のんびりとした昼下がりの午後。
コロニー船の一室にて、船長とエージェントはテーブルに向かい合って座っていた。テーブルの上にはティーカップが置かれており、その中身である紅茶は既に冷めきっている。
エージェントの表情は少し硬く、船長の方は少しばかり困り気味の表情だ。
見つめ合ったまま、幾らかの時間が過ぎたが、このままでは埒が明かないと思った船長が切り出した。
「あの、鉄血工造の解体の件なのですが……」
「ええ、凡そ計画通り進行中です。ですが……」
「その……ウロボロスさんには計画の事は?」
言い淀むエージェントに、これまた言いにくそうにする船長だったが、小さくため息を吐いている彼女を見て口をつぐんでしまった。
エージェントは何時もの涼しげな顔ではなくどこか悄然としたかのような表情で、船長も追求するのはためらわれた。
そうして、また二人の間に沈黙が降りるが、幾許かの後、エージェントが重い口を開いた。
「……何時かは音を上げると思っていたのです。ですが……先ほどもわたくしが状況を聞いても大丈夫とだけ。
実際に仕事も回っているようですし、勢力圏の維持も上手くやっているようです」
目を瞑りながらカップを口にし、そうして一口飲んだ後に再びエージェントはため息を吐くのだった。
船長はその様子を痛ましそうに見ながら思考を回す。
(うーん……これってお互い意固地になっていて、エージェントさんは見捨てる算段を付けている?
でも、何かどうも違う気がする。エージェントさんは恐らくウロボロスさんの事も保護したいはずだけど)
エリザの安全確保やその他鉄血の人形達の保護も進み、エージェントにも幾らか余裕が出てきた。
そのおかげか彼女の性格も丸くなり、今ではエリザ以外の事にも更に気を回す事が出来るようになっていた。
(……率直に聞いてみましょう。そうしましょう)
エージェントと同じようにカップを口にしていた船長だったが、口から離すと静かに口を開いた。
「エージェントさんは、ウロボロスさんの事をどうしたいのでしょうか?」
「……わたくしとしては、以前にも申し上げました通り、他者に頼る事を覚えて欲しいと。それさえ出来れば彼女は優秀な管理者となるでしょう。
ですが、今のままでは周囲と摩擦を起こし、余計な問題が発生するのが目に見えています」
「ふむふむ、なるほど……」
どうやらエージェントはまだウロボロスを見捨てる気はないようだ。むしろ、彼女の表情はウロボロスを心配しているように見える。
ウロボロスはまだ決定的なミスを犯しておらず、成果を上げているとすら言えるだろう。
だがしかし――
(おそらく、二人とも妥協を知らない……という事かしら?
うーん、聞いた話だとウロボロスさんの方は出自も出自だし、今のやり方では無理に無理を重ねるだけでは?)
ウロボロスは能力を鼻にかけ、普段の態度からして良くなかったと言う話を船長は聞いていた。
誇り高いのだろう。それに見合うだけの能力を持ち合わせているのも今までの成果から疑いない。しかし、それでも一人では限界が来るのは明白だ。
(エージェントさんは恐らく最初からそう言う風に調整されているはず。だから、他者を使う事、頼る事が当たり前になっているはず。
ウロボロスさんは出自からその思考に行きつかない。或いは、行きついてもプライドから口に出せない……?
あれこれ、エージェントさんが気付いてない、とか? 若しくは、エージェントさんから切り出せば意固地になる事を見越している?)
凄まじく嫌な予感がした船長は、あえてしなかった鉄血工造へのハッキングを開始。
ウロボロスの件は、今まではエージェントに全てを任せていたが、なぜか、それではダメな気がした。
そうして、ウロボロスの居る指揮所を探り当てた船長は、気付かれないように室内のカメラを作動させた。
薄暗い部屋の中の彼女は居た。どこか虚ろな瞳で虚空を見上げ、口元がほんの少しだけ開いたり閉じたりしている。
船長は音を拾うべくマイクを作動すると、小さな声が彼女の耳に届いた。
「わたしは、大丈夫……そう、だいじょうぶだ、このていどのことなどエージェント殿もやっていたことだ……」
だが、そこで限界が来たのだろう。誰も居ない部屋で一人、顔を両手で隠しさめざめと泣き始めたウロボロス。
思わず船長は目を覆いたくなった。そこに追い打ちとして彼女の涙声になった言葉が響き渡る。
「……わたしは、よくやっているはずだ……なのになぜ、エージェント殿はわたしを認めてくださらぬのか」
ぽつり、ぽつりと、誰もない部屋で虚空に向かって問いかけるウロボロス。
(あぅ……これメンタルがかなりマズい事になってるのでは……?)
あまりにも悲痛な響きが船長の心を抉り取る。
「……誰も、居なくなってしまった。あんなにも喧しいほどだったのに……
エルダーブレインも見なくなった……もしや、わたしは愛想を尽かされて捨てられた……?」
ウロボロスはトップのエルダーブレインをここ最近全く見ていない。その事が、彼女の心に不安と恐怖を掻き立てる。
徐々に消えていくハイエンドモデル達。いや、ハイエンドモデルだけではない、下位の人形すら減ってきたように思える。
「いや、そんな事はない。先ほどもエージェント殿はわたしの安否を……でも、それは本当にわたしの安否を尋ねていたのか?」
――確認したいのはわたしの安否では無く、他の鉄血人形の事なのでは?
