レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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15話 月夜に残る黒猫(2)

 サチがあれから頻繁にリズベット武具店へ来るようになった。

 毎度装備を買いに来ているわけでも、新作のアイテムをチェックしているわけでもない。ただ、流石に冷やかしばかりでは良心が咎めるようでNPCよりほんの少し割高な武具の研磨を依頼している。

 

「すみません! エリさんいらっしゃいますか?」

 

 今日もまたリズベット武具店の戸を叩き、サチがやってきた。

 

「あんたも懐かれたわねー」

 

 リズベットが私の頭を乱暴に撫でる。

 それを軽く振り払い、私は少し鬱陶しそうな表情を彼女へ向けた。

 

「まんざらでもない癖に」

「……なにも言ってないっすよ」

「愛いやつめー!」

 

 猫可愛がられた私はリズベットに押し倒されソファに沈む。

 リズベットも相応に高いSTRを持っているが、私に比べればまだまだ低く、押し退けようとすればマウントポジションからでも簡単にできるだろう。

 だがお互いそれほどの力は込めてはない。当然だ。これは単なるじゃれ合いなのだから。

 

「あのっ!」

 

 サチの張り上げた声に私とリズベットは我に返る。

 

「あ、ごめんごめん……。別にあんたのお姉さまを横取りしようとか、そういうんじゃないのよ」

「お姉、さま……」

「いやいや。サチの方が私より年上っすからね」

「年下の、お姉さま……」

「サチ―! 戻ってくるっす!」

「――はっ!? 私はなにを?」

 

 サチも我に返ったようで辺りをきょろきょろ見ている。

 本当にこの人、年上なんだろうか?

 月夜の黒猫は元々高校のパソコン部のメンバーで結成したリアフレギルドだったらしい。そうでないのは後から加わったキリトだけで、全員が高校生のはずだ。

 しかしこの人を見てるとたまに信じられなくなる……。ケイタがそういった小賢しい嘘を吐けるとは思わないが、サチはどうにも頼りなさすぎるのだ。

 

「ほら。サチの相手してきてあげなさい」

「お客相手にそんな態度でいいんすか?」

「なにをー! お姉さまの言葉が聞けないと申すか!」

「いつから私の姉になったんすか……」

「細かいことはいいのよ、妹よ」

「了解っす、姉上」

 

 ソファから這い上がり、サチの側に歩み寄る。

 

「お姉さまのお姉さま……」

 

 あ、これまだ駄目なやつだ。

 

「よろしくお願いします、リズベットお姉さま!」

「はいはい。でもちょっと長いわね。リズお姉さまと呼びなさい」

「はいっ! リズお姉さま!」

 

 なんか頭を抱えたくなってきた……。

 とりあえずこの場から離れよう。そうすれば多少はマシに……なるのだろうか?

 

「それで、今日も稽古っすか?」

「はい……。その、エリお姉さまのご迷惑でないんだったら、お願いしたいんですけど……」

「………………」

「駄目、ですか?」

「いや駄目じゃないんすよ。ただ――」

「やった! それじゃあ早速行きましょうエリお姉さま!」

「ええ!? ちょ、引っ張んないでくださいっす!」

 

 サチが小さくガッツポーズをしたかと思えば、私は袖を掴まれて強引に外へと連れ出されてしまう。

 

「今日はどこに行きますか?」

「あー、じゃあ圏内で打ち合いでもするっすか」

 

 レベルや熟練度を稼ぎに行ってもいいのだが、そうすると今度は基礎技術の練習が疎かになってしまう。私の場合下手な狩りなど言語道断で、やるなら徹底的なプレイを求めてしまう癖があるのだ。もし開始の合図が出されれば彼女の倒せる範囲のエネミーをひたすら叩き続けることになるだろう。それを望んでいないことくらい流石にわかっている。

 それにしばらくすればリズベットの仕事も一段落するだろうから、3人でお茶をするのも悪くない。茶菓子は3人分用意してきた。キリトとどこまで進展したか根掘り葉掘り聞くのも乙なものだろう。

