レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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25話 棺桶と鎮魂歌(6)

 今日は……いつだ…………。

 

 日付の感覚どころか昼夜の感覚さえあやふやだ。

 瞼が刺繍糸で縫い付けられたかのようにうっすらとしか開かない。眠っているのか、起きているのかわからないような曖昧な状態がここ1カ月くらいずっと続いていた。

 部屋の中は咽かえるように暑いというのに、身体を巡る血液は貧血を起こしたときのように冷たく感じた。錯覚だ。ソードアートオンラインのアバターに血液は巡っていない。あるのは1と0で構成されたポリゴンで、それはHPがなくなれば構成を失い、粉々に砕けて消えるだけの儚い幻想だ。

 ユナの、遺体も残らずに消失した死の間際がフラッシュバックする。

 優しい彼女の表情が、徐々に怯えの色を孕んでいく。

 薄い紅色の唇がゆっくりと動いて言葉を語った。

 

「助けて」

 

 その言葉はとてもハッキリと聞こえた。

 私は助けを求めるユナの身体に何度も何度も剣を突き立てた。目を貫き、喉を裂き、心臓を抉って、四肢を削ぎ落す。それでもまだ人の輪郭は残っている。

 崩れかけた顔がユナからユウタに変わった。剣を突き刺すと今度はサチに……。タマさん。抜刀斎。カフェインさん。ALFの攻略隊にいた25層で散った面々。親交のあった故人の顔が現れては消え、別の顔に変わっていく。私はそれがなにかわからなくなるまで切り刻み続けた。

 刺しても斬ってもなかなか消えない。ついに故人では足りなくなってキリトが現れる。無我夢中で彼に刃を立てると今度はノーチラスに……。

 

「うわぁああああああああ!!」

 

 最後にリズベットの形に変わったそれはついに砕けた。

 何度も見慣れたアバターの崩壊。エネミーであっても、プレイヤーであっても、同様である現象だが、そのどちらもが私にとっては馴染み深いものだった。

 人を殺したのはこれが初めてじゃない。むしろ沢山殺してきたといえる。

 見殺しにした者。命じて殺した者。直接殺した者。そう、沢山だ……。

 でも、友達を殺すのは、初めてだったかな……。

 

 ドスンと、身体が床に転がる。

 粉雪のように舞うポリゴンの破片。ベッドから転がり落ちたのではなく、ベッドの耐久値がなくなったのだろう。

 手には逆手持ちした片手直剣が握られていた。

 

 なにやってるんだ、私は……。

 

 落下の衝撃でビクともしなかった瞼が開かれた。剥き出しになった眼球が現在時刻を映し出す。日も登っていない深夜だ。それはベッドに入ってからまだ10分しか経っていないことを表していた。

 ベッドとは分割されたアイテムであるため毛布は無事だった。それを手で手繰り寄せようとするが、関節が軋んで身体が重い。ああ、違うか。上手く力が入らないだけだ。ステータスアイコンには食事不足によるSTR低下バフがこれでもかというくらいスタックしている。死ぬことがないからと食事を摂らなさ過ぎたか……。

 黒いフローリングの床を這って、食料品保存チェストへ近づく。

 部屋の暗闇に溶け出すような床色は、まるで泥の中を泳いでいるかのような錯覚をもたらす。もちろんそんな経験はしたことがないのだが。

 白いシックなチェストの縁に手をかけ、私はふらつきながらも身体を起こした。

 システムウィンドウから中身を確認。なるべく味のしない物が欲しくて、いつ買ったのかわからない黒パンと飲料水をオブジェクト化。硬い生地を手で千切って口に放り込み、水で無理やり流し込んだ。

 

「こふっ、けふっ……」

 

 吐き出しそうになる内容物をどうにか喉の奥へと追いやった。ボタボタと口から溢れた液体はショーツに染みを作り、太股を伝って床に滴る。

 汚してしまったがどうせ時間経過で乾くのだから拭く必要もない。むしろ私自身が穢らわしい汚物に思えてならなかった。

 食事アイテムは1品を完食しないと効果が発揮されない。黒パンの大きさはこぶし程だが、それでも食べきるのには苦戦した。

 STRの低下が緩和されて身体に力が戻るが、気分は最悪だ。

 それに食事不足バフはまだ解除されていなかった。どうやら一度の食事で解除される量ではなかったようだ。減少量から考えて……………………あと2個くらいか。

 思考が働かない。単純な計算にさえ時間をかける体たらく。これでは書類仕事もままならない。どうしようか。休んでもいいだろうか? でもそうすれば捨てられてしまう。ゴミはゴミ箱へ、だ。

