レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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50話 微睡む剣士たちの前奏曲(7)

 御徒町駅の改札口から徒歩数分。

 商店街から狭い路地に入り込んだ先にある、木目のアンティーク調な店構え。

 SAOの街並みに紛れ込んでも違和感のないその建物の扉には、『Dicey Cafe』と掘られた金属プレートと、サイコロの意匠。サイコロに引っかけてある木札には不愛想な文字で『本日貸し切り』の文言。

 重厚な扉をアスナが体重をかけて開けると、洒落た店内に見慣れた顔を見つけた。

 

「よう、迷わなかったか?」

「オーグマーとユイちゃんのナビが優秀だったからね」

「こんばんはキリトさん!」

 

 元気に挨拶をするユイ。

 ここにいる全員がオーグマーを装着しているため、ユイの姿はARによって目に出来ていた。

 

「どうも。こんばんわっす」

「おう。あんたとは向こうじゃ商売敵だったが、張り合いがあって楽しませてもらったよ。だがまあ、今日は俺の奢りだ。気にせず楽しんでいってくれ」

 

 身長190センチの大柄な黒人男性エギルは、SAOと変わらない姿でカウンターの後に立ちずさんでいた。

 彼との直接的な接点はフロアボスの攻略のときにパーティーを組む程度だったはずだ。彼は第一層からタンク役を引き受けていたソロプレイヤーで、その実力を私は高く買っていた。

 だが彼は攻略組とは別に商人プレイヤーという顔があり、そちらの方が彼にとっては印象深いのだろう。ALFはそのプレイヤー規模によって物流を牛耳っていたためだ。私の部署でないため実は関係がないということは、ALFのギルドメンバーでなければ伝わり難いことである。

 

「こっちじゃカフェを出す予定はないっすから、安心してくださいっす」

「そいつはありがたい」

 

 エギルはニカっと表情を崩した。

 

「は、初めまして! エリさんと同じ学校に通ってるシリカといいます」

「初めまして。あたしはそこに和人お兄ちゃんの妹の直葉っていいます。あたしはSAOサバイバーじゃないんですけど、今日はお兄ちゃんについてきちゃいました」

「実はあたしも、皆さんみたいな攻略組じゃなくって」

 

 店の端では自己紹介が始まっている。

 珪子ことシリカは、学校で私たちがオフ会の話をしていたのをタイミングよく聞きつけ「あたしも参加しちゃ駄目でしょうか?」とおねだりをしてきたために同行していた。

 直葉ことリーファとはALOで何度か顔を合わせたことがある。彼女はシルフの腕利きで、掲示板なんかだと最強談義に上がるほどのトッププレイヤーだ。

 

「遅かったじゃないのよー」

 

 リズベットが背後からしなだれてきた。

 さらに私の鎖骨に頬擦りする彼女はいつにもまして大胆だ。

 よく観察するとバーカウンターには、先程までなかった赤茶色の気泡が立つ液体の注がれたグラスが置かれている。

 位置的に、リズベットがそこに置いたと考えるのが自然だ。

 

「酔ってるんすか? エギルさん。私にもリズに出したのと同じのを」

「………………」

 

 エギルは無言で氷を入れたグラスに2種類の液体を注ぎ、細長いスプーンでかき混ぜる。

 カランカランと氷のぶつかる音。

 カットレモンを縁に添えて、黒いストローが差される。

 それから彼は私の前にコースターを敷くと、その上に丁寧な手つきでグラスを置いた。

 

「ノンアルじゃないっすか……」

「当然だ」

 

 飲んでから一言。

 甘みのある炭酸飲料からは、アルコールの風味が感じられなかった。

 

「お姉ちゃんお姉ちゃん!」

「どうしたんすかユイ」

「新作です。どうぞ!」

 

