ALOの遥か上空。
今月のアップデートで実装されたばかりの新生アインクラッド22層に位置するコテージの傍らで、鳥の鳴き声に混じり刃が打ち鳴らされる音色が響いていた。
22層はSAOの頃からフィールドにエネミーが出現しない特殊な階層であったらしく、それはALOに引き継がれてからも変化はなかったようだ。
聞くところによるとここはSAOでわたしも思い入れのあった場所らしいのだけど、やってきても何かを思い出すことは残念ながらなかった。
今戦っているのは和人さん――ではなくキリトさんとユウキさん。
2人は攻守を目まぐるしく入れ替えながら、エフェクトの残像を残して駆け回る。
優勢に見えるのは攻めの多いユウキさんだがこれまでの勝率は五分五分。
彼女の電光石火な剣劇をもってさえ、キリトさんの掲げる黒猫の盾を崩すのは難しいらしい。
彼らがデュエルをする理由は大抵同じで、今日のだっていつものそれだった。
「エリはスリーピングナイツのメンバーなんだから、ボクに師事するのが当然なんだよ!」
「ユウキじゃタンクの立ち回りは教えられないだろ。その辺り、エリから直接教わった俺が教え返すのが正しいってもんじゃないか?」
鍔迫り合いの最中、詠唱の代わりに言葉を交わし、威力のない視線をぶつけて火花を散らす。
「うちにはテッチっていう優秀なタンクがいるもんね! それにボクだってこっちでエリに少し盾の扱いは習ったもん!」
「それならユウキも盾を装備すればいいじゃないか。今使わないのは自信がない表れだぞ」
「ムキー!」
ユウキさんが装備しているのは黒曜石のような色合いの片手剣一本。
対してキリトさんは幅広な片手剣と黒猫の描かれた盾を装備していた。
ユウキさんは怒りを剣に乗せて、キリトさんを身体ごと弾き飛ばす。
「もらった!」
腕を弓なりに引いた構えから繰り出されるのは、刺突の嵐『マザーズ・ロザリオ』。ユウキの必殺技ともいえる、オリジナルソードスキルだ。
「おっと」
けれどキリトさんも散々それに煮え湯を飲まされてきたこともあって、事前モーションから間合いに逃げるくらいはやってのける。
ユウキさんは彼が逃げ切れるのを確信していたようで、ソードスキルを発動させなかった。
「――――!」
代わりに唱えたのは闇属性魔法の詠唱。
キリトさんの身体が突如黒い霧に包まれ、速度低下のバフアイコンが追加される。
減少したステータスはほんの少しだったけれどそこから戦況はひっくり返らず、ユウキさんの方が元々速いということもあり、動きを制限されたキリトさんは徐々に押されてついには敗北した。
「……いやいや。今のはなしだろ」
「ふふん! 魔法禁止なんて一言も聞いてないもんね」
「そうだけどさ。エリの師匠にどっちが相応しいかを決める戦いなんだから近接オンリーだろ」
「エリだったらこのくらいやるよ」
「確かに」
「そこでわたしに振られても……。でもちょっとずるいと思います」
「えー!」
記憶を取り戻すためにALOへログインしたのがだいたい1カ月前。
そんなわたしに当然ともいえる壁が立ち塞がった。それは実力不足という壁だ。
こうして皆に教わってどうにかマシにはなってきているけれど、記憶を失う前のわたしに比べれば雲泥の差らしい。
21層から24層までのフロアボスは手厚いサポートもあってどうにかなったが、それらとは一線を画すというクォーターポイントのボスはこのままでは不安が大きい。
「じゃ、次のデュエルはボクとだね」
「スピード系のユウキを相手にするのは苦手なのですけどね」
「25層のボスは後半からスピード系にシフトするぞ」
「うう……」
重たい鎧を纏ったわたしではユウキさんに攻撃を掠らせることも難しい。
かといってキリトさんにならいい勝負ができるかというとそんなことは全然ないのだけど、盾でも叩いている感触がある分落ち込まないで済むのだ。
「それにしても不思議だよね。剣の腕が落ちるならわかるけど、アバターの速度も下がるなんて」
これは身体を動かし方が悪いとかそういうレベルの話ではないらしい。
SAOの記憶を失う前まではユウキさんよりも速かったというのは俄かには信じられない。
ALOは脳の反応速度でアバターの運動能力が決定されるらしいので、記憶にアクセスできないことで、フルダイブに最適化された脳内ネットワークにもアクセスできなくなっているのではという推測をキリトさんは言っていた。
