――2023.5.21――
25層以降、攻略組の勢力図は一変した。
まず私たち旧MTD。名称を『
シンカーは未だギルドマスターの地位にいるもののそれは名目上だけであり、実質的な運営はキバオウをトップに置いた独裁体制が敷かれている。
独裁制といえば聞こえが悪いかもしれないが、彼は言葉遣いや態度こそ横暴であるものの優秀なリーダーであり、損得勘定はしっかりしている。
アインクラッドのリソースを丁寧に搾取し分配する手腕は他ギルドからは煙たがられているものの、ギルドメンバーからの支持は厚い。
次にMTDと敵対関係――というほどではないが競争関係にあった旧DKB。彼らはレッドプレイヤーを使ったPKによりギルドが完全に分裂。
過激派メンバーが新たに『
元々高かったプレイヤースキルは余分を排したことで磨き上げられたが、補助組織を失ったことで装備やレベルといった数値的な戦闘力は減少している。
そのせいもあって装備や狩場の執着心が高まり、最前線では小競合いをよく起こしているようだ。
そして最後に新規ギルド『
大規模ギルドに所属しない攻略組をまとめた新鋭ギルドでメンバーこそ少ないものの強力なプレイヤーが多く在籍している。
その実力は未知数だがDDAに並ぶか、あるいは超えるのではないかと噂されている。
というのもギルドマスターであるヒースクリフが圧倒的実力を有するからだ。ヒースクリフがいる。それがKoBの最大の強みと言える。
レイド戦のノウハウは旧DKBからの引き抜きによって支えられ、日夜その練度を上げているがフロアボス攻略に耐えられるほどのメンバーとなれば数が少なく、中小ギルドとの協力体制を取っている。
逆に言えば大ギルドに所属していない攻略組の層を獲得しているとも言いかえられる。潜在的には最大の派閥だろう。
「――で、かのALFの隊長殿がこんなところで油売ってていいわけ?」
リズベットの声が頭上からする。
「隊長って言っても実働部隊じゃないっすからね。ただの管理職っすよ。心は今でも攻略隊っす。でもレイドパーティーがギルド内だけだと組めなくなったんで、フロアボスへの挑戦について上は消極的なんすよね……」
「上って、キバオウだけじゃない」
「元中小ギルドのマスターが幹部をやってるっすから、私はその下っす」
「十分上層部でしょ、それ」
「一番好き勝手やれない立場なんすけどね……」
「だったらなおさら、油売ってる場合じゃないんじゃない?」
「ちゃんと仕事はしてるっすよ、ここで。お邪魔っすか?」
「そうは言わないけども……」
困ったような声を出すけれど、リズベットは優しく頭を撫でてくれた。
柔らかい肌の感触が髪をくすぐる。ハンマーばかり握っているだろう手だが、この世界では変化することはない。
数値ばかりが変動し、実態の変わらないこの世界で数少ない喜びの一つだ。
「こうも連日だと心配するのよ」
ここ1カ月くらいはリズベットのところに来っ放しだ。
というかここに帰ってきているまである。先日はベッドまで持ち運んでリズベットを呆れさせた。
ALFの本部――相変わらずの黒鉄宮だが、そこには私のプライベートルームもある。以前はそこで寝泊まりをしていたのだが、最近は装備の保管場所としてしか活用していなかった。
「あー……。そうっすね。一応レベリングの監督とか行ってるんすよ?」
「夜中にでしょ。そんなんで身体、大丈夫なの?」
「平気っすよ。死にかけるような場所で狩りはしてないっすから」
戦闘中に眠くなるようなことはない。むしろ戦闘中は余計なことを考えなくていい分、気が楽でさえあった。
私は最近夜間の狩りにシフトを変えた。だからここにいる時間は本当なら睡眠時間にあたる。リズベットにはそのことは伝えていない。伝えたら寝かせられるのは目に見えていたからだ。
だが彼女からすれば隣で寝てるはずの私が、夜中にフラリとどこかに出掛けている感覚なのだろう。それもあながち間違っていないが。
「ごめん。そろそろ仕事するから」
「はいっす」
膝の温もりがなくなってちょっと寂しいが仕方ない。
姿勢を整え、私はソファの上でギルドから送られた資料の確認に戻った。
カンカンカンカンッ!
