お弦さんといっしょ   作:とりなんこつ

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第3話

 

 

 

 

 

 

 

 

額に絆創膏を張り付けて出勤すると、行き交う職員たちにジロジロと見られた。

 

「うわ、司令、どうしたんですか、それ」

 

指令室へ入るなり、さっそく藤尭にもそう言われる。

 

「出がけに階段で転んだと言っているのだが、誰も信用せん」

 

ぶっきらぼうに弦十郎は答える。

 

「そりゃそうでしょうよ。そんなの階段の方を心配しなきゃいけない話でしょ?」

 

「おい、それはどういう意味だ?」

 

「どうもこうも、そのまんまの意味ですが…」

 

藤尭と不毛なやりとりをしていると、肩を怒らせた友里が入室してきた。

 

「司令ッ! 早朝に雪音さんが泣きながら司令のマンションから飛び出していったとの報告が上がってますが、いったいどういうことですッ!?」

 

「お、さっそく夫婦喧嘩ですか」

 

茶化した藤尭は、友里の一睨みで沈黙。ついでアゴで外へ行くよう指示され、広げていた書類をまとめて慌てて退室して行く。

 

「そうか、クリスくんは泣いていたのか…」

 

「何をやらかしたんですかッ!?」

 

友里は完全に詰問口調。

 

「心外だな。お盆で額を殴られたのは俺の方だぞ?」

 

額を指さして見せる。傷は決して深くないのだが、出血があった。

自宅に小さな絆創膏がなかったので、大は小を兼ねるとばかりに少し大きめなものを貼っているため、大袈裟な見た目になってしまっている。

 

「だったら、何がどうなってお盆で殴られる羽目になったんです!?」

 

「別に何もしてやせん」

 

正直に弦十郎は話す。

 

「ただ、夕べは二回も寝ぼけて俺のベッドに入ってきたからな。やはり子供だと…」

 

ずおおおおおおおっと、物凄い排気音がした。

空調の故障かと思ったら友里の溜息だった。

 

「司令……」

 

コメカミと肩がぴくぴくと痙攣している。

よくわからないが、友里は怒っている様子。

 

「雪音さんと結婚したんでしょう!? いったい何をしているんですかッ!」

 

「そうはいうが偽装だろう? それにまだ籍は入れてないぞ」

 

未成年は婚姻届を出すには父母の承諾が必要になる。

両親が鬼籍入りしているクリスは、後見人は弦十郎である。

単純に婚姻届に名前を書いて出すことに、なんら問題はない。

だが、今回の案件は、国益の絡むデリケートな問題に発展する可能性がある。

なので弦十郎は兄である八紘に婚姻届に関わる諸々の手続きと判断を委ねていた。

クリスと結婚するとの発案に、珍しく兄は驚いた顔をしたが、『悪いようにはしない』と確約してくれた。

その反応を見るに、決して拙い対策ではなかったと思う。

 

「それに体裁を繕えといったのは友里ではないか。夫婦ということで一緒に住んでいる形にすれば、一応外聞は立つと思うのだが…」

 

「…本気でそう思ってます?」

 

「ああ」

 

また凄まじい排気音が響く。

居住まいをただして、友里が聞いてきた。

 

「司令は雪音さんのことをどう思っていらっしゃるのですか?」

 

「うん? 可愛らしい良い娘だと思っているが」

 

同時に激しく不憫な子で、ずっと見守ってやらねばならぬと心に決めているが、それは友里には伝えるつもりはない。

 

「だったら…ッ!!」

 

勢い込んで友里は何か言いかけて、中断。

 

「おい、言いかけて止められると気になるのだが…」

 

物凄い目つきで睨まれた。

 

「司令。雪音さんは子供ではありません。結婚したからには、きちんと一人前の大人として接して上げて下さい」

 

「だが、実際クリスくんは17歳の子供だろう?」

 

そう返すと、友里が満面の笑みを浮かべた。背筋が凍りつくような肉食獣の笑みだった。

 

「では、 淑女(レディ)として扱って上げて下さい」

 

淑女(レディ)とな」

 

正直、娘と淑女の意味の区別がつかなかったが、曖昧に頷く。

 

「いいですか、司令。今日中に、雪音さんに謝って関係を修復すること。そして少なくとも、夫婦らしく常日頃から振る舞うように努力をして下さい」

 

