レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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37話 灰色のエンドロール(4)

 74層フロアボス攻略の翌日。

 私は再びキバオウに呼び出され、彼の執務室にやってきていた。

 やってきた私に給仕係がコーヒーを出すと、彼女は部屋から出て行き2人きりとなる。

 重たい空気。こういう空気は苦手だ。

 胃どころか、身体が、心が押し潰されそうになる。

 

「昨日は大変やったなあ。危ない目に遭わせてまってすまんかった」

 

 言葉の上では謝っているが、よくもまあぬけぬけと言えるものだ。

 肩書ではサブマスターとなっているが、3千人のプレイヤーを纏める最大ギルドの元締めというだけはある。

 彼の神経も図太くなったのだろう。

 

「いいえ。こちらこそ、大人数の損害を出してしまい申し訳ないっす」

 

 こちらも社交辞令を返す。ここで腹を立ててもどうにもならないからだ。

 ただしそれとなく皮肉気に喋りはする。「次はないぞ」と暗に言っているわけだ。こんなことが何度もあってはたまらない。

 

「それで、自分の噂は聞いとるか?」

「それなりにはっすね……」

 

 噂が出回るのは実に早かった。

 曰く『軍の大部隊を撃破したフロアボス』、『それを倒したユニークスキル使い』。

 それだけならまだしも、『軍の大部隊がやられるまでユニークスキルを使わず見殺しにした』、『これは軍による内部粛清で、フロアボスではなく魔女によって殺された』、『25層のときも魔女が手を下した』と、元々の悪評が嫌な感じに絡み合ってしまった。

 厄介なのは、これが一概に根も葉もない虚実とは言い切れないことだ。

 今はまだ根も葉もない噂として話されているが、証拠を見つけられれば私も、キバオウも終わりだろう。終わりというのはつまり、ゲームクリアまで監獄に繋がれるだけならまだ良い方で、私刑によって殺害される可能性すらありえるという意味だ。

 

「新聞屋があちこちで嗅ぎ回っとる。気をつけるんやな」

「おかげで黒鉄宮から一歩も出られないっすよ」

 

 私のホームは黒鉄宮の中一般プレイヤー立ち入り禁止区域にあるため、玄関の前で待ち伏せされるということはないが、外に出ればその限りではない。

 少し前までは自発的に引き篭もっていた私だが、今度は外的要因で強制的に引き篭もらされているわけだ……。ままならないものである。

 

「それでな。ジブンには部署移動してもらうことになった」

「はあ……。どこっすか?」

「……KoBや」

「はあっ!?」

 

 思わず執務机を叩いて身を乗り出した。

 

「なに言ってるんすか!? KoB? なんでっ!」

「落ち着いてくれや」

「落ち着けって、これが落ち着いてられるっすか!」

「………………」

「…………わかったっすよ。続きを話してくださいっす」

 

 こめかみを抑え、どうにか姿勢を正す。

 

「ジブンは話が早くて助かるわ。フロアボスを倒してからな、ヒースクリフはんから連絡が来たんや。そっちはこれから攻略する気があるんかってな」

「妥当っすね」

「そんですぐには答えられへんって返したら、エリをこちらで預からせてほしいって話になってなあ。このままジブンほどの実力者を遊ばせておくのは勿体ないし、ALFの宣伝にもなるっつうことで悪くないとワイも思ったわけや。まあ金も少し絡んどるがな」

 

 ギルドマスター同士でのメンバーの引き抜きあい、というわけか。

 キバオウにとって私は自分の立場を脅かすやっかいな駒で、元々は噂を利用して排除するつもりだったのだろうが、渡りに船となったわけだ。

 もちろん決して少なくないコルが動いたことは想像に難くない。

 

「DDAでもいいじゃないっすか」

「あっちのギルドマスターとは反りが合わなんくてな。それにラフコフ討伐んときで、向こうさんはえらい仰山犠牲者が出たから引き受けはせんやろ」

 

 それじゃあ私はDDAに恨まれつつ、一般プレイヤーからは後ろ指を指され、その上でALFの攻略への積極性をアピールするためのマスコットにならなければならないということか? しかもKoBに所属しながら!?

