お弦さんといっしょ   作:とりなんこつ

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第8話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスで山道を登ると、続々と建物が見えてきた。

その中央にある一際大きな建築物が、今日宿泊するホテルだった。

 

「へえ~…結構店とかあるんだな」

 

バスを降りて、クリスは興味津々の様子で周囲を見回している。

さすがにコンビニのようなうるさい外見の店はない。

しかし、クリスにとっては、古風な土産屋や個人商店などが返って珍しく見えるようだ。

 

「さて、とりあえずチェックインするかッ!」

 

クリスの分の荷物も持って弦十郎はそう促した。

いつの間にか切歌と調の姿は見えなくなっている。

クリスが無視すると決めた以上、弦十郎もあとは詮索しないことに決めた。

 

「ところで、ホテルと旅館の違いってなんなんだ?」

 

道すがら、クリスが尋ねてくる。

 

「洋風か和風かの建築の違いと聞いたことはあるが」

 

弦十郎がそう答えると、「まんまかよ」とクリスは笑う。

そんなクリスは、ホテルの前まで来ると、口をあんぐりと開けて固まった。

 

「…でっかいホテルだな。ここが丸ごとS.O.N.G.の持ち物なのかよ?」

 

「ああ、それは違うぞ、クリスくん」

 

企業が固有資産として保養施設などを持っていたのは今は昔。

そもそも独自の施設など、頻繁に使用されない割に、維持や税金で莫大な出費となる。

なので、現在は、別会社にアウトソーシングを行い、その会社の運営するホテルなどを福利厚生施設として指定するのが主流となっている。

企業が福利厚生費を支給することにより社員は安く利用でき、本業のホテルであれば常にサービスが行き届いているというわけだ。

 

「へえ、そういうもんなのか…」

 

感心するクリス。

もっとも山奥のホテルということで、都会のようにベルボーイが待機しているわけでもない。

喫茶コーナーはあるにはあったが、セルフのお茶のポットが縁台に載せられているなど長閑(のどか)なものだ。

 

「風鳴さまで、二名様ですね。承っております」

 

受付で記帳し、部屋の鍵を受け取る。

係りのものが部屋まで荷物をもって案内してくれた。

部屋に着くなり、クリスは靴を脱ぎ散らかして窓まで走っていく。

 

「うわあ、すげえ眺め…ッ!」

 

大きな窓に、遠く青い稜線が幾つも連なっているのが見える。

 

「なかなか良い部屋だろう?」

 

「…ひょっとして高いんじゃねえのか?」

 

「新婚旅行だ。気にするな」

 

弦十郎がそう答えると、クリスはポッと頬を赤らめた。

その姿に弦十郎は敢えて何も言わず、自身でも部屋を見回す。

十畳ほどの座敷の他に、ベッドと六畳間が連なる寝室があった。

クリスが言った通り値段は張るが、口にする必要はないだろう。

 

「さて、一息ついてさっそく風呂と行きたいが――」

 

「…ッ!」

 

身体を強張らせているクリス越しに時計を見た。まだ時刻は15時を回ったばかり。

 

「さすがにまだ少し早いな。荷物を置いて散策と洒落込もうか?」

 

「そ、そうだなッ。……あたしも心の準備が必要だし…ッ」

 

「ん? 何かいったか?」

 

「な、なんでもねえッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連れだってホテルを出る。

それなりに観光客はいるものの、まだ日も高いせいか浴衣を着て歩いているものは少ない。

そんな中、二人で適当な店を冷かしていく。

 

「あ、おっさん、アレは何の店なんだ?」

 

「あれは温泉卵を売る店だな。食べてみるか?」

 

「うんッ」

 

他にもクリスが興味を示したのは、ご当地サイダーや蒸かしたての温泉まんじゅう。

 

「あまり食べすぎると夕食が入らなくなるぞ?」

 

そうは言ったものの、弦十郎も財布の紐を緩めるのに躊躇はなかった。

実に幸せそうにまんじゅうを頬張るクリスを眺めていると、こっちも穏やかな気分になれる。

ただ、この平和な時間に唯一不満があるとすれば―――。

 

「すまん、クリスくん。ちょっとここで待っていてもらえるか?」

 

そう言ってクリスを店先に置き、弦十郎は裏路地へと入り込む。

全く人の気配はないように思えるが、それは素人判断だ。

 

「そおいッ!」

 

いかにもな形で並んでいる段ボールを引っ繰り返せば、中から黒服を着た二人の少女が転がり出てくる。

 

「な、なんでバレたデスッ!?」

 

弦十郎は溜息をつく。

互いの手を取り合う格好でこちらを見てくる切歌と調は、クリスに(なら)って無視するつもりだった。

しかしクリスは気づかなくても、公安警察として働いてきた弦十郎としては、監視の視線が鬱陶しくてたまらない。

 

