救済の魔女 Kriemhild Gretchen 作:Takan
避難所からほむらちゃんを見送って、どれくらい経ったんだろう――。なかなか動く気になれなくて、わたしはその場に立ち尽くしていた。
「ほむらちゃん……」
魔法少女という存在を知ってから、一か月くらい経ったんだろうか。ほむらちゃんとは、ちょうどそのころに知り合ったんだっけ。
「……」
そんなほむらちゃんが、命懸けの戦いをする。あんなに優しくて綺麗な子が、強大な敵に立ち向かうだなんて。――なんだか、まるで実感が湧いてこない。
「やあ、まどか」
「……キュゥべえ?」
それに、出会ってからまだ一月しか経っていないはずなのに、そんな実感もない。なんだかずっと一緒にいたような気もするし、このままお別れするかもしれないだなんて、そんな覚悟ができているはずもない。
「暁美ほむらは行ったようだね」
「うん……」
このままもう会えないなんて、そんなのは嫌だ。最後に交わした言葉を思い出すたびに、そんな当たり前のことを思う。あんな、まるで死んじゃうみたいなお別れなんて―――、
「君はどうするんだい?」
「わたしは……」
そんな未来を回避する方法は、確かにある。キュゥべえと契約すれば、わたしはきっとほむらちゃんを失わずに済むんだろう。でもそれじゃ、ほむらちゃんのお願いを無視するみたいで。
「ほむらちゃんは、あなたを信用するなって……」
奇跡を売る悪魔――ほむらちゃんは、キュゥべえのことをそう言っていた。
そう教えてくれたほむらちゃんが嘘を吐いているようには見えなくて、わたしはキュゥべえを信じ切れずにいる。
「でも、このままじゃ暁美ほむらは死んでしまうよ?」
「………」
けど、キュゥべえの言うことはたぶん間違ってない。ほむらちゃんはきっと、ワルプルギスの夜には勝てない。どれだけ信じてあげたくても、あんな悲しそうな表情で、あんなことを最後に言われたら――、
「君には、その運命を変える力がある」
せめて覚えていてくれるだけでも良いだなんて。そんな悲しいお願いをされたら、何も言えないよ。
「暁美ほむらを生かすも殺すも、君次第さ」
それに、勝つつもりなら、なんでそんなこと言うの? なんだか、死んじゃうみたいだよ。
「……ほむらちゃんは、ほんとに勝てないの?」
「勝つ見込みは、無いね」
キュゥべえに聞いてみても、慰めるようなことは言ってくれない。
嘘でも良い。気休めでも良いのに。
「ワルプルギスの夜を、単独で確実に撃退できる魔法少女なんていない」
キュゥべえは淡々と現実を突き付けてくる。
「君を除いてね」
そのはずなのに、キュゥべえは私にそんな力があるなんて――、
「そもそも、君は僕の言葉を信じられるかい?」
「……」
私はほむらちゃんを信じたい。だから、キュゥべえのことを信じてるわけじゃない。でも、ほむらちゃんが無事に帰ってくるとも思えない。
マミさんも、杏子ちゃんも、二人とも魔女にやられちゃって。そんな魔女より強い魔女と戦って、無事に済むなんて思えない。そう考えてしまうと、キュゥべえの言う選択に縋りついてしまいたくなる。
「どうあれ決めるのは君さ、まどか」
戦うのは、やっぱり怖い。
お話したことのある人が急にいなくなる。そんな体験をしちゃったせいで、やっぱり――、
「………」
でも、ほむらちゃんが死んじゃうって思ったら、そっちの方がもっと怖くて。
「――聞こえるかい? 始まったようだよ」
激しい風の音に混じって届く、遠くから響く轟音。意識して聞かなかったら、雷の音にでも聞こえてきそうな。
「ほむらちゃん……」
キュゥべえの言う通り、きっとほむらちゃんは戦ってるんだろう。最大最強の魔女、ワルプルギスの夜と。たった一人で。
「……ねえ、キュゥべえ」
でも、どうして?
「なんだい?」
「ほむらちゃんはなんで、勝てないって分かってても戦うのかな」
負けるって分かってるのに。それが分かってないはずないのに。死んじゃうって、そう分かってるのに、どうしてほむらちゃんは戦うの?
