刺殺に至る病   作:月島しいる

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07話 残虐な刑罰

「1948年、フランスのパリで世界人権宣言が採択された」

 いつものリビング。

 いつものテーブルを挟んで、ボクは叔父の話を聞いていた。

「同年、日本では死刑に関する合憲判決が下りた。死刑は憲法36条で禁じられる残虐な刑罰に相当するか、というのが争点だった」

 フレーバーティーの香りはしなかった。

 荒れたキッチンが叔父の肩越しに広がっていた。

「最高裁判所では十一名の裁判官全員が死刑は残虐な刑罰に当たらない、という憲法解釈を下した。死刑の存置は死刑による威嚇力によって犯罪予防をなし、特殊な社会悪を絶ち、社会全体を防衛する為という解釈だ」

 こつん、と叔父の指がテーブルを叩く。

 何度も何度も、リズムを取るように。

「加えて、四人の裁判官は次のような補充意見を出している。憲法は死刑を永久に是認するものではない。ある刑罰が残虐かどうかは国民感情によって決まるものである、と」

 叔父の充血した目が、じっとボクを見つめていた。

 血のように赤く、大きく腫れ上がった瞳はまるで爬虫類のようだった。

「現在の日本では大多数が死刑制度を肯定している。死刑制度は残虐な刑罰と呼べるものではなく、特殊な社会悪を絶つ為に必要である、とそういう事になっている。最高裁の判断である以上、全ての裁判官はこの判例に従わなければならない」

 日本は、と叔父のゆったりとした声が続く。

「ここは法治国家だ。他人の身体にメスを入れるには医師免許が必要で、医師免許がなければどんなに偉大な手術も傷害罪にしかならない。同様に人を裁くには裁判官である必要があり、裁判官になるには法科大学院を出た後に司法試験に合格し、司法修習を経て任官されなければならない。判事となるのは更に14年後だ。人を裁く権利は、人生の大半を司法と秩序の維持に費やした者のみに与えられるようになっている」

 だから、と叔父の赤い瞳がゆらゆらと揺れた。

「裁判官でない私が人を裁くには、私自身も裁かれる必要がある。私はね、それを何度も何度も考えて、納得することにしたんだ」

 ボクには、叔父が何を考えているのか分からなかった。

 ただ、なにか恐ろしいことが起ころうとしているのだけは分かった。

「正義は法に先立つものであり、人は善に殉じなければならない時がある。人間を人間たらしめるものは善の遵守であり、法の遵守ではない」

 ボクは叔父に対してどのように反応すれば良いのか分からず、充血した目をじっと見ていた。

「全ては幻想に過ぎない。あらゆるものは社会契約が作り出す実態のないものだ。だからこそ、個々の善性が問われる。そして全体の人道性は個々の人道性を凌駕しなければならない」

 私は、と叔父が力強く宣言する。

「確かな善の遂行によって、社会悪を絶ってみせよう。そうしなければ、あの人は救われないんだ」

 

 

 

