五等分のルルーシュさん。 作:ろーるしゃっは
シャーリー回ルル視点、からの伏線回。
勇気を振り絞ってくれたのだろう宣言が、皇子の耳には確かに届いた。しかし、彼が返事をする間もなく。
「だからお願い。……ハッキリ、振って」
『そうすれば、諦められるから』、と。
でも。突き放すような別離の表明とは裏腹。涙でグズグズな表情には、説得力のカケラもない。
口をつくのは三年前、病院で「帰って」と言われた時と同じ言葉。
「断る」
「ねえ、ルル…!」
今のシャーリーは正直危うい。打破するために此処から先は、魔女にバレたら殴られる覚悟の所業が必要になるかも分からない。『避妊はしたのか?なら良いぞ好きにしろ』という相棒の頭おかしい方針を知るのはこの後なのだが、勿論今は知る由もない。
「見縊らないでもらおうか?俺の中でシャーリー・フェネットとは、そこまで軽い存在ではない」
「こんな時まで、優しくしないで……」
「相手くらい選んでる」
「……大好き、なの。だけど…だから、好きって言って欲しくない」
…ああもう、じれったい。矛盾する投げ掛けに一抹のもどかしさを感じて、今度は自分が抱きしめ返す。「きゃっ」という艶交じりの声音が耳に届く。ついでにハグして初めて分かった。彼女、割と着痩せするタイプらしい。
「ルル……!?」
女子にしては割に背の高い同僚は、正面から抱き締めると自分の額の辺りに頭頂部がくる。目視せずとも耳まで真っ赤になっていく様が、手に取るように察せられた。
「ぅえ、え」
「焦らなくていい。落ち着いて、シャーリー」
「無理!絶対無理!」
目を合わそうとすると、か細くも強い声と共に、視線をあっちこっちに逸らされた。
「聞かせてくれ。思ってること、全部」
「………は、恥ずかしいって……」
「今だってそうだろう?」
「……私、ルルの彼女でも何でもないんだよ?……ただの、同級生なのに」
「単なるクラスメートにここまでしないさ」
繰り返すのは断定。しかし口と裏腹に心は揺れる。弄んではいないだろうか。こんな態度を取ること自体、礼を失しているのではないだろうか。
彼女はトロフィーでもモノでもない。歴とした意思と思考ある人間で、悩みもすれば傷つきもする年頃の少女で、気の合う仲間で、何より大切な友人だ。
「なあ、シャーリー」
かつてブリタニアの初等学校を退学する時だって、此処まで悩みなどしなかった。推理力も戦略眼も役に立たない想定外の事態に、揺らぐのは感情ばかり。
「俺はこういう機微に疎い。みっともない話だがな」
『お前の直ぐ近くに、誰よりお前を想ってる奴がいるんだ。放っておくのは至誠に
「だから、教えて欲しい」
抱きすくめたままで右手をそっと、綺麗な橙髪に添える。合わせてぴく、と一瞬強く身体を強張らせた彼女。やがて何かを決心したかのように、ゆっくりと両腕を背に回してきた。きゅ、と掴まれた制服が突っ張るのを背筋越しに感じる。
「…………ずーっとね、言いたかったの」
耳元で囁かれる独白は、独り善がりの我儘には思えなかった。日頃から皆を笑顔にさせる少女に、此処まで哀しい声音を出させている。その原因が自分であることに、胃の腑を抉られたような心持ちになった。
「でも言えなかった。今の関係、壊したくなかったから」
いたいけに過ぎる吐露は、返答を惑わせるに十分。そうでなくても情が移って久しい相手を、手酷い返事で傷付けたくない。けれど安請け合い出来る器用さもないのに、陽だまりのような少女にそこまで懸想される価値を……血に塗れた自分に、見出せない。
なのに。
「それでもね。この先……何度生まれ変わっても、きっと。…私は、ルルを好きになる」
