レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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47話 微睡む剣士たちの前奏曲(4)

「ユウキー。開けてほしいっすー」

 

 ユウキのロビールームでインターホンを押す。

 数秒で玄関が開かれ、ユウキが現れる。

 相変わらず元気な笑みを浮かべる彼女の格好は、水色のオフショルダーに白のフリル付きスカート。VRの世界でも季節感を感じさせる春服だった。

 

「いらっしゃい。今日は早いね」

「ん?」

 

 時計を見ると、スリーピング・ナイツのメンバーとの約束した時間より2時間も早い。

 どうやら数日前のキリトたちとの待ち合わせと記憶がごちゃごちゃになって、間違えたようだ。

 

「あー……」

「全然いいよ。ボクもちょうど暇だったんだ。あがってあがって!」

 

 ユウキの後に続いてリビングに通されるが、当然誰もいなかった。彼女がゲームにログインせずにロビールームにいたのは偶然だろう。

 

「先にALOにログインしておく?」

「うーん。ユウキはどうしたいっすか?」

「それじゃあ早速ログインして――なにかあった?」

 

 突然、ユウキは心配そうに私の顔を覗き込んできた。

 

「いやあ……。レア掘りしてたのに全然ドロップしなくて……。それでちょっと落ち込んでたんすよ」

「ふうん?」

 

 咄嗟に吐いた嘘。

 私は嘘を吐くのが得意な方だ。SAOで過ごした2年間がそれを物語っている。

 今回も自分では上手く取り繕えたつもりだった。だがユウキは私の心の内を見透かしたかのように、表情からは疑問が消えていない。

 

「あのね、エリ。言いたくないなら無理にお願いするのはきっと駄目なんだろうけど……。でも、ボクには本当のことを言ってほしいな」

「………………」

 

 他の嘘に比べればまだ可愛い類のものだったが、それでも足が竦む。

 言えば嫌われるから? 違う。

 たぶん私は弱みを見せるのが怖かったからだ。会って間もない彼女にそこまで寄りかかることはできない。

 冗談を織り交ぜながらなら甘えられる。例えばリズベットにそうしているように。

 でも今はそんな雰囲気でもない。

 それにまだ余裕もあった。かつてほど追い詰められている気はしないのだ。

 だから……、大丈夫なのだ……。

 

「じゃあさ。ボクの話、聞いてもらえる?」

 

 ユウキはシステムコンソールを操作して、テーブルの上に積まれていた紙のオブジェクトを仕舞うと、ココアの注がれたマグカップを出現させる。

 テーブルには湯気の立つ白いマグカップと、藍色のマグカップ。

 彼女は白いマグカップを手に取って、向かいの席に藍色のマグカップを置いた。

 私は促されるまま席に座り、ココアを一口。

 甘い液体が喉を通って身体を温める。

 

「いざ話すとなると、緊張するね」

 

 ユウキはぎこちなく笑った。

 彼女は一度、私の持ったマグカップに視線を落とす。

 だがそれは少しの間だけ。深呼吸をして意を決すると、強い瞳で顔を上げた。

 

「ボクね……、そろそろなんだって」

「そろそろって……?」

「昨日、あらためて余命宣告されちゃった」

「………………」

 

 スリーピング・ナイツのメンバーは皆、明るい人たちばかりだから忘れていた。

 彼らはなんらかの病に侵され、治る見込みのないない者たちなのだということを。

 いつもいつもこうだ……。

 どうしてこんなことばかり起こるのか。

 デスゲームは終わったというのに、私の周りには未だ死神がうろついているらしい。

 

「あと……、どのくらいなんすか?」

「1年だって」

 

 1年、か……。だいぶあると思えるのはここ最近の濃密な時間感覚のせいだろう。

 それだけあれば覚悟するだけの期間があるし、ユウキとは知りあってまだ間もない。私のせいで死ぬわけでもなく、傷は浅く済みそうだ。

 ――私はそう自分に言い聞かせた。

 

「ボク、生まれて間もない頃にHIVに感染しちゃって、3年くらい前にAIDSが発症したんだ。今はメディキュボイドっていう医療用フルダイブ機器のテスターをやってて、無菌室にいるから感染症はだいぶ抑えられてたんだけど、身体の中にある菌まではなくならないから、免疫力の低下で色々発症しちゃうんだって……」

 

