五等分のルルーシュさん。   作:ろーるしゃっは

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C組回。


TURN 13:百代の過客

 はた、と。言い掛けたところで、彼女は止まる。今は……あまりにタイミングが悪すぎないか?

「事故の前から惚れてました」と言って、果たして真意が伝わるだろうか。「無償の施術を引け目に感じて、その穴埋めとして彼女にそんなことを言わせてしまった」、みたいに彼は思ってしまわないか。

 

 尊崇の念と思慕の念はイコールではない。例えば両親に感謝し尊敬することはあれど、恋愛感情など抱くことが普通はないように。もし勇気を振り絞った果てに、()()()()()断られたら?…諦めはついても、立ち直れる自信がない。

 

(………ど、どうしよう…ここに来て躊躇っちゃうなんて、自分でも思ってなかった…)

 

 一言が言いたいのに、言えない。よしんば伝えたとして上手くいくのか?苦笑いしながら断る彼の姿ばかりが、ありありと想像出来る。

「ごめん、俺は君のことをよく知らない。申し訳ないんだけど、君の気持ちには応えられない」………自分に告ってきた女生徒達をこんな口ぶりでやんわりとフッた彼を、間の悪いことにシャーリーは何度も見聞きしていた。

 

 やらかした後だって、ルルーシュなら素知らぬ顔でペルソナを被ってやり過ごせるだろうけど、自分では気まずくて到底間が持たない。ルルに彼女のいない今がチャンス…の筈、なんだけど。

 

「……シャーリー?大丈夫か?」

 

 邪な心が発露しかけた時に、ふと誰何される。弾かれたように目線を上げると、怪訝な目をした彼に覗き込まれていて。

 

「…あっ、えっ、ごめん!ちょっとボーっとしてただけ、あはは…」

 

 自分で話を振っといてそのままだった。

 

「理論上は後遺症など残らん筈だが、もし何処か悪いなら遠慮なく……」

 

「平気平気!今度はホントに何でもないから!」

 

 今度は本当に本音。聞くなり凝視こそしてこなかった彼だが、此方の眼を一度()てのち声を収めた。後から聞いたことだけど、どうも声音とか眼球、表情筋の動きとかで真偽を判断してるらしい。若者の人間離れとはこの事だろうか。

 

「……みたいだな、良かった良かった。それから──」

 

 面立ちを柔らかくした彼、おもむろにデスクをガサガサしだした、かと思うと。

 

「明日渡そう、と思ってたんだがな」

 

 ぽん、と。彼女の手元に。

 

「ささやかだが、俺からの退院祝だ」

 

 立ち上がってそう述べた彼から手渡されたのは、何やら長方形の包み紙に収まったギフトだった。

 

 

 ☆

 

 

「…………うそ」

 

「本物だ」

 

「くれるの?私に?」

 

「お気に召すかは分からんがな」

 

 余裕綽々とばかり座椅子に座り直して脚を組みだした彼が、心なしか二割り増しで格好良く見える。包装に結び切りの熨斗を付けてあるあたり、彼が日本のしきたりにも長けている事が伺えた。

 

「…開けても、良い?」

 

「勿論」

 

 逸る心を抑えながら、手早く丁寧に包装を解いていく。ビリビリに破るなんて、到底出来そうになかった。喜び勇んで開封すると、中には精緻な細工を凝らしてある、アンティークの匣がひとつ。単体でも売り物になりそうなそれの蓋を慎重に開けてみた、中身は。

 

「……なにこれ?」

 

「小判だ」

 

「小判?」

 

「ああ」

 

 小判。それも明治期より前まで日本国内で使用されていたタイプの古いやつ。博物館や教科書でよくみる黄金色が、行儀良く収まっていた。「祝 御退院」なる日本語の文言も、無駄に達筆な草書体で添えられている。何を企図してこれを作ったんだろう。「ルルーシュは時々変なポーズで変なことを言いだしたりする異常性癖がある」とスザクがのたまっていた事があるが、噂は事実だったのか。

 

「遠慮はいらんぞ、さあ食べろ」

 

「コレ囓れっていうの!?」

 

「割と柔らかめな筈だ」

 

「そりゃ純金は確かに柔らかいけどね?」

 

「いやメッキだぞ?」

 

「メッキなの!?」

 

「ついでに中身はチョコだ」

 