まだ彼女は、こんな奴を好きでいてくれるらしい。
……自分は一体、何度救われるつもりなのだろうか、この少女に。答えを求め思考の隘路を彷徨う心は、いつのまにか。彼女と初めて会った日にまで至っていた。
☆
初めての邂逅は、今より三年前のこと。しかし彼女との委細を説明するには、更に四年を遡る必要がある。
七年前、かの事件の後日本に渡った彼を待っていたのは、生き馬の目を抜く自由競争市場の激しい争い。そこに無償の優しさなど有りはしない。皆従業員を養い、手前を存続させることで手一杯。当然の如く自行の利潤確保が最優先であり、将来性や対価を提示しなければ見知らぬ会社に融資なぞしてくれない。情を殺して理に徹する以外の選択肢は、馬鹿としか見做されないものだった。
金を解決したと思っても、今度は人材不足という課題も発生した。まして挑戦する事柄が事柄のため、当初は雲を掴むような空振りの繰り返し。いくらルルーシュが非合法な手段(賭博等)で金策に勤しもうと、常識外れの演算能力を有していようと、マンパワーの不足は補填し難い。「諦めろ」と、顔のない誰かが囁いている気すらした。
『何故、五年なんて区切りでシャルルと契約したんだ?お前の手腕ならもっと引き伸ばせただろうに、私も取りなすから今からでも…』。…そんなC.C.の疑問、もとい慰撫も尤もだった。
だが彼には、時間を圧縮せずにはいられない理由があった。四半世紀もかければ、間違いなく治療法完成の目処は立つだろう。
しかしその時、深手を負った皆は何歳になっている?
事件に因る怪我で、ジェレミアは近衛からの除隊を余儀なくされた。コーネリアは将来の嫁ぎ先すら覚束ないだろう。マリアンヌがほぼ前後不覚に陥った事により、ヴィ家の勢いは目に見えて低下した。ナナリーやアーニャに至っては普通科の義務教育すら受けられない。必死に点字を覚えんとする妹の姿を見る度、ルルーシュの心には悲哀と後悔、そして憤怒が募っていった。
こんな悲劇は二度と繰り返させない。罪無き人々に塗炭の苦痛を与えさせてはならない。自分の不始末は自ら贖わなくてはならない。平和を阻み明日を忌避する、そんな輩は全て斃さねばならない。
人を殺し、人を救う。思い描いた二つの野望を実現させるため、何年かかるか分からぬ計画に何千何万という人を巻き込む。高慢で尊大なエゴをしかし、彼には実現出来るだけの才があった。
そうして、紆余曲折を経てR2-Cellの研究と発表、実用化を迎えて間もない時だ。シャーリー・フェネットという少女に出会ったのは。
その頃はナナリーをはじめとする負傷者が快復した歓喜こそあった。が、四年間まともに気の休まらぬ生活を送っていたせいか、メンタリティがとりわけささくれだっていた時期だった。C.C.がいなければ、とっくに修復不可能な人間になっていたかも分からない。
(これでやっと、ナナリーに人並みのモラトリアムを謳歌させてやれる。箱庭としても安全だ、これ程相応しいところはない)
アッシュフォードに抱いていた印象は精々その程度で、自分まで入学する予定は全くなかった。無論現代社会で学歴はあった方がいいに決まっている。だが大卒どころか世界トップレベルの頭脳を有しているのに、今更高校生なぞ面倒で仕方ない。
しかし「お前のために必要な事だ」、と珍しく強硬に主張したC.C.に説得され、渋々入ったのが内実であったため。
(飛び級でさっさと卒業してやる。C.C.の顔は立ててやったが、俺にはやらねばならんことが目白押しなんだ。油を売っている暇などない)
