レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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64話 夕暮れの少女(4)

 夜闇の中で光を灯すかのような、ソードスキルによるエフェクトの輝き。

 崩れかけてほとんど原型を残していない遺跡には、鋼の打ち鳴らす音と勇ましいかけ声、それから石床を砕く喧騒が轟いていました。

 辺りには、古戦場をモチーフにしたのか風化した刀や槍が突き立てられており、散乱しているのは巨人用に仕立てられた鎧の数々。

 ここは四方が壁で閉ざされた、次の階層へと続く架け橋、新生アインクラッド25層のボスフロアでした。

 

「エリさん。スイッチを」

 

 淡白な声色。

 自分の吐いた言葉に嫌悪感を覚えながら、わたしは25層ボス『The Dual Giant』の振り下ろす戦斧を左に躱していきます。

 勢いのままに叩きつけられた床は新たな窪みが作られ、飛び散った破片の舞い落ちる音がノイズとなって思考領域を掻き乱していくかのようでした。

 ボスエネミーの攻撃は遅く、回避が困難ということはありません。

 一般のプレイヤーであれば集中力というものを消費していくためどこかしらでミスが誘発されることもあるのでしょうけれど、わたしは人間ではないので、そのようなこと状況には陥りません。

 もっとも、想定されている速度にまで上昇した後は別の問題が起こりますが……。

 わたしを司るマシンスペックとは別に、このALO内で許されている処理能力――高位のクエストNPCと同等のそれでは、対応力が追いつけなくなる可能性は高いのです。

 キリトさんやユウキさんのように、アバターの運動性能が高いということはありません。

 わたしの能力とは、あくまでその程度に過ぎないのです。

 

「わかりました。……3、2、1、スイッチ!」

 

 彼女の声にも酷い不快感があります。

 同じ人物が発しているというのに、どうしてこれほどの違いがあるのでしょう。

 口調の違い。イントネーションの違い。……内面性の違い。

 それらをわたしが語るのはおこがましいと理解しつつも、やはり違うのです。

 エリさんの放ったソードスキルがボスの足の突き立てられるのを確認すると、わたしはアスナさんの率いる回復部隊の元まで撤退。

 ボスの相手をメインタンクであるエリさんに任せました。

 

「はあ……」

 

 不要な息遣い。

 呼吸というものが設定上存在するだけで、生命維持に必要であったことなど一度もないはずなのに、思わず口からこぼれたそれはまるで人間みたいで……。

 

「大丈夫、ユイちゃん?」

「いけます」

 

 声をかけたくれたアスナさんへ振り向くことなく返答を。

 急ぎポーションの液体を流し込んで減少したHPを治療すると、わたしはヘイトを稼ぐべくボスの側面に回り込んで攻撃に戻りました。

 AIであるとはいえ、スペックの制限された環境でのわたしは実力が高いとはいえません。

 タンクとしてのノウハウをお姉ちゃんから学んだという自負はあれど、運動性能の差は如何とも覆せず、サブタンクをするならわたしよりもキリトさんの方が適役だったでしょう。

 けれどもこれはボスを倒すことそれ自体が目的なのではありません。それは必要と思われる過程であって、求める報酬はレア装備でも莫大なユルド通貨ではなく、お姉ちゃんの記憶なのです。

 

「テッチさん、クラインさん、リーファちゃん、ターゲットされてます。外縁部へ退避!」

 

 ボスのHPバーはまだ最初の1本。

 範囲魔法が炸裂して毒の霧が散布されましたが、アスナさんの警告もあってかターゲットにされた3名は発動前に外縁部へと移動することに成功して被害を拡大させずに済んだようです。

 直径100メートルもあるボスフロアですが、このサイズを十全に活かさなければならない、過酷な難易度設定でした。

 

 設置型の攻撃魔法は熟練のプレイヤーが多く集まっているということもあって難なく処理しています。問題となるのは自己強化による遠距離モードでしょう。

 ソードスキルのエフェクトが射出され外壁部まで到達するようになるという能力は珍しいものではなく、他のフロアボスでも使用する例はありますが、この場合厄介なのは出現するモブエネミーに命中してしまうことです。

