攻略組から
もちろんレベル上げは欠かさずやっているが、未踏破ゾーンへ足入れることはもうしていない。最前線をうろつくことは無きにしも非ずだが、それも情報が出回った経験値の美味しい場所がせいぜいだ。フロアボスと最後に戦ったのは3カ月も前になる。
現在はKoBが主導権を握りつつ、DDAが必死に縋りついているらしい。
すでにトップギルドの雌雄は決した。攻略組はKoB。中層以下をALS。犯罪者はラフコフ。この牙城はそうそう崩れないだろう。
私は自由にできる時間が大幅に手に入った。
治安維持部隊に重要な案件が回ってくることはそうそうない。ラフコフ結成前より犯罪は増えたが、それでも2週間に1回あるかないか程度。かといってプレイヤー間の小さなトラブルに私が出向くのはやり過ぎなため出動はなかなかかからない。
以前は攻略組を兼任していたために忙しかったのだが、こうなるとやることがなく暇だ。
あらためて考えると私は友達が少ない。付き合いがあるプレイヤーは多いが、気軽に会いに行ける友人など1人もいないことがこの機に発覚した。
リズベットはもちろんのこと、キリトにもクリスマス以来会ってはいない。
今日の書類整理を終わらせた私は、行く当てもなくぶらぶらと夜の主街区の見回りに出掛けていた。睡眠時間が極端に少なく済むのも考えものだ。
途中、いくつかの食事アイテムを購入して食べ歩いた。屋台で売られていた謎肉の串焼きをツマミに飲む蜂蜜酒は饒舌に尽くしがたい。この際だから新たな趣味でも作ろうか。例えば食べ歩きとか。今度グルメ雑誌でも買いに行こう。
そんなくだらないことを考えながら歩いていると、聞きなれないメロディーが聞こえてきた。知らない曲だ。
音が遠くてはっきりとはわからないが、JPOPだと思う。ソードアートオンラインには合わない曲だ。システムBGMではないのはすぐにわかった。
その曲に誘われて、私は音楽の鳴る方角へと足を向けた。
人通りもまばらな大通り。道行く人の大半はNPCだったが、プレイヤーも多少いる。
その中央。街灯に照らされたステージで、白い女性プレイヤーが歌っていた。
メロディを奏でているのは彼女の手に抱えられたリュート。
目にしたことはないが、路上ライブというやつを思い出す。
透き通るような声色。声量こそ小さいものの、肉声であるならこんなものなのかもしれない。上手いかと聞かれれば上手いのだろう。音程は外れていない。だが技術ではなく、なにかが私はその場から動けなくしていた。
悲しさの中に明日への勇気が込められているような歌詞。長さにして数分の、一般的なものだったと思う。
曲が終わり、彼女が一礼すると少ないながらも聞いていた観客が拍手を送った。拍手を送る姿にはNPCも混ざっていた。
それを受けて恥ずかしそうにお辞儀をする。
私はずっと立ちつくしたまま。呼吸も忘れていたんじゃないだろうか。
決してすぐ側まで近寄って聞いていたわけじゃない。だが目が合い、彼女が私へ駆け寄ってきた。
「あ、あの……」
返事を返そうと口を開いたが、何故か言葉が出なかった。
「大丈夫ですか?」
ハンカチを差し出されて、私は涙を流していたことにようやく気がついた。
彼女の服装と同じ、水色と白色の可愛らしいハンカチ。それを受け取ってお礼を言おうとしたが、口からは嗚咽しか出ない。
「あれ……? ひぐっ、ごめんなさい……。ごめんなさい……」
なにに謝っているのかわからず、どうして泣いているのかもわからない。
自分のナーブギアに重大なエラーが発生して、操作障害が起こったかのようだった。
彼女も突然のことに動揺していた。
「おい、なにやって……」
「ち、違うからね。私が泣かせたんじゃなくて、泣いてる子を私が見つけただけというか……」
近づいてきた男性プレイヤーが彼女に話しかける。聴衆に混じって拍手をしていたプレイヤーの1人だ。目立つ格好なのですぐにわかった。
彼の着ている白地に赤十字の意匠が施されたマントはKoBのユニフォームだ。コスプレでなければ、彼もKoBのメンバーのはず。だが攻略会議で見た覚えはない。
彼は目を警戒気味に細めて私を見た。
「はぁ……。ここで話し込んでも目立つ。あんたがよければ、場所を移そうと思うんだが」
見知らぬプレイヤーに付いて行くのはかなり抵抗がある。だが彼女の歌声を思い出すとその危機感も霧散した。
小さくうなずく。彼女は差し出していたハンカチで私の目元を拭うと、私の手を引いてどこかへと向かった。
どこへ行くのかという不安よりも、行先を決めてくれる安心感がなぜか胸にあった。
