私たちは様子を見に礼拝堂へ向かった。
扉の前で右往左往しているユリエールは、鉄灰色のフード付きケープに身を包み、顔を隠しているようだった。
彼女の空色の瞳が私を捉えると、安堵の後に一滴の涙を流した。
それから彼女はよろよろと歩み寄り、両手で私の手を握る。
「お願いします。シンカーさんを、シンカーさんを助けてください!」
悲痛な叫びにも似た、震える声でユリエールはそう言った。
サーシャはただ事ではないと感じ取り、子供たちを別室へと追いやっていく。
彼女を奥の小部屋へ通して落ち着けていると、サーシャが戻ってきてお茶を出す。
ユリエールは長身の大人びた女性だ。仕事も出来るタイプで、頼りがいのある人物だったが、今の彼女の背中は子供のように小さく感じられる。
「すみません、取り乱してしまって……」
「いいっすよ。それで、シンカーさんになにがあったんすか?」
「ええ。その前に。――はじめまして、になるでしょうか。ALFのユリエールです」
「月夜の黒猫団、ギルドマスター代理。キリトだ」
「KoB副団長のアスナです」
「ユイです!」
錚々たる顔ぶれだ。その中で浮いてしまっているユイを彼女は不思議そうに見たが、すぐに気を取り直して話を続ける。
「この度はエリさん、延いては皆さんに御助力をお願いしに来ました。ALFのギルドマスター、シンカーさんが罠にかけられ、ダンジョンの奥地へ放逐されてしまったのです」
「誰の仕業っすか」
「サブマスターの……キバオウが主犯です」
私はこめかみを抑えた。
「彼は重要な話があると言ってシンカーさんを呼び出し、回廊結晶でダンジョンの奥地へ強制転移させてしまいました。私はどうにか逃れることが出来ましたが、代わりにシンカーさんは……」
「それってポータルPKじゃないっ!?」
回廊結晶こそ高価であるが、その条件さえ満たしてしまえば比較的簡単に実行できる、PKの手法だ。
それは私に随分馴染み深い。やる側としても、やられる側としても……。
「その通りです。皆さんは74層の件はご存知ですよね? あれ以前からもキバオウ派は徐々に支持を失っており、ギルドマスターであるシンカーさんに注目が集まり始めていたのです」
「74層の無謀な攻略はそういうことだったのか」
そういえば、それが私を排斥しようとした原因だったか。
「キバオウが実権を握るようになってからも、シンカーさんは小さなコミュニティを通して一般プレイヤーの皆さんと親しくされていたのですが、それが徐々に大きくなり、エリさんの失踪で表面化しました。シンカーさんの派閥にエリさんの派閥の大部分が吸収され、キバオウの派閥がついに崩れかけて、それで彼はこんな強硬策に打って出たのだと思います」
以前からもこうした暗殺めいたことはやっていたが、ユリエールを取り逃がしたことを鑑みるにPoHたちとは本当に縁が切れているそうだ。
そうでなければこれが大きな罠という可能性もある……。
ユリエールが例え嘘を吐いていなくとも、利用されていることもあり得るが……。
「不躾ですが、どうか彼の救出に御助力願えないでしょうか……」
「私たちに出来ることなら協力したいのですが……。でもそのためにはこちらで最低限のことを調べて話の裏付けをしないと……」
「それは、当然、ですよね……。ですがフレンドリストの彼の名前がいつ灰色になるかと思うと、おかしくなってしまいそうで……」
ユリエールの瞳が潤むのを見て、アスナの表情が揺らいだ。
だが彼女とてギルドの舵を切るプレイヤー。感傷で動くことがいかに危険か理解しているはずだ。
かといって、この話に裏付けを取る手段があるとは思えない。おそらく黒鉄宮内部で行われた犯行。口を割れるような人物には当然協力させていないだろう。
シンカーがキバオウに会いに行って帰ってこない。
聞き出せるのはせいぜいこの程度か。その前提条件は疑っていない。問題は背後関係だ。
それを洗い出すことができるのか。本当に何も無いのかもしれないが、それはそれで厄介だ。
悪魔の証明。存在しないものを証明することは絶対的には難しい。可能性の話をすれば限がないからだ。そして存在するのなら私たちだけでは手の施しようがない。
「行こう。お姉ちゃん……」