「一体何のつもりなんだ、二人とも」

 

「くッ! アタシたちはマ、じゃなくてレディMの指令を受けたスペシャルなエージェントなので全てシークレットデス! たとえどんな拷問を受けても決して屈しないのデース!」

 

「なんかもう既にボロボロこぼれてるよキリーちゃん!」

 

「…ところで、ここに蒸かしたてのまんじゅうが入った袋があるのだが」

 

「クリス先輩と司令さんの護衛をするように、特別にお願いされたんデス!」

 

「一瞬で屈しちゃったッ!?」

 

弦十郎から袋を受け取り、さっそく中身を開ける切歌。

はい、調とはんぶんこデース! じゃなくてシラーだよ、キリーちゃん!

律儀に設定を守ろうとする調が健気に見えたが、弦十郎は別のことに驚いている。

本来、護衛任務は保安部が負うもの。

なのに装者二人に委ねられた意味を考えずにはいられない。

つまり、保安部でも対応しかねる、それこそ装者でなければ対処できない案件があるということか…?

もっともその逡巡も長くは続かない。

 

「おーい、おっさん、どこ行ったんだー?」

 

クリスが探している声がする。

今は旅行中であり、様々な意味で最優先すべきはクリス本人。

何より、護衛二人がここにいるのに、対象である彼女を一人放っておくなど失態もいいところだ。

すかさず路地裏を出れば、クリスが足早に近づいてくる。

 

「どうしたんだ? いったい何をやってたんだよ?」

 

「いや、なんでもない。ちょっと可愛らしい猫が入っていくのを見かけたので、追いかけたが逃げられてしまった」

 

口から出まかせを言いながら、弦十郎は周囲へ鋭い視線を飛ばす。

それから、庇うようにクリスの身体を抱き寄せた。

 

「ちょッ…!?」

 

華奢な肩は抗うように暴れたが、間もなく大人しくなる。

よし、良い子だ。

なお周囲に油断なく視線を飛ばしつつ、クリスの耳元に囁くように言う。

 

「そろそろいい時間だ。ホテルへ戻ろう」

 

嫌がられるかと思ったが、素直にクリスはコクンと頷いてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスの気配を背中に感じ、弦十郎は一瞬で携帯電話を浴衣の袂に仕舞い込む。

 

「…お待たせ」

 

予想通り半瞬遅れてクリスの声がした。

 

「うむ、そんなに待っていないぞ」

 

本音を言えば、もっと待たされると思っていた。

まだ始まって短い同居生活の中で、クリスは長湯であることは十分弁えている。

夕食前のひとっ風呂ということでやってきたのは、普通の男女湯。

さすがに他人の多い時間帯に混浴は避けたいとのクリスの希望に沿った格好だった。

肌を桜色にし、クリスは湯上りの牛乳を飲んでいる。

とりあえずは温泉を堪能してくれているようだ。

一方で、弦十郎の不安は晴れていない。

先ほどから幾度も本部へ問い合わせをしているのだが、対応する友里の返事は「心配ありません。どうぞ旅行を楽しんでください」の一点ばり。

出来うるなら今すぐ本部へ飛んで帰り、問いただしたい。

だが、仮にそんなことをしようものなら、今度こそクリスに愛想を尽かされてしまうだろう。

何かを知っているかもしれない切歌や調も、この時ばかりは見当たらぬ。

気がかりを残しつつ部屋に戻れば、既に夕食の準備がしてあった。

 

「凄いご馳走…」

 

十畳の和室のテーブルの上に、これでもかと料理が並べられている。

 

「せっかくだから特別メニューにしてもらったぞ」

 

悶々とする気持ちを振り払うように、弦十郎は明るく言った。

 

「あれ? おっさんは飲まないのかよ?」

 

クリスの前にはオレンジジュースの瓶とコップ。

弦十郎の前にはウーロン茶とコップ。

 

「…そうだな。せっかくだから一本だけ飲むか」

 

普段であれば、不測の事態に備える意味も込めて、弦十郎は酒を飲まない。

だからといって飲めないわけではない。海外のパーティなどでは飲まざるを得ないこともある。

 

「そうこなくっちゃ」

 

嬉々として冷蔵庫から瓶ビールを引っ張りだしてくるクリスに苦笑する。

まあ、今回はクリスくんの気持ちを無碍にしないことが一番か。

それに、誓ってビールの一本程度では酔いはしない。

クリスの酌でコップにビールを注いでもらう。

逆に弦十郎はクリスのコップにジュースを注いでやり、乾杯。

 