 ボスの攻撃が命中したモブエネミーは1撃で死亡し、ボスのバフを累積させていきます。

 攻撃エフェクトを盾でガードすることも試してみましたが貫通属性持ちで停止には至らず、防御系魔法でのみ、その進行を止められるようです。

 もっとも、その防御系魔法はMP消費が大きい魔法。バフの累積を抑えるためすでに使用していますが、後半でのMPはかなり苦しくなりそうです……。

 

「HPバー2本目注意!」

 

 ボスのHPは緩やかに削れて行き、ついに1本目がなくなるところ。

 最後の1本が本番。それまでは前哨戦と言われるのがフロアボスとのことですが、このクォーターポイントのボスは次の段階で解放される高速モードが鬼門でしょう。

 これをエリさんが対処できるかどうかは重要な要素です。

 

 エリさんの実力は低くはありませんでした。

 これまでの戦闘でボスの使ったソードスキルの直撃がないことからもそれは証明されています。

 彼女の戦闘スタイルは死中に活を見出すように、距離を詰めてボスのダメージ効率を発揮できない間合いで戦うというもの。

 キリトさんが教えたのでしょうか……。

 それはわたしもお姉ちゃんから教わったテクニックでした。

 

「シュルルルルル……」

 

 ボスがHPバーの1本目を失うと同時に不気味な唸り声をあげました。

 事前に聞いていた高速モードの開始合図。

 さらにヘイトはHPバーの喪失と同時にリセットされているはずなので、この状態ではどこに襲いかかるかは不明となっています。

 

「エリさん。来ます。ヘイトを」

「はい」

 

 エリさんがソードスキルを放ち、ひとまずのダメージ。

 ヘイトは彼女へ向いたでしょうがこの程度ではすぐに剥がれることが目に見えています

 ですがさらなる攻撃に打って出る前に、ボスの巨体が動き出しました。

 

 大地を揺るがすような突進。先程までと比べ物にならない速度ではありますが、バフが多く累積していないおかげかまだ素早いだけというレベル。エリさんも横に逸れて回避に成功。もう一本の腕に握られた戦斧が地面に突き立てられ、ソードスキルによる衝撃波エフェクトを撒いたためわたしもエリさんもガードを選択。

 足を止めさせられた彼女へは盾の上から蹴りが圧し掛かります。身体を沈ませて受け止めていますが、そこに続けて3連撃のソードスキルが襲いかかっていました。

 

「スイッチ!」

 

 わたしは彼女とボスの間に割り込んで攻撃を肩代わり。

 旋風が髪を揺らし、腕には重たい衝撃が伝わってきます。

 押し切られる。

 瞬時に結果を弾き出したわたしは、ソードスキル『震脚』を起動して物理演算を塗り替えます。

 ソードスキル後の硬直時間は刹那。

 それでも、ボスはその隙とも言えない時間の合間に攻撃を差し込んできます。

 薙ぎ払われる戦斧。

 ――それを受け止めたのは強力な水属性の障壁でした。

 

「ユイちゃん!」

 

 打ち合わせ通りとはいえ、絶妙なタイミングでの支援。

 この手の防御魔法でやりすごせるなら高速モードの対処もそう難しくは――。

 

「シィイイイイイイ!」

 

 耐久度はまだ残っていたというのに、ドーム状の青白い半透明の膜が消失。

 原因を突き止めるまえに振り払われた戦斧をしゃがんで回避。空気を引き裂く勢いに巻き込まれてバランスを崩しますが、追撃を地面に手を突き前転しながら切り抜けます。

 範囲攻撃の連打。こればかりは完全な回避とはならずHPがガードの上から減少。

 わたしのHPはイエローゾーンをとっくに過ぎ去り、3割となったところで回復魔法の支援が間に合い持ちこたえました。

 

「はあ。はあ。はあ……」

 

