Metronome Synchronization 作:シナモンサンド
閑静な住宅街に佇む一軒家。そのドアノブに手をかける。といってもここは僕の家ではない。かといって、僕はこの家に忍び込んで何かを盗もうと企む泥棒というわけでもない。
僕、について軽く自己紹介しよう。僕の名前は氷川蓮。高校1年生の16歳だ。特徴はこれといってない。本当にないのだ。勉強も運動も芸術も人並みといった程度。誇れるような特技はない。ある人が影響で始めたギターも、最近マシなものになってきたが、決して上手なものじゃない。所謂、持たざる者。それが僕だ。
次に、なぜ自分の家ではない民家のドアノブにてをかけているのか、という話だ。時は遡ること1ヶ月前、僕の父が海外赴任をすることになり、母もそれに同行したい、という話題があがった。結婚から20年たった今でもラブラブな夫婦。末永く爆発してほしいものだがその深い愛があって今の僕がいるのだ。ありがたいといえば、ありがたいな。
一方の僕は、両親との同行を拒否した。すこしの間とはいえ今の学校を離れたくないというのもあるが、言語の壁がある土地に行くのが怖いと感じたのも大きい。だが、流石は血の繋がった親子。両親は僕の反応を大方予想していたようで、驚かれはしなかった。
ここでもう一つ問題が発生する。両親が海外にいる間、当然僕は一人で暮らすことになるのだが、両親はそれをひどく心配した。もう高校生なんだし心配はいらないだろうに。それに僕は掃除、洗濯、簡単な料理、一通りの家事ならこなせる。それでも、親にとっては、いくつになっても子は子であるようで、
そこで、通っている高校への距離は少し遠くなるというデメリットがあるが、父のお兄さん、つまり僕から見て伯父さんの宅で面倒を見てもらう、ということでこの話題は決着した。だが、両親はそれで良くても、僕にはまた別の問題があって...
そんなわけで、ようやく冒頭へと帰ってくるわけだ。僕はゆっくりとドアを引いた。
「おじゃまします」
僕は普段より少し声を張って挨拶すると、
「蓮くーん!」
ドタドタとけたたましい足音が近づいてくる。同時に、本能的に危険を察知した僕は、踏ん張ることができるように腰を落として身構える。
そして案の定猪突猛進してきた、ライトブルーの比較的短めの髪を揺らす少女、従姉の氷川日菜だ。
「うっ!日菜姉、苦しいっ...苦しいって」
突進してきた日菜を受け止めたと思うと、次はメキメキと胴を締め付けてくるような感覚が...。日菜曰くスキンシップをしているというが、どう考えても度を越えている気がする。とはいえ、これが僕の言っていた問題というわけではない。
段々と遠のいてゆく意識の中、このシュールな光景が展開される玄関に凛とした声が響いたのを感じた。
「日菜、蓮が困っているでしょう?そろそろ勘弁してあげなさい」
「はーい」
ようやく解放されて、身体に自由が戻ってくる。それから声がした方を見やる。
日菜と同じライトブルー、ただ妹とは違って腰にかかるあたりまで伸ばした髪をなびかせた美少女。日菜の双子の姉、氷川紗夜だ。
────そして僕が淡い恋心を寄せる相手だ。
強かさを感じる目付きと整った顔立ち、スラリと伸びていて、なおかつ女性らしく起伏にも富んだ魅惑的な肢体。まさしく麗人と呼ぶにふさわしい。
「紗夜...姉」
「ようこそ、蓮」
そう。僕の問題とは、恋をしている人と同じ屋根の下で過ごすことになったことなのである。
玄関での強烈なホールドが終わり、僕は伯父さん夫婦、つまり紗夜と日菜のご両親に挨拶した。
血縁があるとはいえ、これからしばらく面倒を見てもらうのだ。通すべき筋は通さなくてはなるまい。もっとも2人とも、そんなに他人行儀にしなくてもいいのに、と言ってはくれたが。
2人ととっても僕はまだまだ親戚の子という認識なのだろう。
せめて心の中では背伸びをさせてほしい。恋慕の実が稔る木の上へと近づけてほしいのに。
挨拶を済ませた後、日菜がニコニコとしながら近づいてきた。再び突進されるのではと身構えた。
「もうっ。蓮くんってば失礼しちゃうなー。流石のあたしもやたらめったら突撃しないよ」
杞憂だったようだ。
「そんなことよりさー、蓮くん、この間あったときギター始めたって言ってたよね?」
「あ、ああ」
「それじゃあ、あたしたちに聴かせてよ!」
「いや、人に見せるようなレベルじゃないよ」
事実、人に聴かせるようなものではないし、あまり乗り気ではないので断ろう。
「上手さなんて関係ないって。ねぇ、お姉ちゃんも聴きたいでしょ?」
そう日菜がソファーに座って雑誌を読んでいた紗夜に話題をふると、僕もそちは視線を移す。紗夜は雑誌をパタンと閉じ、ゆっくりと首をこちらへ向けると、柔らかな笑顔を見せ、
「えぇ。私も聴いてみたいわ」
よし、披露しよう。
そして、僕は二人の前でギターを弾いた。結果は、思った通り、お世辞にも上手ではなかった。いくら想い人の前とはいえ真理が覆るといったことはなかった。
「どうかな?」
僕は二人に感想を求めた。否、感想というよりもアドバイスか?いくらか手厳しい意見も飛んでくるだろうと身を強張らせた。
「う~ん。ちょっとだけるんっ♪ってしたかな?でもまだ伸びるかも?」
日菜が言う。ちなみにるんっ♪とは、日菜特有のエモーションを表現する時の言葉らしい。
「お姉ちゃんはどう思う?」
「そうね」
紗夜が言葉を紡ごうとすると、一層緊張して力んでいくのを感じた。
「ゼロから始めたにしては、及第点ね。荒削りな運指が目立つし、テンポも乱れたところがあったけど、それを直すように努力すればいいんじゃないかしら?」
これは、二人とも悪い反応はしてないととってもいいのだろうか?
「ふぅ...」
僕は一息ついた。緊張から解放されると、今まで乖離していた感覚が、引力を受けたかのように戻ってくる。忘れていた喉の渇き。僕はそれを潤そうと、ジュースの入ったグラスを手に取り、口に近づけて傾けた。ふぅ、と一息つくと日菜が指摘してきた。
「蓮くん、それお姉ちゃんのジュースだよ」
「へ?」
慌てて自分の手元と周りを見る。確かに紗夜のグラスだった。刹那、それが意味するところを理解する。
「蓮くん、お姉ちゃんと間接キスだね」
「なっ!」
分かっていたが、日菜がドストレートに言うものだから余計に恥ずかしい。
「さ、紗夜姉ごめん」
僕は謝罪した。すると紗夜は目尻を少し下げて、
「別に、何も気にすることはないわよ」
そうだ。紗夜にとって、僕との間接キスなど気にするようなことじゃない。紗夜の気遣いをたっぷり含んだ一言が僕の胸をチクチクと刺した。僕には、愛想笑いでしかめっ面を隠すのが精一杯だった。