浮遊する足場のゾーンを渡り終え、俺は鍾乳洞の果てにあった複雑な文様の描かれた大扉の隙間から、奥地へと侵入した。
このダンジョンの最終ゾーンは、氷塊のような青白い結晶をくり抜いた洞窟、それを人の手で丁寧に磨き上げたような地形だ。
壁や天井、床は光を幾重にも反射させ、影が複数の方向に伸びている。
いくつもの角を曲がり、ザザはすでに視界から消えている。
だが俺は索敵スキルの派生Mod『追跡』の効果でやつを見失うことはない。
視界端に表示したミニマップには俺を追いかけているプレイヤーが表示されている。カラーはパーティーメンバーを示す色なので敵ではない。
どのくらい本隊から離れたかわからないが、ようやくザザは足を止めた。
ザザが立ち止まった位置の近くにはプレイヤーが他に2人。PoHとジョニー・ブラックか?
俺は走りながらアイテムストレージを表示して、回復ポーションと対毒ポーションを取り出し飲み干す。先程の戦闘でザザが毒武器を使っていた可能性も考慮して解毒ポーション。あとはステータス上昇のポーションを最後に飲んだ。
これが現実なら俺の腹は水分でたぷたぷになっていただろう。
ミニマップからザザの姿が消える。隠密状態になったのか?
索敵スキルで隠密状態を看破しようとするが反応はなし。よほど隠蔽ボーナスの高い場所か、あるいは転移で逃げたと考えるのが妥当だが、他の2人は留まったままでいささか不自然だった。
今は考えても仕方がない。
俺は虎穴に飛び込むつもりで、通路の先にある扉を蹴破った。
「――エリッ!」
目の前に広がる光景に、思わず目を背けたくなった。
驚き。羞恥。怒り。様々な感情が一気に吹き出て、俺は無我夢中で駆け寄った。
――エリは壁の柱に磔にされていた。
杭で打ち付けた鎖が両手を縛りあげ、足にも別の鎖で幾円も巻かれている。さらに足の鎖の先には鉄球が繋がれ、それが地面に転がっていた。
これだけでも十分に痛々しい姿だが、それ以上があった。
彼女はなにも身に着けていなかったのだ。鎧も服も、本来あるはずの下着さえ。
代わりに白い裸体には所々に赤い跡が付けられていた。それがなにを意味しているかわからないほど、俺も初心ではない。
彼女は力なく項垂れていて、目には精気が感じられず、口は半開きだった。
近づくと、か細く「ひっ」と声が漏れる。
瞳だけを動かし俺に気がつくと、目尻から溢れた涙が肌を伝った。
「キリ、ト……?」
「遅くなってごめん」
咄嗟に鎖を手で触れる。耐久値はあまりにも高く、素手はおろか、剣を使っても断ち切るには相当な時間がかかる代物だった。
ならば杭をどうにかしようとするが、これもかなりの深さまで食い込んでいて簡単には引き抜けはしない。
苦戦していると拍手の音が聞こえてきた。
音の発信源はエリと扉の中間あたりの壁側から。即座に視線を向けると、そこには壁に背を預けているフードの男がいた。
しまった……。もう1人プレイヤーがいたことを、俺は驚愕から失念していた。
エリがここにいるということは、当然こいつがいるはずだった。
「PoH……!」
ついさっきまで感じていた殺人への恐怖がすっかり消え失せていた。
いいや。それどころか、俺は今すぐPoHを殺さんと剣の柄を握りしめていた。
「Hey Black cat.そう逸るなよ」
俺は即座に突進系のソードスキルを走らせ、やつの喉を一突きにしてやろうとした。
だが刺突は失敗に終わる。やつが手にした大型ダガーの間合いに入った瞬間、剣の平を弾かれパリィされたのだ。
どう考えても俺の武器の方が重量は上である。であるのに防がれたのはタイミングもあるが、やつの武器がダガーの範疇を越えるほど重いか、あるいはエリュシデータに匹敵するほどの攻撃力を持つ魔剣であるかのどちらかだ。感触からしてそれは後者。手数が上のダガーでそれということは、信じられないほどのDPSを持つということだ。
俺はそのDPSを出させないためか、あるいはただ怒りをぶつけるように、弾かれた剣を戻し、体重を乗せて押し付けるように斬りかかる。
PoHは変わらず迅速にダガーを振って、刃と刃の競り合いになる。
「いい殺気だ」
「どうしてこんなことをっ!」
「どうしてだぁ? そいつはな……。お前らを『人殺し』にしてやりたかったからだ」
「なっ!?」
「糞モンスばっか倒してイキりやがってよ。強えってことはそうじゃねえだろ? 向こうで攻略組のやつらはどんだけ死んだ? 俺たちはお前らよりもよっぽど装備もレベルも下の連中ばっかだぜ。そんなやつらに負けるようなら、覚悟が足りねえってことだよなぁ?」
「そんな、そんな理由で!」
俺は力技で競り合いを外し、今度は速く、鋭く斬りかかる。
反撃をさせないために止めどなく振り続ける剣を、PoHも素早い動きで相殺していく。
俺のエリュシデータの方が重量が重いおかげで押し負けはしないが、やつのダガーはその分軽いため、弾かれてもすぐに構え直され次の斬撃を防がれる。
俺はラッシュを仕掛けるべく、片手直剣スキルと体術スキルの複合ソードスキルを発動させる。
対してPoHも同様に、短剣スキルと体術スキルの複合ソードスキルで相殺。
若干ダメージを与えることはできたが、こんなのは誤差でしかない。
攻めあぐねている原因は、やつが攻撃の意思を見せないからだ。
PoHは想像に反して手堅い。臆病という感覚は剣から伝わってこない。ただただ攻めに転じる剣気がないのだ。
時間稼ぎが目的か?
