お弦さんといっしょ   作:とりなんこつ

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第6話

 

 

 

 

 

 

 

結局、わずか三日で弦十郎は退院し、現場へと復職した。

もともと手術の翌日には平気で歩き回る回復力をすれば、当然の結果だった。

弦十郎自身、フィーネに腹に風穴を開けられたときに比べれば大したことはないと思っている。

この異様な快復の影には、雪音クリスの献身的な看護があったのだ―――と主張するのは極少数派に留まる。

大多数が、風鳴弦十郎の規格外の肉体にさらなる畏怖を抱いたに過ぎなかった。

弦十郎が発令所へと足を踏み入れると、藤尭などは遠慮なく呟いたほどである。

 

「いやあ、本当に司令も化け物染みてきましたねー」

 

「なにを言っている。俺は至って普通の人間だぞ? ただ少々鍛えているだけだ」

 

弦十郎は笑いながら藤尭の背中をバンバンと叩く。

実はこの時、藤尭朔也の肩甲骨に亀裂骨折が生じている。

ただし、直ちに影響はない。

 

「それもこれも、雪音さんがつきっきりで看病してくれた結果ですね」

 

少数派を公言するように友里がそう声をかけてきた。

弦十郎は苦笑するに留めた。真面目な話、看病されたというのは大袈裟ではと思っている。

そもそもの弦十郎が術後に既に快濶だ。

だからクリスがしたことといえば、一緒に病室で病院食を食べ、オプションのDVDプレイヤーをテレビにつないで共に映画を見たくらいである。

色々と細かいことに心を砕いて世話をしてくれたのは感謝しているが、俺は大丈夫だから外で気晴らしでもしてこい! と告げても、学校へ行く以外は、ほぼ三日間頑なに病室から動こうとしなかった。

S.O.N.G.本部である次世代潜水艦の中には娯楽施設も設置されているというのに、遊び方も知らないのか、と弦十郎は不憫に思う。

一方で、病室のソファーで寝起きするクリスは、執拗に弦十郎の昔話を聞きたがった。

せがまれ、寝物語にするには他愛もない話をいくつか披露し、眠る。

病室で過ごした晩、彼女の夢を見なかったのは不思議だった。自分でも思いもよらぬほど良く眠れたことも。

そういう意味においては、心身の回復にクリスが一役買ってくれたであろうことは否定できないかも知れない。

 

「さあて、仕事だ、仕事をするぞッ!」

 

自らに気合を入れるよう、弦十郎は声を張り上げた。

病休中に仕事が幾つも溜まってしまっている。

組織の長であれば、全体の業務に常に目を配らねばならない。

上がってきた報告に疑問があれば、部下へ尋ね、時にはただし、明確に処理しなければならぬ。

そんな弦十郎は、保安部と調査部から提出された書類に違和感を覚えた。

多くのエージェントを抱えるS.O.N.G.に置いて、二つはいわば花形の部署だ。

直接的な戦闘力はシンフォギア装者たちに大きく譲るも、皆若く、歴戦の猛者たちばかりで構成されていた。

装者たちをバックアップし、日本の平和を守るため陰日向に奔走する彼らは、はっきりとした職業意識と誇りを胸に秘めている。

そんな防人たちが、どことなく精彩を欠いているように思われた。

弦十郎が書面からその違和感を読み取れるほど彼らが消沈しているとすれば、それは組織としても由々しき問題である。

さっそく弦十郎は直属の部下三人を呼び集めた。

己の抱いた違和感を説明すると、三人とも微妙な顔つきになる。

何か理由を知っているな。

そう察し、弦十郎は回答するよう厳命。

部下たちは顔を見合わせ、言いにくそうに友里が口を開く。

 

「…司令。実はシンフォギア装者たちは、職員たちに絶大な人気があるんですよ?」

 

幾多の奇蹟を起こし世界を救ってきた正真正銘のヒロインたち。

さもありなんと弦十郎は大きく頷いたが、友里は何とも言えない表情。

 

「すみません、たぶん司令が思っているのとはちょっと違って…」

 

友里の語るところによれば、それは英雄に対する崇敬のものではなく、むしろ偶像(アイドル)に対する声援に近いものがあるという。

 

「…どういうことだ?」

 

首を捻る弦十郎。

現在のS.O.N.G.の若い男性職員たちが抱く装者たちに対する感情を、イメージ化すると以下のようになる。

 

 

 

 

