複数入手してしまったリトルネペントの胚珠をそれぞれアニールブレードに交換した私は『はじまりの街』へ踵を返していた。
道中ホルンの村へ向かうプレイヤーや、一昨日私たちがレベル上げに使っていた平原でエネミーを狩る集団と擦れ違った。
彼らの目には怯えはなく、明日へ向かう活力に溢れているようだった。
道中のエネミーは更新した武器の前では敵ではなく、襲いかかってくれば無造作に放ったソードスキルで鎧袖一触にした。
はじまりの街には昼時には到着してしまう。
何故ここに来たのか。理由はわからない。
噴水広場に辿りつき、待ち合わせの場所に腰かけた。
はじまりの街に残っているプレイヤーは未だ混乱の中にあるらしく、外へ出て戦闘を行うプレイヤーとの差は一目瞭然だった。
彼らは一様に精気の抜けた顔をしている。
私は今、どんな顔をしているのだろう。
そんなことはどうでもいいか……。別に見られて困るわけじゃない。これからどうしよう。お腹空いたな。ご飯食べよう。眠いな。宿取ろう。動きたくないな。寝てよう。暇だな。散歩に出掛けよう。
思いつくことを行動に移し、数日が経った。
今日もまた、気が付くと噴水広場の隅に座っている。
バリボリと硬いパンを口に詰め込み、私と同じような瞳をしたプレイヤーが通り過ぎるのを眺めていた。
コルが底を尽きるまでどのくらいかかるだろうか。ストレージのアイテムを売れば1カ月は持つか。計算するのは面倒だ。なにも考えたくない。
「……そんなところにずっといたら、風邪引いちまうゾ」
声をかけてくるプレイヤーなんていないと思っていたが、目に映った人物は真っ直ぐ私を見ている。
気だるげに視線を向けると金褐色の髪をした小柄な女性プレイヤーが立っていた。
プレイヤーネームは『
βテストのときちょっと有名になっていた情報屋などという変わったことをするプレイヤーだった気がする。
「風邪のバステなんてものまであるんすか?」
「さて、そいつはどうだろうネ。安くしとくよ。50コル」
「じゃあ買うっす」
「まいどあり」
アルゴはそれからプレイヤーが風邪のバッドステータスにかかった話は聞かないが、風邪薬なるアイテムを要求されるクエストがあることを話し、入手方法まで明かした。
もしプレイヤーが風邪をひくようなイベントがあれば、風邪薬を使用してみればいいだろうというアドバイス付きで。
「つまりここにいても風邪をひく可能性はないんすね」
「ま、そういうこったナ」
「この情報屋、偽情報握らせたっすよ」
「おいおい人聞きの悪いこと言うナよ。いつオイラが偽情報なんて掴ましたんダ?」
「最初に風邪ひくって声かけたじゃないっすか」
「そいつはアレだ……。挨拶みたいなもんだロ? 心配してやったんだからトゲトゲするんじゃネエよ」
「別にいいっすけどね」
空を眺めると青ではなく茶色い岩肌の2層の底が見える。
「どんくらい死んだんすかね」
「今朝の時点で1000くらいだったヨ」
「テキトウ言ってるんじゃないんすよね。ソースはどこっすか?」
「んー、10コル。いやウソウソ。黒鉄球に蘇生者の間があったロ? あそこに生命の碑っていうオブジェクトが設置されててナ。そいつには全プレイヤーの名前が表示されてて、死んだやつの名前には二重線が入るって仕組みサ。あー……。じゃあやっぱりあいつらは……」
無言で立ち上がり、私は黒鉄球へ向かおうとする。
「オイオイ。もうちょっとお姉さんとお話ししようゼ。あー、わかったヨ。しょうがネエ、ついて行ってやるヨ」
蘇生者の間は、βテスト時のリスポーン地点だった。
もしかしたら死んだプレイヤーもそこにいるんじゃないか。あるいは死んだと思ったのがなにかのトラブルでアイテムを落としただけで実は生きてるんじゃないか。
そんな希望をこれっぽっちも信じていないのに、私は1万人の名前が並ぶ石碑から3人の名前を探した。
アルファベット順に並んでいるそれから、名前を見つけるには時間はかからなかった。
3人の名前は灰色になり二重線が引かれていた。
「あー……。泣くなヨ……。お姉さんが泣かしちまったみたいじゃネエか……。ほら、ナ? 落ち着こうゼ。頼むヨ」
