召喚のゲートに引きずり込まれた双子は、気が付くと豊かな草原の只中に、並んで仰向けに倒れていた。
「大丈夫か、御琴」
「……はい……。すみません、お兄さま」
音鬼丸は、無意識のうちにしっかりと握っていた妹の手を離すと、体を起こしてあたりを見回してみた。
一面の広い草原、見慣れない植物、あの『えとじょう』以上に大きい奇妙な石造りの建物。
風の匂いまでも違っている。
故郷の異次元界とも、その外に広がっている日本とも、明らかに様子が違った。
そして……。
「誰よ、あんたたち」
これまた見慣れぬ顔の造作と服装をした少女が、少し離れた場所から当惑したような顔で、自分たちの顔をまじまじと見つめていた。
手に何か棒状のものを握っているが、錫杖よりもずいぶんと短い。
見れば彼女の後ろにも、同じような衣服を身にまとい黒い外套を羽織った人々が、大勢並んでいる。
「あ……、は、はじめまして。ぼくは音鬼丸、こちらは妹の御琴です」
音鬼丸はあわてて軽く刀に添えていた手を離すと、その少女に御辞儀をした。
誰からも特に敵意のようなものは感じられないし、とりあえず危険はないと判断して。
「は、はじめまして。御琴と申します」
兄に倣って、御琴も同じように挨拶をする。
「オトギマルに、ミコト? ……変わった名前ね。どこの平民よ?」
ルイズはそう言って訝しげに眉をひそめ、首を傾げた。
二人ともなにやら見慣れぬ装いをしていて、特に少女の方の衣服などはなかなかきれいで高価そうにも思えたが、とはいえメイジの証であるマントを身に着けてはいない。
どちらも見た目からしておそらく自分と大差ない程度の年齢であろうが、そのくらいの年頃になったメイジが普段からマントを身に着けていないなどということはまずありえないものだ。
それに、やや風変りな見た目ではあるが、間違いなく刃物や弓矢といった武器の類だと思われるものを二人とも背負っている。
貴族がそのようなものを持ち運んでいるはずもない。
よって、風習の違う遠方から来たのか風変わりな職業についているのかはわからないが、この二人が平民であることは間違いないとルイズは判断した。
そこで、背後の人々の中からからかうような声があがる。
「おいルイズ! 『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするんだよ?」
「しかも、二人も一緒によ!」
「さすがは『ゼロ』のルイズだ、無駄なところだけは凄いじゃないか!」
目の前にいるルイズという名らしい少女以外の全員が、どっと笑った。
笑われた少女の方は、たちまちかあっと頬を朱に染める。
「な、なによ! ちょっと間違っただけじゃないの!」
ルイズはそれから、人垣の後ろにいたミスタ・コルベールという名の中年の男性を呼ぶと、なにやらもう一度やり直させてくれだとか言って交渉をし始めた。
そんな周囲の様子をあっけにとられながら見回していた兄妹は、その間に顔を見合わせて小声で話し合う。
「……なんだろう、ここは。それに、この人たちは人間みたいだけど、これまでに見たどこの人たちともぜんぜん姿が違っているような」
「うーん。もしかしたら、あの『りかるど』さんと同じ『せいよう』の人たちなのではないでしょうか?」
音鬼丸はほんの少し顔を合わせただけだったので彼のことをあまりよく覚えていなかったが、一緒に旅をしていた御琴はそう思い至った。
「ああ……、そうか。そういえば、あの人と同じ目や髪の色の人がいる」
この間出会った、三百年後の未来からやってきたという人々の中には、顔つき体つきや目の色髪の色が日本の人々とはまったく違っているリカルドという名の男性がいた。
なんでも彼は異国の神を崇める『せんきょうし』という職業の人で、妖怪退治をしながら布教のためにあちこちを旅している途中だったらしい。
彼の祖国は、伯父の天地丸やその知り合いの砦角という人が行こうとしていた天竺よりもさらに西方にある、西洋という国々のひとつだということだった。
「ここが『せいよう』という場所なんだとしたら、ずいぶん遠くに来てしまったことになるね」
「でも、やり直しとか言っているみたいです。もしかしたら、あの人……『るいず』さんは、わたしたちを呼び出すつもりではなかったのではないでしょうか?」
「そうだね。それなら、お願いすればすぐに元の場所に帰れるかもしれない」
音鬼丸はそう言いながらも、ほっとした反面、やや物足りないような気持ちも覚えていた。
もしかしたら、安全ながらも刺激の足りない故郷を今しばらく離れて、以前に御琴を探して人間界を旅して回ったときのような冒険ができるかもしれないと、心のどこかで少し期待していたのだ。
もちろん故郷も、両親をはじめそこに住む人々のことも大好きなのだが、それとこれとはまた話が違う。
人間界には小さな故郷にはないさまざまな場所があって、多くの人がいて、刺激に満ちていた。
自分たちには故郷の異次元界を守る使命があるとはいえ、普段の故郷は平和でそうそう何も起こらないし、あの強い父・茨鬼童子もいるのだから。
とはいえ、やはり帰れるものならすぐに帰らなくてはなるまい。
