レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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38話 灰色のエンドロール(5)

 浮遊する城の外縁部に私は立っている。

 

 吹き付ける強い風が、髪を揺らす。

 

 眼下に広がるのは雲の群れと、緑に覆われた大地。

 

 私は遥か彼方に聳える山々と地平線を望む。

 

 脳天から踵までを1本の芯で貫いたかのように、背筋をまっすぐ伸ばす。

 

 身体は諦めに魅かれて傾いた。

 

 視界が突如暗闇へと変わり――浮遊感。

 

 足場のない不確かさが途端に怖ろしくなり血の気が引いていく。

 

 

 

 

 

 

 ――エリっ!!

 

 

 

 

 

 

 伸ばされた手が空を切った。

 

 

 

 

 

 

「――――ハッ! はぁ……。はぁ……。はぁ……」

 

 バチリ。暖炉で燃やされた薪の割れる音がした。

 落下する夢に叩き起こされて、荒くなった息を整える。

 ここは…………。

 

「……おはよう」

 

 まだぼんやりとする頭を声の方向に傾ける。

 暖炉の前にある、揺り椅子に腰かけていたのはキリトだった。

 彼の横顔は揺れる炎に照らされて、憂いを帯びているように見えた。

 

「おはようございます?」

 

 どうやらここは私の借りているコテージのようだ。

 私は持ち込んだソファに横になっていて、赤褐色の毛布を被っていた。

 この毛布は私の持ち物ではない。

 上体を起こすと、防具を身に着けたままなことに気がつく。脇には鞘に収まった剣もあった。

 

「なにがあったかは覚えてるか?」

「えっと……。なんだったっすかね……」

 

 思いだしてみる。たしか早朝の森へ散歩に出かけたのだ。それから……。女の子を見つけて……。えーっと……。どうしたんだったか……。

 

「んん? つまりなんでキリっちがここにいるんすか?」

「……倒れてたんだよ。森で。覚えてないみたいだな」

 

 つまりキリトは私を担いで、ここまで来たと?

 

「それって不法侵入っすよね。しかも寝てる私を使っての。……なにか私に変なことはしてないっすよね?」

 

 キリトがカーソルカラーをオレンジに変えないでこのコテージにいるということは、気を失っていた私の手を使って扉を開けたのだろう。

 私はわざとらしく自分の肩を抱いて、キリトにアピールしてみせる。

 

「ご、誤解だ!」

「あっ……。ごめんなさい」

 

 ハッと我に返る。調子に乗り過ぎた。

 

「今のは悪ふざけが過ぎたっすね。キリっちは助けてくれたっていうのに……。その、寝ぼけてたってことで、見逃してくれないっすか?」

「……別に気にしてないさ。あと誓ってなにもしてないからな。――それと、エリの寝室に一緒に倒れてた女の子を運んでおいたぞ」

「あの子っすか」

「なんなんだ、彼女? カーソルが表示されなかったんだけど」

「さあ。私も見つけたばかりだったっすから」

「プレイヤー、だよな?」

「さあ? 本人から話を聞いてみないことにはなんとも言えないっすねー」

 

 私はソファから立ち上がり、身体の節々を伸ばす。

 それから防具と武器をメニューウィンドからストレージに収納した。

 ここが現実世界なら身体を痛めていただろう。

 

「とりあえず様子、見てみるっすか」

 

 私はキリトを伴って、寝室へ向かった。

 意識のないうちに寝室をキリトに見られたわけだが、見られて困るような物はない。

 なにせ引っ越してきてまだ数日で、しかもいつ別の場所へ移動するかわからないため荷解きもしていないのだ。寝具は元々あった物を使っている。

 

 木で作られたベッドの上では、白い布団をかけられた少女が眠っていた。

 まるで童話に出てくるお姫様のような、あどけない寝顔だ。

 年の頃は8か9歳くらいだろうか。かなり幼く見える。

 

「なんだろう……」

「どうしたっすか?」

「いや。気のせいかもしれないけど、サチに、似てるなって」

「…………髪型だけっすよ」

「そう、だよな……」

 

 もっというなら、前髪だけだ。

 人のことをとやかく言える立場ではないが、キリトもだいぶ重症なのかもしれない。いや、彼の私服を見れば重症なのは一目瞭然か……。

 

