レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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62話 夕暮れの少女(2)

 茨姫のように……。

 わたしは王子様のキスで目覚めてハッピーエンドとはならなかった。

 目が覚めたときには大切なものが壊れた後で、知らぬ間に世界が終わりを迎えていたかのような錯覚さえしたのだ。

 この齢でいうのはとても恥ずかしい話なのだが、両親から贈られる愛とはそれほどまでにわたしの心を占めていた。

 実年齢である18歳ではなく、精神年齢でいうところの12歳を基準に考えてもまだ子供っぽいといわれてしまう話だろう。

 

 つまり簡潔に言葉にすると、わたしは記憶喪失なのだ。

 ある日突然未来にやってきてしまった感覚なのだけど、隣の席に座る子の顔も思い出せないことは、わたしが記憶をなくしたことを如実に語りかけてくる。

 だからむしろ夢の中にいるようなものだ。

 王子様はまだ旅の途中で、わたしは棺の中に眠っている……。

 これだと白雪姫か。

 

 鏡よ鏡よ鏡さん。

 世界で一番美しいかどうかはさておいて、この雪のように白い肌をした女性は誰ですか?

 鏡に映るのは、綺麗というよりは可愛らしい感じがする卵顔の大人びた女性。

 手を振れば振り返し、首を傾げれば傾げ返す。――どうやら、彼女はわたしのようだ。

 自画自賛するようだが、整った顔立ちのそれからは違和感が拭えない。

 わたしの中に残されたのは小学生までの記憶で、身体は大学生に育っているのだから当然か。

 

「大きい……」

 

 身長、ではなく胸が。

 てきとうに手に取ったブラジャーを着けるのには手間取らなかった。

 そういった習慣に基づく知識は消えていないのだろう。オーグマー、だったか? それの使いかたもおおよそできていたし、物の取り扱いで困ることは意外に少ないのかもしれない。

 

「お嬢様。ご友人がいらしております」

「わかりました。すぐ行きますね」

 

 ドアの向こうで家政婦から声をかけられて、わたしはオーグマーを鞄に仕舞って手早く用意を済ませた。SFチックな印象を受けるこの機械はなんと授業に使うらしい。

 

「おはよう、恵利花」

 

 玄関に出迎えられていた客人は、淑やかな笑みを浮かべて挨拶を述べた。

 

「おはようございます」

 

 栗色の髪をした綺麗な彼女は結城明日奈さん。

 少し青みのかかったスクールシャツに、深い紺色のハイウエストスカート。膨らみの上にある金色のワッペンまで、わたしの着ているものとまったく同じ。

 そう注意深く観察せずとも同じ学校の生徒で尚且つクラスメイトであることを、わたしは一昨日のテレビ電話で彼女から直接聞いていた。

 

「ご両親に挨拶していったほうがいいかしら?」

「いえ。どちらもすでに仕事へ出ていますのでお構いなく」

「……そっか。それじゃあ行きましょう。時間に余裕はあるけど、のんびりしてると混んじゃうからね」

「はい。それでは行ってきます」

「行ってらっしゃいませ、お嬢様方」

 

 我が家の家政婦が恭しく頭を下げてから、彼女は玄関の扉を押す。

 差し込む太陽の光に思わず目を細める。熱せられた外気が不快に肌に纏わりつくも、わたしは結城さんに続いて冷房の効いた家から外の世界へと足を踏み出した。

 

「今日はわざわざ足を運んでいただき、ありがとうございました」

 

 並んで歩き、ひとまず感謝を告げる。

 

「気にしなくていいのに。今日に限って特別寄ったってわけじゃないもの」

「そうなのですか?」

「うん。家が近いから、登校はいつも一緒だったのよ」

「では、いつもありがとうございます」

「いえいえこちらこそ。それともっと砕けた話し方でいいからね」

「が、頑張ってみます……」

「無理はしなくていいけどね」

 

 結城さんの言葉遣いや表情からは近しい距離を感じた。

 けれどもどうしてか……。わたしの方はなんとなしに近寄りがたく感じてしまっている。

 年上の女性だから? 美人過ぎて高根の花に思えるから?

