五等分のルルーシュさん。   作:ろーるしゃっは

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サブタイ和訳:みくすき




TURN 05:三玖天下第一

 抹茶ソーダは良い。心のささくれを癒してくれる。

 

 

 二乃がトイレで悶々としていた同時刻。アッシュフォード学園の屋上でぽつねんと黄昏る少女が一人、幾分厭世的な思考へと埋没していた。

 右眼が隠れる程に長い前髪の奥からサファイアを覗かせるのは、中野家の三女こと三玖その人。

 

 奇妙な味のする清涼飲料缶を片手に日没を知覚する彼女は、しかしこれから何をするアテがあるでもなく。ただ茫洋と手持無沙汰に、すっかり温くなった缶を握る。

 

「…………帰りたくないな、家…」

 

 夕暮れに沈む街を見送りもせず、手摺を掴んで項垂れて。

 そう思うのには、些か心当たりが多過ぎた。

 急激に変わった環境。外国人だらけの学校に、見慣れぬ街並み。前の学校では落第しかけ、慕っていた母の墓は転校で遠くなり、父との仲は相変わらず微妙。引っ越しの荷物だって未だに整理しきれていない。

 

 この学園だって裏口で入ったようなものだから、いつ放校になるとも知れない。先行きが見通せないばかりでなく、とどめに家にやってきた家庭教師は、なんと同級生の男子生徒ときた。

 相次ぐ事象にキャパオーバーした今の彼女の、(うろ)みたいな心を占める感情は。

 

(………疲れた……)

 

 この一言に尽きた。

 一人になりたい。今は誰とも会いたくない。布団をひっ被って何も考えたくない。秋口の微睡みの中で、消え入るように眠ってしまいたい。第一なんだ、この街は。東京は雑音が多すぎて音に酔う。

 思わず愛用のヘッドホンを耳につけ直して、ざわつく波を遮断する。高性能なノイズキャンセリング機能は、こんな時も立派に役目を果たしてくれる。

 

 更に蹲って目をつむると、外界から少しだけ自分が隔離された気がして、やっと一心地つけた。

 

(……いつまでもこれじゃ、いけないのは分かってる。分かってるんだけど……)

 

 落ち着き始めたところで、またちょっとだけ考える。

 

 三玖だって今の自分は我が儘だと、理解してはいる。

 裕福な生活を送っているばかりでなく、設備の潤沢な私立校に転入までさせて貰った。

 姉妹五人揃って衣食住に何一つ困窮していないどころか、送り迎えは車付き、更には個々人にクレカまで渡されているのだ。こんな贅沢な環境、母の再婚前は全く考えられなかった。

 

 でも、自分のやりたい事が分からない。今の自分に自信が持てない。絡め取られた蔦の中から、一歩を踏み出すことが出来ない。自ら行動しない限り、自分を取り巻く世界はいつまで経っても色づかぬままなのに。

 

 昏い停滞の沼に、身をやつしていたその時だった。

 

 学生証(アンロックキー)をドアに翳す、ピ、という電子音がしたかと思えば。不意に自分を隔絶していた、屋上のドアが開け放たれた。誰かここに来たのだろうか。

 重い電子扉を解錠して、言葉と共に現れたのは。

 

 

「見つけましたよ、三玖……!」

 

 

 ☆

 

 

 扉の向こうから姿を見せたのは、最近とみに真面目さに拍車がかかって来たみたいに思える、中野家の末っ子だった。

 

「い、五月……?」

 

 ローファーの踵を鳴らして向かって来る彼女は、まるで末期の人間に告死を告げる医師みたいで。

 

(……行先は伝えてないのに、なんで私が屋上にいると分かったの…?)