 少女はサチに似て線の細い身体つきだが、だいたいの女性はそうだろう。……私は例外。

 髪色は――似ている。少女もサチと同じ紺色だ。珍しい色ではないし偶然の一致だ。

 だが似ていない。サチは首が露出するくらい短く切り揃えたものを使っていたが、この少女は腰辺りまである。

 

「いやでも右目の泣きぼくろの位置とか……。ほら、そっくりだろ?」

「そうっすね。キリっちの記憶力、舐めてたっす」

 

 1年半も前なのによくそこまで覚えているものだ。

 もしかして記録結晶に保存でもしているのだろうか?

 だが言われてみれば……。怖いくらいに似ている。

 

「サチの幽霊、とかっすかね?」

「だったらいいんだけどな」

 

 キリトの反応は冷めていた。言っててないなと、私も思う。

 

「まあいいっす。とにかく起こしてみるっすか。――起きるっすよー。お昼っすよー」

 

 少女をとりあえず揺すってみる。

 意識のない人間を揺するのは本来危険なのだが、ここは現実ではないため大丈夫だ。

 

「ふふっ」

「なんすか?」

「なんか母親みたいだなと思ってさ」

「………………」

「どうかしたか?」

「あー、いや……。なんでもないっすよ」

 

 私は少女を再び揺する。

 ……母親はこういうことをするのが普通なのだろうか?

 想像がつかないなあ……。

 

「駄目そうだな。――ひとまず昼食にしないか? 実はまだなにも食べてなくてさ」

「しかたないっすね。でもなんにもないっすよ。その辺のNPCに買いに行くっすか?」

 

 料理スキルがないので、今朝の小鳥は調理できない。

 チェストには味気ない保存食があるが、流石にそれを振る舞うわけにもいかない。

 

「リズから弁当を預かってきてるからな。抜かりはない」

「ほほー」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 リビングで食べた弁当の味はそこそこ美味しかった。

 そこそこというの低級アイテムだからしかたがないことだ。

 現実では当人の腕で味が決まるわけだが、スキルで作成したアイテムはレシピによって味が決まる。使用アイテムの消費量で微細な変化はつけられるが、失敗しないようレシピ通りにしたためか、この弁当は食べたことのある味だった。

 味はともかくだ。――これはとても嬉しい。

 作成者の名前はリズベット。わざわざ料理スキルを取得して、作ってくれたのだろう。

 彼女には一生頭が上がらない気がする。

 

「ご馳走様。美味かったな」

「そうっすね」

 

 弁当はキリトの分も当然あった。……抜け目がないなあ。

 

「今朝、リズに様子見に行くなら届けてって頼まれてさ」

 

 2人の仲は進展しているのか、していないのか。微妙なところだ。

 リズベットには結城さんに勝ってもらいたいし、応援をするのも吝かではないが……。

 まあ無理だろう。相手が悪すぎる。あの結城さんが相手ではなければと思わずにはいられない。

 決着が着いていないのはおそらく、サチが天国からその位置を、文字通り死守しているためだろう。だがその牙城もいつかは崩れ去る。

 なにせ人間は忘れる生き物だ。苦しいことも悲しいことも時間が消してくれる、はずだ。そうでなければ困る。

 

「時間取らせちゃったっすね。攻略の方は行かなくていいんすか?」

「今日は、いいかな」

「そんなんでいいんすかあ? 最前線はクォーターポイントの75層っすよ。少しでも情報集めておかないと」

「俺じゃなくても情報は集められるだろ。それに急がなければ、それだけ周りのレベルも上がるしな」

 

 わかり易い、優しい嘘だった。

 

「キリトにも迷惑かけっぱなしっすね……」

 

 先日のフロアボスに引き続き、だ。今年の私は問題を起こし過ぎである。それもかなり重たい問題ばかり。そのほとんどが私に責任はないとはいえ、キリトには申し訳なく思う。

 

「いいさ。それに、迷惑をかけられなくなる方が不安だ」

「それはそれで、どうなんすかね」

 

 迷惑をかけるのがデフォルトだと思われるのは心外だ。

 だが言い返せないくらいの頻度で迷惑をかけているのは事実……。

 そろそろなにかしらの形で借りを返さなければ不味いだろう。なにかあったかなと、簡単に思案をしてみる。

 