「彼女の目的について、正確なところは僕には分からない」
わたしにだって分からない。ほむらちゃんのことがなにひとつ理解できない。
誰かを守るために魔法少女になんてなるなって、家族や友達の為に自分の命を一番に考えなさいって、そう言ってたのに。――ほむらちゃんは今、死ぬつもりで戦ってる。
「ただ、暁美ほむらのこれまでを考えると、君を守ろうとしているようには見えるかな」
「……」
それについては、キュゥべえの言う通りだと思う。自意識過剰だって思うのに、でも否定できない。
「……どうして、わたしを?」
「それは僕には分からない」
否定できないのに、その理由がわたしには分からない。
「君には心当たりがあるんだろう?」
でも、ほむらちゃんはわたしを危険から何度も守ってくれた。仁美ちゃんが魔女に殺されそうになったときも、わたしが魔女の結界に近づいちゃったときも。
「暁美ほむらは、とにかく徹底して君を危険から遠ざけてきた」
知り合ってからは、気付けばいつも一緒にいた。――もしかしたら、わたしはもっとたくさん助けられていたのかもしれない。
「君を魔法少女にしたくなかったのは、そのためなのかもしれないよ?」
でも、どうして? なんでそこまでしてくれるのか、わたしには分からない。
それに、何か悪いことを考えてるなんて、どうしても思えない。
「……」
ほむらちゃんは優しい子だ。それは間違いない。これまで一緒に過ごしてきて、わたしはほむらちゃんから嫌なものを感じたことはなかった。綺麗で、優しくて、なんでもできて、でも素直じゃない子。それがほむらちゃんだ。
「……………」
なにかを抱えているのに、誰にもそれを相談しようとしない。一人で背負い込んで、なんでも一人で解決しようとしてしまう。そこが可愛くて、それでいて放っておけない、魅力的な女の子。
「……」
誰かの為に魔法少女になるべきじゃないって言ってたのに、そんなほむらちゃんはずっと、誰かのために戦ってきた。友達や家族のために自分を大事にしなさいって言ってたのに、誰よりも自分のことを省みないで
そんな生き方を見ているだけで、なぜだか胸が苦しくなってきて。
「分からないというのなら、それを願うのも良いかもしれないよ?」
「……?」
「暁美ほむらのことを知りたいと、そう願えばいいのさ」
なるほど。そうなのかもしれない。この胸の苦しさだって、そうすればきっとなくなってくれる。
「そうすれば、君は魔法少女になって、暁美ほむらの命を救うことだってできる」
それに、キュゥべえの言葉を信じるなら、私が魔法少女になればほむらちゃんを救える。
「ワルプルギスの夜も、君の苦悩も、暁美ほむらの命も、それですべてが解決するよ」
ほんとは、もう答えは出ているのかもしれない。こうして背中を押されなくても、わたしは契約しようと考えている。――だって、ほむらちゃんを死なせたくない。ワルプルギスの夜に、みんなを殺されたくない。
「いずれにせよ、暁美ほむらにワルプルギスの夜は止められない」
でも、そうだってぜんぜん思えなくっても、
「まどか、君が契約しなければ、大勢の人たちが犠牲になるだろう」
ほむらちゃんは、勝つと約束してくれた。
「君はそれを黙ってみてられるかい?」
わたしはほむらちゃんを信じたい。ほむらちゃんの望んだ可能性を、信じてあげたい。それだけが、わたしの一歩を躊躇わせている。
「もちろん、暁美ほむらが勝利を収める可能性はあるだろう」
そうだ。キュゥべえの言葉じゃない。わたしはほむらちゃんのことを信じてる。
「でも、無に等しい可能性だ」
――それも、わかってる。
ほむらちゃんの表情は、あれは、諦めてる人の顔だった。寂しそうな、悲しそうな、けれど満足そうな、そんな表情。
「そんな可能性に賭けて暁美ほむらが敗北したら」
その表情はほんとうに綺麗で――、
「君は、きっと後悔するんじゃないかな」
でも、とても悲しかった。
「………」
そんな顔しないでって、どうしてあの時、わたしはそう言わなかったんだろう。ちゃんと言う機会はいくらでもあったのに、わたしは何も言えなかった。
「僕は、手遅れになる前に決めることをおすすめするよ」