 ユイがAR上に、焦げ茶色の液体が注がれたグラスを表示させた。

 冷えたガラスと水滴の手触り。強く握ろうとすると硬質な反発感がするものの、終いにはグラスに指がめり込んで中の液体に触れてしまう。

 手を緩めてグラスを持ち上げ、液体を口に含むと辛い味わいとアルコールの風味が鼻から抜けていく。この味はまさしくウィスキーだ。

 

「そいつを俺にもくれないか?」

 

 エギルがユイから新たに生成されたオブジェクトを受け取り、飲み干すと同時に顔をしかめた。

 

「おい。店は開かないんじゃなかったのか?」

「………………」

「はぁ……。時代の流れは恐ろしいもんだよ、まったく……」

 

 まさにその通りで、こうしてここに座っている私も、主観としてはほとんどこのARオブジェクトと同様の存在だ。

 なにもない空間に表示しているからすり抜けが起こっているだけで、これがグラスなどに被せるよう表示したものなら違和感はほとんどないだろう。

 数値として設定された虚構と、現実に存在する物質。その境界線を私はほとんど認識できない。SAOでの2年間、そして現在の身体がデータ出力されたものであり、現実としての本物の感覚は遠すぎて思いだせないでいる。

 視覚と味覚はハッキリは普通の人と同じなのはせめてもの慰めになるが……。

 

「それにしてもクラインのやつら遅いな。通話にも出ねえし、どこで道草食ってるんだ……」

 

 しばらくしてエギルがそう苦言を呈した。

 時計を見ると予定時刻を1時間もオーバーしている。

 

「もしかして、オーディナルスケールのイベントバトルに行ってるんじゃないか?」

「はあ!? なによそれえ。私は我慢してるのにー」

「あ、いや。まだそうと決まったわけじゃないからな」

「どうやらここから近いみたいだな」

 

 検索をかけてみると、秋葉原で行われるという公式サイトの告知が見つかった。

 ……ここから一駅の距離だ。今から行っても十分間に合う。

 

「ちょっと様子見て来るよ」

「そういって、あんたこっそり参加してくるつもりでしょ!」

「うぐっ……」

 

 キリトを(たしな)めるリズベット。ここは助け舟を出そう。

 

「いいんじゃないっすか、行ってみても。風林火山のメンバーを抜いてやってるわけにもいかなっすからね」

「そうだよなあ」

「調子に乗んないの!」

 

 そう言われながらもキリトはしれっとショルダーバックを持っていこうとした。

 あの中にはおそらく専用のスティックコントローラーが入っているのだろう。

 

「私も行こうかな」

「アスナまで! わかったわかった。じゃあ皆で行きましょ」

「俺はここに残ってあいつらが来ないか待っててやるよ。混んでるだろうから気をつけろよ」

「悪いなエギル。埋め合わせは今度するよ。……クラインがな」

「期待しないでおくさ」

 

 店を出る直前、珪子はユナのテーマソングを口遊んでいた……。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 秋葉原中央通は歩行者天国が敷かれ、雑多な賑わいを見せていた。

 キリトの解説では、オーディナルスケールのイベントがなくとも休日の日中であればこうして歩行者天国になっているらしい。

 集まった人々のほとんどはすでにオーディナルスケールを起動しており、ARのアバターを身に纏って、中世ファンタジーとSFを足したような格好をしていた。

 

「「オーディナルスケール、起動」」

 

 キリトたちが、オーグマーの音声認識を使ってアプリを起動した。

 彼らの服装が様変わりして頭上にはプレイヤーネームとランキング順位が表示される。名前は全員VRで使っているもので、格好も面影がある。

 シリカはALOのときに見た青色。リーファは金髪のポニーテルになって緑が基調の服装に。アスナはKoBを思い出させる紅白カラー。キリトは相変わらずの黒コートで、胸元にはわざわざ月と黒猫のマークが描かれていた。

 ただしリズベットだけは赤と黒のカラーリングで、どこかアスナとキリトの中間を感じさせる。

 それぞれの手には武器が握られているが、実際手に持っているのは付属のスティックコントローラーだ。

 武器の種類は射程が短いほど高威力で、剣や槍といった近接武器と、アサルトライフルやバズーカといった遠距離武器、それからオプションの盾に分けられる。

 