やつはこれ見よがしに、大振りの攻撃で俺を間合いから離そうとする。
喰らいつけはするが……。誘いに乗ってやるか。
俺がバックステップで離れても、PoHは追ってこない。
後ろに下がる瞬間というのはひとつの隙だ。反撃するための力がほとんど入らないためだ。それをこいつが知らないわけがない。
どういうことだ? 俺はカウンターを狙っていたがそれを読んだわけでもないだろう。カウンターといっても大したものにはならないはずだからだ。
ふとPoHが俺の蹴破った扉に視線を向ける。ミスディレクションじゃない。俺のミニマップにもプレイヤーが近づいてきた情報が表示されていた。
「……クラディール?」
PoHを視界端に収めながら、そちらを向くと、追いかけてきていたのはKoBのクラディールだった。てっきり風林火山かALFのどちらかだと思っていたが……。
いや待て。様子が変だ。
「お待たせして申し訳ありません、
恭しく礼をするクラディール。こいつ、ラフコフのスパイだったのか。
「どうりで悪人面なわけだ」
「黒猫ぉおおおお……!」
クラディールは背負った白銀の両手剣をずっしりと構える。もちろん切先は俺を向いていた。
2体1かに思われたが、PoHは俺たちから離れていく。観客を決め込むつもりか? いや、油断はするまい。戦闘中に隙を突いてくるくらいは平気でしてくるやつだ。
「遅かったじゃねえか。それじゃ始めるとしよう」
PoHは大仰に両手を広げる。まるで指揮者か何かのように。
「ルールは簡単だ。死ぬまで戦え。黒猫が勝ったら鎖の鍵くらいはプレゼントしてやるさ。クラディールの景品はあの女だったか。――それじゃあ準備はいいな? It's show time!」
PoHが指を鳴らすと同時に、クラディールは嘲笑とともに上段から突進系ソードスキル『アバランシュ』を放つ。
俺は剣を前に構えて防御系ソードスキル『スピニング・シールド』でガード。
回転するエリュシデータが、クラディールの振り下ろした大剣をどうにか受け止めた。
「この時を待ちわびてたんだぜぇ!」
「俺の事なんて眼中になかったんじゃないのかっ?」
互いのソードスキルが終了し、硬直時間が同時に終わる。
クラディールは大きく剣を横薙ぎに振り、俺はそれをかがんでやり過ごすと、下段からの切り上げでクラディールの腹を切り裂いた。
だが、それに怯まぬクラディールが上段からの振り下ろし。俺は両手で剣を支え防御する。
流石に両手武器の威力は重い。武器性能込みでDPSならそこそこいい勝負になるだろうが、こと斬り合いとなれば単発威力の高い武器は有利だ。ソードスキルを打ち合えば、押し負けるのは俺の方だろう。
「俺の演技も捨てたもんじゃねえみたいだな。テメェのことはな、前からガキの癖に女侍らしてて気に食わねえと思ってたんだよ!」
なんの話だ! そう言い返そうとするが、振り下ろされた両手剣を防ぐので手一杯だ。
クラディールの技は、本当に攻略組みか疑わしいほど稚拙なものだが、武器の攻撃力と、エリを背にした状況が俺を追い詰めていた。
俺は足を使って回避するわけにはいかない。そうすればエリまでは一直線だ……。
「俺があんだけ献身的に尽くしてやってるってのに、副団長様はお前にゾッコンときた。そりゃあ腹立つよなアー?」
自分勝手な理屈を並べ立てるクラディールの表情は狂気に歪んでいる。
PoHの言っていたあの女とは、アスナのことか……!
ただですらエリの事で気が狂いそうなほど怒りが込み上げてくるのに、さらにガソリンをかけるとはいい度胸だ。
だが俺の感情とは裏腹に、不愉快な金属の打ち合うSEが耳元で響き続ける。
ガードの上から俺のHPは削られていくが、すぐさまどうにかなる量でもない。ただしどこかでこの均衡を崩せればの話だ。
このままでは駄目だ。俺は怒りを内に沈めて、冷静な思考で剣を握った。感情に振り回されては勝てない。俺はなんのためにここにいる!