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腰を落ち着けたのは圏内にある広場だった。半円型で、兄に連れられて行った大学の講義室を屋外に設置したような形状だ。街中にある、催し物のための会場という設定で作られた場所なのだと思う。
だがそういう場所に、なにもないのにわざわざやってくる人はそういない。それが夜ともなればなおさらだ。
静まり返った広場には、しばらく私の啜り泣きの声だけが響いていた。
どのくらいそうしていたのかはわからないが、私が泣き止むまで彼女は黙って背を擦ってくれていた。リズベットの温かな手を思い出し、泣き止むにのに余計時間がかかった。
「おちついた?」
「はい……。ご迷惑をおかけしたっす」
琥珀色の瞳が、私の赤くなった瞳を映す。
「それはよかった。ちょっとビックリしちゃったけど、迷惑とか全然ないから安心して」
「それじゃ、帰るぞ。明日はフィールドに出るんだろ? 早く休まないと身体が持たないぞ」
「うーん……。私はもう少しこの子とお話しするから、エーくんは先に帰ってていいよ」
「こいつなら一人でも平気だ。なんなら軍の連中に引き渡して来い。あと僕はエーくんじゃない。ノーチラスだ。何度言ったら覚えてくれるんだ……」
「ちょっと、そういう言い方はないんじゃない!」
「いや。その……」
エーくんと呼ばれた男性は彼女の剣幕にたじろぎ、バツの悪そうな顔をして視線を彷徨わせた。それから私に説明しろと言いたげな視線をたびたび向けてくる。
「もしかして知り合い?」
「違う。僕が一方的に知ってるだけだ……。彼女は――、いや自己紹介くらい自分でしてくれ」
まあ知っているか……。情報に敏感な攻略組であれば、むしろ私を知らない方が意外というべきくらいには顔は知れ渡っている。新聞にも何度か取り上げられている為、下手な攻略組のメンバーよりも有名人だ。
「そうっすね。私はエリっす。ALFのメンバーっすから、それで知ってたんじゃないっすかね?」
「加えて言えばALFのお偉いさんだ」
あんまりその言われ方は好きじゃない。
ALFは中層以下のプレイヤーの保護を目的とした組織に変わっている。それは狩場の独占などで資源を効率よく分配する共産主義的な構造だ。
それによって攻略組はその辺りのリソースが入手困難になっているため結構恨まれている。以前はどこのギルドもやっていたことだが、各ギルドの方針転換――25層の事件以降、勢力図の変化によってそれが継続できるのはALFのみとなっているだけだ。
今となってはそれも遠い過去の事件となり、知っているメンバーは少なくなっているのだろう。当時から前線に立っているプレイヤーはあまり多くないと聞く。
「そうだったんだ。でも、だからってそんな言い方しちゃ駄目だよ」
「君は彼女のことを知らないから――あー、うん。ごめん。そうだね。言い過ぎた」
「いいっすよ。でも巷じゃどんな噂になってるんすか?」
「……僕が言ってるわけじゃない。それにKoBでも口に出すのは少数だ。……人狩りの魔女、そういう話を聞いたことがある」
正月の事件以来、そういう話は耳にする。
レッドプレイヤーを狩っているところを目撃されたせいだろう。
見られたときの事件は、被害を抑えるためしぶしぶ殺さなくてはならない状況だった。ラフコフとは無関係のPK集団で、勢力を維持するためにALFのパトロール部隊を襲撃したところを、応援に駆け付けた私たちが戦闘によって殺害した。
人員の不足と敵のレベルが高かったことが原因だった。彼らはこちらが殺害に踏み切れないだろうという見通しで、HPがレッドゾーンになっても戦闘を継続してきたのだ。そういう連中は稀にいるが、私たちはいつも通りに殺害を決行してしまった。
結果的にその話が広まったおかげでALFは犯罪者に容赦しないという認識が広まり、事件の数はわずかに減少したが、評判は二極化。犯罪者は殺してもいいという過激派と、ALFは殺人集団だという派閥だ。
「まあ、間違ってないっすよ」
彼らにそんなつもりはないはずだが、実際のところ正鵠を射ている。
「馬鹿っ!」
怒声と同時に彼女はノーチラスの頭を思い切り叩いた。乾いたSEが鳴り響く。叩かれた衝撃で彼の頭は傾き、そのままの姿勢で困っている表情をしていた。
「そんなこと言われて傷つかないわけないでしょ!」
「いや、だから僕が言ってるわけじゃ……」
「止めさせないなら同じよ! 信じらんない」
あたふたとするノーチラスを見て、彼らの力関係は明白に理解できた。
本人たちがそれでいいなら、いいんじゃないだろうか?