 わたしはそういったことで物怖じする性格ではなかったはずだけど、なにかが6年の間で変わってそれが無意識に影響しているのかもしれない。

 

「結城さんとわたしは仲が良かったのですね」

「そうね。私は仲良しだと思ってるよ。あと結城さんだと名前が被っちゃう人がいるから明日奈って呼んで」

「わかりました。明日奈さん」

「駄目っ! さん付け禁止!」

 

 彼女は打って変わって、強い言葉を真剣な表情で使った。

 突然のことにわたしは息を呑んで首を何度も縦に振ってしまう。

 

「あっ……。ごめんなさい。さん付で呼ばれるのにいい思い出がなくって」

「いえ、そんな。わたしこそ失礼しました」

 

 困ったように笑う明日奈さん。

 ああ、そうか。彼女からしてみれば、友達から急に距離を取られたふうに感じたのだ。

 それが苦しいことなのは、先日お母さんと顔を合わせたときに嫌というほど突きつけられた。……学校では気をつけないといけないだろう。

 

「ごめんなさい。なにも思い出せなくて……」

「ううん。エリが悪いわけじゃないもの」

 

 明日奈さんは優しいからそう言ってくれるけれど、わたしは今この瞬間さえ彼女を傷つけているような気がした。

 

「この前ユイさん――ではなくて、ユイ? にも酷いことをしてしまったみたいで……。謝罪したいのですが、どうしたらよいのかわからないのです。助言をいただけませんか?」

「そっかあ。きっとユイちゃんもエリが心配してるってわかれば喜んでくれると思うよ」

「そうですか」

「学校が終わったら一緒に会いに行こっか」

「ありがとうございます。明日奈」

 

 上手くできたか自信はないけれど、わたしが笑みを作ると明日奈さんは微笑みを返してくれた。

 汗ばむほどの熱気の中、セミの鳴き声が遠くに響き、一陣の風が通り過ぎていった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 バスと電車を乗り継ぎ、やってきたのは西武柳沢駅。

 そこから数分歩いて学校にたどり着いた時にはもう、体力は底を尽きかけていた。

 見慣れない場所を歩いたということも原因の一つだが、そうでなくとも1時間近くかかる通学路はなかなかにヘビーだ……。

 近代的な様相の校舎からは非日常感が発せられ、行きかう人々が挨拶をしてくるものだからわたしは緊張の連続で頭がいっぱいいっぱいになってしまう。

 こんな調子でやっていけるのだろうかという不安は大きかったが、高鳴る鼓動はそれ以上の興奮を秘めている。経験はないけれど、転校生だったり進学したてのときはこんな気分になるのかもしれない。

 

「おはよー」

「おはようございます」

 

 教室に入るなり、手を振って挨拶をしてきた人にお辞儀と共に返事をする。

 そばかす顔の快活な印象がする彼女はわずかに表情を曇らせ、わたしはまたやってしまったのだと心の内で反省をした。

 

「そこが恵利花の席ね」

「は、はい!」

 

 明日奈さんの示した場所は、そんな彼女の1つ後ろの席。明日奈さんはわたしの隣の席だ。

 わたしが席に座る間もこちらに視線を向けている彼女は、単なるクラスメイトという間柄ではないのだろう。

 助けを求めるように明日奈さんを見ると、それを受け取ってくれたようで彼女は会話を取り持ってくれる。

 

「彼女は篠崎里香さん。……SAOで恵利花と特に仲のよかった人だよ」

 

 SAOというのがなんなのかは簡単な説明を受けている。

 2年半ほど前にあった4000人もの死者が出た未曾有の大事件で、事件は昨年の11月にようやく終わりを告げたばかりらしい。

 ここへ通っている生徒は皆その事件に巻き込まれた被害者であり、失われた2年間を補うためにこの学校が作られたというわけだ。

 

