クリスマス当日の朝。
鏡の前で今日も俺は自分の身形を確認する。
寝癖は櫛を使用して整えた。着ているのは一張羅のギルドの紋章が描かれた黒コート。インナーとしてクリームイエローのニットを着合わせ、グレーのマフラーを巻く。
「よしっ」
問題はないはずだ。俺は頬を叩いて気合いを入れた。
それからリビングで今は亡きメンバーへ黙祷を捧げるとギルドハウスを後にし、転移門を使い第1層へと向かった。
途中で購入した新聞には中層のフィールド情報の他、デートスポットやオススメレストランなどが書かれていて、その中から目当ての情報を読み取った。
今日の天気は雪模様。ホワイトクリスマスになるらしい。
「どおりで寒いと思ったぜ」
もっと厚着を用意しておけばよかった。
見栄え重視で質感の良いコートを仕立てたはいいが、そう何着も作っていては財布が持たない。そもそも攻略以外の箇所にコルを出費するのは多少なりとも苦しいのだ。
このコートもトレードマークとして機能してきたわけだし、ここは我慢だ。
マフラーや手袋があれば堪えられないほどではない。
昔はお洒落な服なんて……。と思っていた。
しかし今の俺は攻略組ギルドの一角、月夜の黒猫団の代表だ。それがだらしない恰好をしていれば死んでいった彼らの沽券にもかかわる。
俺はそれに気がつき、恥ずかしさを堪え服屋の店員にコーディネートを頼んでこの格好になった。
月夜の黒猫団が黒っぽい色を連想させる名前でよかった。これが赤だったり金ピカだったりしたら俺のメンタルに多大な継続ダメージを与えていただろう。
「リズ、入るぞ」
早朝であるのに煙突から煙を上げているリズベット武具店の扉を開いた。
店内は工房と繋がっているおかげで冬場でも温かい。ただし夏場は地獄のように熱いため、いくつかの氷冷アイテムがなければ客が寄り付かないと彼女は嘆いていた。
「いらっしゃいませ。リズベット武具店へようこそ! ってなんだ、キリトか……」
「悪いな」
「はー……。まあいいけどもさ。私も流石に慣れたわよ」
慣れたというのはその快活な挨拶ではなく、俺の来店についてだろう。それを申し訳なく思うものの止めるわけにはいかなかった。
俺は靴の雪を落として店内へと入る。
「おはよう。キリト君」
「おはよう。アスナも来てたのか」
「リズとは友達だからね。今日くらいはゆっくりしようと思って……」
「……そういうことにしといてあげるわよ」
「ん?」
リズがなにを言いたいのかはわからない。女の子同士でしか伝わらないなにかなのだろうか?
「それじゃあ少し失礼するよ」
「はいはい」
他の客がいるときは流石に俺も自粛して時間を改めるが、アスナとは知った仲なので遠慮することもなかった。
俺は店の隅に飾られてる非売品の片手剣の前に立つと、両手を合わせた。
これはサチの剣だ。
俺はあれから半年間、可能な限りここへ来ては手を合わせていた。
可能な限りというのは、リズに用事があるときや、前線に篭って帰ってこない日を除けば毎日という意味である。
「よくもまあ、懲りずに来るわね」
「……………………」
今夜、俺の考えが正しければ『背教者ニコラス』と戦うことになる。
俺は勝てるだろうか?
蘇生アイテムは俺の願っている通りのものだろうか?
サチは最期、俺になんて伝えようとしたのか?
どれだけ祈ってもサチは答えてくれない。死者はなにも語らない。
「……サチ」
時間にしてそれは数分程度。たったそれだけの祈りを終える。
「悪い。なんか言ったか?」
「いいわよ、別に」
俺は弱い人間だ。だからこうして思い返すことをしなければ決意が鈍ってしまう。
死んだ人間を思い続けるというのは思いの外難しかった。
共に語らった思い出は日に日に不鮮明になり、胸に抱いた闘志は次第に弱まっていく。
クラインはもう半年と言ったが、まだたったの半年だ。
俺はこれから何年生きる? 俺の人生は、もしこのゲームをクリアできればその先も続いていいくだろう。その中の半年とはどれだけの割合だろうか。俺は最期までこの旗を背負って歩けるのか?