「………」
思わず、胸を押さえてしまう。
ほむらちゃんと会えなくなる。そのことを想像するだけで、とても苦しくなってしまって――、
「キュゥべえ」
会いたい。今は、強くそう思う。
「わたしを、ほむらちゃんの元まで案内できる?」
このままお別れだなんて、そんなの嫌だ。なら、せめて――、
「お安い御用さ」
ほむらちゃんが負けてしまいそうなら、その時は。
「じゃあ、案内して」
これが、今のわたしの精一杯。
「いいのかい? 危険だよ」
なにも失いたくない、欲張りなわたしのわがまま。
「それでも」
ほむらちゃんには後で怒られるかもしれない。でも、ほむらちゃんを失ってしまうくらいなら、
「わかった。ついてきて」
――――わたしは、魔法少女になる。
――暴風と、遠くから響き渡る狂笑。
飛び出した外は嵐に呑まれ、強風が行く手を遮る。
「大丈夫かい? まどか」
「うん」
走り始めてからどれくらい経ったんだろう。体力も限界に近い。
「はぁっ、はぁっ……」
「――少し、休んだ方が良い」
だからつい、キュゥべえの言葉に甘えてしまって。
「うん……」
そして、気付かされる。――あれだけ響き渡っていた轟音が、いつのまにか止んでいた。
「……………」
胸騒ぎがする。――嫌な予感、いや、これはきっと予感でもなんでもない。
「――もう少し掛かるよ。行けそうかい?」
「……うん、行けるよ」
「じゃあ行こうか」
はやく、はやく、とにかく行かなくちゃ。
「もうすぐだ、まどか」
もうすぐ
「はぁ……はぁ……」
もうすぐ、着いてしまうのに――、
「っ……」
戦っている音が聞こえなくて、ワルプルギスの夜はすごく遠くに見えていて。
「ほむらちゃん……」
――いやだ
「……っ」
負けないで。傷つかないで。また、一緒に過ごそうよ。
「――到着だ、まどか」
「………そんな」
キュゥべえの声が、遠くに聞こえる。周りの音も良く聞こえない。
――いやだ。いやだよ。
「………」
「大丈夫かい?」
全身から力が抜けていく。――胸が詰まって、うまく息ができない。
「……どうして」
こんな光景を見る覚悟なんて、わたしには無かった。
きっと、どこかで楽観視していたんだろう。魔法少女の戦いがどんなものなのか。
「ほむらちゃん!」
なんとか立ち上がって、ほむらちゃんの元へ駆け寄る。そのままボロボロになった体に縋りついて、抱き寄せて。
「いやだ……」
――私はただ、現実を拒絶する。
「やだ……」
そんなことしか今のわたしにはできなくて。そんな無力な自分が許せなくて。
「まどか、君は寧ろ、讃えてあげるべきなんじゃないかな?」
キュゥべえの声が、遠くに聞こえる。
「彼女は果たしたんだ。自分の目的を」
でも、その声はわたしの心に沁み込んできて。
「見てごらん。ワルプルギスの夜が、避難所とは逆の方へ向かっていく」
ゆっくりと、顔を上げてみる。確かに、ワルプルギスの夜はあんなに遠くて。
「暁美ほむらは別の犠牲を選ぶことで、君たちを守ったんだ」
「――そんな、そんな言い方しないで!」
でも、キュゥべえの言うことは間違ってない。こっちに向かってこないってことは、つまりはそういうことなんだから。
「でも良かったじゃないか。これで、君と君の大事な人たちは生き残る」
それについても、分かってる。――ああ、わたしっていやな子だ。そのことに、どうしてもホッとしてしまう。代わりに別の人たちが犠牲になってしまうのに。でも、わたしの友達と家族の命は助かるから。
「これで、暁美ほむらの望みは叶えられたわけだ」
けど、でも、そこにはほむらちゃんが入っていない。そのことがとても寂しくて、悲しくて、悔しくて。
「これが彼女の望んだ結末なんだろう」
「………」
ほんとに? ほんとうに、これがほむらちゃんの望んだことなの?
この今を掴み取ったのに、そこにはほむらちゃんがいなくて。それで、ほむらちゃんは報われたの? いったいなにを手にできたの?
「――でも、もしこの結末を変えたいのであれば」
こんな姿になり果ててまで、ほむらちゃんはなにを求めてたの?
「何もかも覆してしまえばいい」
なんのために、こうして戦ったの?