「はー。もう駄目だわ」

 沙耶がぐったりと机に倒れ込む。

 時計を見ると一時間が経過していた。

「そろそろ終わりにしようか」

 まだ一日目だ。

 とりあえず少しずつでも習慣づけるところから始めなければならない。

「少し休んでから映画館に移動しようか」

「ああ、もう動けねえ……」

 情けない声を出す沙耶に頬が緩むのがわかった。

 小さく息をつき、それから教科書を片付ける。

「それと、晩ご飯は沙耶が好きなものを選んでいいよ」

「マジか?」

 机に突っ伏していた沙耶が勢いよく顔をあげる。

「焼き肉が食いたい!」

「元気になったみたいだね。じゃあ行こうか」

 立ち上がり、沙耶の手をとる。

 彼女は一瞬驚いたように身を強張らせたが、すぐに手を握り返してきた。

「もうヘトヘトだわ」

 沙耶の情けない声に小さく笑い返しながら、図書室を出る。

 ホールに足を踏み入れた時、自然と足が止まった。

 視線の先に、見慣れた花梨の姿があった。

 彼女もこちらに気づいたようで、一瞬動きを止めた後、歩み寄ってきた。

「おう。偶然だな」

 沙耶が自然体で真っ先に声をかける。

 花梨はボクと沙耶を見た後、表情を崩すことなく口を開いた。

「今日はデート?」

「それがさ、聞いてくれよ。そのつもりだったのにいきなり勉強させられたんだぜ?」

 そう言いながら沙耶が恨めしそうな目を向けてくる。

「でも、終わったからこれから映画行くんだ」

 嬉しそうな声。

 対して、花梨の目はどこか昏いものだった。

「……そう。仲が良さそうで何より」

 花梨が沙耶に対してあまり良い感情を抱いていないのは明らかだった。

 二人の様子を観察しながら、間に割り込むべきか思案する。

「じゃ、私用事あるから」

 視線を逸らし、花梨が足早に去っていく。

「またね」

 背後から声をかけると、花梨は小さく振り返って、うん、と柔らかい笑顔で頷いた。

 そのまま去っていく後ろ姿を眺めながら、沙耶がぽつりと零す。

「……なんかさ、私嫌われてるっぽいよな?」

「沙耶はガサツだから」

 軽口を叩きながらも、ボクは話題を変えるように明るい口調で言葉を続けた。

「さあ、行こう。今日の沙耶はよく頑張ったから、晩ご飯は少しだけ良いお店にしようか」

「マジか!」

 弾むような笑顔と声。

 彼女の明るさは、嫌な雰囲気を一瞬で払拭した。

 気持ちを引っ張り上げてくれるような彼女の明るさは、とても貴重なものだと思う。

 ボクは時田沙耶という人間に対して、間違いなく特別な感情を抱き始めていた。

 

 

 

「那智くんは、本当に優しいよね」

 週明けの部活終わり。

 薄暗い部室で二人っきりになった花梨は、唐突にそう切り出した。

 ボクは片付けをしていた手を止めて、彼女の瞳を正面から見返した。

「いきなりどうしたのかな」

「週末、時田さんと図書館に出かけていたでしょ」

 窓から差し込む夕陽が、花梨の瞳に赤く反射していた。

「時田さんはお金がないから、遊ぶ時は那智くんが全部負担することになっちゃう。けど、いつもそれだと時田さんが気後れしちゃうから勉強のご褒美って名目にしたんでしょう?」

 ボクは何も言わなかった。

 意図が見えない。

 肯定する必要も、否定する必要もまだないように思えた。

 ボクの無言を肯定と受け取ったのか、花梨が呆れたように笑う。

「時田さん、多分気づいてないよ。那智くんのそういうところを、全然わかっていないから」

 小馬鹿にするような、どこか冷たさを含んだ言い方だった。

「那智くんは、昔からそうだったよね。少し突拍子もないことをしたり、やや強引なことをするからたまに変わり者扱いされてきたけど、動機はいつも他人の為だった」

 どこか粘りつくような花梨の視線がボクを捉えて離さない。

「分析癖があって意図的に人を試すような言動もするから誤解されやすいけど、こうやって部活でも部長をやってるし、クラスの委員長だってやってる。一番負担になりやすい役割をいつも自分でカバーしようとする。損得に無頓着だから、行動が予測しづらくて結果的に変わり者扱いされる」

「それは過大評価じゃないかな」

「ううん。だって、私はずっと見てきたから。那智くんのそういうところ、ずっと近くで見てきた」

 だからね、と花梨は言った。

「どうしても時田さんと釣り合ってるとは思えないの。どうして時田さんなの?」

「明確な理由というものはないけど、強いて言えば真っ直ぐだからだよ」

「真っ直ぐ?」

「どんな物事に対しても、真っ直ぐだから。それは多分、ボクにはないものだから、かな」

 沈黙があった。

 薄暗い部室の中、花梨は微動だにせずボクのことをじっと見つめていた。

「……花梨、そろそろ出よう」

 沈黙を破り、部室の扉を開く。

「……うん」

 外に出ると、夕焼けが眩しかった。

 鍵を取り出して施錠する。

「ねえ、今日も一人で帰るの?」

 花梨の不安そうな声。

「うん。沙耶と付き合っている以上、幼馴染とはいえ花梨と一緒に帰るのは不義理になると思うから」

「そっか……」

 夕暮れの中、寂しそうな花梨の顔が妙に印象に残った。




ノベルゲーム制作のために更新が滞っていました。
すでに2つ制作完了してサイトの方で公開しています。
加えて、トライアングル・エラーのノベルゲーム版を現在制作中です。

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小説以外でもヤンデレや修羅場に関する創作をやっているので、興味ある方はTwitter等へ是非お越しください。
@tsukishima_seal

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