「おかえり……ってクロ、どうしたんだい、そんな風に濡れちゃって……まあ、もしものことを考えてお風呂は沸かしておいたから早く入ってくるといい」
相合傘で帰ってきた時、クロはひどく濡れていた。
それはもちろん、ぼくがクロを追い出して自分がちゃんと傘に入るようにしていた、というわけではなく。
ただ単純に、帰り道で水たまりにこけたからだった。
そんな途中経過を知らない姉さんが、クロを無理矢理にお風呂場へと連れて行く。
「え、あ……ちょ、ちょっと待って……! 着替え、着替えを持ってこないと……!」
「そんなのは私がとってくるさ。早く入らないと風邪を引いちゃうし、そうなるとあの子と一緒に学校にいけなくなるぞ?」
「……それは、困る」
「だろう?」
だから早く入っておいで、と柔らかい笑みを浮かべて姉さんが言うと、テンパっていたクロもそれに従ってお風呂場に行く。
それを見送って姉さんが。
「覗いちゃダメだぞ?」
「覗かないよ!」
横で、いつもぼくに向けるのとは少し違う笑顔で言った言葉に思わず食い気味に否定した。
「あー」
部屋で一人、やることもないので待っている
宿題が出ているけれど手をつけるわけにもいかない。
それはどちらからともなく言い出したわけでもなく、ぼくとクロが”二人で一緒にやる”と気がつけばそうなっていたこと。
「?」
あれ……?
今、何だか部屋の外から声が聞こえたような。
そう思って耳を澄ませてみるとリビングの方からだろうか、クロと姉さんの声が聞こえてくる。
何だか、クロの声が怒っているような気がする。
何か、あったのだろうか……?
クロに何かあったのではないかと思ってしまえば、自分が気がつくよりも先に足は動いていた。
姉さんがクロに何かするとは思えないが、だからだろうか。
そんな中でクロが怒ってしまうような何かがあるのはちょっと気になる。
……もしも仮にクロが嫌がることをしているのであれば、それは怒る必要がある。
あの子は姉さんのおもちゃじゃないんだ。
「姉さん、何やって───」
「っ!?」
部屋からリビングに行くと、すぐにクロが姉さんの後ろに隠れた。
……少し悲しい。
でも、ちょっとだけホッとした。
姉さんの後ろに隠れているのであれば、姉さんをそこまで嫌っているわけではなさそうだから。
何かひどいことをされているわけじゃないんだって、姉さんがひどいことをしているわけじゃないってことがわかったから。
「いやー、今日は雨が降ってたじゃないか。雨の降り始めに私も出かけてたせいで、まだ着替えの服が濡れたままだったんだ。だから私が作った服を着てもらったんだけど、それが恥ずかしいって……」
「だ、だって!」
こんな服恥ずかしい、ともにょもにょと口を動かしているクロ。
あの子の姿は姉さんの陰に隠れているけれど、その言葉を口にしているクロの姿は思い描ける。
「でも、そうなると今日は裸で過ごすしか無くなるよ? そっちの方が恥ずかしくないかい」
「それは……そうだけど……」
「大丈夫、今の君はとても可愛いよ。弟も、君がどんな格好をしていても笑ったりするような子じゃないだろう?」
「……うん」
そう言って姉さんに促されて出て来たクロの姿は。
見たことがないはずなのに見覚えがあるような、そんな不思議な姿。
「コンセプトは魔法少女さ」
姉さんが嬉しそうに言葉にしているが、それも耳に入ってこない。
「どう、かな……?」
魔法少女、という言葉に何だか胸が疼くが、その理由もよくわからない。
どうして何だろう。
どうして、その姿を見るとこんなに悲しい気持ちになるんだろう。
どうして、その姿をしているクロを見るとこんなに嬉しい気持ちになるんだろう。
「似合う、かな……?」
ほら、と姉さんに肩を小突かれたことでクロの言葉がようやく耳に届いた。
「う、うん。似合ってる。すごく似合ってるよ、クロ!」
ちょっと焦った。
声も、ひっくり返っていたような気がする。
でも本心だから、少し恥ずかしいけれど充足感のようなものもあって。
彼女に思ったことをそのまま伝えられたことがとても嬉しい、なんて不思議な感情。
「そっか、よかった」
不安そうな君が笑顔になってくれたことが嬉しくて、何だか照れ臭い気持ちも少し吹き飛んだ。
「ほら、この子を待たせちゃダメだろう?」
お風呂に入っておいで、と姉さんに送り出された。
「えっと、クロ……?」
お風呂を上がって部屋に戻ると、その隅っこでクロが膝を抱えて座っている。
顔は隠れているけれど、何だか怒っている……?
「ここにいる子猫は怒ってるので話しかけても答えません」
「えっと……」
ぷくっと頬を膨らませたクロがこちらを見ずにそんなことを言う。
ちょっとショックだ。
こんなことを言われる理由が思い浮かばない。
「君がこんなものを持ってるなんて、思わなかった」
こっちを見たクロは恥ずかしそうに顔を赤くしている。
こ、こんなと言ったクロが取り出したのは見覚えのない表紙の二冊の本。
と言うか、これは……。
「え、エロ本!? 何でこんなものがここに……」
びっくりして叫んでしまった。
クロも、ぼくの叫びにびっくりしてしまっている。
目をぱちくりと見開いたクロには悪いことをした、と思ってしまったけれど。
それでも、こんな姉ものっぽい本も、妹ものっぽい本も、そもそもそんな本すら買ったことのないぼくからしたら、その本はあまりにも想像の埒外にあったもので。
「君のものじゃ、ないの?」
「う、うん。ぼくはこんなもの、買ったことないよ」
「でも、お姉さんからはベッドの下を探したらって……」
姉さんが?
なんでこんなものがあることを姉さんが知っているのだろうか。
もしかして……。
「うん。それなら良かった」
「え……?」
「この本、君は関係ないんだよね?」
クロの言葉に、全力で頷く。
こんな本、初めて見た。
「うん。それならいいよ。今は宿題をしようか」
あとでお姉さんに話を聞いてみよう、とそう言った君はカバンの中から宿題のプリントを出して。
雨の中転んだせいで少し濡れているプリントを乾かしてからじゃないと宿題はできないので、それまでの間は何か別のことをしよう、と苦笑いをして。
そうして、部屋の中に何かないかと探して見つけたアルバムを見ることにした。
けれど。
「……」
顔が近い。
二人で一つのアルバムを見る関係で、とても顔が近い。
恥ずかしい。
それでも、離れようとはぼくも、多分クロも思わなかったみたいで、二人でその思い出を振り返る。
中学時代、クロが恥ずかしいと思っていた時、ぼくとクロがほとんど話せなかった時期のことを、お互い何をしていたのかを話し合う。
お互いのことならどれだけの時間でも楽しく聞いていられるんじゃないかって、そんなことも思ってしまう。
何時間も何時間も、元々「プリントが乾くまで」で見ていたことも忘れて話をしていて。
お風呂で体があったまっていたこともあって、ぼくたちはどちらからともなく眠ってしまっていた。
あとで姉さんにその時のぼくらの写真を見せてもらったけれど、二人で手を握っていたのが恥ずかしくて、クロも手を握ってくれていたのがなんだか嬉しくて。
何を口にすればいいのかわからなかった。
もっと皆クロちゃんへの愛を放出しろよ!!
俺も読者になりたいんだ!!