時計の針が夜の9時を指し示す。
それを皮切りに、東京の街並みはたちまちゴシック式の摩天楼へと塗り変えられていった。
空気は赤いスモッグ。
灰色の石畳みは艶やかな大理石。
東京タワーは古びた尖塔となり、巨大な月は妖しく緑の光を放っている。
立ち並ぶ人々はファンタジックな甲冑から、SFチックな衣装まで多種多様。獣人フェイスや着ぐるみめいた者までいて、それぞれの手には仰々しい武器が握られていた。
東京都港区芝公園。
ここに集まったのはオーディナルスケールのイベントバトル参加者たちだ。
その数は優に50を超え、数えるのも難しい。
SAOのフルレイドが48人。それよりも格段に多いのは確かだった。
彼らは提携企業のサービスに釣られたか、あるいはゲームを純粋に楽しみに来ただけか。
どちらにしろ呑気なものである。
もっとも彼らは正常なプレイヤーであり、いつだって異端であるのは俺の方なのだが。
「今日は来てくれてありがとう!」
空に浮かぶドローンからエフェクトが降り注ぐ。
光に導かれ現れたのは、ユナそっくりのユナ。
彼女の隣には球体に羽と足を生やしたマスコットキャラクターがぷかぷかと漂っている。
名前はアイン。ユナの公式サイトではそう書かれていた。
「足元には注意してね。それじゃあ戦闘開始だよ。ミュージックスタート!」
荘厳な音楽と共に、寺院だった建物の正面で炎のようなエフェクトが渦を巻き、巨大なシルエットが内側で蠢く。
炎が消え、残されたのは赤金色の肌を持つ二足歩行の怪物だ。
右手には柄が骨の片刃斧。
左手には円形のバックラー。
頭は鋼兜で覆い、細長い耳が隙間からちょこんと伸びていた。
「――イルファングザコボルトロード!?」
俺はこいつを知っていた。
アインクラッド第1層ボス。
俺がかつて攻略組にいたとき相対し、撃破したボスモンスターだ。
何故? という疑問は喧騒に呑まれて消える。
宣言通り戦闘が開始され、たった10分という短いカウントダウンが秒を刻み始めたからだ。
「グルォオオオオオオオオ!!」
5メートルもあるボスの身の丈に、霰のごとく銃弾が殺到した。
しかしそれで怯むことはない。
ボスはバックラーでクリティカルポイントを防御しながら前進。近くにいたプレイヤーの集団をターゲットに、人間と変わらないサイズの斧が薙ぎ払われた。
石畳は砕かれ、土煙が舞う。
斬られたプレイヤーの何人かは尻餅をつき、無防備となったところを次々にやられていた。
あのサイズ、あの勢いなら人間の体重程度吹き跳ばされてもおかしくはない。
そうならないのは偏にここが
当然HPが0になったプレイヤーはポリゴンとなって爆散することもない。
身に着けていたARのアバターが剥がれ落ち、本来の姿に戻されるだけだった。
どうやら近接武器は不利らしい。
ソードスキルがなく、ステータスは肉体に依存する分しかたがないのかもしれないが、そもそもまともに立ち回れているプレイヤーがいない。
SAOサバイバーからしてみてば、数こそ多いものの、連携は児戯にも等しかった。
これなら威力が低くとも遠距離武器を使った方がまだダメージに貢献ができるだろう。
「いくぞおめえら! まずはボスを倒すぞ」
「「おう!」」
――いや。1組だけ極端に動きの良い連中が混じっている。
赤の和風装備で統一した集団。
彼らには見覚えがあった。
攻略組主力ギルドの1つ。
名前は風林火山で間違いない。
彼らはカタナ使いを中心に据えて、ダメージを受けたタンクを交代させながらコンスタントに攻撃を加えていた。
戦場を俯瞰しているかのような、有機的な連携を見せる彼らはSAOの生んだ一種の化け物だ。
攻略組の古参ともなれば様々な武勇伝を持つが、風林火山が誇るのはメンバーが誰一人欠けなかったという、攻略組の羨望を集めて止まない武勇伝だ。
個々人ならまだしも、集団である彼らには俺も手を出したくない。エリにゃんの率いた治安維持部隊の次くらいに怖いやつらだ。
