レベルが高くても勝てるわけじゃない   作:バッドフラッグ

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80話 棺桶に感傷を(10)

 心奪われるとは、こういうことを言うのだろう。

 新国立競技場に集まった総勢8万人の観客は、紫に発光する揃いのサイリウムを振り上げながらユナの歌声に聞き惚れていた。

 かくいう俺も、これには耳を傾けざるを得ない。

 そんなことをしている場合ではないというのに、意識が引っ張られる。

 彼女の歌声は人間業とは思えないほどに魔的だ。

 

 実際のところ彼女は人間ではない。

 あくまでARの3Dアバターが表現する、0と1、プログラミング言語で綴られる高性能AIでしかないのは知っている。

 だから技術的な面で彼女が人間を凌駕することに不思議はないのだ。

 酸素を必要としないのだから肺活量など言うまでもなく、才能と努力によってようやく獲得できる音域や音感など、データを入力された瞬間得られる紛い物に過ぎない。

 

 しかしだ。

 この歌声には感情が伴っていた。

 無機質ではない、人間としての感情だ。

 それが心の奥底に伝わって、自分でも知らないような純粋な感情を呼び起こす。

 これも機械学習によって得た抑揚や微妙な仕草がそう錯覚させているだけなのだろうか。

 そうであるなら、感情を伝える手段とは人間特有の機能ではなくなってしまったということだ。

 仮に俺が彼女の背景を知らず歌声だけを聞いたなら、AIとは思わなかっただろう。

 照明によって照らし出された円形のステージ。

 そこで観客の声援を一身に受ける彼女は、まさしく人間だった。

 

 曲が変わる。

 次の曲はアップテンポの熱い曲だ。

 今にも走り出したくなりような高揚感があり、会場は一体となって盛り上がる。

 ユナもそれに合わせてマスコットキャラクターのアイン君に乗って、会場を文字通り飛び回るというARならではの演出をしてみせた。

 気持ちいいくらいの真っ直ぐな熱量だ。

 

 なのにどうしてだろう。

 彼女を見ていると心が痛かった。

 感動からではない。

 無論、恋なんかでもないのだ。

 そう呼ぶには、瞳から流れ落ちた滴はあまりにも冷たかった。

 これはむしろ……。そう……。

 後悔だ。自責の念が、胸を締め付けている。

 ああ。どうして。どうしてなのか……。

 霧の向こうで、記憶の欠片がうっすらと輪郭を覗かせていた。

 あと少し。手を伸ばせば、触れられそうな……。

 

 掲げていたサイリウムが力なく下げられる。

 まるで熱湯と冷水を左右別々に浴びせられたような混沌とした感覚。

 歌声は日の差す温かな方へ手を引くが、俺はそれを振り払って氷の向こう側へと落ちていく。

 

「ああ。楽しかった……」

 

 俺の言葉ではない。

 伴奏の終わったユナが、天を仰いで呟いたのだ。

 突如照明の光が途絶え、ユナの姿が消える。

 会場はたちまち暗闇に呑まれ、サイリウムの微かな灯りしか残らない。

 ライブの終了予定時間にはまだ早い。

 どよめきが漏れる中、自分の身体が青白い光に包まれ服装が黒マントに変化する。

 これは――オーディナルスケールのイベントバトル用コスチュームだ。

 

『FINAL EVENT』

 

 眼前に表示されるシステムメッセージ。

 現実感のない軽いSEが1度だけ鳴った。

 周囲では、同じように次々とオーディナルスケールが強制起動されて服装が変化していく。

 となれば次に起こることは容易に想像がついた。

 会場の各所で炎のエフェクトが舞い上がり、巨大なモンスターが我が物顔で現実と仮想の境界を跨いでいくのだ。

 イベントバトルで出現するモンスターは1体、多くても2体と攻略サイトの記事には書かれていたが、この場に揃ったのはその比ではない。

 10体。いや20体か。

 まだ増え続けている大群を前に、観客の1人が意気揚々と斬りかかっていった。

 制止する者はいない。それどころか我先にとモンスターに立ち向かっていく有様だ。

 