「豊柴恵利花です――あっ! ごめんなさい。知っています、よね……?」

「ええ、知ってるわよ。諸々の事情とかもね。だから気にしないで、困ったことがあったらなんでも頼りなさい」

「ありがとうございます」

 

 彼女の言葉は社交辞令ではなく、頼られれば絶対に答えてくれそうな安心感があった。

 

「それにしても、大人しくしてると印象変わるわねえ……」

「そうですか? 普段のわたしはどのような性格だったのでしょう?」

「皮肉屋――とはちょっと違うか。口が達者だったわね」

「でも親しい人にはとことん甘えるタイプだったかな」

「甘えられるのもだいぶ好きだったわね」

「あと凄い負けず嫌いだったよ」

 

 話を聞く限り、成長したわたしは背伸びをした子供みたいだった。

 あまり嬉しくない。もっと大人びた人間になっていると思っていたが、これは顔が原因なのだろうか? 人間顔がすべてではないとか、内面の方が大事というが、他人からどう見られるかを意識しない人は少ないと思う。

 

「まあ、今の方が可愛げはあるわね」

 

 里香さんはわたしの頭にポンポンと手を置いて優しく撫でた。

 大人からこうして可愛がられる経験はあったし、彼女も十分大人の範疇に入るのだけど、この行為はそれとは違う距離の近しさがある。

 

「あ、嫌だった? ついいつもの癖でね」

「いえ! 全然嫌ではありません」

 

 最初は気恥ずかしさがあったけれど、里香さんの穏やかな表情を見ているとだんだんわたしの肩からは力が抜けていった。冷房の効いた教室では彼女の手がとても温かく感じて、そっと睡魔が忍び寄る気配さえある。

 もう少しだけこのままでいたい。そんな考えが伝わってしまったのだろう。

 彼女は「しょうがないわね」とでも言いたそうな顔で離そうとしていた手を再び伸ばし、わたしの髪を丁寧に梳いてくれた。

 もういいですとも、もっとしてくださいとも言えず、自分の顔がだんだんと火照っていくのがわかってしまう……。

 

「里香、私にも撫でさせてよ」

「えー。どうしようかしらねえ」

「もう!」

 

 などと不本意な取り合いを始めた2人。

 そこへ割って入るかのようにガラガラと教室の扉が勢いよく開かれ、わたしの視線はそちらへ吸い寄せられる。

 立っていたのはツインテールの女子生徒。

 ピタリと視線が合うと、彼女は真っ直ぐにわたしの元へ走り寄ってくる。

 

「恵利花先輩っ!」

 

 勢いもそのままに、彼女はわたしの胸元に跳び込んできた。

 

「先輩! 先輩先輩先輩先輩! 心配したんですよ!」

「あの! えっと、待って、落ち着いてくだひゃいっ!?」

「………………」

「………………」

 

 ホールドしたまま頬擦りをしてくる彼女に変なところを触れられて、自分のものとは思えない甲高い声が出てしまった。

 教室中の視線が集まり、さっきまでの比ではないほど顔が赤くなっている気がする。

 問題の犯人は――わたしの胸に顔を埋めたまま、据わった瞳でこちらを見上げていた。

 見つめ合うこと数秒。

 彼女は何事もなかったかのように頬擦りを再開する。

 

「待ちなさい」

 

 里香さんによって引き剥がされる彼女。

 

「ああ!?」

「恵利花も困ってるでしょ。少しは自重しなさい」

「もうちょっとだけ! もうちょっとだけでいいですから!」

 

 手をバタつかせているが、本気で抵抗している様子ではない。

 これも普段通りスキンシップであったなら、彼女には悪いことをしてしまった……のだろうか?