「やっぱりオレは響ちゃん推しだね。あの未完の大器のまま一点突破する爆発力がたまらん」

「何いってんだ? 翼さんの抜群の安定性と切れ味こそ至高だろうが」

「待て待て、そういう意味ではマリアさんが攻守ともに完成しているとは思えないか?」

「まだ将来の可能性を秘めていると言えば調ちゃん一択だろう常識的に考えて」

「僕は暁切歌ちゃん!」

「ちくわ大明神」

「誰だ今の」

 

 

※あくまでイメージです。

 

 

 

 

 

 

 

ふむ、と弦十郎は考え込む。

話を聞くに、連中がなぜ精彩を欠いているかは良く分からない。

が、装者たちをアイドルとして崇拝しているなら、至極簡単な解決法があるではないか。

 

「よし、クリスくんに頼んで、慰労会ということで歌でも唄ってもらうかッ!」

 

クリスがかつて学園祭のステージで見事な歌を唄い上げたことは聞き及んでいた。

それを若手職員の前で披露してもらえば、これ以上ないカンフル剤となるだろう。

装者と職員の交流時間を設け、相互理解を深めることもなかなかに妙案に思える。

どうだ、とばかりに周囲を見回すと、友里が「正気かよ」という眼差しでこちらを見ていた。

 

「あの…とりわけ雪音さんも人気があるのですが…?」

 

「そうなのか? うむ、ならばますますもって適任ではないか」

 

弦十郎がそう答えると、もわっと室内の空気が動く。

見れば、部下たち三人が同時に大きなため息をついていた。

藤尭が困惑しきった表情を浮かべながら言ってくる。

 

「ですからね、司令。若い衆の装者に対する感情は、いわゆるアイドルグループの推しメンに近いものがありまして…」

 

「推しメン? 何味のラーメンのことだ?」

 

弦十郎は首を傾げて見せると、藤尭は半ば泣きそうな表情になりながらも必死で食い下がってくる。

 

「つまり、連中の認識では、○○ちゃんはオレの嫁! みたいな感じで愛でるスタンスなんですよ。そこに、雪音さんをリアル嫁にしちゃった司令がそんなことを提案したらどうなると思います?」

 

正直、藤尭の喋っていることは半分も理解できなかった。

よって理解できる部分だけを咀嚼して弦十郎は答える。

 

「ははは、嫁といっても偽装だろう? だいたい、そんな気概がある人間がいるとは初めてきいたぞ。事前に申請してくれれば、クリスくんの結婚相手候補に推挙してやったのに」

 

部下たち三人は揃ってこちらに背を向けた。

額を寄せ合ってのひそひそ話が聞こえてくる。

 

「どうしてくれましょう? 個人的には処してやりたいくらいなんですけど」

「いっそ司令の好きにさせてやるか? そこで痛い目にでも会ってもらわにゃ」

「リアルで刺されそうですけどね」

「メスも立たない相手じゃ、全員返り討ちでしょ」

「下手をすれば組織が崩壊しますよ、これは」

「そんなことより、このことを雪音さんが知ったらどうなると思う?」

「…マジでS.O.N.G.は終わるかも知れないな……」

 

誰が誰の声だか分からぬが、なにやら物騒な内容である。

 

「おいおい、何を話しこんでいるんだ? そろそろ業務に戻ってくれ」

 

ぱんぱんと手を叩くと、振り返った三人全員から睨まれてしまった。

最近の友里はともかく、藤尭、緒川まで睨んでくるとは予想外である。

急に部下が反抗的な様子を示す理由も思いつかない。

やはり、病休などで三日も不在にしてしまった俺の不甲斐なさからくる不徳の故か…。

思考を明後日の方向に飛ばす弦十郎を、藤尭は呆れ顔で眺めていたが、自席のランプの明滅を見て一瞬で表情を引き締める。

 

「司令ッ!」

 

「どうしたッ?」

 

「通信要請が入っていますッ!」

 

「どこからだッ!」

 

「鎌倉の御前からですッ!」

 

発令所全体に緊張が走る。

旧風鳴機関の直系にして、S.O.N.G.にも多大な影響力を持つ日本の影の首魁である攘夷主義者。

言動の端々から国粋主義の片鱗すら伺わせる鎌倉の怪物、風鳴赴堂。

同時に弦十郎の実父でもある。

 

「…つなげ」

 

さしもの弦十郎も若干の緊張をせずにはいられない。

正面の大型モニターに映る威容が口を開く。

 