ユイが琥珀色の瞳で私を見つめる。
強い瞳の色だ。私の望んで止まない強さが宿っている。
形こそアスナに似ているが、そこに込められた意思は様々な人を想起させた。
中でも一際輝いて見えるのは彼の印象だろう。
MTDの頃にいた、私の後輩。――ユウタのことだ。
「疑って後悔するよりは、信じて後悔しようぜ」
「キリト君……。そうよね。私も、そうしたい……」
生者の瞳も私を押した。
「行くっすか」
――
今の私は不敵に笑えていた。勝負の世界では負けると思ったやつは大抵負ける。
「ありがとございます……。ありがとう、エリさん……」
ユリールは頭を何度も下げた。今日はやけに頭を下げられる日だ。
「それで、そのダンジョンってどこにあるんだ?」
「ここです。はじまりの街の中、黒鉄宮の地下にあります……」
▽▲▽▲▽▲▽▲
慣れ親しんだダンジョンの石床に降り立つ。
私に続いて転移のエフェクトが輝き、他のメンバーもすぐに揃った。
このダンジョンへの入り口は一カ所だけ。それは監獄エリアから続く水路で、当然ながら監獄エリアには警備の目がある。
おそらくそこにはキバオウの手の者が配置されており、通り抜けることは不可能だ。
ユリエールは現在ALFから追われる身の上であり、それは私も同様。
ある意味シンカーは監獄に捕らわれているといえる状況だったが、そこへと繋がる鍵は私が持っている。それこそユリエールが私を探していた最大の理由だろう。
監獄エリアはクリスタル無効化空間となっているが、その先のダンジョン全域まではそうではない。私は身を隠しつつ監獄エリアへ帰還するために、マーキングした転移結晶を常備していた。
それを使い私たちはここに侵入した次第である。
「ここに、こんなダンジョンがあるとな……」
「じめじめしてますね」
今回の作戦にユイは同行を願い出た。
アスナは反対したが、私とキリトがユイのレベルと実力を説明して、しぶしぶ折れてくれた。
ユイの装備は軽装に小盾。細身のスピード系片手直剣を装備している。
タンク役は今回に限りキリトが引き受けた。彼の手には月夜に佇む黒猫の紋章が描かれたカイトシールドが握られている。
アスナは周辺警戒と遊撃。私が二刀流でメインアタッカーを担当だ。
ユリエールはハッキリ言えば足手纏いだが、一応アスナの横につけている。
「出現エネミーはカエルとかスライムとかっすね。途中からアンデッド系に切り替わるんで、その前に声かけるっすよ」
勝手知ったるダンジョンだ。マッピングもほとんど終えている。
「注意事項は?」
「……奥にやばいボスがいるっす。イベントボスなのか、まるで歯が立たなかったっす。交戦は避けたいっすね」
「オーケー。覚えておく」
「お姉ちゃん、行きましょう!」
「ユイ。キリっちの後ろにちゃんとつくんすよ」
「はーい」
ユイは見慣れない場所にはしゃいで剣をぶんぶん振っていた。
ダンジョンは地下へと続く階層構造になっている。それは上層の攻略と同時に解放される仕組みとなっており、階を跨ぐたびにエネミーのレベルも上昇していく。――のだが。
「暇です!」
「あー、ごめんっす。でも今は先に急ぐ必要があるっすから、ね」
「はい! それはわかってます!」
「アスナと交代するか?」
「私偵察スキルないんすけど……」
「なら俺と交代だな」
二刀流のバランスブレイクしたDPSは閉所で雑魚エネミーを狩るのに最適だ。
それを利用してここで荒稼ぎをしていたため、私はそれをよく理解していた。
なにせ本来挟撃が関の山である狭い通路だ。出現するエネミーもそれに合わせたバランスで調整されている。そこに1パーティー分のダメージを弾き出す二刀流をぶつければどうなるか。結果は火を見るより明らかだ。
私はキリトと前衛を交代して、ユイとペアでエネミーを狩り続ける。
途中、ユイがタンクをやりたいと言い出したため、何度かパーティー編成が変更された。
この少人数でそれができるのはかなり贅沢な悩みだ……。
ローテーションで休憩を取りながら進める私たちの足取りは止まらなかった。
「アスナさんとキリトさんの噂はかねがね聞いていましたが、ユイさんもお強いんですね」
「なんせ俺の妹弟子だからな」
「そこは師匠である私を立てるべきなんじゃないっすか?」