「君には、その力がある」
正義のため?そのためにこんなになるまで戦って、このまま報われないの? それが魔法少女なの?
「……」
――そうだ。わたしは救われて欲しいんだ。
ほむらちゃんが救われない結末に、わたしは納得できていないんだ。
「……キュゥべえ」
「なんだい?」
「わたしなら、ほんとにどんな願いでも叶えられるの?」
「ああ、文字通り、なんでも叶えられるだろう」
ここにきて、曖昧だったわたしの願いが確かな形を得たような気がする。
「ほむらちゃんを生き返らせることも?」
「その程度のことなら、簡単にできるだろうね」
ああ、そうだ。
わたしは、ほむらちゃんにもう一度会いたいんだ。
ほむらちゃんについて、もっと知りたいんだ。
傷つかないで欲しいし、独りにならないで欲しい。
ちゃんと報われて、笑顔でいて欲しい。
――こんな最期で、満足しないで欲しい。
「――……」
だからわたしは、ほむらちゃんが救われることを願おう。
どれか一つじゃなくて、いっそのこと、ほむらちゃんにとって都合の良い世界でも。
そうすれば、きっと――――、
「………」
腕に抱えたほむらちゃんを見ているだけで、涙がどんどん溢れてくる。悲しくて、寂しくて、ほんとうに悔しくてたまらない。――だって、こんな結末なんてほんとは望んでなかったはずだよ。
きっと、勝ちたかったんだ。勝てないって分かってても、それでも勝ちたかったはずなんだ。でも、それでも勝てなくて、独りこうして。
「ほむらちゃんには、救われて欲しい」
そんなの、いやだよ。悲し過ぎるよ。寂し過ぎるよ。
「だから、わたしはほむらちゃんの救いを願う」
こんな報われない結末なんて、わたしは認めない。他でもない、ほむらちゃんがいなくなる運命なんて、絶対に許せない。
「それを暁美ほむらが望んでいなかったとしても?」
たとえ、ほむらちゃんがわたしを許さなかったとしても――、
「それでも、ほむらちゃんが救われないなんて、いやだから」
魔法少女になってしまったわたしを責めるとしても――、
「だから、キュゥべえ」
それでも、ほむらちゃんがいなくなってしまうよりは絶対に良いと思うから。
「ほむらちゃんを救いたい」
――これが、わたしの願い。
「この願いを叶えて」
戦う運命と引き換えに得られる、一度きりの奇跡。
「っ……」
契約した瞬間に、桜色の輝きが辺りを包む。
その輝きを放つもの――ソウルジェムが、私の中から現れた。
「契約は成立だ」
ごめんね、ほむらちゃん。
魔法少女になってしまって。ほむらちゃんとの約束を守れなくて。
――でも、きっとこの選択は間違ってないから。
「さあ、振るうと良い。その絶大な力を」
煌きに手を伸ばす。――これを掴んだら、わたしは後悔するのかもしれない。
でもきっと、ほむらちゃんを失ってしまうよりは後悔しないから。
「………」
だからきっと、これでいい。
*
――ただ一度きりの奇跡
人の手では決して届かないその願いが、叶えられてしまう。
願った先になにが待っているのか分からないまま、ただ一時の感情の赴くままに。
その奇跡に見合うだけの、代償が伴うことも知らず―――、
「……………」
そんな輝きと希望を手にしたわたしは、その瞬間になにもかもを失ってしまって。――わたしは、ほむらちゃんの覚悟をも踏み躙ってしまった。
「……」
罪悪感と、諦めが押し寄せてくる。
――ああ、もうどうにもならないんだ。
先は閉ざされて、なにをしても運命は変えられない。
でも、なんでだろう。それでも、不思議と後悔はない。これで良かったんだって、そう思う。――だって、ほむらちゃんを救えたことだけは、確かに正解だったと思えるから。
あの時に抱いた感情だけは、確かに色褪せないままここにある。たとえ、それをほむらちゃんが望んでいなかったとしても。
「……ほむらちゃん」
気付けば、ほむらちゃんの傷が完全に癒えていた。ソウルジェムも元通り綺麗になって、深い輝きを放っている。願いは間違いなく遂げられていて――、
「………ごめんね」
そして、知ってしまった。
今なら、ほむらちゃんのことがよく分かる。――そうだ。わたしはほむらちゃんに過酷な運命を背負わせてしまったんだ。ほむらちゃんはただ、わたしとの約束を果たそうとしただけなんだ。
独りぼっちになってしまっても、過酷な戦いを続けて。
「……ほむらちゃん」