俺はすべてを忘れて楽になってしまう自分を想像して、途方もない恐怖を感じた。
今は、この罪の重ささえありがたい。
「でもあんたほどじゃなくていいから、エリも顔出せってのよ」
「やっぱり、エリは……」
「来てないわよ。あれ以来ずっと。メッセージを送っても無視されるし……。フレンドは解消してないみたいだけどね」
サチやリズとあんなに仲のよかったエリは月夜の黒猫団が壊滅して以来、サチの剣を届けたのを最期にここへは一度も足を運んでいないらしい。
俺は前線での攻略やフロアボス攻略の際に顔を合わせていたが、そのときは必要最低限の言葉を交わすだけでお互い私的な会話はまるでない。
それは俺もエリも、互いを避けようとしているからだった。
「キリトからもあいつに言ってやってよ」
「ああ……。機会があったらな」
「アスナも……あー、うん……」
「ごめんね、リズ……。私も仲直りがしたいとは思ってるんだけど」
エリがアスナを避けているのは攻略組でも周知の事実だ。
俺にとっては最初から――それこそまだ第1層のフロアボスが倒される前から知っていたことで、それがこれまで解消されないところを見るに根は深そうだ。
エリはどれだけ嫌っている相手でも表面上は上手く付き合えるだけのコミュ力があると思っているのだが、これがアスナ相手にはまるで発揮されない。
アスナの方はどうやらエリのことを嫌ってはいないとのことだが、ああも邪険に扱われると流石にイラッとくるらしい。
確かにALFはKoBを――いや、言葉を濁すのはよそう。エリはアスナがいると露骨なほど嫌がらせを仕掛けてきている。これで好きになれというのは無理な話だった。
「ねえ。あんまし聞いちゃいけないんだろうけどさ……。アスナ、あんたエリとなにがあったのよ?」
「それは……」
「俺がいたらマズそうなら席を外すけど?」
「ううん。そうよね。2人になら話しても大丈夫、かな……」
リズはその言葉を聞くと、表の表札を裏返して店を閉めた。
俺も念のため索敵スキルを使い、潜伏状態のプレイヤーがいないかチェックしておく。
「私ね、彼女とは現実で知り合いなの」
それは俺も聞いていた。加えて家の事情だともエリは言っていたはずだ。
それをここで言うのは心が咎める。エリはかなり必死にそれを隠そうとしていたし、口止め料も貰ってしまっていた。
現在ではたかだか1000コルだが、当時の物価から考えれば口止め料としては結構な額だったんじゃないだろうか。
「学校の同級生で、何度か顔を合わせたことはあるんだけど……。でもそれだけなのよ。会話らしい会話はしたことなくって……。どうしてこんなに嫌われてるかわからないの」
「うーん。なにか気に障る事をしたとか? でもアスナに限ってそういうのは想像つかないわね」
「わからない。ただ……」
「ただ?」
「彼女、2年の夏休み前から学校に来なくなっちゃって……」
不登校、というわけか。それを周囲の人間に知られたくなかったから、アスナを避けていた? いや、それならアスナへの攻撃的な態度の説明は着かない。
思いついたのはイジメだ。加害者に自覚がないというのはよく聞く話で、聖人君子のような人物でも集団心理に呑まれいつの間にか加担していたというのはあり得ない話ではない。家の事情、というエリの言葉からも連想が可能だ。
だがアスナが? むしろアスナはそういうのを積極的になくそうとするタイプに思える。そういった行動が偽善に見えて腹が立ったとかか?
「エリが学校に通わなくなった理由に心当たりは?」
「ないわ。当時は気になって調べたけど、わからなかった……」
エリの家庭について聞くべきだろうか?