「よし。それじゃあ私からひとつ、プレゼントとするっすか」

「そんな気を使わなくていいぞ」

「まあまあ。受け取りやすいものっすから。というわけで食後の運動をするっすよ」

 

 私は鞘走りを使ってチャキンと剣を鳴らす。

 

「なるほどな。そいつは楽しみだ」

 

 キリトもストレージから剣を取り出した。

 私たちは外に出ると剣を抜刀する。ここは圏内なのでHPが減る心配はない。

 互いの距離は手始めに10メートル。突進系ソードスキルの間合いで、通常の剣の間合いからは外れる距離。

 

「キリっち。盾は?」

「いやいい」

「そうっすか。じゃあ最初はそれで」

 

 折角だから久々に盾の使いかたをレクチャーしようと思っていたのだが、まあいいか。

 私はもちろん盾を出して構える。リズベットから貰った特注品の大盾だ。

 防具は軽装でAGI重視。剣は重量級の短いやつ。対人戦ではリーチがある方が有利なのだが、あえてセオリーから外す。

 

「ハンデは欲しいっすか?」

「そっちこそ、いらないのか?」

「言うっすねえ」

 

 キリトも私も不敵に笑う。

 どちらも剣の腕に絶対の自信を持ち、負けるはずがないと思っているのだ。

 サチのいた頃に遡るが、当時の戦績は私が大きく勝ち越している。

 だがあれから随分経った。キリトだって日々成長しているのは知っている。それはステータスだけでなく、技術という意味でもだ。なにせ最前線は停滞を許さない。

 対して私はここ最近ブランクがあり過ぎた。正月に攻略組からの引退に始まり、ユナの件以降は満足に対人戦もしていない。最近になってPvEの感覚を取り戻すように鍛錬はしたが、最盛期からは遠のいたと思う。

 

「じゃあ早速、3」

 

 キリトが下段に、私は中段に構える。

 

「2」

 

 私は横に足を運び、キリトは応じて向きを変える。

 

「1」

 

 互いがソードスキルの前兆となるエフェクトを輝かせた。

 

「うぉおおおおおおお!」

「――ハッ」

 

 キリトは突進系ソードスキルを使――わない。

 待機モーションのまま姿勢を低く走る。

 私も当然ソードスキルは不採用。左半身を前に出した守勢の構えに移る。

 ファーストアタックはキリト。彼の黒塗りの剣が私の盾に弾かれてエフェクトの火花を散らす。

 右手の重剣をチラつかせる。キリトは体術のソードスキルを放てる余力が残っていた。

 シールドバッシュ。彼の動きを抑え、体制を崩しにかかる。

 左手を封じたが、その間に彼の剣が防御圏に引き戻されている。

 じゃれつくような浅い突き。キリトは容易く切先を上へ逸らすが、予定調和。

 シールドバッシュ。反撃の出鼻を挫き、再びイニシアチブを奪う。

 いや、キリトが動いた。突き払ったモーションから剣を振り下ろす。

 私はグリップ部分、鍔と指の間でそれを受け止める。鍔近くの刃は最も威力が低い。肘をクッションにするとキリトの剣は簡単に止まった。

 変則的な鍔迫り合い。STRではキリトの方がわずかに上のようだが、制したのは私だ。

 鍔で絡めてキリトの剣を払い、引き戻した刃で首を狙う。

 彼は防御は間に合わないと見るや、体ごと後退して回避を試みる。

 擦れるような弱い感触。直撃ではないが、切先は彼の首を捕らえた。

 圏内なので斬れることはない。

 

「今のはヒットじゃないだろ?」

「くふふ。いいっすよ、それでも」

「………………」

 

 圏内戦闘のルールはデュエルによる一撃決着モードに近い。

 ダメージがないため、勝敗はクリーンヒットの先取となっている。

 元々は身内で使っていたルールなのだが、ALFで正式採用されたのを機に昨今ではプレイヤー間に浸透していた。

 ちなみに今の首への攻撃は、私の判定ではノーヒット。

 有効ダメージを与えられるものではないからだ。あれでは1割も削れないだろう。

 