 このボスモンスターに倒されたSAOサバイバーは、SAOでの記憶を失う。

 俺も結果的にはそれで記憶を失ったわけだ。

 もう一度HPが0になれば、そのときどうなるのかはわからない。

 SAOの記憶はすでにないから平気なのか。

 それともSAOのように頭を電子レンジの要領で破壊されるのか。

 どちらにせよ試してみる気にはならないが。 

 

「クソっ……。なにが起こってんだよ……」

 

 俺の側にも、とうとうモンスターが現れた。

 赤金色の肌を持つ二足歩行のモンスターだ。

 腰のモーションコントローラー(短剣)へ手が伸びる。

 戦わなければ死ぬと肌で感じる。

 しかし身体は意思に反して恐怖に縮んでいた。

 ウサグーはこの場にはいない。

 彼はライブが始まる前に姿を消し、それっきりだ。

 

 逃げろと身体に命じる。

 だが足は床に縫い付けられたように動かない。

 呼吸と動悸が荒くなっていた。

 モンスターは恐怖を煽るようにジロリと狙いを定めると、右手に握っていた片刃斧を振り下ろす。

 

 

 

 鈍い音が耳に響いた。

 

 

 

 視界が一瞬明滅して、走馬燈のようにかつての戦いが思い起こされる。

 

 アインクラッド第1層フロアボス。

 

 その戦闘で散ったリーダー『ディアベル』の姿。

 

 彼は呆気なく死んだ。

 

 あれを見て、ここが真に人を死に至らせる世界だと理解したのだ。

 

 手にした短剣は麻薬のような薄暗い誘惑だった。

 

 これで喉を引き裂けばあいつらも死ぬんだ。

 

 お前らが生きていられるのは、俺がまだ殺さないでいるおかげなんだよ。

 

 大抵の人間はそこで立ち止まれるのだろうが、我慢の利かない俺はあっさり向こう側へと転がった。

 

 蘇るのは本能のままに甘い蜜を啜り続けた日々。

 

 そうだ……。

 

 ここにいる彼らも首を引き裂けば……。

 

「――黙れよ」

 

 現実に意識が戻る。

 短剣でガードしたのは経験による反射のおかげだ。

 身体が地面に沈むほどの重量を錯覚する。

 だがあくまでこれはAR。

 重さなんて存在しない。

 過去の記憶が押し潰そうとしているに過ぎない。

 

 振り払え。

 こんなところで死んでられるか!

 

 短剣用単発ソードスキル『ケイナイン』。

 

 下段から振り上げた刺突は、イルファングザコボルトロードの巨体を押し返した。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

「無事か?」

 

 PoHがやってきたのは俺がコボルトロードを倒した後だった。

 SAOに比べて低いHP設定と、周囲の観客が群がって攻撃を加えてくれたおかげだ。

 俺の非常に低いランキングナンバーも、ラストアタックボーナスのおかげで多少は箔がついた。

 

「そっちこそ……」

 

 彼も死闘を切り抜けてきたところなのだろう。

 PoHの左腕はあらぬ方向に曲がっていた。

 額には脂汗が滲み、顔色も青い。

 どう見ても無事な様子ではなかった。

 けれど彼は不敵に笑うだけ。

 それがどこまでも彼らしい。

 

「オーグマーは外しとけ。それでとりあえず無事でいられる」

「なんだ。外しても平気なのかよ」

 

 てっきりナーブギアのように外した途端――なんてことを想像していた自分が馬鹿馬鹿しい。

 俺は言われてすぐにオーグマーを剥ぎ取った。

 

「それで、どういう状況なわけ?」

「罠だ。見てわかるだろ。ここにいる連中をスキャンにかけて記憶を奪うんだとよ。スキャニングされたやつはナーブギアと同じで死ぬ。以上だ」

「マジかよ……」

 

 茅場もヤバかったが、重村とかいう開発者も相当ブッ飛んでやがる。

 

「わかったらさっさとここから――あの馬鹿が。お前は先に帰れ」

「なんだよ突然」

 

 PoHの視線を追うも何も見つからない。

 ARでなにか見たのかと思いオーグマーを着け直すと当たりだった。

 視線の先には青白く輝く不自然な場所がある。

 光は楕円状の膜を張っているようでモンスターが何体か押し寄せ攻撃を行っているが、侵入は阻まれていた。

 内側には巨大な盾を掲げたプレイヤーと、客席に座って動かない数人の集団が見える。

 

