世界の深淵を巡る大冒険は最弱種族と鬼畜ハイエルフのボディシェアから   作:おま風

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01第一章1

 世界最大の大陸ダイロクス。この広大な土地には世界の生物の約九割が生息していると言われている。大陸は気候の特徴から大きく四つの地域に分けられている。

 大陸北東部。寒冷な気候で、時期によっては積雪なども観測されるノストル地方。その地域の大半が常に濃霧で覆われており、龍人族が住むと言われる『歩く山』が存在する。モンスターの頂点に君臨する上位種族である多種多様なドラゴンや、それらと縄張り争いが可能な程の強力なモンスターが生息している危険地域である。

 大陸南東部。比較的温暖な気候で、大半を平地が占め、生息するモンスターも低位のものが多いサスクワ地方。モンスターや自然災害の観点からすると大陸中で最も安全な地域であり、様々な人種が生活するが、日々世界最大の国土面積を誇るダムディリアス帝国の侵略行為が行われている。帝国に反抗的な国にとっては必ずしも安全とは言えない戦争の絶えない地域である。

 大陸南西部。灼熱大陸とも言われるほど高い気温が特徴で、巨大な湖や火山地帯、海底洞窟など自然による造形の起伏が激しいカグラット地方。蛇頭人族や獣人族などの一部の環境に適応した人種が営む小国家が乱立している。基本的に他国とは非干渉的で各国ごとに自己完結しており、争いは少ないという話である。

 大陸北東部。分単位で気候が激しく変化し、その多くが謎に包まれているバグリ地方。様々な国が調査団を派遣しているが、強力なモンスターの群れや自然の猛威に阻まれ有用な成果はあがっていない。数千年前にサスクワ地方に移住するまでは、天上人族が最北端にある巨大な遺跡内に身を潜めて住んでいたとのことだが、現在は国家レベルの文明は存在していないと言われている。

 

 その内のサスクワ地方。マーリーの第弐級魔術により自らの体を『暗黒の霧』と化した俺は、ダムディリアス帝国が誇る帝都第参監獄から無事に脱獄を果たし、ぽつぽつと明かりの灯る平民層が暮らす居住区の上空をふわふわと遊泳していた。牢獄の方は、とても騒がしい。何事かと周囲の居住地から住民がいくらか顔を出している。

「小僧。見えるか。わしは、この光景がとても好きじゃ」

 霧化したままの状態で器用に俺に話しかけるマーリー。視線は直下の居住地に向けられていた。一体どこから声を出しているのだろうか。魔術ってすごい。

《あぁ、見えてるよ》

 俺は、そんなことよりも追手とかの方が心配で仕方ないのだが。

「なぜだか分かるか。ん?」

《どうせ、鼠のような下等種族を遥か高みから見下せるからとかそんなところだろう》

「ほぅ。正解じゃ。お主の下等な脳で、よく分かったのう。感心したぞ。今わしがたっぷりと時間をかけて攻撃魔術の魔術陣の形成を始めたとしても、奴らは無様に逃げ回ることしかできないのだろうと考えるだけで、ぬふふふふ」

 霧化していなければ、マーリーはここでじゅるりと舌なめずりをしただろう。それくらいゲスい笑い声だった。

《絶対にするなよ。そんなこと》

 一応、牽制をしておいた。まったくこいつは、本当にいかれている。人間を一体何だと思っているのか。いや、自分よりも劣位種族は人間とも思っていないのか。いつまでこの奇妙なボディシェアが続くかは検討もつかないが、意識改革は必ず必要だろう。このままでは悪名ばかりが広まってしまう。

《そういえばマーリー》

 俺は、聞こうと思っていたが不遇な出来事の連続で聞き忘れていた疑問をふと思い出した。

「ん。何じゃ」

《お前はどうして、あんな場所に閉じ込められていたんだ》

 それは数時間前、俺とマーリーが出会った時のこと。奇跡的で華々しい運命なんかではなく災厄的で混沌とした最悪の呪い。俺の後悔の元凶となった瞬間の出来事であった。

 だが、それを語る前に、まずは俺が帝国の敷地へ入国する数日前まで話を遡る必要がある。

 

 

―――

 

 ダムディリアス帝国を中心に広がる広大なダムディング大平原内の、帝国へ続く舗装された道を俺は歩いていた。道幅は八メートル程で対向する旅商人の荷馬車が余裕ですれ違える程度には広い。商人や旅人、傭兵や帝国の兵士など多種多様な職業、様々な種族の人間が行き来していた。帝国方面へ向かう人数は逆方向へ向かうそれとほぼ同じくらいだろう。ダムディング大平原は人工的に整備された土地で、元々辺り一帯は森林地帯であった。モンスターの駆除と、配下の国との貿易の効率化を目的に数千年前から整備が始まり、今では半径三百キロメートルもの森林が消滅した。舗装された道を外れれば、膝丈の長さに切り揃えられた植物がお行儀よく整列している。平原を横切る大河の周辺や、かつての大陸大地震でできた亀裂など、部分的にかなりの高低差がある場所も存在するが、基本的には平坦な土地であった。平原の各地には小から中規模の中継地点としての街が発展しており、宿泊業や商業などで賑わいを見せていた。

