お弦さんといっしょ   作:とりなんこつ

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第7話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか、ちょうど俺もそんな気分だった」

 

そういって弦十郎が立ち上がると、途端にクリスは慌てた。

両手を前に突き出して振り回して、

 

「ま、待ってくれ! いきなりは勘弁してくれッ! あ、あたしにも心の準備が…ッ!」

 

そんなクリスの様子に首を捻りつつ、弦十郎は懐に手を入れる。

取り出したのは携帯端末だ。そして掛ける相手は友里である。

 

「もしもし、俺だ。夜分に済まん。実は、以前から聞いていたあの施設のことだが…」

 

通話を終え、弦十郎は会心の笑みを浮かべてみせる。

 

「喜んでくれ。急だったが、どうにか予約が取れるようだぞ」

 

「…は?」

 

二課(うち)の福利厚生施設の一つに源泉かけ流しの露天風呂のあるホテルがあってな。一度利用してみたいと思っていたところだ。ああ、ご希望通り混浴もあるぞ?」

 

「………」

 

(ひな)びたところにあるが、昔、温泉百選にも選ばれたことのある名湯で、打ち身や創傷に効くと専らの評判だ。俺もこの通り病み上がりのことだし……どうしたクリスくん?」

 

いまやはっきりと部屋の室温が下がっていた。

顔を伏せ、肩を震わせるクリスから、ふつふつと湧き立つものがある。

これは―――殺気だ。

自分がまたしても下手を打ってしまったことを瞬時に悟る弦十郎。

だが、訳は分からぬままに具体的な回避策は何も思いつかぬ。

なので反射的に弦十郎の口から飛び出した台詞は、火事場のクソ力に類する生存本能が促した奇跡だろう。

 

「し、新婚旅行のつもりでどうだろう?」

 

途端に、クリスから漂う殺気が霧散した。

顔を上げ両頬は染めるクリスに、先ほどまでの剣呑な気配はまるで感じない。

 

「そ、それなら、まあ、うん。…悪くないな」

 

「そうか。良かった」

 

冗談抜きで弦十郎は大きく胸を撫で下ろす。

どうにか怒りは収まったようだが、相変わらず原因が良く分からん。

やはり、湯治などというのは爺臭いからだろうか?

ともあれ若者向けらしいイベントの一つでも考えておかんとな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後の本部にて。

週末の連休を申請すると、すこぶる機嫌の良さそうな顔で友里が承ってくれた。

つい先日まで病休していたのに、と忸怩たる気持ちを抱く弦十郎だったが、

 

「もともと来週の頭までは、司令は休む予定になってましたから」

 

と藤尭。

嘘でも気遣いが嬉しいものだ。

組織の福利厚生施設を使わせてもらうことと、クリスに新婚旅行として行こうと告げたことに触れると、部下たち三人は一斉に顔を輝かせた。

 

「仕事のことはどうぞ気にせず満喫して来て下さい」

 

普段から穏健な緒川が、珍しく勢い込んで確約してくる。

だけでなく、藤尭や友里の表情まであからさまな活気に満ちていた。

まるで万歳三唱までしそうな部下たちに見送られ、定時で退勤。

帰り道、部下たちの様子を思い出し、少しだけ不安になる弦十郎がいる。

病休に続き、俺が不在の方が部下たちにとって気も楽なのだろうか。

珍しく気分を落ち込ませつつ帰宅すれば、玄関先に並ぶ複数のローファーに面食らう。

おそるおそる廊下へ足を踏み入れると、

 

「あ、お帰りなさい、師匠ーッ!」

 

立花響がキッチンから顔を出す。

 

「お邪魔しています」

 

続いてぺこりと頭を下げてくるのは小日向未来だった。

 

「あ、お帰りッ」

 

クリスがパタパタと歩いてきてから、拝むように手を合わせてくる。

 

「悪ぃッ! こいつらが、どうしても新居に来たいってきかなくって…!」

 

新居か。まあ、クリス目線で見れば確かにそうとも言えるかも知れぬ。

 

「大丈夫だ、問題ないぞ」

 

そう答えると、クリスはあからさまにホッとした様子。

キッチンを通ると、実用性第一だった無味乾燥のテーブルに、やたらピラピラしたテーブルクロスが掛けてある。

そしてテーブルの上には、大皿に乗った料理が湯気を上げていた。

 