 とにかくまずはバフの解除をしないと。2個目の黒パンを壁にもたれかかりながら咀嚼する。ゴムのような歯触りがした。

 噛んでいるとだんだん頭の底から音が聞こえてくる。

 心を揺さぶるメロディー。何度も何度も聞いたユナの曲が、無意識にリフレインして離れない。耳を塞いでも、頭を振っても、壁に打ち付けても、ずっと聞こえてくる……。

 

「ああアぁぁあァあアアァぁぁあぁぁあアあァぁ……」

 

 壁と頭の間に現れる『Immotral Object』のシステムメッセージによって凶行は阻まれる。私も壁もどちらにも傷一つつかない。

 そうやっていると耐久値が時間によって自然減少した黒パンが消滅して、最初から食べ直しとなった。幸いにして口からこぼしたパン屑もポリゴンになり消え去る。

 頭から離れない音楽に髪を掻き毟り、家具を破壊して回っていると、だんだん落ち着きを取り戻してくる。いつの間にか歌声は消えていた……。

 それから私は黒パンを食べることに失敗し続けた。何度か試みるもその度に頭に焼かれるような痛みが走り、冷汗が流れ、結局断念する。

 風邪を引いても独りきりで倒れていた、現実の部屋を思い出した。薬はなく、食事もなく、ただ水だけを飲んでその場を凌いだ記憶だ。あの時のこのまま死んでしまいたいと繰り返し願った感情は、より強くなって今の私を苛んでいる。

 脳髄が熱を帯びたように朦朧とする。ナーブギアのバッテリーが残りわずかとなって、マイクロウェーブを放出し始めたかのように思えた。そうであればと、期待してしまう自分がいる。

 

 痛みから逃れるように水を被った。ずぶ濡れになった身体は急速に熱を失い震え出す。蒸し暑い空気の中で感じる暑さと寒さに目が回る。

 そんなことを繰り返して随分時間が経ったはずだと時計を見る。ベッドを破壊してから、えっと…………駄目だ。いつだったか思い出せない。

 ともかく朝日が昇るまでまだまだ時間があった。早く朝になってほしいが、新しい一日を迎えるのが怖くてたまらない。このまま夜が続いてくれてもよかった。

 朝と夜を繰り返すうちに私の心はどんどんバラバラになっていた。

 

 こんな状態でも隊長としての管理職を表向きには続けられているのだから、我ながらタフなものだ。それにどうせいつものように、そのうち平気になる。今回はちょっと長引いた風邪みたいなものだ。誰かに甘えればまた元通りに――誰に甘えればいいんだろう?

 キリトに? それとも今度はノーチラス? あるいはリズベットに久々に会いに行けば……。そうすれば今度はその人を殺すんじゃないだろうか?

 それが妄想染みた考えであるのは理解できた。でもそれが妄想で済むとは思えない。私は同じことがまたあれば、同じように殺してしまうだろう。だから頼っていいのは殺していい相手だけだ。そんな人には頼れるわけがない。

 私は誰に助けてもらえばいいんだろう。まだ私は必要とされているけれど、それはいつまでなんだろう。

 ああ、でも……。誰かに頼らなくたって案外平気だったじゃないか。誰かに必要とされなくても死にはしなかったじゃないか。現実の私が、ついにポリゴンの私に追いついただけだ。だから平気……。

 

「イヒッ。ウへッ……アギャギャギャギャギャギャ!?」

 

 感情のままに叫んだ。この声は誰にも届かない。自室の防音性は極めて高く、幹部クラスの部屋ともなれば最高熟練度の聞き耳スキルでも聞こえないことが実証済みだ。

 それから朝になるまで私は自虐と自傷を繰り返した……。

 

 目覚ましのアラームが聞こえると意識がスイッチを押したかのように入れ替わる。

 友人を亡くして失意に狂った私が沈み、ALFの治安維持部隊としての私が浮上するのだ。

 機械的なルーチンワークで支給された黒と赤の制服に袖を通し、取り替えた鏡で顔を覗くと、可愛くはないがいつも通りの私がそこに映る。笑ってみるが相変わらずふてぶてしさしか伝わらないな、これでは。