「ていうかアスナ! あんたは大人しくしてなきゃ駄目でしょ」

「えー……。ほら、銃ならあんまり動かなくても平気だと思うから、ね? 折角だし私もオーディナルスケールデビューしようかなって」

 

 アスナの手にしているのは両手持ちの遠距離武器。おそらくアサルトライフルだ。

 

「仕方ないわねー。無理はしないでよ」

「はーい」

 

 間延びしたアスナの返事に、リズベットは肩をすくめてみせた。

 

「じゃあ私はエリに付いててやるか。あんたまでやりたいなんて言いださないわよね」

「流石に動けないっすよ……」

 

 オーディナルスケールのイベントエリアはAR処理がされるため、普通のエリアよりもだいぶ自然に動けるとはいえ、激しい運動ができるわけではない。ユイの再設計したプログラムもそこまで万能ではないということだ。

 

「あっ! あたし。あたしがついてます!」

 

 珪子が手を上げてその場で飛び跳ねる。

 ジャンプするたびに彼女のツインテールがフサフサと揺れている。

 

「じゃあお願いするっすかね。そこの……ファーストフード店で観戦してるっすから。終わったら迎えに来てくださいっす」

「おっけー。珪子も、あんまりエリに変なことしないようにね」

「しませんよ!? 里香先輩じゃないんですから!」

「大丈夫です。お姉ちゃんのことはわたしが守ります!」

「あはははは。それじゃあ頼んだわよー」

 

 リズベットたちは手を振りながら、人混みの奥へと進んでいった。

 

「それじゃあ私たちも行くっすか」

「ははは、はいっ!」

 

 珪子とともに入ったファーストフード店は繁盛しているようで、賑わいを見せていた。

 大半の人間がオーグマーを装着しており、すぐそこなんだから参加して来ればいいのにと思わなくもない。

 窓際は満席だったので内側の席を3つ取り、ショートサイズのドリンクだけを購入した。

 

「どうしましょう……。ここからじゃ見えませんよね」

「探せば生放送くらい誰かやってるんじゃないっすか?」

「その手がありました! 流石です先輩!」

「………………」

 

 彼女の褒め殺しにもだいぶ慣れた。

 ユイは気を利かせて手頃なものを探すと、共有表示で珪子と私に画面を送ってくれる。

 

 開始時刻になり、秋葉原の街並みが変貌した。

 街灯の灯りはランタンやガス灯に。背の高いビルは古城となり、コンクリートの道は装飾の施された大理石へ。空は緑がかった月が輝き、厚い雲を不気味に彩っている。

 次々とテクスチャが貼り付けられ、都会の風景が一転してSAOにあるような街並みに塗り替えられていった。

 画面からは歓喜の声が聞こえてくる。

 撮影者がカメラを動かすと、通りの奥に燃え上がる炎のエフェクトが迸っていた。炎は猛りを上げ、いっそう激しく燃え上がると中から巨大な鎧武者が出現した。

 

「あれは……」

 

 SAO第10層ボス――『カガチザサムライロード』。

 なぜあのボスモンスターがここに? 疑問は歩道橋に降り立った彼女の姿で掻き消された。

 回線状況改善のために街のあちこちを飛んでいるドローンがそのままの姿で歩道橋に近づくと、そこから放射された光の中からARアイドル、ユナが現れた。

 

「ああ! ユナですよ! 先輩! ほらほら!」

「………………」

 

 珪子がハイテンションで騒ぎ出す。

 私の隣では、ユイがじっと画面を見つめていた。

 

「皆準備はいい? さあ戦闘開始だよ。ミュージックスタート!」

 

 聞こえてくるのはかつての歌声。けれどこの曲は最近発表されたばかりのもので、SAOで聞いたことは一度もない。

 荘厳で美しい彼女の歌声に合わせて、プレイヤーにはステータスアップのアイコンが表示される。それを皮切りにボスがその巨体で通りを駆けだした。

 