 効果時間が切れてボスは無防備に停止。

 この隙にダメージを重ねてヘイトを上昇させなければと、煮え立つ身体を引きずってアシストモーションに従いソードスキルを叩きつけます。

 小休憩ともいえる攻撃の最中、次々と浴びせられるスタータス上昇の支援魔法にわたしは先程の現象の答えを得ました。

 確認するとわたしが事前に受けていたバフのすべてが消えており、ボスがディスペルの魔法を使用したことは明白。

 どうやら上昇するのは身体の運動性能だけでなく、魔法の詠唱速度も含まれていたようです。

 

「エリさん。次は、お願いします」

 

 わたしでは持ち堪えられないからというだけでなく、これはかつての再現なのでなるべく過去の事例に近づけようという算段です。

 わたしが参加してくれている旧MTDの人たちと同じ、黒地に赤の鎧を着ているのもそのためでした。

 

「が、頑張ります」

 

 頼りない声。

 わたしはしかめた表情を隠すよう彼女から顔を背けてしまいます。

 こんなとき、お姉ちゃんだったら不敵に笑ってくれる場面なのです。

 同じ顔。同じ声。かつての面影を感じさせ、けれども決定的な違いを突きつけるエリさん。

 記憶がないだけで人はこんなにも違うのでしょうか?

 こんなにも苦しませる存在になるのでしょうか?

 だったらそれはとても皮肉な話で……。

 ――わたしという存在は、どれだけお姉ちゃんの心を苦しませていたんでしょうか?

 

「シャアアアアアアア!」

 

 ボスが鎌首をもたげ、周囲を見渡す動作は魔眼の合図。

 

「魔眼注意! 目を閉じて回避を!」

 

 瞼の上から感じる赤い禍々しい光を受け流すとすぐに攻撃を再開。

 けれども視界を閉じたことで連携が鈍ったのを読んでか、ボスは範囲攻撃魔法を放って陣形を掻き乱しにきました。

 泡立つSEはヒーラーの詰めている位置から聞こえ、振り向くとターゲットにされていたのはアスナさん。

 指揮官からの指示が途切れる中、高速モードのクールタイムは刻一刻と進んでいます。

 

「シュルルルルル……」

 

 ボスの本格的行動が再開。

 エリさんは間一髪で初撃を回避しますが、織り交ぜてくるのは範囲攻撃のソードスキル。足元を隙間なく覆う連撃を飛び退いて逃れようとしたところで、ボスは突進系ソードスキルに転換。

 連撃系にしか思えない攻撃の波は、実際のところ単発系ソードスキルを硬直時間を無視して発動させているだけなため、1回1回の振り下ろしから別のソードスキルに繋げることは理論的には可能です。

 

「ユウキ!」

「うん!」

 

 エリさんと擦れ違い、正面に躍り出たキリトさんとユウキさん。

 2人は片手直剣単発重攻撃の『ヴォーパルストライク』を重ねてボスの動きを少しだけ留めると、その間に体勢を整えたエリさんが突進してソードスキルを潜り抜けます。

 けれどもボスはモーションをキャンセル。ソードスキルを任意で終了させる仕様を使いますが、その場合も課せられるはずの硬直時間は起こりません。

 

「エリさん!」

 

 バックステップでエリさんに追随するボスは空中でソードスキルを発動。

 ありえない方向で飛来する衝撃波壁を彼女は盾で受けますが、足を止めた途端に連撃系のソードスキルでが叩き潰しにかかります。

 それを受け止めたのはまたしても防御魔法の障壁。ボスのディスペル。再度の攻撃。ガード。

 エリさんのHPが減少しているのか確認する暇も惜しんで、ヒールが湯水のように与えられそのエフェクトがオーラのように彼女の身体を包み続けていました。

 ディスペルは持続効果を解除するものであって決して魔法を打ち消すものではありません。

 ヒールは瞬発的にHPを回復するため、ディスペルをされても効果は如何なく発揮されます。

 これならばMPが続く限りエリさんがやられることはないでしょう。

 ――その楽観視は早々に打ち砕かれることになりました。

 

「――っ!?」

 