しかしそれをすればエリとの約束を裏切ることになるんじゃないか。それはあまりにも……不義理だ。
「止めよう。こんなところで話し合って答えが出るようなら、当事者で解決できてるはずだ」
「それは、そうだけども……。でも放っておくわけにはいかないじゃない」
「その気持ちは俺だって同じだ。時間が解決してくれるとも思えない。でも……」
でも、なんだ?
逃げていていいのか? 俺は逃げることが許されているのか? 駄目だ。俺は逃げてはいけない。少なくともこのことから逃げ出してはならない。
俺は軽蔑されることに怯えた結果、月夜の黒猫団はどうなった?
同じ失敗を俺は繰り返すのか?
「…………サチ」
君がいなくなってから俺たちの――いや、彼女たちの歯車はどこか食い違ってしまった。もしサチが生きてれば今日もここで一緒に談笑できていたのだろうか? 俺は少なくともリズとエリはサチと一緒に仲睦まじくしていただろうと思う。もしかすればアスナとだって誰かが懸け橋になれたんじゃないだろうか。
サチ。でも俺にはわからないんだ。どうすれば元通りになるのか。
「とにかくエリに話を聞いてみるよ。素直に答えてくれるかはわからないけどさ」
機会があったら、なんて消極的ではなく。
見つて、声をかけて、聞こう。
そのためにも今日の戦いは絶対に勝つ。
「うん。お願い、キリト君」
「はぁ……。私から聞いといてなんだけど、辛気臭い話は止めにしましょ。今日はせっかくのクリスマスなんだし」
「そうだな」
「あ、ケーキあるけど食べる?」
「食べる食べる」
「キリトはコル払いなさいよ」
「まあいいけどさ……」
リズが取り出したのはショートケーキではなくなぜかホールのタルトケーキ。いや、クリスマスケーキはショートケーキ以外ありえないとは言わないが。
それをキッチンで4等分に切り分けている間に、アスナは勝手知ったる友の家といったようで、3人分のコーヒーを淹れ始めた。
俺はというと手持ち無沙汰に座っているだけ。申し訳なさでいっぱいだ。
リズはトレーに4つの皿を乗せて持ってくる。
俺たち3人の前に1皿ずつ。そして1皿をサチの剣の前に供えてくれた。
「ありがとう、リズ」
「いいのよ。私が後で食べるんだから。それじゃ、食べましょ。せーのっ」
「「「ハッピークリスマス」」」
口に運んだイチゴのタルトは甘いのだが、くどくない、絶妙なさじ加減だった。
コーヒーに関してはノーコメント。アスナの淹れた物を飲み過ぎていてこれが基準点になってしまっている。下手なプレイヤーメイドは大抵美味しくないと感じるので、かなり美味しい方なんだとは思う。
「ところでキリト君、変な噂を聞いたんだけど」
「変な噂?」
「キリト君がうちの団長とデートに行くって……」
「ぶふっ!?」
コーヒーが気道に入ってむせる。
吹き出してしまい、ケーキを台無しにしなかった俺を誰か褒めてほしい。
「なになに。どういうことよ? 詳しく教えなさい」
「これは攻略組のある人から聞いた話なんだけど。クリスマスボスの話が出回ってるじゃない。キリト君はそれの討伐に団長と二人きりで行くらしいって言ってたの」
クラインめ。口が軽すぎるだろ。
「なんだ、デートじゃないじゃない」
「うん。私も初めはそう思ったんだけど……。でもうちの団長っていつもすまし顔でなに考えてるかわからないじゃない?」
「あー。そうね」
「それにイベント事も基本不参加だし」
「そうなんだ」
「でもキリト君とは2人きりでボスモンスターを倒しに行く、と。それで思ったんだけどもしかして団長ってそっちの趣味があるんじゃないかなって……」
「ほうほう」
「キリト君についても熱心に聞いてくるし」
「怖いこと言うなよ……。俺、攻略会議の度にヒースクリフに怯える羽目になるぞ」
頼もしく思えていたあの無表情が途端に空恐ろしいものに見えてくる。
