第二層主街区『ウルバス』。
テーブルマウンテンをくり抜いて作られた街は朝夕問わず街灯が灯されており、時間から切り離された極夜の世界を彷彿とさせる。
もっとも、極夜の国へ海外旅行に行ったことはないのでこれは想像であるが。
いかに灯りが点けられていようとも薄暗い雰囲気は拭えず、影をより濃くして飲み込まんとする路地裏には好奇心よりも恐怖を覚える。
第一層のフロアボス『イルファング・ザ・コボルトロード』が討伐されて1週間。
新エリアの開放に伴い雪崩のように押し寄せるプレイヤーの流動も少しは落ち着きを見せてきた。
βテストで攻略されたのは5層まで。6層の迷宮区攻略中に終了したので、知識のアドバンテージは未だ保てている。
私はキリトと別れた後、他のパーティーに参加してリソースの確保だけは怠っていなかった。
2人より3人。3人より4人パーティーの方が効率は上がる。
とはいえ気まずい。βテスターへの風当たりが強い昨今。身元を隠して情報を提供するのは神経を使うし、一緒になってβテスターを非難する言葉を投げる度心が削られる。
その点キリトは同じβテスターだとわかっていたため気兼ねせずに済んだ。パーティーのイニシアチブも譲ってくれていたので、かなり効率的に動けていた。
今のパーティーは駄目かもしれない。
安全対策が成されているといえば聞こえがいいが、実態は
パーティーを抜けるなら早い方がいい。しがらみが増えれば、それは後々禍根となって襲い掛かる。彼らの中でほんの少しの間行動を共にしたプレイヤーという関係であるうちに終わらせたい。
ただし私のスキル構成はパーティー前提となっていて、次の行先が決まっていない状態で抜けることはできなかった。
今日はその行先を探すべく、パーティーで取り決めた休息日を利用してアルゴと約束を取り付けていた。
意を決して狭い路地を忍び、とある民家へ侵入する。
「遅かったじゃネエか」
「……時間ぴったりっすよ」
「女を待たせたらいつだって、遅く来たやつが悪なのサ」
「違いないっす」
この家に住むNPCはこちらに干渉することなく、クエスト開始を待って奥の安楽椅子に腰かけている。
私は積まれた椅子を動かしアルゴの側に座ると、アイテムストレージからコーヒーっぽい食事アイテムを2つ出してテーブルへ置いた。
「他の女に取られるとハ、運がなかったナ」
「そうっすね。気分は最悪っす」
「取り返すのカ」
「無理無理。白旗上げて全面降伏の構えっすよ」
「つまんねえナ。今回はパーティー参入の交渉だったカ」
「効率的なレベリングやアイテム収集のしてる攻略にはさほど本腰じゃないところがいいっすね」
「矛盾だナ。けどないわけじゃネエ。3000コル」
「わかったっす」
提示された金額をトレードメニューから送る。
「情報系サイトのメンバーがやってるグループがあル。言わば商売敵だナ。少しずつ勢力の拡大をしていルから、入るのは難しくないゼ。こっちからアポは取ってやル」
「悪くないっすね」
コーヒーっぽい飲み物を一口。
2層のクエストで入手できるアイテムを料理人スキルで調理したのがこのアイテムだ。本当ならこんなものの入手に時間をかけず、市場に流れて来たものを購入することで済ましたい私には苦々しい味わいだった。
自分で入手すれば無料であるが、その時間をコル稼ぎに費やしていればこのコーヒーを買っても黒字になる……。
「それからもう1つ情報を買いたいっす」
「安くしとくゼ」
「ガセはよくないっすよ」
この商売根性が染みついている友人が安くしてくれるわけがない。
「手厳しいナ」
「欲しいのはキリっちと一緒にいた、フードのプレイヤーの情報っす」
「500コルでいいゾ」
「安いっすね」
「そのくらいの情報しかナイんだヨ」
「まあいいっす」
「毎度あリ。名前はアスナ。メインウェポンは細剣。モンスタードロップのウインドフルーレ+6を5A1Dの強化比率で使ってル。ステータスはAGI寄りデ剣速と正確さが目立つ凄腕だナ。1層のボス戦じゃ、キー坊とのコンビネーションで大奮闘したらしいゼ。スキル構成は細剣以外はわからナイな」
「見た目は?」
「栗色のロングヘア―。かなりの美人だったゼ。キー坊が靡くのもわかル。歳は所感では高校生くらいダ。装備は赤いフード付きケープを羽織ってるが中身は皮系鎧だロ」
名前まで一致する。本名を使うのは大抵ゲーム慣れしてない層の人間だ。彼女が結城さんである可能性はかなり高い。
「人の事言えないけどヨ。プレイヤーの情報を金で買うのハ、お姉さんもどうかと思うゼ?」
「私もそう思うっすけど事情があるんすよ。あと私が聞いたってことは伏せてもらうっすよ。私についての情報も。口止め料は1000コルでいいっすか?」
「……今後ともご贔屓ニ。常連さんだからサービスしてやるけどヨ、さっさと入ってきたらどうダ?」
アルゴが唯一の入口へ向かって声をかける。
しまった、聞かれていた!?
