レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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34話 灰色のエンドロール(1)

――2024.9.23――

 

 

 あれから私は引き篭もった。

 ゲームの中でまで引き篭もる羽目になるとは思わなかったが、2年も過ごせば、もはやこちらが現実といっても差し支えないくらいに身体は馴染んでいる。つまり現実同様に引き篭もってもおかしくはない。

 だが現実とは打って変わって、引き篭もった後も私の部屋には来客がよく訪れる。

 リズベットを始めとして、キリトにクライン、ALFの部下や他ギルドへ移籍した連中。あとは結城さんまでがやってきた。そのほとんどがラフィンコフィンの討伐に参加したプレイヤーだというのは後から知った話だ。

 ラフコフを壊滅させるためなのか、私を救出するためなのか、多くのプレイヤーが集まり、死んでいったそうだ。

 どうしてPoHは私を生かしたままにしたのだろうか。

 ――考えるのはよそう。あいつのことは思い出したくない。

 頭を振って思考を破棄する。

 

「エリー。いる?」

 

 ノックの音を鳴らしながら、最近よく聞く声がした。

 

「いるっすよ……」

 

 システムウィンドから扉のロックを解除し、声の主を招き入れた。

 私は包まっていた毛布から這い出て彼女の姿を見る。

 檜皮色のパフスリーブに同色のフレアスカート。その上にピンクと白のふわふわなパーカーを羽織っていて、手袋も嵌めている。

 リズベットの暖かそうな格好を見ると、時間の流れを感じさせられる。季節は秋の終わり。もうすぐ冬が始まろうとしていた。

 

「おはよっ! 朝御飯まだでしょ?」

「そうっすけど……」

 

 リズベットはアイテムストレージから、スープやサンドイッチを取り出してテーブルに並べると、カーディガンを仕舞い椅子に座った。

 毎朝というわけではないが、彼女はよくこうして朝食を届けてくれる。以前来たときに食事を摂っていないことがバレたためだ。

 どうしてわかったのかと聞いたところ、「顔を見ればわかる」と言われてしまった。外見データに変化ないはずなのだが……。

 流石にこうして出された食事を食べないわけにもいかず、私も椅子に座り食事を始める。

 

「「いただきます」」

 

 リズベットの持ってきた食事は普通に食べれる。

 彼女との食事を繰り返しているうちに、徐々に食事も喉を通るように改善されてきていて、今では小食の部類に収まる程度には食べれるようになった。

 それ以前からも、人に勧められればどうにか食事は行えた気がする。

 精神のバランスを著しく崩すのはいつだって独りでいるときだ。よって睡眠は未だに上手くできていない。

 

 きっとそれは私の意思を抑えて、私のペルソナがそう振る舞うからだろう。

 ペルソナとは外的側面、立場や状況によって付け替える性格のようなものだ。

 例えば今、リズベットと接しているのは友人としてのペルソナだ。悩みを打ち明けたり、あるいは悩みを聞いたり。一緒に食事を楽しみ、恋話に花を咲かせる。そんなペルソナである。

 少し付け加えるなら、私は落ち込んでいて慰められる立場というものが付随される。逆にリズベットは私を慰める立場が付随するわけだ。

 

 この部屋から出て、治安維持部隊の本部に顔を出せば、私は隊長としてのペルソナに付け替えるだろう。手際よく書類を片付け、戦闘訓練で部下をしごき上げ、実戦では先頭に立ち指揮をする。そんなペルソナに。――いや、このペルソナは少し崩れてきていたか?

 

 ともあれ人間はどのような立場にあるかで、その性質を大きく変えられてしまう。

 仮にあの看守長室に、あのメンバーを揃えれば、私は再びなんの躊躇いもなく人を殺せる。

 頭を振る。考えるのはよそう……。

 どうしても私の思考、経験が彼らに結びついてしまう。

 それもそうか。彼らとの付き合いはこのソードアートオンラインが始まった初期から続いていたものだ。それも断裂することなくずっと……。期間という意味では彼らが最も長い。

 頭を振る。考えるのはよそう……。

 

「大丈夫?」

 

 リズベットが心配そうに顔を覗き込んでいた。

 手に持っていたままだったサンドイッチを一度皿に戻す。

 