「今日は師匠の快気祝いなんですよッ!」

 

響がえへへと笑う。

 

「クリスちゃんったら、学校にいるうちから張り切っちゃって…」

 

「それは言うなってんだろ、てめー!」

 

クリスにぐいぐいと首を絞められる響を横に、未来は苦笑していた。

 

「はい、弦十郎さんは早く手を洗ってきて下さい」

 

「う、うむ」

 

洗面所で手を洗う。ふと赤いコップと歯ブラシが目につく。

おそらくクリスのものだろう。

手を拭くタオルも、やたらキッチュなキャラクターが描かれているものになっていた。

可愛らしいと思う反面、こうやって自分の家が浸食されていくのだろうかと軽い戦慄を覚えた。

いや、臆するに能わず。

どうせ偽装結婚なのだ。その間、せめて好きに振る舞わせるくらいの甲斐性を見せなければ申し訳ない。

キッチンへ赴くと、さっそく席へと案内される。

 

「これは御馳走だな!」

 

弦十郎は思わず賞賛の声を上げた。

ヒジキの煮物にホウレンソウのゴマ汚し。大皿では肉じゃがとブリ大根が湯気を立てている。

さっそくブリの荒汁を啜れば、芳醇な旨味に思わず声が出た。

 

「…美味い!」

 

「そうかッ! 良かった…」

 

目に見えるほど肩の力を抜くクリスがいる。

 

「もしかして全部クリスくんが作ったのか!?」

 

「うん、まあ…、色々と手伝ってもらったけどさ」

 

その様子を眺めて、くすくすと笑う未来。

 

「クリスったら、弦十郎さんは和食が好きだろうから、わたしに作り方教えてくれって…」

 

「お、おいッ! そいつは言わない約束だろッ!?」

 

「わたしは試食を頑張りましたッ!」

 

「おめーは単純に喰いすぎだっつーの!」

 

またもや響を締め上げるクリスに、仲裁に入る未来。

そんな三人の様子を眺め、弦十郎は自然と頬が緩むのを感じる。

こんな家庭的な雰囲気など久しぶりだ。そして、悪くない。

箸を置き、弦十郎は響と未来に向かって頭を下げた。

 

「二人とも、今日はありがとう。どうかこれからも、うちのクリスくんと仲良くしてやってくれ」

 

俺との偽装結婚が終わっても変わらぬ友情を続けてくれることを願う。

そっと横を見れば、クリスが下唇を噛んで軽く睨んでくる。でもそれは決して怒っている風ではなかった。

なるほど、こういう言い方をすれば逆鱗に触れないのだな。

一つ学習する弦十郎の前で、響は盛大に食事を始めている。

未来も食べたが、クリスはほんの少し箸をつけただけだった。

さすがに後輩たちに食べ方が汚いところを見せるのは躊躇われるようだった。

…あとで夜食でも作ってやるか。

夕食を終え、若い娘三人が肩を並べて後片付けをする姿は、文字通り(かしま)しい。

微笑ましく眺めていると、緑茶の入った湯呑が前に置かれた。

未来が急須で他の二人の分も注いでいる。どちらもかつて弦十郎の家にはなかったものだ。

これまた見たこともない菓子鉢から煎餅を取り出し、くわえてパリンと割りながら響がぼやく。

 

「いいなあ~、クリスちゃん、明日から新婚旅行か~」

 

「ッ!?」

 

ちょうど口に含んだお茶を吹きだすクリス。

 

「お、おまえ、それをどこから聞いた!?」

 

次いで、キッ! と弦十郎を睨んでくる。

 

「いや、俺ではないぞ?」

 

本部で新婚旅行と告げたのは部下だけだ。そもそも公言することのほどでもないと思っている。

 

「えへへ~、それは機密情報、ってことで!」

 

響は笑う。

 

「てめえ、何が機密情報だッ! いいから誰から聞いたか教えろッ!」

 

「落ち着け、クリスくん。別段知られたからといってどうとなる話でもあるまい」

 

「だけどよ…ッ!」

 

なお納得しないクリスを見兼ねたのか、未来が口を挟んできた。

 

「響は切歌ちゃんと調ちゃんから聞いたんでしょ?」

 

「なんでアイツらが…」

 