「美味いな、この山菜鍋はッ」

 

クリスと同様に鍋に舌鼓を打ちつつ、弦十郎は何気なく今後の予定を口にした。

 

「食事が済んだらのんびりして、そうだな、11時半も過ぎれば、露天風呂も空いているだろう」

 

「…ッッ!!」

 

「どうした、クリスくん? 箸が止まっているぞ?」

 

「…悪い、なんか急に胸がいっぱいになっちまって」

 

「ははは、やはり昼間に買い食いしすぎたか」

 

「…ごめん」

 

「いや、別に謝る必要はないが…」

 

結局、クリスは食事を半分ほど残した。

その様子を気遣い、弦十郎が夜食におにぎりでも用意してもらうか?と尋ねても、上の空の生返事。

 

「顔も赤いし、どこか具合でも悪いのか…?」

 

弦十郎が額に手を伸ばすと、さっと身を引くクリスがいる。

 

「だ、大丈夫だッ。そ、そう、もしかしたら湯あたりでもしたのかなッ、はははッ」

 

「ならば露天風呂は中止にした方が」

 

「いやだッ、露天風呂には絶対に行くッ!」

 

なんだか良く分からないが、クリスは頑なになっている様子。

彼女の具合は心配ではあるが、混浴で一緒に湯に浸かるのだ。仮に具合が悪くなっても対処できるだろう。

わかった、と頷き、見るとでもなしにテレビをつけた。

クリスはどこかそわそわしながらローカル番組を眺めている。

その横で、一緒にテレビを眺めるフリをしながら弦十郎は本部へ幾度かメールを送信するが、返信内容は変化なし。

さすがに10時を過ぎるころ、弦十郎もメールを諦めた。

部屋に備え付けの新聞なぞを読みながら、時刻はそろそろ11時半。

 

「さて、そろそろ行こうか?」

 

「…はい」

 

なんともしおらしい返事をするクリスを連れだって、露天風呂へと向かう。

男女の大浴場は本館にあるが、露天風呂は別館にあるとのこと。

長い渡り廊下を歩いている中、クリスはずっと弦十郎の浴衣の裾を掴んでいた。

 

「それじゃあ、中で落ち合おう」

 

入口でクリスと別れる。混浴といえど、さすがに脱衣所は別々だ。

すっぱりと浴衣を脱ぎ捨て、露天風呂へ。

引き戸を開けた光景に、さすがの弦十郎も感嘆の声をもらしてしまう。

屋外で屋根はあるものの壁はなく、滔々とお湯を湛えた巨大な湯船の縁は水平線のようになっている。

その向こうには広大な山々の連なりが望めた。

まるで山の中に浮かんでいる風呂のようだ。

洗い場でさっさと身体を洗い、弦十郎は湯船へと足を踏み入れた。

もうもうと立ち込める湯気を掻き分け、湯船の端まで向かう。

予想通り、眼下に絶景が広がっていた。

頭にタオルを乗せ、肩までつかる。

湯の熱さに反し、吹き付けてくる山の夜風の冷たさが何ともいえず気持ちが良い。

 

「…おっさん?」

 

洗い場から声。

見れば、バスタオルを身体に巻いたクリスがいる。

ずいぶん時間がかかったな、とは思ったが、それは口には出さない。

 

「先に入っていたぞ。絶景だから、クリスくんも早く来るといい」

 

「う、うん」

 

頷き、クリスが洗い場で座った。

露わになる白い背中に、弦十郎も紳士らしく背を向ける。

しばらく待つと、すぐ隣で湯がさざめいた。

見れば、クリスがとっぷりと肩までお湯につかっていた。

髪の毛は浴槽に浸からないようタオルで覆われている。

 

「………」

 

「な、なんだよ、おっさん。何見てるんだよ…」

 

「いや、その頭を覆うタオルの巻き方はどうなっているんだと思ってな」

 

指で弾いたお湯を顔にかけられた。

そのまま並んで湯船につかり、空を見上げる。

綺麗に切り取られた屋根の形のおかげで、高い星空が望める。

無数に煌めく星の中心に、月が出ていた。

 

「…綺麗な月だな」

 

なんとはなしに弦十郎は呟く。

月を周回するリングもあいまり、本当に美しく思えたのだ。

そして直後に後悔した。

月が今の形になったことに、自分は元よりクリスたち装者も関わっている。

それは決して愉快な記憶ではない。

なにより―――どうしても彼女のことを思い出してしまう。

 

「お、おっさん、背中を流してやろうかッ!?」

 

突然クリスは言った。

 

「いや、先ほど洗って入ったばかりだが…」

 

「いいから、ほらッ」

 