「だから、結婚といえど、いわゆる偽装で…」

 

「敵を欺くにはまず味方からっていうでしょッッ!」

 

「…良くわからんが、分かった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夕方、弦十郎は私立リディアン音学院の前の道路に居た。

目的は、クリスとの和解。

友里の迫力の押されたわけではないが、司令に着任して以来、初めて有給を使わされてしまった。

放課後になったらしく、校門からぞろぞろと女生徒たちが出てくる。

クリスはまだかと眺めていると、小走りで近づいてきた女生徒から声をかけられた。

 

「なにやってんですか、師匠」

 

「響くんか」

 

立花響だった。隣にいる小日向未来もぺこりと頭を下げてくる。

 

「なんかサングラスをかけた厳つい大男がいるって、学校の中で騒ぎになってますよ?」

 

「む…」

 

響に指摘され、弦十郎はかけていたサングラスを外して仕舞った。

自分的には変装のつもりだったが、あまり意味はなかったようだ。

 

「ちょいとクリスくんに用があってな」

 

「あれ? でも今日は特に訓練の予定とかないですよね?」

 

「うむ。いわゆるプライベートな用事というヤツだな」

 

「ッ! もしかしてデートですかッ!?」

 

瞬時に前のめりになる響に苦笑した。

ふむ。

夫婦でもデートはするものなのかな?

友里のやりとりが頭に残っていた弦十郎はそんなことを考えている。

 

「あ、でも、今日のクリスちゃん、なんかものすごーく落ち込んでたから、デートに誘ってもどうかなー」

 

「そうじゃないよ、響」

 

響の制服の袖をひっぱりながら未来。

 

「弦十郎さん。どうかクリスを慰めてあげて下さい」

 

未来の言葉に弦十郎は括目する。

そうだ、そのために俺は来たのだ。

 

ふと、視界の端で何かが動いた。

急いで視点をフォーカスすると、見慣れて、かつ特異な髪型が、くるりと回れ右して校舎の中へと戻って行くところ。

 

「クリスくん、待ってくれッ!」

 

いうなり弦十郎は疾駆する。

颶風が走り、響たちを始めとした女生徒たちが「きゃッ!」といいながら一斉にスカートの裾を押さえたが、頓着している暇はない。

巨体に似合わぬ俊敏さを発揮し、女生徒たちの間をすり抜け、リディアンの校舎内に至る弦十郎。

見回せば、クリスの長い髪の先端が階段を駆け上っていくところ。

急いで階段の下に向かえば、吹き抜けに揺れるクリスの髪は既に三階分は上にある。

さすが装者、良く鍛えているッ。

感嘆を漏らしたのもつかの間、弦十郎は跳び上がり、階段の手すりに手をかけた。

そのまま吹き抜け部分を通り、一階分を一足で垂直跳躍。

上でクリスが、

 

「そんなの反則だろッ!?」

 

と叫ぶ声が聞こえたが、一気に弦十郎は階段を跳び昇る。

最上階に達すると、クリスはちょうど屋上へと飛び出して行く。

転落防止用のフェンスが設置されている屋上に、もはや逃げ場はない。

それでもフェンス際まで逃げるクリスに、一気に弦十郎は肉薄。

細い両腕を掴まえる。

 

「クリスくんッ!」

 

「離せッ! 離せよッ、痛いってッ!」

 

「す、すまん」

 

腕を離し少し距離を取ると、クリスが涙目で睨んできた。

 

「…そんなに痛かったか?」

 

「ちげーよッ!」

 

「では、泣き止んでくれ。俺の心が痛い」

 

「あたしの心の方がずっと痛いよッ!」

 

「もしかして、朝からずっと泣きっぱなしか?」

 

「…うるさいッ! あたしを子供扱いするなッ!!」

 

クリスがフェンスを蹴り上げる。

 

そうか。やはり子供扱いしてしまったことに怒っているのか。

ならば、態度を改めて、今後は友里の言うところの淑女扱いを徹底せねばなるまい。

 

そう心に定めたあと、弦十郎は覚悟を決めた。

クリスを前に、コンクリートの床に正座。

続けて額を強く床へと打ち据える。

鈍い音が鳴り響き、さすがにクリスも驚いた顔でこちらを見た。

 