ハンマーが金属を叩く音が木霊する。
一定のリズムを刻む音色は耳に心地いい。窓から入り込む風は夏の訪れがもう間近に迫っているのを感じさせた。
だんだんと眠くなってくる。
そういえば最後に寝たのは……いつだったか……。
いくら仮初の肉体であろうと、この世界に接続する脳は本物だ。永遠に起きていられるはずもない。
微睡みに引きずられていく……。
瞼の裏に焼き付いて離れない、あの日の光景……。
ユウタの恐怖に染まった表情が見える…………。
「リズ、いるか?」
来店を知らせるSEが私の意識を覚醒させる。
どっと汗が噴き出すような不快感。あるはずのない心臓が激しく脈打っているかのようだ。時計を見るが、意識を失っていたのはせいぜい5分といったところ。
「いるわよー。リズベット武具店へようこそ! って見ない顔ね……」
声の主はキリト。足音から数人のプレイヤーと一緒なのがわかる。
ソファに寝転がっている体勢ではカウンターに遮られて外の様子はわからない。
このまま隠れていようか? だがうっかり見つかると恥ずかしいし、キリトとリズベットをからかった方が楽しいだろう。
「いらっしゃいっす」
「お、おう……。そこが定位置になってんだな……」
引き攣った笑みを浮かべるキリトの周りには5人のプレイヤー。
男性4人に女性1人。年齢は近いがキリトより年上に見える。だいたい高校生くらいだ。
装備は見たことのあるものばかり。NPCや大手の大量生産品ばかり。武器は槌と盾、剣と盾、槍、槍、短剣。キリトを入れれば丁度いい構成かもしれないが欲を言えばもう1人張りつくアタッカーが欲しい。
「今日はこいつらの装備を見てほしくってさ」
「キリト、知り合い?」
小首をかしげる女性プレイヤー。
その距離感はだいぶ親し気。結城さんとパーティーを解消したかと思えば今度は別の女性とは……。キリトの認識を改めないといけないようだ。
ハンマーを振るリズベットの手つきが若干荒くなった気がした。
キリトは私に視線を合わせてなにかを訴えてくるがまるで伝わらない。
「ここでバイトをやってるエリっす。どうぞよろしく」
「あっ。サチです。今日はよろしくお願いします」
彼女は律儀に頭を下げた。礼儀正しい人のようだ。
「エリ、ちょっと相手してて。これだけ完成させちゃうから」
「任せておくっすよ」
それから残りの4人が自己紹介を始めた。
彼らは『月夜の黒猫団』という小ギルドのメンバーで、最近キリトをメンバーに迎えたらしい。今は中層のゾーンでレベル上げをしているがいつかは攻略組に参加したいという目標を持っていると、ギルドマスターのケイタは熱く語ってくれた。
キリトに視線を向ける。なにか言いたげな、少し困っているような表情。
私はケイタの話に耳を傾けている振りをして後ろ手にメニューウィンドを操作してキリトへメッセージを飛ばした。
『レベル隠してる?』
残りのメンバーと話をしていたキリトは、メッセージを確認して「なんでもないよ。友達からのメッセージ」と言って私を見てから小さく頷いた。
「じゃあ順番に要望を確認するっすよ」
どうやら彼らはキリトが攻略組の一翼を担っていることを知らないらしい。
一緒にパーティーを組んでいてわからないのだろうか? たしかキリトのスキル構成には高い熟練度の戦闘時回復があったはずだ。パーティーリストに表示されるHPを見ていればまるで減らないことにすぐ気がつくだろう。
よほどキリトが上手くやっているのだろうか?