ヒースクリフには小規模でも列記としたギルドマスターとして扱ってもらえてたから結構嬉しかったのに……。
「……うそ、だよな?」
「私もまさかと思って団長に聞いてみたのよ」
「あんた無駄にアグレッシブよね」
「そしたら――」
生唾を飲む。なんでこんな寒い日に肝試しめいたことを俺はしなくてはならないんだ。
「キリト君には残念ながら誘われていないよ。ただ、もし誘われていたら行くのも吝かではない。って」
「どういう意味だ!? どういう意味だよそれ!?」
「落ち着きなさいよ」
これが落ち着いていられるか! 真意が分からないうちはやつに近づくのは止めよう。というか1人で会うのは絶対に避けるべきだ。
「まあ団長なりの社交辞令だと思うけどね」
「くっ……。一本取られたな」
「キメ顔で言ってもぜんぜん格好良くないわよー」
俺は冷や汗を拭いながら言った。まさか直接会わなくとも俺にこれほどプレッシャーをかけてくるなんて、最強の剣士は格が違うってわけか。
「で、本当は誰と行くの? まさか1人で挑むんじゃないわよね」
「エリとだよ」
あらかじめ用意していた答えだったため、俺はすらすらと言えた。
「あら、意外ね」
「うん。エリさんもキリト君のことは避けてると思ってたから」
鋭いな……。だがバレてはいないはずだ。ヒースクリフと違ってエリと組んでいないか確認する方法を、2人が持っているはずがない。
「私も一緒に行きたかったけど、そういうことなら止めておいた方がいいかな」
「そうだな。そうしてくれ」
自分の吐いた嘘に少し心が痛んだ。
▽▲▽▲▽▲▽▲
リズベッド武具店にはお昼近くまで居てしまった。
俺は彼女の店で装備の整備をすると、クリスマスセールをやっていた馴染みの店で消耗品をここぞとばかりに買い貯め、夜までの時間を46層にある例の狩場で過ごした。
こんな日にひたすら狩場に篭っているのはどうやら俺だけで、半日の大半を経験値に変えることができた。その甲斐も虚しく俺のレベルは目標の80まで1足りない。
レベルが10上昇するごとにスキルスロットを1つ獲得できるため、熟練度をあまり必要としないスキルを入れて、戦闘力の底上げをしたかったがしかたがない。
土台無理な計画だったと諦め、俺はギルドハウスに戻りメインの装備に着替えると、所持品に持てるだけの回復結晶や解毒結晶を入れ、空き容量にも高価なポーション類を敷き詰め、最後に地図を持った。食事アイテムはすでに普段手の出せないような高級品――それも味重視ではなくバフ効果がただただ高いもの――を食べている。
アイテムメニューのタブには『Self』の文字に並んで『Sachi』や『Moonlit Black Cats』の名前がある。その文字列に軽く指を這わせながら眺めていると、いつの間にか時間が経っていた。
俺は我に返り普段以上に力が漲るアバターを動かして、隠れるように35層へと向かった。
道中を、俺はこれまでにない速度で踏破した。
降り積もった雪が俺のAGIを低下させていたが、それを物ともしないほどに身体が軽く感じられる。
途中エンカウントしたモンスターのほとんど置き去りにして、どうしても避けられない戦闘はわずかな時間で終えた。この層に俺の障害となるものはない。
樅の木まで残すところ1エリアとなり、俺は息を整えた。
緊張はしている。フロアボス攻略を前にしても落ち着いていられる自信が今の俺にはあったが、今日この日に限ってはそうでもないらしい。
蘇生アイテムの話に浮足立っているのだ。
そんなアイテムは存在しないと言いながらも、それが真実であってほしいと願わざるを得ない自分に嫌気が差す。嫌気が差しているのはいつものことか。俺は半年前のあの日から後悔しなかった日はない。それでいいと思ってる。俺の罪は消えてはならないものだから。