まるで似ていないのにキリトとサチを思い出す。サチは彼女のように快活ではなかったが、ノーチラスの方は服を地味な黒色に変えれば結構似ているかもしれない。
そう思ってみると哀愁と笑いが同時に込み上げてくる。
「その、ごめん」
「さっきも言った通り間違ってないっすから。いいっすよ」
「あなたもそんなんじゃ駄目よ! 嫌なことは嫌って言う。そうしないとやってる方だってつけあがるんだから。言うのが難しいっていうなら誰かに頼りなさい。仲の良い友達でもいいし、私でもいい。なんならそこのエーくんでもいいから」
「だから僕は……。いや、なんでもない」
「今度からちゃんと止めること。いいわね」
「はい……」
「エリさんも、いいわね?」
「……考えておくっす」
言葉の上だけでも同意しておけばいいもの、私は何故か素直に答えてしまった。当然彼女はその言葉に納得できないといった様子でムスッと表情に出して抗議した。
「わかった。私、歌うわ!」
なんでそうなるのだろう。突拍子もない発言に頭をひねったが、ノーチラスはなんとなく察したようで私を席へ座らせた。
しばらくするとリュートが音を奏で始める。
彼女は2人しか観客のいない舞台で歌を歌った。
月明かりだけが頼りだというのに、彼女の姿は輝いて見えた。
言葉の一字一句が力強い。さっき聞いた曲も素晴らしかったが、この曲には勇気が溢れんばかりに詰まっていた。
気圧される。目を背けたくなる。眩しすぎて直視できない。それでも耳を塞ぐことはできなくて、彼女の歌声にただただ聞き惚れた。
私の胸の内に、私の中にはない感情が湧き上がるような感覚だった。
あらゆる信号がデジタルデータに変換されるこの世界で、彼女は感情さえもデジタルデータへと変え、私の脳へ直接届けているかのような……。そんな気がした。
歌い切った彼女は額に汗を掻いて、栗色の髪を額に張りつけながら笑っていた。その満面の笑顔が瞼に焼き付いて離れない。
聞いていただけなのに私の身体は火照っていた。それだけではなく、極限の戦闘でアバターへの信号が制御できなくなったときのように心臓が激しく脈打っている。
隣から鳴る拍手の音で、私の意識がアバターへと戻った。拍手をしているノーチラスを横目で見ると、それに気がついたようで彼は得意げに笑った。
「ありがと」
拍手を受ける彼女は嬉しそうで、今度は私も一緒になって拍手を送った。
しばらくそうしていると、だんだん恥ずかしそうに顔を赤らめるので、可愛い人だなと思った。
「どう、だったかな? 少しでも勇気を分けてあがられたら、って思ったんだけど」
ああ。この感情が勇気なのか。
そんなことはありえないと普段ならいう理性は沈黙していた。私はなぜかわからないが、彼女の言う通りこの伝わった感情こそが勇気であると納得できた。
「はい……。凄い、良い歌だったっす」
「うん」
「なんだか身体がポカポカしてきて……、頑張れ! って。やればできる! みたいな気持ちになって……」
「うん」
「たくさん、歌に込められた想いをわけてもらえたような、そんな気がしたっす」
「いやぁ……。照れちゃうな」
はにかむ表情はさっきまでとはまるで別人だ。
けれど誰しも、表に出してる表情がすべてじゃないというのは私もよく理解している。彼女のさっきまでの熱意は間違いなく、彼女の内に秘めた想いだった。上辺だけの私の言葉とは違い、本物の感情がそこにあった。
「凄かっただろ。彼女の歌は」
「はいっす」
「そんなに褒めても、歌うことしかできないよ」
「なら歌ってほしい。何度聞いても、やっぱり君の歌は最高だ」
「もうっ! さっさと帰れって言ったのはどこの誰だったかな?」
「うっ……。そうだったね」
「ふふふ。いいけどね。――よーし、今日は歌うぞお! VRじゃいくら歌っても喉がかれないのがいいところよね」
空に拳を高らかに上げた彼女は、しばらくいろんな曲を歌った。
楽し気な曲も。元気の出る曲も。希望の曲も。悲しい曲も。怒りの滲む曲も。温かい曲も。冷たい曲も。恋愛の曲も。失恋の曲も。友情の曲も。親愛の曲も。情愛の曲も。憧憬の曲も。嫉妬の曲も。罪悪の曲も。許しの曲も……。
あらゆる曲に、あらゆる感情を乗せて。私たちは彼女の歌声に様々な世界を垣間見た。自分にはない、様々な自分を感じた。それはVRの戦闘とはまるで違う冒険の旅だった。
途中で私やノーチラスも歌わされた。お互いまるで上手くなかったが、それでもいいと彼女は言っていた。