咄嗟に腰に下げた武器へ手を伸ばすもここは圏内。プレイヤーにダメージを与えることはできない。例えここが圏外でも上手く脅せるかとなると甚だ疑問だ。
「よ、よう……」
ゆっくりと開かれた扉の前に立っていたのは――キリトであった。
あの真っ黒な格好は止めたのか、今は地味目なレザーアーマーを装備している。
剣に伸びていた手を降ろし深く息を吐く。まだ誤魔化しようのある相手だったのは不幸中の幸いだ。
「盗み聞きをするなんて、えっちっすね」
「なんでそうなるだよっ!?」
「若いからナ。溢れんばかりの
「違うからな! エリを見かけたから声をかけようと思ったんだけど、路地裏に入っていくもんだから美味いクエストでもあるのかと思って……それで……」
「噂のビーターはストーキング趣味。新情報だナ」
「だから違う!」
人通りが多いと気が付かないものだ……。
あるいはキリトは隠蔽スキルを取得したのだろうか? こうなってくると偵察スキルが欲しくなるが、生憎今の私はスキルスロットに余裕がない。次に取得するスキルも決めているし……。その辺りは追々なんとかしないとなぁ。
でも今は聞かれたことをどう口封じするかが重要だ。
「それで、いくら欲しいっすか?」
「はっ?」
「口止め料っす」
「エリにゃん。なんでも金で解決しようとするのはよくないゼ?」
「なんでもお金で買えるわけじゃないのはわかってるっすけど、お金を使った方が円満に解決できることの方が多いっすよ」
「そうカ?」
「いや、お金なんて受け取らなくても黙ってるよ」
「じゃあアルゴと同じ1000コルでいいっすか? 内容は私がアスナさんについて調べたことと、私の情報を口外しないことっす」
「そのくらい無料で受けるって」
トレードでキリトにも1000コル送ろうとするが申請は拒否される。
これは一々説明しないと受け取って貰えなさそうだ。なんでお金を払うことに苦労しないといけないんだ。理由はあるけどもさ……。
「それだと困るんすよ……。それってつまり、友達だから黙ってくれるってことっすよね?」
「そうだな」
「じゃあゆ――アスナさんに話さないといけない理由ができたら話すんじゃないっすか? 少なくとも友情だけを理由に黙っておいてもらうより、プラスαしてお金も受け取ってればそれだけ口は堅くなると私は思ってるっす。キリっちを信頼してないわけじゃないんすよ」
そういう状況は、キリトが結城さんと一緒に行動するにつれて起こり得ると思う。
「いや、でもなぁ……」
「額が足りないっていうんすか?」
「そうじゃないけど」
「それとも別の――ハッ! もしかして私の体を要求してるんすか!? ……趣味疑うっすよ。もしかして変わった性癖をお持ちなんすか?」
「違うからな! そんなに酷いとは思ってない」
「……口が滑ったっすね。少しは痩せろと思ってる証拠っす」
「……………………」
「いいんすよ。私は客観的事実として受け止めるっす。受け止めた結果キリっちになにをするかはわからないっすけど」
「悪かった」
「許すっす。というかここじゃそういうことできないっすよね?」
下着というか、色気のない布は脱げないのだし。水を弾くので感触は下着というか水着に近い。
「その情報は500コルだゼ」
「えっ……。ヤれるんすか!?」
「どうだろうナ」
「嘘っすよね……」
アルゴはにやりと笑うばかりで回答はしない。
ここで「知り得る限りは無理だナ」と言ってもそれが本当の情報なら情報屋としての信用を失うことにはならない。私は依然としてアルゴから情報を買うだろう。
だがもしもそういった方法があれば?