 茶色に染めた髪を櫛で梳かして、腰のあたりでゆったりと纏める。化粧品アイテムも随分豊富になったため、選ぶのも使うのも大変だ。

 

「さてと。今日もお仕事、頑張るっすよー」

 

 身支度を整え終えると私は扉を開けて、廊下で鉢合わせた部下に挨拶を返しながら、軽快な足取りで私は本部のデスクへと向かった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 治安維持部隊の本部では紙のオブジェクトが擦れる音だけがしていた。

 ユナが死んでからもうBGMをかけることはなくなった。私も話しかけられれば会話に応じるが、自分から話題を作ってにこやかに会話を楽しむ気持ちは湧かない。そもそも、そういったことは得意じゃない。

 お茶汲み係の下っ端が淹れたコーヒーはいつも冷めるまで放置してしまっている。そしてさらに放置していると、私が帰る頃には耐久値を失い、自然消滅するわけだ。

 アイテムの無駄遣いであるが、断るのも忍びなくそのままにさせている。

 

「隊長。34層のPK事件、どうしますか?」

「あー……。任せてたパーティーがあったじゃないっすか。そのままで問題あるっすか?」

「いえ……直接指揮はお執りにならないので?」

「……必要ないと思うっすよ」

「そうですか……。失礼しました」

 

 部下に現場は任せきりになっているが、まあ大丈夫だろう。

 聞いた話では襲われたプレイヤーは低レベルで、それでも数人逃亡を許しているのだから相手はそれほど腕の立つ連中じゃない。PoHからの連絡もないから成り行きに任せておいて問題ないはずだ。

 いや。以前ならどうしてただろうか?

 私は積極的に前線に出るタイプだったと思う。その方が効率的だったからだ。多少の危険はあれど点数稼ぎには丁度いい獲物を、優秀な部下と連携して確実に処理していた。

 最近は……、まるで出ていない。レベル上げもサボりがちで、停滞している。元々積み重ねていた経験値が多いおかげでまだまだ平気だが、それだってこのままというわけにはいかない。

 流石に現場へ行った方がいいか? いいや今夜はレベル上げに出かけよう……。そう考えて実行しないことを繰り返してばかり。駄目だ。どう頑張っていたか思い出せない。かろうじて保っている体裁が今にも剥がれ落ちそうだった。

 私は深呼吸をして久々にコーヒーを流し込んだ。不味い。ザラザラとした不快感が舌に伝わる。香りもよくわからない。

 

「――っ」

 

 声を出そうとして、メッセージの着信に驚き慌てて口を閉じる。

 なんだ、人が精一杯頑張ろうとしているときに……。

 送り主は情報やのアルゴからだった。

 

『いいネタがある。10000コル。買うなら早くしろ』

 

 彼女の情報はかなり以前から使っているため信頼しているが、口の堅さまでは払った金額以上には信頼できない食えないやつだ。

 送られたメッセージから考えるに、なんの情報か教えるだけで答えに繋がるタイプの情報なのだろう。10000コルは彼女の売る情報でもかなりの大金。ポケットマネーから払えないほどのものではないが、未知の情報ともなれば出し渋りたくなる金額だ。

 

『直接会って価格交渉をしたい。場所はALFレストランの2階でどう?』

『わかった。ただし場所はこっちで指定する』

 

 指定されたのは50層のNPCレストラン。かなり入り組んだ街並みが特徴の階層で、正直不安がある。NPCレストランとはいえプレイヤーも多く立ち寄るような場所じゃない。

 

『護衛を連れて行ってもいい?』

『駄目だ。それならこの話はなかったことにする。早く決めろ』

 

 焦ってる? 火急の話なのか? これ以上話していれば本当に打ち切られるだろう。かといって単身で乗り込むには心許ない。だがアルゴの索敵スキルを突破できる隠密スキル持ちがいるかというと、難しい。

 

『買う。メッセージで送って、コルは後払いでいい?』

『直接でなければ話せない』

 

 行先を告げていく? 駄目だ。痕跡を残したら不味い情報なら自分の首が閉まる。なら時限式で手を打つか……。

 

『わかった。少し待ってて』

 

 私は一度席を立ち、誰もいない個室で録音クリスタルを使用。行先やアルゴの名前、それから戻らなかった時の対応を録音する。これを夕方に起動するように設定。席に戻り自分のデスクの上に置いておく。高い熟練度の鍵開けスキルで実は時間設定を無視して起動できるのだが、流石に無断でそんなことをする部下がいるとは思えない。