わたしは、あなたのことが知りたかった。そうすれば、この苦しさが少しはなくなってくれると思ったから。でも、知ってしまった今になっても、胸の苦しさは更に強くなるだけで。
自分のしてしまったことが本当に正しかったのかって。ただほむらちゃんを苦しめてしまっただけなんじゃないかって、そんな風にも思えてきて。
「さて、まどか、君の願いは遂げられた」
抱き締める腕に力が籠る。繋ぎ止めるために。決して壊れてしまわないように。でも、その温もりは感じられるように。
「………」
――これから、わたしはなにをすれば良いんだろう。ほむらちゃんは、自分の命を捨て去ってまでわたしを守ってくれた。それに報いるために、今のわたしにはなにができるんだろう。
「……ほむらちゃん」
今ではもう、すべてが遠い。
ほむらちゃんに託した願いはもう叶わなくて。わたしはそれに、どうあっても償えない。
「ごめんね」
でも、立たなくちゃ。もう二度と傷つけられないように。何も失われないように。
この手が届いてしまうのなら―――ワルプルギスの夜を、わたしは止めなくちゃいけない。
「なにを謝る必要があるんだい?」
名残惜しいけれど、離れたくないけれど、今は。
ほむらちゃんが背負う必要のない罪を、わたしは消し去ってみせる。
「これで、君の望みは全て叶う」
キュゥべえの言葉が心に突き刺さる。
「暁美ほむらは救われ、ワルプルギスの夜から多くの人々を救える」
もう戻れない現実と、後悔を的確に言い当てられているようで。
「君は大事な人を救い、大勢の人をこれから救うんだ」
もう、なにもかもを見失ったわたしにとって、大事なものがなんなのかさえ定かではなくて。
「それはとても素晴らしいことじゃないか」
なにも分からないけど、ただ、悲劇を見逃すことはできなくて。ほむらちゃんの背負った罪を、わたしはどうしても消し去りたくて。
「………」
でも、ここでわたしがワルプルギスの夜を倒せば、わたしは魔女になってしまうんだろう。――覚えてる。私は自分の力をうまく制御できなくて。
そしてそうなれば、もっと多くの人が犠牲になるかもしれない。
「……」
だけどやっぱり、ワルプルギスの夜は見過ごせない。
だって、手が届いてしまうから。わたしになら救えてしまうから。救える誰かを見過ごすことなんて、やっぱりできないから。
「お願い」
それに、魔女にはならないかもしれない。うまく魔力を制御できさえすれば。それが無理でも、ちゃんと猶予は残されていて、どうにかなるかもしれない。
それは微かな希望だけど、それでも、縋る以外にはどうしようもなくて。
「キュゥべえ、わたしを一人にして」
「……急にどうしたんだい?」
「いいから」
「……分かった。なにかあったら呼んでおくれ」
キュゥべえが去っていく。
今になって納得できる。ほむらちゃんの言っていたことはとっても的確だった。
魔法少女を魔女にする者、奇跡を売る悪魔――キュゥべえを表すなら、その表現はとても適してる。
「………」
ともかく、いつまでも俯いてはいられない。顔を上げて、前を見なくちゃ。やるべきことを、きちんとやらないと。
そのために、遠くに浮かぶワルプルギスの夜を仰ぐ。何度も戦い、時には負けて、時には勝利した、最大最強の魔女――わたしにとっての、終わりの象徴を。
「………」
さあ、この悲劇を終わらせよう。後のことは、なにもかも願いに託してしまって。すべてを委ねて、なにもかもを終わらせよう。――わたしにはもう、この先が存在しないから。
「……ごめんね」
つい口にしてしまう謝罪の言葉。贖えない罪を吐き出すにはこうするしかなくて。でも、言ったところでなんにもならなくて。結局、わたしは魔法少女になっても無力なままだったんだって、そう思い知らされる。
「ほむらちゃん」
今となっては、その言葉が誰に向けられているのかさえよく分からない。
ただ、間違いなくほむらちゃんには向けられていて――、
「パパ、ママ、タツヤ、さやかちゃん、仁美ちゃん、みんな……」
他にも、わたしを大事にしてくれた人たちには向いていて――、
「それから、あなたも……」
そして、空々しく笑う魔女、ワルプルギスの夜にも、きっと向けられている。
「………」
知ってしまえば、いろんな見方が変わってしまう。それはキュゥべえにしてもそうだし、ほむらちゃんにしてもそうだ。そしてそれはもちろん、魔女に対しても。
「……ごめんなさい」
魔法少女の成れの果て。