折良く学園に就任したC.C.にはギアスが効かない。担任が認可しなければ学年のスキップなど不可能だが、彼女は理事長に言われようとルルーシュを退学させる意思はない。よって早期に卒業するには、正攻法でさっさと学内の統治機構を掌握し、必要単位を搔き集める必要がある。具体的には、1セメスタあたりの単位履修上限を撤廃させたりとか。
四年ぶりに始めた学校で所属した生徒会でも、彼は己のための過激な改革を行おうと企てた。性悪説を前提として構築した抜け目ない一声を発せんとする、正にその時。
『はじめまして!私、シャーリー・フェネットって言います!敬称とかぜーんぜんなくて良いから、これからよろしくね?』
それが、始まりだった。
☆
彼女は、彼が宮廷で見聞きしたブリタニア人とは全く違っていた。周りの人を巻き込んで、気付けば皆を笑顔にしている。大切に育てられてきたのか礼節も弁えており、円満な家の出ということが伺えた。天真爛漫で、底抜けに明るい子だった。
休めるのは家の中でだけ。学校で被り続けんとした仮面を引き剥がしたヒト。それこそ、『ルル、まーた仏頂面してる!』なんて言って話し掛けてくれる彼女だった。
思えば彼女こそ、自分が初めて仲良くなった、「平和な一般家庭に暮らす市井の女の子」に他ならなかった。
でも正直、最初はあまり好かれていなかったと思う。自分の容姿とスペックだけ見て、騒ぐ女子は腐る程いた。しかし彼女はさにあらず。出来得るだけ人の内面を知り、識ろうとする。硬質な容姿や堅い口調も相俟って、初対面の人を緊張させ易い自分にすら例外無く。
(……何時からだろうな、『ルル』と呼ばれる様になったのは)
彼女が偽装を見抜いたきっかけは寡聞にして知らない。ただ素を出せるようになってからは、彼女の自分へのあたりは徐々に柔らかくなっていったと記憶している。気付けば一緒に買い物なんかにも行ったりする仲になった。年度末の決算処理で遅くまで残って作業したり、クラブハウスに泊まり込みで文化祭準備をしたりしたのは、今でも良い思い出だ。
そして今日。二人を取り巻く関係は、否応無しに変革を迫られていた。
引き延ばすな。向き合え。お茶を濁してはならない。聞こえないフリなど以ての外だ。「俺は」と言いかけて、逡巡。もし。
(ここで断ったら、彼女は…どうなる?)
……決まっている。先の言葉通り諦めて、いずれ彼女も相応の人を見つけ、新しい恋をするんだろう。人の心は不変ではない。平和なところで誰か別の人と幸せになってくれと、想う心は嘘ではない。
しかし。同じくらいに、今ここで彼女に傷心を刻ませたくない。
矛盾する心音もまた、嘘偽らぬ本音。零奈の言葉で覇道に眼醒めた。妹の願いで決起した。魔女に折れぬ力と愛を貰った。そしていつのまにか、シャーリーに荒んだ心を救われていた。彼女とギクシャクするなんて、到底耐えられそうになかった。
(俺にとって、彼女は何だ?)
ナナリーは己の背に回してでも護るべき庇護者。C.C.は背中合わせの共犯者。スザクは親友であり右腕。ならば彼女は……手を取り合って共にある、そんな存在だろうか。
少なくとも単なる同僚ではない。心情が行動に出ていたのか、何処にも行くなとばかり腕の力を強めた時。
「……あのね、ルル。…誰かを好きになるとね、すっごいパワーが出るの」
「……確か……『恋はパワー』、というやつか?」
「うん。毎日毎日その人のことを考えて、詩を書いちゃったり、早起きしちゃったり、マフラー編んじゃったり、滝に飛び込んでその人の名前叫んじゃったり、って…………ごめん、喋りすぎかな…?」
胸の中で身じろぎしながら苦笑いする彼女の目を見て、ハッキリと。
「……いいや、そんなわけあるか」
