お弦さんといっしょ   作:とりなんこつ

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第5話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二課に所属する前から、彼女の噂は聞いていた。

若くして独自の聖遺物制御理論を確立した才媛。

天才特有の気難しさを兼ね備えている人物かと思った。

しかし実物は至ってフランクな気質の所有者で驚く。

天衣無縫とも思える振る舞いと無謬性に弦十郎は強く惹かれた。

同じ組織で働くようになってからは、立場的に頻繁に会話を交わすようになる。

二人きりで残業もこなすことも稀ではなく―――果たしてどちらから先に食事に誘ったのか、良く覚えていない。

それからプライベートでも顔を合わせるようになり、やがて同じ日に休日を取るようになった。

自分の抱いていた感情は、きっと彼女も共有してくれていたと思う。

でなければ、無骨一辺倒の朴念仁の前で、あれほどコロコロと笑うことはなかったはずだ。

いずれは気持ちを打ち明け、ケジメをつけ、一緒になろうと考えていた。

しかし、あの日の出来事が全てを変えてしまった。

 

ライブ会場の惨劇。

死者、行方不明者の総数、12874人。

ツヴァイウイングは片翼を失い、立花響はその後の人生を大きく捻じれさせてしまう。

 

その陰に、二課の指揮によるネフシュタンの起動実験があったことを、弦十郎は司令として重く受け止めていた。

フィーネの干渉が存在したことが判明したのちも、その悔悟は弦十郎を苦しめた。

膨大な残務処理と並行に、弦十郎は己も強くなりたいと願う。

組織の長なのに何もできず、不甲斐ない思いをするのは二度と御免だ。

事件後、彼女もより研究へと邁進するようになった。

おそらく、彼女も同じ気持ちだったのだろう。

互いに己の職務に邁進し、会えず、すれ違う日々が募る。

そうやって開いた距離は、決定的な断絶には至らないものの、曖昧に過ぎていく。

その果てに、彼女―――櫻井了子はフィーネへと覚醒した。

薄々彼女の暗躍に気づいていたが、信じたくなかった。

だが、真実が現実となったとき、弦十郎は彼女の前に立ち塞がった。

己の手で引導を渡すつもりだった。しかし―――。

 

 

その挙句が、この様か。

 

 

腹部に熱い痛みを感じながら、弦十郎は思う。

フィーネと化したはずの彼女が一瞬見せた表情。

躊躇いがそのまま隙となり、返り討ちに会ってしまった。

 

本来の彼女の人格は、フィーネが内々で覚醒すると同時に十数年かけて喰らい尽くされたという。

それは本当だったのだろうか。

俺が惚れて惹かれた彼女は、櫻井了子ではなくフィーネだったのだろうか。

 

弦十郎は手を伸ばす。

暗闇に浮かぶ彼女の手を取り、問い質したかった。

しかし、彼女の幻影は儚く消える去るのみ。

守るために鍛えたその手も、ただ空しく宙を掴む。

幾度も繰り返す、悲しい夢。

そう、これはいつもの夢だ。

そう自覚し、弦十郎は更なる眠りの深みへと―――。

 

 

ッ!?

 

 

手を掴まれた。

確かな力を込めて。

だが、違う。これは彼女の手ではない。

では、この手は誰の―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで弦十郎は目を覚ました。

白い光が瞼を刺す。

規則的な機械音と、消毒液の匂いにうっすらと悟った。

どうやら俺は病室に寝かせられているらしい。

はて、何か病気を患うようなことがあったろうか?

記憶を辿ろうとする寸前、まず右手の温もりに気づく。

小さな手だ。

それが自分の手をしっかりと握っている。

そして手の持ち主は、ベッド脇に突っ伏すようにして眠っていた。

 

「クリスくん…?」

 

思わず呟くと、クリスは身じろぎした。

ぼんやりと顔を上げ、大きな瞳が焦点を結んだ瞬間、表情が一変。

 

「目ぇ覚めたのかッ!?」

 

「あ、ああ。たったいま」

 

弦十郎がそう答えた途端、クリスの眼から涙が迸る。

 

「あたしを未亡人にする気かバカ野郎ッ! この馬鹿ッ! バカッ! ばか…ッ!!」

 