 

「わかりました、エリお姉さまっ!」

「……わざとやってるっすね?」

「えへっ。ばれちゃった?」

 

 彼女もだいぶタフになった。こっちが素なのだろうか? あるいは私とリズベットのやり取りに影響されたか……。まあ悪いことではないだろう。

 

「エリお姉さまって呼んじゃ駄目?」

「駄目っす」

「えー。なんだかお嬢様っぽくて楽しかったのに」

「お嬢様なんて碌なものじゃないっすよ」

「あれ? エリさんってもしかしてお嬢様!? 言われてみればどことなく高貴な感じが――!」

「……そんなわけないじゃないっすか。知り合いにお嬢様がいるんすよ」

「そうなんだ」

 

 圏内だからダメージは入らないが、装備などのアイテムの耐久値を削ることはできる。

 だからリズベットの店の倉庫から適当なナマクラを私は用意していた。

 単価30コルくらいの安物の剣と盾。同じ形状のものをサチもストレージから取り出して装備する。

 サチは結局タンクにはならないが、スキルの編成はこのままで続けるという答えを出した。ケイタは未だ上層への憧れを捨てられず、月夜の黒猫団は果敢なレベリングを行ってるようだ。

 しかし意外にも彼らは最前線に迫っていた。レベルだけの話で、実力や装備はそうではないが、驚異的なことではある。

 ALFのメンバーにも見習ってもらいたいところだ。

 私たちALFの精鋭たる攻略隊がフルレイドを組めなくなってもうすぐ2カ月になる。現在はパーティー毎に行動して最前線に粘り続けているがそれもいつまで続けられるかわかったものではない。

 迷宮区の探索とフロアボスの攻略はまったく別の能力が問われる。

 フロアボスと対峙できる実力者は他のギルドに移籍するなりしてALF見切りをつけていた。私は取り残されてしまったのだ。

 

「じゃあ始めるっすよ」

 

 デュエルではない。圏内ではHPが減らないことを利用した、もっと安全な組み手だ。

 デュエルもたまにはする。主にサチの臆病な精神を鍛えるために。ただ毎度HPが減っては回復に時間を取られるし、レベルやスキルの差で、サチに勝てる見込みがないのもよくなかった。

 

「じゃあ行きますね。――たぁあああ!」

 

 サチが突進系のソードスキルを使用してくる。

 これはレイジスパイクだと判断し私は迫る刃に私の剣を滑り込ませた。

 突き出される切っ先に刀身を這わせ運動エネルギーを支配する。私を襲うはずだったスピードは回転する勢いに使われ切っ先が大きな弧を描いた。さらに駄目押しと言わんばかりに鍔の内側へ刃を引っかけると、サチの片手直剣は空へと舞い上がった。

 落下した剣が地面に突き刺さる。

 私の添えるような手つきでサチの首に刃を突きつけた。

 

「うう……。ずるいよ、もうっ!」

「安易にソードスキルに頼るなって言ったじゃないっすか」

「こんなことできるのはエリさんくらいだよ!」

「キリっちあたりも、やろうとすればできるんじゃないっすかね」

「それは2人が特別なんです!」

 

 サチが落とされた武器を拾い上げて猛抗議してくる。

 

「でもこの手の武器落とし(ディスアーム)属性の攻撃をするエネミーと戦ったこともあるっすよね?」

「え? う、うん。あったような……」

 

 そんな厄介な能力を持ったエネミーでも、割と低層から出てくるはずだ。

 念入りに情報収集をして、そういった難易度の高いエネミーとの戦いは避けてきたのかもしれない。レベリング中なら私だって避ける。

 だがこういった面倒な攻撃を知らなければ、突如使われたとき動揺して動けなくなるだろう。これにだっていくつか対処手段はあるのに、だ。

 

