吉良と同僚の奇妙な冒険 インフィニット・ジャーニー 作:わたっふ
鼻をつく薬品の匂いと、どこからか聞こえてくる楽しげな笑い声に吉良は意識を取り戻す。
暗い室内には、枕元に置かれているランタンの灯りが揺らいでいた。
「わたしは……一体……」
ベッドから起き上がり、閉め切られたカーテンを開けて外の様子を伺う。
すると先程まで青々と晴れ渡っていた空は、地平線に沈み行く夕日の光に照らされてオレンジ色に染まり始めていた。
突如襲いかかってきた不意打ちを受けて気絶してしまってから、随分と長いこと眠っていたようだ。
「………」
特に何をするという訳でもなかったが、このままじっとしているというのも気がひける。
そう思って勢い良く部屋を出た吉良は、ギシギシと嫌な音を立てる薄暗い廊下を歩く。
先程から聞こえる声のする方へと向かうにつれ、その声の持ち主が同僚である事を理解した。
だがもう1つの声は聞いたことがないものであり、吉良は少々警戒しながら隙間から光が漏れ出しているドアの前に立った。
「ふぅ───」
深く深呼吸をした吉良がゆっくりとドアを開けると、そこにはデロンデロンに酔っ払った様子の同僚と見知らぬ白髪の老人がいた。
突然目の前に現れた吉良に、2人は目を丸くして少々驚いたが、直ぐに表情を和らげて話し始める。
「よォ〜〜吉良っ! うぇ、具合はどうだぁ? ヒック……ハァ〜まぁここ座って話しでもしようぜぇ〜〜♪」
敵対していた筈の者に対し、この異様なまでの自然な態度を取る同僚。
そんな彼に唖然として口を半開きにしたまま立ち尽くす吉良。
対し同僚はフラフラな足取りで近づくと、肩に手を回して強引にテーブルの方へと吉良を引き寄せた。
「ほぉら飲めよォォ〜〜!!美味いぜ〜これ!うっひひ〜」
「い、いや……わたしは……」
先ほどまで自分が使っていたであろう木樽を吉良の手に掴ませる同僚。
中には黄色い液体と、その上に溢れんばかりの泡が浮かんでいた。
一見ビールのようにも見える謎の液体を、半ば半強制的に口の中へと注ぎ込まれる吉良。
「ppmtaa〜〜〜gmwudmmb!!(いいぞォォ〜〜〜もっとやれぇぇい!!)」
「了解いたしやひたぁ〜〜ほれほれェ!」
「ぐっ……ゴボッ……や、やめ───」
一気に押し寄せてくる波に、喉を通れずに口から溢れ出しそうになるビールと思わしきもの。
だがそれをさせまいと、同僚はテーブルの中央に置かれている長細いパンを、悶え苦しむ吉良の口にねじ込む。
正面に座る老人は、そんな姿を見て手を叩いて面白がっていた─────
2人の強引なススメから解放されたのは、それから数時間ほど経った頃だった。
途中から意識がなくなっていた吉良が目を覚ますと、そこには外から差し込む月明かりに照らされた2人の姿があった。
テーブルに伏せてだらし無く涎を垂らし、大きなイビキをかきながら爆睡している。
「───?」
不意に天井を見上げた吉良の目に、木の板との間から吊り下げられた豆電球のようなものが映り込んできた。
不思議に思った吉良が近付いて中を覗くと、何処にでもあるような小さな白い石が入っている。
暫く見つめているとその石は、弱々しい光を数秒ほど放ち、やがて黒く変色してしまった。
「これは……」
会社に入社して間もない頃、同僚の家で半強制的にやらされていたファンタジーゲーム。
その中に、この石と全く同じようなものが登場していたことを吉良は思い出した。
記憶が確かであればこれは《魔石》という代物であり、海底や山などから取れる特殊な鉱石を磨く事によって光を発したり熱を持ったりするものだ。
そのような魔石の膨大なエネルギーが便利すぎる故に、科学技術が発達していない系の世界であったという作品が多い。