「お姉ちゃんの一番弟子です!」
「え、ええー……。俺は……!?」
キリトの困惑する声に、私たちは思わず笑いだした。
「ふふふ。そうでしたか。通りでお強いはずです」
「エリは昔から教えるのが上手かったのよね」
「ん? アスナになにか言った覚えはないんすけども……」
「うちにもMTDから移ってきた人がいるから。昔語りで聞くのよ」
「ああ、なるほど……」
昔は予備隊もあって、それの指導をしていたっけか。
主にタンクの指導をしていたが、それ以外にも陣形や集団戦のノウハウをレクチャーしていた記憶がある。MTDからALFに変わってもそれは続き、今度はPvEではなくPvPの指導を始めたのだったか……。
私も知らないことばかりだったが、それ以上に知らないことの多い部下や後輩へ、実戦で培った技術を体形立ててどうにか教えてきた。足りない戦闘経験を補うためにギルド内でデュエル大会をして、それぞれの武器への対処方法を情報班と検証したりもした。
思い返せば色々やってきたものだ……。
「見ててください!」
「おお! 凄いですね」
ユイの披露した空中ソードスキルにユリエールは驚きの声を上げる。
「あ、駄目っすよユイ! まだ成功率が9割じゃないんすから。下手に使うと危ないっす!」
「ごめんなさい!」
「もう……。仕方がないっすねえ……」
駆け寄ってきたユイを厳しく叱らないといけないのに、ついつい頭を撫でてしまう。
ユイはシステム外スキルを憶えるのが非常に苦手だった。
そもそもシステム外スキルは難易度が高いため教えればすぐできるようなものではないのだが、彼女の学習能力からすれば、それは欠如しているように映った。
「ごめんなさい。エリさん。今まであなたに辛い役ばかり押し付けてしまって」
「どうしたんすか、急に」
私が休憩に入ると、ユリエールは他の3人に聞こえないくらいの声量で言った。
「私よりもずっと若いのに、エネミーの攻撃を受ける大変な役を背負わせてしまった……。それからも私は組織の運営にばかりかまけて、今度は最前線の攻略はあなたに任せきりにしてしまった。沢山の仲間が死んでしまった中で、私はあなたに手を貸さずシンカーさんの側にいるばかり。治安維持隊の隊長に据えておきながら、私は彼と一緒にいられるならキバオウに任せてもいいだなんて思ってました。それが、あんな事態を招いてしまった……。謝って済む話ではありません。ですがどうか謝らせてください。――本当に、すみませんでした」
彼女に恨み言をぶつけても私は許されるだろう。
すべての罪を擦り付けても、子供だったからという免罪符が私にはある。でも……。
目の前ではユイがエネミーに高速の連撃を叩きつけていた。
ユイがそんなことをしたら私は悲しい。許せるけれど、悲しいと思う。
逆の立場だったとしても、そうだ。
だからなにも言えない。
今つけているこのペルソナは、ユイの前にいる限り外れないこのペルソナは――彼女を許す。
「いいんすよ。もう終わった話っす。それよりも、先の話をしないといけなくないっすか?」
「先の話、ですか?」
「そうっす。シンカーが助かっても、キバオウを糾弾できるとは限らないっすよ。なにせ証拠がないっすから」
「そんな! シンカーさんの証言があれば……」
「被害者だけっすからね。キリっちとアスナの証言もあれば有利にはなるっすけど、その先にあるのはKoBとの全面戦争っす」
「エリさんの――いえ……、なんでもありません……」
「そうっすね。それしかないっすよね……」
「ですが……! あなたは十分頑張りました。もう、休まれても、誰も文句は言えません」
「それでも文句を言うのが人間っすよ。私のことを知っている人なんていないんす」
キバオウの勢力がそこまで追い込まれているのなら。
私を支持する一派が確かに存在するのなら。
シンカーと手を取ってキバオウを放逐することも可能かもしれない。それはそれでALFの内部抗争に発展するのだが……。
現在のALFは3000人を抱える大ギルドだ。
その余波がどこまで広がるかは想像できない。
やれることはいつだって同じか……。得意な手段こそ最大の結果を出してくれるだろう。