「ホントに食べ物!!?」

 

「後腐れがないからな」

 

「真面目なのかふざけてるのかわからない……」

 

 ……ま、まあ、取り敢えず受け取ろう。断るのも悪いし。病み上がりも相俟って、なんだかどっと疲れた気がする彼女だったが。

 

「ところでシャーリー」

 

「なに?激辛チョコだから気をつけろとか?」

 

「実はその匣は二重底でな。本命のプレゼントは一段下に隠れている」

 

「どうして小ネタを挟むのここで??」

 

「捻りがないのも俺らしくないだろう?」

 

「捻くれてる自覚あったんだ……」

 

「シャーリーが実直な分、俺は偏屈な方がバランスとれてる気がしてな」

 

「何の均衡なのソレ……?」

 

 ツッコミを継続しつつも裏返す。するとよく見たら継ぎ目がある。爪を立ててパカ、と慎重に開けると現れた、本日二度目のサプライズの正体は……カンパニュラを象った、銀細工のネックレスだった。

 

(………え!?…これって、確か……)

 

 以前、父の日のプレゼント選びに付き合って貰った時に見つけた、ジュエリーショップの豪奢なショーウインドウに飾られていたそれ。可愛いなと思ってまじまじ見た覚えはあるが、値段がとんでもなかったので秒で諦めた代物だった。働きだしてから買おうと思ってたんだけど、まさかこんな形で手元にやってくるとは。

 

 中心にカットされたルビーと共に鮮やかに煌めく首飾りは、恐らくは一点もの。かなり前から準備していなければ、用意出来ないだろうプレゼントを。

 

「少し遅れてしまったが……誕生日おめでとう、シャーリー」

 

「………!」

 

 誕生日。そのフレーズを聞いて思い出す。短期とはいえ入院している最中、自分は14歳になっていた。家族ぐるみで一気に色々あってそれどころではなかったのだが、そうか。……誕生日、過ぎちゃってたんだ。

 

「…覚えてて、くれてたの?」

 

「俺にとって7月8日はその為の日だ」

 

「…………ありがとう、ルル…!」

 

「それはどうも。悩んだ甲斐があったよ」

 

 ほっと一息、安心したように破顔する彼の笑顔は魔性のそれ。……なんだ、喜んでくれるのか気にしてたのか。ポーカーフェイスだったから分からなかったけど、こんな可愛いところもあるんだ。

 ただそれだけで連日の入院疲れまで吹っ飛んでしまった気がするから、我ながら単純なものだ。

 

(……幸せだな、私)

 

 文字通りの宝物を抱き締めて、彼女は思う。考えて、選んでくれた。その気持ちが何より嬉しい。ましてや想い人からなら。

 感動と歓喜。それは彼女の中でいつまでも色褪せない、大切な記憶。側にいて笑っていてくれる、それだけで幸せだ。だから。この気持ちはまだ、大事に取っておこう。今は、この時間が何より愛しいから。

 

 ………ついでにもう一つの中身たるキスチョコレートは、食べてみたらべらぼうに美味しかった。後で聞いてみたら何と手作り。意中の人に(裁縫の腕以外は)女子力で勝てていなかったことに、なんとなく負けた気がしたシャーリーだった。

 

 

 ☆

 

 

「はああ………」

 

 時を戻して、現代へ。昼時を迎えたアッシュフォードの学食で、座卓に突っ伏してテンション急降下な女子が一名。誰あろういつもクラスの真ん中に居る女子、シャーリー・フェネットその人である。

 

「もー、朝から溜息ついてばっかりじゃない。どうしたのよ?」

 

 向かいの席に座って問うはクラスメートにして五つ子の次女、中野二乃。転入して以来、一番中の良い女生徒が早朝から空回りしてるのを見て取った彼女、半ば引きずるようにシャーリーを食堂へと引っ立てて今に至る。

 飢餓は思考を鈍らせる。加えて美容にも悪い。料理人としてひとかどの矜持を持つ次女が、末っ子が気落ちしていた時分と同じ手法を選択するのは、かくして自明の理であった。

 

「私ね」

 

「うん」

 

「昨日、ルルに酷い事言っちゃった……」

 

「酷いこと?」

 