 ボスは近づいたプレイヤーを片手で持った大刀で寸断。大げさな土煙のエフェクトを上げながら次々にプレイヤーを撃破していく。

 生身のプレイヤーがフルダイブのように動けるはずもなく回避もままならない。中には武器や盾でガードして死亡を防げている者もいたが、それは稀のようだ。

 

 なかなかボスに攻撃がヒットしないでいたが、ようやく遠距離プレイヤーの一団が揃えて連射式の銃弾を当て始める。その中にはアスナの姿もあった。

 ボスは武器を持たない左手を構えると、腕の刺青が浮かび上がって白蛇の姿を取る。それが鞭のようにしなり、40メートルは離れていた遠距離プレイヤーたちに襲いかかった。

 さらにそのまま薙ぎ払い。十数人いた彼らのほとんどが撃破されていたが、アスナは意気揚々と立っている。土煙で見えなかったが、どうにかして回避なり防御をしたのだろう……。

 

 遠距離攻撃で足を止めたボスに、再び近距離プレイヤーが襲いかかる。

 その先頭を走っていたのは黒いコートを棚引かせたキリトだ。

 ボスは振り回していた白蛇をすぐさま引き戻すと、両手で大刀を持ってキリトへ振り下ろす。だが当然キリトは盾でそれを防ぎ、競り合いを起こした。

 その間に回り込んだリズベットが背後から片手槌で叩きダメージ。ボスのターゲットが彼女に移って、振り向きざまに横一閃の薙ぎ払いが繰り出されるもリズベットは小盾で難なくガード。バックステップで勢いを逃がし、そのままボスの攻撃圏から外れていった。

 当然攻撃中の隙をキリトが見逃すはずがなく、今度は彼の片手直剣がボスを切り裂く。

 

「桐ヶ谷先輩と里香先輩、息ぴったしですね」

 

 リズベットがふとボスから視線を外した。音は拾えていないが、悪そうな笑みをしてアスナの方を向いてなにかを言っている。

 ボスは挟撃から逃れるべく大きく飛び退いた。

 ソードスキルが使えるわけもなく、容易く距離を離されたがそこに追い縋る緑と金色の人物。

 リーファは、着地と同時に斬りかかったボスの大刀を回避すると、手にした刀で数度ボスの身体を切り裂いた。

 ボスは反撃に3連撃のソードスキル『緋扇』を放つ。上段からの斬り降ろしから、切り上げへ。一拍置いて突きに移行するその技が――当たらない。

 彼女は横へのステップで攻撃を避けながらも、連撃の最中に刀が閃いている。

 

「攻撃モーションの直前に、リーファさんの刀で軌道がずらされています」

「す、すごい人だったんですね……」

 

 ソードスキル後の硬直を狙いリーファは攻撃を重ね、ボスが動き出すと同時に大振りの上段切りが炸裂。ボスの身体が大きく吹き飛び建物にめり込んだ。

 ARのテクスチャは土煙と同時に瓦礫を吐き出し、砕けた建物の中からボスがよろよろと起き上がり、蛇のような長い舌を出して威嚇動作。

 しかしターゲットはリーファではなく別のプレイヤーに向いて、ボスは駆け抜けて新たな犠牲者を増やしていった。

 キリトたちの他には数名のプレイヤーがどうにか肉薄できるだけだが、画面に映る彼らは楽しそうである。私も耳を塞いでいれば楽しめたかもしれない。

 

 それから、リズベットを盾にしてアスナが前線にやってくるというハプニングなどもあったが、着々とボスは攻撃を受け続け、HPバーが残り1本で解放される二刀流状態の連撃モードを見せていた。

 獣人のアバターを着たプレイヤーが躍り出て、ラストアタック狙いのバズーカを撃ち込んだ。

 顔を狙ったのは悪手だった。ボスは寸前で回避に成功して、砲弾が射線上にいたユナ目がけて飛来する。

 