 

 戸惑いながらも、半信半疑に誰何する。

 

「なんで、ここに…?」

 

「なんでじゃありません、無断欠席は貴女だけです。わざわざ車回してもらったんですから、早急に帰宅しますよ」

 

 帰宅。その言葉で現実に引き戻された気がして、思わずしかめ面になる。

 

 この子はどうしてそんなに一生懸命なんだろうか。気付けば五つ子の中でも一番勉強熱心だ。編入初日に二乃の手によって学食へ放り込まれるまでは、私と大して変わらぬテンションだったのに、一体その後何があったのか。家庭教師の件だってやけに前向きだし。

 

 翻って自分はどうだろう。…未だ、そこまで進める気はしなかった。だから。

 

「……これから図書館行くから、ヤ」

 

 にべもなく断る。妹の顔が悲しそうに曇ったのには心が痛くなったけど。自分を思ってくれての行動と分かっているけど。それでも……無理。()()()は、姉妹達には話せない。

 

「そうですか、なら私にも考えがあります」

 

 言うが早いが五月、少々しかめ面に切り替わる。そして目の前でおもむろに電話をかけ始めた、かと思うと。

 

「……もしもし、C.C.先生ですか?私です、先程お会いした五月です。すみませんが今どうされて……あ、学校に戻って職員室でこっそり寝てた?あの、早速ですが困り事で相談がありまして…ええ、ちょっと聞き分けのない姉が居ましてですね」

 

 とか言いながら三玖を直視。そのまま見せつけるように通話を続ける。これ見よがしに何がしたいのだこの妹は。

 

「…ですので腕っぷしの強い、ええと……そうです、ジェレミア先生です。お手数ですが本校舎の屋上までお願い致します、ハイ」

 

「えっ」

 

 それきりピッ、と通話を切った五月の顔は、ふふんと勝ち誇って居るようにもみえた。

 

「退路は絶ちましたよ。観念するのです、三玖」

 

 しかし当の三玖はと言うと、今しがたの通話に出てきた「ジェレミア先生」なる単語が気になってそれどころではない。

 

「ここに、呼んだの……?」

 

「はい。貴女を机に着かせるためです。不服なら幾らでも私を恨んで貰って構いません。それでも私はやりますが」

 

 五月が真面目に何か言ってるけど今は後だ。

 ジェレミア?ジェレミアってアレか、二乃が「キャラが濃すぎてヤバいわ」って言ってたC組担任の、身長高くて筋骨隆々で、半分ターミネーターみたいなあの改造人間!?

 

(なんて人を呼びつけてくれるの、五月……!)

 

 これ以上屋上に居てはならない。自分のなけなしの危険信号が警鐘を鳴らしている。こういう時は須らく早期撤退するに限るのだ。

 てことで回れ右、しようとしたその時。

 

 ガン、ガン、と。校舎の壁を蹴る音が聞こえたかと思ったら、何とソレは徐々に大きくなって近づいてくる。しかもただ壁を叩くんじゃなくて、まるで蹴り上がって迫り来る、ような…。

 

「なん、の音……!?」

 

 言い終わるか終わらないうちに。

 

「お待たせ致しましたッ!主の為なら何処までもッ!アッシュフォードがナイトオブワン、ジェレミア・ゴットバルト只今見参ッ!!」

 

 空を裂く、大仰な掛け声と共に。

 階下から跳び空中で宙返りしたジェレミアが、握り拳を地面に打ち付け颯爽登場。かくしてスーパーヒーロー着地を決めた妙な男は、突如少女二人の眼前に降り立った。

 同時に彼の付けてると思わしき、柑橘系の香水(オイル?)の匂いが淡く鼻腔へ届く。オシャレなのかは分からない。ついでに言ってることもよく分からない。

 

「…は、早……!」

 

「壁登って来ました…?今…!?」

 

 今さっきまで部活動の顧問でもしてたのだろうか、オレンジ色の派手な道着を着た男はその場ですっく、と立ち上がる。かと思うと、左眼を覆うゴツいスカウターみたいな機械から「ピピピピピ…」との電子音を伴って悠然と近寄って来た。出る作品を間違えている気がする。

 

「お二方共、拝謁の光栄に浴せる好機を逃してはなりませぬぞッ!宮殿(パレス)へお戻り願います、ミス・ナカノッッ!!」

 

 両手を広げて訳の分からないことをまくし立てながらジリジリと躙り寄る、やたらに体格の良いサイボーグ。花も恥じらうJKに迫るその様、さながら朝の特撮番組の悪役みたいだった。

 

 これはマズイ。激しく拙い。こんな不審者どころかトランスフォーマーみたいな人間に追いかけられたら、たとえ俊足の四葉であっても到底。

 

(……に、逃げられない………!)

