俺とウサグーは今日もオーディナルスケールのイベントバトルにやってきていた。
開始時刻よりもだいぶ早く待ち合わせをした俺たちは、近くにあるファミリーレストランで情報共有を兼ねて腹ごしらえをしていたところだ。
清掃の行き届いた明るい店内には、他にもオーディナルスケールのイベントでやってきたと思われる客で賑わっていた。
「……どうした?」
「いや、食べ方が綺麗だなと思ってさ……」
「いいから見てないでさっさと食え」
ウサグーは注文したビーフステーキをナイフとフォークで器用に切り分けて口に運んでいる。
彼はライスもフォークで食べているのだが、皿の上にはご飯粒が残らず綺麗な状態がキープされていた。
「このくらいのことで相手に舐められずに済むんだから覚えておいて損はねえ。学校の勉強だけじゃなく、そういうことも学んでおくんだな」
俺のプレートには先に切り分けたチキンステーキ。
それを日本人らしく右手に持った箸で食べていたわけだが……。
皿の上には張り付いたご飯粒がほんの少し。それと負けじと摘まんでぱくつくわけだが、どうにも手際や使っている食器の差で負けた気分にさせられる。
「随分いい生活をしてたんだな」
「それが意外とそうでもない」
つい皮肉を口にする俺を、まるで大人の余裕を見せつけるかのように彼は受け流す。どうにも口の上手さでは敵わない相手らしい。
「それで、重村教授の方はどうだった?」
ウサグーは皿の上を綺麗に平らげると、徐にそう問いかけてきた。
「取りつく島もなかったよ」
重村教授とは、オーグマーの開発者である大学教授だ。
俺は今日、菊岡を通して重村教授の講義を見学させてもらい、わずかながら話をする機会を得た。
彼のゼミは茅場晶彦や須郷伸之といった人物がかつて籍を置いていた、俺にとっては因縁深いやつらの古巣だ。それだけで重村教授が黒だと判断するわけではないが、会ってみた印象では、彼もまた相当に怪しい男だった。
「オーグマーの記憶スキャニング機能については否認。SAO時代の記憶なんて全員が忘れたいものなんじゃないか、だとさ」
「ハッ」
ウサグーは鼻で笑う。
「あとは教授の研究室で娘さんの写真を見つけた。名前は重村悠那。SAOでの被害者らしい」
俺は菊岡から送ってもらった悠那の写真を、オーグマーの共有表示でウサグーに見せた。
その外見は髪や瞳のカラーリングこそ違うものの、顔立ちなんかはオーディナルスケールのイメージキャラクター、ユナにそっくりだった。
「……SAOでのプレイヤーネームは『ユナ』。中層で歌を披露してたプレイヤーで、いくらかコアなファンもいたらしい。死んだのは去年の5月辺りだ」
「知ってたのか?」
「まあ、色々あってな……」
ユナの情報を語ると、ウサグーは煙草を取り出して火をつけた。
彼は無表情で煙を吐き出して、溜まった燃え滓を灰皿に落としていく。
ここは喫煙席ではあるが、慣れない臭いに俺は思わず顔をしかめてしまう。
「自分で吸ってみれば気にならなくなる。一本どうだ?」
「こっちは未成年だぞ」
「冗談だ」
ウサグーは悪戯が成功したのを喜ぶような、子供っぽい笑顔を一瞬だけ見せた。
それはつまらなそうに吸う煙草とは正反対で、やけに印象的な笑顔だった。
「それよりこいつを見てくれ」
ウサグーが画像ファイルを表示して、テーブルの上に置く。
そこにはエイジとユナらしき人物が楽し気に並んで写っている写真があった。
どちらも制服を着ていて、胸には造花の胸章。たぶん卒業式の日に撮影されたものだろう。2人の年齢はかなり若い。俺が菊岡経由で手に入れた悠那の顔写真は高校生のときのものであったが、これは中学生の頃の写真だろうか?