それにあのカタナ使い――おそらくギルドマスターのクラインとかいう男はかなりの武闘派らしい。
攻略組について報道していた情報誌では、最強談義に上がるほどのプレイヤーであった。
オーディナルスケールでもその実力に些かの衰えもないようで、他5人は小休憩のローテーションを組んでいるにも関わらず、彼は常に声を張り上げ陣頭指揮をしながらカタナを振り回している。
単純計算でも2人分以上の働き。
それを休みなくだ。
などと観察をしていたら、不意にクラインがこちらへ視線を向けた。
偶然だろうか。それにしては明確に周囲を探っている素振りがある。
これだから攻略組は嫌なんだ。
彼らのほとんどは超人だ。人間にはない第六感が備わっていても不思議はない。
俺は気取られないよう自然体を装い、群衆に紛れるくらいが関の山だった。これだけの人混みであれば、顔を知られていないこともあって流石にバレはしないだろう……。
その後はクラインに気取られた様子もなく、戦いは勝手に進んでいく。
ボスのHPはSAOと違い表示されないものの、武器を野太刀に替えたから終わりは近いようだ。
戦場に来てただ見ているだけというのはそこそこの忍耐を要するが、俺にとっては慣れたもの。
こういうのは血の気の多いやつへ任せるに限る。
カタナのソードスキルは特殊なコンボが特徴だ。
単発系から連撃系のソードスキルに間断なく繋がった攻撃は、範囲が伸びたこともあってプレイヤーたちを次々と屠っていく。
だが当然ながら攻略組にはまるで通用しない。
機知のソードスキルというのは攻略方が確立されていて、知識があれば思いの外対処は簡単なのだ。
オーディナルスケールではノックバックやスタンが発生しないことがそれに拍車をかけていた。
代わりに威力は高めに設定されているようだが、範囲攻撃でスタンを与えてから連撃に繋げHPを10割持っていくコンボに比べれば手加減が過ぎる。
一緒に出現する雑魚モンスターがローカライズの影響でいないのも、大きな弱体化だった。
SAOでは死者を出したボスモンスターも、これだけ制限を課せられればご覧の有様。
風林火山のメンバーがボスを逃がさないよう円陣を組み全方位から攻撃を仕掛けると、時間を半分近く残し討伐されてしまう。
その散り際はオーディナルスケール特有の演出で、花火ように鮮やかであった。
「おめでとう! 今日のMVPは貴方ね」
ユナがボスにトドメを刺したクラインの元へやってきて、顔を近づける。
キスをしようとしているのかと思いきや、パッと顔を離してデコピン。
「また頑張ってね」
これもゲーム演出の一環だろうが、NPC特有の無機質さはユナから感じられなかった。
それが逆に不気味さを掻き立てる。
クラインもその六感とやらでなにかを感じたのだろうか。
彼がユナに向ける視線は怪訝なものだった。
▽▲▽▲▽▲▽▲
イベントバトルに参加してみたはいいが、収穫は大きくなかった。
ポイントという意味でも、ユナについての情報という意味でも。
わかったのはせいぜいがSAOのボスモンスターが出現したこと。
それとSAOサバイバーがゲームに参加していたことくらいだ。
前者はSAOのユナとの繋がりを濃厚にしてくれたが核心には程遠く、後者に関しては明らかなリスクであった。
何度も遭遇して顔を憶えられたら面倒だ。
顔を覆える装備をいくつか購入しておいた方がいいだろう。
そんな算段を立てながらプレイヤーが解散した後の芝公園を歩いていると、目の前がぼんやりと明るくなる。
視線を光の方向へ向けると、そこには立方体の輝く結晶が浮いてた。
恐る恐る触れてみると、なんてことはない。
ただオーディナルスケールのランキングポイントが加算され、順位が繰り上がるだけ。
そういえばこういうアイテムが各所にランダムで出現すると、チュートリアルで説明がなされていたが……。
視線の先にはアイテムがいくつも浮いていた。
それも列を成すように。
誘われているのか?