 

 

 観念するほか、選択肢はない。

 

 結局勉強からの逃避を図った三女は、自宅へ帰還させられてテストを受ける羽目になった。

 

 

 ☆

 

 

 翌日。嫌々ながらも課業をこなし放課後というパラダイスを迎え、憩いの場たる屋上へと向かった三玖を。

 

「待て、逃がさんぞ不良娘め」

 

 …待ち伏せて腕を掴んだのは誰あろう、世界有数の知性(ジェレミア評)を持つ男ことルルーシュ。三玖の行動パターンを脳内演算し、最も確度の高い時間と場所に張り込んだ彼の頭脳は、今日も順調に作動している。

 

 一方、捕獲された彼女はというと。

 

「い、嫌。セ、セクハラで訴える事も辞さない……」

 

 割に頑固だった。勿論本当に訴える気はないけど、こうまで言えば流石に引いてくれるだろう。ブラフで投げてみたのだけど。

 

「やれるものならやってみろ。司法試験に一発満点合格の俺に勝てるならな?」

 

 全国一の頭脳の持ち主は、この程度では動揺すらしなかった。ブリタニアの弁護士資格最年少保有者であるルルーシュなら、実際訴訟を吹っかけられても示談にはしない。そもそもこの男との本気の論戦で優位に立てる人間を探すなら、選りすぐった史実の高名な哲学者でも用意すべきだ。それも複数。

 

 遅ればせながらも彼の固い意思を解した三玖は、この場は渋々恭順したフリをすることにした。

 

「…なら、早くして。…話って、何?」

 

「陶晴賢。これで分かるか?」

 

「……!」

 

 昨日のテストの答案、その一問目の答え。

 二乃に個人指導している内に帰ってきた一花と四葉を含めた、五人の中で彼女だけが唯一解けた問題。それにルルーシュは目をつけた。

 解けているという事は、復習を手抜かりなくやっていた証拠。つまり。

 

「やる気が無いわけではないだろう。なのに何故逃避ばかり繰り返す?自ら動かずして、己を取り巻く環境など何も変わらんぞ?」

 

「っ…………!」

 

 耳が痛い。直球が的確すぎて逃げたくなる。言われなくてもそんなこと分かってる。分かってる!分かってるけど!

 

「……か」

 

「か?」

 

 出来ない。そうしたいけど…出来ない。だから彼女は糊塗して誤魔化す。心に膿んで溜まるのは、モヤモヤとしたフラストレーション。いっそ身体でも動かせば、少しはスッキリするだろうか?

 

「嘉永六年、ブリタニアから親書を持って日本に開国要求をしてきた人物は」

 

「そんなものマシュー・ペリーに決まって……っておい!」

 

 答えない。どころか、小学生でも知ってるレベルの質問をぶん投げ、そのまま背を向け逃走を開始。どこへ行くというアテも特にないのに。

 が、ルルーシュから見れば三玖のそれは、単なる奇行もしくは逃走にしか見えず。

 

(逃がさんぞこのじゃじゃ馬めッ!戦略が戦術になど負けてたまるかッ!)