「すまん。クリスくん、この通りだ」

 

「な、なんだよ、おっさん。なんのつもりなんだよ…」

 

弦十郎は顔を上げた。額の傷からまだ血が出たらしく、視界の半分を赤に染める。なに、構うものか。

 

「俺はこの通り無骨な男だ。おまえを怒らせてしまったことに対し、どう慰めていいかわからない。だからこうやって謝意を示すしかないのだ」

 

「そんなの…止めてくれよ」

 

「いいや。止めない。おまえが許してくれるまで。おまえがまた俺の家に戻ってくれるまで」

 

同情を求める言い回しの裏には、政治的な打算が存在する。

クリスくん。

俺はおまえの立場をただ弄んでいるだけかも知れない。

それが悟られるのが嫌で、弦十郎はまた頭を下げて見せた。

 

「わかったよ、おっさん。顔を上げてくれ。あたしが聞きたいことに答えてくれたら…許すかどうか考えるから」

 

「そうか。なんでも聞いてくれ」

 

弦十郎がそう答えると、クリスがスッと息を飲んだ気配。

少しだけ静かな、それでいて緊張した時間を挟み、クリスは問うてきた。

 

「じゃあ…おっさんはあたしのことどう思っているんだ?」

 

いつの間にか夕日を背負い、クリスは赤く染まっている。

 

「心より大切だと思うし、(いとお)しく思っているぞ」

 

弦十郎は迷わず即答した。

クリスの不憫な過去に対し、弦十郎は責任を負っている。少なくともそう自負している。

そんな一度は手が届かなかった不幸な子が、こうやって幸福な学生生活へ立ち返っている。

そのことを弦十郎は心より大事であり大切に思っている。

また、そんな過去を抱えたまま強く生きて行こうとするクリスの心根こそ(いとお)しく、本当に可愛らしい娘だと思う。

 

逆光になってその顔の表情は窺えない。

しかし、クリスの声は薄闇の降りつつある屋上に静かに響いた。

 

「…ならいい。許す」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスを伴い、階段を降りる。

額の傷はクリスのハンカチを借りて左手で押さえていた。

空いた右腕のシャツの裾を、クリスが抓んでいる。

多少歩きづらいが、まあ問題はない。

リディアンの校舎の一階には、なぜか響を先頭に女生徒がたむろしていた。よくよく見れば月読調と暁切歌の姿もある。

 

「あ、師匠ーッ! クリスちゃんもッ!」

 

響が駆け寄ってきた。

 

「不肖、立花響、二人の邪魔をしないよう、ここで防衛戦を構築していましたッ!」

 

背筋を伸ばし、敬礼してくる。

苦笑して、弦十郎も「うむ、ご苦労」と言葉を返す。

 

「それでそれで!? 屋上で二人は一体何をしてきたんですかッ!?」

 

興味津々の瞳。それが無数の女生徒たちのものとなると、弦十郎をしてたじろいでしまう。

それでもどうにか体勢を維持したまま、袖を握り続けるクリスを見る。

顔を伏せ、ずっと俯いている格好からして、彼女からコメントを得るのは難しそうだ。

そう判断し、

 

「少しばかり仲直りをしてきただけだ」

 

と答える寸前、弦十郎は思い直す。

外部に対し虚偽を示すためとはいえ、必要なのは確かに体裁だ。

であれば、やはり身内にこそ、その体裁を周知させていた方がいいのではないか。

敵を欺くにはまず味方から。

友里の助言は、まさに至言なのだろう。

だから弦十郎はこう答える。

 

「実は、クリスくんと結婚してな」

 

一瞬の沈黙。

直後、私立リディアン音学院の校舎は揺れに揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は完全に蛇足になる。

弦十郎の土下座を敢行した屋上は、亀裂が修復されたにも関わらず、ずっと歪みが残った。

その不可思議さと共に、一種の伝説として、長くリディアン女子の間で語り継がれることになったという。

 

 

「でさ、屋上のその窪みのとこで土下座して告白したカップルは、永遠に結ばれるんだって~」

 

「へえ~、ロマンティックだね☆」

 

「ロマンティック、うん……うん?」

 

「ってゆーか、ここ、女子高だよね? ね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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