 ユウキは少しだけ早口に喋っていた。

 VRではありえないはずなのに、唇が渇いているような気がした。

 マグカップに手を伸ばすが、ココアを飲む気にはなれず掴むのを止める。私は代わりに取っ手を指でなぞり、手の震えを誤魔化した。

 マグカップを見ていた視線をユウキに向けようとすると、途中で彼女の手元が映る。

 ユウキも私と同じように、手元のマグカップを指先で無意味に回していた。

 

「ボクのこと、気持ち悪いって思う?」

「全然思わないっすよ」

 

 その言葉は案外簡単に出た。

 そういう病気への偏見が社会的に根強いのは知っている。でも偏見など私には関係のない話だ。ここでのユウキは死期の近い少女に過ぎない。

 そうでなくともHIVの感染経路はとても限られているし、この仮想世界ではそもそも肉体的接触など起こりようもない。

 

「はあ……」

 

 暗いというよりは、安堵のような溜息をユウキは漏らす。

 

「嫌われたらどうしようって、実は心配してたんだ。勇気を持って話してよかった。これ皆には内緒だよ」

「怖がってたことをっすか?」

「それもあるけど、病気のことも。こういう話は皆とはなかなかしないからね」

「なんで私には話してくれたんすか?」

 

 スリーピング・ナイツのメンバーは、私よりもユウキと親しいだろう。

 友情は時間ではないだろうが、それでも私たちの関係はまだ短い。

 

「エリはこの前、うっかりだと思うけど話してくれたでしょ。エリだけ話してボクは内緒にしてるのは狡いんじゃないかなって。あとは丁度いい機会だったからかな」

「あれは……。暗黙の了解なんてわからないっすよ!」

「まあそうだよねー」

 

 顔を見合わせて、お互いちょっとだけ笑った。

 今度こそマグカップは持ち上がり、甘い液体が渇いた喉を潤してくれる。それは錯覚のはずだが、私の口も幾分か軽くなった気がした。

 

「……私の話もしていいっすか?」

「うん」

「――お母さんが、お見舞いに、来たんすよ」

 

 言葉を1つ紡ぐ毎に呼吸が苦しくなって、息を吸う。

 酸欠のように頭から血の気が引いていくにもかかわらず、私は話すことを止めはしなかった。

 

「たぶん家族仲は良くないんすよ……。私は親不孝者っすから仕方ないんすけどね。それで……。お母さんにどうして生きてるんだって言われちゃって……。私がSAOサバイバーなのって言いいましたっけ?」

「……この前、言ってたよ」

「SAOってナーブギアの電源を落としても死ぬように設計されてるんすけど、お母さんがアミュスフィアの電源を落としながら、もっと早くこうしてればよかったって……」

「………………」

「それって、私に死んでほしかったってことっすよね?」

「………………」

 

 わかりきったことユウキに問いかける。

 ユウキは言葉を詰まらせた。

 そんなことはないと言ってほしかったわけではない。ただ、聞いてほしかった。

 

「これでも私、結構お母さんのことは好きだったんすよ。だから余計ショックで……。それはもちろん、私が悪いんすよ。散々迷惑かけたっすから。でも、やっぱり……。辛いっすね……」

 

 怒ると恐い人だが、それでも私には母親なのだ。

 私は厳しく育てようとする彼女から愛情を感じていたし、それに応えたいと思っていた。

 だからこそあんなに必死に勉強を頑張ったわけで、SAOではアスナをあれほど避けることになってしまった。

 母親が好きだったのは優秀な娘だった。

 跡取りではなくとも、その能力如何ではいくらでも利用価値があったことだろう。最終的に政略結婚の道具にされようともよかったのだ。そういう家柄だというのは幼少から教えられていたし、それ自体に反発はなかった。

 他人から見れば歪で不幸な関係に映るだろうか?

 それでも私にとってはかけがえのない家族で、大好きな母親だったのだ。

 過去形で語るのは、私がその関係を崩してしまったからに他ならない。

 

「仲直りとかは――」

「無理っすよ。失った時間は戻らないし、汚点はどれだけ拭っても消えないっす。それを消し去れるような功績を立てられるほど、私は才能のある人間じゃないっすから」

「厳しい人なんだね」

「それはもう。一番じゃないと許してくれない人だったっすから」

 

 苦笑いで答えるも、今度は一緒に笑ってもらえなかった。

 

「……まあしょうがないっす。友達もいて、私は満足してるっすから」

「そっか」

「ああ、でも……。ユウキにこんなこと言ったら失礼なんすけど……」

「いいよ。今のボクはなんでも受け止めてあげられるから」

 