ソードアートオンラインはそういう犯罪が起こる可能性を示唆する。いくら見栄えが悪い私だって可能性があるなら怖いと思う。今後の身の振り方を変えなくてはいけない。
「商売上手っすね……。持っていくっす」
「キー坊にも聞かせるか?」
「独占する情報でもないっす。キリっちなら悪用、しないっすよね?」
顔を真っ赤にしてガクガクと首を縦に振るキリト。初心だなあ。抱きしめたくなるくらい可愛い。ハラスメントコードに引っかかるしやらないけど。
「結論から言えばあるゼ。オプションメニューの深い所ニ『倫理コード解除設定』って項目があル。レクチャーしてやるから手順通り操作してみろヨ」
複雑にページ分岐するオプションメニューを10回くらいページ移動した先でようやくそのコマンドを見つけた。
どれだけオプションメニューあるんだよと言いたくなる。これだけ複雑だと隠しコマンドとかどこかにありそうだ。
「でも自分で解除しないかぎりは大丈夫だろ?」
「「はぁ……」」
アルゴと私は揃って溜息を吐いた。
「実際やってやるっす。キリっち、ハラスメント防止コードで通報しないでくださいっすよ」
「お、おう!?」
私は席を立ちキリトの背後に回ると、右腕を取り人差し指を伸ばさせて上から下に振り下ろさせる。それから人差し指でいくつかのボタンをタッチするが上手くいかず最初からやり直す。3回目の挑戦で上手くいき可視モードがオンになりメニューウィンドが視覚化された。そこからは簡単で、オプションメニューへ移動して倫理コード解除設定があるページを開く。
「ざっとこんなもんっす」
「は、離れてもらっていいか?」
「失礼したっす」
カチコチに固まってるキリトを脇目に、私は元の席に座り直した。
うっかりキリトのステータスを見てしまったがわざとじゃないと心の中で弁明しておく。 ……隠蔽スキルはやはり取得しているようだが熟練度はまだ低い。
アルゴは「こいつやべえな」という表情で私を見ていた。ワザトジャナイヨ。
「これでわかってもらえたと思うっすけど、他人の倫理コードを解除することは可能っす。つまりいつかはそういう犯罪プレイヤーがでるだろうってことっすね」
露骨に顔をしかめるのはキリトだけでなくアルゴもだ。
なにを思って茅場はこんなコードを仕込んだのだろうか。
「キリっち、愛しのアスナさんにも伝えておくっすよ」
「お、おう……」
「それで話を戻すっすけど、1000コルでいいっすよね?」
「上手く話題が逸れたと思ったんだけどな……」
「駄目っす。価格交渉なら少しは応じるっすよ」
「せびっておくんだったゼ」
「1000コル以上積んで情報を買いたい相手がいたら口止め料を上乗せするから我慢して欲しいっす」
「わかってるヨ」
キリトは腕を組んで考えているがこれは受け取ってもらわないといけないお金だ。
これだけ拒否するということは、それだけ口が堅くなるということの裏返しでもある。1000コルにしては安い買い物だ。
「なら、条件がある。理由が知りたい」
「そう来るっすよね……。いいっすよ。ただしアルゴのいないところでならっすけど」
半ば予想していた返答だけに結論は早い。
「えー。お姉さんは除け者かヨ」
「金額以上は信頼してないっすから。それじゃあパーティーの件、頼んだっすよ」
ひらひらと手を振るアルゴ。
キリトを連れて、テキトウに選んだ民家に押し入る。
ソードアートオンラインでは進入禁止エリアを今のところ発見していない。もしかすればあるかもしれないが、少なくとも目に見える建築物にはすべて入ることができる。
デフォルメされていない現実でもありえるサイズの街はそれだけ家の数も多く密談する場所には事欠かない。隠されたクエストを発見するのには多大な労力と運が必要になるだろう。