俺は、二週間前に約三か月程度滞在していた村を離れてから今日まで、そういった街を何か所か経由してきた。本当は、あと半年くらいはそこに身を置く予定であったのだが、住人に俺の手癖の悪さが露見しそうになったのでそそくさと村を後にした。どの土地でも、人族である俺に仕事を提供してくれるようなもの好きなどおらず、稼ぎもなく年中金欠であるため、各地の村を渡り歩き必要最低限の盗みをして、バレそうになったら姿をくらますという一連のサイクルを繰り返しながら生きてきた。誇れるほどのことでもないが、純粋な腕っぷしでは敵わないにしろサバイバルとスリの腕前は他の種族に決して引けをとらないだろう。もちろん、経由した中継都市でも幾何かの稼ぎを頂いておいた。

そんな俺の次なる標的は、世界最大の侵略国家ダムディリアス帝国。やはり夢は大きく、志は高く。という訳にはいかない。生きるためには目の前の現実を的確に捉えることのできる観察眼と判断力の方が必要だ。手堅く、謙虚にこつこつと、自分にあった目標を立てて無理をせずに生きていく。それが俺のモットーである。帝国方面へ向かっているのは、俺の顔が割れていない未開拓の村を探すためだ。俺が歩むこの道は、帝国の近くまで進むとその巨大な外壁の周囲を囲むように整備されており、そこから東西南北、様々な方角へ分かれ道が繋がっている。俺の真の標的は、帝国を超えた先のまだ整備されていない森の奥にある小規模な集落、スンカル村であった。いくつか前に滞在していた別の村で、旅の商人からスンカル村の情報を聞き、ずっと目星をつけていたのだ。人口の割に土地が広く、森の中であるため身を隠す場所も多いので、しばらくはそこで生活できるだろう。そこを拠点に、周囲の村を転々としながら、ゆっくりと今後の方針でも決めるとしよう。俺は、新天地への期待を胸に意気揚々と歩を進めた。空は快晴で気分も良い。中継都市での収穫も上々で懐も暖かい。今のところ、トラブルもなくすこぶる順調だった。好運気を乗せた追い風が吹いている。そんな感覚だった。

だが、そういう時に限って必ずと言って良いほどに何かが起こる。そしてそれは基本的に悪い方向へと転がっていくことを、俺は知っていた。これまでの経験上、お決まりの展開だ。数週間モンスターと出くわすことなく安全に探索をしていたら、足を滑らせてウルフの群れの住む洞窟に転げ落ちたり、貴重な植物を無傷で大量に採取できたと思ったら、その日に限って盗賊につかまったり、思い返せばきりがない。

現に、十数メートル進んだ先にその種と思われるきっかけが転がっていた。

「誰か、助けてください。お願いします。ママが。死んじゃう。誰か」

 道の真ん中で必死に懇願する幼い少女は猫人族のようだった。頭にちょこんと位置する小さな二つのとんがった耳と、両頬に三本ずつ生えた細い髭、尖った爪、間違いないだろう。猫人族だ。

「誰か。助けて。助けてください」

 少女は、とても貧相な格好をしていた。着用している服はひどくぼろぼろで、服というよりも布と言う方が正しいのではないだろうか。体中が泥などで汚れており、しばらく水浴びもしていないのだろう。髪もぼさぼさで全く整えられていない。おそらく、奴隷として主人に使われていたが耐えられなくなって逃げ出したか、帝国の貧民層での暮らしに我慢できなくなって新たな居住地を求めて出国したか、そういったところだろう。

「お願いします。お礼はします。何でもしますから」

 だが、少女の願いを聞き入れてくれるようなお人好しはいないようだった。それもそうだ。表面上は平和で活気あふれる帝国周辺の地域といえども、現実は他国との戦争の真只中だ。いつ何が起こるかなんて誰も予想がつかないし、自分達の生活だけで精一杯で誰かを助ける余裕などない。道を歩む人々のほとんどは目を伏せ、視線を外し申し訳なさそうに通り過ぎていく。中には醜穢なものでも見るように目を細めて、わざと距離を置くようにして横切る者もいた。巡回の兵士でさえ見てみぬふりだ。救いのない残酷な世界だ。猫人族の少女も改めて実感しているところだろう。

 人々が、冷たい理由はもう一つあった。いや、どちらかというとこれが最大の理由かもしれない。目の前の猫人族は『人種ツリー』において下位種族である第七階層に位置する種族なのだ。助けたところで見返りは期待できない。なら、関わらないほうが賢明だ。当然の考えだろう。

『人種ツリー』。正式名称、『人種別種族優位性配置表』と呼ばれる絶対的な世界の基準。人間を種族ごとに第壱階層から第八階層までに分類分けしたもので、第壱階層がもっとも種族的に優れ、数字が大きくなるにつれて劣っている、劣位種族であるとする狂気の沙汰とも言える恐ろしい定めごとである。さらに、第壱階層から第参階層までが上位種族、第肆階層から第六階層までが中位種族、第七階層及び第八階層が下位種族とされており、ほとんどの国において身分や地位はこの三つの大分類に従って決定されている。重要な役職や貴族には上位種族、平民が中位種族、奴隷や貧民が下位種族。世界の常識だ。そして、俺は何を隠そう世界最弱最底辺の劣等種族、人種ツリー最下層である第八階層に位置する人族である。

 お互いに大変だな。そう心の中でねぎらって少女の隣を通り過ぎようとする。

「お願いします。ママが。誰か、助けて」

 見捨てることに対する罪悪感か、周りの雑音がやけに小さく聞こえ、少女の声だけが誇張して耳に入ってくる。声をかけたところで俺に何ができる。心と時間に余裕がある他の誰かが、きっと彼女を救ってくれるだろう。でも、その誰かが現れなかったら。いや、そもそも少女が泣き叫ぶほどの内容のアクシデントではないかもしれない。一緒に歩いていた母が転んで膝を擦りむいたとか、少し横になっていれば治るような風邪を引いたとか。その程度のことであれば、わざわざ助ける必要もないだろう。もしかしたら、盗賊の罠という線も考えられなくもない。幼く可哀想な猫人族の少女を使って心優しい獲物をおびき寄せ、金品を略奪するつもりかもしれない。それなら、助けなくても正解だ。

