グリーンゾーンのとある軍事施設の一室。
白い髪に、白い顎鬚を蓄えた細身の老人が机に向かい資料を読み込んでいた。
そして、灰色の髪に逞しい体つきをした壮年の男性が傍らに立っている。
資料の確認が一段落すると、老人はぽつりと呟いた。
「この半年で、我が国の食糧事情はかなり改善した。
いや、食糧だけではない、こちらは僅かではあるが、エネルギーの効率化、機械技術の向上もだ。
どれこもこれも、このNoahと言う企業が手を回している。どう思うかね、エゴール大尉」
「いやはや……なんとも凄いものですな」
エゴール大尉と呼ばれた壮年の男性は頭を一度掻くと、一枚の写真を手に取った。
そこには、赤みがかった黒髪をボブカットにした背の高い美女と褐色の肌の少女が、護衛の人形と談笑している姿が映っていた。
「このArkと呼ばれる女性、おそらくはイエローゾーンから這い上がってきた人物のようですな。
多数の部下を持ち、イエローゾーンの住人を次々に雇い入れています。優秀なのは間違いありません。それに――」
二枚目の写真はアークと呼ばれた女性がカメラ目線で映っていた。
茶目っ気たっぷりに笑い、ウインクまでしている始末である。
「勘も中々のものかと、こちらの尾行に完全に気付いておりました」
「ふうむ……しかし、経歴は滅茶苦茶だな、隠す気が無いともいえるが」
ばさりと、老人は机の上に資料を投げた。
そうして軽く肩をすくめると、机の上に肘を置き口の前で手を組んだ。
「これ等の研究で巨万の富を得て、我が国での地位を確固たるものにしたかと思えば、その富を惜し気も無くばら撒き福祉事業とはな」
「豪気なものです。今や第二の壁――いえ、新しいグリーンゾーンが出来つつあります」
「我が国はこれらの新しい技術に対して予算の大幅増額が決定した。
彼女のもたらした技術は素晴らしい、この放射能の洪水に侵された地球において、まさしく
老人はそこで小さく息を吸い込んだ。
「しかしだ――我々、軍への予算が削減される事になった。これは痛手だよ」
「……その通りです」
「軍が金食い虫なのも分かる。配給を増やせと五月蠅い活動家を黙らせるのも良いだろう。
だがな、予算削減は頂けん。オガスさえ手に入れば、我が国だけでやっていける――連合など必要ないのだ。我々には」
「しかし、政府は新技術によってかなり混乱しており、我々への追及の手が緩んでおります、ある意味好機とも言えるでしょう」
グリフィンと鉄血工造の戦争は予想よりも長引いている。
老人は、グリフィンと正規軍を使い、オガスが手を付けられなくなるほど成長する前に、合同作戦で鉄血を処理し、オガスを手中に収める方針だった。
だが、アークと呼ばれる女性が巻き起こした騒動の数々によって政府は大混乱に陥り、こうして計画も延期になっているのが実情だ。
「そうだな……幸いな事に目覚めたオガスの成長が遅いのも救いだ」
「政府はもはやオガスに見切りをつけたと思っても良いのでしょうか?」
老人の言葉に、エゴールが疑問を呈した。
老人の想定では、オガスは時間を重ねる毎に成長し、現行人類では手に負えなくなると考えていた。
だが、鉄血工造の活動は鈍化し、戦術人形に対してのウイルスも対処可能なレベルにまで落ち着きつつある。
「……ウロボロスと言ったか、個人の能力は優秀なようだが、指揮者、指導者としてはあまり秀でてはいないようだ。
おかげでG&Kと鉄血の戦闘も小康状態になっている」
老人は組んでいた手を解くと、資料の一枚を手に持つと、それをエゴールへと差し出した。
「鉄血工造の技術開発も予想より遅れている。もしオガスを手に入れたとしても、期待外れになるかもしれんな。
だが、どこかで時間を稼がれているのではと言う疑念も有る――我々も、もしもの可能性に備えねばならん」