俺が意を決して最後の境界線を越えようとしたところで、背後にテレポートしてきた複
数人の足音が聞こえた。
俺はゆっくりと振り返る。現れた集団の先頭に立つ男は色合いこそ赤が入っているせいでサンタクロースに近しいが、こんな無精髭では子供が泣き出してしまうだろう。
「プレゼントならいらないぜ、クライン」
「俺がもらいにきたんだよ。そんでもう受け取った」
どうやらつけられていたらしい。
クラインはニヒルな笑みを浮かべ勝利を確信していた。
「子供からプレゼントをもらうなんて、恥ずかしくないのか」
「心だけは少年なんでな」
「さっさと大人になれ」
「それはこっちの台詞だ馬鹿野郎。やっぱりテメェ、ソロでやるつもりだったんだな」
「気づかれてたか」
「ここに軍の連中がいないのを見れば一目瞭然だろうが」
それもそうだ。しかしここまで来て隠し立てることは無意味だった。
「ソロ攻略なんて無謀な真似は止めて俺たちとパーティーを組め! 蘇生アイテムはドロップさせたやつの物で恨みっこなしだ!」
「クライン。やっぱり勘違いしてるぜ、お前」
「なに?」
「お前はギルドのメンバー全員で来た。そして俺もギルドのメンバー全員で来た。お前と俺の立場は同じだ」
「いいかげんわかれよ! いくらお前が言い張ろうと、お前は1人だ。1人きりだろうがよぉ……」
「例え俺が1人でも、攻略組の1ギルドとしての力は誇示しないといけない。俺はそうしなければならないんだ。ボスに負ける気も、お前に譲る気もないぜ」
剣を抜き、俺は切っ先をクラインの喉に向けた。
踏みしめた雪がぎしりと軋みを上げる。
俺は数少ない友人であるクラインをこのまま斬ることができるだろうか? いや、できないだろう。少なくともこのまま殺し合いに興じるなんてことはいくらなんでも無理だ。クライン率いる風林火山のメンバーがいなくとも、それは変わらないだろう。
せめて一撃決着ルールのデュエルならお互い剣を収める理由は作れる。ギルドマスター同士の取り決めとして外聞も悪くない。
俺は数日前と同じようにデュエルの申請をしようとメニューを操作した。今度ばかりはクラインも断ってはくれまい。
だがそうする寸前で、俺は剣をわずかに横へずらした。
「ちっ……」
「お前もつけられたみたいだな」
風林火山メンバーの後ろには、最前線でよく見る銀と青のカラーリングをした連中が現れていた。
KoBと並ぶ最前線の2台巨頭。DDA、聖竜連合の一団だ。
彼らはこれからフロアボスでも倒しに行くのかというくらいの人数を揃えていた。俺はもちろんのこと、風林火山の人数さえ足元に及ばない。
「で、どうする?」
「くそっ! キリト、お前は先に行け! 後から絶対に追いついてやる! だから死ぬな。絶対に死ぬんじゃねえぞ!」
「お前の分は残してやらねえよ。……ありがとう、クライン」
俺はクラインに背を向けワープポイントへ急いだ。
クリスマスボス出現まで、残された時間は少しだった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
エリアの中央に1本の巨木がそびえる小高い丘。
かつて来たときは野草が生い茂っていたが、一面が銀世界となっていて雰囲気はまるで違っていた。
不安に思い、巨木をフォーカスするが現実世界で見た記憶にある樅の木と特徴は一致している。場所を間違えたわけではないらしい。
――ガサリ。
足音がして俺はその方向をすぐさま見た。
四方がエリアで区切られ方向感覚を狂わすこのダンジョンはつまり、俺がやってきた方向以外にも侵入できる場所が3つはあるということだ。
しかし現れたのは風林火山やDDAのような集団ではなく、俺と同じたった1人のプレイヤーだった。
迷い込んだのか? そう思ったが見覚えのある顔に気がつく。俺はまず驚き、次に困惑した。
「エリ……」