 

「少しフィールドをパトロールしてくるっす」

「そうですか。……お気をつけて」

 

 副隊長は私を少し見るだけで自分の仕事に戻った。

 これで大丈夫のはずだ。気乗りしないが、私は手持ちのコルを確認してから転移門で指定の階層へ向かった。

 

 50層主街区『アルゲード』。

 現在確認されている中で2番目に巨大な面積を誇る都市であり、建造物が重層的に張り巡らされているせいで面積以上の大きさを誇る。だからといってこの都市がALFの拠点となったはじまりの街のようにプレイヤーに親しまれることはなかった。

 無秩序なのだ。通路も店も民家も。全員が好き勝手に増築したような、あるいは迷路のように人を迷わせるための作りをしている。いや、そもそもここは迷路だ。

 似た形の建物が多く目印になるものがないため方向感覚が狂いやすい。その癖多層構造を平面マップで表示されるためマッピングデータだけを見ているとすぐに混乱する。あるときALFに街中で遭難したプレイヤーの捜索願が出たことさえあった。

 今でも未知のレアクエストがあるはずだと探索に乗り出すプレイヤーがいたり、プレイヤーが作成したマップデータがコルで取引されていたりと謎に包まれた街とされている。

 だからここにいるプレイヤーはよほどの変わり者か、それともトレジャーハンターか、……あるいは身を隠す必要のある人物である。

 

「ここっすね……」

 

 指定されたレストランは外から見れば民家と同じように見える。どうやって見つけたのだろうか……。中に入れば喫茶店の雰囲気があり、はじまりの街にあるアルゴに教えてもらった店によく似ていた。

 店内には茶色いフード付きコートを羽織ったプレイヤーが1人と、店主らしきNPCがいるだけ。

 

「来たっすよ」

「そうカ……」

 

 アルゴはまるで来てほしくなかったかのようだった。

 彼女はフードを取って顔を見せる。髪が小さく舞って、黄金色の瞳が私を見つめる。

 

「10000コルは流石に高すぎっすよ」

「……なら5000コルでイイ」

「気前がいいっすね」

「ただし10000コルに相応しい情報だと思ったラ、後払いで5000コル払エ」

 

 口ではなんとでも言えるが、その場合支払うことになるのは私の信用だ。

 情報屋として信用。顧客としての信用。これがなければ取引は成り立たない。アルゴは金さえ積めばどんな情報でも売るが、逆に言えばそのルール以外は侵さないという不文律がある。その点では私は彼女を信用していた。

 彼女の私に対する信用は、情報に見合うだけのコルを払うということ。値切る事はあれど適正な価格を払い、未払いをしないという点で私は信用されているはずだ。

 

「わかったっす」

「交渉成立だナ……」

 

 アルゴからトレードが申し込まれる。

 私は5000コルを入力。それからトレードの決定を選択した。

 

「耳を貸セ……」

 

 そこまでするべき情報なのか。これだけ厳重に警戒しているとかなり不安を感じるが、私は言われた通り彼女の口元に顔を寄せた。

 

「――リズベットがラフコフに狙われてル。決行は今日ダ」

 

 私はガバリと身体を離すとメニューウィンドを開き転移結晶を取り出そうとした。しかしボタンを押し間違えてわずかなロスが起こる。ここ半年で初めてのミスタッチだった。

 オブジェクト化した転移結晶はリズベット武具店の前を転移先に指定しているもので、どうしてかずっと持ち歩いたままだった。

 

「あっ! 後で――」

「早く行ってやんナ。後払いでいいサ」

「転移っ!」

 

 頷き、私は即座に転移結晶を起動した。

 青白いエフェクトに包まれ、視界が白く変わっていく。なかなか終わらない転送に苛立ちが募る。早くしろ早くしろ早くしろ……。

 急かせど普段通りにしか動かない転移結晶は、しかし普段通りの効果で私をリズベット武具店の前へ送り届けた。

 見慣れたとはもう言えない、1年ぶりくらいにやってきた彼女の店は、少し改装して大きくなっていたが、可愛らしい文字で『リズベット武具店』と書かれた看板が表に出されているから間違いない。

 扉には『OPEN』のドアプレート。考えるよりも先に身体が動き、伸ばした手が勝手に入口の扉を開けていた。

 

 耳鳴りのように、ユナの歌が聞こえた気がした。


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