 

 緻密な理論的戦略が、行き当たりばったりの情動的戦術に屈してはならない。彼なりの信念だが、ここまで来るともう意地だ。さして遠くなりもしてない背を、脇目も振らずに追跡開始。

 

 それは傍からみれば「副会長が走って女生徒を追いかけてる!?一体何があったのかしら!?」と目撃者の誤解を招くくらいには、延々と続くのではないか…と思われた鬼ごっこだった。

 

 

 ☆

 

 

 しかし、僅かに一〇分後。

 

 

「…こ、こんなの、俺のジャンルじゃない……」

 

「…い、息切れしすぎ……」

 

「そのセリフ、そっくりそのままお返ししよう……!」

 

 疲労困憊で屋上に跪く、二人の様子で大体察せられるだろう。要するにバテていた。この二人屋上→中庭→また屋上という、無意味極まりない走り込みをやったも同然の一〇分を過ごしたのだ。

 どっちも若いのに体力が貧弱過ぎて目もあてられない。もうちょっとトレーニングとかしたらどうだろうか。壁走りでも難なく行う友人を見習うべきだ。

 

(三玖め…言動パターンからインドア派と思っていたが予想外だ。まさか俺をここまで振り回すとは………)

 

 御髪や服装の乱れを見苦しくない程度に直した副会長、なんとか荒くなった呼吸を整える。

 

「……何か事情を抱えているのは分かる。だが無理には聞かんさ」

 

 問いに返ってきたのは、数秒の沈黙。西日が落ちつつある学び舎の空間で、やがて躊躇いがちに彼女は述べた。

 

「………聞かない、の?」

 

「誰だって、隠し事くらいあるだろう?」

 

 一々的確な表現にハッとした。口ぶりからして彼もまた、何か抱えているのかもしれない。それに何だかんだ口は硬そうだ。…彼になら、或いは話してもいいのか?不安定な振り子みたいに、棘の刺さった心が揺らぐ。

 ……いいや、思い出した。まだ踏み止まる材料がある。

 

「…で…でもキミ…答えたって、嘘つくでしょ?」

 

「ほう、何故そう思う?」

 

「一花が昨日言ってた。ルルーシュ君って偶に嘘つくらしいよ、って。クラスメートから聞いた…みたい」

 

「聞き捨てならんな、誰だそんなこと言う奴は?」

 

 人を嘘つき呼ばわりとは酷い奴も居たものだ。まあ間違っては無いけども、こう言う時に言われると困る。会話に説得力が生まれなくなってしまうではないか。

 

「一花の隣の席の……枢木君て、人」

 

「あれは腐れ縁だ。俺に対してそれくらいの物言いはするだろうさ」

 

 わざとらしく無い程度に、シニカルな表情を浮かべて言ってみる。腹芸は大得意だ。心の中は突発的大嵐だったが。

 

(スザァクッ!俺の綿密な戦略を掻き乱すなッ!海馬に苔でも生えてるのかアイツは!?今度余計なことを吹き込んだら珪藻土を口にネジ込んでやる!)

 

 ルルーシュは割と怒った。ルルーシュには天然男の思考は分からぬ。しかしかの軽挙妄動なる輩には、いずれ土の味でも噛み締めてもらおうと決意した。

 

「…そっか。……お互い、気の置けない仲なんだね」

 

 いつの間にやらタイツを脱いで座っていた三玖が、相変わらず抑揚の小さい表情で返してきた。

 

(…気の置けない仲、か)

 

 そう言われると照れるんだけど。彼女に免じて食わせるのは枢木神社の玉砂利あたりにしといてやろうか。体力バカの頭にも効く神仏の御利益があるだろう。

 

「一応、親友だからな」

 

 尤も照れ臭いから本人の前では言わない。ただこの後五つ子ネットワークで拡散されて、スザク本人の耳にまで届いてしまうのは未だ知る由も無い。

 

「………親友、か……」

 

 いいなあ、羨ましい。言葉を聞いて彼女が正直に感じたのは、羨望だった。親友。自分には無い存在。眼前の彼は、確たる友誼を厳然として築いている。

 

 一花の話によれば、同じくルルーシュを「親友」と言い切った枢木君の目に、一切の迷いは見えなかったという。

 三玖のクラスメートであるユフィだってそう。なんとルルーシュのことを、「()()()()に親しい間柄」だとまで評していたのだ。

 