 そこまで無駄にあれこれと考察して、俺は「はぁ。」とため息をついた。それと同時に足を止める。

 どのパターンも、まずないだろう。モンスターも生息しておらず、見晴らしも良いこの平原で、あれほど必死になるような出来事なのだ。なにか不測の事態に違いない。盗賊の件も、こんな非情な世界でわざわざそんな費用対効果の低いやり方をするわけがない。それに、もし帝国の兵士なんかが釣れてしまったら大変だ。いろいろと思考を巡らせては見たものの、最初から答えは出ていた。なぁ兄貴。あんたなら、見返りとか考えずにまず手を差し伸べるんだろう。困っている人を助けるのに理由は必要ない。あんた、いつも言ってたもんな。

 どこにいるかも、そもそもまだ生きているのかさえ分からない兄貴のことを思い出す。何かを選択するときは、今まで兄貴を参考にしてきた。兄貴ならどうするか。どう解決するのか。いつも基準にしてきた。そのおかげで、随分と生きづらい性格になってしまったのだが。

「俺になにか手伝えるかい」

 猫人族の少女の顔を覗き込む。

「え?」

 少女は、目をまん丸にしていた。相当驚いたのだろう。無理もない。俺はできる限りの笑顔を作って少女の手を取る。

「安心しろ。俺がなんとかしてやる。絶対に助けてやる」

「あの、えっと。ありがとうございます」

 少女は少し安堵したように見えた。しかし、表情からはまだ焦燥感が拭えない。

「とりあえず、お母さんがどんな状況か教えてくれるか」

 俺は、少女が焦らないように、できる限り優しくゆっくりとした口調で訪ねた。

「ママが、突然動けなくなって、うまくしゃべれなくなって、えっとそれで」

 動けなくなった? 衰弱によるものか。それとも。

「返事はしてくれるけど聞きとれなくて。震えてるし、苦しそうだし。後は、えっと」

 少女はひどく混乱しているようで、上手く状況がまとめきれていないようであった。母親が突然倒れて動けなくなった。症状は体の震えと言語機能の低下。他にもいろいろと話していたが、要約するとこんなところだろう。

「それで、肝心のお母さんはどこにいるんだ」

「向こうの、崖の下」

 少女は、さらさらと風により揺れる背の低い植物が生い茂る平原の先を指さした。そういえば、この近くには大陸地震の際の巨大な亀裂が残っていたはずだ。少女の言う崖というのはそこのことを指すのだろう。

「とりあえず、行くか」

 俺は少女を引き連れて、舗装された道を外れ少女の身長くらいはある植物をかき分けながら進んでいった。少女の母の症状。この地域での出来事であるならば、思い当たる節が一つだけあった。そして、それを解決する方法も。

 そこから二十分程度歩いたところで俺は、ふとまだ少女に名前さえ聞いていなかったことに気付いた。歩みは止めずに、草むらに足を踏み入れた頃から静かについてきていた少女の方を振り向く。

「俺はリオン。お前、名前はあるのか」

「えっと、あります。ミンユ、です」

「ミンユか。お母さんの名前は」

「カンユ、です」

 ミンユとカンユ。低位種族で名前持ちということは、元奴隷ではない可能性が高い。わざわざ低位種族の奴隷に名前を付けるような主人はほとんどいない。

「帝国から抜け出してきたのか」

「・・・はい」

 なるほど。ご明察。

「それで、どうしてこんな道の外れを進んでいたんだ」

「・・・」

 少女は、うつむき、無言で繋いだ手に力をこめる。何か悲しい出来事でもあったのだろう。見下ろした少女の姿からはそんな雰囲気が感じ取れた。

「話したくなければ無理に話さなくてもいいぞ」

 だいたいの予想はつく。帝国の貧困層の生活はとても酷いとよく耳にする。直接見たわけではないが、聞く話だけでも、俺なんかが到底耐えられるものではなかった。

 ちなみに、帝国には三つの入り口が存在する。通常使用する巨大な門が北と南に一つずつ、これは直接平民層へ繋がっている。そしてもう一つが帝国内部からしか決して開けることのできない、一メートル程度の高さの小さな扉で、貧困層と繋がっている。外からは高位の魔術により扉の姿は視認できないようになっているが、平原の亀裂を辿った付近に存在するらしい。いつだったか、帝国の貧困層から抜け出してきたというエルフの男に教えてもらった。『一方通行の出口』とも呼ばれ、平民層への侵入が許されていない貧困層の住人が帝国の外へ出るための唯一の手段であるが、一度その扉をくぐったら最後、二度と入国することは許されず、事実上の『追放処分』を意味する。帝国の人口の半数以上を占める貧民達を労力をかけずに減らす戦略の一つだ。

 状況から察すると、この猫人族の親子もその扉をくぐったのだろう。それが正しい判断だったのか、そうではなかったのか。今の俺にはよく分からないが。

「あの、この辺、です」

「お。そうか」

 ミンユが、俺の手を軽くくいっと引っ張る。俺は、歩く速度を少し緩め目をこらす。すると、数メートル先に植物の整列が途切れている箇所が見えた。俺は、その境界線の手前まで進んでから、足を止めた。

