エリが落ち着いてから、俺たちは転移結晶を使って一足先にKoBのギルドハウスに戻った。
落ち着いたというよりは茫然自失というほうが正確だ。その姿はあまりにも痛ましく、彼女を知る人間が見れば心を抉られるような苦しさを感じることだろう……。
KoBのギルドハウスで待っていたリズは、エリの姿を見ると涙を流しながら彼女を抱きしめた。
クラディールの件もあってKoBといえど信用できなかった俺は、2人を見守るべく部屋に残り、壁に背を預けて無言を貫いていた。
アスナたち討伐隊が帰還したのはそれから1時間後のことだった。
アスナもエリの様子を見に駆け付け、事の顛末を俺から聞くと、ただでさえ白い肌からは色が抜けて真っ青になった。
俺もあれからどうなったのかを聞いたが、向こうも思いの外悲惨な状況だったらしい。
討伐隊からは死者が11人。ラフコフ側からは21人。合わせて32人の死者が出たのだという。なお、クラディールは討伐隊側の死者に含まれていた。
捕縛に成功したのはわずか12人。死んだ人数に比べ、あまりにも少ない数だった。
それに加えPoHやザザだけでなく、ジョニー・ブラックすら討伐も捕縛もできなかったというのだから、ラフコフが壊滅したとはまったく言えない。
30人以上の一線級の犯罪者プレイヤーが消えたことでやつらの動きは鈍るだろうが、これからもまるで末期癌のように、このソードアートオンラインを蝕み続けるのかと思うと腸が煮え返りそうになる。
それから俺はアスナと犯罪者フラグ解除のクエストをする予定を立てると、エリを彼女たちに任せて11層にある月夜の黒猫団のギルドハウスへと帰った。
今の時刻が夜更けであったのは幸いだった。俺のカーソルカラーは殺人を行ったことを示すレッドであり、それに対するプレイヤーの過剰な報復がいかに恐ろしいものなのかは、正月の一件で嫌というほど目にしていた。
「ただいま……」
暗闇の広がるギルドハウスに灯りを点ける。
茹だるような熱気と、いつもの無言が出迎えてくれて、今日ばかりは溜息を吐いた。
装備を解除してラフな服装に着替えていると、特製のコートをエリに預けたままなことに気がつく。今まで俺以外の誰も袖を通したことのないギルドコスチュームだ。だがそもそも服の貸し借りなど現実でさえそうそうあることではなく、ギルドコスチュームはあの1着しか存在しないのだから当り前の話だった。
頭は疲労感を訴えていたが、ベッドに入っても眠れそうにない感じがする。
俺は保管用チェストの中からアルコール系のドリンクと氷を取り出してオブジェクト化した。
以前飲んでいた物とは別の銘柄だがこれもウィスキー。いつぞやエギルに飲んでいる物の話をして、氷で割れば美味くなるということを聞いてからは、ゆっくり飲めるときはこうしてひと手間を加えるくらいはするようになった。
ロックグラスに琥珀色の液体を注ぎ、耐久値の高い丈夫な氷を1つ入れる。
夏場の気温設定のせいで溶けるのは早そうだ。室内温度変更系のアイテムくらい買っておくべきかもしれない。
「サチ……。俺、人を殺しちゃったよ……」
俺はグラスの液体をちびちび飲みながら虚空に呟いた。
アスナを殺そうとしていたプレイヤーの名前はなんだったのだろう。俺は彼の名前も確認する暇なく首を切り伏せた。ああしなければアスナが危なかったというのは言い訳だ。彼の剣をソードスキルで相殺して、それから拘束用アイテムを使えば生きたまま監獄に送れたかもしれない。
そしてもう1人。クラディールに関しては言い訳のしようがない。
俺の中にあんなどす黒い感情があるなんて知らなかった。
もし同じような状況が起これば、俺はそいつを殺してしまうかもしれない。それがこのゲームをクリアして、現実世界に帰った後だったとしても……。
この血で穢れた俺の手は、本質的にはラフコフの連中と同じだ。
俺は俺の欲望に従って人を殺した。端的に言い表せばそういうことになる。
ウィスキーをもう一口。
こんな俺が、これからも月夜の黒猫団の看板を背負っていていいのだろうか? それは死者への侮辱じゃないのか?