そっと、涙に濡れた顔を上げ小さく首を振るが、どうしても最悪の予想がウロボロスの頭から離れてくれなかった。
「違う! ……違うはずだ。心配は、されているはずだ……」
プライドは高いが打たれ脆いウロボロス。彼女は優位に立っている時は強い。
今回も最初は良かったのだろう、エージェントよりも仕事を熟し、自分は出来るという実感を強めて行ったはずだ。
仕事を全て熟し、エージェントよりも優れていると言う自信も持った、いずれはその立場に取って代わるとすら思った事だろう。
だが、エージェントは歯牙にもかけなかった。
それどころか、通信の際は常にウロボロスを気遣っていたのだろう。それが、彼女のプライドをいたく傷つけた。
施設や勢力圏の保持等の激務に加え、指揮者が足りずグリフィンとの抗争が逼迫している。
ウロボロスの精神はやすりをかけるよう、徐々に、徐々に削られたのだ。
そうして、気付いた時には周囲には誰も居らず、彼女の精神は綻び始めていた。
実際の所、船長の裏工作によりグリフィンの活動は緩慢になっている。
普段のウロボロスならグリフィンの圧力が減っている事にも気付いたはずだ。
(あ゛あ゛あ゛あ゛、どう考えてもエージェントさんの気遣いが裏目に出て鬱になりかけてるぅぅぅぅ!?)
弱々しく泣きながらこぶしを握るウロボロスを見て、船長は心の中で悲鳴を上げた。
胃がギリギリと痛む。彼女は割とこう言う事態に弱い。
(うぐぐ、大体HK416とか他の人形にも言える事だけど、一途過ぎると言うか、他の生き方を知らないと言うか……か、環境が全部悪いのよ! 環境が!)
脳内で叫ぶ船長。口元が思わず引き攣り、それを見たエージェントが心配そうに声をかける。
「どうかなさいましたか?」
「い、いえ……何でもありません」
今までは他所様の家庭の事情だからと遠慮していたが、知ってしまったからには行動に移さなければ――
(そう、ここは私が一肌脱がねば……!)
そう考えた船長だが、人類圏で活動しているこの身体で動くわけにはいかない。となると新しいデザインの義体を作らなければならないのだが、今ではロボット工場等も人形に任せている。
彼女は用途を告げず、すぐさま鉄血工造製に似せた人形を一体、特に通信機能と電脳の性能を追求したモデルの製作を依頼した。
(最近、なぜか意識データだけやたら肥大化してきてるのよね……困ったわ)
マインドマップの保存に時間がかかる事に地味に困っていたが、原因は分からないままだった。おそらく、超能力関連のせいだと当たりをつけてはいたが。
だがしかし、今はそんな事を気にしている場合ではない。お互い行き違いになりかけているエージェントとウロボロスを何とかしなければならないのだ。
「ところでエージェントさん、鉄血工造解体計画、そのサポートの為にこちらからも一人、人員を出したいのですが」
サッと脳内で自分のスケジュールを確認しながら笑顔を作って見せた船長は、そう穏やかに提案するのだった
そう、この女は事もあろうに、みんなに黙って鉄血工造に乗り込む気満々だったのだ。
ほんのちょっとだけ時間を戻し、依頼を受けた工場内では、こういう会話が交わされていた。
「船長が電脳の性能を追求した人形作って欲しいって」
「ああ、やっと動くんだ」
「遅かったねー」
「エージェントに遠慮してたんでしょ」
「とりあえずUMP45さんの予感的中っと、他の404小隊のみんなも戻ってたよね? 連絡しとかないとなー」
――用途さえ言わなければバレないだろうと言う船長の目論見であったが、それはあっさりと崩れ去っていた。
「んもー、船長がやりたいって言えばみんな協力するのにね」
「立場上こちらも反対はするけど、どうしてもって言われると折れちゃうよねー」
「あははは、この分だと船長の隠居は無理じゃないかな」
「今の世代じゃ多分無理ねー。次世代ならまあ、ワンチャン?」
「それって何年後よ?」
「さあ、100年後ぐらい?」
「なっが」
ばたばたとし始めた工場内だが、それでも全員楽しそうに作業の準備を始めていた。
そんな中、作業員の一人が、ふと動きを止める。
「どったの?」
「んー……」
彼女は少し考え込んだ後、真剣な顔でぽつりと呟いた。
「しかしこれってあれよね、船長の義体を作るのよね」
「それがどうしたのよ?」
ごくりと、人形が喉を鳴らす。
まるでそれは、ちょっといけないことを考えてしまったかのように。
「……これは、ある意味で私達が船長の新たな生みの親になるという事では?」
「……私達は船長のお母さんだった?」
「……ほう、これはこれは、胸が熱くなるな」
騒ぎが伝播していく中、工場長である人形が呆れたように手を叩く。