「野暮用が出来た」

「俺も手伝うよ」

 

 理由なんて知らないけど、そう答える。

 

「足手纏いはいらねえ」

「強がんなよ。俺ってばボスの右腕じゃん? 左腕は今日はいないけどさぁ。どっちにしろ腕に違いはないんだし、負傷した分の代わりくらいにはなってやるよ」

「お前、記憶が……」

 

 小さく頷いた俺に、PoHは口角を吊り上げた。

 

「そうかよ。行くぞ。ついて来い」

 

 片腕を庇いながらだというのに、彼の足取りは信じられないほど速い。

 襲い来るモンスターと不規則な人の波を潜り抜け客席を疾走する。

 平坦な道のりであれば違っただろうが、これでは俺の走る速度と遜色がない。

 謎の青白い空間まではあっという間だった。

 追い縋るモンスターは膜に阻まれ弾かれる。

 

 目的の場所にいたのは白いユナと、見覚えのあるSAOサバイバー達。

 黒猫の剣士に、閃光。鍛冶師のリズベットに、巨体の男はエギルだったか。ツインテールの少女は知らない。

 並んで座る彼らは意識がない様だ。

 ユナの他に唯一意識のある彼女が誰なのか、すぐにはわからなかった。

 しかし面影を感じる。

 思考を巡らせれば答えはすぐだった。

 だいぶ痩せているが間違いない。

 彼女は――エリにゃんだ。

 

「………………」

 

 言葉が出ない。

 今更なんて声をかければいいんだ。

 二度と会うつもりはなかったのに。

 

「何をやってる? そのくらいは教えてくれるんだろう」

「彼らは今、アインクラッドの100層ボスと戦っているわ。お願い。このままじゃ会場に来てくれた皆が死んでしまうの。あなたも手を貸して!」

「………………」

 

 興味はないと言わんばかりの態度を示すPoH。

 彼はすでにユナを見ておらず、エリにゃんへ視線を向けていた。

 

「あの。何処かで会ったことあるっすか?」

「…………記憶は、戻ったのか?」

「まだっすけど……」

「そうか」

 

 どうやらエリにゃんは俺と同じようにSAOでの記憶を失っていたらしい。

 そのことをPoHは知っていたようだが、俺には一切伝えられていなかった。

 

「それは外しておけ」

 

 自分のオーグマーを叩いて、外すよう促す。

 

「大丈夫っすよ。ほら、記憶もないっすから」

「話を聞いてなかったのか? ここでスキャンされると死ぬんだ。いいから外しておくんだ」

「あー……。でも……」

「彼らのことなら気にしなくていい。君がオーグマー外していて、安心することはあっても恨むなんてことはないはずだ」

「そ、それでも。私は信じてるっすから」

「はぁ…………」

 

 それはもう、長い溜息だった。

 

「言い争ってる場合でもないか。わかった。さっさと連れいってくれ。オーグマーでもログイン出来るんだろ?」

「ええ」

「なら早くしてくれ」

 

 PoHはエリにゃんから離れた椅子に腰かけると、ユナを急かす。

 俺も成り行きに任せ彼の隣に座って待つと、アミュスフィア同様のログイン画面が表示された。

 懐かしい、『ソードアート・オンライン』のタイトルロゴ。

 あとはリンクスタートの音声認識であの地に戻れるのだろう。

 

「あのさ。ボス……」

「リンクスタート」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。リンクスタート!?」

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 突然の浮遊感。

 ログイン早々大窓から吐き出されるという乱暴な登場を余儀なくされる。

 幸いにして落下ダメージはなかった。

 重力が軽い。フィールドの特殊設定だろうか。

 俺の姿はオーディナルスケールのものからSAOのズタ袋に変わっていく。

 懐かしい、ピタリと心と身体一致した感覚。

 だが感傷に浸っている暇はない。

 遠くではすでに前線に駆け付けたPoHが、巨大なボスモンスターの攻撃をソードスキルで相殺しているところだった。

 

「Hey Black cat.――It's showtime!」

 