 人の良さそうな二人にそこまで言わせるのだから、目の前の彼は信用するに足る人物なのかも知れない。それだけ深く良好な人間関係を構築出来る人なら、或いは打ち明けてもいいのかも知れない。

 それに枢木スザクを「親友」と評した今の彼は、三玖には嘘をついているようには……みえなかった。

 

「……ねえ。ひとつ、聞きたいことがあるんだけど」

 

 だからだろうか。彼女が己の葛藤を、人に話そうと思えたのは。ひょっとしたら、一時の気の迷いかも知れないけれど。過去から救われたいだけの欺瞞かもしれないけど。

 

「何だ?」

 

 柳眉を跳ねさせたルルーシュの、紫色の綺麗な瞳を見遣る。てっきりこれから話すのは、勉強に関する質問とでも思っているのだろうか。

 そんな綺麗なモノじゃない。もっとドロドロした、剥き出しの本音の話なのに。

 

「……あの、さ」

 

 逡巡。言おうか、言わまいか。自分で切り出しておいてまだ迷う。拒絶されたらどうしよう。まともに取り合ってくれなかったら?せせら嗤って否定される結末を、想像するだけで心臓が痛くなる。

 

 未だ扉の瀬戸際に立つ彼女の心を動かしたのは、やはり先程の彼の言葉だった。

『自ら動かずして、己を取り巻く環境など何も変わらん』。

 断言した紫紺煌めく双眸の中に、彼の内に滾る焔を垣間見た気がした。

 

 …信じてみようか、一度だけ。もし聞き返されたら、もう言わない。

 

 それだけ決めて、ほんの少しの一歩だけ、なけなしの勇気を振り絞って動く。

 

 

「……ハーフの人間が日本史好きって、…おかしい、事かな?」

 

 

 

 ☆

 

 

 

 拳を握って出てきた台詞が、自分でも吃驚するくらい震えた声だった事に、三玖は声に出してから気がついた。合わせたはずの目線は、いつのまにか外れていた。自分が下を向いていると、目を伏せた後から自覚した。

 

 一聞すれば何でもないような問いかけ。だがその実、それを聞ける相手は彼女にとって数限られていた。

 相手は日本人でも、ハーフでもなく。しかし日本を知るブリタニア人であり、ある程度信が於け、そして悪口でも本人の前で言えるような図太い人間でなければ、到底聞けないことだった。

 

 発言に至った直接の切欠はほんの些細なもの。

 今でも時折脳裏にリフレインする、前の学校での出来事だ。友達。一応はそう認識してた子との、なんでもないはずの会話から出てきた一小節だった。

 

 

『……日本を侵略したブリキの子の癖に、日本人が好きなんてよく言えるね』

 

 そう、たったそれだけ。僅かに一言だけ。

 

 もしかしたら言った側にとっては、何気ない発言かも知れなかった。実は冗談交じりで、大した隔意はないのかもしれなかった。偶々イライラしていて、憂さ晴らしでつい口に出してしまった言葉なのかも知れなかった。でも。

 

 

『え……………』

 

 意図せず息が詰まるくらいには、胸の奥が苦しくなった。

 

 或いは一花みたいに、要領良く受け流せればどんなにか楽だったろう。二乃みたいに衝突覚悟でも強く切り返せれば、そこで終わった問題だったかも知れない。

 でも、三玖はどちらも出来なかった。

 考え過ぎてしまって結局何も言えない、いつもの癖が出てしまったのだ。そして変装が得意なくらいに普段から人をよく見ている彼女は、人一倍に悪意に敏く、繊細だった。

 

 黒薔薇女子にはブリタニア人の血を引く人間は自分達だけだったから、尚の事目立ったのも影響しているかも知れない。

 それでも日本人離れした碧眼も、周りと比べて色白な肌も、彫りの深い顔立ちも、今までの自分にとっては好ましかった。五つ子皆の共通点は、イコール全員を結ぶ紐帯に思えたから。

 でもその時、まるで自分の、自分達の容姿に心を抉られたみたいで。

 

 

(好きで、好き好んでこんな風に生まれたワケじゃない!)