「この手のスキルは初見じゃ対処は難しいっす。ただいくつかの次善策はあってっすね――」

 

 慣れた手つきでクイックチェンジを起動させ、装備をメインウェポンと入れ替える。

 

「クイックチェンジで武器を再装備するなり、攻撃を避けてから武器を拾うなりするんすよ」

「なるほどー」

「それともうひとつが武器を強く握ることっす」

「ちゃんと握ってるよ?」

「じゃあちょっと構えてみるっすよ」

 

 サチは言われるがまま剣を構える。

 私が刀身を鷲掴みにして引っ張るも、サチが取り落とすことない。引っ張られるまま腕が前に伸びる。

 

「あ、危ないよ?」

「圏内なんすから切れやしないっすよ」

 

 何度か繰り返すもサチの手から剣は離れない。

 

「おかしいっすねー……。ちゃんと構えてみるっすよ。あ、盾が下がってるっす。もっと上に構えるんすよ」

「こ、こう?」

「そうそう。エネミーは大抵プレイヤーより身長が高いっすからね。楽な持ち方ばっかしてると悪い癖がつくっすよ」

「うん、わかった――あっ!」

 

 会話と盾に集中し過ぎたサチの手からはあっけなく剣が抜けた。

 取られて気がつかなかったなんてことはないが、取られる瞬間には気がつけなかったようである。

 

「ずるいっ!」

「ずるくないっす。原理としてはこういうことっすね。あと盾の持ち方が悪いのも本当っすから注意するんすよ」

「はーい」

「こうしてなにかに集中してるとき、思っている以上に剣は軽く握られてるっす。そもそも力いっぱい握ってたら振れないんすよ。だから普段から力を入れて握ってるなんてことはありえないんす」

「へー」

「もちろん例外はあるっすよ。例えば両手槌なんかはかなり強く握られてるっす。だから武器落とし属性なんかはほとんど効かないっすね」

 

 この傾向は両手槍などの柄が長い武器全般にいえる。ただし、攻撃中の槍には決まることもあるので一概には言えない。

 

「そういうわけで、今日は武器の握り(ホールド)練習をするっすよ」

「はい!」

 

 その後、リズベット武具店の裏で私たちは夢中になって剣を振るった。

 最初は手加減してホールドを成功させてあげていたが、だんだん私も熱が入り、最後には鍔迫り合いからの徒手空拳を使ったディスアームという荒業まで使っていた。

 サチが今日何回「ずるい!」と言ったかは数えていないが、沢山は言われたはずだ。

 実はこのディスアーム、MTDの新人いびりのために開発した技だというのは内緒だ。

 

 リズベットが様子を見にくる頃にはすっかり空が茜色に染まっていて、2人揃って呆れられてしまった。

 お茶会はまた今度となったが、代わりに私たち3人は夕飯を食べに出掛けた。

 いつもなら私のオススメなスポットに行くのだが、この日はサチの紹介で11層にある小さな洋食レストランへ向かうことになった。

 落ち着きのあるシックな内装は店を経営しているプレイヤーが揃えたものらしく、ビーフシチューっぽい煮込み料理は絶品の一言。デザートに食べたイチゴのタルトは癖になる甘さだった。

 サチにキリトとは上手くいっているのかと聞いてみたところ、2人の共有タブ――アイテムの一部共有をする結婚未満の関係でするもの――を作ったとのことでリズベットは少し複雑そうな顔をしたが、一応サチのことを応援はしていた。

 それから私はサチを宿へ送り、リズベットを店に送り、ALFのメンバーに合流して夜の迷宮区へと向かった。

 

 私の居場所はどこなのだろう?

 リズベットやサチのいる武具店?

 それともこの最前線のALFメンバーの中?

 あるいはキバオウやPoHたちと密談するあの看守室だろうか?

