に返す。そもそもの話、風太郎にできることなんて勉学を除けばたかが知れているのだ。だからこそ彼は、あまりにも楽観的に考えていた。何でも聞くという命令の、その重みを。
「……で、なんでお前もエレベーターに乗り込むんだ? ここで解散の流れだったろ」
「二乃姉ぇ、鍵持たずに飛び出しちゃったから。迎えに行くのだ」
「そりゃ、向こうからしたら開けてもらうのはバツが悪いわな……」
そして同時に、マンションのオートロック前で二乃と鉢合わせになることが確定する。さっきまでの険悪な雰囲気を引きずったまま相対するのは、鈍感な風太郎ですら居た堪れない心地だった。
エレベーターの液晶パネルに刻まれる数字が少しずつ減っていく。加速度を感じながら、無言なのも気まずいので風太郎は話題を振ることにした。
「さっき一花が言ってたよな、昔は仲良し六つ子だったって。それはつまり、今はそうじゃないってことか?」
風太郎の問いに、六海は何言ってんだこいつという表情を隠そうともしない。
「私達は今でも仲良し姉妹だぞ。自慢じゃないが、私はお姉ちゃんたちと喧嘩をしたことがないからな」
ドヤ顔で胸を張る六海である。
それはお前が馬鹿すぎて喧嘩する気も失せるだけなんじゃ……という言葉を風太郎は飲み込んだ。
「一花姉ぇが言っているのは多分、そういうことじゃなくて──」
六海のその先の言葉は、エレベーターの無機質なアナウンスに遮られてしまった。ガチャンと扉が開く。どうやら一階に到着したらしい。
「あ、二乃姉っ!」
オートロック越しに二乃の姿を確認し駆け出す六海。その姿はそっくりなはずなのに、二乃と比べてやけに幼く見える。
そんな彼女の声に気付いて二乃はパッと笑顔で振り返り、風太郎の存在に気付くとうげっと顔を顰めた。
「なんでアンタがいるわけ……?」
「悪かったな、出口がここしかないもんでよ」
「なにそれ。嫌味のつもり?」
長い髪を靡かせて風太郎を睨みつける彼女の目に迷いの色は皆無である。風太郎のことを受け入れるつもりも認めるつもりも微塵もないようだ。
「に、二乃姉ぇ! 私がエレベーターを抑えているうちに、早く乗り込むんだ! こいつ、私の連打速度の上をいくぞ……!」
六海はエレベーターのボタンを外側から連打している。中に乗り込んで開くボタンを押し続けていれば扉が閉まることはないというのに。
「何をやってるんだアイツは」
「……アンタ、随分と六海に懐かれているみたいじゃない」
風太郎が呆れたように呟くと、二乃がそんなことを言った。
「はあ?」
その言葉に、風太郎は困惑を隠しきれない。
──懐かれてる? 俺が? 六海に?
むしろ真逆だろう。見当違いも甚だしい。三玖や四葉との方がよっぽど上手くやれている。
「あの子は初対面の相手だと、アガっちゃってまともに話もできないのよ。それなのに、アンタに対しては普通に接している」
「普通……? あれが?」
「……ちょっと変わってるところもあるけど。でも、あの子は優しい子よ」
だから、と。
二乃は語気を強めて、風太郎に釘を刺すように言った。
「──あの子を傷付けたりしたら、私はアンタを絶対に許さないから」
鋭い双眸が風太郎を射抜く。
その目の色を、風太郎はよく知っていた。というより、よく理解していた。
妹を大切に想うその心は、彼も同じように持ち合わせているから。
つまり中野二乃は──他の姉妹のことが大好きなのだ。
「……六つ子って面倒くせぇな」
エレベーターに乗り込む同じ顔の少女たちを見ながら、改めてそう思った。