「大丈夫っすよ」

「無理しちゃ駄目だからね」

「はーい」

 

 無理どころか、最近はほとんどなにもしていない。

 日がな染み一つない天井を眺めてベッドに倒れているだけだ。

 

「こんなことなら、もっと前から会いに来ればよかったわね。……でもエリが会いに来なくなったのって、私に危険が及ばないように考えてくれてたからなのよね」

「どうっすかね……」

 

 直接言葉にはしないまま、肯定するようにつぶやいた。

 けれどそれは嘘だ。私はサチと一緒にいた時間を忘れたくて、リズベットまで避けただけである。

 あいつらがリズベットに危害を加える可能性を考え出したのはずっと後になってからだった。

 頭を振る。考えるのはよそう……。

 

「ごめんね。私のせいで……」

「その話はなしっすよ……。お互い落ち込むしかできなくなるっすから」

「うん。そうね……。ごめん……」

 

 私たちの関係は、リズベットは私に恩があり、その恩につけ入り私はリズベットに甘えているというものだった。ここに少しのビジネスを混ぜれば完成だ。

 だが今ではビジネスがなくなり、代わりに罪悪感がブレンドされた。私が甘えるという代価を所望するだけでは足りないと、リズベットは感じているのだ。

 だから彼女も落ち込む。落ち込んでいる人間には甘えきれない。

 

「……膝枕1回で許してあげるっす」

「ふふふ。1回でいいの?」

「今はそれだけでいいっすよ」

「食べてすぐ横になると身体に悪いわよ」

「ここじゃあ実際に物を食べてるわけじゃないんすから、平気っすよ」

「そういえば、あんたってそういうやつだったわね」

 

 リズベットは計算通り、少しだけ調子を取り戻して笑った。

 朝食を食べ終えるとリズベットはベッドに腰かけ、私は彼女の膝の上に頭を置いた。

 リズベットからはバニラのような甘い香りが漂っている。

 彼女のスカートに頬を擦りつけていると、ポンと頭に軽く手が乗せられ、髪を優しく梳かれた。

 

「リズはキリっちとあれからどうなんすか?」

「全然駄目。あれは敵わないわ……。あいつったら未だに毎日手を合わせに来るのよ」

「律儀っすねー」

 

 私には到底真似できない。

 酷い話だが、私は自分の意思で墓参りなど一度も行っていないくらいだ。

 

「あれはアスナでも――あ、ごめん……」

「いいっすよ。そこまで気を使わなくたって。リズがアスナさんと仲良くしてても、それはリズの自由っす。私もそんなことに目くじら立てるほど狭量じゃないっすから」

「うん」

 

 リズベットと結城さんが、私のいない間に交友関係を築いたのだろうということは、今のニュアンスで伝わってきた。

 私もちょっとくらいは嫉妬をするけれど、あれだけの期間リズベットを放っておいたのだからしょうがない。……しょうがない。

 

「ねえ……」

「なんすか?」

「あー……。やっぱりいいや。なんでもない……」

 

 おそらくリズベットは、「アスナと仲直りしてみない?」などと言いたかったのではないだろうか。友達同士の仲が悪いのでは、どうにかしたくなるのも無理はない。

 ハッキリ言ってくれてもいいのに……。

 リズベットも私を腫れもののように扱っている。

 それは罪悪感からなのだろうが、別にそこまで気にしなくてもいいのだ。

 なにせこの身体は現実のものではない。どう扱われようと所詮デジタルデータを脳へ送りこんで錯覚させているだけの偽物である。現実に影響を与える本物と呼べるものは、HPを0にして殺害する行為くらいだ。

 ……ああ。そうだとすれば、この手の温もりさえ偽物になってしまうのか。

 それは、ちょっと嫌だな。

 リズベットが、ただの1と0で表現される情報の集積体とは思いたくなかった。

 でもそうだとすれば、私のこの身体も本物となるわけで。

 だったら私は――。

 

「エリ、エリ?」

「ん。どうしたっすか?」

「ちょっと様子おかしかったわよ。大丈夫?」 

「大丈夫っすよ」

 

 考えるのはよそう……。

 