 

「いやいや。無理っす! 今回ばかりはお断りさせてくださいっす!」

「ジブンには今まで世話になったからな。頼み事はなるべく聞いてやりたいっつうのが正直な気持ちやで。……でも今回はできへん。これはギルド同士の約定や」

「うぐっ……」

 

 今回の件は火消しの意味もある。

 74層から端を発した噂を、KoBとの協調路線で塗り潰す。もしもの場合は、整えてあった私を切り捨てるプランを再利用する気だろう。

 それに次に控えているのはクォーターポイントたる75層。一般プレイヤーの注目度も大きい。

 そこで噂を払拭できればという甘い見通しも込みか。

 私にとってもこれは受けざるを得ない。このままALFに居座るには信頼を失い過ぎた。最早治安維持部隊に復帰することは絶望的である。

 その上、実権を握ってるキバオウからの命令はつまりギルドの意思。

 出て行けと言われれば出て行くしかない。

 

「単にKoBに席を移してそれで終わりってのもアピールにならんからな。少し催し物もすることになった」

 

 キバオウは企画書らしき書類を私に差し出す。

 昨日の今日でよくここまで作ったものだ。

 

「75層の主街区にはお誂え向きのコロシアムがあるって話やからな。そこでジブンはヒースクリフと一騎打ちをしてもらう。当然初撃決着モードや。引き伸ばしてから、上手くやられてくれ。そんで勝ったヒースクリフはんの元にジブンがつくっちゅう演出を、こっちからする予定や」

 

 日取りは明後日。この分だと根回しや手配、広告なんかは済んでいるのだろう。

 キバオウのバックにいるのはALFに吸収された生産ギルドや商人ギルドの元マスターたちだ。こういうときの動きは嫌なくらい早い。

 

「エリ。今までご苦労さん……。あんさんが74層から帰ってきたって聞いたとき、本当はな、嬉しかったんやで……。あんさんなら向こうでも上手くやれるはずや。ワイはもう戦えんから、せめてここから応援させてな」

 

 どこまでが本心かわからないが、キバオウは疲れたように微笑んでいた。

 それは74層の攻略に私を送り出したときとは別の表情だった。

 私は溜息交じりに了承し、執務室を出ようとした。

 そこで飲みかけだったコーヒーを思い出し、中身を呷る。

 黒々とした液体は冷めていても苦いまま。

 私の腹の内にはきっとこんなものが詰まっている。

 おそらくそれは、キバオウも同じだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 今頃75層の主街区、『コリニア』ではどんなことになっているのだろうか……。

 私はリズベットにメッセージを送り、コテージの窓からぼんやりと外の風景を眺めた。

 今日はヒースクリフと私のデュエルベントの開催日だ。

 目を通したスケジュール表では私とヒースクリフの試合以外にもいくつかのデュエルが催されることが書かれていた。流石に1回のデュエルでは時間が持たないと思ったのだろう。たいてい5分もあれば決着が着く。初撃決着モードなら最悪ファーストアタックで終了だ。

 時計を見ればそろそろメインイベントの開催時刻。

 

 ――なのだが、私は22層の湖が見えるコテージにいる。

 試合を前に精神を落ち着かせているだとか、ここから転移結晶で颯爽と登場しようだとか、そういうことではない。

 つまり、棄権である。

 ヒースクリフとのデュエルを断るのはこれで2度目になるのか。

 彼には縁がなかったと諦めてもらう他ない。

 

「DDAだったら、行ったんすけどねえ……」

 

 残念ながらヒースクリフはKoBだ。

 KoBのサブマスターが誰かなど、知らないはずがない。

 現在のペースで考えれば100層がクリアされるまであと1年半くらい。それほどの期間、彼女と一緒に行動すると考えただけで……。

 ううっ……。気持ち悪くなってきた…………。

 考えるのはよそう……。

 