リズベットは武器の作成を終えて彼らの細かな要望をメモに取り始めた。そして予算との打ち合わせで購入する装備を決定する。
表に展示している武器は見栄え重視。高ランクの高級品ばかりだが、倉庫には熟練度を上げるため作り続けている量産品が数多く眠っている。稀に卸売り業者に頼んで転売してもらっているが、倉庫のチェストにはまだ多くの武具が収納されている。
今回彼らが購入するのはそういった低ランク品になる。他の大手の販売店でも買えるような品だが、キリトは生産職の最前線に触れる機会を設けたかったのかもしれない。
「いつからバイトになったんだ?」
「たまに手伝いはしてるっす」
「ふうん。それでさっきのことなんだけど……」
「わかってるっすよ」
「助かるよ」
「それで、キリっちの目から見て彼らはどうっすか?」
「……中層のボリュームゾーンで戦うなら問題ないレベルはあるな」
「そんなのはレベルだけ上げれば誰だってなれるっすよ」
現にALFではパワーレベリングによって成長させたプレイヤーを中層へ送りこんで支配地域の拡大をしてる。中層なら強力な装備を着せていれば技術などなくとも死ぬことは滅多にない。だが、最前線にはレベルや装備以外の技術が要求されてくる。
未知の敵との迅速な対処能力。トラップを察知する嗅覚。集団戦の立ち回り。などなど……。
全部を一人でこなすのは頭のおかしなソロプレイヤーくらいだが、貢献できる能力がなければそのプレイヤーはパーティーにいる意味がない。
「羊に率いられる群れは悲惨っすよ」
「それは……。ごめん……」
「謝る事じゃないっす。どういうことになるか伝えたかっただけっすから」
25層の顛末は攻略組ならず多くのプレイヤーが知る事となっている。
権力争いによって送り出された無能な指揮官ルキウス。彼によって多くの人命が失われた。そういう話だ。
彼は無能ではなかった。有能ではないが、彼の立場ではああするしかなかっただろう。
彼が真に有能であればシンカーを裏切ってでも撤退しただろうか?
私はどうするべきか。それはわからない……。
「なあ。少しタンクとしての心構えみたいなのを教示してくれないか?」
「……授業料は高いっすよ」
「うっ……」
「貸し1つにしとくっす」
「前に無料より高いものはないって言ってなかったか?」
「だから高いって言ったんすよ。それでどっちっすか?」
「りょ、両方……」
「はぁ……」
溜息を一つ。
「皆さんはこの後お暇っすか?」
皆さん、と言いながらも私が話しかけたのはケイタ一人。
一人一人の意見を聞く必要なんてない。リーダーだけが群れの意思だ。
「え? あー、22層の迷宮区でレベリングをしようかなって。新しい装備にも早く慣れておきたいですし」
「なるほどなるほど。少しご一緒してもいいっすか?」
「あー……」
ケイタはキリトに助けを求めるように視線を向ける。
こうも突然パーティーを組まないかと言われれば不信感を抱くのも無理はない。私だって見ず知らずの人間からパーティーを申し込まれれば腰に下げた剣の柄に手が伸びるというもの。
キリトは大丈夫だ、と言うように頷いてケイタの警戒心を解いた。
「じゃあそうしましょうか。えっとレベルの方は……」
「それを聞くのはあんまりよろしくないっすよ。でもかなり高いと思うんで、心配はご無用っす」
「失礼しました。それじゃあ武器を買ったら行きましょう」