頭を抱えるクリスだったが、切歌と調はおそらくマリアを経由して聞いたに違いない。

そしてマリアは、装者たちの中でとりわけ発令所の三人との繋がりが深い。

これは一時期、彼女だけが国外でエージェントとして活動していたことに拠る。

種を明かせば、何も不思議はない話だった。

そして先ほど弦十郎も明言したとおり、知られたからといってどうということはない。

むしろ結婚したのだから、新婚旅行に行くのは当然とさえ言えるだろう。

結局、寮の門限ギリギリまで粘って、響と未来は帰っていった。

 

「まったく、アイツらと来たら…」

 

見送って、クリスの頬は赤い。

クリスちゃんは師匠のこと二人っきりのときはなんて呼んでるの? などと響に散々からかわれた結果である。

その余波は弦十郎も被り、なんとも背中がむず痒くて仕方ない。

躊躇なく背中をぼりぼりと掻きながら弦十郎は言った。

 

「さて、明日から旅行だ。楽しみだな」

 

「お、おう」

 

頷いた途端に、きゅーっとクリスの腹が鳴る。

顔を真っ赤にするクリスに、弦十郎は笑わない。

学習の成果を発揮し、むしろ優しくいたわるように声をかけた。

 

「やはり腹が減っただろう。残った料理を食べよう。それとも何か作ろうか?」

 

顔は赤いまま、クリスはぶっきらぼうに答える。

 

「…チャーハン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金曜日のお昼前。

弦十郎は愛車とともに、私立リディアン音学院の前に居た。

本日はクリスは午前中だけで早退する予定。

さすがに土日の一泊二日では(せわ)しないので、今日の半日を休むことにより、金土日の二泊三日の旅行にしている。

午前中の終業ベルが鳴ると同時に、クリスが昇降口から飛び出してきた。

よほど他の生徒から見られたくないと見える。

弦十郎は苦笑したが、よくよく見ればクリスの背後を見事なスイング走法で追いかける女生徒が居た。

立花響だった。

 

「…おまえッ、なんで追っかけてくるんだよ…ッ!」

 

振りきれず、弦十郎の車に到着するなり、息も絶え絶えにクリスが恨み節を吐く。

 

「えー? そんなの見送りに決まってるじゃん」

 

ケロリとした顔で響は答えた。

そのまま彼女は伸びをして、背後を気にしている。

 

「あれー? 調ちゃんや切歌ちゃんにも声をかけたんだけどなー?」

 

「見送りなんてお前ひとりでたくさんだッ!」

 

そう言い捨てて、クリスは助手席に飛び乗る。

目で早く出してくれと急かされたが、弦十郎としては無碍には出来ない。

 

「それじゃあ響くん。あとはよろしくな」

 

「はいッ! 二人とも気をつけてッ! あと、お土産は忘れずにねッ!?」

 

「さては土産が目的だろうが、お前はッ!」

 

車は走り出し、クリスの捨て台詞が後を引く。

そのまま車は駅ビルの駐車場へと停車。

後部座席に積んだ荷物を持ったクリスは女子トイレへと駆けこんで行き、弦十郎は買い物をしつつ時間を潰す。

 

「お待たせ」

 

制服から着換えたクリスは、黒タイツにチェックのスカート。上に着込んだスタンドカラーコートの中は、弦十郎とお揃いのような赤いブラウスだ。

 

「うむ。それじゃあ行こうか」

 

予め買っておいたクリス分の切符を渡す。

目的地は新幹線で1時間半。到着駅からバスで20分ほどの場所にある。

別に車で行けない距離ではないが、クリスが電車での旅行を希望していた。

平日の車内は空いていた。

クリスと二人、指定席へと座る。

 

「クリスくんはサンドイッチ弁当で良かったか?」

 

「上等上等」

 

電車が走り出し、お互いの弁当を開ける。

飛ぶように流れていく車窓の景色を眺めながら、こうやって電車に揺られるのは実に久しぶりなことだと弦十郎は思う。

のんびりと弁当をつつくなど、ひょっとしたら修学旅行以来かも知れない。

かつての青春時代に思いを馳せていると、ひょいと目の前に黄色いものが差し出される。

クリスの剥いた冷凍ミカンだった。

 

「前にクラスメートと旅行に行ったとき、食べて美味かったんだよな、これ」

 

「ほう! クラスメートと旅行とな」

 

「まあな。あんときゃローカル線だったけど」

 

シャリシャリとミカンを咀嚼しながらクリス。

弦十郎も渡されたミカンを齧ってみた。なんとも懐かしい味がする。

 

「確かに電車旅もいいものだな」

 

「だろ? 車じゃあ、おっさんが忙しくて大変だろうし」

 

はしゃぎ声のクリスに、弦十郎は少し驚く。

なんと。俺を気遣ってくれたのか?