ぽかぽかと胸板を叩かれる。

半ば小さな身体を受け止めるようにして、弦十郎は茫然とするしかない。

なんなんだ、一体。

困惑しつつ首を持ち上げれば、はだけた病院着の間から腹部へ巻かれた包帯が目に入る。

そうだ。俺は急な腹痛に襲われて…。

 

「司令! ご無事ですかッ!」

 

緒川を筆頭に、部下の面々が病室へと駆けこんできた。最後に、顔を青白くした風鳴翼が続く。

翼の姿を見たとたんに身体を離し、ぷいっと顔を背けるクリスが居る。

そんな彼女の態度も気になったが、とりあえず事情の説明を求める。

 

「急に倒れられたんですよ。覚えていませんか?」

 

「ああ、そういえば、いきなり腹が痛くなったな」

 

弦十郎が思い出していると、友里が目尻の涙を拭った。

 

「司令は盲腸だったそうで、一時は命も危ぶまれてたんですよ!?」

 

ここぞとばかりに力説されて、弦十郎は大袈裟なと苦笑する。

確かに盲腸も破裂して癒着したりすると命に係わる重篤になることは知っている。

しかし、自分が倒れたのは、現代科学の粋を集めたといっても過言ではないS.O.N.G.本部だ。

かの融合症例第一号であった立花響から、愚者の石を除去するほどの医療スタッフを揃えた人類の砦でもある。

それがたかが盲腸など…。

すると部下たちが一斉に顔を見合わせ、代表するように藤尭が前に出てくる。

 

「つーか、司令、メスの刃が立たない筋肉ってなんなんですか」

 

呆れ顔で言われてしまった。

 

「…ふむ。無意識で硬気功を使ってしまっていたやも知れん」

 

「そんな漫画みたいな超人技をデフォルトで使わないでくださいよ」

 

「おかげで、開腹しようにも医師たちもお手上げで」

 

「そこで、急遽、翼さんに帰国して頂きました」

 

部下たちが三人並んで口々に言ってくる。

 

「…翼が?」

 

手術出来ないことと、翼に何の関係があるというのだ?

察しが悪い弦十郎に嫌気がさしたのか、藤尭がぶっちゃける。

 

「メスが役に立たないから、翼さんの天羽々斬で司令の腹を切ってもらったんですよ!」

 

「なんだとッ!?」

 

「…よもや、叔父上の切腹をする羽目になるとは思いませんでした…」

 

疲労困憊といった体に、それでも笑顔を浮かべる翼が居る。

 

「だけじゃありません。猛スピードで帰国する間も、手術に対するレクチャーを受けて、翼さんはろくろく休んでないんですよ?」

 

「そ、そうか。すまん。ありがとう。どうかゆっくり休んでくれ」

 

弦十郎の声にゆっくりと微笑むと、翼はそのままふらふらと身体を翻そうとした。

だが、ふとその視線が弦十郎のベッドの脇に止まる。

 

「…どうして雪音がいるのだ? 他の立花たちはどうしたんだ?」

 

そういえば、身内である翼にはまだ伝えていなかったことを思い出す。

 

「それは…」

 

言い返そうとするクリスの機先を制するように弦十郎は言った。

 

「実は、俺はクリスくんと結婚してな」

 

「…え?」

 

翼の両目が見開かれ、視線がクリスと弦十郎を往復する。

それから、彼女はゆっくりとその場へと昏倒した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そんなに衝撃的なことだったのだろうか?」

 

クリスと病室に二人きり。

弦十郎は思い出したようにそう訊いてみた。

 

「そりゃそうだろうよ」

 

と、見舞いのリンゴの皮を剥きながらクリスが応じる。

 

「おっさんにとって先輩は姪御だろ? ってことは、け、結婚したあたしにとっても姪御ってことだッ!」

 

「そういうものか」

 

正直、よく分からん。

弦十郎は枕へと頭を預ける。

すると、さっきまでの喧騒が嘘のように思えてきた。

 

どうにか容態が落ち着き、まず見舞いに訪れたのは意外といっては何だが、レセプターチルドレンの三人だった。

弦十郎の病室に当然のように居座るクリスに、暁切歌も月読調も好奇心剥き出しの視線を送ってきたが、そこは年長者であるマリアが大人しく捌いてくれた。

見舞いの言葉とお土産を置いての去り際に、何事かをクリスに耳打ちしてマリアたちが辞していったあと。

何をいわれたのか? と顔を赤くしたクリスに尋ねたら「うるせぇ!」と怒鳴られてしまった。

まあ、マリアも結婚の話を二人から聞いていないわけはなく、大方結婚したことに対する祝いの言葉だったのでは、と弦十郎は見当をつけている。

 