 念のためリズベットにだけは所在地を含めて連絡を入れた。

 彼女から結城さんに話が流れるだろうから、誘拐されただとか、いらぬ心配はされないはずだ。

 もう戻る場所はない。これからは主街区に出入りするにも顔を隠さなければならない。最前線で剣を取るなどもっての外。

 今後は余生を送る老人の如く、ここで大人しくゲームがクリアされるのを待つだけの生活になるだろう。

 プレイヤー間での噂にどう決着が着くかはわからない。ここが発見されて、一般プレイヤーが押し寄せてこないことを祈ろう。私も最低限、人目につかない生活は心がけるつもりだ。

 退屈な生活になりそうだ。けれどたまにはリズベットも遊びに来てくれるだろうし、なんとかなるとは思う。

 私はこの日を持って取り巻いていた多くのしがらみから解放されたが、それは達成感や身軽さといった喜びとは無縁のものだった。

 

 結局はこうなったか……。

 私は最後までやり遂げることなく、敗れては消えていく。

 完璧にはなれず、そこで諦め逃げ出すのが関の山。

 現実での失敗はなかったことにはならない。

 この仮想世界でもアバターを動かしているのは私自身なのだから。

 結城さんが仮にいなくて、誰も私を知らなかったとしても、私だけは私を知っている。

 何度か失敗して、その度に必死に食い下がってきたがもう駄目だ。

 認めよう。私は成し遂げることのできない人間であると。

 

 才能がなかったのか。

 努力が足りなかったのか。

 運が悪かったのか。

 あるいはそのどれもか。

 思い返せばあのときああしていればということは沢山ある。

 だがそれを活かすことができない。

 失敗を繰り返し、他人のせいにして、また失敗する。

 今更だが、私って最悪だな……。

 それで他人に迷惑をかけるどころか、命すら奪ってきたわけで……。

 ユナも……。

 

「はぁ…………」

 

 頭を壁に叩きつけて思考をどこかに追いやった。

 考えるのはよそう……。

 考えても仕方がない。

 もうなにもしないで生きていく。

 そう思って引き篭もり、退屈しのぎに始めたのがゲームで、行きついた先がこのソードアート・オンラインの世界だったっけか。

 

「駄目駄目っすね……」

 

 なにもしないで生きていくことすら私にはできないらしい。

 だったらどうすればいいのだろう……。

 それこそ考えても無駄か。

 思い通りにいかないのだから、どうこうしようとしても失敗するだけだ。

 どうしたものかなあ……。

 

「エリー! いるなら返事してー!」

 

 ドンドンドンドンドンッ!

 ドアを叩く音とリズベットの声。

 会いに来るときは慎重にという文言をメッセージに入れてあったはずだが、随分早い到着だ。

 まずは彼女を出迎えるところから始めよう。

 流石にそれすら失敗するなんてことはないはずだ。

 ただ、彼女が誰かに着けられていたら……。

 そのときはどうしようもないか。

 考えるのはよそう……。

 

「はいはい。今開けるっすよ……」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 曙色(あけぼのいろ)に染まった空の下、私は針葉樹の生い茂る森の中を歩いていた。

 生い茂る枝葉の隙間から差し込む光は黄金のように輝き、神々しくさえ見える。

 幻想的な風景は見慣れたつもりだったが、今日の目的は散歩だったため、足を止めてしばらく見惚れておく。

 吐いた息が白く煙った。朝は一段と冷える。私は寒さに肩を震わせ、コートのポケットに手を入れた。

 10月ももうすぐ終わりだ。冬がすぐそこまでやってきている……。

 

 一人歩きは危険かもしれないが、かといってNPCから借りているあのコテージが安全かというとそうでもない。あの場所は圏内であるが、圏内でもプレイヤーを殺害する方法に、私は心当たりがあり過ぎた。

 コテージの扉は鍵をかけられるが、鍵開けスキルで開錠できる。

 仮にあのコテージを購入して設定したプレイヤー以外を進入禁止にしたとしても、高い隠密スキルの派生Modの中には、一部の進入禁止エリアに不法侵入が可能になるものがある。