コンサートは空が明るむまで行われたが、彼女の美声が尽きることはなかった。
「よし。あれを歌いましょ!」
彼女が最初に歌った勇気の出る歌を、私たちは3人で歌った。
あんな感動的なものには到底ならなかったのに、それでもたしかに勇気が沸いてきた。
朝焼けに染まる空を見て、勇気とはこんな色をしているのだと思った。
立春を過ぎたばかりの冷たい風が、汗ばんだ身体に心地いい。自然と私たちは同じように笑いあった。
「ああ、もうこんな時間」
「ごめ――ありがとうっす」
「いいのよ。よかったらまた聞きに来て。たまに路上でライブやってるから」
名刺代わりに渡されたフレンド申請に、私は言わずもがなYESを返した。
「あ、名前」
「んん? ああ! すっかり忘れてた。ごめんね。あらためまして、私の名前は――」
▽▲▽▲▽▲▽▲
黒鉄宮の中に鎮座するALF治安維持部隊本部。
今日もそこでは、届けられた書類に目を通し判を押すプレイヤーたちがいた。
私はオブジェクト化した紙の山をまた1つ片付けていた。そこで設定していたアラームが鳴り作業の手を止める。
けたたましいく鳴った鈴の音に驚く者はいない。それはこの音が私にしか聞こえていないからだ。
「それじゃ、私あがるっすね」
「おや。隊長、どちらへ行かれるので? 最近はよく出かけているようですが」
同僚のプレイヤーが書類の山から顔を出して声をかけて来た。
「ライブコンサートっすよ」
あれ以来私はすっかり彼女のファンになっていた。
現実ではライブコンサートに行くファンの心境はどうにも理解できなかった。なぜって、それはレコード音源の方が綺麗だからだ。収録した音は様々なエフェクトをかけることができるし、聞きたいときにゆっくり聞ける。対してライブコンサートは足を運ばなければならなず、会場の関係で音がしっかり響かなかったりと問題点も多い。だったらCDでいいだろうという結論だったわけだ。
しかし今の私は違う。生の声は別格なのだ。いや、ここはVR空間なわけで厳密には生声ではないのだが……。それでも直接聞けば違いが分かる。だれだ違いの分からないやつは。かつての私だよ!
「ライブコンサート?」
「ああ。最近よく鼻歌、歌ってますよね」
無意識にそんなことをしていたのか。ちょっと恥ずかしい。
もしかしたら毎晩録音クリスタルを再生しているせいかもしれない。
「一緒に来るっすか?」
「え? いえ。私は遠慮しておきます。あまり音楽は聞かないもので……」
「そうっすか……。かなりいいっすよ! 私も全然音楽とか聞かなかったんすけど、聞いてみたら世界が変わったっていうかっすね。とにかく凄いんすよ!」
「は、はぁ……」
「1回だけ。1回だけでいいっすから! どうっすか!?」
完璧にパワハラだった。だが彼だって一度聞けば後悔はしないはずだ。
「いや、うーん。1回だけなら……」
「よし。じゃ、早速行くっすよ!」
「え!? あの、ちょっと待ってください。これだけは終わさせてください」
「ゆっくりしてたら最初の曲に間に合わないっすよ。転移結晶使ってもいいなら別っすけど」
「駄目ですからね!? そんなことに無駄遣いしたら」
「そんなこととはなんすか!」
「あ。違います。違いますから! でも高価なんですからそんなポンポン使わないでくださいよ」
「当然っすよ。なのですぐ出発するっす」
「あー。わかりましたよ……。しかたないですね……」
「皆さんもどうっすか」
「え。あ。はい……。え? どこに行くって言いました?」
聞いてなかったのか。それでもYESと答えるあたり、随分訓練が行き届いている。
つまり断った彼は訓練が十分ではないということか。いいや。彼はちゃんと私の話を聞いてただけか。私も流石に私生活まで上官に従えとは言わない……。
「そんなの決まってるじゃないっすか。
本部に詰めていたプレイヤーがこぞって彼女――ユナのライブへ行ったのはそれからすぐのことだった。今までにない観客数に彼女は驚いていたが、相変わらずの美声を披露してくれた。
部下にも好評でそれ以降足を運ぶようになった者は多い。
この出来事を機に、治安維持部隊の詰め所ではたびたびユナの曲が録音クリスタルでかけられることになった。
オーディナルスケール、面白かったです。
でも来場者特典の前日譚持ってないんです……。
なので2人の性格はだいぶ変更されてると思います。
だって映画のユナとノーチラスの会話シーンないし、ユナにいたってはほとんど説明口調なんですよ……。