目元をごしごしと服の袖で拭う。
感情表現がオーバーなこのゲームでは少し悲しい気持ちになると簡単に涙が出てしまう。現実での私はこんな泣きやすいタイプではなかった、と思う。
「いい店知ってんだ。話なら聞くゼ」
アルゴは町はずれにある小さな寂れた店に案内した。
看板を掲げられてはいないが、中は食事処らしくいくつかのテーブルが設置されているがどれにも人は座っていない。
カウンターの向こうでは店主が無言で皿を拭き続けていた。
アルゴが注文したものと同じものを頼むと、厚くスライスされたハムと野菜の挟まったサンドイッチが出された。
今朝食べていた黒パンが嘘のような軟らかな食感と、滴る肉汁に驚かされる。高いだけあって美味い。
「それデ、なにがあったんダ?」
私はゆっくり今までのことを語った。
4人でホルンの村へ向かったこと。
リトルネペントと戦ったこと。
シザースパイダーというエネミーが現れ苦戦したが倒せない程ではなかったこと。
突然パーティーメンバーの1人が消失して追い詰められたこと。
それから……、エネミーもパーティーメンバーも消えて遺留品が地面に転がっていたこと。
アルゴはどのくらいのレベルだったのか。攻撃方法はなんだったのか。対処方法はなにを試したのか。その結果どうなったのかを聞いてきた。
促されるままに私は、それを洗いざらい答えた。
「そいつはたぶん、通信エラーダ」
「そんなこと、あるんすか?」
「茅場が言ってたロ。2時間の接続猶予時間があるってナ。その間にオイラたちの身体は病院なんかに運ばれたんだろうヨ。時間が進んでたのに気が付かなかったカ?」
つまりあの敗北は偶然だとか理不尽だとかじゃなく……。
「運が悪かったナ」
単純な見落としが原因だったのだ。
考えればわかるだろうに。現実と同じ姿をしていてもここはゲームの中。現実の身体がそのままゲームの中に吸い込まれたわけではないのだ。
現実の身体はしかるべき処置をせずに放置されればすぐに死んでしまう。政府などの働きかけで保護されようとも移動中常にオンラインにしておくのは難しい。だから茅場晶彦も2時間の猶予を設けたのだ。
「自己嫌悪っすね……」
「そう気を落とすなヨ。もうこんなことはナイだろうしナ。俯いてたら美人が台無しダゼ」
「わかりきったお世辞は結構っす」
「ハハハ。それだけ言い返せれば十分ダ。なんかあったら安くしとくゼ」
「それじゃあ早速っすけど、パーティーメンバーの当てを紹介して欲しいっす」
「条件ハ?」
「βテスターでソロ。性格がまともで、可能なら会話上手な人っすかね。あとは……若くて顔がいいと高評価っす」
「図々しくナ。そんなヤツは流石にいねえヨ。優良物件はいたとしてもソロでなんてやってねえダロ。――あ? あいつはギリギリいけるナ」
「マジっすか?」
「会話上手かって言われれば微妙だガ、会話下手でもねえシ。ゲーム好きなら話は合うだろうからイケるだろうヨ」
「なんで捉まえてねえんすか?」
「放し飼いにしてんだヨ」
「逃げられそうっすね」
「ウルサイ! 5000コルで交渉までしてやるゾ」
「じゃあさっきの情報料でいいっすよ」
「……4000コル」
「
「3000コル。この店の情報料も含めてダ!」
「奢ってくれるだけの甲斐性があったら払ってもよかったっすけど。1000コル」
「3800」
「1000っす」
「3500」
「みみっちいっすね。いいっすよ3500くらい払ってやるっす」
「……なあ、その金ってヨ」
「ご想像に任せるっす」
「貰えるんならオイラはいいけどナ」
遺留品の中にはコルが含まれていたので私の所持金は結構余裕がある。
使わない防具や武器も換金したから尚更だ。
「それといくつか売りつけてほしいアイテムがあるっす。分け前は売値の一割でいいっすよ」
「仕事の話は大歓迎だゼ」
シザーソード、それと複数本あるアニールブレードも自分で使う物以外はコルに変えてしまう算段を立てる。
アルゴがしくじる可能性も考えて、最初はシザーソードだけにしておくべきか。それともまだ数の少ないうちに高値で売り払わせるか……。