 立て続けに起こる爆発音。

 ボスの放った範囲攻撃魔法が、エリさん以外のプレイヤーに殺到したのです。

 詠唱時間も速度上昇の影響を受けているのは理解していましたが、あまりに理不尽な攻撃速度に退避の間に合わなかった彼らは周囲のプレイヤーごとモブエネミーにダメージを与え、ボスのバフが強化されていきます。

 たちまち加速したボスはDPSが上昇。今の魔法でヒーラーの一角が混乱している影響もあってか、回復魔法との均衡は崩れ始めます。

 わたしも即座に回復魔法を詠唱。

 彼女のサポートに回りますが、ついにガードが間に合わずクリーンヒットを受けてHPはレッドゾーンに追い込まれます。

 

「………………」

 

 そこで運よくボスの攻撃は止みました。

 エリさんのHPはギリギリ健在。死亡したところで残り火になるだけですが、SAOの再現ということもあってこれまでの攻略通り、それはどうしても避けたい事態でした。

 

「もっと高位の魔法を使って、範囲攻撃に巻き込まれていない人でローテーションしましょう。場所は分散。遠距離攻撃は自力で回避。アタッカーの回復はそれぞれのパーティーメンバーで対応。質問や代案、改善点はありますか?」

 

 ボスが停止している隙にアスナさんは混乱しているヒーラー部隊へ指示を飛ばします。

 それから続けて攻撃魔法が得意なプレイヤーを集めた遊撃隊に、高速モードに入ったら頻度を上げてモブの処理を徹底するように伝えていきました。

 それを小耳に挟みつつ、わたしにできることといえばポーションでMPを回復しながら、ボスのHPを削ることだけ。

 

 ……もっと、自分にはなにかができるのだと思っていました。

 レイドチームを結成するにあたって、サブタンクという重要なポジションを誰が務めるかという議論で真っ先に上がったのはわたし――ではなくキリトさん。

 能力的には申し分なく、お姉ちゃんとの付き合いも長いため適任だろうと。

 それに反対する形で自推したのがわたしです。

 口には出しませんでしたが、25層でなにがあったのかを知っていましたし、お姉ちゃんを助けるのはわたしの役目だと思っていたのです。

 

 結果は見ての通り。

 わたしは足手纏いにならないことがやっとで……。

 それどころか普段わたしが取る行動は酷いものでした。

 彼女は決して悪い人ではないのです。むしろ気質はお姉ちゃんよりも善人寄りでしょう。

 記憶を失っただけなら、そもそも昔のお姉ちゃんであるはずなのです。

 それでもわたしは、あの人をお姉ちゃんと認めるわけにはいきませんでした。

 肉体を持たないわたしにとって、同一性を証明する手立ては蓄積された記憶の有無であるからでしょうか。

 だからといって、まったく知らない人として接するにはあまりにも似ている彼女に、わたしの感情模倣機能は混乱をきたしていました。

 

 お姉ちゃんの命令で嘘を吐くことはできていたのに、エリさんのことは騙すことができないなんて。

 きっとこういうのを我慢の限界というのでしょう。

 わたしは度重なる負荷で、AIであるにも関わらず我慢の限界に達していたのです。

 思い返せばそもそも、お姉ちゃんに出会えた理由それでした。

 わたしはどうやら最初から我慢強く作られてはいなかったようです。

 

「HPバー3本目、注意!」

 

 出し惜しみをせずに魔法を使用したおかげで、その後3度あった高速モードはどうにか切り抜けることが出来ました。

 ボスのHPは行動不能になる度に一斉攻撃で大きく減少。アタッカーがモブを倒しているパーティーとローテーションを組むことで、ヘイトを抑えつつDPSを格段に上げたこともあって、ボスのHPはついに3本目に入る寸前でした。

 念のため遠距離攻撃で最後は削ると、ボスは戦斧を落として形を変えます。

 ボロボロと床に落下する巨大な鎧のパーツ。

 中から這い出た大蛇の頭上には『The Giant Eater』の名と1本のHPバー。

 その数はSAOのときとは変わらず6匹――?