「2人は同じ中学に通っていたらしい。いわゆる幼馴染ってやつだ。高校は別だったようだが、交友は続いていたって話だ。そしてこのエイジの野郎はSAOにいたってことがようやく調べがついた。残念ながらエイジの現住所は不明。家がSAO事件の最中に売り払われてる」
次に渡されたのは文書データ。
そこには『後沢鋭二』という本名と、『ノーチラス』というSAOでのプレイヤーネーム、それからいくつかのプライベート情報が書かれていた。
家が売り払われたのは両親の離婚が原因で、これを読む限りではエイジとユナはSAOで一緒にいたということだった。
「あんた探偵かなにかか?」
「俺が探偵じゃなくとも、金を積めば探偵は雇える」
「なるほど……」
俺もSAOでは幾人かの情報屋とパイプを持っていたが、現実側でそういう相手の協力を得ようとは考えもしなかった。
総務省に勤めている菊岡だけで十分と思っていたからだろう。学生の俺からすれば破格のコネクションだが、かといって菊岡は別段人探しのプロではない。アスナは現実をゲームに落とし込んで考えていたが、俺は攻略という観点でゲームを現実に落とし込むべきだったかもしれない。
「もっとも、ノーチラスに関しての情報は今一つだ。一応聞いておくが、お前は知らねえよな?」
「ああ。攻略組にはいなかったはずだ」
攻略組は100人もおらず、ボス戦にまで出てくるのは最終的にはその半分くらいにまで規模が縮小していた。攻略会議では主要メンバーとも顔を合わせていたたし、幾度となく背中を預け合った間柄であれば忘れろという方が無理がある。
ただし30人ものプレイヤーがあの75層のフロアボスによって失われたため、存命である戦友の数はかなり少なくなってしまったが……。
そういうことから名前までハッキリ覚えておらずとも、顔も知らないやつがいるとは思えない。
「なら中層をメインゾーンにしていたんだろうが……。そいつと親しい人間は今のところ見つかってないらしい。お前は帰還者学校に通ってるだろ? 少し聞き込みして来い」
「わかった。そっちは任せてくれ」
俺は中層で活動していたという数人の友人の顔を思い浮かべると、そのことを心のメモ帳に記憶しておく。
「ユナは生きてたと思うか?」
「いいや。それはない」
えらくハッキリ否定するウサグーは、まるで見て来たような言い草だ。
おそらくはSAOでユナを知っていたからだろう……。
「あのユナは外見だけ似せて作った人形ってところだろうな」
「……あんたはさ。好きな人とそっくりの外見をしたやつがいたとして、どう思う?」
「似てるだけで別人だろうが」
「そう、だよな……」
ユイとサチは外見こそとても似ているが、ユイはサチではない。
そんなことは頭では理解していた。だが理解しているからといって、そう振る舞えるわけではないのだ。ここ最近、理性を感情が押し潰す経験を俺は幾度となくしていた。
もしかすれば、エイジや重村教授もそうなのではないかと思ったが……。
「ただまあ……」
ウサグーは煙草を吹かせて、戯言だとでもいうかのように言葉を続ける。
「――放っておけねえんじゃねえか。好きな女と同じ面したやつが困ってたらよ」
俺に気を使ったのだろうか。
それともエイジや重村教授のことを言ったのだろうか。
あるいは……彼自身のことだったのだろうか。
ウサグーは俺と目が合うとニヒルに笑い、煙に巻く。
「そろそろ行くか」