 ユウキは真っ直ぐ私を見つめる。

 私よりも年下なのに、あと1年で死んでしまうというのに、とても、とても強い瞳をしていた。

 まるでこれから生きるはずだった何十年という歳月を薪にくべて燃え上がたような、真似できないほどの強さだった。

 

「……友達と、一緒の学校に通いたかったっすね。もちろんユウキと一緒に授業を受けるのは楽しみっすけども。でも、SAOサバイバーの学校も通いたかったっす。向こうではあんまり一緒にいられなかった友達がたくさんいたっすから。私がいないところで皆が楽しそうにしてるんだろうなって考えるとどうしても嫉妬しちゃうっすよ」

 

 最後は冗談のように笑って誤魔化した。

 けれど全部本音だということをユウキには見破られている気がした。

 

「そうなんじゃないかなって思って……」

 

 ユウキは嬉しそうに顔を綻ばせると、さっき仕舞ったのだと思われる紙のオブジェクトを取り出して、私へ差し出した。

 仮想世界ではわざわざ紙の形にしなくとも、文書データをやりとりできるが、こちらの方が読みやすいという人間は少なからずいる。たぶんユウキもそうなのだろう。

 紙面は流し読みするには専門用語が多く難解だった。

 医療系とVR機器について書かれていることまではわかったが、彼女がなにを伝えたいのかは、少し腰を落ち着けて読まなければわからない。

 

「ボクはアミュスフィアじゃなくて、メディキュボイドっていう医療用フルダイブ機械でここにログインしてるんだ。アミュスフィアよりも高出力の電磁パルスで体感覚をインタラプトできるものなんだけど、主治医の先生がフルダイブ技術を使えばもっといろんな病気を治療できるって話をしてたの思いだしたんだ。例えば目の見えない人に風景を見えたりなんかができるらしいんだけど、もしかしたらエリのこともなにか助けができないかなって。それで――」

 

 ユウキは私の手の中から一枚の紙を引き抜いてテーブルへ広げた。

 

「オーグマーっていうAR機器が春頃に発売するみたいなんだ。覚醒状態のまま脳にアクセスできる機械らしいんだけど、それを医療技術に使う話はないのかなって調べてみたら、丁度モニターを探してるところなんだって。ロックドイン症候群――脳は正常だけど体に出力できない人もVRではコミュニケーションを取れるんじゃないかって研究があって、これはそのAR版」

 

 オーグマーの基本モデルは耳にかける程度のヘッドセットくらいのサイズだが、紙面に表示されている医療用のモデルは、首回りに装着するやや大型の物だった。

 

「エリはフルダイブになら接続できるから、もしかしたらって思ったんだけど」

 

 ユウキの話を土台に、紙面を読み進めてみる。

 どうやら現実の身体をVRアバターとして読み込み、覚醒状態で操作するらしい。

 成功例も確認されているが、そちらは健常者のデータだった。

 そもそもロックドイン症候群の患者は一部のケースを除けばフルダイブでも身体を動かせないらしく、検証は難航しているらしい。

 他にもVRアバターに限界があり、現実の肉体を完全に再現するのは難しいともある。

 SAOは実に高度に再現されていたが、それでも本来あってしかるべき機能の多くが存在しないでいた。それらはゲームであれば不要な要素であるが、実生活では不可欠なものである。

 その辺りのデータを収集するのも目的なのだろう。

 ともあれ、上手くいけば私は再び自分の身体で歩き回ることができるかもしれないということだ。

 

「その……。なんて言ったらいいか……。ありがとう。――これ、全部ユウキが調べてくれたんすよね?」

「えへへ。流石に全部じゃないよ」

 

 そうは言うが、これだけ専門的知識のいるものに目を通すのは並大抵じゃできない。元々医学や情報処理の知識があれば違うのだろうが、そういうわけではないだろう。

 まだ会って間もない私のために、ここまで力を尽くしてくれるユウキは本当に凄い人だ。

 

「それにどうなるかはまだわからないしね。でもボクはエリならきっと上手くいくって信じてる」

 

 根拠はきっとないのだろうけど。

 その言葉が私を支えるために言ってくれたのだということくらい、理解している。

 

「けど、これが上手くいったらユウキと一緒に学校は……」

「いいんだよ。ボクはほら、最後まで一緒にはいられないからね。学校も休みがちになっちゃうだろうし。それにスリーピング・ナイツも……。あー……。もうすぐ解散なんだ」

「それってどういう……」

「スリーピング・ナイツはボクの姉ちゃんが作ったギルドでね。元々は9人いたんだけど、去年で3人、先に行っちゃった」

 