 ああ、もう……。

 俺も並んで登場したかったのに。

 まあいいさ。俺はどうせ裏方がお似合いだ。

 正面切っての戦いなんて、得意なやつへ任せるに限る。

 調子に乗って先行した結果、記憶を失う下手まで打ったのだから流石に学んださ。

 

 フィールドを見渡せば羽の生えた変わり種が多い。ALOとかいうゲームのアバターだったか。

 何故SAOにいるのかという疑問は後回しだ。

 他にはSAOの攻略組が数人。

 ボスは巨人型で単独。

 雑魚モンスターはいないらしい。

 

 今さっきタゲられていたのは――あの少女か。

 黒い方のユナと同じ、黒と紫のアイドルっぽい衣装をした小柄な少女だ。

 彼女は壁面に樹木で拘束されて身動きが取れないようだ。

 攻撃すれば解除出来るのではと考え、壁に向かって『ウォールラン』を起動。

 ボスは細剣から武器を突撃槍に持ち替えソードスキルの待機モーションに入っている。

 なるほど。こいつは様々な武器とソードスキルを使ってくるようだ。

 

「俺のことも忘れないでくれよぉ」

 

 螺旋状になった通路の内側によじ登り、存在をアピールしつつ久々にシステムアシストを受けてソードスキルを発動させる。狙いは寸分狂わず樹木だけを破壊。支えを失い落下する彼女を空中で抱えると、地面に着地するや否やソードスキルの範囲外まで退避する。

 

「忘れてたのはテメエの方だろうが」

「そいつは言いっこなしだぜ、ボス。――ていうかボスこそ俺のこと忘れてなかった?」

「下らねえこと言ってんじゃねえ。それとお前は少し黙ってろ」

「へいへい」

 

 彼に従い下らない話もそこそこに。

 抱えていた少女を下ろしてやるが、彼女の方は感謝の言葉どころか見た目に似つかわしくない怪訝な表情を向けてきた。

 SAOで俺がしてきたことを考えれば当然の反応といえる。

 

「――っ! 攻撃っ! 攻撃を再開してください! 樹木の拘束は可能なら命中前に攻撃魔法で迎撃。ブロックでの拘束は付近の方が防御魔法で追撃のカバーに回ってください。リーファちゃん。ユイちゃんの護衛をお願い。ユイちゃん、バフはもう一度やれる?」

「やれます!」

「わかりました! 任せてください!」

 

 アスナ(閃光)が、立て直して指示を飛ばす。

 今助けたプレイヤーはユイという名前らしい。

 リーファと呼ばれた金髪の妖精にユイを明け渡すと、俺は隠密スキルを使って姿を消した。

 別に後ろから刺そうというつもりじゃない。

 ただ足手纏いになりたくなかっただけだ。

 それに、俺がピンチになっても助けてくれるとは限らないのだし。

 

 ユイがリーファに抱えられながら歌唱すると、HPバーの上には各種ステータスアップのアイコンが表示される。

 ボスはユイをしつこく狙い、目から熱線を放ち焼かれた壁面は遅れて爆発。

 指示を聞く限りバリアまで持っていて、再生するたびダメージか何かを発生させるらしい。

 さらにはプレイヤーを床ごと浮かび上がらせ、熱線で撃ち落としていくコンボも搭載。

 これに加えて武器の切り替え。ソードスキル各種。樹木の拘束攻撃もたぶんあるだろう。

 HPバーは驚異の10本。しかもまだ4本も残っていた。

 100層ボスというのは伊達ではないようだ。

 

 前線ではPoHとキリトが言い争いながらもバリアを破壊している。

 立て続けにプレイヤーが殺到してボスのHPは1本削りきって残り3本。

 例に倣えば能力の追加がくるはずだ。

 

「アアアアアアアア!」

 

 ボスは甲高い女性の声で叫び足元から大量の樹木が伸びる。

 その物量は地形を変えるほどで、フィールドの大半に緑が生い茂った。

 これには攻略組の名だたる面々も堪えきれず、僅かにソードスキルで迎撃していたものの、押し流されては壁面に縫い付けられていく。

 無事な妖精たちが魔法で樹木を破壊していく中、俺もPoHの救助に向かおうとするが、ボスは先程と違う大樹を作り出す。

 

「目標変更! ボスの動きを止めて!」

 