 ええ、そんだけ……?と内心思ったが黙っておく。総身に致死毒が宿ってるような弁舌で人を突き刺しまくるあの男に、ちょっと軽口を叩いて何だというのか。中華マフィアの顧問弁護士をやってるって噂まであるんだから、雑言叩けるだけ頑張ったほうだろう。

 

「まあ、それは後で謝ろうと思ってるんだけどね……」

 

 でも、煩悶も理解できる。二乃も此のいたいけな友人にとって、ルルーシュがどれだけ大切な存在なのかは知っているから。無自覚だろうけど彼のことを話す時、いつも柔らかな微笑みを彼女は湛える。釣られてこっちも笑顔になるくらいの、とびきりのやつを。

 

「ちょっとケンカしたくらい何でもないでしょう?余程拗らせてるなら別だけど」

 

「拗らせすぎて他人ごっこ、とか?」

 

「なにそれ?」

 

「あー………ごめん何でもない、忘れて」

 

「?」

 

 他人ごっこ…?ブリタニアで流行ってる遊びとかだろうか。彼女は時々よく分からない。

 閑話休題。「大丈夫?」と聞いて「大丈夫」、と答える人は大概何かある。心当たりがないなら「何が?」って返ってくる筈なのだから。

 

「溜め込んでたって良いことないわよ?分かったら喋る喋る」

 

 そんなわけで先を促す。当初こそ困り眉の彼女だったが、引っ込み思案への対応は妹(三女)で慣れている。やがて観念したかのようにシャーリー、程なくしてぽつぽつと切り出した。

 

「………あのね、ニノ」

 

 既にしてお互い呼び捨てになるくらいには親密になった彼女らの片割れ、昔日の彼との思い出を先程まで回想していた少女は問う。

 

「もしも、なんだけど……」

 

 ………もしも、好きな人が他の誰かを好きだったらどう思う?

 

「振り向かせてみせるわね、どうにかこうにかして」

 

「た、例えばどうやって?」

 

「取り敢えず告る」

 

「……本気?」

 

「大まじ」

 

 自分ならそうするだろう。実際その時になってみないと分からないけど。恋愛事でも『右ストレートでぶっ飛ばす・真っ直ぐいってぶっ飛ばす』スタンスで挑んでいきたいと二乃は思う。いやまだ好きな人いないけど。

 

「でも、だいぶゾッコンみたいなんだけど……」

 

「その身形(ルックス)でなーに弱気になってるのよ。シャーリーなら押せばいけるわ」

 

 よーしよしよしよしよし、と思わず彼女の頭を撫で始める二乃。流石に(実質的な)中野家のオカン役を担ってるだけはある。吃驚した様相を見せた友人だが、何やら思うところがあるのか、大人しくされるがままになっていた。「人懐こい猫みたいで可愛い」と思ったのはきっと二乃だけではないだろう。

 

「いつからって、聞いても良いかしら?」

 

「かれこれ三年くらいかなあ…」

 

 三年。自分ならそんなに待てない、確実にアクション起こしてると思う。共学で美男美女の多いこの学校で、中等部から三年間フリー。周りでドンドンとカップルが成立していく中、それでも一途に想い続けるとは。彼女自身モテるだろうに他の男は一顧だにせず、よくもまあ粘ったものだ。

 

「な、長いわね大分……」

 

「飽きのこない人なんです……」

 

 スルメか。

 

「それはまた………どこが好きなの?」

 

「全部」

 

「わーお…」

 

 即答。健気すぎかこの子。全部好きってサラッと言う娘には初めて会った。ピュア過ぎじゃないか是非とも背中を押してあげたい。

 ……そうだ、いっそ焚き付けてみるか?何もしないで後悔するよりはマシだろう。停滞よりは前進だ。振られたら全力で自分が慰めれば良い。てことで。

 

「悩んでばっかで、他の誰かに獲られちゃってもいいの?」

 

 煽るような発言に、しかし。それがね、とシャーリーは一拍置いて一言。

 

「もう、くっついちゃってるの。それも結構いい感じに」

 

「わーお……」

 

 事態は、思ったよりややこしいらしい。

 

 

 ☆

 

 

 意中の相手は彼女持ち。だいぶヘビィになってきた案件を、それでもなんとかフォローアップしてあげたかったんだけど。

 

(やばいわね。自分の実体験をもとにアドバイスする、ってのが出来ないわ……)

 