 どちらも行えばカーソルカラーがオレンジになる犯罪行為だが、やれないことはない。

 そう考えれば圏内よりは反撃可能な圏外の方が安心はできる。

 ――などと自分に言い訳をするが、結局のところ暇だったから出歩いているだけだ。

 ただし、人目につかない時間帯と場所は選んだつもりだ。

 

 22層はフィールドにはエネミーが出現しないため人は滅多に来ない。

 釣りの穴場があると聞くが、ならば森の中にはやってこないだろう。

 朝日が昇りきる前には帰る予定だが、それまでしばらく時間もある。こうしてゆっくり歩くことなどまったくしてこなかったものだから、散歩というのは少し新鮮だった。

 

 小鳥の囀りが空から聞こえてくる。

 片手間に拾った石で投擲スキルを発動。システムアシストによってホーミングした石が命中する。スズメほどの大きさの鳥はあえなく落下。私はそれを地面に触れる前にキャッチした。肉アイテムゲットである。

 料理スキルでも取ろうか。スキルスロットは戦闘系でいっぱいだが、もうこれを活用する機会はないだろう……。

 

 私は朝露に湿った草葉を踏みしめ、森の奥へ奥へと進んでいった。

 目的もないので当然だが、夢遊病のように彷徨っている気がしてしまう。

 マップデータがあるので帰り道がわからなくなることはない。

 でも何処へ向かえばいいのかは、地図には書いてないのだ。

 誰か教えてくれないだろうか?

 手を引いてほしい。

 なにをすればいいのか、道を示してほしい。

 霧がかかってきた……。

 私もこのままでは霧に消えてしまうのではないかと、なんだか不安に思ってしまう。

 死ぬのは怖くないと思っていたのに……。おかしな話だ。

 

「――ん?」

 

 視界に不自然な白が映る。

 右手は自然と腰の剣に伸び、左手は慣れた手捌きで盾を呼び出す。

 索敵スキルがないため、警戒しながらにじり寄るなど無駄。姿勢を崩さず早足で不審物へと近づくことにした。

 

「んん?」

 

 首を捻る。不審物は不審者であった。おそらく、と言葉を濁すほどに……。

 ()()は人の形をしている。もっといえば可愛らしい少女の形だ。

 彼女の着ているフリルのついた純白のワンピースは季節感がなかった。なにせスカートの丈は短く、パフスリーブは肘までしかないのだ。

 だがそんなことは些細な問題だ。

 肝心なのは彼女をターゲットできないということだった。

 プレイヤーでも、NPCでも、注視すればカラーカーソルが表示されるはずなのだが、彼女にはそれがない。

 バグだとすれば、これは致命的なものだ。それをカーディナルが見逃すだろうか?

 システムによって配置されたトラップの類かとも考えたが、そこまで趣味の悪い設計は今までなかったはずだ。経験則からその考えを否定する。

 

 とりあえず剣を鞘から抜いて、左手で少女の肩を叩く。

 反応はない。

 アバターには脈がないため確認することはできないが、ポリゴン化して消滅しないということは生存している――のだろうか?

 ターゲットされないということはオブジェクトの可能性だってあるが……。

 少女の等身大オブジェクトを生成するスキルなどあるのだろうか?

 生産系スキルはそんな自由度の高いものではないはずだ。

 それに――。

 少女の腕に触れてみる。体温があった。それに弾力もある。

 生物特有のプロパティーだ。

 

「失礼するっすよ」

 

 少女の胸に軽く手を当てる。誰かにこの光景を見られていれば一巻の終わりだが、やむを得ない事情がある。

 まずNPCの持つであろうハラスメントコードの確認。

 プレイヤーは自主的に行うことで対象プレイヤーを監獄へ送り飛ばせるが、NPCの場合は障壁が展開されてプレイヤーを弾き飛ばす設計になっている。

 

「ううっ……」

 