 どれか1つに決めることはできない。私はどれも捨てることはできない。だが現実は私の意思を無視して時計の針を進める。

 私の居場所のうち、1つが欠けてしまうのはそれから1週間後のことだった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 今日も変わらず、日中はリズベットの店でだらだらとしていた。

 熟睡せずともこうした休息のおかげで疲れはそれほどない。

 外は生憎の雨模様。天気は階層毎ではなく全層でおおよそ共通化されており、夜の攻略に響きそうで少し嫌だった。

 天候によって出現するレアエネミーがいれば嬉しいが、そうでなければ雨に打たれながらの探索をしなければならず、視界も不良で面倒くささ倍増だ。

 

 こういう日は客足が増える。

 誰もこんな日にフィールドへは出かけたくはないのだろう。迷宮区ともなれば天井があるのがほとんどなので、問題ないはずなのだが……。気分の問題だろうか?

 ともあれリズベット武具店は彼女一人で経営している個人商店だ。

 オーダーメイドを承りながら商品の会計をするには手が足りず、私もバイト(仮)の面目躍如と言わんばかりに働いた。

 しかし思ったよりも大盛況で客足は途切れることがなく、少しだけ気疲れをしてしまう。

 人が退けたのは夕方になってから。

 愚痴でも言おうとフレンドリストを開き、私はサチへメッセージを送ろうとした。

 

「あっ……」

 

 彼女の名前は灰色になっていた。

 それだけではない。テツオ、ササマル、ダッカー。月夜の黒猫団に所属するメンバーのうちサチも合わせて4人の名前が灰色になっていた。

 いつかこんな日が来るのではと考えてはいた。でもそんな日は来ないと信じたかった。

 彼らは特別優秀なプレイヤーではない。個々のプレイヤースキルは言うに及ばず、チームワークなど、前線で時折組む臨時パーティーよりも悪いくらいだ。

 でもキリトもいるし。そんな甘い考えがあった。

 もっと強く現実を突きつけるべきだった?

 お前たちは下手くそなんだから前線になんて来ても死ぬだけだ、と。

 それとも今日はお店を手伝ってとか、そういう誘いをしていればあるいは……。

 ああ……。全部、全部終わってしまったことだ……。

 

 ふと彼らの代わりにリストから消した名前を思い出す。

 タマさん。カフェインさん。抜刀斎。

 彼らのときも――彼らのとき?

 そうだ。通信障害!

 

「え、ちょっと! どうしたのいきなり!?」

「転移、タフト!」

 

 私は一目散に11層にある月夜の黒猫団のホームにしている宿へ向かった。

 全身が即座に濡れる。主街区に転移した場合、送られるのは転移門前。つまり外だ。傘も差さずにいるのは私だけで転移門を使いに来た一団から奇異の目が向けられた。

 私はそんな些細なことなど気に留めず、いつか行った宿へと走る。

 STR型とはいえ私のAGIはレベルが高いため相応にはある。濡れた石畳に足を取られることなく私は閑散とした洋風の街並みを疾駆した。

 

 扉を壊すほどの勢いで開く。

 1階が酒場になっている宿で、そこには幾人かのNPCが丁度食事をしているところだった。驚いた表情を向けてくるが濡れた身体のまま階段を駆け上がる。

 キリトの名前はまだ灰色になってはいない。

 オブジェクトを破壊するほどの力で彼の部屋の戸を叩く。だがゾーンとしてあらかじめ用意されている建築物は一部の例外を除いて破壊されない。私の拳は『破壊不能(immortal Object)』という表示に阻まれる。

 

 扉はゆっくりと開かれた。

 明かりの点いていない部屋から現れたキリトは防具を着けたままで、幽鬼のような表情をしていた。

 その表情ですべてを理解してしまえる。

 そもそもこんな時期に通信障害だなんていくらなんでも出来過ぎだ。そんなことくらい初めからわかっていた。

 

「………………」

 