 二乃だって同年代の男子と話したりしたことは当然ある。自分の何処に惚れたのか知らないけど、告白された経験も(一花程ではないが)有る。けど、それだけ。小中こそ共学だったが、記憶にある中で自分自身が誰かに懸想した事はなかった。母の再婚や死別、家や妹の問題──特に四葉──などで、それどころじゃなかったのが実情である。

 …前の高校?女子校だったし百合の気はない。同級生と恋バナしたことは散々あるけれども。

 

「うーん、…元カレとかとはどうしてたの?」

 

「私いないよ?水泳中心の生活してたから」

 

 奇しくもシャーリーも似たようなもの。泳ぎの楽しさに幼い頃からのめり込んでいた彼女の才能は折り紙つき。ジュニアの強化選手に選ばれるくらいのハイスコアを修めていた裏には、当然というべきか猛烈な練習量がある。

 正直言って初等部までは自宅と学校、スイミングスクールの往復生活だった。スクールのインストラクターなんかには格好良い人も居たけど、しかし彼女のお眼鏡(※無自覚だが滅茶苦茶ハードル高い)に適う男は居なかった。

 

 中等部以降は生徒会と運動部を掛け持ちしたこともあり、泳ぎは部活一本に絞ったので徐々に周りを見る余裕が出てきた。奇しくも同学年だけでもスザクにアキト、ジノを始めとするイケメン揃い。後にアッシュフォード()()()黄金世代とも称されるメンバーの中、颯爽と彼女のハートを掻っ攫っていったのがルルーシュだったのだ。

 

(私と同じかい!)

 

 友人の恋愛遍歴を聞いた、二乃の心の叫びである。

 しかしていつまでも凹んでる彼女をみてられないのもまた本音。元気を出せとのエールを込めて、拙いながらも弁舌を尽くして頑張って慰撫。その甲斐あってかシャーリー、本調子とはいかないまでも、まあ半分元気を取り戻すくらいには再起動。結果。

 

「……うん、いつまでもうだうだ悩んでても、私らしくないよね!」

 

 ふんす、とばかり握り拳をつくって何やら決意するに至った彼女を、微笑ましく見つめる。この分なら心配いらないだろうか。

 

「ありがとね、ニノ」

 

「どーいたしまして」

 

 シャーリー・フェネット。転入してすぐの頃から気さくに話しかけてきてくれた、今では一番仲の良い女友達。自分が『彼』を知るずっと前から彼女は、彼の事を慕っていた。本当に大好きなんだな、と幾度感じた事だろうか。

 

(果報者よねえ、あいつも)

 

 快活で豊かな表情と、人種身分分け隔てなくフラットに接する態度。部活にも勉強にも生徒会にも熱心で、当然友人も多い。美人の上にプロポーションも抜群だ。彼女を悪く言う人を、学内で見たことがない。

 ……尤も友人や姉妹の悪口を黙って聞いていられる程、二乃という少女は大人しくない。もしそんな手合いがいたならば、まあ平手打ちくらいは容赦なくぶちかますだろう。

 

 しかし激情家の反面、一度胸襟を開いた相手には情が深いのもこの次女の紛れも無い特徴だ。今だって、「なら、良かったらウチで一緒に勉強する?」と、提案くらいしてあげたい。コミュ力がカンストレベルのシャーリーなら、姉妹四人ともすぐ仲良くなれるだろう。

 

(……でも、言えない)

 

 言えない。最近、ある男の子に恋をしてるようにみえる、転入してからどころか生まれた時からずっと一緒の妹がいるから。そして二人の好きな人はきっと……同じ人だろうから。

 思い浮かぶ。自分の好きなタイプの顔で、でもそれだけの筈だった。どんな奴だろうと、聖域たる家の中にまで上がり込んできて欲しくなかった。でも最近は、ちょっとだけ……いやホントマジでちょっとだけ、一応名目は勉強だし少しだけ……来訪を楽しみに待っている、自分がいる。

 友達と、妹と、自分。そして、「彼」はどうにも既に彼女持ちらしい。

 

(………どうしたいのかしらね、私は)

 

 妹にこの事を秘すべきか話すべきか、迷う。何か自分の大切なモノを盗られたみたいな、感傷に浸っているわけでもない。もやもやするこの気持ちは自分自身の恋慕の情では、決してない……と思う。大体、自分の家庭教師に彼女がいたから、だからなんだ。生徒は本来感知しない案件、勝手によろしくやってればいいのだ。