「ユナ!」

 

 思わず声が出るも、その弾頭はユナに当たる直前に歩道橋から飛び出したプレイヤーによって打ち返され、背後からボスへ命中。事なきを得る。

 黒地に紫の模様のコートを着たプレイヤはーそのまま数メートルの高さから落下。華麗な五点着地で勢いを逃がした彼はすぐに立ち上がった。

 

「………………」

 

 ノーチラスだ。

 彼はSAO時代のような動きでボスの刀から放たれた遠距離攻撃の衝撃波を掻い潜ると、懐に飛び込んで片手直剣の突きからソードスキルを彷彿とさせる連撃を行う。

 

「あれ、どうしたんですか先輩? もうすぐ終わりですよ」

「……ちょっとお花を摘みに」

「あ。ごめんさい」

「ユイも個室までついて来ちゃ駄目っすよ」

「も、もうそんなことはしませんよ!」

「……もう?」

「ユーザーコマンドっすよ。ちゃんと待っててくださいっすね」

「そこまでしなくても行きませんから!」

「ユイちゃん。ちょっとお話ししましょうか」

 

 珪子がじいっとユイを見つめているのを尻目に、私は気づかれないようにこっそりとファーストフード店から外へ出た。

 外はバトルフィールドになっていて、不気味な街並みが私を待ち構えていた。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 私が辿りついた時にはすでにボスが撃破される瞬間だった。

 キリトがノーチラスと擦れ違い、大刀と小太刀の二刀流を掻い潜ってその胴体を貫くと、花火のようなカラフルなエフェクトが弾けてファンファーレが鳴る。

 その場から去っていくノーチラスを、私は人混みを掻い潜って追いかけた。

 走ろうとするもなかなか身体は言うことを利かず、すぐに異常検知が視界に表示された。

 それでも無理に足を進め、隣のブロックにある、ガード下の駐車場に入った彼の背に追いつく。

 

「ノーチラス! 私っす! エリ、す……」

 

 息が続かなくなり、バランスを崩しかけて壁に手を突く。

 それでも身体は支えられず、私は床に崩れ落ちた。

 頭がズキズキして汗が止まらない。思ったよりも無茶をしたようだ。

 これでノーチラスが気がつかなければ無駄足になってしまうところだったが、背後から足音が近づき、振り向くと柱の陰から彼が出て来たところだった。

 

「今日、あなたにこうして会えるとは思ってませんでしたよ」

「私、も、っすよ……」

 

 息を切らしながら、柱に寄りかかる。

 ひんやりとしたコンクリートの冷たさで、頭が冷えればいいのだが。

 

「ALFの隊長様がそんな有様とはね」

「はぁ……。はぁ……。そっちは随分とやり込んでる見たいっすね……」

「昔とは違いますからね」

 

 彼の頭上に表示されたプレイヤーネーム『Eiji』。その下にあるランキングナンバーは2。かなりのプレイ人口がいるはずのオーディナルスケールで、その順位は驚異的だろう。

 だがそんなことはどうでもいい。

 

「……あのユナはなんなんすか?」

「…………ユナですよ」

「ユナは死んだはずっす」

 

 私が、この手で殺したはずだ。

 

「あなたのせいでね」

 

 そう言い放つノーチラスの表情は浮かない。それは八つ当たりをしていることを自覚しているかのようだった。

 本当のことを知らないのだということはすぐにわかった。

 もし知っていれば、彼は罪悪感など微塵も抱く必要がないのだから。

 

「………………」

 

 私はこの期に及んでなお、罪の告白ができないでいた。

 我ながら救いようのない人間だ……。

 

「……確かに彼女はまだ本物のユナじゃありません」

「そのうち本物になるみたいない言い方っすね」

「ええ。なるんですよ」

 