「では、カーター将軍」
そう言うと、老人――カーター将軍は一つの書類を手に取った。
「あちら側に我々のシンパが居る。そいつらを使い、新技術研究を隠れ蓑に陸の孤島へ研究所を作り、遺跡で手に入れたあの肉塊の調査をさせるとしよう。
なに、今更畑違いだのなんだのと言ってはおられん。我々には、もっと優れた軍が必要なのだ」
その書類には、生命科学研究所と言うタイトルが書かれていた。
――船長達が、人類圏へと進出する半年前。
貴賓室へ改装したコロニー船の一室にて、船長はエージェントと向かい合い、お茶を楽しんでいた。
エージェントはカップを手に持つと、少しだけ口に含んだ。
「なんとも香り高い……素晴らしいものです」
そうしてカップを置いたエージェントに、船長が語り掛ける。
「そう言ってもらえると嬉しいですね。しかし、こちらにやってくるとは思いませんでした」
「ご主人様が強く興味を持たれましたので……会いに行きたいと」
ご迷惑でしょうか、と言うエージェントに、船長は穏やかに微笑んだ。
「いえいえ、そんな事はありません。実際に会ってみて話す事も重要かと。
こうしてお茶を楽しむ事も、大事なコミュニケーションの一つですよ」
「そう言って頂けると助かります」
小さく頭を下げるエージェントに、顔を上げて欲しいと手を振った。
船長はあの会談から通信を繰り返し、エリザやエージェントと仲を深めていった。
ご主人様ことエリザは、今はスコーピオンに連れられて船内を見て回っている。
彼女達は彼女達で色々な場所に行っては遊んで回り、今はVRゲームで遊んでいるらしい。
その間、二人はのんびりと会話をしながら過ごす。
これまでの事、これからの事をお互いに語り合う。
「……なるほど、その、ウロボロスさんに職務を任せてきたと」
「ええ、あの方は協力するという事を知りません。その為の試練とでも思って頂ければ」
エージェントのその言葉は厳しさが多分に含まれているが、船長はそれをウロボロスを思いやっての言葉なのだろうと考えた
ウロボロスは数多のAI同士を殺し合わせ、そうして生まれた鉄血人形だ。
その出自故に他者との協力と言う考えがなく、エルダーブレイン以外のものは蹴落とすもの、或いは駒としか考えていない。
「生まれ故に、ですか」
「ええまあ、ただ、上手くはいかないようです」
そう言って、エージェントは沈痛な表情で船長にデータを開示した。
ハイエンドモデルの数が減った鉄血工造ではあるが、それでも指揮を取れる人形はそれなりに居る。
だが――
「意志の無い機械型ばかりを生産しているようですね……」
「何もかもを自分一人でやろうと言う気概は認めなくもありません、ですが――」
「小競り合いでは良いかもしれませんが、総力戦となると、指揮能力が追い付きませんね」
「……他者に頼ると言う事を覚えて欲しいのですが、言っても聞かず、やりもしません」
褒めれる部分は個人の能力のみだが、それでは意味がない、とエージェントはため息を吐いた。
「わたくしが処理していた業務もやらせてはいますが、合わせてギリギリ処理しきれると言ったところでしょうか」
「余りにも余裕がない状況はミスを生むものですが……ウロボロスさんが優秀なのは確かですね」
「能力はあるのです、ただ、その欠点だけが実に惜しい」
ドリーマーほど要領が良ければ良かったのだが、それも出自からの思考とプライドの高さが邪魔をしている。
「余裕が有る内ならば失敗して反省して頂く事も出来ます」
「なるほど、今の内に失敗させたいわけですか」
エージェントは小さく首を振ると、気分を変えるために紅茶を一口飲んだ。
船長は心の内で、ウロボロスの事を気にかけるつもりではあるが、今はまだ余所の家庭の事情である。あまり口を出すわけにもいかないだろうと考えた。