魔女がそんな存在だと知ってしまった以上、もう今までのように見ることなんてできない。叫ぶように笑い続ける姿はとても痛々しく感じられて、思わず目を逸らしたくなる。彼女だって、きっとあんな風にはなりたくなかったはずだから。
「………」
覚悟は決めたはずなのに、手がうまく動かせない。考えれば考えるほど、いろいろな思いが溢れてくる。なにを考えるべきで、どうすればいいのかまるで分からなくなっていって。今考えるべきことはあるはずなのに、頭の中はぐちゃぐちゃで。
「……」
――でも一つだけ、はっきりしていることがある。
「……ほむらちゃん」
ほむらちゃんだけは、死なせたくない。
なにもできなかったわたしだけど、どうしても、それだけはやり遂げなくちゃいけないと思える。
「――……」
ほむらちゃんはきっとやり直す。わたしとの約束を果たすために、ここを去ってしまう。
そしてもし、今回みたいになってしまったら? 独りで戦い続けて、そしてまた今回みたいに死んでしまったら? もしそうなったとき、またこうしてほむらちゃんを助けられる保証はどこにもない。
「……」
そんな想像が、たまらなく恐ろしい。
もし死んでしまって、助からなかったら? また今回みたいに、報われることもなく死んでしまったら? そう考えるだけで、怖くて怖くてたまらなくて。
「………」
わたしはただ、ほむらちゃんに生きていて欲しい。それで辛い思いをさせてしまうんだとしても、やっぱり、死んじゃうよりは良いと思うから。
だから、後のことを任せて、それを生きる理由にしてくれればって。そんなわたしの甘えを、ほむらちゃんはこれまで許してくれたから。無知で馬鹿なわたしの願いを聞き届けて、生き続けてきてくれたから。だから大丈夫って、そう思ってたのにこうなっちゃって。
「だめだよ……」
こんなこと、望んでなかった。
報われることもなく死んじゃうなんて、絶対に認められない。せめて報われるまでは、ほむらちゃんが救われるまでは、生きていて欲しいと思ってしまう。たとえそれを、ほむらちゃんが拒んでも。
「……そっか」
ふと、最初の終わりを思い出す。――ほむらちゃんを置いてワルプルギスの夜に立ち向かった、最初のお別れを。
「ほむらちゃん……」
きっと、ほむらちゃんもこんな風に感じてたんだろう。
――生きていて欲しいって。
死んで欲しくないって。
ただ、報われて欲しいって。
「……」
だとしたら、わたしはどうすればいいんだろう。なにをするのが一番良いんだろう。ほむらちゃんの想いを無視してまでやるべきことなんて、果たしてあるんだろうか。
「………」
軽々しく自分を犠牲にしちゃいけない。ほむらちゃんはずっと、わたしにそう言い続けてきた。ただ生きていて欲しいって。死なないでって。辛い思いをしないでって。そんな想いを知ってしまった今のわたしに、その言葉はとても重くて。
「……」
――でも、なにひとつ良い結末を描けない。進む先は行き止まりで、なにをしても何かが失われてしまう。たとえここでワルプルギスの夜を見過ごしても、遠くない未来、わたしは魔女になってしまうだろう。でも、ワルプルギスの夜を倒しても、わたしは魔女になってしまう。
そしてまた――――、
「……」
わたしは、またほむらちゃんに甘えるんだろうか。ほむらちゃんをまた独り置き去りにして、死んでしまうんだろうか。そうしてまたほむらちゃんを傷つけて、戦場に送り出すんだろうか。
「………」
そんなの、やっぱりだめだ。また今回の二の舞になる。もしかしたら、もっと酷いことになるかもしれない。ここでどうにかしないと、ほむらちゃんはまた死のうとしてしまう。それだけは、ここでどうにかしなければならない。
――そうだ。死んでる場合じゃない。こんなほむらちゃんを、絶対に放置しちゃいけない。ほむらちゃんの先を想うなら、わたしはここで終わっちゃいけないんだ。
「………」
――でも、じゃあ、だからどうすればいいんだろう。
ワルプルギスの夜を放置しても、倒しても、その先に待っているのは終わりだけ。そこでまた、ほむらちゃんに甘えてしまう? ――だめだ。今はそんな気になれない。
だったら自分でソウルジェムを砕く?いや、それもただほむらちゃんを傷つけるだけだ。それに、それじゃあほむらちゃんに何も遺せない。
「……どうすれば」
まだ死ねない。ほむらちゃんをこのままにして死んじゃいけない。でも、じゃあ、どうしたらいいの?