 ノーチラスは引き攣ったような、凄惨な笑みをした。

 それは酷く汚い哂い方で、とても見ていられないものだった。

 彼はぶっきらぼうだが、性根の優しい人間だったはずだ。

 こんな……、私みたいに哂う人間では決してなかった。

 お前が彼をこんなふうにしたのだと暗に告げられているようで、胸が苦しくなる。

 

「ユナの脳はあの日破壊されてしまった。でも彼女の記憶は、彼女だけが持っているわけじゃない。SAOにいた連中からそれを奪って繋ぎ合わせれば……。ユナは生き返るんですよ」

 

 その言葉に心酔してるように、ノーチラスは語る。

 彼の気持ちは理解できる。生き返らせたい人間は山のようにいるのだから。それはもちろんユナも含まれる。けれどだ……。

 

「……それはユナによく似た別人っすよ」

「そんなはずない!」

 

 悲痛な叫びが反響して、私の中に響き渡った。

 だが私は知っている。ユイは、失った彼らによく似ているが本人では決してない。

 仮に繋ぎ合わせても、おそらく魂が違うのだ。

 スピリチュアルな言い方をしないのであれば、記憶はどれだけ足しても完全にはならない、というべきか。本人にしか知りえない心の中身が足りないのだろう。

 

「あなたの言い分なんて、この際どうでもいいんですよ」

 

 暗闇に輝く一振りの剣を彼は抜いた。

 無論本物ではなく、オーディナルスケールのものだろう。だがそれには本物の殺意が込められているようであった。

 彼は揺るぎない意思でその切っ先を突きつける。

 

「このまま無抵抗にやられるつもりはないでしょう?」

「……剣なんてないっすよ」

「そうですか。ならせいぜい逃げ回るんですね」

「………………」

 

 私は首を横に振った。

 本物のユイでないとしても、彼の救いにはなるかもしれない。

 あるいは、私の救いにも……。

 ユイのような存在を彼も得ることができるというならば、悪い話じゃない。

 抵抗する理由は微塵もなかった。

 

「SAOでの記憶を、失うんですよ」

「そうっすか。それは困るっすけど……。いや、別に困らないっすかね。ほら。さっさとやっちゃってくださいっす。あー、なるべく痛くはしないで欲しいっすけどね」

「………………」

 

 ノーチラスがシステムウィンドを操作すると、ボスエネミーが現れたときに見た炎のエフェクトが表示される。

 そこから2つの首が伸び、炎が消えると鎧に包まれた巨人が立っていた。

 よりにもよって……。25層のボスとは皮肉が利いている。

 私のオーグマーは召喚されたボスに呼応するようにオーディナルスケールが強制起動された。

 

「ノーチラス」

「今の僕はエイジだ」

「じゃ、エーくん」

「……その呼び方をしないでくれ」

「幸せになってくださいっす」

「――っ!」

 

 間違えた。

 

「さようなら。それから、ごめんなさい」

 

 これも、間違いだ。

 

「ユナを殺したのは、私っす」

 

 これすら、間違いだ。

 これでは勘違いをさせたままにしてしまう。

 その証拠にノーチラスは顔を背けて辛そうにしていた。

 そんな顔をしないでほしい。私はそう思ってもらえるような善人じゃない。

 

「………………」

 

 いい言葉が思いつかず、開けた口を私は無言のまま閉じる。

 ままならないものだ。

 今回は自業自得である。――今回も、というべきか。

 舐め回すように首を伸ばして私を見るボス、『ザ・デュアルジャイアント』と目が合った。

 私の考えなどお構いなしに、戦斧はかつてのように振り抜かれた。

 砂煙を上げ、地面を抉りながらそれは襲い掛かる。

 一瞬の出来事。フルダイブ中ではない私の瞳では目で追うことすらままならない。振り終わった姿勢から結果を逆算して理解できるだけだ。

 視界の上に表示されるHPバーは急速に減少して……。

 

 

 

 今度こそ、私はその刃に倒れた。




 これにて『微睡む剣士たちの前奏曲』は終了。
 次回からはオーディナルスケール後編がスタートです。

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