そうして船長も紅茶を口にしようとしたところで、ふと、船長の思考にノイズが走った。
顔をしかめた船長を見て、エージェントは心配そうに顔を寄せた。
「大丈夫ですか?」
「ああ、いえ、大丈夫です」
エラーを探ってみれば、その原因はすぐに分かった。
コロニー船の動力炉の取り外しの際の警告メッセージだった。
それは、言わば、彼女の心臓の一部を取り外しているようなものだ。
船長は一度首を横に振ると、エージェントに説明しようと口を開く。
「ああ、コロニー船の動力炉の二つの内の一つを取り外した際に出たエラーのようですね。
普段は発電施設として使ってたんですけど、今、宇宙で活動するための建設船を建造中なんです。その為にコロニー船から部品取りをしているんですよ」
「それは……大丈夫なのですか? その、無いとは思いますが」
反乱を警戒しなくても良いのか、と続けようとしたエージェントだったが――
「使い終わった箱舟は、次の世代の為の資源として使われるものです。それに、その先は――」
――言わぬが花、と言う奴です。
船長は笑って人差し指を口の前で立てて見せた。
そうして、彼女はカップを傾ける。
エージェントもまた、落ち着いた様子の彼女に肩の力を抜くと、同じようにカップに口をつけるのだった。
そうして穏やかな時間を過ごしていると、唐突に貴賓室のドアが思いっきり開かれた。
「船長! このコロニー船凄い!」
「あららら!? た、倒れちゃう!? と言うか飛びつきながらハッキングしないでぇ!?」
そう言って、全力で飛びついてきたのは小さな少女、エリザだった。
椅子に座っていた船長は何とかバランスを取りながら防壁を破るエリザに必死に対応する。
「ひぇぇぇ!? 一気に五枚ぐらいぶち抜いてきてるぅ!?」
「えへへ、前よりすごくなったでしょ」
「ちょっ、不意打ちで処理追っつかないのぉ!」
エリザは無邪気に笑いながらもゴリゴリと船長の防壁をすり減らすが、それを止めたのはエージェントだった。
彼女はエリザの脇の下に両手を差し込むと、ひょい、と船長から引き離して見せた。
「ご主人様、そう乱暴になさってはいけません。もっとお淑やかにですね……」
「えー」
「えー、ではありません」
エージェントに怒られたエリザは、渋々と船長へのハッキングを止めたのだった。
その後に残されたのは、散々いい様にされた船長の姿である。
「うへぁ……」
「ご主人様、船長にごめんなさいしましょうね」
「ごめんね、船長」
ちょっとだけバツが悪そうな顔をするエリザに、船長は机に頭を乗っけながらも大丈夫だと首を振ってみせた。
思いっきりぶつかって甘えられる存在が居なかったのだから、とついつい許してしまうのであった。
「アーク船長、大丈夫?」
スコーピオンの安否を問う声に手を振り、船長は頭を上げる。
すると、エージェントとエリザが揃ってアークと呼ばれた彼女の方へと視線を向けていた。
「船長のお名前、アークって言うの?」
「ええ、ついこの間決まったんですよ」
「箱舟の船長……そのままですわね」
エリザはもう一度船長に飛びつき、膝の上に座ると満足そうに頷いた。
見上げるエリザの頭を撫でながら、船長は続きを説明するべく口を開く
「ネットワークの中継器もあちら側に置いてきましたし、素性を偽って人類側と接触してみようかと思いまして」
「おや……いったいどのような事をなさるおつもりで?」
その言葉を聞いたエージェントの目が鋭くなり、船長へと問うように視線を投げかける。
「数世代前の技術を切り売りして、あちら側の地位を得て来ようかなと。
とりあえずはネットワークを使ってから技術を売って、地位を確立してから実際に行く形になりますね。