人の良さそうな笑みをケイタは返した。
早死にしそうな人だ。
私は最近、事あるごとにプレイヤーに対してそういう印象を持つようになっていた。
▽▲▽▲▽▲▽▲
22層の迷宮区は魚人型のエネミーが徘徊するゾーンだ。
他にも厄介な飛行する虫系、高威力高耐久の大型エネミーも登場する。
とはいえどこの層も最低限このくらいは出るだろうというバリエーションだ。この層が特に難しいということはない。むしろ簡単な部類だったという記憶がある。
「きゃあっ!」
「落ち着いてサチ! 盾の後ろに隠れてればダメージなんてほとんどないんだから」
イカ型エネミーの触手に打たれサチがよろめいている。
大型エネミーの攻撃は回避しやすい分高威力だ。それでもサチのHPは2割も減っていない。十分な安全マージンがクリーンヒットさえ問題にしないほどの優位を保証している。
「スイッチ、いくっすよ」
倒れたサチとエネミーの間に割り込み、大振りで振るわれる触手を大盾でガードしていく。
このイカは確か横薙ぎか叩きつけ、捕縛の三種類しか触手の攻撃方法はなかったはずだ。捕縛こそ厄介であるものの、この人数では捕まっても大した損害にはならない。集団で行動するタイプのエネミーでもなく、運悪く徘徊型のエネミーと同時に遭遇しなければ対処は簡単だった。
それに私は現在でもレベル、装備共にトップランクのタンクに位置する。中層のエネミーではHPを削りきるのは不可能に近いだろう。
「こうして落ち着いて受けてれば怖くないっすよー」
「は、はいっ! すいません……」
可愛く膝をついていた彼女はパチクリと瞬きをしてから頭を下げてきた。
それから彼女は私と、私の構えている盾を交互に見る。
「上手、なんですね……」
「これっすか? 慣れればできるようになるっすよ」
私は今、顔をサチに向けたまま攻撃を受けている。
視界の端ではイカのモーションがしっかりと見えているのだから問題ない。ダメージではらちが明かないと触手の捕縛攻撃をしてくるがシールドバッシュをすると簡単に諦め触手をひっこめる。
「サチさんも防御力は十分みたいっすから、そんなに怯えなくても大丈夫っすよ」
「でもこんなに大きいと、怖くって……」
「確かに、迫力満点っすよね」
私は笑みを取り繕うと、彼女もつられて笑ってくれた。
「うわぁ!?」
「あー、なにやってるんすか、もう!」
イカのタゲが外れ、槍使いのササマルが襲われる。
大方調子に乗ってソードスキルを連発したのだろう。ここからではイカの巨体に遮られて向こう側の様子はわからない。
「ちょ、助けて!」
情けなくも触手に絡め取られ宙づりになるササマル。
「いい機会っすから自力で抜け出すっすよ」
「そんなぁ!」
パーティーから笑い声がこぼれだす。
ササマルは不安定な体勢のまま槍を振るうも上手く当たらず、結局リーダーのケイタが援護して彼は救出された。
「酷いじゃないかよー」
「今みたいにアタッカーが攻撃をし過ぎるとタゲが外れて襲われるっす。勉強になったっすね」
「えー。タゲが外れるのはタンクがしっかりヘイト取ってなかったからじゃないの?」
「今のは私も手を抜いてたっすけど……。でもタンクが稼げるヘイトには限界があるんす。アタッカーがそれ以上のヘイトを稼げるのは当然なんすよ」
「そうなのかい?」
ケイタも興味深そうに耳を傾けてくる。
ちょっと待て……。そんなことも知らないのか!?