「隠れてるプレイヤーはいないっすよね?」
「ちょっと待ってくれ。――ああ、いないみたいだ」
キリトが偵察スキルで周囲を確認する。
アルゴも流石についてきてはいないようだ。
「どこから話すっすかね……」
どれだけ嘘を混ぜるかを考える。
結城さんが前線での攻略を続けるならいずれどこかで顔を合わせる可能性は高い。もしかすればあのときの一瞬で私を認識してかもしれないし。
となれば結城さんに確認を取ればバレる嘘を吐かないようにすればいいか。
「
「仲、悪いのか……?」
おう、よく理解してるな……。その通りだよ。
「そんなことはないっすよ。ただ事情があるんす。家とかそういう事情が」
「えっ……!? エリっていいとこのお嬢様だったのか? あ、ごめん。リアルの話を聞くのはマナー違反だよな」
「そうっす。マナー違反っす。あとなんすかその驚きよう」
「アスナは節々に隠しきれない育ちの良さがあったんだけど、エリはなぁ……」
「取り繕えば私もそれなりにはできるっすよ」
「本当かあ?」
からかうキリト。
確かに私は結城さんみたいに美人じゃないけども。むしろ顔や体形のレベルは低いけどもさ。社交性なら……。ゲーム内での社交性なら負けてないと思うのだが。
しかたない。ちょっと本気出す。
「はぁ……。ゴホンッ。――キリトさん、あなたはもう少し社交性を身に着けてはいかがですか? お若いから無理もないのでしょうけれど、このような事態となってしまった以上、私たちは子供だからと無条件に守って頂ける立場にはないんですよ? 敵を作るよりもまず味方を作るべきです。攻略後の話は風の噂で聞いていますが彼らにビーターなどと揶揄させても、他のβテスト参加者へ向けられる敵愾心は増える一方で減ることなどありません。もし本当に彼らの立場をなんとかしたいのでしたら、ご自身がβテストに参加していたことを公表した上で、友人の輪を広げて地道に信頼を勝ち取っていく他ないのではないですか?」
できるだけ穏やかな声色を使い、笑顔をわざとらしく貼り付けて私は言った。
「わかったわかったっ! 疑って悪かったよ……」
「わかればいいっす。あと今のは冗談じゃないっすよ。共通の敵を作れば一丸になるのは確かに簡単っすど、暴走した人間がキリっちを殺しにこないとは楽観視できないっすからね。キリっちがそういう理由で死ねば、次の敵としてβテスターが標的にされるっす。たぶんアルゴが狙われるんじゃないっすか。彼女は女性なんすから、さっきの話も念頭に置いておくといいっすよ」
「うっ……。ごめん、俺が間違ってた。調子に乗ってたのかもしれない。今度からはもっと慎重に行動するよ」
「素直に謝れるなら大丈夫っすね。そういうところ、純粋に尊敬するっすよ」
間違いを認められない人間というのは多くいる。
そういう人間は失敗を積み重ねることができる人間だ。負債の重みに耐えかねていつか破滅する。
厄介なのが、そういう性質は治そうと思って簡単に治せるものじゃないということだ。
少なくとも私はそういう人間だろう。
「もっと自分を大事にするっすよ。男だから平気って思ってるなら考えが甘いっす。キリっち、可愛い顔してるからなにが起こるかわからないっすよ」
「……俺、おっさんのプレイヤーに「可愛い顔してんな」って言われたんだけど……」
「危なかったっすね……」
自分の肩を抱え青ざめるキリト。
ソードアートオンラインは感情表現がオーバーなため、本当に顔に青みがかかっている。
「それはともかく、命の方も大事にするっすよ。キリっちが死んじゃったら私も悲しいっすから」
「ああ。エリも死ぬんじゃないぞ」
「もちろんっすよ」