────そう同僚に教えられていた。
「覚えておく必要はないと思っていたが、まさかこんな形で役立つとはな……」
そんなことを考えつつ、窓淵に手をかけて外の景色を眺める吉良。
真っ暗な空に浮かぶまん丸とした月の光の他に、遠くに見える街の灯りが目に映った。
「ところで……今何時だ……?」
これから先の生活を考えることより、今は自身が置かれている状況を把握すべきだ。
1度に理解しようとするのではなく、1つ1つきちんと整理して考えていこう。
そう自分に言い聞かせながら、吉良は腕時計をはめている左手の袖を捲ろうとする。
「おっとそうだった。腕時計を胸ポケットに入れて────」
と、そこまで言いかけた吉良は、これと同じ言動を過去に行なっていたことを思い出して手を止める。
暗闇の世界で長いこと彷徨っていたからか、忘れかけていた「死」までの経験が、フラッシュバックするかのように脳裏に一気に流れ込んできた。
ただただ平穏な日々を送りたかっただけの人生。
そして不意に現れた、その願いをぶち壊そうとする東方仗助らの存在。
「あのクソ共が………」
記憶が段々と蘇ってくるにつれ、自分をこんな目に合わせた奴らへ対する底知らずの怒りが口を押し開けて外に出た。
こめかみに脈打つ血流が、憎悪という感情の色にドス黒く変色していく感覚に襲われる。
「ふぅぅ……はぁぁぁ……」
しかし吉良はそんな自分を必死に抑えるべく、壁にもたれかかって目を瞑ると、全ての感情を吐き捨てるかのように深く、長い息を吐いた。
それは奴らから逃げるためでも、どうしようもないと諦めたわけでもない。
これからこの世界で生き抜いていく為にも、余計な感情を抱いていくのは精神的に危険と判断したからだった。
「さてと……」
故にこの世界から抜け出して、また奴らに出会うような事があれば、その時こそ必ず消してやる。
そう心の中で決意した吉良は、内ポケットにしまってある携帯電話を取り出した。
すると画面には何時もの様に今日の日付と時間が表示され────
「………」
だが吉良は画面を見つめたまま何も言わず、そっと携帯電話をしまい込んだ。
「腕時計も携帯も使い物にならない……か。酷い話だな全く……」
壊れてしまったのか、それともこの世界の見えない力による影響かは定かではない。
しかし最早携帯は使い物にならないということが、画面に表示された見慣れない文字やグルグルと高速で回転する見慣れない針から痛いほど伝わってくる。
異世界とはそういう物だと言っていた昔の同僚の言葉を、こうして実際に体験してみて理解してしまっている自分が何故だか腹立たしく思える。
「ところで、今君を消し去ってもいいが、一応は助けてくれた恩を変えさなくっちゃあな」
時間については翌朝にでも街中の時計台等を探して確認すれば良いと判断し、吉良は机に伏せたままの同僚の横に着いて話始める。
「今回だけは見逃してやるよ。『元同僚』としての最後の情けさ……」
このままここに、況してや同僚というスタンド使いと居座り続けることに気が引けた吉良。
寝たままの同僚と見知らぬ老人に短い感謝の言葉を伝え、2人を起こさないように廊下を進み、薄汚れた玄関を潜り抜けて通りに出る。
右手の空を見上げると、窓から見えた煌々と照らす町の中心部の明かりが薄らと輝いていた。
「あそこに行けば、この世界について何かしらの情報は得られるか……」
そう呟いた吉良は、1歩2歩と行った所で振り返り、同僚との思い出を振り返るように目を細めて少しの笑みを溢す。
そして直ぐに何時もの気品漂う顔つきへと変わり、暗く静かな街中へと消えていった。
3ヶ月も更新出来ないとは作者自身も思ってなかったんだか……