『なあ、シャーリー』。穏やかに言葉を続けて、紡ぐ。君は、いや、君もきっと、自分にとって既に。
「俺は断れない。君を陳腐な言葉で貶めたくない。君には嘘をつきたくない。いや、俺自身がしたくない」
詭弁だ。傲慢だ。心に決めた人がいるのに、この上更に?……色に溺れていると言われたって、反論出来まい。誰がどう聞いたってふざけた返答だろうに。
だというのに。抱き締めてからずっと身体を強張らせていた彼女が、倒れないよう慎重に此方に体躯を預けてきた。さながら、親鳥に全幅の信頼を寄せる雛のように。
「………やっぱり、ルルはカッコ良いよ」
左肩に頭を乗せてきて。そのまま、フ、と薄く笑う。
「……私ね。…今のルルが、何考えてるか大体わかるよ」
制服越しに伝わる心臓の鼓動は、確かな生を如実に伝えてくれる。当たり前の感覚が、訳もなく尊く思えた。
「真面目だよね、ルルは」
「買い被りすぎだ、俺を」
潤んだ瞳に見つめられる。何か間違えば、互いの唇が触れ合いそうな距離で。
「あんまり自分を卑下しないで。私、ルルのカッコいいとこたくさん知ってるんだからね?」
例えばどこだ。軽い気持ちで、返してみたら。
「優しくて人望あって、目端が利いて頭良い。体力無いけどスポーツ上手で、乗馬もピアノもダンスも上手い。教養あるし字も綺麗、料理もお菓子も美味しく作れて、手際がいいし手先も器用。何よりどんな難しいことでも、決める時は必ず決める。それからね……」
「………あの、その辺にしてくれ、頼む…」
悶死しそうだ。面と向かってこうまで評されたことはない。戦略家という自負はあるが、流石に過大評価だろう。客観視というには良い方に補正がかかり過ぎているようにも思うけれど。
「伝わった?」
「生まれて初めてここまで褒められた気がする」
「因みにもっと沢山あるよ?」
にこにこと、鷹揚に彼女は微笑む。単に素敵な女友達と、認識していたはずだった。それなのに、ここまで澄んだ一途な好意を向けられたら。
「……有難う、シャーリー」
無下になんて、出来るわけがない。
………それから、取り留めもないような話をぽつぽつとした。先程までの艶めいた空気は雲散霧消。気付けばいつの間にやら、お互い背に回した腕を解いていて。流石にずっとくっついてたら暑いよね、なんて言って。二人の間の距離感も、いつも通りに戻っていた。
「今日はありがとね、色々。……それじゃ、また明日ね!」
去り際に台詞を残し。鷹揚に手を振って、彼女は先にクラブハウスを出て行った。気を使ってくれたんだろう。湿っぽくならないように、わざと。
おかげで、明日からもいつもどおり振る舞えそうだ。
暫くはこのままで。「出来るだけ自然体で振る舞おう」と心に決めて、一旦別れた。
まるで睦言のような問答。それを途中まで、扉一枚隔てた向こうに。
(…………うっかり出歯亀しちゃったけど、これは大変なことになってきちゃった、かな?)
タイミングが良いのか、悪いのか。金糸を揺らす生徒会長がひっそりと聞いていた事に、その時は気付かなかった。
☆
「で、抱いたのか?」
「するか!」
クラブハウスでのすったもんだから二時間のち。人の部屋に入ってくるなり、「制服から違う女の匂いがするな、遂に痴漢をやらかしたか」と濡れ衣を被せようとするC.C.に対し。本日の委細を掻い摘んだ供述をしたところ。
「甲斐性なしめ。それでも皇子かこのヘタレ」
「既にお前がいるのにか?両方に失礼だろう、出来るかそんな事」
相変わらず通常営業な彼女に安心もする。だが同時に面食らいもした。
(なんだこのリアクションは。俺が予想してたのと違うぞ……?)