私は結城さんのことを上手く誤魔化せたと心の中でほくそ笑んだ。
キリトの身を案じているのは嘘じゃないけど。ちなみに1000コルはしっかり握らせた。
▽▲▽▲▽▲▽▲
アルゴとのやり取りは神経を使う。
特に今回はキリトの乱入と、結城さんの件があって疲労も倍以上だ。
ソードアートオンラインの睡眠要求は現実世界よりも幾分か少ない。本物の肉体を使ってはいないおかげだろう。小休憩を小まめに挟めばだいたい2日に1度、6時間の睡眠を取ることで問題なく活動できる。
今朝はしっかり寝ておいたので今日は寝なくても大丈夫な日であったが、この疲労には負けそうだ。
食事を摂ったらちゃんと寝ようと心に決め、雑踏に紛れて酒場の席に着く。
夕飯にはまだ早い時間帯。
フィールドに出たプレイヤーもまばらにやってきつつある店内の奥まった席で、ちょっとお高めの食事を摂りながら一息つく。
2層にやってきているプレイヤーはそこそこ多い。誰かが2層の転移門をアクティベートすればやって来れるのだから、来る分には簡単である。
だがこれだけ人が多いのは第2層がサバンナをイメージして作られた階層だからだろう。
サバンナといえば草原のイメージが強くそれは間違いでもないが、教科書にも載っているように気候を区分する言葉だ。
ソードアートオンラインは現実の季節を反映させているため12月の現在、1層はかなり寒かった。
しかしサバンナ気候は年間の温度差が少なく冬でも温かい。
まだ1層のフィールドを主としているプレイヤーでさえ、一度こちらに来てしまえば普段暮らしは2層で過ごしたくなるだろう。
「ここ、座ってもいいか?」
いつの間にか目の前にフーデットコートの男が立っていた。
顔が見えない。怪しさ満点の男だ。
店内は賑わっているがまだ空席がある。どうしてわざわざ相席を申し出てくるのか。警戒心が駆り立てられる。
「ああ、すまんな」
断ろうと口を開きかけたところで、やってきたNPCにお礼の言葉をかけ食事をテーブルへ置かせてしまった。
「こんなご時世だ。助け合いは必要だろ? 一杯奢るぜ」
優し気に囁く彼は、顔が見えないのに柔らかく笑っているのがわかる。
「お嬢ちゃんも大変だったな。こんな事件に巻き込まれちまって」
男は丁寧な手つきで食事を口に運んだ。
役者か、あるいは政治家か。淀みなくフォークとナイフを使う彼は、仕草のひとつひとつが絵になるような優雅さを纏っている。
声はつい聞き惚れてしまうような安心感のあるトーンで、賑やかな店内でも聞き逃すことのないハッキリとした滑舌だった。
「良い装備だ。ゲーム慣れしてるようだな」
「それは、どうもっす……」
「……なにか困ってるみたいだな」
「誰だってそうっすよ。私も、あなたも。悩みごとのない人なんてそうそういないっす」
「ごもっとも。それと謝らせてくれ。君は思ったよりも聡明だ」
丁寧に頭を下げる男に、緊張が解けそうで私は慌てて心を閉ざす。
この男が今やったのは誰にでも当てはまることを言って、さもこちらに共感しているかのような印象を与える心理テクニックだ。名前は忘れたがそんな技法があったと思う。
それをこちらが理解できていることをすぐさま見抜く観察力もある。
彼は詐欺師か占い師かもしれない。
「だが他の連中――デスゲームに巻き込まれて死の恐怖に怯えてる連中とは違うのも事実だろう? そうだな……。君が悩んでるのは人間関係だ。パーティーを組んでる連中と上手くいってない? いいや違う。君はそんなありきたりなヘマはしないだろう。もっと予想できない偶然な出来事で問題が起こった。そう、例えば……。現実の知り合いをばったり遭遇してしまったとかだ」
「………………」