半ば強引に促され、弦十郎は洗い場へと追いやられた。

もちろん腰にタオルをしっかりと巻いた格好で、洗い椅子へと腰を降ろす。

背後にそろそろとクリスがやってくる気配。

 

「そ、それじゃあ、洗うぜッ」

 

「うむ。頼むぞ」

 

弱々しい感触が背筋を往復した。正直、むず痒い。

 

「もっと力を込めても大丈夫だぞ?」

 

「そ、そうか」

 

ゴシゴシといった擦り方が、やがてはガシガシへと変わる。

 

「…おっさんの背中、予想以上に広いんだなッ」

 

「なあに、無駄に歳を重ねた結果さ」

 

弦十郎は自嘲した。幾ら背中が広くても、この少女へ果たすべき責任すら背負いきれてないではないか。

 

「…これは」

 

優しい感触が、腰の上をなぞる。

 

「ああ、それか」

 

「フィーネにやられたときの傷、なんだろ?」

 

クリスの言葉に弦十郎は顔をしかめた。痛むのは古傷ではなく過去の記憶だ。

 

「一生の不覚傷だ。この傷を負わなければ、或いは」

 

或いは、月への一撃を防げただろうか。

或いは、フィーネを、櫻井了子を救えただろうか。

 

分厚い背中の中心に、そっと押し付けられたものがある。

クリスの額だった。額の下からくぐもった声がする。

 

「…良かった」

 

「ん?」

 

「おっさんが死ななくて、本当に良かった…」

 

それは、フィーネに腹を突かれた時か、はたまた先日、盲腸で腹を切った時のことか。

一体どちらを指しているのだろう?

 

「おい、クリスくん…」

 

そう尋ねようとして、弦十郎は固まる。

背中に例えようもない柔らかな感触。続いて、心臓の鼓動が伝わってくる。

これは…。

 

まるで時が止まったかに思えた瞬間、ガラガラと勢いよく引き戸の音が鳴り響いた。

続いて、

 

「初めての露天風呂デース!」

 

パタパタという足音を、

 

「駄目だよ、切ちゃん、まずは身体を洗わないと!」

 

という声が追いかけてくる。

 

「わかってるデスよ、調!」

 

足音の主は振り返る途中で、洗い場にいる弦十郎とクリスに気づく。

そしてなぜか置かれていた石鹸を踏んだのは、まったく同時だった。

 

「デェェェェスッ!?」

 

見事な片足滑走を披露して、切歌は湯船の中へダイビング。

盛大な飛沫を上げたあと、浮上。お湯の中で仁王立ちになって叫ぶ。

 

「な、なんでクリス先輩と司令さんがいるんデスかッ!?」

 

「それはこっちの台詞だッ!」

 

タオルで前を覆いながらクリスは怒鳴り返す。

 

「切ちゃん、前、前ッ!」

 

そのうしろで叫ぶ調に、自分を見下ろして切歌は悲鳴を上げる。

 

「ア、アタシのタオルは何処にいったデース!?」

 

前を押さえて湯船の中にしゃがみこむ切歌。

色々と混沌を増す露天風呂に、更に新たな第三者の声が木霊する。

 

「狼狽えるなッ!」

 

たたたたッ、と軽やかな足取りで脱衣所から走り込んできた影は、そのまま洗い場も駆け抜け、空中で綺麗に錐揉み三回転を披露しつつ湯船に着水。

すかさず自身の纏っていたタオルで切歌を包む。

 

「何者だッ!?」

 

思わず弦十郎が誰何の声を上げれば、謎の人物は湯気の中で顔を上げる。

長い髪を翻し、顔にはバタフライの仮面をつけていた。

 

「ふふふ、謎の美女、レディMとはわたしのことよッ!」

 

自信満々に胸を張るレディMに、クリスは背後から弦十郎の眼を手で覆いつつ怒鳴る。

 

「つーかお前もなんて格好してやがるッ!?」

 

「…なにッ!?」

 

指摘され、レディMは自分を見下ろした。

自分の使っていたタオルで切歌を巻いた以上、彼女の裸身を隠すものは何もない。

 

「ううううう狼狽えないッ!」

 

「思い切り狼狽えてるじゃねえかッ!」

 

「問題ないッ。レディMはクールに去るわッ」

 

声を震わせつつ、切歌を抱えたレディMとやらは、湯船の外へと飛び降りて姿を消した。

あとに残された調と、クリスの視線がゆっくりと絡み合う。

 

「…ごゆるりと」

 

そう言ってペコリと頭を下げて調は脱衣所へと戻って行く。

そこでようやくクリスの手から視界を解放された弦十郎は、茫洋と呟くしかない。

 

「レディM…いったい何者なんだ…」

 

「おっさんの眼は節穴かッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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