キリトを睨むが困ったように頭を掻くばかりで役に立たない。
「まずタンクがなんで必要かわかるっすか?」
「えっとぉ……。タゲを集めるため?」
「20点」
「えー……」
「攻撃の方向を固定するため。そうするとアタッカーは敵の攻撃にさらされることなく攻撃ができるようになるんだ。そうだよな?」
「そういうことっす」
キリトがしぶしぶ答えてくれる。彼らでは答えられないと判断したのだろう。
「つまりっす! タンクはアタッカーの代わりに攻撃を受けてやってるんす。その辺、まずはちゃんと理解するんすね」
「でもアタッカーより頑丈だろ?」
「そうっすよ。でも回避やガードをしなければダメージはしっかり通るっす。棒立ちで平気なら全員タンクと同じ装備で囲んで叩けばいいんすから」
「それもそうだ」
「そして回避やガードをする分タンクは攻撃が出来なくなるっす。それだけヘイトの上昇量は下がるんすよ」
ヘイト上昇量増加の装備もあり、そういった手段でも補うのだがそれでも足りなくなるのがヘイトの厄介なところ。
「だから稼いだヘイト以上に攻撃を加えるならタンクは守ってやれないっす。それで攻撃されるんなら自業自得っすね」
「わ、悪かったよ」
「まあ今回は雑魚エネミーっすからそこまで注意することもないっすけどね。もっと上の層を目指すんなら気をつけるべきっす」
タンクがうまく機能しないとき、問題はタンクだけにあるとは限らない。
「その……。もっと上手くヘイトを稼ぐ方法はないのかな?」
ケイタがちらりとサチを見る。
彼の言い分もわからなくはない。ヘイトが中々貯まらない戦闘はストレスだろう。ここまでの戦闘で、私はサチがお世辞にもタンクが向いているとは思えなかった。
「1つは装備。ヘイト上昇量増加のアイテムを身に着けることっす」
「それは、やってたよな?」
サチが頷く。
「もう1つはアタッカーがエネミーの攻撃を妨害するっす」
「どういうことだい?」
「高威力の攻撃やクリーンヒット、打撃武器でのスタンなんかで行動がキャンセルされたり、動きが遅くなったりすることがあるっすよね。そういうのを積極的に狙うんすよ。タンクへの攻撃頻度が減れば、その分攻撃してヘイトが稼げるっすから」
ローテーションしない場合なんかはアタッカーのヘイト上昇量は過剰だ。
これを休みなく消費するならば、そういったヘイトの使いかたをしなければいけない。ダメージを出すことだけが勝利への近道ではないのだ。
「でもなあ……。そんな上手くいくか?」
何のための長柄武器だ、と言いたくなる。
そういった攻撃の差し込みをしやすいのが特徴だろうに……。
「やるんすよ」
「はい!」
思わず声を強めてしまった。
「あと、サチさん」
「は、はいっ!」
「そんな緊張しないでいいっすよ。後ろ手にちょっと支えてもいいっすか?」
「えっと、どうぞ、お願いします?」
「じゃあ戦闘が始まったら失礼するっすね」
迷宮区を進み遭遇したのは漁人の集団。
革鎧ならぬ磯鎧を着け手には銛を持った人型エネミーだ。
魚アイテムを食べるという報告を聞いている。明らかに共食いでは? と思うが、そもそも海の生き物は海の生き物を食べているのだ。おかしなことでもない。それに彼らはデータで構成された存在。そんな私生活などそもそも存在しない。
彼らの持つ銛は両手槍扱いで、人型エネミーの例に漏れずソードスキルを使用してくる。
数は5体。多くはないがレクチャーしながらでは面倒だ。
「テツオさん。3体任せるっす」
「オーケー!」
メイスと盾を持つこのギルドのメインタンク、テツオに私は協力を求める。
彼はエネミーの集団に左から接近しているため、私は右から近づき2体に盾をぶつけ離れた位置へ引っ張っていく。
「まずはテツオさんの方から片付けて。サチさん。スイッチ」
「え、あ、はい!」
スイッチは後ろのプレイヤーが合図を送るのが基本だ。なにせ前のプレイヤーは後ろが見えないのだから。
だから私はスイッチの合図をくれ、という意味で言ったのだ。しかしサチは合図が出されたと思い前に飛び出た。
しかたなく私は動き回る漁人の銛をパリィしながらサチの背後に回る。
片手で盾を非装備状態に変え剣も鞘へとしまう。
両手を自由にし、私は片手をサチの肩、もう片手を盾の持つ手に添えた。
「え、ええっ!?」
「ほら落ち着くっす。真っ直ぐ見るっすよ」