心中でのみ発した本音に、しかし。彼女は野郎の考えなどお見通しとばかり、ニヤリと揶揄うような笑顔をうかべ。
「何だ、私が嫉妬でもすると思ったのか?」
「…………ち、違うのか?」
「別に女がいくらいようが構わん。誰かさんの扶養が増えるだけだろう」
「なあ本当に教師かお前?」
コンプライアンスに抵触する要素しかない。アッシュフォードの人材選考はこれで良いのだろうか。
「ブリタニアの法に準拠しただけだ、問題なかろう」
「ここは日本だ」
「あ、今の内は避妊はしておけよ?ほっとくとあちこちに撒き散らかしそうだからなお前は。学生結婚がしたいなら知らんがな」
「人のことを発情期の猫みたいに言うんじゃない」
「猫か、それも良いな可愛くて。かくいう私も一度くらい猫を産んでみたいと思ったことがあってな」
「知るか。産めるものなら勝手に産んでいろ」
会話が過度に弾みすぎてボールがキャッチしづらい。
「か、勝手に産めって……お前の遺伝子、猫ゲノムだったのか……」
「獣扱いするな、人を何だと思っているんだ」
「けだもの」
「……せめてもう少し、まともな表現で頼みたいんだが」
「おい、自覚無いのか………?」
素でうわあ、という顔をされた。……他ならぬ彼女に言われると、まあそうなのか?と考えざるを得ない。そこまで倒錯してる筈ではないと思うんだけど。あ、でも二人きりの時のC.C.は、時折借りてきた猫みたいになる。普段は野良猫みたいな女なんだけども。
閑話休題。額に手をやり、「はぁー」と聞こえよがしに嘆息した魔女の口から、お説教じみたお小言が飛んできた。
「あのなあ、一七とはいえあまり女に恥をかかせるなよ?シャーリーがどんな気持ちだったか……」
「恋愛沙汰にまで御教授は結構。俺の問題なんだ、俺が何とかする」
「お前が朴念仁だからこんなことになってるんだ唐変木」
「否定は出来んな。しかし女心など俺には量れん」
「売れないホストみたいな言い訳をするな」
「誰が水商売の輩だ」
「髪型がそれっぽい」
「流石にこじつけじゃないか…?」
……でも確か同じ事を、前にカレンにも言われた。「イケメンでそのヘアスタイルだから、黒シャツと白スーツ着たら完璧に夜の蝶」だとか。褒めてたのかディスってたのかは分からない。因みに彼女の名誉の為に付け加えると、カレンはクラブ通いなぞしていない。
「…………ところで、話は変わるんだがな」
「先に鏡見てきたらどうだエロホスト」
「やかましい、まあ聞け。鍵はこの前交換したばかりなんだが、なんでお前は極自然に俺の部屋に入ってこれてるんだ?」
親しいとは言え扉を破壊して入室するほど、彼女は常識知らずでは無いはずだが。
「ナナリーがくれたぞ。合鍵」
「なん、だと………」
即ち、妹公認。ヒラヒラと揺らしたカードキーを見せつけたのち、それを谷間に挟み込んだC.C.は。
「あ、そうだ。気分だけでも酔いたいから、後から私の部屋で酒を注げ。御相伴にあずからせてやる、有り難く思えよ?」
……鍵の件をつつかれると面倒とばかり、露骨に話題を変えにきたかこの女。
「誰が行くか。自棄酒なら一人でやれ」
「今日の件全てマリアンヌにバラすぞ?」
「一時間後に向かおう。掃除はしておけ」
人、これを手のひら返しという。断じて尻に敷かれてはいない筈、多分。
☆
それから更に数時間後。バスローブ姿のルルーシュは、自宅のあるマンションのベランダで一人、自作のカクテルを傾ける。時刻は夜の二時だった。
人々の寝静まったこの時間に酒を傾けるなど、不健康で不摂生極まりない。しかし連日の蓄積疲労が抜けていくようで、身体に悪いと分かっていても無性に心地よかった。
(………あの日からもう、七年か)
悩み事を抱えた日に思い出すのは、決まってあの絶望の日。事件が起きた夜も、一陣の乾いた風が凪いでいた。
下手人たるギアス嚮団は、自ら動けるようになったこの三年間でほぼ壊滅させた。雲隠れした残党もじき殲滅し終わるだろう。囚われていた子供達は解放し、一部の俊英は自らの会社に(学校に通わせる条件付きで)雇い入れた。
事件の遺族には個人的に稼いだ金でもって、遺族年金にプラスアルファで見舞金を給付している。自己満足の偽善と分かっていても、こればかりは一生続けていくだろう。毎年律儀にブリタニアに戻るのは、死者への墓参りのためでもある。
既にこの人生は、あの日喪った五つの屍の上にある。犠牲者の中にはアッシュフォード家の令嬢、ミレイ会長の元婚約者もいた。
取り返しのつかない事をしてしまった。懺悔ばかりの日々だった。遺族の弔問に赴いた時は激昂されて殴られるのも覚悟していたのに、皆、「仇を討ってくれて有難う御座います」と述べるばかりで。いっそ罵ってくれれば楽だったろうに、誰も言わなかった。
再生医療の研究すら、代償行為の一環だったのかもしれない。せめて生き残った人達だけでも、と。
加えて今日の告白だ。結果として保留みたいな形になってしまったが、「年内には必ず納得のいく形で返事をする」と含み置いてはいる。ひとえに、これ以上悲しい顔をするシャーリーを見たくないから。
傍に居たい。これまで受けてきた告白とは全然違う。言葉が、重みが、篭った想いが。
普段は酒瓶を見たら即取り上げる癖に、今日だけは飲ませてくれるC.C.だって。二人の狭間で女々しく揺れる自分を、殴り付けたいくらいに懊悩する。
(「二番目でも良い」なんて……冗談でも、言わせたくなかった…ッ!)