そのままのじっと見下ろしていると、クリスの頬が赤くなった。ぷいっと窓の外を向き、手をひらひらさせながら言う。

 

「ま、まあ、他に、万が一ノイズとか出たら、ヘリコプターが迎えが来るだろ? そうなると向こうに車を置き去りにしなきゃなんないから、後が面倒じゃん」

 

「なるほど。そんな事態も想定してくれていたのだな。さすがクリスくんだ」

 

「や、やめろよ、そんなことないって」

 

「そうは言うが、俺もそこまでは思い及ばなかったんだぞ」

 

素直に褒めたつもりだが、ますますクリスは顔を背けてしまう。

 

「どうした? こっちを向いてくれ」

 

「…おっさん、ひょっとしてわざとやってねぇか?」

 

「どういう意味だ?」

 

首を捻っていると、車内販売がやってきた。

アイスクリームでも食べるか? と尋ねると、食べるッ! とそっぽを向いたまま言われた。

売り子からアイスクリームを受け取る。手渡すと、クリスは俯いたまま食べ始める。

もそもそと食べるその姿は、ハムスターといった小動物みたいで愛らしい。

車内販売のカートが隣の車両へと移動していく。

その時、弦十郎の耳がピクリと動いた。

 

「―――クリスくん。今、聞こえなかったか?」

 

「…? 何か聞こえたのか?」

 

唇の端にクリームをつけたままのクリスを置いて、弦十郎は席を立つ。

 

「ちょっとトイレに行ってくる」

 

そのまま連結部へと向かう。

そこにあるトイレを通り過ぎて、弦十郎が向かったのは隣の車両だ。

指定席ではあるが、誰も乗客はいない。

車内販売のカートも通り過ぎ、さらに次の車両へと行ってしまう。

無人の車両で、弦十郎は軽く溜息をついた。

そして次の瞬間、弦十郎の両腕が神速で動く。

 

「きゃッ!?」

 

「で、デェスッ!?」

 

左右の先頭座席の後ろから引っ張り出される二つの影。

 

「…何をやっているんだ、切歌くん、調くん」

 

「ち、違うのデース! アタシは謎の美少女エージェント、キリーなのデース!」

 

サングラスをかけた切歌が、黒いスーツの襟首を掴まれたままもがく。

 

「わたしは謎の美少女エージェントB、シラーなの」

 

同じくサングラスに黒スーツの調が、ぶらんと吊られながら片手を上げた。

 

「二人とも、新しい遊びか何かか?」

 

半ばあきれ、弦十郎が宙に浮いたままの二人の襟首を離した途端、

 

「今デス!」

 

「緒川さん直伝なの!」

 

ぱんぱんという破裂音と白煙が上がった。

視界を奪われ、思わずたじろいだ間に、自称美少女エージェントの二人は姿を消していた。

 

「…なんなんだ、まったく」

 

後を追おうかと思ったが、特に敵意は感じなかった。

同じ新幹線に乗っている理由は分からねど、まあ、さっきも言及した通り、新しい遊びにでも興じていると思っておけばいいか。

問題は、クリスにこの件を報告するかどうかだった。

せっかくの旅行に水を差されたと、また機嫌を悪くする可能性がすこぶる高い。

少し迷った末に、弦十郎は自席へと戻る。

 

「おかえり。遅かったな?」

 

「ん? 先客がいてな」

 

結局、弦十郎は黙っていることに決めた。

だが、駅に到着し、バスに乗り変えた時点でその思惑は破綻する。

バスの最後尾の座席の隅に、身を寄せ合うようにして黒服の二人が乗っていた。

結果として、弦十郎の気遣いも空しく、コメカミに♯のような青筋を浮かべるクリス。

背後を振り返ろうとする弦十郎の耳をひっぱり、鋭く耳打ちをしてくる。

 

「見るな、おっさん! 気づいたら負けだッ…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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