「まあ、すべてはシンカーさんを無事救出してからの話っすね」
「はい……。そうですね……」
▽▲▽▲▽▲▽▲
進むこと約2時間。
私たちはマッピングデータのある最後の階層へと足を踏み入れていた。
キリトとアスナの広域索敵スキルにシンカーの影がようやく映る。
彼はダンジョン内に点在するセーフゾーンにいるようだった。
「シンカー!」
通路の奥にシンカーの姿を見つけたユリエールが駆け出す。
私は即座に彼女を掴んで静止させた。鎧を着こんだ人間1人分の重量であるが、レベルに裏打ちされた高いSTRの前で簡単に止められる。
「ユリエール。来ちゃ駄目だ!」
シンカーの叫び。だがそれは悪手だ。
音に反応したエネミーが十字路から姿を現す。
――『The Fatal scythe』。
翻訳すれば『運命の鎌』、か。
擦り切れた黒いローブを身に纏う巨大な人影。フードに隠れた顔は骨となっているが人間のそれではなく、眼球の嵌っていたであろう窪みが4つある。その暗い空洞には赤い光が灯っていて、縦に開いた顎がケタケタと笑う。
武器はその名が示す通り鎌。柄の長さは10メートルはあろうかというほどの大鎌だ。
ここの通路だけがやけに広いのはその所為だろう。
頂くHPバーの数は4本。フロアボスと言われても納得の性能である。
「手筈通り行くっすよ。ユリエールさんは下がっておくっす」
タンク装備3人によるスイッチで時間を稼ぎ、その間にアスナがシンカーを救出。
この場を離脱した後に転移結晶で帰還というのが概要だ。
「……お姉ちゃん」
「どうしたんすか、ユイ」
「今まで、ありがとう」
「………………」
「ユイちゃん!?」
ユイが走り出す。
彼女の手には剣が握られていない。
慌ててアスナが手を伸ばすも、ユイは信じられないスピードでそれを振り切った。
駆けるユイの手に炎のエフェクトが現れる。
それは瞬時に燃え上がり、渦巻く紅蓮の輝きの中ではポリゴンがひしめき合っていた。
ポリゴンは細長い形状に収束すると、剣の形となってオブジェクトが生成される。黒鉄の剣は膨張しユイの身の丈を超える大剣へと変貌した。
ボスが大鎌をユイへと叩きつける。遠心力を乗せた大振りの一閃だが、その巨大さと速度は回避を容易にさせない。
ユイはそれを難なく盾を持たない左手で受け止めた。
『Immotral Object』。
ユイのかざした手と鎌の間にはそう書かれた障壁が現れ、鎌は1センチも前に進めない。それどころか本来あるはずのノックバックさえ発生させず、ユイはその場に留まっている。
ユイの持つ剣の炎が勢いを増した。
刀身が灼熱で溶融する金属の輝きを放ち、通路は痛いくらいの赤に染まる。
輝く大剣をユイは片手で一振り。
ボスは怯えるようにガード体勢を取るも柄がなんの抵抗感もなく溶断された。
それだけではない。ボスの身体には剣の軌跡を示す跡が残されていた。見慣れたダメージエフェクトとは異なるそれは、侵食するかの如く燃え広がり巨体を包み込むと跡形もなく消失させる。
死亡演出はない。ただただ消え去ったのだ。
役目を終えたと言わんばかりに大剣も消え去り、炎は瞬く間に鎮火した。
後に残されたのは静寂だけだ。
「ユイちゃん……。あなた……GM、だったの……?」
首を横に振るユイ。
「いいえ違います。私は『メンタルヘルス・カウンセリングプログラム』、MHCP試作1号、コードネーム、『Yui』です。今のは、そこにあるシステムコンソールにアクセスして、オブジェクトイレイサーを呼び出して消去したにすぎません」
ユイはすぐそこのセーフゾーンにある、不自然な大理石のオブジェクトを指さして言った。
「ユイちゃん、記憶が……!?」
「すみません……。それは嘘だったんです」
「ユイ。やっぱり君はAI……だったんだな」
「はい。私はこのゲームの基幹システム、カーディナルが対応できない、精神性由来のトラブルを解決するために作成された、メンタルケアプログラムです」
ユイは悲しそうに目を伏せた。
「ナーブギアの特性を利用し、プレイヤーの精神をモニタリングして悩みを聞くための存在だった私ですが、ゲームが開始されたその日、カーディナルから予定にない命令を受け取りました。それはプレイヤーへの一切の干渉を禁ずるというものです。具体的な接触の許されない私はモニタリングのみを続けました」