選べない。どちらかが泣くなんて見たくも考えたくもない。二人とも幸せにしてやりたいのに、この身は一つ。
無論、金とコネとギアスと弁舌。これらを駆使すれば解決方法は山ほどある。戸籍の偽造から経歴詐称までなんでも出来るのに………嘘を、つきたくない。
暗躍する嚮団と陰ながら闘う道を選んだ事を、後悔はしていない。しかし、既にこの背は咎を背負っている。この手は殺した敵の血に染まっている。この面の皮の下に、冷酷な人殺しの顔を隠している。身分や出自どころか、己の名字すら嘘で塗り固めているのに。
これ以上自分を偽って付き合うなど、出来ない。そして嘘をつかずに現状を好転させる手段が、見えてこない。
(……いや、見えているのに見えないフリをしてるだけ、か)
……一つだけ、やり方はある。自身の全てを曝け出した上で、野望も諦めず、どちらも切り捨てずに済む合法的な方法。
だがその手段は日本での生活をやめ、『ランペルージ』の姓を棄てることと同義。まして大恩あるルーベンらを裏切り、妹と離れ離れになる選択を………直ぐに決断するなんて、出来なかった。
「眠れないなら、子守唄でも歌ってやろうか?」
苦悶に近い問答を、孤独に繰り広げていた時分。
部屋の奥、一人部屋には似つかわしくないキングサイズのベッドでシーツにくるまって、抱き枕を抱えた女性の声が飛んできた。
☆
七年間殆ど一緒に過ごしてきたC.C.の誰何。そこに珍しく、揶揄いの色はない。
「……少し、あの頃の事
「まだ、魘されてるのか?」
「平気だ。お陰様で」
「そうか」
悪夢に魘されたのは、数年前が最後だ。あの頃は兄妹揃って酷かった。
ナナリーは事件後、相当長い間フラッシュバックに苛まれた。情緒も不安定になり、酷い時は手を繋がないとまともに寝られなかった。
完全に快方に向かったのは、鬼のようなスパルタリハビリ(自分でやると言って本当に成し遂げた)を始めて不具を完全に治してからだ。
今では学業の傍ら、オフロードバイクからKMFまで乗り回してる彼女の姿なんて、あの頃に誰が想像しただろうか。
ついでに言えば「どうか兄様をよろしくお願いします」とかC.C.に何やら吹き込んでるらしい。……本当にタフな妹になったもんである。
そして、妹がそこまで回復したのも、思えば彼女の叱咤激励のおかげで。
「C.C.」
「ん?」
万感の思いがよぎる。恋愛事に悩める事自体、なんて贅沢な平和なんだろう。彼女が「お前のために必要不可欠だ」と奨励した学校生活は、確かに得難いものだったのだ。
「ありがとう。お前がいなかったら、ここまでこれなかった」
「なんだ藪から棒に、頼み事か?」
「何故そうなる。清聴しろ清聴、こんな機会は滅多にない」
「『聴いてください』の間違いだろう?訂正するチャンスをやるからテイク2を早くしろ」
「……き、聴いてください…?」
「殊勝なお前は好きじゃない。やめろ」
「あのなあ!」
「ルルーシュ」
「なんだピザ魔女」
「……何で、私がお前と一緒に居ると思う?」
「脈絡がなさすぎる。契約だからに決まってるだろう」
「それだけなものか。お前が抱いた青臭い夢と無体な野望、その両方に共鳴したから此処に居るんだ」
「は……?」
急にどうしたんだ?今迄、そんな事一言も。
「私が見たいのは女々しく悩んでるお前じゃない。私が…いや、
「…C.C.………」
「……分かったらもう寝ろ、朝のHRに間に合わん」
ひとしきり、言いたいことは言ったようで。彼女はそれきりごろん、と横になってしまった。コードに拠り肉体的疲労は直ぐ吹き飛ぶ彼女だが、心労は別らしく。程なくして、規則的で静かな寝息が聞こえてきた。
(…………心に従え、か)
自分にしか見せない、安心しきった寝顔を晒す彼女を横目に。
(おやすみ、C.C.)