 

「珪子。ほら、恵利花に謝りなさい」

 

 ちらりとわたしに視線を向ける里香さん。

 彼女の名前がわからないだろうと、気を利かせてくれたようだ。

 

「ごめんなさい。恵利花先輩のギャップが激しくて、自分が抑えられなくなりました!」

「そんな赤裸々に告白しなくてよろしい」

「あいたっ!?」

 

 里香さんに軽く頭を小突かれる珪子さん。

 

「でも里香先輩ばっかりずるいですよ」

「私はいいのよ」

「むう……」

「突然のことに驚いてしまっただけですから、平気ですよ」

「それじゃあもう一度」

「こら」

 

 微笑ましい彼女たちのやりとりに、自然とわたしも顔が綻ぶ。

 

「先輩。記憶の方はなにか思い出せましたか?」

 

 どうやら彼女もわたしの事情については知っているようだ。この分だと結構な数の人が知っているのかもしれない。

 

「ごめんなさい。珪子のことも思い出せなくて……。よければわたしがどんな人だったのか、教えていただけませんか?」

「……もう一度名前を呼んでもらってもいいですか?」

「いいですけれども。――珪子」

「はわぁあぁ……」

 

 何事かと思い、里香さんに説明を求めるべく視線を送ると、彼女は呆れて額を抑えているところだった。

 

「そういえば珪子は呼び捨てじゃなくてちゃん付けだったわね」

「珪子ちゃん?」

「いえ! このままで。呼び捨てのままでお願いします」

「それは構わないのですが……」

「あ、恵利花先輩がどんな人だったかですね。えーっと、格好良くて憧れの人です。頭が良くて、優しくて、カリスマがあって、ピンチに駆けつけてくれる、そんな人でした!」

 

 ベタ褒めである。

 どこまで真実かはわからないけれど、これは後輩の前では格好良く振る舞ってしまうというものなのだろうか。

 

「先程の……スキンシップは普段からされていたのですか?」

「はい!」

 

 これは疑わしいので里香さんや明日奈さんに答えを求める。

 

「少しはしてたかなあ」

「でもいつもなら逆に抱きしめて返り討ちにするくらいはしてたわね」

「なるほど。それでは……どうぞ」

 

 手を広げ、珪子さんを、受け入れる。

 彼女は厳かな表情でわたしの胸に体重を預けた。

 ゆっくりと開いていた腕を閉じて、胸の中に抱きしめてみる。わたしもよりも小柄な彼女の身体はすっぽりと収まり、やや高い体温が制服越しに伝わってきた。

 

「どうですか、珪子」

 

 ビクリと腕の中で肩を震わす珪子さん。

 彼女は耳を澄まさなければ聞こえないほどか細い声で「いいです」と呟いて、わたしの背に手を回してぎゅっと抱きしめ返してくる。 

 流石に暑い……。

 けれども、わたしは負けじと抱きしめる腕に力を籠めた。

 

「こういうことでしょうか?」

「そうだけど……。なんか違うわね」

 

 首を傾げる里香さん。

 

「恵利花が素直だからじゃない?」

「ああ、そうかも。もっとこう、純粋じゃなかったわね。もちろん悪い意味じゃないわよ」

 

 どうにも、わたしは純粋なまま育つことはできなかったらしい。

 いいかげん汗ばんできたので珪子さんを離そうとしたが、彼女はコアラのようにくっついて離れれない。

 さっそくで申し訳ないが2人に助けを求めると、快く彼女を引き剥がすのに協力してもらえた。

 剥がれた珪子さんの顔は熱でもあるのではないかというくらいに紅潮して、息もだいぶ荒くなっていた。目尻も少し涙ぐんでいる。

 わたしからしたこととはいえ、ちょっと怖い……。

 

「珪子にはあとで説教しておくから……。それと無理に自分らしくしようなんて思わなくてもいいのよ。気になるっていうなら止めはしないけどね」

「はい。でも……」

 

 興味であったり、記憶がないことの不安もあるけれど。

 