 嫌な記憶が蘇り小さくえずく。

 呼吸を整えるが、思考に靄がかかって先に進まなくなった。

 少女から数歩離れ、アイテムストレージから飲み水をオブジェクト化。

 瓶に入った水を頭から被ると痛いくらいの冷たさに、思考をせき止めていた歯車が回り出す。

 純粋な痛みのデータではなく、冷たさに置換することでペインアブソーバをわずかにすり抜ける拷問技なのだが、まさか自分に使うとは思わなかった。

 なお火傷するような熱や、凍傷になるほどの冷たさには効果がない。なので痛みといっても、この世界基準で強い刺激というだけだ。

 

 思考を再開。

 少女は呼吸をしていた。つまり生物ユニットではあるのだ。

 だがNPCではない。プレイヤーだとすればなにかしらの手段でカーソルを消失させている可能性もある。そんな方法は聞いたことがないが、未知のアイテムだとすれば可能性は否定しきれない。

 再び犯罪技能を使用。

 睡眠PKでよく知られる、手をとってメニューを勝手に操作する技だ。

 そして睡眠PK以外にも――。

 

「あぁあァアぁあぁあアあァぁっ……!!」

 

 今度は木に頭を叩きつけるが、これには痛みがない。

 水を被るも慣れてしまって効果は薄かった。

 剣を足に突き刺し、HPが削れる。

 しばらくすると落ち着きを取り戻したが、HPは2割ほど減っていて、戦闘時回復スキルにより元に戻ろうとしていた。

 

 それで、なにをしようとしていたのだったか……。

 思い出せない。まあいいか。

 荒くなった息を整え再び少女を観察した。

 どうしよう?

 このまま放置するのも忍びない。

 危険はなさそうだし、連れて帰って起きるまで様子を見てもいい。

 万に一つくらいの可能性で、この子が寝たふりをして獲物を狙っているプレイヤーだということも考えられる。

 カーソルを非表示にする激レアアイテムは、オレンジかレッドになっているのを隠すために使っている、とか……。

 考えてみたが何故か馬鹿馬鹿しく思えて、廃案にした。

 外見に騙されたのかもしれない。

 この少女はあまりにも無防備で、純粋に見えた。

 それは騙されたのならしかたがないと、諦めがつくほどだ。

 

 よし。コテージまで運ぼう。

 事情は彼女の目が覚めてから聞く。それで決まりだ。

 少女を抱えてみるととても軽かった。それもそのはず。私の出力限界であるSTRは極めて高いのだから。人を担ぐくらい訳も――。

 

「ああああああああああああああああ!?」

 

 少女を落とし、私は土の上を転がりまわった。

 頭が焼けるように痛い。視界は明滅を繰り返し、重力の感覚が失われる。剣を闇雲に振り回し、木々の耐久値を減少させた。

 だがそれでは一向に収まらないこの感情は、地面を斬りつけ、自分を斬りつけ、荒れ狂う。

 

「嫌ああああああ! 誰か助けてっ! 嫌だ嫌だ嫌だ!? 連れて行かないで! 私に触らないで! もう嫌なの! やめてよ。お願いやめてください! ねえなんで? どうして! どうして聞いてくれないのぉおおおおおおおおおおお!」

 

 あいつの――PoHの姿が瞼に映る。

 逃げられない。身体が動かない。痛い。苦しい。寒い。暑い。とにかく不快だ。鼓膜に水の滴る音が聞こえ、それを掻き消すように喉が潰れるほど叫んだ。

 

「エリ! エリっ! 止めろ。落ち着くんだ!」

 

 少女に剣を叩きつける寸前で腕を掴まれる。

 押さえつけようとする彼に、私は力いっぱい剣を振るった。

 鋼が打ち合いエフェクトが弾ける。

 ソードスキルを使う余裕はなかった。STRの許す限りの力で、無茶苦茶に振り回しているだけだ。なんて惨めな剣なのだろう。

 私の剣は天高く巻き上げられ、近くの地面に刺さった。

 

「エリ! もう大丈夫だ! 安心してくれ。もう大丈夫なんだ……。もう大丈夫、だから……」

 

 誰かに抱きしめられながら、私は初めて睡眠以外で意識を失った。

 いいや。他にもあったような……。

 思い出せない……。

 思い出したくない…………。

 

 ――考えるのは、よそう。


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