 

「ええ!? うそぉ!」

 

 ユウキさんが戸惑いの声をあげたのもしかたがないこと。

 瓦礫の下からも同様の大蛇が6匹現れたのです。

 名前は同じですが、追加で現れた大蛇には損傷が多く見られ、傷口から覗く肉は腐っているようにも見えます。中には体に刀が突き刺さったままの個体まで。

 おそらくはアンデッドなのでしょう。

 

「どうするの、アスナ!」

「作戦続行。ユウキは敵を引きつけて!」

「わかった!」

 

 ユウキさんが闇属性の範囲魔法を使いますが、相性が悪いようでダメージは少量。

 ヘイトを集めて注意を引くことには成功していますが不安の残る値です。

 

「ユウキ。こいつを使え」

「ありがと」

 

 クラインさんはあえてエネミーに直接投げつけることはせず、炎属性の爆発を起こす消費アイテムをユウキに渡すと、彼女は集まった大蛇の大群を燃え上がらせてヘイトを増加させます。

 

「エリ、今!」

「はい!」

 

 アスナさんの合図で、エリさんは最後尾の大蛇にソードスキルで突撃。

 注意を引きつけると場所を中央に移して分断していきます。

 分断した大蛇は集中攻撃で撃破する計画。

 ユウキさんはその間、11体の大蛇に追われながら外周部分を走り続けなければなりません。

 

「お願いいいいい! 早くしてえええええ!」

 

 意外と余裕のありそうなユウキさん。

 とはいえモタモタしていられないので、アタッカーの攻撃を集中させていきます。

 大蛇の性能は見掛け倒し。このメンバーで苦戦することはないでしょう。

 

「アスナさん。この数どう思いますか?」

「……パーティーリーダー集合!」

 

 アスナさんは逡巡するとそれぞれのパーティーリーダーを招集。

 

「大蛇の数からボスの数が2体に増えると思います」

「俺も同意見だ。西と東で分けるか。東はエリに任せるとして、西はどうする?」

「タルケンさんにお願いできますか?」

「おう! 風林火山の意地、見せてやるよ」

 

 あのボスが2体に増えると聞いただけでALO組は驚愕を隠せなくなっていましたが、SAOで攻略組として長年戦い抜いた2人は極めて冷静なまま作戦を立てていきます。

 

「エリのところから片付けるとして、こっちにもヒーラーとサポートをそれぞれ1人つけてくれ」

「わかりました。サクヤさん。お願いします」

「任されよう」

 

 サクヤさんの率いるシルフプレイヤーから1名ずつ捻出することが決定すると、すぐに彼らは解散。それぞれのパーティーに通達へ回り出します。

 

「エリさん、スイッチを。通達があるので聞いておいてください」

「わかりました!」

 

 つつがなく彼女と交代。わたしが一度大蛇を引き受けることになります。

 ここまでは上手くやれました。

 ……いえ、上手くやれていないというのが正確なところ。

 お姉ちゃんの記憶は未だ戻っていないのですから、どれだけボスのHPを減らそうと同じことなのです。

 

 これで本当に記憶は戻るのでしょうか。

 ユナさんを信用しないわけではありません。でも24層までで上手くいかなかったのですから、楽観的にどうにかなるとは思えなくなってしまったのです。

 もしも、このまま記憶が戻らなかったら……。

 わたしはどうすればいいのでしょう?

 ずっとお姉ちゃんの記憶を取り戻す方法を探し続ける?

 それは想像したくない恐怖です。

 我慢強くないのがわたしなのですから、耐えられなくなるにきまっています。

 

 お姉ちゃんが記憶を失って1カ月半。

 SAOでの記憶を失ってから数えればもう5カ月以上経ったことになります。

 それはまだ短い時間でしょう。

 けれど日々積み重なっていく時間が、お姉ちゃんの温もりを過去へ過去へと追いやっていくようで、不安に苛まれない日はありませんでした。

 お姉ちゃんとの出会いはキリトさんやアスナさん、他のSAOサバイバーの皆さんに比べれば短いのです。けれどわたしにとっては生まれてから一番一緒にいた人なんです。

 この人を失って生きていくなんて、わたしにはできません。

 

「シュゥゥゥゥゥ……」

 