 大陸大地震により生じた長さ数キロメートルに及ぶ巨大な大地の亀裂。見た感じ幅は約百メートル。深さはだいたい五十メートルくらいだろう。真昼間でなおかつ快晴であるため、底まで視認することが出来た。この長い長い大地の割れ目はまっすぐに帝国へと続いていた。まるで、帝国を半分に分断しようとしたかのようにまっすぐと。

「ママ!」

 ミンユがひときわ大きな声をあげた。その目線の先、俺がたどり着いた場所より東側に数十メートル進んだ所の亀裂の底にミンユの母親と思わしき人物がうずくまっていた。人族である俺の視力ではほとんど点にしか見えず、人間であることくらいしか確認できなかったが、ミンユが言うのだから間違いないのだろう。まだ、消滅していないということは死んではいないようだ。

「それじゃあ、ひとまず」

 俺は、眼下に横たわる遠い地面を見て、ふぅっと息を吐いた。これを降りるのか。考えただけで冷や汗が滲み出してきた。亀裂の側面は、地面に対して垂直という訳ではない。底からある程度の角度がついた斜面状になっており、ところどころ岩盤が突起しているため、それを足場にすれば降りるのは不可能ではないだろう。とはいっても、かなりの急斜面だ。降りられたとしても同じ経路を使って登ることは難しそうだ。まぁ、降りる際にたとえ足を滑らせたとても、転げ落ちるだけで怪我はするだろうが死にはしない。多分。おそらく。大丈夫だ、俺よ。これくらいでは死なない。

 俺は、そう自分に言い聞かせ、危ないからお前はここで待っていろとミンユに指示するために口を開く。

「あぶっ」

 だが、俺の言葉を聞くよりも早くミンユはすでに斜面を降り始めていた。手足の鋭い爪をストッパーの様にして器用に使い落下するのを防ぎ、猫人族特有の柔軟性と跳躍能力で岩から岩へと飛び移っている。

「・・・」

 俺は、虚しく空中を彷徨った言霊を飲み込んで、「よし。俺も行くぞ。俺ならできる。」と、自らを鼓舞してから、おずおずと亀裂の淵に手をかけた。

 

 

―――

 

「ぎょわあああああああああああ。おうふ」

 世界が大回転をかましていた。その数秒後に訪れる衝撃。激しい痛みが走り、それと同時に世界は元に戻ったようだった。

「あの、大丈夫ですか」

 俺よりも一足先に亀裂の底にたどり着き、母親の安否の確認まで済ませたミンユが俺の顔を覗き込んでいた。

「あぁ、問題ない」

 俺は、何事もなかったかのようにふるまって見せた。何事もなかったかのように立ち上がり、何事もなかったかのように数メートル先でうずくまるミンユの母親の元に歩み寄る。ミンユは、心配そうに俺を眺めていた。まぁ、心配されるのは嫌ではないが、そこは察してくれよ。男として、こう、譲れないものというか、なんというか。あるだろ。おそらく、今俺の顔は俺の人生史上ベストスリーにランクインする程度には赤くなっていることだろう。

 順調とは言わないにしろ、着実に亀裂をくだっていたのだが、最後の数メートルで調子に乗って、「あと少しでそっちにつく。安心しろ。今俺が助けてやるからな。」と、突起を掴んでいた右手を離し、下で心配そうに俺の到着を待つミンユに向けて、親指を立ててかっこよくポーズを取ろうとしたのが間違いだった。放した右手は想定した位置につくことなく、そのまま俺はバランスを崩して転げ落ちた。もともと脆弱な人族だ。何ともないわけがない。めちゃくちゃ痛い。体はこの数秒間で擦り傷と打撲だらけになったのだろう。数日間は寝返りをうつのにも苦労しそうだ。恥ずかしさと相まって凄く泣きたい。

「あの、治せ、ますか」

 少女の母親、カンユのすぐ横に片膝をつき症状を確かめる俺を見て、ミンユが訪ねる。俺は「あぁ。多分な」と、頷き、カンユをゆっくりと仰向けに寝かせた。

「おい。話せるか。手足はどれくらい動かせる」

 俺は、カンユの肩をトントンと叩きながら話しかけた。カンユは、俺の問いかけに応えるようにぼそぼそと何かをしゃべり指先を少しだけ動かした。麻痺は現在も継続しているようだ。呼吸はできているし、体が硬直しているわけでもない。顔色も悪くはない。そして俺は、カンユの手首を握り、数秒数える。

「脈も正常か」

 ゆっくりとカンユの手首から手を離し、頭の中で一度症状を整理してからミンユの方を振り向いた。

「お前のお母さん、ここに生えている草は口にしたのか」

「え?」

 ミンユは、突然の問いかけに一瞬戸惑ったようだったが、すぐにこくんと頷いた。

「そうか」

 俺は、それを聞くと背負っていた鞄を自分の前に下ろし蓋を開けた。そこから、革製の袋を取り出す。

「あの、それは」

「カイオウ草だ。この辺では見ない植物かもな。基本的にはウルフ草が生えるような森の奥の方に群生している。様々な状態異常に対する治療効果がある。効用はそんなに強くないし即効性はないから、万能ではないが、この程度の症状なら三十分もすれば良くなるだろう」

 俺は、袋から何枚かのカイオウ草を取り出し、カンユの口に押し込む。

「ゆっくりで良いからよく噛んで飲み込め。すぐに良くなるぞ」

 カンユは、俺の言ったとおりに麻痺した口を一生懸命に動かしてカイオウ草を噛みしめる。五分程度かけてそれを食べきると、瞳だけを俺に向けて何かをしゃべった。きっと、ありがとうとか、そういう感じの言葉だろう。