『八紘より患ったと聞いたが、息災そうではないか』

 

「はッ。どうにか復職しております」

 

ここまでがいわば時候の挨拶のようなものだったのだろう。

 

『時に、雪音の娘を娶ったらしいな?』

 

赴堂が斬り込んでくる。

 

「…ええ。諸外国の思惑に対抗するため、止むを得ず」

 

不本意そのものの声を出す弦十郎だったが、モニターの向こうの怪物は満足げに頷いた。

 

『よくやった』

 

「…は?」

 

『防人たる風鳴の器に新たな血が混じるのも悪くない。それが(つわもの)であれば申し分なかろう』

 

この場合の兵とは、シンフォギア装者たるクリスのことを指しているのだろう。

そう理解しつつ、弦十郎の拳は相手に見えない影で強く握られている。

 

『精々励み、早く子を成せ。もし、おまえの役が立たぬとならば、八紘に下げ渡して…』

 

言いかけたまま、モニターはその映像を消失する。

 

「…どうやら通信システムが故障したようだ。早急に修理してくれ」

 

素手で大量に引き千切ったケーブル類を握りしめながら弦十郎は言った。

 

「は、はいッ!」

 

大穴の空いた通信機をちらりと眺め、友里は弾かれたように背筋を伸ばしている。

ゴミ箱にそれらを投げ捨て、弦十郎は司令席に腰を降ろして腕を組んだ。

正直、怒りはいまだ冷めやらぬ。

 

…全く、クリスくんのこと何だと思っているのだッ!

 

戦国時代ならいざ知らず、婚姻を血統の維持のための道具としか見做していない。

実の父であれ、その主義には弦十郎は真向に反対の立場を取る。

個人的にもクリスには幸せな人生を送って欲しい。

本当に好きな人と契り、子を育み、安穏な生活を全うしてくれることを心より祈る。

そのためならば、俺は鬼にも修羅にもなろう。

 

「だいたい兄貴も親父に何と伝えたのだ?」

 

婚姻届は元から関係各省に対する周知も丸投げにした格好であるから、兄を責める筋合いは違うかも知れない。

しかし、良かれと思ってしたことが、こうも不快に跳ね返ってくると弦十郎の気分も穏やかではいられなかった。

いや、俺が不快だというなら、当事者であるクリスくんはもっと不快なことだろう。

彼女を差し置いて、怒りのままに振る舞うわけにはいかぬ。

自戒する弦十郎だったが、過日の兄にクリスと『似合いの相手』と言われたのもあまり愉快に思っていなかった。

まあ、あれは兄一流の諧謔なのだろうと無理やり納得はしていたが…。

 

「で、でも、鎌倉の御前、機嫌が良さそうでしたね…」

 

張りつめた空気を入れかえようとしたのだろう。藤尭が軽口を叩く。

ジロリと一瞥し、藤尭を震え上がらせておいてから、弦十郎は口を開いた。

 

「あんな老人の戯言など斟酌するな。誰にもクリスくんの自由と幸せは邪魔させんぞ。誰にもな」

 

弦十郎の宣言に、友里は何やら言いかけたが、制するような格好で緒川が前に出てくる。

 

「この際ですからはっきりさせておきたいのですが、司令は雪音さんにどうなって頂きたいと思っているのですか?」

 

「ん? 無論幸せになって欲しいぞ」

 

「具体的には」

 

「そうさなあ、自由に恋愛し、結ばれ、幸福で平凡な市井の生活を送って欲しいと俺は思う」

 

言葉と裏腹に弦十郎の顔は自虐に歪む。

装者として激戦に身を投じさせるだけではなく、無理やり結婚を強いてその自由を阻害している現状。

言っていることとやっていることの真逆の恥ずかしさに、許されるなら穴を掘って埋まりたいほどだ。

そうは言っても掛け替えのない適合者である彼女は戦いの宿命から逃れられない。

ならばせめて他の部分で補いたいと考えるのは偽善だろか。償いだろうか。

そう答えると、緒川はややたじろいだ様子。

 

「…では、現状の結婚はどうするおつもりですか?」

 

「しょせん偽装だからな。(ほとぼ)りが冷めたら解消せねばなるまいよ。その際、クリスくんの経歴に出来るだけ傷をつけないように配慮しなければならんだろうが…」

 

部下三人の浮かべた微妙な表情が完全に一致していたことを、弦十郎は正しく誤解する。

 