「皆さんに心配をかけてしまうのが申し訳なくて」

 

 理由としてはこれが一番大きい。

 場にそぐわないという感覚がとても息苦しいのだ。

 誰からどう見られているかわからないというのは、前が見えないまま歩かされているような恐怖に似ている。

 

「……そういうところは昔からなのね」

 

 嬉しいような、困ったような、曖昧な表情をする里香さん。

 彼女の声はスピーカーから流れる予鈴の音に被さったけれど、わたしの耳がそれを聞き逃すことはなかった。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 本日は夏季休暇明けの登校初日であったため、授業は午前中で終わりだ。

 なんというか、今日はとても疲れた……。

 本格的な授業は明日からなので勉強が大変というわけではなく、これは生徒達の好奇の目によるものだった。

 皆が知らないでいるというのも不便がかかるということで、わたしの容体は教師の口を通してクラスメイトの耳に届けられた。それが直接的原因なのかはわからないけれど、多くの人が押しかけてきて、休憩時間中はひっきりなしに質問攻めにあったのだ。

 明日奈さんと里香さんがいなければ今頃、あることないことを吹き込まれ、彼らの観賞動物にされていたかもしれない。

 終業のチャイムを後に多くの生徒が早足に帰宅していくなか、わたしはその2人に誘われて食堂へと足を運んでいた。

 わたしは持ってきていた弁当があったけれど、食券コーナーのささやかな誘惑に負けて杏仁豆腐を買っていた。こういう場所で買って食べるという経験が少ないのでちょっとした冒険気分に乗せられたのだ。

 食堂には同じように校舎に残った生徒が集まっており、ここでも大勢の生徒に囲まれるかと思いきや、意外に役立ってくれたのが珪子さんの存在。

 

「グルルルルルルル……」

 

 このように威嚇するため、番犬代わりに持ってこいなのだ。

 

「噛みつかないでよ」

「そんなことしませんよ!? ピナじゃないんですから!」

 

 どうだろう。手綱を離せば一目散に飛び出しそうだ。

 

「よ、よう……」

 

 そんな珪子さんに警戒しながら近づいてきたのは1人の男子生徒。

 わたしたちの中で一番背の高い明日奈さんよりも大きく、スポーツでもやっているのか半袖から見える日に焼けた腕は細いながらも筋肉の凹凸がしっかりと別れていて男らしい。

 

「がうっ!」

「だから噛みつかないの!」

「悪い。ホームルームが長引いてな」

「ううん。私たちも今来たところだよ」

 

 身体つきとは裏腹な中性的で整った顔立ちは、少々長い黒髪と相まって女性に見えなくもない。

 彼は初め、珪子さんの唸り声に眉をしかめて困ったように笑っていたが、わたしに視線を移すとそれとは違う憂いを秘めた笑顔に変わった。

 

「俺は桐ヶ谷和人。1つ下の学年で、恵利花とはSAOからの知人だったんだ」

 

 軟らかな声色で彼はそう言った。

 

「………………」

 

 長い睫毛の奥にある、薄く開かれた瞳が微かに揺れている。

 どちらかといえば可愛いと分類される顔付だけど、表情のせいか彼はとても大人っぽく見えて、格好良いと思ってしまう。

 

「どうしたの、恵利花?」

「――はっ!?」

 

 明日奈さんに目の前で手を振られてわたしは意識を取り戻した。

 

「和人に見惚れてた?」

「そ、そんなことはないです!!」

「「………………」」

 

 わたし以外の皆が目を丸くして言葉を詰まらせた。

 やってしまった。これはわたしでもわかる。

 強く否定すると逆に肯定と受け取られてしまう、あれだ。

 見惚れていたのは事実であるけれど、こうも注目されると恥ずかしさのあまりそっと両手で顔を隠してしまう。

 

「桐ヶ谷先輩! ここは女の子の花園です。男性はあっちで友達とご一緒してきてください!」

「けど色々と説明をだな……」

 