 キリトはなにも言わなかった。だから私は勝手に部屋へ入る。

 扉は自然と閉まった。窓の外で降り注ぐ豪雨の音だけがしばらくこの場を支配していた。

 濡れた身体や衣服は時間経過で乾く。そうなるまで私たちは立ち尽くしていた。部屋にはベッドも、調度品の椅子もあるが動くことはできなかった。

 

「サチは…………」

 

 我ながら薄情なやつだと思う。彼女の他にも3人の名前が灰色に変わっていたのに、私は感情のまま、そう聞いてしまった。

 

「……死んだよ」

 

 キリトは震える声で呟いた。

 どさりと体重を壁に預けてたたらを踏み、地べたに座り込む。

 ポタリ……。ポタリ……。床を濡らす水滴の音。

 私たちはどちらも二の句を紡げないでいた。

 

「俺のせいなんだ……」

 

 沈黙を破ったのはキリトの独白だった。

 

「27層の迷宮区で、俺たちは宝箱を見つけたんだ……。あそこは稼ぎはいいけどトラップ多発地帯だった。俺はそのことを知っていたんだ。なのにっ! なのに俺は黙ってた……。ビーターだって知られるのが怖くて、それで……。アラームトラップだったんだ。それもクリスタル無効化空間のおまけつきでさ。扉からモンスターの群れがやってきて、最初はテツオ、次にマサル、ダッカ―、最後にサチがやられた。もし俺が彼らにレベルを偽らず伝えていれば……、もしかしたら生き残れたかもしれないんだ。全部、俺のせいだ……」

 

 キリトは手が白むほど強く拳を握っていた。

 私はなんて返すべきだろう。こんなとき、どうすることが正解なのか……。

 

「……ケイタは?」

「ケイタはそのときギルドハウスを買いに行ってたんだ。だから、減った分のコルをちょっとでも増やせればって。本当なら、今頃俺たちはギルドハウスを手に入れて、ちょっとしたパーティーを開いてたはずなんだ……。なのに、なんでだよっ! なんでなんだよっ!!」

 

 理性はキリトへ優しく同情してやり、手駒に加えろと囁き続けていた。

 彼の精神は今、非常に脆い。だからいかようにも歪めることができるだろう、と。

 この機を使えば私の代わりに人を殺させることだってできるかもしれない。それはPoHやヒースクリフへの極めて有効なカードにもなる。

 

 私にはキリトが一人の人間ではなく、一振りの剣に見えた。

 

 黒く美しい片手直剣だ。

 闇のように暗く、だからこそどんな暗闇にも負けない剣だ。この剣さえあればどんな敵でも切り伏せられるだろう。あらゆる望みを叶えてくれる。そんな確信を抱かせるほどに力強い。

 ああ……。私はこれを、涎が滴るほどに欲しい。

 

「サチは最期に俺に手を伸ばしてなにかを言いかけたんだ……」

 

 キリトへの呪詛が私の中で渦巻く。

 

「あれはきっと俺への恨みの言葉だ。どうして助けてくれないんだ。約束したじゃないか。ビーターなんかに関わるべきじゃなかった。――そんな言葉だと思う……」

「そんなわけないじゃないっすか!」

 

 この剣を自由に使えるなら――、

 

「サチはそんなこと言わないっす。サチはキリっちのことが本当に好きで好きで……。だから思い出をそんな都合の良い考えで捏造するなっ! 死人は恨んでさえくれないんすよ!」

 

 胸倉を掴み上げる。身長は少し私の方が低かったが、高い数値のSTRがいとも容易く彼を持ち上げた。キリトの身体は中身を失ったかようでとても軽かった。

 間近で見たキリトの顔には普段の気取ったような雰囲気はない。その顔は苦痛にあえぐ、どこにでもいるような弱った子供のそれだった。

 システムがハラスメントコードの警告をしていた。これ以上彼に触れていれば、キリトには私を監獄へ送る権利が与えられるだろう。

 

