SAOがクリアされ、待っていたのはクソみたいな現実だ。
寝たきりだった身体は面倒なリハビリなしじゃマトモに動かなくなっていたし、それが終わればうんざりするようなカウンセリングという名の尋問に襲われた。
俺がアインクラッドの地を闊歩していた隙に、母親はSAOサバイバーに支払われる慰謝料を受け取って失踪。かつて暮らしていたアパートメントはとっくに引き払われていた。
事件当時学生だった少年少女を集め、高校卒業資格まで授与する学校を設立するという話があったが、俺は当然断らざるを得ない。ジョニー・ブラックは素顔こそ知られていないとはいえ、SAOのことが話題に上がれば、上手く隠し通せるものでもないからだ。
よって俺が選べたのは、政府の考えた社会人向けの支援プログラムに沿った社会復帰――つまりは就職という道だった。
新たな住居と給付金を受け取り、ひとまずはフリーターとしてバイト先を探す日々。
ザザに会いに行けるようになったのは、クリアから3カ月ちかく経った後だった……。
俺は先月リハビリを終えたところだが、彼の方はかなり長引いていると、メールでのやり取りで聞いている。
最近ニュースで取り正されているALO事件には巻き込まれなかったというが、少し心配だ。
保谷から池袋線に乗り、スマホの地図を頼りに向かったのはザザが入院しているという
一際大きく、外観にまで清掃の行き届いた建物は探すのにさほどの苦労もなかった。
内側はハイテクで、看護婦に面会の旨を伝えてしばらくすると通行パスなるものを渡され、セキュリティロックのされた病棟に案内される。
こんなに立派な病院ともなれば、食事もさぞかし美味いのだろう。
俺の収容されていた場所とは大違いだ。
――しかし、静謐な廊下を看護婦の後に続いて歩いているうちに、羨望は霞と消えた。
「新川昌一さん。ご友人がお見舞いに来ましたよ」
「どうぞ」
懐かいくぐもった低い声が返され、看護婦がドアを開ける。
ドアの向こうは1人部屋のようだったがかなり広く、装飾も凝らされていた。病室というよりも、ホテルの一室と言われた方が納得できるほどだ。
けれどもベッドに横たわる人物の痩せ細った腕には、点滴のチューブが伸びて病人然としている。
俺もSAOからログアウトしてすぐの頃は骨ばった身体をしていたが、ベッドの上の彼はそこから改善しているようにはまるで思えない。
彼がこちらに向ける瞳は物憂げで、酷く卑屈に見えた。
「では、ごゆっくり」
看護婦が去って数秒。
俺たちは無言で見つめ合っていた。
感動の再会というには、後ろめたい気持ちが混ざって濁りすぎている。
ここにはSAOを震え上がらせた殺人鬼集団の幹部がいるのではない。
こんな腕では剣を振るなんてもっての外だ。
俺たちはもうただのひ弱なガキで、そんなガキが馬鹿みたいに顔を合わせているだけだった。
「や、やあ……」
「………………」
空気が重い。こういうのは苦手だ。
俺は意を決して肺に空気を取り込む。
「聞いてくれよザザ!」
取り繕った明るい声。
「さっきそこの廊下で黒猫と擦れ違ったんだけど! どうなってんの!?」
「猫?」
「あ、違う違う! 黒猫って、あの黒猫の剣士様の方ね。攻略組の、キリトとかいう」
「ああ」
羨望が霞と消えたというのは、つまりそういうことだった。
素顔を知られていないおかげでどうにかやりすごせたが、いつバレるんじゃないかと気が気でない。
時間の許す限りザザの見舞いに来てやるつもりだったが、その気も一気に失せかけていた。
いや、来るけどさ……。
「めっちゃビビったんだけど」
「そうか」
「反応薄くない!?」
「いや」
「そう? まあいいけどね」
相変わらずというか。ザザらしいというか。
淡白な返答だ。
「で、どういうことなの?」
「知らん」
「えー……」
「嘘だ」
「んん?」
「なんだ、その顔は。俺も、冗談くらい、言う」
「わかり難いよ!?」
「そうか……」
これは……、しょんぼりしている顔だろうか。
全然表情が読めない。
付き合いが長いっていっても、顔見るのはこれで2度目なんだよな。
それで理解しろとは無理な相談だ。
「閃光と、エリが、入院している。その、見舞いだろう」
「マジかよ……。なんで魔窟になってんのさ」
「ここは設備が、整ってる、からな。2人も家が、裕福なのさ」
「じゃあザザの家も裕福なんだ」
「父親が、ここの院長だ。そういう関係で、な」
「羨ましいこった」
「存外、いいものでは、ないぞ」
「ふうん」
これはわかる。
嫌そうにしている表情だ。
「身体は大丈夫なの? リハビリ進んでる?」
「元より、この調子、だからな。どの道、ここから、出られはしないさ」
ザザにつられて窓の外に視線を向ける。
眼下に広がる中庭は、外の世界ではあれど区切られた人工的空間だ。
SAOよりはるかに狭いそこは、囲むように建てられた病棟と相まって、まるで檻のように思えてくる。
「…………エリにゃんたちは?」
「2人は、最近まで昏睡状態だった、らしい。ALO事件、というやつだ」
「エリにゃん、呪われてんじゃねえの……」
真面目にお祓いとか行った方がいい。
きっと殺されたプレイヤーとかの呪いだ。
そうなると、俺やザザも祓ってもらった方がいいのかもしれないけれど。
「てかエリにゃんの病室近くなんでしょ? ちょっと顔出してくるかなぁ」
「骨は、拾わんぞ」
「冗談だよ」