 ユウキは窓ガラスから庭の花壇へ視線を向ける。

 そこには藍色の紫苑が咲き誇っていた。

 

「2カ月前、姉ちゃんが死んじゃったときに、次に誰かがいなくなったら解散しようって話が出たんだ。ジュンやノリはまだ反対してるけど、たぶんそうなる。つまりエリが最後のメンバーってことになるのかな」

 

 ユウキは今にも泣きそうな顔で笑っていた。

 それだけお姉ちゃんが大切な人だったのだろう。

 彼女はすっかり冷めてしまったココアを勢いよく飲むと、指で潤んだ目元を拭った。

 

「1人くらいは元気になって送り出したくてさ。だから、エリには頑張ってもらわないとだね」

「そう言われたら引き下がれないっすね」

 

 頑張れと言われるのが嫌いな人は多いらしいが、私は好きだ。

 

「それにしてもユウキって頭良かったんすね」

「えー。それってあんまり良くなさそうって思ってたってこと? これでも模試の結果はかなりいいんだけどなあ」

「今日話して、イメージが変わったっすよ。凄く頑張り屋なんだって伝わったっすから」

 

 模試の点数は今やったらたぶん負ける。

 なにせ私は3年もサボっていたわけだし、ユウキの成績は本当に良さそうだ。

 だが私が言いたかったのは成績というよりはIQの話。おそらくこの会話に持っていくために、ある程度のプランニングはしたのだろうと窺える。

 彼女がSAOにいたら、さぞ強豪プレイヤーになっただろう。

 剣の腕という意味だけではなく、派閥的な強さという意味でもだ。

 

「最近、私って助けてもらってばっかりなんすよね。だからユウキにもなにか恩返しがしたいんすけど。なにかほしいものとか、してほしいこととかないっすか?」

 

 SAOが始まってから、一方的に助けてもらうことが多くなった。

 それ以前は、助けてもらうなんてこと自体がなかったのだが、これは視野が広くなったのか、それとも助けられるほど問題に触れる機会に会っているのか。

 後者な気がするため素直には喜べないが、助けてくれた人にはできるかぎり恩を返したい。

 特にユウキは……、時間に限りがあるのだから、後回しにはできない。

 

「んー……。今のところはないかなあ。考えておくね」

「おーい」

 

 インターホンが押されて、外からジュンの声が聞こえた。

 

「そろそろ時間だね」

「ユウキ」

「ん?」

「ありがとう」

「どういたしまして!」

 

 この日はスリーピング・ナイツのメンバーでアルブヘイム・オンラインをして遊んだ。

 彼らは他のファンタジーゲームで腕を鳴らしていたというだけあって、皆高いプレイヤースキルを持っていた。

 私たちは子供に戻ったかのように日が暮れるまで遊び歩き、最後にユウキは余命の話を皆にした。

 涙を流しながらそれを聞き届け、ジュンもノリも、次に誰かがいなくなったら解散するという話を呑んだ。

 余命が残りわずかと宣告されたのがユウキだけではなく、シウネーもだったのが大きかったのかもしれない。

 彼女の残された時間もユウキと同じであと1年ほどらしく、来年には私を除けば4人になってしまうとのことだった。

 

 何度触れても人の死は……、悲しい……。

 人はいつか死ぬのだとしても。どうしてこんなにも悲しいことが溢れかえっているのか。

 私はこんなに悲しいのに、ユウキとシウネーは笑っていた。

 2人は自分の終わりを知りながらも、最後の瞬間まで精一杯生きるのだろう。

 

 私はこんなに精一杯生きようとしたことがあっただろうか?

 SAOでは何度となく命の危機に瀕したことはあったが、そのすべてを自暴自棄に潜り抜けて来た覚えしかない。

 最後にはユイという存在を得て、死にたくないと思えるようになったが、それは彼らのような強さとは別のものだ。

 私も2人のように。スリーピング・ナイツの彼らのように、精一杯生きてみたい。

 今日、ユウキから貰ったのは医療用オーグマーのテスター応募だけじゃない。彼女の名前の通りに生きる勇気を渡されたのだ。

 

 

 

 だからだろうか。

 

 私はこの日、夢を見た。

 

 それはSAOで人を殺す夢だった。


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