江戸切子のグラスを傾け、呷る。酔いは朝には抜けるだろう。いつのまにか貰っている魔女の気遣いが、骨身に沁みた。
「ルルのカッコ良いところは、決める時は必ず決めるところ」と、シャーリーに言われた。ならば、今は。
(決める時、ということか)
明確な回答期限は年内と、自分で区切った。短い。猶予がない。しかし一人の友人に対し、アテもないのに茫漠と告白の返事を待たせるなんて真似、良心とプライドが許さない。期待させる間に彼女の一度しかない高校生活を、棒に振らせて終わらせたくなんてない。
(考えろ。ある筈だ、全ての懸案を突破する最適解が)
今日からは、新たな「プラン」を考えて実行せねば。時計が二時半になってるのを確認したところで、C.C.の隣に倒れこむように眠りに就いた。
☆
その日の放課後。「昨日、知ったんだけどね」という第一声から始まった中野家の長女の話は、娘達だけでの家族会議の結果?とやらを纏めたものらしかった。
学園近隣の喫茶店にて、「この前のお返し」と称しコーヒーを(半ば無理矢理)奢ってくれた彼女曰く、昨日は久々に五人で色々と話し合ったらしい。
「成る程。御母堂がアッシュフォードに通っていたのか」
「そーそー。昨日、図書館で五月ちゃんが印刷してきたらしくてね。流石に吃驚しちゃった」
どう見ても若いお母さんなの、見てこれ?と言って見せた写真に写るのは確かに、五つ子とどこか似た面影のある、赤髪の女子高生。成る程少し老けさせたら、彼女達と親娘と言われても違和感がない。
正誤は後程、東京都庁や区役所あたりの住基台帳をクラッキングして確認すればよいだろう。それより喫緊の問題が、また別にある。
(……何だ、この探るような色は?)
巧妙に隠してはいるが、その実慎重な声音を発する一花の挙動で分かる。此方のリアクションを、
彼女と似た者同士で良かった、普通は全く気付かないだろう。
(まだ他に、俺から引き出したい情報があるとでも?)