だが俺からこのギルドを取り除けばなにも残らない。二度と立ち上がる事が出来なくなる。それは……、駄目だ……。
デスゲームが始まり、クラインを置いて1人ではじまりの街を出たあの日。
力がなければ、自分よりも強いプレイヤーに搾取されるという恐怖が真っ先に思い浮かんだ。俺がレベルを必死に上げて攻略組であり続けるモチベーションはそれだけではなかったが、その考えが正しかったと今なら心から言える。
強くてよかった。そうでなければエリは死んでいた。
サチたちを守れなかった、あのときの俺は弱かったのだ。俺はあれから強くなり、同じ轍を踏む真似はしないで済んだ。
だから俺はこのギルドから、月夜の黒猫団から逃げることはできない。
これを失えば俺は弱くなる。そのとき、目の前にやつが――PoHが現れればきっと勝てないから……。
「ケイタ。ごめん……」
こんな理由で、月夜の黒猫団を続けてしまって、ごめん。
代わりじゃないけど、その分お前たちが生きていた証を残すから。それで、少しだけ許して欲しい。――ああ……。許してはくれない、か。
俺が頭の中を整理しながらしばらくグラスを傾けていると、ノックの音がした。こんな時間に誰だろうか……。
玄関の覗き穴から外の様子を確認すると、そこには知り合いのプレイヤーが1人で立っていた。
「まだ起きてるカ?」
それは金色の髪をフードに隠した鼠の二つ名で呼ばれるプレイヤー、アルゴだった。
「どうしたんだ、こんな時間に」
「話が、あってナ……」
「……上がっていくか?」
「そう、だナ……。うん。そうさせてくレ……」
アルゴは浮かない表情のまま、ギルドハウスに入った。
俺の推測ではラフコフの拠点を知らせたのは彼女だ。おそらく今日の作戦で死んだプレイヤーたちに責任を感じているのだろう。
アルゴをひとまずリビングのテーブルに座らせ、俺は気の利いた物でも出そうとチェストの中を探した。
「これ、酒カ? 未成年がこんな物飲んじゃ駄目なんだゾ」
「ゲーム内だから飲酒にはならないって勧めたのはあんただろ」
「あー……。そうだったナ。――貰ってもいいカ?」
「別にいいけど」
取り出しかけたコーヒーをチェストに戻す。
代わりに俺はもうひとつグラスを出して自分用に注いだ。
「それで話って?」
「そう急かすなヨ……」
そうは言うが、アルゴは勢いよくグラスの中身を飲み干した。
まるでアルコールの力を借りなければ話を始める一歩が踏み出せないかのように……。けれどこの世界ではアルコールで酔うことはない。どこまでもいっても、素面なままで語ることしかできないのだ。
俺はアルゴに言われた通り、彼女が自分から話しだすまで待つことにした。
しばらく無言が続き、空になったグラスの中で溶けた氷が鈴のような音色を奏でた。
「……情報屋は、今日で店じまいダ」
小さな声だったが、彼女の声以外がしないこの場では、聞き逃すことはできなかった。
「らしくないな。今日の犠牲者はアルゴだけの責任じゃないさ」
「キー坊にはバレてたカ」
「アルゴの情報力は信頼してるからな」
「信頼、カ……。それなんだヨ。オイラは情報屋として一番やっちゃならないことをしちまっタ」
「一番やっちゃいけないこと?」
「偽情報を掴ませたのサ」
「誰だって失敗はあるだろ。情報が洩れてたのだって内部にスパイがいたせいで――」
「違うっ! そうじゃないんダ……」
アルゴの声がまるで悲鳴のように聞こえた。
彼女は普段、対面して話すときは相手の目をよく見る。けれど今日に限っては、俺の顔をちっとも見ようとしないでいた。
アルゴは続く言葉を言おうとして口を開くが、声にならず口を閉じる。
今度はグラスに手を伸ばしたが中身はとっくの昔に空だ。
俺はボトルから彼女の使っているグラスに液体を注いでやると、また一息に飲み干した。
「……軽蔑してくれて構わなイ」
前置きを言葉にする。
「エリにゃんを売ったのはオイラなんダ」
身体の芯から凍えるような感覚がした。
「いま、なんて……」
「エリにゃんを、オイラがPoHに売ったんだヨ」
「――どういうことだっ!」
どす黒い感情が再び燃え上がる。
理性が途切れ、思いのままを、俺は手近な場所にあったグラスに当たり散らした。手の甲で弾かれたグラスは壁にまで跳んで砕け散る。
俺は高レベル特有のあまりにも高いSTRに任せてテーブルを掴むと、それを思い切りアルゴの背後にある壁に叩きつけた。ギルドハウスが揺れるような衝撃と、ガラスの砕ける音が混じって木霊した。
彼女との間を阻む物はなくなり、俺は一直線にアルゴへ掴みかかっていた。
アルゴは女性の中でもかなり小柄な部類で、片腕で吊り上げらると宙に足が浮いてしまう。
装備をすべて解除していたのは行幸だった。俺の右手はいつのまにか剣を探して彷徨っていた。
「そんな、泣きそうな顔するなヨ……」