黒地に赤を入れたALFカラーの全身鎧。身の丈を優に超す2メートル級の大盾に、アンバランスなショートソード。
フロアボス戦で何度も目にした、エリが持つ対大物狩り特化の完全武装その1。防御力に秀でた威力偵察用装備セットだ。
「キリっちも来てたんすね。お独りっすか。クリスマスの夜に、寂しい男っすね」
エリはこちらに一瞬しか視線を向けず、淡々とした調子で語り掛けて来た。
「お前だって、独りだろ?」
「そうっす。今日はALFの皆さんはいないっすよ」
俺はエリに会話の距離まで近づく。
彼女の言葉が本当なのかは偵察スキルでチェックするまで信用はできなかった。
エリは結構平気でブラフを張る。それに彼女はパーティープレイを重視する考えのプレイヤーだ。俺のように馬鹿な単騎はやらないはずだと思っていた。
けれどスキルには反応なし。この雪で隠密ボーナスはかなり高まるだろうが、パーティーを引き連れているならその全員が高レベルな隠蔽スキル持ちなんてことはありえないだろう。
エリは、本当に一人でここに来たようだった。
「なんで1人で来た?」
自分のことはこの際棚上げにして聞く。
俺はソロでもギリギリ勝てると踏んでいた。それはおそらく俺より強いエリにも言えることだ。けれど可能性があるからといってそれをするかどうかは別。フロアボスの適正レベルも本来は階層と同じ数であるが、そこから10は上積みして安全マージンを取るのと同じことだ。
「キリっちはなぜっすか?」
「俺は……」
「蘇生アイテムを独占するため? だったら帰るんすね」
「どうしてだよ」
「もし蘇生アイテムが本物で、それが1個だけだったとしたらどうするつもりっすか?」
心臓に刃を突きたてられたような感触がした。
俺は蘇生アイテムの噂が偽りだと思う一方で、真実であってほしいと願っていた。しかし真実であった場合のことなんて本気で想像してはいなかったのだ。
「サチだけを生き返らせる? なるほど。そういう考えもあるっす。でもサチはどうするっすか? 1人だけ生き返らせられて、他の皆は死んでいる。それだけじゃないっすよ。これまでに死んだ数千のプレイヤーは生き返らないのにサチだけが生き返った。その恨みはきっと彼女1人に向けられるっす」
エリの言葉を聞いて、俺は無意識に一歩後ずさっていた。
「サチが生き返るなら他のプレイヤーだって……」
「来年の冬を待つっすか? そんなことが起これば戦争になるっすよ」
蘇生アイテムがたとえ1個でなくとも、血みどろの殺し合いにはなるだろう。生き返ったとしてもサチを全プレイヤーから守り抜けるかと問われば自信はない。
そもそも1番に生き返らせたいのはサチだが、だからといってケイタたちを蔑ろにはしたくなかった。順位をつけて生き返らせるような真似はできない。
「他にも、方法はあるだろ……。例えば――ゲームがクリアされる直前で生き返らせるとか」
「キリっちにしては良い考えっすね」
エリの笑顔が、とてつもなく不気味だった。
なにを考えているのかまるで理解ができない。悍ましい怪物がエリの姿を借りて化けているのではと思うほど、俺の知っているエリとはかけ離れていた。
「俺の質問にも答えろよ」
「………………」
「蘇生アイテムなんて、お前はちっとも信じてないだろ。なのに蘇生アイテムが本物である体で話を進めて、その上俺を脅かしてこの場から離れさせようとする。その魂胆はなんだ?」
「蘇生アイテムを独占するため、って言ったら信じるっすか?」
「……前の俺だったら信じただろうな。でも今の俺はそうじゃない」
「はぁ…………」
深い溜息が、白くなって空に昇る。
「キリっちは強いっすね」
「そんなことはないさ」
「あるっすよ……」
どこからか鈴のSEが聞こえてきた。
話し込んでいる間に日付が変わったらしい。時刻はすでに0時になり、クリスマスクエストのボスが出現する条件が整っていた。