 それから数十分間、ミンユはじっとカンユの顔を見つめぎゅっとその右手を握りしめていた。ときたま、「ママ」と、小さな声で囁きながら。素晴らしい親子愛だ。俺は、胸の奥がジーンっと熱くなるのを感じた。

 そして、「ミン、ユ」

カンユが掠れた声でミンユの名を呼んだ。

「ママ」

 ミンユは、飛びつくようにカンユの顔を覗き込んだ。

「ありがと、ね。心配、させて、ごめんね」

「ママ。ママ。良かったぁ」

 ミンユの瞳からは自然と大粒の涙が溢れだしていた。カンユは、その涙を空いた左手でゆっくりとぬぐい取り、ミンユの頭を撫でる。

「ママぁー」

 相当心配していたのだろう。安心したミンユは、嗚咽を漏らしながら泣きはじめた。

「どなたかは、存じ上げ、ませんが、助けて、くださり本当に、ありがとう、ござい、ました」

 カンユはゆっくりと上体を起こし、ミンユを抱きしめると、俺の方を見て深々と頭を下げた。

「いやぁ。まぁ、気にしないでくれよ。たまたま通りかかって、たまたま気分が向いたから、たまたま手助けしただけのことだ」

 俺は、少し照れた。純粋な好意を向けられたのはかなり久しぶりだった。

「まぁ、俺のことは気にしないでくれ」

 そういって、俺はくるりと二人に背を向けると、わざとらしく「そういえば、あれどこにやったかな」と、鞄の中をまさぐるふりを始めた。

「本当に、ありが、とう。心から、感謝、します」

 カンユのその言葉を気にした様子もなく、背中で聞き流す。本当に俺は、照れ隠しが下手くそだなと実感した。顔が不自然ににやけているのが自分でも分かった。

 それから数分経過して、カンユの状態異常は完全に回復した。体も不自由なく動かせるようになり、後遺症もなさそうだ。回復したカンユは、これでもかと俺に感謝の言葉を投げかけ、ぜひ恩返しをしたいと申し出た。大したことはしていないと一度は断ったが、「こんな世界で貴方の様に優しい方は知りません。本当でしたら、末端の猫人族と言えども誇りと忠義に重きを置く獣人族として生涯を賭して、恩人である貴方に忠誠を誓うところなのですが、幼い娘もおりそれもできないのです。せめて、なにか一つだけでもこの恩に報わせてください。お願いします。」とのことだったので、頑張って降りてきた断崖絶壁を見上げた後に、それではと帝国近辺までの道案内をお願いした。猫人族であれば、この程度の斜面を登るのは難しくはないだろうが、俺には無理だ。というか、さっき転げ落ちたのがトラウマで登ろうと考えただけで足が竦む。

 あいにく、この亀裂は帝国のすぐ近くまで続いており、この親子はそちら側から来たのだから道案内を頼むのは不合理ではない。まぁ、一本道なのだから迷いようがないのだが、とりあえず即席で思いつくお願いとしたら、それくらいしかなかった。大事なのは、内容ではなくきちんと恩に報いたという事実なのだ。それに、一人で旅をしていると話し相手が欲しくなるものだ。帝国までの数日間、退屈せずに過ごせる。それだけでも充分ありがたい。

「ところで、リオン様」

「様付けはやめてくれ。主人ではないんだから、恥ずかしすぎる」

「それでも、貴方は恩人なのですよ」

「あぁー、じゃあ、様付けをしないのも恩返しだ。俺の居心地が悪くなるから」

「そうですか。では、リオンさんと、お呼びしてもよろしいでしょうか」

「あぁ、好きにしてくれ」

 カンユは、相当忠義というものを大切にしているのだろう。その言動一つ一つに俺への配慮が汲み取れた。ミンユは、その間もカンユの腕にぎゅうっとしがみついていた。母親が好きで仕方ない様子だ。

「あの、お話の続きなのですが、どうしてあのような症状が現れたのでしょうか」

「あぁ。そういえば説明していなかったな」

 俺は、後から説明してやろうと思っていたが、恩云々のくだりですっかり忘れていた例の件を思い出した。

「帝国から抜け出すとき、食料は持って出なかったのか」

「いえ、少量ですが持ち出しております。この子用にと、今も大事に保管しています」

 そういって、カンユはミンユの頭を優しく撫でる。

「お前は、その食料は食べないのか」

「はい。貴重なものですから。私は、この平原一帯に生えているクプル草を頂きました。栄養価は低いですが、お腹は膨れますので」

「そうか。やっぱしな」

「どういったことでしょうか」

「この辺一帯にモンスターが全く生息していないのはなぜだと思う」

「えぇっと、帝国の警備兵が巡回をしているから、でしょうか」

「全然違う。これだけ広い平原を巡回兵だけで見回るのは不可能だ。かといって、強力な魔術でモンスターが侵入できないような結界を張り続けるほど大切な土地でもない」

 俺は、足元に生えている丈の短いクプル草を抜き、じいっと眺める。

「答えは、食料が無いからだ」

「え。食料ならこんなに沢山」

 カンユは、俺の言うことが信じられないようだった。クプル草の特徴は全国的に知られているものかと思っていたが、帝国から出ずに貧困層で生きてきたのなら知らなくても無理はないのか。

「知っての通りクプル草は大陸全土に群生している食用の植物だ。成長したものは約二メートルほどになり、食材として流通しているのはこの成長した状態のものだ。だけど、未成熟のクプル草は成長の過程で内部に麻痺性の分泌液を生成する。この分泌液は、摂取した生物の体の自由を奪い、俺達みたいな低位種族であれば、回復するまでに少なくとも丸一日はかかる。おまけに、熱にも強いから調理にも向いていない」