今更どんな顔して会えというのか。
SAOがクリアされたといっても過去が消えてなくなるわけではない。
死人は蘇らないし、違えた道は交わらない。
カウンセラーは俺のことを被害者だと言い、法律はゲームクリエイターの茅場晶彦にすべての罪を着せはしたが……。
あの場にいた誰もが納得はしないだろう。
もちろん、俺自身も。
「お前も、冗談は、わかり難いぞ」
「嘘だろ!? 俺のは絶対わかり易いって!」
「………………」
「なんか言えよ!?」
「本当に、わかり易いのか、考えていただけだ」
「はぁ。これでも俺って慎重派じゃなかった?」
PoHやエリにゃんに比べれば格落ちも甚だしいだろうけど。
ザザよりはかなりマシだし、他のレッドプレイヤーと比べてもかなり慎重な部類だったはずだ。
臆病だったと言いかえてもいいだろうが、そのおかげで最後まで逃げおおせたのだから実績もある。
「そう、だったな。そんなお前を、よく、連れまわした、ものだ。――悪かったな」
「謝んなよ。俺だって好きでやってたんだしさ」
「お前と、弟くらいだ。見舞いに、来てくれるやつなんて」
「そいつは上々。俺なんて誰も来なかったんだぜ」
「すまん」
「いいって。俺の方は個室じゃなかったから、気にせず会話なんて出来なかっただろうしさ」
「そうか」
そりゃあ、見舞いに来てくれてたら嬉しかっただろうけど。
見舞いに行くのも悪いものじゃない。
「――お前は、そういうやつだったな」
「なんだよ、それ」
「さあな」
楽しい時間というのはあっという間に過ぎるらしい。
ザザとの面会時間もあっという間に過ぎ去った。
俺は「また来るね」と言い残し、病院を後にする。
クソみたいな現実も、友達がいればそう悪くはない。
▽▲▽▲▽▲▽▲
SAOで過ごした2年という月日は世間の科学技術を大きく押し進め、街に出るまでもなく時代に取り残されたかのような錯覚を受ける。
ナーブギアも大概理解できない原理をしていたが、後継機として安全面を見直されたアミュスフィアというフルダイブ機器が開発され、懲りることもなく、いくつかのVRMMOのゲームが発売されているそうだ。
その結果がALO事件であり、笑えない話なのだが、しかしそもそもにおいてスマートフォンどころかパソコンの原理さえよく理解しないまま使っているのが現代人の常だ。
理解できない闇に危険が忍んでいたとしても、人間は利便性の前に目が眩み、麻薬のように科学に依存し逃れることは出来ないということなのだろう。
アミュスフィアの販売台数は依然として好調で、事件の後もALOは運営会社のレクトこそ解散したものの、ゲームそのものはベンチャー企業に権利が売り払われサービスは続行。プレイヤー人口も大きな減衰には至らなかったというのだから度し難い。
かくいう俺も、政府の支援委員会から送られてきた『オーグマー』という最新AR機器を使おうとしているのだから人のことは言えない。
俺も立派な科学中毒者というわけだ。
それだけではない。ナーブギアこそ取り上げられはしたが、アミュスフィアを使い俺やザザはVRの世界に再び身を浸していた。
担当のカウンセラーが知る限りでは、SAOサバイバーでアミュスフィアを使っていない人間の方が少数派らしい。
そう聞くと所沢の病院ではないが、仮想世界の何時何処ですれ違っているやも知れないと思い気が気でなかった。
SAOを
そういった経緯から、オーグマーこそ使いはすれ、提携企業のサービスには魅力を感じるものの、初期インストールされていたアプリケーションゲーム『オーディナルスケール』には手を出さないつもりでいたのだ。
なにせオーグマーはSAO帰還者に配られているというのだから、イベントバトルでうっかり鉢合わせになりかねない。
――俺の考えが変わったのは、一通のメールが切っ掛けだった。
『PoHだ。突然のメールで驚いているかもしれんが、単刀直入に聞く。ユナの情報はあるか?』
送信元のメールアドレスは日本のものではない。
検索にかけてみると、ドメインが中国のものであることがわかった。
いや。問題はそこではない。
彼が俺のアドレスを知っていることに不思議はないが、連絡をしてくるとは夢にも思っていなかった……。
改めて読み返す。
ユナという名前は忘れもしない。
俺が殺してしまったSAOのプレイヤー。エリにゃんの友達で、ラフィン・コフィンが解散する原因となった人物だ。
ラフィン・コフィン解散後に情報を集めてみたが、俺が知っていることは多くない。
今更どうしてPoHが聞いてくるのか。
俺にはさっぱりわからなかった。
『なにがあったの?』
返信はすぐ。
『これはオーディナルスケールのイメージキャラクターだ』
添付されていたアドレスは2つ。
オーディナルスケールの公式サイト。
それと有名な動画サイトのものだった。
リンクをクリックしてみれば、キラキラとしたアイドルのプロモーションムービーが出る。
白髪の少女が可愛らしい曲調で歌っているのだが、その声に俺はゾッとした。
SAOでは録音クリスタルというものがあり、ユナの曲はそれを利用して転売されていた。
俺はその1つを入手して聞いたのだが、声が一緒なのだ。
声だけではない。記憶にある彼女のブロマイドとカラーリングこそ違うためすぐにはわからなかったが、造形は瓜二つ。
これで名前まで同じというのはあまりに出来過ぎた話だ。
死んでいなかったのか?