 枝毛一つもない己がロングヘアを一房、くるくると指で毛束を玩ぶ。逡巡するなど柄にもないが、こんな心持ちは未体験だった。

 

(あいつがどうにかこうにか、上手いこと丸く収めてくれれば良いんだけど……)

 

 しかしこの時、悩んだ末の二乃の奮闘は決して無駄ではなかった。異なる位相に於いて、その死が血塗れた皇子を狂わせ、彼を自死(レクイエム)にまで至らしめる契機になった橙髪の少女の存在。その心を少しだけ………でも確かに、一歩前へと進めたのだ。

 

 

 ☆

 

 

『仕事がちょっと残ってるから、今日は生徒会室行くね』。ごく自然に、社畜精神に溢れる労働者めいたセリフを吐いたシャーリーと下校時に別れてから、およそ二時間後。ぬいぐるみが並ぶファンシーな色合いの自室にて。部屋着姿の二乃は帰り際、コンビニで得た情報誌を捲っていた。ヘアリボンは一旦解いて、化粧台に置いてある。

 

(バイトするならタウンワー……じゃなくて、やっぱり飲食系かしら。どうせならホールより、厨房メインのところがいいわね)

 

 ベッドに寝っ転がってパラパラと斜め読みをする彼女の目的は、他ならぬアルバイトを始める為。五つ子イチ美容やファッションに拘る彼女は、兎角化粧品から服装、エステにまで色々お金をかけている。養父からカードを渡されているのでお金に困りはしないのだが、彼女の目当ては給金ではない。

 

(あの味を超えなきゃ、女が廃るってもんじゃない……!)

 

 これまで、料理に関してはそれなりに自信を持っていた。家庭科の調理実習程度で、二乃のスキルに比肩する人は殆どいない。手際だって学食のスタッフにも負けていない。五年近くの切り盛りと研鑽の結果、今では和食・中華・フレンチ・イタリアンの有名どころは一通り作れるまでになった。

 

 でも、それだけでは駄目だ。思うに至った転機は、先般行われた創立記念日の学園祭。そこで出されたルルーシュお手製とされるスイーツの数々だ。シャーリーを始めとするクラスメートの女友達と行ったお店でも、あの時食べた以上の味に出会えない。

 模擬店の設備などたかが知れている筈。なのにハイクオリティーを実現し、手早く提供するのは並大抵の技術ではない。

 この時彼女が味わったのはドルチェだけに非ず。自らの劣位を悟り、それを覆さん為に努力せんとする、ハングリー精神をもこの日に咀嚼し始めたのだ。

 

(もっと識りたい。作りたい。実地で腕を磨きたい)

 

 例えるなら、燎原の火のような固い意思だった。現状に満足していては成長が出来ない。食の頂き、果てなき高みを目指さねば。

 もう遠月茶寮学園でも行ったら?と突っ込まれるような情熱(パッション)が、今の彼女を突き動かしていた。五月が己が「フルコース」の完成を希求する美食屋ドメ肉(意味不明)なら、二乃は「究極にして至高の一皿」を現出させんとするツンデレ求道者であるのだ。ただし。

 

(『構わん、だが成績が下がりすぎたら擁護は出来んぞ』って釘は刺されてるから、それは守らなきゃよね)

 

 バイト相談をしてみたら、冷静に即答した家庭教師の顔が浮かぶ。彼も何やら働いてるらしいので、労働すること自体に関しては推奨する向きだった。

 てっきり『学生の本分たる勉学も碌にこなせん輩がバイトだと?ド阿呆が調子に乗るな、はした金を掴むより先にペンを取れ』とか言われると思ってただけに肩透かし。理解があるということは、人に言わないだけで彼も額に汗して働いてるんだろう、偉いわねとか思ったりする次女である。

 

 ………尤も研究に勤しんでた昔は兎も角、現在のルルーシュの収入源は持株の配当金と賭場で巻き上げたあぶく銭、株取引とFXで発生したキャピタルだ。これらはルーチンワークの一環であり、汗など一滴もかいていない。

 そのくせ畜生発言をしなければ勝手に好感度が上がっていくあたり、生徒にどう思われているのか推して知るべし、というべきか。

 