「そうだったのですか。知りませんでした。リオンさんは、とても博識なのですね。尊敬します」

「お、おぉ」

 カンユはとてもいい反応をしてくれる。だが、それにいちいち俺は照れてしまう。あまり褒められることへの耐性がないのだから、どうかやめてくれ。

「そして、平原一帯のクプル草には帝国の魔術師から成長を抑制する魔術がかけられている。食用になる前の未成熟の状態で成長を止めるんだ。クプル草は他の植物から養分を吸い取ってしまうから、周辺には他の植物も生えてこない。帝国にとっては低コストでモンスター除けができる良いツールなんだろうな」

 そこまで言って、ちらりとカンユの方を見る。

「はぁ。なんて素晴らしい御方なのでしょう」

 カンユの眼差しは、俺への尊敬で充足していた。

「うぐぅ」

 思わず、変な声が出てしまう。

「まぁ、つまりはこの世界で俺たちが生きていくためには、こういった知識をたくさん身に付けていくことが必要だってことだ」

「はい」

 俺は、これ以上純粋無垢な好意に晒されたら、太陽に照らされたヴァンパイアのように灰になってしまいそうだったため、早々に話を切り上げることにした。

「まぁ、サバイバルの知識は目的につくまでに沢山教えてやるから。しっかり活用してくれ」

「はい。感謝します」

「それでは、そろそろ向かおっ!!」

 逃げるように、カンユから顔を背け、帝国へと続く自然の道を進もうとしたその瞬間だった。気恥ずかしさにより、変な笑顔をしたままの俺のすぐ目の前にもの凄い勢いで『何か』が横切った。そして、どごおぉぉんという爆音とともに亀裂の側面に激突する。

「うぎゃぁぁ」

 俺は、我ながら間抜けな悲鳴を上げつつ衝撃で二、三メートル後方へ吹き飛んだ。

 そして、

「おうふ」

 顔面から地面に衝突し本日二度目の、『おうふ』をあげる。

「何なんだよ。一体」

 俺は、がばっと顔をあげ何かが落下した地点を凝視した。土煙がもくもくと立ち込め、良く見えない。ミンユとカンユは既に臨戦態勢で、四つん這いの体勢で毛を逆立て「ふぅぅっ。」と、獣人族特有の威嚇音を発していた。なんとも頼もしい姿である。いくら下位種族であると言っても獣人族の一種だ。戦闘能力は人族の俺よりもはるかに高い。

 次第に、土煙がはれていきむくりと『何か』が蠢く。シルエットはそんなに大きくない。だが、生き物であることは間違いなさそうだ。後は、敵意があるのかないのか。

数秒の沈黙。流れる緊張感。

 最初に口を開いたのはカンユであった。

「嘘、でしょ。どうしてこんなところに」

 その声には明らかに恐怖の感情が混ざっていた。続いて、ミンユがその正体に気付きビクンと体を震わせる。二人とも、遠目から見ても分かる程に怯えきっていた。がたがたと足が震え、すでに戦意喪失しているようだった。

 一体どういうことだ。いくら自分達より優位種族と対峙したのだとしてもこの怯え方は異様だ。絶対的な死でも覚悟したかのように、すでにひどく疲労しているように見えた。

 そして、土煙に身を包んだままその『何か』が口を開いた。

「我の目前に立つことを、誰が許可したのだ。下等種族よ。ひれ伏し、命乞いをすることさえも愚昧な行為だというのに、偉大なる我の前に立ちはだかり、さらに闘争の意を表すか」

「子供?」

 俺はその正体に気付いてないためか、危機感よりも物々しい言葉に不釣り合いなその甲高い声の方に気を取られた。それとは対照的にミンユ達は完全に委縮してしまったようだ。荒い息を吐き、今にも膝をついてしまいそうだ。

「相当、死に恋焦がれているようだな。我の見立てでは死も貴様たちを好いているようだぞ。良かったではないか。その恋は一方通行ではないようだ。安心しろ。すぐに望み通り、貴様たちに死を与えてやろう」

 『何か』は、少しずつ声に凄みをかけ感情を上乗せしていく。まるで演劇のクライマックスのシーンで最後の決め台詞に向かい、会場の空気を盛り上げる主人公のように。

「おっと、忘れていた。貴様らの人生の最後に我の名だけ教えておいてやろう。自分たちの無価値な命に終焉を与える偉大な者の名だ」

 何度も練習したかのようにすらすらと流れるように紡ぎだされる言霊。ミンユ達は完全に場の雰囲気に飲み込まれてしまっているようであった。俺は、妙に可愛らしい声が気になって、いまいち気持ちが動かされない。

「貴様たちは名乗る必要はない。我は足元に生える雑草の名を一つ一つ覚えるほど、酔狂な趣味は持ち合わせてはいないのでな。それでは、そろそろ永く退屈な前口上は終わりにしよう。終幕だ」

 ごくりっとミンユ達が生唾を飲む音が聞こえた気がした。

「我は、偉大なる世界の支配者。全種族の頂点にして最古のドラゴンの血を引く高貴なる存在。人種ツリー第壱階層に位置する最強の名を冠する崇高なる古代龍人族にして、全てを喰らいし者」

 『何か』は、ここだと言わんばかり声を張り上げる。さすがの俺でも、びりびりと空気が震えるのを感じた。圧倒的な力。ここにきて、はじめて俺は恐怖を感じた。それと同時に、胸の奥からぐずりぐずりと込み上げてくるような『死』の感覚。こいつは、相当やばい。本能がそう告げていた。

「我が名は、」

めいいっぱいの溜めをつくる『何か』。そして、ばっと土煙がはれる瞬間にあわせて名乗りをあげる。

「ぺネパロ!」

 ぺネパロ!