「………」
なにも分からない。正解なんてなくて、どれを選んでもいけない気がする。
ワルプルギスの夜と戦わなかったとしても、ほむらちゃんに罪を背負わせてしまう。それじゃあだめだ。もうなにも、ほむらちゃんには背負わせたくない。
じゃあ、ワルプルギスの夜と戦ったとしたら? わたしは魔女になってしまうだろう。そうなったら、また、今回もほむらちゃんに殺してもらう? それもだめだ。また背負わせるくらいなら、自分で終わらせるべきだ。
でも、それじゃあほむらちゃんはどうなるの? またこうして死んじゃうかもしれない。無茶をして、無理をして、独りで罪を背負って、報われないまま。――いやだ。そんなのだめだよ。
「……………」
なにも選べない。なにも決めきれない。
どこに進んでも、待っているのは行き止まりだけで。
――その絶望が、ソウルジェムを濁らせていく。
「あ……」
いやだ。やめて。まだ、わたしは――――、
「そんな……」
この先に希望は無い。なにをしても悲劇で終わる舞台の上じゃ、誰も救われない。
「………」
そこに立っているわたしは無力で、悲劇はただ繰り返される。そしてそんな舞台は止まりもしないし終わりもしない。ただ延々と、無機質に廻り続けるだけだ。
「……」
わたしにはもう、時間さえ残されていない。ソウルジェムが濁り切ってしまえば、そこで終わりだ。
――ああ、だめだ。終わってしまう。このままなにも遺せないまま、無意味に終わってしまう。
「………いやだ」
いやだ。そんなのいやだ。
――まだ、ほむらちゃんのために。ほむらちゃんのために、なにかをしないと。
「……だめ」
でも、何も思いつかない。いつまでも同じところをぐるぐる廻り続けて、結局なにも決めきれない。それでも、時間が経てば経つほどソウルジェムに呪いは溜まっていく。
「――………」
――動けない。
なにもかも救いたいのに。こんな悲劇を終わらせたいのに。でも、なにをすればいいのか分からなくて。
「いやだ……」
けど、でも――、
「……ほむらちゃん」
こんなところじゃ終われない。終わっちゃいけない。どれだけ苦しくても、悲しくても、悔しくても。
「ほむらちゃんは、すごいね……」
――ここに、抗い続けた子がいる。こんな悲しい舞台の上で、独りで戦い続けた女の子がいる。一筋の希望を信じて、大きな絶望に抗い続けて。傷だらけになって、失い続けて。それでも希望を信じ続けた強い子がいる。
その子のために、わたしは――、
「だったら……」
わたしも信じよう。微かな希望を。――本物の奇跡を。
「……」
身体が動く。結局、なにをすれば良いのかなんて分からなかったけど。それでも、抗わなくちゃいけないって、そう思うから。
「……っ」
弓を構えて、狙いを定める。
――後はただ、この手を離すだけだ。
「――……」
終わってしまうのかな。このまま、なにも遺すことなく。
けど、でも、もしかしたら。――もしかしたら、魔女にはならないかもしれないから。
「ごめんね、ほむらちゃん」
このまま立ち止まっていても、わたしはなにも遺せず魔女になるしかない。――それはダメだ。そんな道を選ぶくらいなら、せめて抗って、希望に縋る道を選ぶべきなんだ。
私の奇跡が――ほむらちゃんが、そうしてきたように。
「でも、ほむらちゃんを助けたことだけは、間違ってないと思うから」
やっぱり間違ってなんてないって、確かにそう思える。
「それだけは、謝らない」
ほむらちゃんを救いたいって、そう願ったことに関してだけは――。
「だから」
それだけは、絶対に間違ってないと思うから。
――希望を信じて、手を放す。
「次は、きっと……」
何もかもを差し出して、全てを賭けて。――自分の願いを、ただ信じて。
「――――――」
一筋の閃光が、空を奔る。
その光は雲も歯車も突き抜けて、線上にあるもの全てを消し去って。