 アスナの強い口調に身体が反応した。

 大樹に空から日が差し込み、朝露のごとき滴が生まれる。

 迷ってる暇はない。

 左右それぞれ2本の短剣を掴むと、投擲系ソードスキルで一斉に発射。

 フォーカスターゲットは正確に滴を撃ち落とした。

 陽光のエフェクトは途切れ何も起こらない。

 どうやら成功したみたいだ。

 

「よっしゃ! どうよ! 俺の活躍見てくれてた?」

 

 一瞬の出来事だった。

 身体に鈍い衝撃。視界がブレる。

 気がつくと俺は上空にいた。

 眼下ではボスが両手斧を振り上げでいる。

 打ち上げられたのだと理解するも手遅れだ。

 ボスの瞳は輝き、避ける間もなく光の奔流に再び吹き飛ばされる。

 フィールドの特性も相まってか、かなりの飛距離を発揮しているがこれで終わりではないようだ。

 

「やばっ」

 

 ボスは両手斧で突進系ソードスキルを放つ。

 俺のHPは危険域。

 当たればまず助からない。

 最後となる自分の鼓動を意識するも――。

 

「でやぁあああああああ!」

 

 ――終わりは来ない。

 雄たけびを上げたキリトが、両手斧を盾で受け止めていたからだ。

 空中では盾が砕けるのではないかというほど激しい火花が散っていく。

 

「スイッチ!」

 

 止まらないと悟ったキリトが声を張り上げる。

 

「やるじゃねえか、黒猫」

 

 PoHがキリトに追いつき、ソードスキルを叩き込んで捻じ伏せた。

 攻撃はようやく止まり難を逃れる。

 

「ふう。助かったぜボス。……それに黒猫も」

「………………」

 

 キリトは見向きもせず、不愛想に攻撃へ戻った。

 PoHも後に続くが、彼は俺を一瞥してくれる。

 お互い過去を水に流したわけでもない一時的共闘なのだから、しょうがない。

 でも助けてくれるなんて思いもしなかった。

 それはキリトだけでなく、PoHもだ。

 

 彼は仲間だと今でも信じてる。

 それと同時に、仲間だからといって俺を助けてくれるわけではないと心の何処かで感じてもいた。

 これまでずっとそうだったから……。

 誰も助けてなんてくれなかったから……。

 けれど違ったのだ。

 全部俺の勘違いだったんだ。

 

「戦う気があるなら、回復してきて」

 

 前線で肩を並べて戦うキリトとPoHの背中を目で追っていると、近くにいたアスナに注意されハッとなる。

 難を逃れて呆けていたが、俺のHPはレッドゾーンのままだ。

 呑気にしている場合ではない。

 

「今は1人でも戦力がいるの」

「しょうがねえなぁ」

 

 彼女の言葉は本音だろうが嬉しくもあった。

 俺はつい憎まれ口を返して、回復に勤しんだ。

 

 

▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 アインクラッド100層ボス『An incarnation of the Radius』はついに倒された。

 HPバーが最後の1本になるとフィールドが割れたり、逃げ場なんてないような高範囲攻撃が殺到したものの、その辺は近くの妖精に魔法で対処してもらい事なきを得た。

 トドメはキリトとPoHのコンビが決めて、美味しい所を全部持っていかれたような形であるけど文句はない。むしろ誇らしいくらいだ。

 

 俺とPoHは勝利の余韻もほどほどに、強制ログアウトされて、新国立競技場の客席へと戻される。

 会場は未だ混沌の最中であったが、ボス討伐後にユイと呼ばれていた少女が語った言葉を信じるならたぶん大丈夫なはずだ。

 

「あのっ。どうなったんすか?」

 

 1人で帰りを待っていたエリにゃんが、不安気な声で聞いてくる。

 

「心配しなくていい。上手くいったさ。じきに彼らも目を覚ます」

「そうっすか。あ、それ。見よう見まねでやっただけっすけど……」

 

 彼女は安堵の息を吐くと、折れていたPoHの左腕を指さす。

 俺たちが戦っている間にやってくれたのだろう。左腕は雑誌と上着を使って応急手当が施され、首から吊り下げる形になっていた。

 

「ああ……、その……、ありがとう」

「これくらいしか出来ないっすけどね。早く病院行った方がいいっすよ」

「そうだな。そうさせてもらう。――行くぞ」

「え、もういいの?」

「………………」

 