突き出される銛を盾のカーブを使って逸らす。
ソードスキルによって繰り出された3連突き。逸らされた銛は直ぐに引き戻され追撃が来る。2撃目も同じように逸らし、最後の突きは盾の芯で受ける。STRではこちらが有利。銛は弾かれ漁人の体勢が崩れる。すかさず剣を振るように肩を押す。腕だけで振るわれる雑な一閃だったが、まあいい。
漁人の数は1体ではない。片方が攻撃を終えるや否や、もう片方がすかさず攻撃に移る。
「このまま少し後退するっすよ」
サチの腰に手を添えて、漁人の踏み込みに合わせて後ろへ下がる。
「ワン、ツー。ワン、ツー……」
エネミーの行動にはある程度のリズムがある。
どうにも呼吸を行っているらしく、それが影響しているのではと私は考えていた。
「ソードスキル。回転攻撃くるっすよ」
「はいっ!」
盾を支えて繰り出されるソードスキルを一緒に受け止める。
サチがタンクに向かない理由は2つだ。
1つは判断力の悪さ。敵が見えていないのだ。目を瞑ってしまうのは論外。見ていても、なにをしてくるかまではわかっていないだろう。
もう1つは恐怖心。攻撃に対して委縮してしまっているところだ。タンクは死にかけているとき平然と動ける人間でなければやっていられない。彼女にそれを求めるのが酷なのは短時間話しただけでも理解できた。
ではなぜ彼女がタンクをしているのだろうか?
ひとえに気の弱さが原因ではないかと私は考えた。押しに弱い。前衛が必要で、頼んでも断られなさそうだったからサチにお鉢が回ってきた。そんなところだろう。
「その調子っす。いいっすね。上手い上手い」
時折煽ててみるが、サチの動きは硬い。駄目そうだ。
そうこうしていると向こうの漁人は掃討したようでパーティーが合流してくる。
サチが相手をしていた漁人が倒されるのはあっという間だった。
「すいません。私、どんくさくて……」
「そんなことはない。サチは頑張ってるよ」
キリトに励まされ、潤んだ瞳で彼を見つめるサチ。そういうのは帰ってからやれ。
「あー……。キリっち。ハッキリ言っていいっすか?」
「あ、ああ」
「爆ぜろ。あと、サチさんにタンクは無理っす」
「え? いや。ああ……。ちょっと待ってくれ。その、どうしても無理、なのか?」
「無理っす。絶対にやめておくべきっすね」
「うう……。ごめんなさい……」
しゅんと落ち込むサチの頭を私は撫でて励ましてやる。
そういえばユウタの頭もこうして撫でていたっけか……。
案外、甘やかす対象に飢えているのかもしれない。リズベットには甘やかしてもらってばかりだから。
「そんな言い方しなくても……」
ケイタは私がサチを悪く言っているのか、慰めているのかよくわからなくなっているようだった。
「駄目っす。他のギルドの人間でもこればっかりは口出しさせてもらうっすよ。彼女にはタンクはできないっす。そもそもなんでサチさんなんすか?」
「それは……。他のメンバーはスキルの熟練度が高かったんだ。ならまだスキルの低いサチに任せようって」
「なおさら別の人に任せるべきっすね。熟練度の高いプレイヤーの攻撃に、熟練度が低い彼女の攻撃でヘイトが足りるわけないんすよ」
「それはこれから俺たちが攻撃を抑えていけば……」
「サチさんをアタッカーにして別の人にタンクをやらせた方がDPSは上がるっすよ」
「………………」
「それに、彼女はこんなに怖がってるじゃないっすかっ!」
「――っ!」
見ればわかるだろう。キリトもなんで言わないんだ。言い返されないからってケイタも好き放題命令しやがって。腹が立ってきた。
「あの……。私……。あれ……? ごめんなさい、なんだかっ……!」
ソードアートオンラインの感情表現は多少オーバーだ。
大粒の涙がサチの目尻に貯まっていく。彼女が泣き出すのはすぐだった。
「あぁ!? その……、悪かったっす! そんなつもりはなくてっすね!?」
「違うんです! 私、そんなハッキリ言ってもらえたこと、なくって……」
背を撫でるがサチが一向に泣き止まない。彼女はひざを折って私にしがみついてきた。
しくじった。やるならせめて安全エリアに着いてからにするべきだった。ここだと音を聞きつけてエネミーが集まってしまう可能性もある。このゾーンならどれだけの大軍に囲まれようと平気だろうが……。
キリトに視線だけで助けを求めるが首を横に振るばかり。頼りにならないな!