 俺は、思わず心の中で復唱してしまった。どんな大層な名前が出てくるかと身構えていたのだが、なんとも締まらない。別に他人の名前を笑うほど、卑屈な性格はしていないつもりだが、ここでそうくるか。

 しかし、ミンユ達は「ひぃ」と、声にならない悲鳴をあげて、ついに我慢の限界に達したのか一目散に逃げだしてしまった。トップスピードで亀裂の斜面を登り、あっという間に見えなくなってしまった。俺を置いて。

「えーと、恩とか忠義のくだりはどうなったの」

一人取り残された俺はぽつりと呟き、二人が消えた空と岩の境界を眺めた。

「ぺネパロの偉大さに恐れおののいて、逃げ出したか」

 ぺネパロと名乗った『何か』は、本人が語るように龍人族の少女のようであった。身長は低く、百四十センチメートルくらいだろうか。白銀色の綺麗な短髪で、華奢な身体つきをしており、肌は透き通るように白い。瞳は、龍人族特有の燃えるような深紅で、頬や腕など部分的に龍燐で覆われている。背中からは身長と同じくらいのサイズの立派な羽根、臀部からは細く長い尻尾。どちらも綺麗な純白だった。口元からは鋭い牙がちょこんと顔をのぞかせていた。ぺネパロは、俺の存在にはまだ気づいていないようで独り言をぶつぶつと呟いていた。

 いつの間にか、一人称も我からぺネパロになっている。

「名を名乗るときは、もう少し溜めても良かったかもしれない。とりあえず、おとうの真似をしてみたけど、次はぺネパロのオリジナルも混ぜてみよう。それがいい。きっとその方がかっこいい」

 先ほどの長い名乗り文句の反省をしているようだった。凄い向上心だ。俺は、このままどこかに飛んでいってくれないかと淡い希望を抱きながら、息を潜める。だが、今日の俺はとことんついていないようで、その数秒後にぺネパロとばっちり目が合った。

「お前、いつからそこに」

 ぺネパロは俺の存在に気付くとすぐに戦闘体勢をとった。

 やばい。死んだかもしれない。俺の脳内で警報が鳴り響く。もし、こいつが本当に古代龍人族であったなら、俺に勝ち目は微塵もないだろう。逃げ切れる可能性も零に等しい。

龍人種族は、大きく分けて三つの種族に分けられておりそのどれもがもれなく上位種族だ。純粋にドラゴンの能力を持ち第参階層に位置する龍人族、その中でも高位の戦闘力を誇る精鋭部族で第弐階層に位置する龍王族、そして始祖のドラゴンの血を引き人種ツリー中で唯一、最高峰の第壱階層に位置する古代龍人族。龍人種族は、ノストル地方に存在する『歩く山』に国を構えており、通常の個体はそこで生涯を過ごすため、他種族でその姿を見る者はほとんどいない。ましてやこんな他種族がわんさかいる場所に現れるような存在ではない。かつて龍人種族の長であるマグナルが種族を纏めるまでは、群れることを嫌い各個体が自由気ままに大陸全土を闊歩していたらしく、気まぐれで他種族が収める国を滅ぼしてみたり、自身が住処として定めた周辺の生物を全滅させたりとかなり恐ろしい悪行を各地で行っていたため、それが歴史となって語り継がれ、現在も他種族からは畏怖の象徴とされている。普通に生活していたらまず出会うことのないような、大陸の覇者。たとえ子供であったとしても、その何気ない一撫でで、俺の体なんて木っ端みじんに四散してしまうだろう。

「ええっと、ずっといたんだが」

 俺は、慎重に言葉を選んでなるべく刺激せずにこの場をやり過ごすことに決めた。上手くいけばだが。

「なんだと。貴様。気配を消していたということか。ぺネパ、いや、我としたことが、全く気付かなかったぞ。なかなか見所があるな」

 ぺネパロは、思い出したように声色を作り、表情もきりっと引き締める。

「いや、それほどでもないさ」

 そして、流れる沈黙。

ぺネパロは口元をもごもごと動かし、何かしゃべろうとしているようだが、なかなか音として形成されない。その瞳には明らかに動揺の色が映っていた。

 まさか、こいつ、次のセリフが思いつかないのか。あまりにも不自然に続く沈黙に俺はついに耐え切れなくなっていた。

「えっと、どうしてこんなところに」

 俺は、おそるおそる話題を提供してみる。ぺネパロの表情が一瞬ぱぁっと明るくなり、すぐに真剣な顔に戻る。

「なぜここに。だと。下等種族の分際で我に質問をするとは良い度胸だな。ますます気に入ったぞ。普通なら、不敬を働いた貴様をこの場で殺してやるところだが、今回は大目に見て、えっと、その、お前の質問に答えてやろう。そして、えっと、我に感謝すると良い。ん、違うか。偉大なる我の懐の深さに敬意を示すが良い。の方がかっこいいか。そうだな。我がここにいる理由はしごく簡単だ。愚かな下等種族に、我の偉大さを分からせる、じゃなくて、恐怖を植え付ける。いや、我の偉大さを、こう、あの」