「2人とも速くて羨ましいです」
「ない物ねだりをしてもしょうがないぞ」
「はーい」
砕けた返事にキリトさんの表情が綻ぶ。
彼だけでなく他の皆も敬語を使わないと喜んでくれるようだったが、突然やりだすと逆に気を使わせてしまうので今は少しづつ距離を縮めていっている最中だ。
言葉遣いに対してだけでなく、他の趣向についてもキリトさんは特にわかり易い。
食べ物はなんでも美味しそうに食べるけれど、ケーキに関しては毎回タルト。
服の好みは寒色系。本人は黒をよく身に着けているが見る分には青が好きなようだ。……それとわたしの持っている服に寒色系が多いことが関係あるかどうかは誰にも聞けていない。
あとは――香水? リアルの方で彼はいつも独特な甘い香りがする。あれはシャンプーとか消臭剤の香りではない気がする。
「さあ! ボクをボスモンスターだと思って全力でかかってきていいからね」
力いっぱい手を振るユウキさんに、わたしは鞘から抜いた剣を向けて作戦を巡らせた。
とりあえず、魔法での奇襲はありらしい。
▽▲▽▲▽▲▽▲
奇襲もあっさり見破られユウキさんにしばらくイジメられてると、空から複数の影がコテージへと降りてきた。
彼らは全員顔見知り。
わたしの記憶を取り戻すために協力してくれている人たちだ。
「やってるわねえ。調子はどう?」
「初めに比べて上達したよ」
「………………」
喜びではなく疑惑の目でユウキさんを見るも、彼女は本心から言っている様子で、我がことのように小さな背丈で胸を張っていた。
「一対一ならリズともいい勝負になるんじゃないかな」
「ほほう。なら後で軽く揉んでやろうじゃないの」
「お手柔らかにお願いしますね」
「それで25層のボスはどうだった?」
「私はSAOで相手してないから違いはなんとも。でも、とんでもなかったわ……」
ぐったりと肩を落としながら語るリズベットさんには、疲労の色が見える。
コテージへやってきた他の皆もそうで、彼らはさっきまで25層のボスへ先行偵察に出向いていたのだった。
「詳しくはアスナかクラインに聞いて頂戴」
ボス戦は事前に偵察隊を組んで行動パターンを洗い出し、それを元に作戦を決めて挑むのが定石らしい。49人ものプレイヤーが入り乱れる戦闘は、個々人の能力だけでなく集団の統率力が問われるとのこと。
作戦もなしに突貫するのはSAOで数度あったけど、あのときは他人の命を預かってることもあって緊張で頭がおかしくなりそうだったとアスナさんは言っていた。
なお、そのときわたしやキリトさんもその場にいたらしい。
「呼んだ?」
「ああ。ボス、どこまで行けた」
問いかけるのはキリトさん。
「1本目は削れたよ。でも2本目は全然。フルメンバーできっちりモブを処理しないと詰んじゃうのは変わらないみたい。変更点は遠距離攻撃がいくつか追加されてたことくらいしかわからなかったよ」
「ならモブ処理に専属で3パーティーくらいは割くか」
「そうだね。ボスは範囲攻撃魔法ありだから、遊撃は遠距離持ちを集めようと思ってるわ」
アスナさんは現場での指揮から作戦立案、各プレイヤーのスケジュール調整までやっている。その上作戦やボスデータを纏めた資料作りまでしているのだから、頭が下がる。
細かい作戦の議論を始めた2人の邪魔をしては悪いと思いその場を後にすると、三々五々に固まっている人たちから目当ての人物を見つけてわたしは声をかけた。
「ユイ……」
振り向いた彼女の表情が途端に笑顔へ変わった。
「どうしたんですか?」
「いえ、その……。25層のボスは強いと聞いているのですが、わたしにタンク役が務まるでしょうか?」
「大丈夫です。それにやれるかどうかじゃなくて、
「責任重大、ですね」
「話はそれだけですか?」
「あ……。なにか、アドバイスはありませんか?」
「………………」
ユイさんから表情が消える。
けれどそれは一瞬の出来事で、彼女は瞬きをしてすぐに笑顔を取り繕った。
「一撃一撃が重かったので、ガードではなく回避を優先させるといいですよ。だから防具はなるべく軽装に、斬撃よりも属性防御主体の装備がいいんじゃないでしょうか」
「装備、ですか」
「今からプレイヤースキルを上げろというのは難しいですから」
「それもそうですね。ではリズに後で相談してみます」
彼女もタンク役で装備はわたしにとても似ている。
メインタンクとサブタンクとして、ボスとの戦闘ではコンビを組んでもいた。