 私たちは今度は5メートル程度の距離で構え直す。

 一歩では足りない、間合いから外れた距離。

 私はじりじりと円運動をして隙を窺う。

 キリトは静かに上段に構えると、間合いに跳びこんだ。

 ガードは間に合うが、受ける素振りを見せつつ後退。

 空を斬らせ剣を押さえつけるように盾を押し込む。

 私は細かく足を前に出して、体重を乗せたシールドバッシュを刻む。

 そのまま視界を奪い、左右の持ち手をチェンジ。

 キリトは体術系ソードスキル『閃打』を使うが、盾だけを弾く。

 伸びきった腕。最短とはいえ硬直時間のあるソードスキル。

 大盾を変わり身に、影より飛び出した私は下段に正しく構えている。

 輝く前兆エフェクト。

 逆袈裟から始まる3連撃のソードスキル『シャープネイル』が、キリトの胴体を斬った。

 

「――クッ!?」

 

 HPを削る代わりに、衝撃エフェクトが飛び散り、キリトの身体が仰け反る。

 2回の斬撃はノーガードで命中。最後の1回は剣でガードをされたが、仕切り直すには十分のノックバックを与えた。

 

「まだっすよ!」

 

 勝負としてはこれで決着だが、手は止まらない。

 一呼吸吐くまでが練習。ここから抜け出すか、斬り返すまで終わりにはならない。

 私は空いた右手でジャブを放つとキリトは左手でそれを逸らす。

 剣はこの距離では近すぎ、組み合って満足に振るえない。

 押されているのはキリト。ステータスでは勝っているが、慣れない左右対称の攻撃にテンポを掴めないようだ。

 足を踏みつけようとしたところ、キリトが大きく後退する前兆を見せた。

 剣の逆手持ちにして、鍔を絡めて剣を奪いにかかる。

 ディスアームは実力差が大きくないと成功しない技だ。上手く隙を突いたが、キリト相手に成功はしなかった。

 けれど剣を奪われることに、意識を奪われたキリトは体幹が疎かになる。

 絡めた鍔は剣ではなくキリトを引き寄せた。

 

「――シッ!」

 

 体術系ソードスキルで最大の単発威力を誇る『エンブレイサー』の貫手がキリトの喉を穿つ。

 視界を覆うエフェクトは威力のほどを訴えるものだ。

 

「うぉおおおおおおお!」

 

 キリトは苦し紛れの反撃に、片手で行える体術の連撃系ソードスキルを選んだが悪手だ。

 私はカウンターを受けつつも足技のソードスキルでキリトのバランスを崩す。

 右手の自由を奪ったままのため、彼は操り人形のごとく思い通りに動かせた。

 キリトは地面に仰向けに倒れていく。当然されるがままではない。

 彼はその姿勢からどうにかソードスキルの待機モーションをひねり出した。どのような体勢でもソードスキルは重力の枷から使用者を解き放ち、システムに書かれた動きを再現させる。

 

 ニヤリとキリトが笑った。

 

 キリトの剣を、逆手持ちのままの剣で軽く小突くとモーションが不成立となり、剣が纏ったエフェクトの光が霧散する。

 物理演算無視のソードスキルは成立しなければなにも起こらない。

 キリトはそのまま地面に倒れ、私は彼の右手を剣で縫い付ける。もっとも、圏内の安全コードに阻まれて失敗するのだが。

 

「まいった……」

 

 キリトの降参で私は彼の手に突きつけた剣を外し、空いたままの右手を貸して立ち上がらせる。

 私は少し離れた場所に跳んでしまった大盾を拾って、キリトは服に付いた土汚れを払った。

 

「やっぱりエリは強いなぁ……」

「対人戦のエキスパートっすからね。場数が違うんすよ」

 

 勝てたのが嬉しく、ちょっと調子に乗る。

 

「そんなエリ様から、ありがたい総評をひとつ」

「攻め方が雑っす」

「うぐっ……」

「一度も崩せてないっすよ。あえて言うなら、一番最初の突撃が及第点っすね」

「ひとつ、言わせてもらっていいか?」

「どうぞっす」

「その盾はなしにするべきだった」

「だから最初に確認したじゃないっすか」

「そうだけどさあ……」

 