 さてお金もそれなりに稼げて、料理の腕も向上する仕事。飲食チェーンは折からの好景気で人手不足な事もあり需要に事欠かないが、内容はやはり雑用が多い。ところが探すとほぼ厨房専門な求人が一件だけあった。名前は。

 

「……超大手じゃない、ここ」

 

 その名を黒の騎士団(ブラックナイツ)・日本支社。ここ三年ほどで一気に頭角を現した、全世界上位十指に入る株価を有する新興企業だ。

 一昨年、都内の一等地にドデカいビルをおっ立てたばかりの羽振りの良い会社でもあり、他クラスだがノーベル賞受賞者でもあるロイド先生やセシル先生、ラクシャータ先生なんかが関与してる組織でもある。経営には日ブ両政府が共同出資しているとかいないとか、なんて話も。

 CEOも兼ねている「ジュリアス・キングスレイ」なる社長は、株主総会でも姿を現さない謎の人物として有名。巷では「実は子供である」とか「AIの名称であって人間ではない」とか怪しげな噂まである。

 

 さて、今回はそこの社員食堂が何の気まぐれか実際に応募を出している。こんなところ引く手数多だろうに、なにゆえ求人誌に募集なんて、と思ったが事実は事実。「調理スタッフ募集、採用人数若干名」なる文言につられて詳細を調べると。

 

(時給じゃなくて月給制、更に交通手当と賄い付き。通勤用の無料駐車場、及び非常用の駐()場……駐輪場の誤植かしら?も完備の上、任意で会社全額負担の厚生保険にも加入可。残業基本なし、サビ残なし……)

 

 期間は試用込みで半年。その後は腕次第で半年毎の延長有り。大企業だけあって福利厚生はホワイトだ。

 

「……いいわね、コレ」

 

 高倍率だろうがダメで元々。どうせ働くならこういうところだ。履歴書に書き込みがてらスケジュールと詳細をチェックする。面接は行うが学歴不問とのことなので丁度いい。これでも一応、勉強もコツコツやってはいるけれど。

 ベッドから丸テーブルに移動し、ボールペンで丁寧に必要事項を記入していたその時。

 コンコン、と。ふと訪れたノックの音で我に帰った。

 

 

 ☆

 

 

 紙面に目線を固定したまま、「どうぞー」と事務的に一言。慎重にドアを開ける所作を背後に感じたので、顔を見ずとも誰なのかすぐ分かったが。

 

「失礼しまーす。……言われた通り帰ってきたよ、二乃」

 

「おかえりなさい、三玖。うん、時間以内ね感心感心」

 

 予想通り三玖だった。時間通りとは字の如く。食事の量や仕込みに影響する為、二乃は冷蔵庫横のカレンダーに四人全員の予定を書かせている。おかけで日程把握は慣れたもの、今日は一花は仕事、四葉はクラスメートとお出かけ。6時半までに帰宅予定なのが三女と、そして。

 

「ただいま。五月も一緒だよ」

 

「五月も?晩御飯なら出来てるわよ?」

 

「さすが二乃!今日はニオイからしてビーフストロガノフ……ああいや違うんです、話したいのはそれではなくて。いやそれもですけど」

 

「どっちよ一体」

 

 夕餉の支度が整っていることに素早く反応、三玖の後ろからひょっこり顔を覗かせた五月とも対面。この娘は食べる事が主軸なのは昔からだ。さてご両人お揃いで何なのか、と思ったら。

 

「皆が戻ってきたら、話したいことがあるんだけど………」

 

 三女が深刻な口調で呟く。何やら写真?資料?の入ったクリアファイルをそれぞれ携える妹達は、どちらも真剣な表情だった。そういえば昨日、揃って帰宅してきた時もこの二人こんな感じだ。

 

「なーによ、怖い顔して」

 

 ポールペンを机上に置き、一旦中座して立ち上がる。シリアスなのは結構だが、此方のリアクションは内容に拠る。「学校めんどいから退学したい」とか、「若気の至りで赤ちゃんが出来ました」とかほざいたら張り倒すつもりだ。…が、悲愴な顔色ではない様子からみるに、そこまで後ろ向きなトピックでもないらしい。

 

 ……表情から機微を察しようとしていらん考察を試みるあたり、二乃も徐々に毒舌家庭教師の悪影響を受け始めているのだが、自覚は果たしてあるか分からない。

 