 言葉のチョイスがいまいちだったらしく口ごもるぺネパロ。

「認識?理解?知らしめる?」

 俺は、そっと助け舟を出してみた。

「そうだ。我の偉大さを知らしめるためだ」

 そして、どやっとした表情で俺の方を見る。そのまっすぐな瞳は紛れもなく物語っていた。俺に粋な話題を提供しろと。早く次の話題をよこせと。俺は恐怖とは明らかに別の感情、期待に対する重圧により冷や汗をかいた。どうやったら、このやりとりが終わるのかと、そのことばかりを考え始めてしまう。

「それは、恐ろしい。どうすればこの命を見逃していただけますか」

 わざとらしく、命乞いをしてみる。

「貴様、よもや我と対峙しておいて生きて帰れると思っているのか。どれだけ愚かなのだ。えっと、その、命知らずにも程が、ん。これはここじゃないな」

 あぁ、めんどくさい。もうすでに、俺の中からぺネパロへの恐怖は完全に消えてしまっていた。

そこで、俺はある秘策を思いついた。多分、これでなんとかできるだろう。

「だが、仕方ない」

 小声で、先ほどと同じように助け船を出す優しい俺。

「だが、仕方ない」

 ぺネパロは、俺のファインプレーに味を占めたのか、何も疑うことなく一言一句同じ言葉を復唱した。

「今日は気分が良いから」

 続ける俺。

「今日は気分が良いから」

 復唱するぺネパロ。

「貴様のことは見逃してやろう」

「貴様のことは見逃してやろう」

「我の気分が変わる前に」

「我の気分が変わる前に」

「どこぞへと消え失せるが良い」

「どこぞへと消え失せるが良い」

「はい。なんと慈悲深き御方。感謝いたします。それでは」

 俺は、満面の笑顔でそう告げると、踵を返してその場を去ろうとした。だが、そう上手くはいかなかった。

「おい待て貴様」

 数歩進んだ所で、すぐに引き留められた。くそ。いけると思ったのに。

「貴様、ぺネパロを嵌めたな」

「一人称」

 俺は、振り返りざまに指摘する。

「くっ」

 ぺネパロは、白い頬を少し赤らめる。

「貴様、策士だな。我の紡ぐ言葉を巧みに操るとは。危うくその見事な策に嵌まるところであったぞ。おおかた、我が油断しきったところで背後から奇襲をかけるつもりであったのだろう」

「いや、そういうつもりは。純粋に会話を終わらせようかと。めんどくさいから」

「いや、貴様は、我を奇襲しようとしたのだ。そうだ。そうだろう」

「違うってば」

「くうっ。なぜ貴様は我との崇高な会話を終わらせようとしたのだ。恐怖か。我が怖くて早く逃げ出したかったのか」

「いや、途中からそういう感情はなくなったけど」

「なぜだ。ぺネパロ。あんなに上手く会話できてたのに」

「お前、本気で言っているのか」

「え」

 言葉を詰まらせるぺネパロ。俺は、構わず続けた。

「お前、アドリブ下手くそだろ」

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁ」

 俺の会心の一撃により、激昂するぺネパロ。自分でも薄々勘付いていたのだろう。その事実に。

だが、その怒りは俺の予想の遥か斜め上をいっていた。登場時の名乗りの時とは比べ物にならない程の気迫。空気だけでなく、地面や亀裂の斜面さえもぴしぴしと音を立てて軋む。

 そこで俺は、思い出した。こいつが、大陸最強の種族であることを。やばい。やばい。やばい。しくじった。穏便に済ませるんじゃなかったのかよ俺。何怒らせてるんだ。本当に殺されるぞ。

 俺は、頭をフル回転させてこの危機を乗り越える方法を考えた。ぺネパロは完全に殺る気だ。両手の指の先からは『龍爪』と呼ばれる戦闘時のみに現れるという特殊な爪を生やしている。さらに、真っ赤な深紅の虹彩の中心にある瞳孔は黄色く変色していた。これも『龍眼』と呼ばれる龍人種族の固有スキルを発動している証だ。

絶体絶命。今回ばかりは終わったかもしれない、と最悪の結末を覚悟した。だが、意外にあっさりとその結末は覆ることとなった。

「あ、ぺネパロ、もう限界だ」

 急にしゅんと勢いを失い、ぱたりとうつぶせに倒れるぺネパロ。顔面を強打し「うぐっ。」とくぐもった声をあげる。そして、ぴくりとも動かなくなった。

・・・

「えーと、助かったのか」

 俺は、少し時間を置いてから、細心の注意を払いつつ、抜き足差し足でぺネパロのそばまで近づいた。

「おーい。大丈夫か」

 まったく、お人好しにもほどがある。さっきこいつは俺を殺そうとしていたのに、何を心配しているんだ。自分でもその甘さを理解していながら、どうしても手を差し伸べてしまう。それもこれも、全部兄貴の教えのせいだ。俺は、もし生きて兄貴に会えたら、まずは一発ボディブローをかましてやろうと心に決めた。あんたのおかげで、俺の旅はアクシデントだらけだよ。

「ん。貴様」

 顔を地面に埋めたまま返事をするぺネパロ。

「何か、食べられるものを寄こせ」

 そこで、つい先刻もの凄い勢いで落下してきたぺネパロのことを思い出した。着地にしてはあまりにもお粗末だとは思っていたが、そういうことか。

 俺は、はぁっとため息を吐いた。

「寄こせじゃないだろ」

「・・・何か食べられるものをください」

「はいはい」

 俺は、踵を返して衝撃で吹き飛ばされた際に落としていた大事な鞄の元へと向かった。はたして、龍人種族が食べられるような食材の持ち合わせがあっただろうか。

 

 


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