次にやってきたのは立花響と小日向未来で、見舞いの品は花束だった。

マリアたちの持参した見舞いの果物を散々食い散らかした挙句、「愛しの旦那さまにクリスちゃんはやっぱり付きっ切りで看病するの~?」と明らかに揶揄する表情を浮かべた響は、冗談抜きで果物ナイフを持ったクリスに追い立てられ、這う這うの体で逃げ帰っている。

 

「ところでクリスくん。本当に病室へ泊まり込むつもりか?」

 

「…だめか?」

 

「いや、別に構わないが、学校に差し支えやしないか?」

 

そう答えると、弦十郎の口元まで持って来ようとしていたリンゴを自らの口で頬張ってしまうクリスがいる。

何やら急に機嫌が悪くなったようだぞ。

ごく短い同居生活から経験則を得た弦十郎だが、相変わらず理由はさっぱり分からない。

その時、病室のドアが開く。

不機嫌そのままにクリスは背中越しに叫んだ。

 

「もう見舞いの果物は弾切れだぞッ!」

 

おそらく響が意地汚く戻ってきたものと思ったのだろう。

すると、新たな見舞い客は、わずかに面食らったあと、眼鏡を中指でずり上げた。

 

「…邪魔をする」

 

「ッ!!」

 

振り向くクリスの視線の先には、風鳴八紘が立っていた。

 

「兄貴…」

 

そういえば、クリスは初対面であることを弦十郎は思い出す。

 

「クリスくん。こちらは風鳴情報官だ。そして俺の兄でもある」

 

「…ッ! は、初めましてッ! 雪音クリスですッ!」

 

ちらりと八紘はクリスを見て、

 

「丁寧な挨拶痛み入る。…苦労をかけるな」

 

それからベッドの上に書類袋を置いてくる。

 

「これは…?」

 

「おまえたちの婚姻届は受理された。そのことの証明書だ。他にやるべきことは追々伝えていく」

 

「病床でも暇だからな。やれることならやっておけるぞ?」

 

「…今はしっかり身体を休めろ。仮初にも死にかけたのだからな」

 

その兄の台詞に弦十郎は天啓を受ける。

クリスとの偽装結婚は成立した。

そしてその後、相手である俺の死も偽装したらどうなる?

さきほど怒鳴られたようにクリスは未亡人となるかも知れないが、今のような不自由かつ偽りの結婚生活を送る必然性もなくなるのではないか。

 

「兄貴、俺が死んだことに出来ないか? その方が良い。そうすれば…」

 

クリスは日本に所属する立場を維持したまま、自由に振る舞えるようになる。

そう続けようとする寸前、当のクリスから鳩尾にエルボーを落とされた。

一瞬呼吸を止められた弦十郎の胸倉を掴んで、クリスは噛みつくような勢い。

 

「ふっざけんなッ! 一回死にかけたのに、死んだ方が良いとか阿呆なこと言ってるんじゃねえッ!」

 

「…いや、だから、俺はお前のためを思って」

 

「やかましいッ! これ以上ガタガタ馬鹿なこと抜かすと、傷口に指突っ込んでこねくりまわすぞッ!?」

 

クリスの呼吸は盛大に乱れている。目尻には大粒の涙が浮かんでいた。

本気の、本心からの怒りだった。

さしもの弦十郎もその迫力に飲まれて口を噤んでしまう。

 

「返事はッ!?」

 

「わ、分かった」

 

「ならば良しッ!」

 

クリスと二人睨みあうというか見つめ合っていると、くっくっくと笑い声が聞こえる。

笑い声を上げていたのは八紘だった。

いつの間にかクリスは弦十郎に馬乗りになっていた。

ようやくそのことに気づき、顔を真っ赤にしながらベッドより飛び降りるクリス。

 

「弦。似合いの相手を見つけたかも知れんな」

 

そういってくる兄の顔は、久しく弦十郎が見ていなかった屈託の無い笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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