「そうだ。私、そろそろ治安維持部隊に戻るんすよ」

「えぇ!? へ、平気なの?」

「平気っすよ。それに、なんか隊長の席は残してくれてるみたいっすから、早く戻ってあげないと」

「そっか……。ねえ、装備は間に合ってる?」

「どうしたんすか?」

「ほら、私って鍛冶屋なわけでしょ。あんたにプレゼントしてあげられるものっていったら、そうなるかなあって」

「リズぅうう」

「はいはい」

 

 私は頭の向きを反転させて、彼女の腰に抱き付いた。

 リズベットは意外とスタイルが良い。腰が細いのもそうだし、頭頂部に当たっているこの膨らみも驚異的だ。バストでは負けていないが、それがなんの慰めにもならないのは明白である。

 頭を擦りつけるように振った。考えるのはよそう……。

 リズベットは優しく私の肩に手を回して抱き返してくれた。

 

「なにか要望ある?」

「うーん……。じゃあ軽量級の大盾で」

「また変わった物欲しがるわね……」

「一般的な装備はギルドの支給品で賄えるんすよ」

 

 量産品の製作で未だシェアを握っているのがALFだ。

 それに私はレアリティ―の高い超級装備といえば、AGI上昇のアクセサリーしかなかったため、ある程度の誤魔化しは利く。

 本当なら防具を軽、中、重のそれぞれを最新式で揃えたかったが、そこまで無茶な要求は出せない。というか大盾1つでも十分破格のコルがかかるのだ。防具を一式を揃えでもすれば家が一軒買えてしまう金額になる。

 タンク系はこうした理由から金食い虫であり、それがタンクの数を減らす要因にもなっているのかもしれない。

 

「ああ。それもそうね。じゃあ完成したら持ってくるから期待してなさいよ」

「ありがとうっす」

 

 現実と同じように引き篭もった私だが、現実とは違い立ち直れた。

 きっとそれは、現実の私にはたった1つ以外なにも支えがなかったからで、仮想の私には支えてくれる人がいるからだろう。

 とはいうものの、あんなことがあったというのにまだ戦おうとする私は、度し難いほどの馬鹿なのかもしれない。

 考えるのはよそう……。

 

「もう、無茶しないでね……」

「もちろんっすよ」

 

 そうは言うものの、保証はしかねる。

 無茶をするときのペルソナを被った私を、私は止められないだろうから。

 だって私のペルソナは私の意思を無視して行動できてしまう。

 ユナを殺した、あのときのように。

 

 

 考えるのはよそう……。

 

 

 今はなにも考えたくない……。

 

 

 もうなにも考えずにいたい…………。

 

 

 思考を放棄して、意識さえ手放す。

 

 

 リズベットの体温を感じながら、今はただ、微睡みに沈んでいく…………。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「――攻略隊の復活っすか?」

 

 治安維持部隊に復帰して幾日かが経ったある日、私はキバオウに呼び出されてそう告げられた。

 復帰したといっても部下たちは私に気を使い仕事の大部分をやってくれている。

 犯罪者プレイヤーもラフコフが壊滅した一件から鳴りを潜めており、出動要請もほとんどない。

 私のいない合間に、随分と楽な職場になったものだ……。

 おかげで私がやっている主な業務はレベリングの監督となっている。私自身も、今まで積み立てて来たレベルが追い付かれつつあり、必要に駆られてのことだった。

 

「そうや。幹部の一部が、ワイらの活動に疑問を覚えとってな。ここでひとつ成果を出さんとあかんつう方針になったんや」

「そうっすか……」

 

 ラフコフ討伐はKoBが主導ということになっていたんだったか?

 DDAやALFも協力したが、掲げるギルドのスローガンとしてはALFが率先して解決しなければならなかっただろう……。

 もっとも、即座に判断できない事態だったという、裏事情が存在するのを私は知っている。

 そもそもラフコフのスポンサーをしていたのはALFだ。

 見返りにALF――というかキバオウは政敵の排除などの後ろ暗い部分をラフコフに引き受けてもらっていた。

 だからこそ率先して捕まえるわけにはいかなかったのだ。

 

「PoHから……、あれ以来連絡は?」

「ない。もう縁もスッパリ切れた。ワイもこないなことになってしもうて、エリには申し訳ない気持ちでいっぱいや。すまんかった。この通りや」

 