でも声をかけたのはそれが理由ではない。
「……さっきの戦闘で少し疲れたので休ませてもらいますね」
「はい。ありがとうございます」
「感謝されるようなことではないです」
そう言うなりユイさんは振り返らずに早足でコテージの中へと姿を消した。
このコテージは彼女が所有する物件であり寝室も完備してある。なにもおかしなことはない。ないけれど。
「はぁ……」
よろしくない所作だと知りながらも、溜息を吐いてしまう。
彼女とはまだ仲直りが出来ていなかった。
初めて会ったときに失礼な事をしてしまったわたしに非があるのわかっている。そのことについて一応謝罪はしたのだが……。
謝ったからといって許してくれるかどうかは彼女次第。
言葉の上では「気にしてませんから」と言ってくれはしたけれど、ユイさんが気にしているのは火を見るよりも明らかだ。
ご丁寧に呼称まで徹底していて、その呼び方は刺々しい。
「いらないところまで似たわね……」
いつの間にか隣にいたリズベットさんが溜息交じりに呟いた。
「ごめんなさい」
「私に言ってもしょうがないわよ。まあ、あんたが悪いわけじゃないけどね」
「……どうしたらいいのでしょう?」
「経験則から言わせてもらうと――」
「言わせてもらうと?」
「――どうしようもないわ」
「うっ……」
リズベットさんは手の平を見せて降参のアピールをしてくる。
わたしは辛辣な断言にバッサリ斬られて、胸を抑えた。
そこから心臓の鼓動が伝わってきたりはしないのだけども。
「意固地になってるっていうより、譲れない部分だからなんでしょうけどね」
「………………」
わたしの無くした、遠い過去を思い出すように目を細める彼女。
「そんだけあんたは愛されてたってことよ」
「早く、記憶を取り戻さないといけませんね」
自分のためじゃなく、彼女や、協力してくれている皆のためにも。
「あの子も今頃罪悪感で潰されそうになってるだろうから、ちょっと様子見てくるわ」
「お願いします」
そう言ってリズベットさんはユイちゃんの後を追ってコテージへと入っていく。
身長はわたしと同じくらいなのに、彼女の背中はとても大きなものに見えた。
「エリー! テッチがタンクとしての心得を教えてくれるってよ」
「そこまで大げさな話じゃないですがね」
手持ち無沙汰になったわたしに投げかけられたのはユウキの元気が詰まった声。
声のする方向へ視線を向けると、そこにはユウキさんを含めたスリーピング・ナイツのメンバーが勢揃いしていた。
「今行きます!」
この後皆に散々しごかれたのだけど、それはまた別のお話。
▽▲▽▲▽▲▽▲
先行偵察から一夜明けた、25層攻略当日。
「――では、作戦前の最終確認をします」
凛としたアスナさんの声が屋外に響き渡る。
美しくも力強い声色は一瞬にして弛緩していた空気を引き締めた。
彼女の表情は鋭い。学校ではまず見せることのないその真剣な面持ちは、緊張など微塵も感じさせない威厳に満ちたものだった。
「目標である第25層フロアボスの名称は旧SAOと変わりなく『The Dual Giant』のまま。HPバーは1本減少して4本。弱点は打撃と氷属性。蛇の双頭を持つ鎧を着た巨人の姿ですが、実際は6体の蛇が寄り集まったものです」
撮影クリスタルで記録されたボスの姿が映し出される。
他のフロアボスと相対したときにも感じる頭痛が起こり、わたしはわずかに顔をしかめた。
けれどそれはすぐに治まる。記憶を思い出しかけている兆候であるなら、治まるのが必ずしも良いことといえないのが悩ましいところ。
ボスは邪神級エネミーに比べて特に巨大というほどでもないが、人型の中では大きい部類。手にはそれぞれ、身の丈に迫るほどの両刃斧が握られている。ゲームの中なので外観通りの威力が必ずしも発揮されるわけではないけれど、事前に渡された資料ではわたしと遜色のない装備のユイさんがノーガードで受けたダメージは1撃で4割。
ハッキリ言って無茶苦茶だ。これでSAOのときから変化がないというのだから末恐ろしい。
支援魔法で補強すればもう少し軽減できるようだが、ボスの側もここから強化されていくようなので効果は見込めない。
「出現するモブモンスターは牛、鼠、蛙の3種類。出現から一定時間が経過するかボスの攻撃に巻き込まれると死亡して、それぞれSTR上昇、AGI上昇、INT上昇のバフがボスに永続的に付与されます。すべて倒すのが望ましいですが、最優先すべきは鼠です。これだけは打ち漏らしの無いようお願いします」