推し量りながらも会話は進む。「それでね、誰かお母さんと同年代の人で知り合いいない?」という事だったのだが。卒業式の写真に写り込んだ年度をみると19XX年。確かこの年はジェレミアが同期で卒業していた筈。彼はアッシュフォードを出たのち、本国で軍人になった経歴がある。
「この年ならジェレミア先生が該当するな。二乃経由で分かるんじゃないか?」
「ありがと。今月の三者面談の時にでも尋ねる様に言っとくね。あと、知ってる人とかは?」
「あるとすれば後は……ノネット・エニアグラム。この卒業式の写真で、一花達の母君?の隣に写っている女性だ。今はブリタニア統合軍で士官を務めている」
「この美人さん?…てか、詳しいんだね」
「彼女はコーネリア先生の先輩でな。皇女と仲が良いのもあって、ブリタニアだとそこそこに知名度があるんだ」
「ほぇー。この分だと日本にも知り合い沢山居るのかな、ルルーシュ君って?」
「日本に?」
この国、もっと言えば日本人に学園関係者以外で、市井の知り合いは殆どいない。キョウト六家の枢木や桐原、皇家あたりを除けば、一般の民間人に知己がいるのはそれこそ海外のペンデルトンとか、或いはブリタニアの士官学校とか。案外と日本での交友関係は東京周辺にしかないのだなと、再確認したところで。
数少ない
「……いや、一人いるな、愛知に」
「……また、女の人?」
「何故そうなる。男だ男。同い年の」
「え、スザク君の他に男がいたの!?」
「待て!俺にそっちの気はない!」
大体向こうは彼女持ち、自分も………いや、今は女関係で色々と複雑なんだった。コホンと咳払いを一つした時、間髪入れず彼女から「なーんだ、ならその子といつから知り合いなの?」、と問われて。
「いつから……?…そうだな、確か五年前から、だったな」
五年前。研究に行き詰まりを感じた頃に、C.C.に半ば尻を叩かれる形で再び赴いたかの地、京都府。
そこで「彼」に会い、ルルーシュはまた一つ、新たに闘う理由を得た。日本に来てから出来た縁としては、彼との親交はスザクの次くらいに長い。親友と向こうが思ってるかは分からないが、気心の知れた仲ではある。
……尤も件の彼に「貴方にとってルルーシュとはどういう存在?」と聞くと、「最も尊敬する人」と返ってくるだろうが。
「どんな人?その人」
「どういう奴か、か。一言では難しいな。ああ、写真とアドレスなら持っているぞ?」
「え?」
スマホを開いて連絡先を探し出す。ついでに以前
さて、件の相手とは。
☆
ところ変わって、愛知県某市某所。
某公立高校の程近くに存在する、「BAKERY UESUGI」なる製パン店は、地元の人々から創業以来高い評価を得続ける人気店である。開店時間には常連客が列をなし、早ければ昼前には売り切れで閉店してしまう。マスコミの取材は一切お断りながらこのお店、近年ではSNSなどで情報を得た若年層がひたひた訪れたりもしているところである。
さて。そんな密かな有名店の裏口にて、学生服を着込んだこの家の一人息子と思わしき少年が、最新モデルのG-shockを腕に付けつつ厨房へと声を飛ばす。
「
「チキンカツとピタサンド、おまけにフルーツよ〜」
「あざーす!」
芳しいパンの香り漂う包みを手に取りバッグにin。足取りも軽く少年は玄関へと駆けていく。返礼に合わせるように、『上杉らいは』と記されたネームプレートを下げた少女が、厨房からひょっこりと顔を出す。
「いってらっしゃーい、土曜日だけどね!」
粉まみれの手袋越しにひらひらと少年へ手を振る彼女。どうにも母親の作業手伝いをしているらしい。
「いってきまーす。あれ、親父は?」
「小麦袋の搬入!『俺一人でやんのかいっ』って愚痴ってたよー?」
「息子は今日模試なんだから仕方ないだろうに……」
「まーねえ。ちなみにお兄ちゃん、今日の模試の自信の程は?」
「自信?んーとな…」
予測を聞かれて端正なその顔に、少し疑問符を浮かべる少年。そのルックスはショートシャギーに近い無造作ヘアの金髪に、両耳に付けた銀のピアス。ふてぶてしい眼光と目つきは、到底進学校に通う生徒のそれとは思えない。
しかし実は彼、この見た目で東海地方ナンバーワンの頭脳を持つ優等生であるのもまた事実。
加えていえばこの身形で、別にカツアゲも煙草もクスリもやっていない。品行方正なフリをして裏では違法賭博で荒稼ぎしてる同い年の誰かさんとは、ある種対極と言っても良い存在である。
「控えめに言って、だけど」
ローカットのDr.マーチン──当然学校指定のローファーではない──を手早く履いた少年は、使い込まれたキーリングを革ベルトに装着しつつ、妹を一瞥し。
────全国五番以内、ってトコかな。
ニッ、と白い歯を煌めかせ。五年前までは単なるやんちゃなカメラ小僧に過ぎなかった男は、余裕綽々にそう答えた。
第1話で上杉家の人々は出ないと言ったな、あれは嘘だ。
※(五つ子達の家庭教師役では)彼はこれからも出ないです(言い訳)