「一端街に戻るっすよ」
私の絞り出した言葉に、全員が頷いた。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「落ち着いたっすか?」
「はい……。その、ご迷惑をおかけしてすみません……」
「いいっすよ」
迷惑料はキリトに後で請求しておく、とは言わぬが花だろう。
私たちは迷宮区を抜け近くの村まで引き返していた。ここならエネミーが出現することはもなく安全だ。帰路でいくらかのエネミーに絡まれたが剣の錆にしてやった。彼らはろくな経験値にもならなかった。
「で、なにか言いたいことはあるっすか?」
「あの……。ごめんっ! 俺、サチがそんな風に悩んでるなんて知らなくって……」
「ううん。言わなかった私も悪いから……」
確かにそうなのだが。こういうとき女性は便利だ。いや、弱い方が便利というべきか。
女が男より弱いと断言しないが、世間的にはそういう風潮が強い。
勝てば正義というが同情は弱者の特権だ。勝者は謝罪させることはあっても謝罪されることはない。
サチという人間は、これでもかというくらい弱かった。
「それで……、サチはこれからどうしたい?」
「私は……」
「いきなり言われても困るだけっすよ」
「そ、そうだね。ごめん」
「ううん」
「選択肢はいくつかあるっす。1つは戦闘から離れること。安全だけを考えるなら悪くないっす。でも苦しむ選択っすね。攻略組を目指すならどこかで死ぬ可能性だってあるんすから。そんなことを考えながら安全な場所で待ってるのは辛いっすよ」
他の皆が死んで一人取り残される、なんてこともありえる。
一緒に死ねとは言わないが、手の届かないところですべてが終わってしまえば彼女はその先どうなるのか。後追い自殺なんてするなら待つ意味もないだろう。
サチもそのことを想像できたのか青い顔で首を振った。
「もう1つはこのままタンクの練習を積むことっす。もしかしたら、上手くなるかもしれないっすから」
期待はするな、と目で語る。サチがタンクに向かないのは共通の認識になってくれたはずだ。この選択はまずないだろう。
「あとはサチがアタッカーになるとかっすかね。元の武器に戻しても、このまま片手剣で戦ってもそれは好きにしたらいいっす。タンクは……キリっちに任せればいいっす」
「俺っ!?」
「片手開いてるんすからいいじゃないっすか」
「いや、俺はもうこのスタイルに慣れちゃってるから……」
「他の人だってそうっすよ。適性が一番高いのはキリっちっす。他人にやらせて自分だけやらないなんて、そんな都合の良い話、まかり通ると思わないことっすね」
これが一番無難な方法だろう。キリトの高い攻撃力はこのパーティーには不要だ。
もしキリトのスペックをそのまま活かすのであれば、それはパーティーがキリトに依存したスタイルしか産まない。
「選択肢は――もう1つあったっすね。攻略組を諦めることっす」
もしそれができるなら、なにも言うことはない。
中層に留まる程度であればバランスの悪い構成でもなんとかなる。中層でも下の方になるかもしれないが、上を目指さないのであればどうでもいい。
諦めてしまえばすべては簡単だ。
「それは……」
ケイタもこれには色よい返事が出せない。
「すぐに答えを出せなんて言わないっすよ。これはあなた達の問題っす。じっくり考えればいいんすよ。でも時間は待ってはくれないっすからね。攻略組も常に前進してるっすよ」
だから早く攻略隊を再結成したいのだが……。
それならいっそこの月夜の黒猫団をALFに吸収してしまうのはどうだろうか?