宙吊りにされて至近距離に見えるアルゴの表情は、今にも泣き出してしまいそうなものだった。
我に返って手を離すと、アルゴは体勢を崩すこともなく床に着地した。代わりに俺が数歩後ろにふらついてしまう。
「ここで斬られても文句は言わないヨ」
「エリが、どんな目に合ったかわかってるのか?」
「アーちゃんからさっき聞いたヨ。まさかこんなことになるなんて思ってなかったんダ……」
「なんで、そんなことをしたんだ……」
「聞いてくれるのカ?」
「あんたが理由もなく、そんなことをする人間じゃないとは思ってる」
でも理由があれば許せるとも思えない。
そうか。だから、情報屋を止めるだなんて言い出したのか。
「オイラもラフコフはなんとかしないといけないって思っててナ。でもあいつらのアジトを探し出すのは想像以上に難しかったんダ。それでもPoHと交渉のテーブルに着くことはできてナ。信用を勝ち取るピースがあればなんとかなるところまでは漕ぎ着けたんだヨ……」
「それでALFの隊長をやってるエリを選んだのか」
「アア。それもあるナ。けどオイラはエリにゃんがラフコフのメンバーなんじゃないかとずっと思ってたんダ」
「それは……、あくまで噂だろ?」
ALFには悪いうわさが昔からあった。
だがそれは大なり小なりどの大ギルドも抱えているものだし、エリが直接かかわっているとは到底思えないでいる。
正月の一件で悪名がいくらか流れていたが、あれはしょうがないことだった。
「オイラは信憑性の高い情報を手に入れた――と思ったんダ。ただ今回の顛末を見ればそれが本当だったのかさえ疑わしく思えてキタ。全部PoHに仕組まれて、踊らされただけなんじゃないかってナ。それだけじゃナイ。エリにゃんを罠に嵌めるために関係のないリズベットちゃんにまで危険な目に会わせちまっタ。オイラはどうかしてたんだろうナ……」
まさに、その通りだろう。アルゴは情報屋のタブーを犯し、彼女たちを危険な目に合わせた。エリに関しては、命だけが唯一無事だっただけだ。
「オイラを斬るカ? キー坊になら、いいよ。今なら丁度、斬ってもばれないからナ」
俺のカーソルはレッド。誰かを殺めても、知られることはまずない。
手を握りしめ、解く。それを何度か繰り返すと、クラディールを斬ったときの感触が蘇ってきた。
俺は――首を横に振った。
アルゴのしたことは許すべきじゃない。だからといって、これまで親しくしてきた相手を殺すなんてことは俺には重すぎる……。
できることならもう誰も殺したくはないというのが本音だった。例えそれをアルゴ自身が望んでいるのだとしてもだ。
「これから、どうするつもりなんだ?」
「ALFに出頭するカナ。このゲームがクリアされるまでは監獄に入っておくことにするヨ……」
「そうか……。寂しくなるな」
「まだそう言ってくれるなんて、キー坊はお人好し過ぎるゾ」
アルゴは努めて笑顔を作るが、それは後悔に彩られた笑顔だった。
「これ、リズベットちゃんとエリにゃんに渡してクレ」
アルゴが俺へトレードで送ってきたアイテムとコルは、おそらく彼女の所持するすべてだ。
信じられないコルの額と、見たことのないアイテムの数々は、最前線でも彼女が戦えたのではないかと思わせるほどだった。あるいは彼女も人知れず、俺と同じように最前線をソロで渡り歩いていたのかもしれない。
「最後に、聞いておきたいことはあるカ?」
「……いいや、ないよ」
上手い狩場だったりクエストだったりを聞いておくべきだったかもしれないが、今はそんな気にはなれなかった。
「元気でな、アルゴ」
「死ぬなよ、キー坊。エリにゃんを頼んだゾ」
去り際に見せた彼女の表情は、今まで見た中で最も弱々しいものだった。
この日、情報の最前線で戦うプレイヤーが1人、ドロップアウトした。
その噂は瞬く間に広がり、彼女の悪名は轟くこととなる。噂には尾ひれがつき、アルゴはラフコフのメンバーだったという話まで出てきた。それを止める者は誰もいない。
彼女は今頃どうしているのだろうか……。
鉄の城の地下深くに、彼女を惑わし狂わせてしまった情報が届かないでいてくれればいいと、俺は少しだけ祈った。
アルゴが好きな方々にはごめんなさい。
でもアルゴの読みは概ね間違ってなかったんです。
エリはラフコフの関係者といいますか、実質ジョニーやザザと同じ幹部待遇でした。
それに結構とんでもない数のプレイヤーの殺害に関与してます。
ただまあ、ラフコフ討伐戦の結果だけ見れば、目を覆いたくなるようなものでしたが。
そして『棺桶と鎮魂歌』もこれにて終了となります。
戦闘も話数も多い章となってしまいましたが、いかがだったでしょうか?
語りたいことが沢山ある章でしたが、そのうちのいくらかが伝わっていれば幸いです。
ちなみにジョニーとザザは、原作ではこのとき捕まっていますが、そこは原作との変更点です。