彼はそう言って、煙草を灰皿に押し付け立ち上がった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
「お兄ちゃんー!」
それが俺を呼ぶ声だということはすぐにわかった。
なにせ毎日聞いてる声だ。間違えることはない。
「誰だ?」
「妹」
軽く流すように走っている割にはかなりの速度を出して、俺の妹である桐ヶ谷直葉は俺たちの元へ迫ってきた。
「スグ、イベントバトルには来るなって言っただろ」
「エリさんみたいに記憶がなくなるかもしれないから、でしょ? 散々聞いたけどあたしはほら、SAOの記憶がないから大丈夫!」
「それはあくまで推測だ。絶対に安全っていう保証はないんだぞ」
「そんなに言うならお兄ちゃんが守ってよね。――もっとも、こっちじゃあたしの方が強いだろうけど」
「確かにそうだろうけどさ……」
俺は早々に止めてしまった剣道を、直葉は律儀に8年間続けている。
その成果として彼女は中学では全国大会でベスト8に入っているし、その技量の高さはALOでも散々見せつけてくれた。
何度かオーディナルスケールでも共闘したが、その度に俺の付け焼刃な筋肉など鎧袖一触にするほどの身体能力を如何なく発揮して、イベントボスを斬り伏せている。
以前自宅でやった腕相撲で3秒と持たず机に叩きつけられたのは、俺がジム通いをする原因の一端を担っていた。
「この人は?」
「ウサグーだ。初めまして、お嬢さん。君のお兄には世話にはなっている」
「………………」
「は、初めまして! 直葉――じゃなかった、リーファです!」
「よろしく」
直葉は背筋を正して――いや元々真っ直ぐなのだが――そんな感じで自己紹介を返した。
「かっこいい人だね、お兄ちゃん」
「ああ……」
「お兄ちゃんもかっこいいよ?」
「ああ……」
小声で話しかけてくる直葉に、俺はてきとうな相槌をする。
確かに女性視点で見れば格好良い顔立ちなのかもしれないが、俺が飽きれてるのは別の部分だ。
「あんたも随分でかい猫を飼ってるんだな」
「そうとも。躾け甲斐のある猫だ」
そういえば最初話しかけたときは礼儀正しそうな口調だったか。
「猫?」
「そろそろボスが出る時間じゃないかな?」
「あ、本当だ!」
この日出現したのは18層ボス、『ザダイアータスク』。
二足歩行をする筋肉隆々なモヒカンヘアーのイノシシというインパクトのある外見で、長い鎖のついた大斧を振り回すモンスターだ。
油断していると前衛以外にも攻撃が飛んで被弾する、かなりの射程を持ったやつだったが……。
「やあああああああ!」
「………………」
「………………」
遠距離攻撃中は走り回らないせいで逃げそびれて、張り付いた直葉があっという間に細切れにして倒してしまった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
大理石の足床。光の立ち上る花壇。白亜の石柱。紅い蕾のような建造物……。
空を流れる雲は、沈む寸前の太陽の輝きと、迫りくる夜の闇のコントラストで彩られていた。
見知らぬダンジョンの前であるような気がする。
目の前にそびえる紅い巨大な建造物はダンジョンの最奥。そこまでの道のりは綺麗な石畳で舗装されてまっすぐに伸びている。ここはまるで立派な城にあるような庭園だ。だとすればあれは宮殿ということになるのだろうか?