 さっそく噛みつく珪子さん。

 

「やっぱり恵利花は……」

 

 明日奈さんはなにかを考えるようにしながら小声で呟く。

 

「ビックリしたあ。記憶が戻ったのかと思ったじゃない」

「ええ!? 以前から和人さんに見惚れることがあったのですか?」

「そうじゃないわよ。そういうことをわざとやって場を掻き回すのが好きだったの」

「………………」

 

 今度は自分が理由で顔を覆い隠す。

 未来のわたしは純粋じゃないどころか、歪んで捻くれてしまっていたようだ……。

 

「本当に困るようなことはしてなかったから安心していいわよ。気の置けない間柄でのじゃれ合いみたいなものだったから」

「そうですか……。いろいろと、その、ごめんなさい」

 

 それから里香さんは珪子さんを猛獣使いのように容易く宥め、ようやく和人さんが席に着いて、わたしたちは昼食を始めることができた。

 食事中の話題はわたしの記憶について。

 先日記憶の大部分を失う前から、わたしはSAOでの記憶を失った状態であったのはかかりつけの医者から聞いていたことだ。

 ここで新たに得た情報はわたしと同じ症状の人の記憶が戻ったという事例と、その再現のために彼らとSAOのコピーゲームにわたしが挑戦していたということ。

 なんとなしに使っているオーグマーも十分現実離れした機械であったが、フルダイブと呼ばれる五感全てを電気信号でやり取りする機械も驚愕に値する。

 

「恵利花の家にもアミュスフィア――こういう機械があるはずだから、帰ったらダウンロードされてるアルヴヘイムオンラインってソフトを起動してみてくれ」

「それなら、この後恵利花の家にお邪魔してもいい? 隣にいればわからないことがあったとき便利だろうし」

「そうですね。お願いします」

「いいなあ。わたしも行きたいです!」

「あんた、アミュスフィア持ってきてないでしょ」

「じゃあ取りに帰ってすぐ行きます」

「明日奈は家が近いし、恵利花の両親も明日奈のことを知ってるからいいのよ」

「むむう……」

「今日のところは申し訳ありませんが珪子は……」

「あ、我儘言ってごめんなさい!」

 

 珪子さんは言うことは聞いてはくれる模様。

 里香さんを見習ってわたしも立派な猛獣使いになる必要がありそうだ。

 

「そうだ。恵利花が記憶をなくす前はどんな性格だったか皆に聞いてるのよ。和人から見たらどうだった?」

 

 和人さんと一瞬目が合うも、彼は順々にわたしたちの顔を見渡していった。

 

「ちなみに皆はどう答えたんだ?」

 

 彼女たちは一度答えた内容を再び口にしていく。

 最初に教えてもらったときは平気だったのに、彼にそれを聞かれるのはちょっと落ち着かない。

 記憶を失う前のわたしは彼に好意を持っていたとか、そういうことなのだろうか?

 それともこれは今のわたしだけが持ってる感情?

 

「――なるほど。なら俺は皆の言ってないところを言うか。恵利花は、そうだな……。俺と違って人付き合いが上手い性格だったよ。だから見ての通り、心配してくれる人がこんなにもいる」

 

 お世辞ではないのだと、説得力を見せつけながら彼ははにかんだ。

 

「参考になったか?」

「……はい。ありがとうございます」

 

 理想の自分にはなれなかったようだけど……。

 未来のわたしは、幸せな人間にはなれたみたいだ。




シリカ「グルルルルルルル……、がうっ!」


 ビーストテイマーというよりは、テイミングされるモンスターと化したシリカ。
 エリの記憶喪失からもうじき4カ月で、自責の念と夏休みで会えない期間が続いたせいで彼女のリミッターは壊れています。

 それと記憶喪失ながら大人びているエリですが、引き篭もる前の口調がこちらで、ネットゲームに1年半揉まれて出来上がったのがあの口調と性格です。

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