「お風呂出た後でじっくり聞くわ。取り敢えず、先に三人で夕飯にしましょう」

 

 温め直せば支度は終わる。食洗機に食べ終わった後の器を入れ、長女と四女の帰りを待ってれば後々楽だし。てことで入室中の妹二人にリビングに行けと退室指示。ドア横に吊ったエプロンを引っ掴んで持っていくことも忘れない。

 

(……そういえば)

 

 三玖と五月に配膳を頼みつつ、自分は素早くヘアゴムでポニテを結んでいく。足取りも軽く階段を降りながらも彼女、思考は友人のことを気にかけてもいた。

 

(シャーリー、上手くやってるかしら………?)

 

 

 ☆

 

 

「「…………」」

 

 時を同じくして、二時間後。学園の騒ぎの中心地として名高い(?)アッシュフォードのクラブハウスを、微妙な沈黙が支配していた。

 ばたりと鉢合わせしてしまったのは生徒二人。一人は教え子五人の個別テキストを作るついで、珈琲でも嗜むかと思い至った黒髪ストレートの副会長。そして仕事を終わらせたのち、何故か心頭滅却とばかり聖書の一節を諳んじていた橙髪の兼部役員。こっぱずかしいところを見られて硬直していた彼女と、昨日の痴態?を見られて以来なんとなく気まずい彼との間の、静寂は。

 

「「あの」」

 

 破られた筈が、同時にお見合い。

 

「……ル、ルルからどうぞ?」

 

「シャーリーが先だ」

 

「いや、いいっていいって」

 

「レディファーストくらいさせてくれ」

 

 時間経過、一拍。二拍。彼に譲歩の気配、無し。

 

「……じ、じゃあお言葉に甘えて」

 

 先手はシャーリー。お互いちょっと気まずくなって、思い出す。三年前も、確かこんなことあったなと。あの時は片方は病床だったが。

 

「……昨日、ゴメンね?怒鳴っちゃって」

 

「全く気にしていない。それに俺も……いや、言い訳になるな」

 

 ばつの悪そうな顔で首に手をやるルルーシュ。てっきり手練手管を用いた言い訳を披露するのかと思ったら、何も言わないつもりらしかった。聞きたいことは色々ある。だけど。

 

(あんまり引っ張っても、迷惑だよね……)

 

 付き合ってもない女にうだうだ絡まれて、彼だって面倒くさいだろう。勝手に恋人面してくる厄介者なんて、もし逆の立場なら精神科行けとしか思えない。

 

「……黙っててくれても、勿論良いんだけど。…付き合って、るの?」

 

 いきなりの核心。一言には勇気が要った。だが。

 

「まさか」

 

 返ってきたのは、これ以上ない否定だった。

 

 

 ☆

 

 

「じゃ、じゃあ昨日のは」

 

「あいつとは腐れ縁だ。お互いの距離感が可笑しいのも仕様だ」

 

 どう見ても恋人同士に見えたのに、違うと。

 

「好きじゃ、ないの?」

 

 両想いなんでしょ?影ながら、そんな意も込めたんだけど。

 

「…………どうなんだろうな、実際」

 

「……どう、って?」

 

 目を細めた彼の表情は、今までに見たことのないもの。躊躇、懊悩、隔意、慈愛………それら全ての入り交じったような、複雑な面立ちだった。何か確固たる意志を持っていても、相手の感情を測りかねている、そんな顔立ち。

 

「確証が無いんだ。どう思われてるのか。これが親愛なのか尊敬なのか、また別の何かなのか」

 

「……そんなこと、ないと思うけど」

 

 本当にそう思う。頭脳で目の前の天才に敵う気はしないけれど、恋愛(こっち)方面の嗅覚ならきっと彼に勝る。

 彼はマイナスの感情を察知することにかけては極めて敏感だ。まして悪意を向けられたら即断即決。持ち前の知力も相まって、先回りして敵の機先を制し、やり返すくらい造作も無いのだろう。

 思えば自分が落ち込んでいた時、真っ先に気付いてくれたのはいつもルルーシュだった。人の心が読めるのかと本気で考えたくらいだ。だが。

 

(ルル自身に寄せられる好意には、てんで鈍い……?)