 

 …生まれて初めてそれらを、疎ましく思った。

 

 顔も碌に知らない実の父親が、心底嫌いになった。大好きだった母に片親のみで子供五人の世話を丸投げし、窮乏を強いさせた男親。忘れようと思っても毎朝鏡を見るたび、その血を強く引いている事実を見せつけられるのが、堪らなく苦しくなった。

 母譲りの赤髪を伸ばして、真白い肌と碧い眼の顔を隠すようになったのも、振り返ればその頃からだった。

 

(私が、ハーフじゃ無ければよかったの?クォーターなら?そのまた半分なら?血を引いていようと、見た目がもっと日本人に似てれば良かったの?)

 

 ……しかしそれを三玖にあたった女子に問うても、答えは帰ってこなかっただろう。

 半世紀以上前とはいえ、かつての日ブ両国は大きな戦争を経験している。その後の様々な事情と経緯から友好国となった今でも、反ブリタニア感情を持つ人は数こそ少ないが存在する。そして大概、八つ当たり気味の発言に大した理由などない。

 きっと彼女も、家庭で父祖らにそうされて育ったのだろう。寝物語に憎しみを聞かされて大きくなれば、根っこの価値観にブリタニア蔑視の感情が植え付けられてもおかしくない。でも。

 

(そんなの自分じゃ、どうしようもない…!)

 

 過去の歴史など変えられないし、自分の生まれや遺伝子も勿論変えられない。自分の生みの親だって、未来永劫変わらない。

 国籍だって成人するまでは二重のまま。しかし根本に己を規定する核が無いから、日ブどちらに自分が拠ればいいのかまるでわからない。

 それは親の再婚で生活に余裕が出来、考える時間が生まれて初めて分かった、予想だにせぬ落とし穴。

 

 答えを求めて縋るように学び始めた日本史に、自分の探していた核の一端が見えた気がして。それが凄く嬉しくて、だからつい浮き足立った気持ちで、戦国武将なんかについて喋ってしまったのが悪かったのだろうか。

 

 でも、一度自覚した自分の思いに蓋をして生きていくのは、真綿で首を絞められるような気分だった。

 

(…それとも、何時迄も気にしてる私がおかしいの?)

 

 聞いてみたい。そう考えたのは一度や二度ではない。でも、ブリキの子と呼ばれたなんて事、同じ境遇の姉妹達には到底言えなかった。義理の父とは折り合いが悪く、母はとうに鬼籍に入っている。残された大事な家族だからこそ、話せないこともある。大好きな彼女達を、自分の悩み相談なんかで傷付けたくなかった。

 そこへ来てやって来たのが、よりによってブリタニア人の家庭教師だ。もう限界だった。堂々巡りの思考に縛られ、心が軋みを上げていた。

 

 思春期の只中にアイデンティティの確立に失敗し、未だ自己への自信が持てない。勉学にも、一芸にも、あろうことか容姿にも。姉妹四人はやりたい事を持って邁進しているのに、自分だけはあの日から、時間が止まったままだった。

 

 そう、彼女を縛り付けるのは、未だ蠢く過去の亡霊。

 

 ブリキの荊棘(イバラ)が巻き付いて以降、聞きたくない事には直ぐに耳を塞げるように、ヘッドホンを常に掛けるようになった。周りと軋轢を起こしたくなくて、好きなものを好きと公言することをやめた。中途半端な現実逃避は、残された僅かばかりの自己防衛の手段だった。

 

(ねえ。…貴方なら、何か分かるの?)