 ARで顔は見えないが、たぶん睨まれている。

 

「わかってるよ。じゃあね。今度こそ、ばいばい」

 

 逃げ出すように、俺たちはその場を後にした。

 出入り口は先程まで閉ざされていたのか人で溢れ返っている。

 しかし背後で花火のような重低音が聞こえてくる頃にはロックも解除され、雑踏に紛れ無事に出ることが出来た。

 

 会場の外は太陽が傾きかけた黄昏時。

 茜色の空にはカラスが2羽飛んでいた。

 オーグマーを外して、敷地内にあった並木道をPoHの後ろに続いて歩く。

 しばらく彼は無言だったが、人気な無くなるとようやく愚痴のような溜息を吐いた。

 

「酷い目に遭ったぜ……」

 

 彼の腕を吊っているのは女性ものの上着だ。

 それが非常にシュールで笑いを誘うが、指摘すれば絶対に機嫌を損ねるので口にはしない。

 

「そう言う割には楽しそうだったじゃん」

「んなわけあるか」

 

 彼はタバコを取り出して火を点ける。

 

「歩きタバコはしないんじゃなかったの?」

「吸わずにやってられるかよ」

 

 俺は差し出された1本を受け取ると隣に並んで一緒に吸った。

 慣れない味だが、こうして同じことをしているのに意味がある気がしたのだ。

 煙を漂わせるPoHの横顔は満足そうだった。

 タバコも美味そうに吸っている。

 

「日本は懲り懲りだ。もう二度と来ねえ」

「そう言ってるとまた来る羽目になりそうだけど」

「止めてくれ」

 

 これは心底嫌そうに否定。

 

「お前とも会うことはねえだろうな」

「えー。つれないこと言うなよぉ。協力してやったじゃんか」

「お互い様だ」

「……ザザには会って行かないの?」

「今更会えるか。お前とだって会うつもりはなかったんだ」

「そっか……。寂しいな」

「俺は寂しくない」

「………………」

「ラフィン・コフィンはもう終わったんだ。わかってるだろ」

「うん……」

 

 もう決着の着いた話だ。

 俺も蒸し返すような真似はしない。

 どうにか出来るならとっくの昔にやっていただろうし、あんな終わりにはならなかった。

 だから今回の事件は、後始末みたいなものだ。

 

「ふう……。明日には日本を発つ」

 

 タバコを吸い終えたPoHが呟く。

 

「中国に帰るの?」

「聞いてどうすんだ」

「今度は俺から会いに行こうかなって」

「来んな。それに中国には戻らねえよ」

「そっか」

 

 嘘か本当かわからないけど、彼は律儀に返答はしてくれた。

 

「……一度しか言わねえからよく聞いておけ」

 

 前置きをして、躊躇い気味の間が空く。

 

「お前がいて助かった」

「………………」

「それだけだ」

「俺も。PoHが来てくれてよかった」

 

 PoHは口が非常に上手い。

 自然と嘘を吐くし、陰謀を巡らせてばかりいる。

 俺はまた騙されているんだろうか。

 それともこれは本心なのだろうか。

 どっちかわからないなら、信じたい方を信じる。

 つまりはPoHを信じるってことだ。

 

「Goodby Johnny Black」

「じゃあね。ボス」

 

 彼のシルエットがだんだんと遠ざかり、やがて見えなくなる。

 これ以上後を追いかることはしなかった。

 これでいい。

 俺には十分すぎる、夢のような時間だった。

 記憶を失ったり散々なアクシデントはあったけど、いつだってこんなもんだ。

 PoHの去った方角とは反対に踵を返し、俺もまた日常へと帰っていく。

 

 

 

 ――SAOから続くラフィン・コフィンの物語はこうして今度こそ終わりを迎えた。

 

 

 

 そのとき俺はそう思っていたのだ。

 それが間違いだったと気がつくのは、オーディナルスケールの事件から半年が経った後。

 すでに何もかもが手遅れとなっていて、あるいはまだ暗闇に一筋の光だけが残されていた。




お待たせしました。
これでオーディナルスケールまでの回想は終了。
次回からはガンゲイルオンラインの話です。
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