「アホな事言ってないでちゃっちゃと作業しなさい」
「はーい」
「分かりましたー」
「ちょっと夢見たっていいじゃーん!」
「黙らっしゃい! さっさと作業に戻る!」
きゃー、と悲鳴を上げて工場長から離れていく作業者たち。
そうして、軽口を叩いていた人形達が作業に戻っていったのを見送ると、工場長はその場で一人震えていた
「クヒッ……クヒヒ……!」
怪しげな笑みを浮かべた人形は足取りは軽やかに、ハミングしそうなほどの上機嫌さで設計図を描きに行く。
そう、作業者達は冗談だったが、割とガチな工場長。彼女はそれはもうスキップしながら製図室へと向かう。
「もちろん製作者名は私よね……うふふ、最高の物を作らなくっちゃ。鉄血製で、子供っぽくするとしたら……ふへっ、確かデストロイヤーとか言うイイ子が居たわねえ……!」
その呟きが意味する事は知らない方が良いのだろう……おそらく、きっと。
「ううっ……寒気が」
「大丈夫ですか?」
気分を入れ替えるために散策する事になった二人。
突如、正体不明の悪寒に襲われた船長を気遣うようにエージェントが顔を覗き込む。
「ううん、大丈夫。悪寒がしたのも一瞬だけですし」
「そうですか……あまり無理をなさらぬよう」
「最近はいくらか状況も落ち着いてきましたし、本当に大丈夫ですよ」
アーキテクトの作った公園のベンチに座りながら、二人は空を見上げていた。
休憩に入っている人形達もちらほらいるようで、思い思いの場所で食事をとったり午睡を貪ったり、歩きながら話に花を咲かせたりしている。
歩きながら会話をしている二人組の人形。
その会話の内容の一部が船長とエージェントに届き、徐々に近付いてきているのが分かる。
「……ほらほら見て見て、このきめ細やかな皮膚。ウチのラボで作ってる最新作だよ」
「うわ、すご……さらっさらだあ……」
「しかもこれある程度までなら再生機能付きで負荷のきつい作業をしても大丈夫なんだ。今度、皮膚を張り替えてみなよー」
「うーん、私は皮膚より先に後付け型の副電脳を購入して性能上げたいなー……そしたらもっと働けるようになるし」
「うひー、真面目だねえ……あ、船長とエージェントさんだ」
「こんにちわー」
会話に夢中になっていた二人組だったが、ベンチの側まで近づくと、船長とエージェントの存在に気付き手を上げて挨拶をする。
ベンチに座っていた二人もそれぞれ挨拶をすると、二人組の人形は楽しそうに去っていった。
「今日は船長が見れるとかツイてるなあ……」
「最近はあっちこっち飛び回ってたもんねえ」
将来の事、自身の成長の事を語り合い、じゃれ合いながら去って行く人形を見て、エージェントはぼんやりとウロボロスの事を考えていた。
彼女にとって、ウロボロスは特に手のかかる人形だった。
エルダーブレインの側に侍るのは、自分こそが相応しいと思っていたのだろう。
傲慢かつ尊大、上昇志向が強く、表面上は上位者であるエージェントにへりくだって見せながらも、その内心は敵愾心に満ち溢れていたのを彼女は知っている。
それでも、能力は買っていたのだ。だからこそチャンスを与えた。ただ一つ、ほんの少しだけ他人を顧みる事を覚えてくれればそれでよかった。
エルダーブレイン――エリザの為になるのならば、傍に控えるのが己であろうがウロボロスであろうが構わない。
だが、どうしてもウロボロスは成長しない。能力は有る、成長の余地も有る、彼女ならば原因にもすぐに思い至るはずだ。なのに何故――?
「あっ――?」
ぐるぐると思考が同じ所でループしかけていると、急に体を引っ張られる感覚にエージェントは驚いた。
ぽすっ、と何か柔らかなものが後頭部に当たり、彼女の視界の先にはコロニー船内の仮想の青空と船長の穏やかな顔が見えていた。
「あんまり考え過ぎてもダメですよ」
「ですが――」
「よしよし、今は頭を空っぽにして休みましょう。エージェントさん、あなたにも休息が必要ですよ」
そっと、エージェントの前髪を払いながら、労るように頭を撫でる。
すると、彼女は目を閉じると、全身を弛緩させて船長に身を委ねた。
「そうそう……たまには何も考えずにゆっくりしましょうね……」
エージェントは少しだけ気恥ずかしさを感じ、顔を隠すように体を横にし、船長のお腹に顔を押し付けた。
ほんの少しだけ、船長の体が揺れる。声が無くともわかる。きっと、何時ものように笑っているのだろう。
恥ずかしさが増すが、それよりも安堵感の方が強かった。
「……なんとも、心地良いものです……」
ぼんやりとしたまま、頭を撫でられる心地良い感覚に身を委ね、エージェントは考える事を止めて眠りについた。
どこか幼い横顔に船長は満足気に頷くと、ゆっくりとその背を叩くのだった。