 キバオウは椅子から降りて、土下座をした。

 別に土下座をされても嬉しくはないし、それほど誠意も感じない。

 やつは本当にキバオウとの縁を断ち切ったのだろうか? キバオウがこの場で嘘を吐いているだけというのは十分ありえる話だ。

 頭を振った。考えるのはよそう……。

 

「それで攻略隊っすか」

「エリは元々攻略畑のプレイヤーやったし、今でもレベルは十分にある。せやからあんさんにも、攻略隊に加わってほしい思ってな」

「キバオウさんは?」

「ワイはもう無理や。レベルの差が開き過ぎてまったからな。あの頃には……戻れんよ」

 

 キバオウはどこか遠い目をして言った。

 あの頃に戻りたい。彼もそう思っているのだろう。

 私は……。私だってそうしたい。25層に挑む前に戻れるなら、なんだってできるだろう。でも死んだ人間は生き返らないのだ。

 例え攻略隊を再結成しても、メンバーや状況はまるで違う。

 ユウタも、あの頃の私も、もういない。

 

「いいっすよ。その辞令、しかと拝命したっす……」

 

 シンカーが追いやられて以降、キバオウが実質的なトップだ。

 そのキバオウからの命令を拒否するというのは、隊長の私でもよほどのことがなければできない。

 今更私が他のギルドに席を移すなんてことはできないし、ギルドを辞めてフリーになるというのも考えられなかった。

 だからこれは当然の帰結である。

 

「すまんなあ」

「それで、誰をトップにするんすか?」

「それなんやけどな……」

 

 キバオウが資料らしき紙のオブジェクトを渡してくる。

 私がトップをさせられるのかと思っていたが、どうやらそれは自惚れだったらしい。

 

「コーバッツ、さん?」

 

 知らない名前だ。

 

「せや。物資の補給部隊で隊長やってるやつでなあ。指揮官としてやっていけそうなやつ言うたら、彼しかおらんかったんや」

「そうっすか」

 

 まあ私はPvPの指揮経験は豊富だが、PvEの指揮はほとんどしていないのでしょうがない。

 彼の経歴を見るにそこそこの規模のパーティーをフィールドで運用しているようだ。部署が違うため、今まで全然知らなかった。

 メインの狩場にしている層は、最前線とはいかないが、なかなか上層の場所。レベル的には最前線の安全マージンを確保しているようだが、少し不安の残る値だ。

 

「メンバーはどうするんすか?」

「それはあらかた決めとる。その辺は顔合わせのときに確認してくれや」

「了解っす」

「予定してる訓練期間は2週間とちょっとや。73層がクリアされて5日経ったら最前線行きやから準備しとってくれ」

「……急じゃないっすかね?」

「せやけど、もたもたしてればクォーターポイントに入ってまうからな。それは避けたいやろ」

「あー。そうっすね……」

 

 あの悪夢のような25層は言うに及ばず。私は参加しなかったが50層もかなりの数の死者が出たらしい。

 これらの経験から、クォーターポイントごとに強力なフロアボスが配置されている可能性は高く、75層の攻略は私としても避けれるなら避けたいところだ。

 

「シワ寄せはいつも実働部隊にっすか……」

「かんにんな」

「一度引き受けたからには全力で挑むっすよ」

 

 情報部は今も機能しているのだろうか。

 まずはその辺りから新鮮な情報を集めて対策を立てるところから始めよう。

 半年のブランクが2週間で補えるとは思えないが、2週間とは1つの階層がクリアされるほどの期間でもある。

 この機を逃がし攻略組が75層のクリアに手間取れば、1カ月後で済めばいいが、下手をすれば年末にまで差し掛かりギルドの決算と被る。それまでに結果を出さなければならないという思惑も絡んでいるのだろう。

 ブランクは攻略だけでなくこうした政治闘争もそうだ。久々の嫌な空気が鼻孔をくすぐる。

 果たして錆を落とし終えるまで、私は生きているだろうか……。

 

「ほんま、すまんなあ……」

 

 キバオウしたこの険しい表情は、どこかで見覚えがあった。




救出から3カ月くらい経ってます。
人前では平気なフリをしてしまうエリは、
不定の狂気から回復しないままシナリオ続行です。

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