SAOで培った経験はトラップの気配を敏感に察知した。
だがトラップなんてものはオーディナルスケールには存在しないはずだ。
HPが0になればペナルティとしてポイントが減少するが、あくまでそれはイベントバトルでの仕様。VRゲームのように突然隣にモンスターが出現するような理不尽さを、ARゲームは持ち合わせていない。
どうせ死ぬことはないのだ。
SAO以外のVRゲームに毒された油断もあって、俺は誘われるがままアイテムを追いかけることにした。
これがなにかしらのイベントフラグである可能性もある。そうでなければ牛丼屋のクーポンがもらえるだけだ。
アイテムの列は寺院の境内に続いていた。
細い砂利の敷き詰められた脇道。
月と街灯が僅かな光を届けるだけの薄暗い道だ。
人気はまるで感じられない。
――いや。気配がする。
背後を振り返ると、いつの間にか1人の青年が立っていた。
紫色のSF系装備を身に纏った、片手直剣を握りしめるオーディナルスケールのプレイヤー。
黄土色の髪で、身体の線は細い。
歳は然程違わないように見えた。
どうやら俺の勘は鈍っていなかったらしい。
これはトラップであったようだ。
しかも悪質なPK用のトラップである。
「あんた、誰?」
青年は頭上のプレイヤーネームを指差す。
そこには『Eiji』という名前と『2』という非常に高い順位が表示されていた。
「あなたには、実験に付き合って頂こうと思いましてね」
「へえ……。どんな実験?」
「それを知る必要は――ない!」
エイジが一瞬にして間合いを詰める。
人間業ではない、VRのような加速力。
けれど砂利が巻き上げられたのも、一瞬で数メートルの距離を詰められたのも、現実だ。
空気が裂ける。
下段からの斬り上げ。
軌道は片手直剣突進系ソードスキル『レイジスパイク』のそれだ。
「――っ!」
閃光が瞬く。
咄嗟に構えた短剣は激しいエフェクトと、聞き慣れた鋼の打ち鳴らす音を奏でた。
それでも彼の剣は止まらない。
直剣は短剣をすり抜け、視界に表示された俺のHPが減少を始めた。
咄嗟に足で距離を稼いだのは防衛本能からだ。
ソードスキルの軌道を取ったとはいえ、これはソードスキルではない。
硬直時間などなしに続くエイジの連撃は、幸い俺の頬を掠めるだけで済んだ。
「少しは動けるようですが、こちらでの戦いはまだまだみたいですね」
「チッ……」
彼の言う通りだ。
俺はまだイベントバトルさえまともに経験していない。PvPなんてもっての外だった。
咄嗟のことに短剣でガードを試みたが、あくまでこれは実体のないリアルな映像に過ぎない。武器がすり抜けるのは考えてみれば当然だ。
そんなことよりも……。
問題なのは彼から出ている殺気だろう。
こいつの目はマジだ。
SAOならまだしも、いつから東京はこんな物騒になったのだろうか。
「それでぇ? あんたは俺にどんな恨みがあんだよ。心当たりが多すぎて、ちゃんと言ってくれなきゃわかんないぜ」
「なんの話ですか?」
「あー……。なんだ、俺のこと知ってんじゃねえのかよ」
考えてみれば今の俺はジョニー・ブラックという名前を馬鹿正直に使っていない。俺とジョニー・ブラックを結びつけるものはないはずだった。
そもそもこいつがSAOサバイバーかどうかさえわかっていないのだ。
現状では、通りすがりのサイコパス野郎って可能性もある。
「心配して損したぜ」
短剣を翻し、俺は反撃に出た。
ただ逃げ回るだけよりも、攻撃を交えた方が相手の集中力を削れるとはPoHの言だ。
俺に出来ることといえば、せいぜい誰かが通りかかってくれるのを祈り時間を稼ぐくらいだが、日頃の行いは悪いため聞き届けられないだろう。
情けない話だ。
左半身を引き、右肩を突き出す。