「俺は、どうしたらいいんだ……? どうしたら償える……?」

「一生サチのことを忘れるな。サチのためにって言葉にして戦え。そうやってこのゲームをクリアしろ。そうすればサチを覚えていてくれる人は少しだけ増えるっす。生きてる人間が死んだ人間にしてやれることなんて、たかだかそのくらいなんすよ」

 

 ――私はこの剣をサチの墓標にしよう。

 

 彼女の弔いのためにこの剣を捧げる。

 ソードアートオンラインでは個人を象徴するものとして、その人物が装備している武器があげられる。だからプレイヤーが死亡すると、所持していた武器を墓標に捧げたり、墓碑として飾るといった風習が広まっているのだ。

 リズベットには悪いが、サチの剣といえばキリトだ。

 だから彼をサチの墓碑として、誰もが目に留まる場所へ飾ってやろうと思った。

 

「そうか……。そうだよな……」

「それと、サチの剣はあるっすか?」

「ああ」

「渡すっす」

 

 キリトはなんの疑問も言わず、言いなりになってアイテムをオブジェクト化した。

 

「これはリズのところに置いてくるっす。忘れないようせいぜい毎日足を運ぶんすね」

 

 平凡な片手剣をキリトの手から奪い取り、アイテムストレージに収納する。

 ここにはもう居たくなかった。

 私はさっさと出ようと扉に手をかけて――立ち止まる。

 

「そんなんじゃすぐに死ぬっすよ」

 

 今のキリトはとても弱い。こんなプレイヤーを私は何人も見てきた。彼らの末路は圏内に引き篭もるか、遠からず死んだかのどちらかだ。――サチは後者だった。

 

「死んだら楽になっちゃうんすから、キリっちに罪の意識があるなら苦しみながら生きるんすね。だから今日はもう寝ろっす」

「ははっ。俺は死ぬことも許されないのか……」

「死人は許しなんてくれないっす」

 

 今度こそ部屋を出る。

 外はまだ土砂降りの雨。たしかこの世界でプレイヤーは風邪を引かないんだったか。

 ならこのまま雨に打たれていても別にいいか……。

 

「なにやってんのよ。風邪引くわよ」

「知らないんすか? プレイヤーは風邪引かないんすよ」

 

 リズベットだった。

 11層の転移門前で、彼女はピンク色の傘を差して立っていた。

 

「ほらっ」

「いらないっす……」

「あんたねえ……」

 

 差し出される水色の傘を私は拒んだ。

 リズベットは渡そうと躍起になったが、どうやっても受け取らないとわかるや、自分の傘に私を入れた。

 

「サチが死んだっす……」

「うん」

「これ、店に置いておいてくれないっすか。キリっちが手を合わせに来ると思うっすから」

 

 トレードで、サチの剣をリズベットへと送る。

 

「形見の剣を店に置けって? 縁起悪いわね」

「ごめんっす……」

「いいわよ別に。コルはあんまし落としていかなかったけど、常連さんだったからね。たまにならあの子の好きだったタルトくらい供えてやるわよ」

「助かるっす……」

 

 考えてみれば、確かにそうだった。自分の作った武器を手にしていたプレイヤーが死んだなんて、鍛冶師としてはマイナス要素にしかならない。

 でもリズベットはきっと店のよく見える場所に、この剣を飾ってくれるだろう。

 サチもリズベットの店が好きだったから……。

 

「泣かないんすか?」

 

 リズベットの顔には涙はなかった。

 

「誰かが泣いてるとね、見てる方は冷静になるのよ」

「そうっすか……」

 

 私は泣いているのだろうか?

 これは打たれた雨の滴なんじゃないかと思う。

 

「そろそろ攻略に行ってくるっす」

「今日くらい休みなさい」

 

 首を横に振る。

 

「……死ぬんじゃないわよ」

「――転移、ライラック」

 

 返事はせずに、私は最前線である30層の主街区へと跳んだ。

 キリトにはああは言ったが、私は別に許されたいわけでも許されたくないわけでもないのだ。




サチを強化しても、助かるとは言っていない(血涙)。
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