後は工作と情報収集も兼ねていますが……まあ、あちら側の労働力を有効活用させていただこうかと」
船長はそう言ってにっこり笑うと、データーをエリザとエージェントに開示して見せた。
中でも特筆すべきは品種改良した、短い期間で一気に成長する栄養満点の作物である。
エージェントはデータに目を通しながら何度も頷いていた。
「なるほど……生活を安定させつつ政府の行動を邪魔するわけですね。
――おや、軌道居住区の資源も人間に吐き出させるおつもりですか?」
資料の中には、軌道居住区に関する情報も紛れ込んでいた。
その意図を察したエリザは船長に白い目を向けるが、彼女は気にした様子は無い。
「うわあ……船長ってやる事があくどい」
「あら、失礼な、ちょっと人形達が安全確認のテストのために先行して住むだけですよ。
技術も過去に実証済み、ほとんど不安などない計画だが、それをしれっと言う船長。
彼女は受容主義者で平和主義者だが、優先順位はきっちりつけるタイプだった。
ほほほ、とわざとらしく手で口を隠しながら笑う船長にエリザは益々白い目を向ける。
それを受け止めた船長はにっこりと笑うとこう言った。
「ちゃんと二号機作りますよ?」
「そう言う問題じゃないよねえ」
流石のスコーピオンもこれには苦笑いである。
「まあ、それより私が人類圏に行く事を反対する子が多くてですね、その説得に大分時間を取られました」
「それはそうでしょう……敵地と言っても過言ではありませんし」
「おほほほ、私は敵対したつもりは有りませんもの。ちゃんと人間に扮するつもりですし」
再びわざとらしく笑う船長に、エージェントはため息を吐いた。
目の前の船長の膝の上に座っている自分の主の目がきらきらと光っているのが見えたからである。
彼女の存在はまだ露見していないし、行動一つとっても他の人形のように動作のぎこちなさなど見えない。人間に偽装して中に入る事も可能だろう。
「船長、船長! あたしも行きたい!」
「あら、エリザはグリーンゾーンに興味は無かったんじゃ?」
「富裕層には興味ないけど、それ以外にはある!」
「うーん……エージェントが許してくれるなら、いいんだけど」
頭痛をこらえるように額を押さえるエージェントに、船長が苦笑しながらそう言うと、彼女は呻く様に口を開く。
「……人選はどうなっているのでしょうか?」
「あら、意外と乗り気」
「ご主人様が成長する、と言う点では良い機会かと……」
「ふむ……主にG11とスコーピオン、それと他に護衛用の人形を数体と、タチコマを数機ほどですね」
「他の404小隊の面々は連れて行かないのでしょうか?」
「UMP45とHK416はある意味で厄ネタ過ぎてちょっと……G11とスコーピオンならば、お金と地位を得た後に、札束か金のインゴットでビンタして権利を買おうかと」
「まあ、下品な言い方」
エリザは、賄賂で切り抜ける気満々の船長にそう言いながらも笑っていた。
基本的にエネルギー通貨を使っている船長達は人類圏の通貨は必要なく、金はマントル付近まで掘り進めるため多種多様な鉱石が産出される内の一つでしかない。
そこでふと、疑問に思ったスコーピオンが口を挟んだ。
「ところでUMP9は?」
「あの子はHK416と一緒に行動してもらうわ。お勉強ね」
「ああー……ちょっとUMP45頼りなところあるもんね」
「そう言う事」
UMP9は能力は高いはずなのだが、UMP45に頼ってしまいがちである。
そこをちょっと頑張ってもらおうと言う試みであった。
「それで、どうでしょうか?」
「あなたとその部下が同行すると言うのなら、心配は要らないでしょう」
「やった!」
エリザ、初の人類圏へのお出かけが決まった瞬間である。
船長と二人でイエーイとハイタッチをし、喜びを分かち合うのだった。