鞭のように腕をしならせた連撃は体重を乗せない分軽いが、体力には優しい。
ただし何度繰り返そうと俺の攻撃はエイジに当たらなかった。
技量の差を如実に感じる。
およそ俺とPoHほどの差だ。
「あんたSAOサバイバー? ユナの知り合い?」
「ククク……。どうやら今日の僕は運が良い。ユナを知ってるなら良いサンプルになる」
「なるほど。ユナの関係者ってわけね」
「………………」
腕は立つが、口の軽いやつだ。
自分の代わりに俺の口を封じようと、彼は再び加速して剣を振るった。
感情任せの単調な剣閃を見切るのは容易だが、ステップでの回避もすぐ限界が来る。逃げ回るための空間よりも体力が先に尽きそうなのだ。
これならもっと身体を鍛えておくんだった。
戦いは一方的な流れになっていた。
PoHの教えを頑なに守ろうと反撃の糸口を探すが、隙なんてまるで見当たらない。
結果、俺は逃げの一手となり、それがエイジの攻撃を助長させてしまう悪循環に陥る。
エイジは調子に乗ったのか、大げさなモーションで垂直切りを行った。
これならいくらなんでも隙が生まれるはずだ。
そう思った矢先、切先が地面を抉ると煙幕のように土煙が舞い上がった。
これがオーディナルスケールの仕様ってわけか。
狙いは視覚だ。
退いて予想される攻撃を躱すには、俺は重心を前に倒し過ぎていた。
判断は刹那。
即座に左の貫手を閉ざされた視界に放つ。
体術系ソードスキル『閃打』を再現した一撃は、煙を掻き分けながら突き進んだ。
「フッ……」
それは一瞬の攻防であった。
俺の左手は、エイジに届かなかった。
彼のスタイルも片手フリー。
同じく左手で俺の手を払うと、その勢いのまま肘で喉を潰しに来たのだ。
上体を逸らすが当たった個所は肺。
SAOでは終ぞ感じなかった激痛が走り、酸素が手放される。
視界は回り、砂利が肌に食い込んだ。
「ケホッ……。ケホッ……」
地面に転がっていることに気がつくまで、俺はたっぷり10秒もかける。
それだけの時間、彼は黙って俺を見下ろしていたらしい。
緩慢な動作で起き上がるが、身体は麻痺を受けたように思い通りとならない。
SAOで麻痺といえば、死亡の直前と言いかえてもいい。
つまりはすでに敗北が決定した状態だ。
「因果応報、か……」
トラップで誘因する手法も、麻痺で動けなくする手法も俺の手口だった。
それにこいつはどうやらユナの関係者らしい。
復讐の相手としては見られていないようだが、俺に引導を渡すならもってこいのやつだ。
「殺せよ……」
「あなたの命に興味はありません。僕が欲しいのは――記憶です」
エイジはコンソールで何かを操作している。
すると先刻見たボスモンスターの出現と同じエフェクトが彼の隣で発生した。
現れたのは蛇の双頭をした鎧巨人。
見覚えはないが、SAOに登場するモンスターを彷彿とさせるデザインだ。おそらくこいつは俺が戦った事のないボスモンスターなのだろう。
双頭巨人は巨大な両刃斧を片手で振りかぶると、エイジの合図を待つようにチロチロと舌を出し入れさせている。
「さあ。しっかり見とけよ」
片手で俺を掴み上げるエイジ。
至近距離にある彼の瞳は、妄執と憎悪が
「ああ。クソッ……。悪りい……」
いったい俺は誰に謝ってるのだろう。
エイジか。ユナか。PoHか。ザザか。
きっと誰かではない。全員に謝っているのだ。
永遠に勝ち続けることなんてできない。
そもそも俺は負ける側の人間だ。
これは来るべき番が来たというだけ。
ただそれだけのことだ。
――俺は、失敗した。
エイジがジョニーをSAOサバイバーだと見抜けていたのは、オーグマに搭載されているモニタリング機能でイベントバトル中の脳波を読み取っていたからです。