「どうやら当たりみたいだな。俺もまだまだ捨てたものじゃないらしい」
顔の見えない男がしっかりとこちらを見据えている気がする。
顔部分のすべてが見えないわけではないのだ。ただ絶妙に目だけが陰に隠れて見えない。目を合わせる。目は口ほどに物を語るという言葉があるように人間の目は多くの情報を表す。それが見えないというのは、その人間の表情のほぼすべてがわからないのと同じだ。
顔が見えているのと見えていないのではアドバンテージがまるで違う。
逃走か交戦か。不利だからといってこのまま逃げても彼についての情報が集まる予想がつかない。逆に彼は私の情報を集めて再び接触できる。すでに集め終えているのかもしれないが、そうでないとこの場では願うしかない。
せめて目的だけでも聞き出そう。そうでなければ撤退はできない。
「それで、なにが言いたいんすか?」
「俺と組まないか? そうしたらお前の抱えてる問題も解決してやれる。お前には代わりに俺の抱えてる問題を手伝ってもらいたい。対等な関係だ。悪くない話だとは思わないか?」
「どうやって解決するんすか……?」
期待を込めて、思わず私は問いかけていた。
「物事をお前は複雑に考え過ぎてる。もっとシンプルに考えればわかることだ。そいつを――」
「やっぱりいいっす!」
立ち上がり突然大声を出した私に店中の視線が集まる。
理性を最大限発揮した急ブレーキはどうにか間に合った。本心では彼の言葉の続きが聞きたくてしょうがない。
どうにか踏み留まったのは私が抱える問題を解決してしまったらどうなるか、それを正しく私が認識できたからだ。この問題は解決しない方がいい。
解決したが最後、私は前を向いて生きられるようになるどころか、後ろ向きに生きることさえできなくなる。
恨むことのできる相手がいるというのは、それはそれで幸せな生き方なのだから。
私が席に座り直すと男は口笛を吹いて称賛した。
「こいつは驚いた。本当だぜ」
本当に楽しそうに男は笑うが、これが演技なのか本心なのかはまるでわからない。
「是非とも仲間に加えたい。手を出して欲しくないならお前の抱えてる問題に手を出さないことも約束しよう。お前も嫌なら俺の問題に手を貸さなくていい」
「それなら組む必要もないっすよね」
「おいおい。仲間っていうのは一緒に楽しむためのもんだろう? ゲームの中なら尚更にな。俺はお前と一緒に遊びたいんだよ」
「考えておくっす。それじゃあこれで……」
食事を半分を食べ終えていないが店を出よう。
私はこれ以上ここにいれないと、席を立つとシステムメッセージのSEが鳴った。
――『PoH』よりフレンド申請が来ています。
男は黙ってこちらを見ていた。
もう笑っていない。品定めをするように静かな彼は、気配を隠した猛獣のようだった。
私は恐る恐る『YES』のボタンにタッチをする。
そこで彼の恐ろしい気配は霧散した。すぐにオプションメニューからフレンドへの位置情報の共有をオフにする。
「なんて読むんすか?」
「プーでいい。お前はなんて呼べばいい?」
「エリで頼むっす」
「オーケー、エリ」
「おやすみなさいっす。PoH」
「Have a good night.いい夢を」
今夜は悪夢が見れそうだ。
キリトの相棒として本編に介入していくぜ! なんてことはないです。
効率による自己強化とパーティープレイでフロアボスも楽勝だぜ! とかもないです。
キリトじゃなくアスナと組んでダブルヒロインだぜ! すらないです。
これにてアインクラッド編のプロローグは終了。
次回からは本筋が始まります。
それとプログレッシブの方はこれ以上沿う予定はありません。
話の都合上、一部時系列がずれますがご了承ください。