いいやそんなはずはない。
彼女がポリゴンに変わり無残に果てる姿を、俺はたしかにこの目で見届けた。
画面越しに、踊り続ける姿は幽霊のごとき不気味さを感じさせる。
外はようやく桜が咲き始めたばかりだ。
怪談話をするには随分と早い。
公式サイトを調べたところ、AIということだったが……。
外見がそっくりなのは百歩譲っていいとしよう。
所詮SAOで見てきたものは、現実と同じ顔形でこそあれ、単なるデータでしかなかったのだから。
しかし動きに違和感がない。まるで誰かが操作しているかのような生々しさがある。
AIってことはNPCと同じってことだ。世間じゃこんなに精度の良いNPCが作れるようになってたってことなのだろうか。
『どうする? 手を組むか。傍観するか。選べ』
シンプルな二者択一。
俺の答えは決まりきっている。
『手伝うよ』
知らないままでなんていられない。
これは俺の罪だ。
金本敦に戻ったのだとしても、ジョニー・ブラックだった過去が消えてなくなるわけではない。
それはきっとPoHも同じで、ラフィン・コフィンが消えてなくなっても、彼が俺たちのボスだったという過去を忘れたわけではないのだろう。
『わかった。俺も来週にはそっちに向かう。現地で落ち合おう。場所と日付は――』
どうやらPoHは東京にはいないらしい。
ドメインからして中国だ。日本にさえいないのかもしれない。
謎の多い人物だとは思っていたが、中国人だったのだろうか。どちらかといえばアメリカンな印象だったのだけど……。まあいいか。それは重要じゃない。
重要なのは違えたと思っていた道が再び交わったということだ。
当然喜ばしいだけではないが、胸の奥に込み上げてくるものがある。
『連絡は密にしろ。この件、キナ臭さしかねえ』
『オーグマーはSAO帰還者全員に配られてるらしいよ。ひとまずオーディナルスケールのイベントバトルに参加してみる』
付属のモーションコントローラーを弄りながら、PoHに返信。
それからザザのことやエリにゃんについての近況もかいつまんで報告。
ザザには逆にPoHからメールがあったことを伝え、『この様じゃ力になれそうにない』と残念そうな文面が送られてきた。
あたりまえだが、エリにゃんに連絡はなし。
キバオウはそもそも連絡手段がないので伝える以前の問題だ。
ラフィン・コフィン再結成とはいかなかったが、PoHと肩を並べるのなんて1年ぶりくらいになる。
俺は興奮しながらオーディナルスケールのチュートリアルを進めると、武器の選択にまで行きつく。
近接と遠隔の大きなカテゴライズがあり、その中でさらに剣だったり槍だったり、小銃だったりロケランだったりと細かなカテゴライズがある感じだ。
初期では選べないものもあるが、俺の望んだ物は運よく選択可能。
ジョニー・ブラックといえばやっぱりこれだ。
俺はオーグマーの見せるARオブジェクトの短剣にほくそ笑んだ。
ザザの父親が院長をしている総合病院に関しては原作で明確に何所かという描写がなかったので、所沢にあるアスナの入院していた場所にしました。
加えて、ザザの病弱設定に関しては原作より悪化。病院暮らしが長いです。
PoHはジョニーの連絡先を知っているため、ユナの件をネットで見かけて連絡。
中国から日本へ密入国の準備中。
エリがユナの情報を入手するのが遅い原因は、だいたいユイのせいです。
そして死んでることに気付いてさえもらえないキバオウ……。
あと、ジョニーはPoHと肩を並べるのは1年ぶりと語っていますが、正確には10カ月ぶりです。
ラフィンコフィン討伐作戦は6月。オーディナルスケール開始は4月です。