「そんな顔をするな。そうだな、何もそんな長期間付きあわせるような予定はない。クリスくんが本当に好きな相手を連れてきて、相手も了承してくれれば、いつでも離婚する心構えだ」

 

「へー、司令は雪音さんの相手にはどんな方をご所望ですかー?」

 

棒読みの口調で友里が尋ねてくる。

彼女の眼がまるで剥製の鳥のようなのが気になったが、弦十郎は答えた。

 

「それはもちろん、クリスくんを愛してくれていることが第一条件だな」

 

当然の如くそういって大真面目に付け足す。

 

「そして、クリスくんを守れるよう、俺より強いのも条件に上げておこう」

 

「まるで司令はお父さんみたいですねー」

 

そう言った緒川だったが、表情が完璧に死んでいた。

同じく棒読みの口調で、焼き魚のような目をした藤尭がぼやく。

 

「それって人間ですかー?」

 

弦十郎は笑う。

 

「ははは、冗談にしても面白くないぞ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日の夜、弦十郎は自宅のソファーで寛ぐ。

 

「三日ぶりの家だが、やはり自宅は落ち着くな」

 

これは別に今に始まったことではない。作戦行動で本部に詰めると、一週間単位で帰らないことなどザラにあった。

それでも、やはり自宅という完璧なプライベート空間は必要だと思い知る。

どんな人間にも自由気ままに羽を伸ばせる時間は必要だろう。

そこまで考えて、弦十郎の眉が歪む。

ちょうどクリスがお盆を抱えてリビングへ入ってくるところ。

 

「インスタントだけど、いいだろ?」

 

「ああ。ありがとう」

 

渡されたのは何とも可愛らしいティーカップだった。

うっかり握りつぶさないように苦心し、一口啜って弦十郎は顔を顰めた。

たっぷりと入った砂糖が舌の上で転がりまわっている。

 

「ま、不味かったか?」

 

「いや、そういうわけではない。ちょっと熱かっただけだ」

 

心配するクリスに、大丈夫だとばかりに一気飲みして見せた。

それからクリスを優しく見やる。

俺がプライベートを満喫出来てないと思うなら、彼女の方が尚更だろう。

結婚を宣言し、まだ一週間と経っていない。

慣れない家に住み、おまけに相手は間もなく入院という体たらく。

クリスの自由を阻害しているという意味においては、全く言い訳が出来ない。

もっとも、結婚するということはそういうこと、という認識もあった。

元々が生まれも育ちも違う男女が一つ屋根の下で暮らす。

そこでトラブルが起きないわけがない。それが例え偽装と言えど。

ただ、その責任を等分に受け取ることこそが夫婦としての成り立ちであると、物の本で読んだことがある。

翻って、始まったばかりの結婚生活に関わらず、クリスに対する負担のウェイトが大きいことは自明だった。

そのバランスを取るためにも、弦十郎はどうにかクリスに報いたいと考えている。

 

「時に、クリスくん。また美味いものでも食べに行こうか?」

 

ソファーの隣に腰を降ろしたクリスに尋ねた。

さすがに以前と同じ時価の店は勘弁……いや、彼女のためを思えば、あの程度の出費などいかほどのことがあろうか。

 

「美味いもの…?」

 

「ああ、ここしばらく、クリスくんには色々と苦労をかけたからな。その御礼といってはなんだが…」

 

クリスは手に持ったコーヒーカップの湯気をアゴに当てるようにして考え込む。

 

「…それって、食事だけ、か?」

 

「ふむ?」

 

「た、例えばだぞッ? あれ買って欲しいとか、どっかに遊びに連れていって欲しいとか、そ、その、一緒にあんなことして欲しいとか…」

 

「ああ、なんでも構わないぞ」

 

言下に弦十郎は答える。

望むなら、クリスの部屋にリビングと同じくらいのシアターシステムを組んでやったって良い。

デートをご所望なら、もっと気の利いた場所を知らないわけでもなかった。

 

「な、なら…」

 

クリスは顔を伏せる。

どういうわけか、耳の先まで真っ赤に染まっていた。

弦十郎は答えを待つ。

しかし、それからが長かった。

言いかけ、躊躇い、口を噤む。

それをループしたかのように繰り返した果て。

それこそ、手に持ったコーヒーが完全に冷めきるほどの時間を置いてから、おずおずとクリスは言ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そ、その……一緒に風呂に入りてぇってのは……ダメか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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