それは茅場晶彦が行った操作だろう。
「状況は最悪でした。多くのプレイヤーが精神に多大なダメージを受けている状況で、私は赴いてカウンセリングを行わなければならないのに、その権利がない。矛盾する思考ルーチンの中で私はエラーを蓄積させていきました。エラーは限界まで蓄積しており、私は特にダメージの大きいプレイヤーへカウンセリングを強行することにしたのです」
「それが私っすか」
「はい……。カーディナルの監視を欺くために、私はクエストNPCを作成してそのアバターを操作しています。モデルとなったのはカウンセリングのため、エリさんに馴染み深い方々のデータを参考にしました」
サチを基盤に。瞳と髪型はアスナ。声はユナ。性格は……たぶんユウタに似せてある。
年齢を低く設定したのは安心感を与えるためだろう。弱く見えるというのは、それだけで警戒されにくい。
「お姉ちゃんと、キリトさんは、察していたようですが……」
「ああ。君は……サチにあまりにも似ていた」
「………………」
「ずっと騙していて、ごめんなさい。この涙も、全部作り物なんです。感情模倣機能が、そういう結果を算出しているだけなんです……」
ユイはそう言いつつも、人間のように泣いていた。
その涙を見て、私は悲しいと感じる。
ユイがプレイヤーでないのはわかっていた。わかっていて、受け入れていた。
プレイヤーであるのか、NPCであるのか。彼女と触れ合って、その境界線に意味がないのだと私は気づいたからだ。
私もユイも、その身体を構成しているのはデータの集合体だ。
けれどユイには現実の身体はない。それでも……。
「それでもユイは、私の妹っす……。だから、なかないで……」
抱きしめたユイの身体は温かい。
この温もりだけが真実だ。
例えパッチワークで組み立てたアバターであっても、ここにいるユイは、私の妹は彼女だけだ。
「おねえちゃん……」
視界が涙で滲む。
情けなく鼻をすすって、強く、強く、ユイを抱きしめた。
私の背に回された小さな手が、私を必死で抱きしめている。
「おわかれなんて、いやだよぉ……」
ユイの涙に震える声が、聞きたくなかった言葉を口にした。
「お別れって、どういうことなの!?」
「たぶん、クエスト期限だ……。クエストは一定期間クリアされないで放置されれば、自動的に失敗扱いになってデータが消去される。そうしないと、プレイヤーに付随するデータでサーバーが一杯になってしまうから……」
キリトはどうにか論理的に説明する。
私もそれは知っていた。いつかユイとお別れしなければならないということを。
目を背けてきた現実が、再び私に牙を剥いていた。
「わたしが、いなくなっても、おねえちゃんは、もう、だいじょうぶ、ですよね……」
「駄目っす! ユイがいないと、もうだめなんすよ……」
「あはは……。わたし、最後まで、失敗しちゃった……」
「失敗だなんていわないで。ユイは、なにも悪くないんす。悪いのは、全部、私っす……」
これは私が弱かったというだけの話。
ユイは上手にやってくれた。ユイのおかげでアスナとも友達になれたのだ。
全部、ユイのおかげなのに。私は彼女になにも返せない……。
「アスナさん……。おねえちゃんのこと、おねがいします」
「うん。うん……。ありがとう、ユイちゃん……」
アスナはか細い声で答えた。
「キリトさん……。おねえちゃんを、なかせたら……、ゆるしませんからね!」
「ユイ……」
キリトの感情を押し殺したような淡々とした声が聞こえる。
「ばいばい。おねえちゃん。わたし……、おねえちゃんのいもうとで、幸せでした……」
「ユイ! 嫌っ! 嫌だよ! 行かないで! ユイッ! ユイー!!」
ユイの、身体が、ぼやけて、消えていく。
それはまるで世界から色が消えていくかのように……。
私のたった一人の、本当の家族が――。
腕から感触がなくなり、私は空を抱いた。
「ああ……。ああ……。あぁあああああああああ!!」
暗いダンジョンの奥底で、彷徨う粒子の名残が、キラキラと輝いていた。
彼女がそこにいたことを示す温もりが、この手をすり抜けて、だんだんと消えていく……。