 

 噴き出したのは、決壊寸前の救済願望。それでも言ってから、やっぱり黙っておくべきだったと思った。

 

 視点は揺らいで覚束ない。口の中は緊張で乾き切っている。掘り起こした記憶のフラッシュバックで涙が出そうなのを、何度も瞬きして無理矢理堪え、必死に平静を装った。

 

 彼が口を開く迄の、永遠にも思えた刹那の一瞬。迎えた先に立っていたのは。

 

 

「全くおかしくないな。俺だってブリタニア人だが日本史好きだぞ?」

 

 

 

 ───黒き皇子の一太刀で、錆びた荊棘は断ち斬られた。

 

 

 ☆

 

 

「……………ど、どこが好きなの?」

 

 指摘すれば瞭然とする程に震えていた彼女が、自分の台詞一つで何やら瞑目している。おまけに頻繁に瞬きし、充血に近くなるまで潤んだ眼をした彼女の様子に、賢しい家庭教師は一抹の疑義を抱く。

 

(……妙だな、この過敏な反応。まるで高負荷のストレスに晒され続けた人間のソレに近い。自分が好きな筈の趣味の話をして、何故こんな状態になる?)

 

 PTSDを抱えた患者の一例に、似たようなケースがあったか。現在学んでいる心理学の症例に、現状の彼女との類似例がある事をルルーシュは発見した。あくまで独学の範疇ゆえ断定は出来ないが。

 しかし脳内での考え事なんておくびにも出さず、会話を間断なく繋ぐ。

 

「個人的には戦国から江戸あたりだな。類稀な戦略家が数多い」

 

 武将なら特に徳川家康あたりがイチオシだ。乱世の只中から天下を統一しただけでなく、その後を見越し優れた統治システムを設計した事は画期的。近世以降で二七〇年近い平和をもたらした事も非常に高く評価している。

 戦略家は戦術家に優る。これは彼の持つ理念の一つである。

 

「い、意外……」

 

 意外か。昨日二乃にも言われたな、とかルルーシュは思いつつ、思考と会話を並行処理。

 

「なんだ、三玖も歴史好きなクチか?」

 

「…うん。特に戦国武将、好きなの」

 

「歴女という奴か、流石にそれなら俺でも分かるぞ」

 

「…で、でも、イケメン俳優とかじゃなくて、髭のおじさんの方が好きなんだけど…」

 

「人の性癖など数多ある。勿論黙っておくからあまり恥じるな」

 

 重度のシスコンが言うと説得力倍増である。まあこの男は自覚した上で開き直ってるんだけど。

 

「い、いや性癖とかじゃなくて!……あ、好きだけどその……ええっと……ハンサムな人が嫌いって事でもなくて…!」

 

「趣味が広いのは良い事だと思うが」

 

「と、歳上じゃないと無理とかそういう事じゃないの!」

 

「……もしかしてショタコ「違う!」……悪い、冗談だ」

 

「…その、私は至ってノーマル。だから誤解しないでほしい」

 

「今覚えた。もう忘れん」

 

 一言一言注意して聞くまでもない。声の張りがまるで違う。レスポンスがしっかり返ってくる。

 見た目は変わらずダウナーだが楽しそうに喋り始めた今の彼女からは、夜の帳みたいな翳りが見えなくなっていた。それは趣味が合う人を見つけて喜んでいる、というよりは。

 

(先の俺の一言が、抱えていたトラウマか何かを払拭するトリガーになったのか?)

 

 人に対して躊躇と疑心が感じられたのが先程の三玖なら、今の彼女から伺えるのは歓喜と希望だ。感情が丸きり反転したのは、ルルーシュの言葉が大きく関連しているとするなら。

 

(…もし、過去に受けた心的外傷なりが起因しているなら座視出来ん。卒業計画を進める上で不安要素は可能な限り排除する。それに女子一人立ち直らせずして、我が野望など達せるものか……!)