 

 いや、疑問形じゃない。おそらく自分の気持ちだって気付かれてない。これはきっと何か理由があるのだろう。だいぶ重症なところからして、単に失恋を経験したとかではない筈。

 

(昔、早くに親元を離れたって言ってたっけ……)

 

 事情を深くは知らない。単に留学の為かと思っていたが、もしかしたら。……人格形成の時期に、酷くトラウマになり兼ねないことがあったのかもしれない。物心ついて以降は無償の愛を注がれていた時間より、人の悪意に晒されて来た時間の方が長いのかもしれない。或いは自らの有用性を提示して人と争い、交渉して何かを勝ち得る。そんなスタンスで生きてきたのかも知れない。

 

 幼少より生きるか死ぬかの競争漬けの生き方をしていれば、対人思考は懐疑的で尖鋭的になるだろう。対価もなしに笑顔を向けられ、利など一切求めない愛情を感じても、受容するより戸惑いの方が勝ってしまう。だから、好意に疎い。

 

(……でも、ルルは歪んでない)

 

 まして愚鈍でも、怠惰でも卑屈でもない。自ら高みに在ろうとする努力は積んでも、他者を引き摺り下ろそうとはしない。挑発的で人を焚き付けるような軽口は叩くが、他人の粗ばかり探して陰湿な悪口を吐く事はしない。いらぬ嫉妬に付きまとわれても、常に結果を出して黙らせて来た。

 

 捻りに捻くれても性根はストイックに真っ直ぐ育った彼を支えたのは、彼を鼓舞し、傍に居てくれた人の存在があったからだろう。腐れ縁。言い換えれば幼馴染に近い。ならば今のルルーシュを、シャーリー・フェネットが惚れた彼を涵養したのはきっと………見目麗しく艶やかな緑髪をたなびかせる、彼女なのだ。

 

(………とっくに、両想いだったんだ)

 

 片恋とは、なんと脆いものなんだろう。彼に逢えたこと。好きになったこと。これは運命なんだと、自惚れても良いのだろうか。そうも考えた。

 何度生まれ変わっても、きっとまた。懲りもせずそう想ってしまうと。

 

「ルル……」

 

 昨日だけでも色々迷った。羨ましかった。妬ましかった。そしてそんな浅ましい考えを抱く自分が、堪らなく嫌だった。

 気付けば、どん、と。体当たりに近いくらいの勢いで、そのまま彼を抱き締めていた。

 

 

 ☆

 

 

「シャーリー……!?」

 

 飛来する驚愕、誰何。素で面食らった表情を、初めて見た気がする。照れ臭くて恥ずかしいけど、面映ゆい。

 

「ごめんね、急に」

 

 自分より少し背の高い彼の黒髪がふわりと揺れ、鼻腔にトリートメントの香りが抜ける。どうしようもなく好きな匂いなのは、きっと彼が身に纏っているからか。残り香だけで胸の奥が痛くなる。恋患いもここまできたら末期だろう。

 

「……やっぱり、無理だよ」

 

 この心根が醜くても、独り善がりでも、我慢出来ない。言わずに後悔し続けるなら、せめて言って後悔したい。

 

「なあ」

 

「バカ。ほんと、バカ」

 

 大馬鹿だ。私は。浅ましい泥棒猫じゃないか、こんな真似。

 

「シャーリー」

 

「鈍感、スケコマシ、女誑し、プレイボーイ」

 

 身勝手にこんな事ばっかり言って。

 

「……酷い言われようだな」

 

「でも」

 

「まだあるのか!?」

 

 ある。山程ある。伝えてない気持ちが、沢山ある。言いたいことが、一杯。

 

「………でも、好き」

 

 傍にいたかった。適うならずっと一緒にいたい。桜の舞う頃、宴のあと。星降る夜に、雪融けの朝。好きになったのは理屈じゃない。見た目だけじゃない。身体目当てでも勿論ない。

 彼だって人の子だ。人間だから失敗もするし、傷心も迷いもするだろう。

 それでも。如何に心を蝕まれようと、困難な局面に立ち合おうと、非難の矢面に立たされようと。どんな状況だろうと踏破し、看破し、突破する。不器用な優しさと、溢れ出る異才とカリスマ、誇り高き精神に……惚れ抜いている。だからこそ。

 

 たとえもう貴方が、他の誰かを愛しているとしても。

 

「………大好きなの、ルルのこと」

 

 貴方以外を、好きになんてなれない。

 


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