――後にはなにも残さない。
これにて、舞台は終幕。
歯車は消失し、舞台装置は機能を停止した。
――瓦礫と蒼天の地平線。いつか眺めた、終わりの光景が目に映る。
「綺麗……」
破壊の嵐と、舞台の終わり。後には何も残らなくて。けれど、この景色の美しさは変わらないまま――、
「……っ」
唐突に、魔力の制御が失われる。
苦しいのに、体が倒れても痛くなくて。切なくて、悲しくて、力が抜けて、うまく息ができない。これも、いつか体験した感覚だ。
「だめ……」
やっぱり、ダメだった。ソウルジェムは呪いに染まりきっていて、魔女は孵化の時を迎えている。
「………」
迫りくる最期の時――そのはずなのに、不思議と怖さは感じなくて。
「……ほむらちゃん」
でも、そんなものなのかもしれない。
だって、ほむらちゃんが生きてる。こうして、息をしてくれてる。
「わたし、また……」
わたしの希望の象徴が、まだ生きている。
最初に抱いたわたしの誇りは、未だ失われず、輝いてさえいて。
そんなとっても大切な存在を、わたしはまだ繋ぎ止めている。――それだけで、わたしは。
「……かわいい」
ほむらちゃんの寝顔を見つめる。視界に映る景色はそれだけで、体もうまく動かせない。
――これで最期。わたしはなにもできずに終わってしまう。
でも、決して最悪じゃない。
「………いつか」
大事な人を守れた。その人の傍で、こうして最期を迎えられる。
それがこんなにも――――、
「ほむらちゃんなら、みんなを……」
それに、ほむらちゃんなら。ほむらちゃんなら、きっとやり遂げてくれる。わたしにできないことも、わたしの願った奇跡も、ほむらちゃんならきっと。
「だから、死なないで……」
こんな結末を迎えてしまわないように。
「傷つかないで……」
みんなが救われるように。
「みんなの中には、ほむらちゃんもいるんだから……」
なにより、ほむらちゃん自身が救われるように。
身勝手だって、そう思うけど、わたしにはこうすることしかできないから。すべてを託して、こうして終わる。
「だから……」
――ほむらちゃんならきっと、みんなを救える。
だって、ほむらちゃんは優しいから。みんなが救われないと、ほむらちゃんもきっと救われないから。だから、ほむらちゃんならきっと、望んだ結末に辿り着けるはず。
「お願い……」
――ごめんね、ほむらちゃん。
ずるいって分かってる。身勝手だってことも。
わたしはこんなところで死んじゃうのに。もうなにもしないのに。これから先のことを全部ほむらちゃんに押し付けて、いなくなってしまうのに。
「……」
でも、託すしかない。もうわたしには、なにもできない。
結局、ほむらちゃんを救うこともできないまま、このまま終わってしまう。
「お願い……」
でも、せめて、もう死のうとなんてしないで。
わたしがいやだから、だから。
自分を大事にして。粗末にしないで。
辛い想いをしないで。悲しまないで。苦しまないで。
ほむらちゃんだって、そう願ってくれたじゃない。
「ほむらちゃん……」
最期に名前を呼んでみる。
それでなにが変わるわけでもないけれど、なんとなくそうしたかったから。
「……」
――暗く、昏く、閉ざされていく。
身体の感覚なんてとっくになくなって、視界から光も消えていて。目に焼き付いた光景だけしか、今はもう感じられない。そこには、ただただ過去の輝きだけがある。後悔と諦めと、もう手にすることができない過去の煌き。
綺麗な思い出と、忘れられない後悔と、償えない罪。
そんな現実がいやでいやでどうしようもなくて。お願いだから、全ては救われて欲しくて。悲劇なんてなくなって欲しくて。全て、全て、そうじゃなくちゃいやでたまらなくて。
「―――」
そんな世界になったら良いなって、ただそう願った――――。