モブに関してはわたしの管轄ではないので片隅に留めておく程度にしておく。
「ボスフロアは遺跡風の戦場跡で、大型の蛇の死骸や武器防具が散乱しています。足元には注意してください。それではボスの基本情報に移ります。近接攻撃は戦斧によるソードスキルと、頭部による噛みつき、尻尾による薙ぎ払い。遠距離攻撃はプレイヤーを起点にした水属性の範囲魔法と、地属性の設置型攻撃魔法、それと自己強化モードによる斬撃エフェクトの延長です。それぞれの対処法について再確認を」
わたしが注意しないといけないのは自己強化モードか。
仲間の位置を確認して被害を出さないようにしないといけない。
資料には範囲攻撃のターゲットにされたときは外周へ移動して周囲を巻き込まないようにすることと、設置型攻撃魔法は各パーティーでローテーションを組んで踏み抜くことで解除していく作戦が書かれていた。
「HPバーが2本目に突入してからはここにディスペルと広範囲麻痺の魔眼、高速モードが追加されます」
ディスペルは他のフロアボスでも基本装備を言わんばかりに持ち合わせていた能力で、ヘイトトップのバフをすべて解除する魔法だ。魔法は当然のこと、ポーションどころか食事アイテムの効果さえ消えるため、わたしのアイテムストレージには簡易食料としてプリンが積まれている。
戦闘中にユイちゃんと交代で早食いしなければならない絵面は、なかなかにシュールなものだ。
魔眼は発動モーションとして数秒頭を上に伸ばして動きを止めるようだ。発動と同時にエリア全体に光を放ち効果を及ぼすが、そのとき目を瞑っていれば効果を受けないで済むらしい。これについてはアスナさんが注意を促す手筈になっている。
最後の高速モードについては、バフのスタック数によって効果が上昇し、硬直モーションがキャンセルされるとのこと。発動中は魔法による全力支援で凌ぐことが赤字で書かれていた。
「おそらくですがHPバーが3本目となった段階で分裂すると思われます。その場合はエリがヘイトを取った対象へ近接攻撃を集中させて短時間で撃破を行います。これで再度合体しない場合は集めた他の分裂体を1体ずつ引き剥がして撃破していきます」
わたしが受け持つもの以外はユウキが集めて誘導するようだ。
選ばれた理由は足の速さから。彼女はタンクのように攻撃を受け止めて支えるのではなく、背後に引き連れてフロアの外周を駆けまわることを期待されている。
「最後の1本に入るとSAOのときは常時高速モードになりました。温存した魔法を集中させつつ、選出されたプレイヤーは攻撃に参加してください。このとき指揮はサクヤさんへ委譲。私も攻撃に加わります」
リストアップされたのは異論が挟まれないほどのトッププレイヤーのみ。
「共有事項の説明は以上となりますが、質問はありますか?」
真っ先に手を上げたのはユウキさん。
「その高速モードってどのくらい速いの?」
「バフのスタック数にもよりますが、最終的にはクラインさんでギリギリでした」
名前を呼ばれて照れ隠しに後頭部を掻くクラインさんだが、他のメンバーは引き攣った笑みを浮かべることになる。
なにせ彼はこのレイドパーティーで5本の指に入る強者だ。
正直わたしでどうにかなるとは思えず、一緒に引き攣った笑みを浮かべることになる。
「他には?」
その後の質問もアスナさんは丁寧に捌いて段取りを確認すると、わたしへアイコンタクトが送られて予定通りにスピーチをすることになる。
集団の先頭に立ち全員の顔を一瞥すると深呼吸を少々。それから昨晩用意した原稿を諳んじる。
「今日はお集まりいただきありがとうございます。ここにはわたしの友人が集まってくれたと聞いておりますが、その記憶はなにひとつ思い出せません。ですがこれだけの人が集まってくれたのですから、きっとそれは掛け替えのない思い出だったのでしょう。だからどうか、失った記憶を取り戻すためにわたしに力を貸してください。――お願いします!」
頭を深く下げると、拍手が沸き起こった。
大勢の人々から送られる喝采は胸によく響き、身体の底から気力が漲ってくる。
そうしてわたしたちレイドパーティーの本隊49名と、ダンジョンで消費するアイテムの運搬兼、攻略開始直前にバフをかけるため動員された補助隊7名の計56名が、25層のダンジョンへと足を踏み入れた。