 軽減値を計算しない圏内戦闘訓練では、この大盾は非常に有利だ。

 なにせ軽い盾と広い盾。その両方の利点を使える。

 両手武器による重攻撃を相手しないのであれば、この大盾は圏外での対人戦でも極めて高い適性を持つ。

 

「だからこそ丁寧にやるべきだったっすね。負けた原因は技術や装備じゃなくて、精神の部分っすよ。上手くいかないとき、焦れて力押しに頼るのはキリっちの悪い癖だったっすね」

「おっしゃる通りです」

 

 つまり根性論である。気合いがあれば勝てるという意味ではない。

 この場合、精神的に負けていたことがキリトの敗北したと原因だと言える。

 それは以前の経験。私が教える側で、キリトが教わる側だったというもののせいだろう。心のどこかで勝てないという疑惑があれば、それは剣に想像以上に伝わる。それが隙に繋がり、誤った技を選ばせる。

 これを読み取ることが、剣を交えれば心が伝わると言われる所以なのだと、私は感じていた。

 

「そんなキリっちから見た総評はどうっすか?」

「うーん……。盾をあんなふうに投棄していいのか? 有利な部分を捨てるほどの展開じゃなかったと思うけど」

「たしかにそうっすね……。私も体術スキルがあるんでいけると思ったんすけど、早計だったかもしれないっすねー」

 

 私にも急いたところはあったか……。

 有利を自ら捨てるという心理の裏を突いた決まり手だったが、実戦は一本勝負ではない。盾を捨ててからも戦闘は続くのだ。

 あのまま押し込めて勝利に持って行けたのは結果論でしかない。

 

「距離を取ってクイックチェンジで新しいのを出すか、どうにかして拾えば……。それでいけるんじゃないっすかね……」

「そんな隙、見逃してもらえるかなあ」

「次はそれでやってみるっか?」

「盾を落とした状態から始めて、距離は5メートルくらいか?」

「キリっちも当然、盾を奪いにきていいっすよ」

「うっ。バレたか……」

「キリっちは今度は丁寧に攻めるんすよー」

「わかってるよ」

 

 私たちは再び剣を構えてカウントを始めようとしたのだが……。

 

「――鼻歌か、これ?」

 

 かすかに聞こえる優しいハミング。

 この旋律を私は知っている……。

 これは、ユナが最初に歌っていた曲だ……。

 声はコテージの中から聞こえていた。

 コテージの中には少女しかいないはず。チェストの中に仕舞ってあった録音結晶を使ったのかと勘繰った。

 しかしユナのハミングなどあっただろうか?

 キリトと私は目を合わせると、すぐに寝室へ向かった。

 

 寝室の扉を私は慎重に開ける。

 腰には帯刀したまま。果たして少女は――ベッドに横たわったままだった。

 目を閉じたまま少女はハミングを続けている。

 いつまでも聞いていたくなる心地よいメロディーだ……。

 

「起きてくれ……、頼む……」

 

 キリトが少女を揺すると、唇の動きが止まり、瞼がゆっくりと開かれていく。

 夜空に浮かぶ満月を彷彿とさせる琥珀色の瞳が、至近距離にいたキリトを見つめ、続いて私に向けられる。

 意思の感じられない瞳は、数度の瞬きで徐々に感情を取り戻していく。

 

「あ……う……」

 

 薄桃色の唇がわずかに開かれて、その間から音がこぼれる。

 

「よかった……。なにがあったか覚えているか?」

 

 少女はしばらく考え込むと、首を横に振った。

 

「名前は、言えるかな?」

「…………ゆ……」

「ゆ?」

「……い…………。ゆ、い……。わたしの、なまえは、ゆい……、です……」

 

 ふと、彼女の頭上にカーソルが表示される。カラーはグリーン。

 

「ユイちゃんか。俺はキリト。こっちの人は――」

「エリっす」

「きい……と。エ、リ…………?」

「君はどうして22層にいたんだい? パパやママは一緒にログインしてるのかな?」

「わかり、ません……。なにも、わからない……」

「一度にそんな聞いちゃ駄目っすよ」

「あ、そうだな。ごめんな……」

 

 ユイと名乗った少女は、首を横に振る。

 

「お腹、空いてないか?」

 

 ユイはお腹を押さえて少し考えると、今度は首を縦に振った。

 キリトはしてやったりといった表情を私に向けた。

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