――ソードスキル『メテオストライク』!
片手直剣スキルだけでなく、体術スキルを必要とする7連続の攻撃で、クラディールをエリから引き離そうと斬撃の合間に行う体当たりで押し出していく。
「ってえな……!」
地面をスリップしたクラディールのHPは2割減少。中層プレイヤー程度の実力しかないと思いきや、幅広の大剣を使ってきっちりガードされてしまった。
傷のつけられた頬を拭い、殺気立った視線を俺に向けると雰囲気が変わった。
やつは腰を落として中段に深く剣を構えた。
……ギアが上がるまで時間のかかるタイプか。
「ぁはアん。そういうことかアー」
クラディールは先程のように猪突猛進に攻めては来ず、ゆったりとした足取りで横へ回り込もうとしてくる。俺は当然それに合わせて動かなければならない。
――それも、エリを背にするように。
「そういや、そいつとは知り合いなんだったか? 副団長の他にはそこのブスかよ。腹立つなア。アハッ。アヒャヒャヒャヒャヒャッ!」
サイドステップからの踏み込み。俺を狙った攻撃ではない。
エリとの間に割り込み大剣を弾く。剣の間合いは意外に長い。やつの両手剣ともなれば3メートルくらいなら二歩で斬れる。
強引な攻めから打って変わり、クラディールはエリへ近づこうとすることで、俺を無理やりカバーに回らせる戦い方をしてきた。
ただですら押されていた状況がさらに悪化する。
唯一の救いはPoHが仕掛けてこないことくらいか……。
「どうしたどうした!? 黒猫の剣士様が情けねえなアー!」
どこかで隙さえ作れれば……。
だが俺の望む隙とは、寸瞬のものではない。もっと大きな隙だ。それが一対一の戦いの最中で生まれないことは経験からよく知っている。
なにか、なにかないのか?
「助けを待っても無駄だぜ。通路のスイッチを変えてきたからな。応援が駆け付けるまでざっと10分ってところか」
10分もあれば俺をガードの上からなぶり殺しにするのも簡単だろう。
徐々に減っていった俺のHPはついに黄色に変わった。残り半分。このままではHPの差分で、ソードスキルに圧殺されてしまう。
クラディールはそれを狙っていたのか、やつの両手剣が輝きを放つ。
この構えは――。
「死ねえええええええ!」
狂騒を叫びながら放たれたのは両手剣ソードスキルの奥義、『カラミティ・ディザスター』。
6連撃のソードスキルで、威力や軌道もさることながら、ノックバック耐性が高い、いわゆるスーパーアーマー系の大技だ。発動したが最後、止めることはそうそうできない。
下段からの切り上げ3連撃でガードが持ち上げられる。それを耐えた後には遠心力を乗せた重たい横薙ぎが襲い、ガードの向きを変えて対処するも体勢が崩れた。
問題はここからだ。
このソードスキルの山場、刺突系突進攻撃が連撃の中で繰り出される。俺の胴体を刃が掠めるとHPがごっそり減った。そして最後に、振り返りながら全体重を乗せた叩きつけるような斬撃。
これだけは喰らうわけにはいかない。俺は全神経を総動員して斬撃を防いだ。あまりの威力に、大型モンスターの攻撃を受けたかのように身体が地面を滑って遠のく。
反撃を当てる前に、やつの硬直時間が終了するほどの距離だ。
「黒猫。俺の勝ちだアー! 最高の悲鳴を聞かてくれよォォオオオオオ!!」
「――っ!」
クラディールは俺から切先を外すと、振り返りエリの首に突きつけた。
エリはすでに前線から退いたレベルだ。それに今は装備がなにもない。プレイヤーの防御ステータスの大半が装備に依存するこのゲームで、それは致命的な脆さだ。
試したことはないが、おそらく一線級の両手剣の一撃でHPは8割、いや全損さえしかねない。
単発高威力系のソードスキルだった。
肩に担ぐように構えた体勢から振り下ろされる斬撃が、スローモーションに見える。
吐きそうなほど、俺の心臓が激しく脈打っている。
耳鳴りが聞こえ、指先は震えていた。
すべてがゆっくりに見えているのに、身体は石化したかのように動かない。
現実の時間は、走り出すことも、手を伸ばすこともできないほどしか残されていなかった。
鋼の塊が、エリの露わになっている胸にめり込む。
HPが凄まじい速度で減少した。
エリの表情は、すべて諦めたような穏やかな笑みだった。
そんな……、そんな表情するなよっ!
ダメージエフェクトによってアバターが無残に引き裂かれる。
HPの減少はイエローゾーンに達しても止まらない。
レッドゾーンに突入してもまだ止まらない。
ソードスキルの終了。
ようやくHPの減少が止まる。
――エリのHPは0になっていた。