俺は暗い上層の底を見上げる。
2本の光の筋が空中で弧を描いていた。そのレールの上をなにやら巨大な物体が滑っている。ソリだ。とても巨大なソリを、これまた巨大で奇怪な鹿のようなモンスターが引いている。
ソリが樅の木のてっぺんに通りかかかると、そこに乗っていた巨人が飛び降りる。周囲の雪を巻き上げ現れたのは赤と白の上着を着た趣味の悪いサンタクロースだった。
――『Nicholas the Renegade』
頭上にその名を頂くモンスターは、やけに細長い腕に片手斧とズタ袋を持っている。巨大であっても一応人型。片手斧のソードスキルは確定。ズタ袋による範囲攻撃や特殊バフも考えられる。ソリはどうした? あの巨大な鹿は? あれらは頭上を旋回している。特殊攻撃か、あるいは途中参戦だと当たりをつける……。
俺は未知のモンスターを前にして一瞬で戦闘のスイッチが入っていた。
だが隣に立っていたエリは違った。虚ろな視線でフラグボスを眺めている。武器を握る手にも力がない。どうした? 様子がおかしいのは明白だった。
「今日は良いことがあったんすよ……」
ニコラスがなにやらイベント用の口上を喋っていたが、エリの発する声に気を取られて俺の頭には一切入らない。
「だから、まあ、死ぬにはいい日っすよね」
「エリっ!」
ニコラスの斧が振り下ろされ、雪を激しく吹き飛ばした。
粉雪に紛れてエリの姿を見失う。
まさかっ!
嫌な予感がしたがそれは一瞬だけ。理性がエリの防御力と今の一撃を計算して、クリティカルダメージだったとしても死ぬなんてことはありえないと断言した。
案の定、視界が晴れるとエリはその場からほとんど動かずに立っていた。
彼女のHPは1ドットも減っていない。それどころか下段から振り上げたと思われる片手剣が、ニコラスの腕にダメージエフェクトを残していた。
ついさっき見た彼女の姿がまるで嘘のようだった。
「こいつは俺がやる。下がってろ」
「どうぞお好きに。でも私も好きにするっすよ」
再び振り下ろされる片手斧。俺はそのソードスキルの軌道に合わせ、単発系ソードスキルで攻撃を相殺する。
激しいエフェクトをまき散らしながら、互いの攻撃が失敗に終わる。
しかしニコラスの武器は片手斧だけではない。反対の腕に握られたズタ袋を振り回し広範囲攻撃に利用する。
俺はソードスキルの硬直中で、しかも空中にいるため回避は絶対的に間に合わない。
だが俺のHPが減少することはなかった。
月明かりが遮られる。ニコラスと俺の間に割り込んだエリが、その巨大な盾で攻撃を食い止めたのだ。
着地と同時に、俺は地面を転がってニコラスの足の間を抜ける。
背後ががら空きだ。DPSの高い連続攻撃系ソードスキルのモーションを起こし、俺はダメージを稼いだ。
「このっ! どうなっても知らないからな!」
声を荒げるが、彼女の参戦は頼もしかった。
そんな気持ちを持つのは間違いなのに……。俺は酷い裏切り者だ。
「サチッ――」
俺はサチの表情を思い出し、力強く剣を握りしめた。
――魔改造キリト――
キリト「サチィイイイイ!!」
アスナ「なんか私の知ってるキリト君と違う!?」
キリト「サチッ! サチッ! サチィイイイイ!!」
リズ 「ちょっとどうすんのよこれ! あとこいつ毎日私の店に拝みに来るんだけど!」
エリ 「……私は知らないっす。でも天国で見てるサチもこんなに想われて幸せなんじゃないっすか?」
サチ 「正直ちょっと気持ち悪い」
キリト「サチぃいい……」
シリカ「この人なんか怖い! っていうかあれ? 私の出番もしかしてあれだけ!?」
二次創作で魔改造といったら超強化のイメージが強いと思いますが、これも一種の魔改造。それに基礎スペックは上昇していますので魔改造といっても過言ではないんじゃないでしょうか?
部分的には弱体化もしてますけどね……。