 大蛇の1体を撃破しても状況に変化はなし。想定通りの展開だったため、エリさんが新たな大蛇を引き連れて同じことを繰り返します。

 2体目を倒すと今度こそ大蛇が合体。

 巨人を模した集合体を2つ組み立てて、『The Dual Giant』の名と最後のHPバーを掲げます。

 

「シャアアアアアアア……」

 

 片方は落ちていた戦斧を拾い二刀流。

 片方は身体に刺さっていた刀を抜いて二刀流。

 どちらも緩慢な動作でわたしたちを品定めするように見渡しています。

 

「攻撃かい――」

 

 アスナさん声を遮るように、ボスの姿も掻き消え――。

 

「がっ!?」

 

 現れたときには味方の1人が刀で斬られた後でした。

 巻き起こる土煙の跡は、ボスの走り去った道筋を恐ろし気に物語っています。

 速い、とは全員が聞いていました。

 高速モードが永続化するものだとも。

 でもこれはあまりにも桁違い。まさか目で追うことさえできないなんて……!

 

 土煙から放物線を描いて弾き飛ばされてきたサラマンダーのプレイヤーはガードが間に合ったのかHPはイエローゾーンで留まっています。

 けれどそれも一瞬の間だけ。

 飛翔するソードスキルのエフェクトが彼を空中で捉えて撃墜。

 死体の代わりに、その場には残り火が矮小に漂うだけでした。

 

「うそ……」

 

 驚いている間に、ターゲットを変えたボスが新たな犠牲者を生みます。

 今度は連続した範囲魔法。2体のボスは連携するように攻撃を合わせて1パーティーを壊滅させながらもその動きは一向に止まることがありません。

 

「防御魔法を!」

 

 小細工など通用しないとばかりに強固な結界はディスペルで打ち消され、魔法を発動させたプレイヤーが残骸と化します。

 

「シュルルルルル」

 

 感情を表さない深紅の瞳がわたしを見つめたかと思うと、次の瞬間にはわたしの目前に迫って刀で振り払った後でした。

 咄嗟に盾を構えられたのは偶然です。

 身体は抵抗が間に合わず地面を転がり、遺跡の壁にぶつかってようやく止まります。

 血のように流れ出たHPは7割。魔法攻撃が命中しても死亡しかねない数値です。

 ここはALO。SAOと違って死んでもお終いではありません。

 彼らも蘇生魔法を受ければすぐに戦闘を再開できるでしょう。

 それはわたしも例外ではないのです。

 

 ああ……。でも……。

 もしもここでわたしが死んでしまったらお姉ちゃんの記憶は戻らなくなるかもしれない。

 可能性の話であってもそう考えると、ボスが握りしめる刀はわたしの心臓を貫く白木の杭であるかのようでした。

 

 お姉ちゃんにもう一度会いたい(死にたくない)

 

 わたしを撫でて。

 わたしを抱きしめて。

 わたしを励まして。

 わたしを褒めて。

 わたしを――、

 

「助けてよ……お姉ちゃん……」

 

 終焉をもたらす死神は、命を刈り取るように刃を振り上げていました。

 涙で霞む視界。

 盾を構える気力すら沸き立たず、無力感に苛まれた手は無為に虚空を彷徨うばかり。

 現実を直視することを拒んだ瞳は、雷鳴のような音を立てて降り注ぐ結末から目を逸らして、ついには硬く瞼を閉ざしてしまいました。

 

「………………」

 

 疾風が肌を撫で、辺り一面に響き渡った轟音。

 大地の揺れるような衝撃は、ダンジョンが倒壊するのではないかというほどのものです。

 けれど、いつまで経っても断罪の一撃はこの身を引き裂きませんでした。

 代わりに温かな感触がわたしの肩を抱いていて、恐る恐る目を開けるとそこにあったのは――。

 

「お姉、ちゃん……?」

 

 不敵な笑み。

 エフェクトの火花に照らされた光景は、まるで夜明けの輝きみたいで。

 

「助けに来たっすよ。ユイ」

 

 それはわたしを知る、世界で一番大切な人の横顔でした。


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