「おい……」
俺の隣にいたウサグーが声をかけてくる。
「とりあえず進もう」
わけもわからないまま、俺たちは宮殿へ向かって歩を進めた。
しばらく歩くと、水路の上に架けられた橋の上に人影を見つける。
その人影はユナであったが、俺たちの知るオーディナルスケールのイメージキャラクターのユナとは服装が違っていた。
俺たちが知るのは黒を基調としたアイドル衣装の彼女だが、そこで水面を眺める彼女は白いジャケットを羽織った全体的に色調の正反対な格好である。
「ユナだな?」
俺は確認のため声をかけると、彼女は俺たちの方を向いた。
彼女の瞳には憂いが満ちていた。
「ここは何処だ?」
「アインクラッド第100層。紅玉宮よ」
「SAOの中なのか!?」
衝撃が走る。
茅場晶彦の口からはかつて俺は、第100層のラストダンジョンの名が、そのようなものだと聞いた覚えがあった。
「目が覚めたらすべて泡沫の夢かもしれない。まだあなたたちはSAOに閉じ込められたまま。そう思った事はない?」
「……思った事はある。だが、そう望んだことはない」
「辛い記憶を何もかも忘れてしまうことはいけないこと?」
「テメエの善悪なんぞ知るか。エリの記憶を取り戻す方法を教えやがれ!」
ウサグーは今にも剣を抜かんとする勢いだ。
その言葉を受けてユナはどこか嬉しそうに微笑むと、すぐに表情を引き締める。
「エイジと、お父さんを止めてください」
「やっぱり君は重村教授の娘さんなのか?」
「ランキングナンバーを上げて。そのままじゃ、ここの鍵を開けるには足りない」
「どういうことだ?」
「ごめんなさい。もう時間」
視界が闇に飲まれる。
いや、違う。辺りが暗いのだ。
「あ、れ……?」
俺はベンチに腰掛けていた。
そう……。確か直葉とイベントバトルを終わらせた後、都内で複数のイベントバトルが発生していたのだ。俺は直葉を送り返して、ウサグーのバイクにタンデムするとそのまま他のイベントバトルを回ったはずだった……。
それから……。
すべてのバトルが終わり、この公園で一息吐いていたのだと思う。
「おい黒猫」
「んあ?」
「寝ぼけてんじゃねえ」
「俺、寝てたか?」
「さあな」
ウサグーは装着していたオーグマーを外して、それを凝視した。
俺も耳元に手を当てると、オーグマーを着けたままだった。
「夢、だったのか?」
「お前も見たのか?」
「………………」
俺は驚きを込めてウサグーの顔を見た。
怪訝な顔をしているということは、彼も見たのだろう。
あの紅玉宮と、そこに佇むユナの姿を。
「AR――じゃなかったよな」
「匂いが違った。オーグマーがそこまで再現できるなら別だろうが……」
「できると、思うけど」
ユイがそういうプログラムを作ってたはずだ。
オブジェクトであれば触感を感じ取れるものはすでに市場に出回っているし、味覚の再現にも成功していたと思う。
ならば嗅覚を出力させることができても不思議ではないが……。
「けど重力設定が違った。さっきのはたぶん……SAOの中だ」
フルダイブゲームは重力設定が現在一番の課題らしい。
実際の差異は極僅かなのだが、それでも人間の感覚を騙しきるには足りず、フルダイブ酔いをする人間が一定数いるという。
さきほどの感覚は、かつて旅したSAOの空気と同じだった。
「どうなってやがる……」
「わからない。でも……」
SAOは未だ終わっていないのではないか。
そんな悪寒ともいえるものが、夜風に乗せられて肌を撫でたようだった。
「……で、あのユナどう見る?」
「嘘は言ってないんじゃないか?」
「重村の手先って考えもあるぞ。上手く騙して俺たちにさせたいことがあるかもしれねえ」
「ありえなくはないけどさ。……信じてみようぜ」
根拠はないけれど、彼女の言葉にはエイジや重村教授を想う心が込められていたように感じたのだ。仮に嘘だったとしても、なにかしらの情報は手に入るだろうし、悪くないんじゃないかと後付けながらに俺は考えた。
「はぁ……。了解勇者様。今回はお前の考えに従ってやるよ」
「そいつは光栄だな」
俺たちはベンチから立ち上がり、それぞれの帰路へ向かう。
「なら明日からはラストアタックは積極的にか。やることは大して変わらねえな」
「それもそうだ。じゃあ、また明日」
「……ああ」
俺の突き出した拳に、ウサグーは躊躇いながらも拳を合わせた。
SAOでもこういうのは普通だったと思うんだけどな……。
夜の街にバイクのエンジン音を響かせて去っていく彼の背中を、俺は少しの間見送った。