 

 カウンセリング要素を練り込んで会話をするのは、かつてナナリーによくやっていたから手馴れたものだ。昔取った杵柄がこんなところで活きるとは。

 

 そして、三玖を観察していくうちにふと思い至った。もしかして今まで蓋をしていただけであって、彼女は本来快活で明朗な性格なのではないだろうか。ただ、表現するのに奥手なだけで。

 証拠に、今。

 

「…なんだ、ちゃんと笑えるじゃないか」

 

「え…?」

 

「今まで真顔としかめ面しか見てなかったからな。…五月達がな、何だかんだ気にかけてたんだぞ?三玖の事」

 

 潤んだ彼女の眼が、今度こそ大きく見開かれた。

 

 

 ☆

 

 

「気にかけて、って……皆が……?」

 

「ああ。誓って嘘じゃない」

 

 息が止まった。嘘、そんな素振りなんて全く。

 

「特に二乃には昨日強く言われたよ。あいつ、あれで中々妹思いだぞ?」

 

 ……なんだ。なんだ。悩んでるのを隠し通せてるつもりだったけど、私の事なんてお見通しだったのか。普段人のこと味音痴とか不器用とか言ってイジる癖して、こんな時ばっかり姉妹揃って心配とか、ホントに。

 

「……わ、私…その……」

 

「…ゆっくりでいい、俺は此処に居る」

 

 本当に、ズルいよ。皆も、キミも。

 

「…今迄ずっと、ずっと言えなくて、それで……!」

 

 崩折れたそこから先は、もう言葉にならなかった。黙ってシミひとつないシルクの白チーフを差し出して、頬に当ててくれた彼の気遣いが嬉しくて。

 

 もう、堪えられなかった。

 

 

 時計が秒針を刻む音だけをBGMに。声を殺した嗚咽を静かに聞いていたのは、自分の他には一人だけ。視界の滲みを何とかおさめて上を向くと、優しげな紫水晶と眼が合った。腫れた眼を見られていることまでが気恥ずかしくて、照れたように苦笑いする。

 

「………ごめん、これ、洗って返すね」

 

「気にするな。謝ることなど何もない」

 

「で、でも」

 

「むしろ誇っていい。()()()()()()()()()()()()なんだ。俺に吐露すべきか迷ったんだろう?悩んで克ち得た選択は、決して間違いなんかじゃない」

 

 優しげな口調で、でも強くそう断言された。いつの間にやら背中まで摩ってもらっていて、もうなんか迷惑かけっぱなしだ。

 思えば自分がここまで全肯定されたのも、母が亡くなってからは初めてだった。

 

「…………ねえ」

 

 だから今日はなんだか、更にもう一歩を踏み出せそうな気がして。

 

「…な、名前で呼んでも、良い…?」

 

「好きに呼べ」

 

「……ル、ルルーシュ」

 

「なんだ?」

 

「好きなもの、好きって言ってもいいの……?」

 

「言えばいい。幾らでも」

 

「…私、勉強苦手だから足引っ張るけど…それでもいい?」

 

「五人の中で一番出来るのは三玖だ。俺は磨けば光ると観てる」

 

「…最初に会った日に、さ。『俺に従え』、って言ったよね?」

 

「言葉通りだ。二言はないし過不足もない」

 

「……なら、…責任…取ってくれる?」

 

 言葉に今度は、彼が瞠目する番だった。投げられた言葉を咀嚼していたのだろうか。ややあって、さっきまで座り込んで泣いていた私に、彼はゆっくりと手を差し伸べた。爪まで綺麗な左の五指が、揃ってこっちを向いていて。

 

「クーリングオフは無効だが、受けるか?」

 

 不敵に笑う彼の微笑は、屑鉄の烙印、その痕跡すらいとも容易く消し飛ばし。何気なくともどこか優雅な手招きに、そっと手を添え応えを返す。ここは学校でお互い学生服なのに、エスコートでもされた気分だ。

 

 

「…うん。……貴方に、ついてく」

 

「良いだろう。結ぶぞ、その契約」

 

 

 出会ってから、今日でたったの三日目なのに。灰色だった世界はもう、すっかり色づいて見えた。

 

 

 

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