いや、駄目だ。キリトはともかく他のメンバーは使い物にならない。テツオは鍛えればなんとかなるかもしれないが、他のメンバーにいたっては見込みなしだ。
「そうだね。うん。今日は帰ろう。サチもゆっくり考えてほしい。どんな結論を出しても俺たちは責めない。エリさん。ありがとうございます。おかげで俺たちは致命的な間違いをせずに済みそうです」
「そうっすか。感謝は素直に受け取っておくっす」
彼女が、あるいは彼らがどんな選択をするのか。それは私にあまり関係はないだろう。あるとすればキリトがどうなるか、か。優秀なフリーの攻略組を失うのはKoBにしても痛手だろうから。
それでも大きな勢力図の変化が起こるほどのことではないだろう。
「その……、ありがとう。助かったよ」
主街区への道中、キリトがこっそりと声をかけてくる。
「彼女の事くらい自分で何とかしてくださいっすよ……」
「なっ!? サチとはそういう関係じゃないって」
「どうだか。お互いまんざらでもない癖に」
「………………」
「これは貸しっすからね。いつか回収するっすよ」
「わかってるって」
彼ら一団はともかく、キリト個人であれば有用性は大きい。
この貸しを使えばフロアボスの攻略に手を貸させることだってできるだろう。
あるいはもっと個人的ななにかに使ってもいい。例えば……、そう。結城さんへの嫌がらせとか。工夫が必要だが間接的にならそういうこともできるだろう。
他にも貸しを使わず、のらりくらりと関係を保ち続けることで継続的に搾取するとかもできるか。それが一番無難か?
「エリさん」
「ん? あ、はいっす」
22層はフィールドにはエネミーが出現しないからといって気を抜きすぎていた。気がつけば主街区が見えており道のりも残りわずかとなっている。
「今日はなにからなにまで、御世話になりました」
「いいっすよ」
「それで……。もしよかったら、うちのギルドに……」
ケイタの発言に目を丸くする。
これでも有名人のつもりはあったのだが、意外と知られてないのだろうか?
いや。そもそも彼らは私を知っている素振りを見せなかった。案外ALFの知名度などそんなものなのだろうか。
「もうギルドには所属してるんで申し出は嬉しいっすけど、お断りさせてもらうっす」
「そうでしたか。いえ、エリさんほどの実力があればそうですよね。その、どちらのギルドに?」
「ALFっすよ。前はMTDって名前でしたけど」
「ああ。あそこですか」
やはりケイタは私の事を知らないといった様子だった。
フロアボス攻略前には黒鉄宮前で行進とかしてるんだが……。
「もうちょっと、ケイタは情報収集に力を入れるべきっすね」
フロアやエネミーの攻略情報だけでなく、攻略組のプレイヤーについて調べておけと暗に言いたいわけだが伝わりはしないだろう。
「そうですか? いえそうなんでしょうね。わかりました」
「それじゃあ、またなんかあったらメッセージ飛ばしてくださいっす。空いてれば、手を貸すっすよ」
キリトとはすでにフレンド登録しているため、それ以外のメンバーにフレンド申請を送る。
途中、フレンドリストが上限数に達した。
フレンド最大数増加のクエストでもないだろうか……。そういう話は聞かないのでまだ見つかっていないか、存在しないのかもしれない。
私は古い順に並び替え一番最初に登録したメンバーを消去する。
『このプレイヤーとのフレンドを解消します。本当によろしいですね?』
システムメッセージが再三にわたり確認をしてくる。
微かに震える指先で、そのすべてにYESと回答。
3人の名前は完全消滅した。