思い出の品として手元に残すつもりは甚だなく、できることなら視界に入れたくもなかった。
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後日アルゴに紹介されたプレイヤーの名前は『Kirito』。
細いシルエットに、ナイーブそうな瞳。結ぶほどはないが長い綺麗な黒髪をした人物で、綺麗というよりも可愛い印象を受けるのは困った表情をしているからだろう。
身長はそこそこあり私よりも大きい。
抜刀斎と同じで全身黒色の装備をしているが――たぶん隠蔽ボーナスを狙ってのことだろう。ソロで活動してるらしいし。
武装は片手直剣オンリー。私と同じでアニールブレード持ち。
「初めまして、っていうのもおかしな話かな? 俺はキリト。5層のフロアボス攻略以来、だよな?」
「そ、そうっすね」
「男性だったんすか」という台詞をなんとか飲み込んだ。
彼の口から出たのは女性にしては低い声色で、イントネーションなんかも男性のものだった。
男性だと思って見れば、たしかに胸もないし骨格も女生とは違う。
あと、彼の名前は覚えがある。
βテストのときにフロアボスのラストアタックを2回も決めたプレイヤーで、かなりの使い手だ。
なんでソロで活動してるんだろう?
「それで……」
「彼女がお前とパーティー組みたいって話でナ。同じβテスト組なら問題ないダロ?」
「一応はな」
歯切れの悪いキリトの回答。
頼まれてしぶしぶやってきました感を隠す気もないようだ。
「嫌なら無理にとは言わないっすよ……」
「別にそういうわけじゃないんだけどな。臨時パーティーは組んだことがあるけど、長期間組むとなると初めてでさ」
コミュ障、と言わないまでも人間関係が面倒くさいタイプなんだろうか?
私も人の事言えた義理ではないが。
「エリにゃんさん、でいいのかな?」
「エリで、お願いします……」
なんでこんな名前付けたんだろう。前やってたMMOでの名前だからってそのまま使ったのがいけなかった。文字で見る分と言葉で発音するのではかなり差がある。それに生身の自分に言われてると考えると羞恥心だけでHPが削られそうだ……。
「エリは今までパーティー組んでた事は?」
「それなりには。色々あって解散したんす……」
「そうなんだ。けど相性ってあるだろ? だからひとまずこの階層がクリアされるまでってことでどうかな?」
「そうっすね。私としては助かるっす」
生理的に受け付けないんでごめんなさいと言われずに済んでよかった。遠慮して言わなかったのかもしれないけどさ。
「ヨシ! オイラの仕事はここまでだナ。それじゃ、邪魔者は馬に蹴られる前に退散するゼ。2人とも仲良くやれヨ!」
ひらひらと手を振って去っていくアルゴ。
それを尻目にキリトは深いため息を吐いた。
「なんか弱みでも握られてるんすか?」
「え? いやそういうわけじゃないんだけどな」
「嫌なら合わなくて解散したって伝えておくっすよ」
「そうじゃないんだ。……ただ、相手が女の子だと思わなくてさ。ちょっと緊張してる」
「ゲームの中なんすからそんな気にしなくてもいいと思うっすけどね」
「見抜きさせていいですか」なんて声をかけてくる変質者もβテストのときにはいたけども、ゲームの中じゃ抜けないだろう。さっさとログアウトしろ。でも現在ログアウトはできないからそういう問題も起こらない――よな?
ただ溜息の理由は私が女だったからではないだろう。人付き合いが苦手なのが大半。それとアルゴのことだ。上手く口車に乗せて情報料の代わりに連れて来たんじゃないだろうか。
「そうかな? そうだな。じゃ、どこ行こうか?」
「武器の強化素材は集め終えてるっすか?」
「丁度途中だな」
「じゃあぼちぼちその辺からってことで」
「あんたは…………、いや。なんでもない……」
「そうっすか」
キリトが言おうとした言葉の続きはだいたい予想できる。予想できたうえで私は気にしていない素振りをした。
「あんたはいくらで買ったんだ?」
彼が言いたかったのはきっとそんな言葉だろう。