何も言わずに自分たちがいなくなったとなれば、両親も心配することだろうし。
「ごめんなさい、わたし……。いつも、勝手なことをして」
「いや、御琴がやらなくてもぼくがやっていたさ。どの道、誰かが調べなくちゃいけなかったんだ」
二人がそんなふうに話し合っているところへ、コルベールという人との話を終えたルイズが戻ってきた。
どうも頼みを断られたようで、いたって不服そうな顔をしている。
背後の人々は、ある者は何かを期待するような目を、またある者は嘲るような目をしていたが、誰もがみな彼女の動向に注目しているようだった。
「……どっちと先に……。初めてが、おかしな平民の男とだなんて……。でも、女の子っていうのもちょっと……」
ルイズは音鬼丸と御琴の近くまで来ると、困ったように二人の顔を交互に見つめて、なにやらぶつぶつと呟き始める。
双子の兄妹は、わけもわからずに顔を見合わせた。
ルイズはやがて、意を決したように音鬼丸の方に向き直った。
「ねえ」
声をかけられて、音鬼丸が畏まる。
「は、はい」
「あんた、感謝しなさいよね。平民が貴族にこんなことされるなんて、普通は一生ないことなんだから!」
「……は、はあ。その、ありがとうございます……」
音鬼丸はなにがなんだかわからなかったが、感謝しろと言われたので一応軽くぺこりと頭を下げてお礼を言っておいた。
続けて、でも一体何をと尋ねようとしたところで、ルイズが目を瞑って音鬼丸の前で手にした杖を軽く振る。
「――我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・プラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン、この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」
朗々とそんな呪文の文句を唱えると、ルイズはその杖をそっと音鬼丸の額に置いた。
そして、目を瞑ったまま、顔を彼の方に近づけていく。
「……!? ま、待ってください!」
そこで、御琴がはっと気が付いて、あわてて声を上げた。
しかし、儀式に集中して音が聞こえていないのか、あるいは無視しているのか、ルイズは返事をしない。
まだ事態がよく呑み込めずにいる音鬼丸は、戸惑った様子でされるがままになっていた。
ついにルイズが自分の唇を、音鬼丸のそれに重ねようとしたところで。
「……待って!!」
御琴が横合いからルイズに飛びかかり、地面に引き倒すようにして兄から引き剥がした。
「きゃああっ!? ……い、いきなり何するのよ! あんた、貴族にこんなことしていいと思ってるわけ?」
「み、御琴、何を!?」
咄嗟に体が動いてしまった御琴は、あわててルイズの上から降りる。
「す、すみません。で、でも、お兄さまに何をするつもりなのですか?」
「何って、使い魔の契約よ! 聞いてなかったの?」
ルイズは、スカートを叩いて立ち上がると、呆れたようにそう言った。
「つ、つかいま……?」
音鬼丸はまだ戸惑った様子だったが、御琴はそれを聞くとはっきりと険しい顔になった。
「使い魔って、なんですか。わたしたちは『しきおに』ではありませんよ!」
呪術の類に関しては、さすがに高名な呪術師である親戚の高野丸ほどだというつもりはないが、彼女もかなり造詣が深い。
目の前の少女は、自分たちのことを契約で縛りつけて、陰陽師が使役する式神や式鬼のようなものとして扱うつもりなのだと解釈したのである。
「シキオニ? ……どこの田舎から来たのか知らないけど、あんたたちのいたところじゃ使い魔のことをそう呼ぶのかしら」
ルイズはむっつりと不機嫌そうにしながら、髪を弄った。
「あのね、召喚に応じたんだから、あんたたちはわたしの使い魔なのよ。だから、嫌でも契約を済ませないといけないんじゃないの」
「そんなこと知りません! 大体、契約って何ですか。お兄さまに何をするつもりなの!」
「何って……そりゃ、あれよ」
ルイズは、困ったように目を泳がせた。
「ルーンを唱えて……キスをするのが、契約の方法よ」
しかし、それを聞いた兄妹はきょとんとした。
「『きす』?」
「ええと……、それって、なんですか?」
ルイズは、なんでよりによって、こんな無知な田舎者を……と、うんざりしたような顔になった。
もっとも、そのおかげで恥ずかしさは幾分か薄らいでいたが。
「……はあ。あんたたち、平民にしても物を知らなさすぎるわね! いい、キスっていうのはね、唇と唇を合わせることよ!」
「え、……ええっ!?」
それを聞いた途端に、音鬼丸は顔を真っ赤にしてあたふたし始めた。
「そ、それって接吻じゃないですか!? だ、だめに決まってます! 夫婦でもないのに、そんな破廉恥な!」
「は、破廉恥って……」
兄と同じく顔を真っ赤にした御琴にものすごい剣幕で食って掛かられて、さすがのルイズもたじろぐ。
「あ、あんた、貴族にそんなこと言っていいと思ってるの? だ、大体、平民なんかとそんなことしても何も思わないし、これはあくまで儀式だからノーカウントで……」
もごもごと言い訳がましいことを口にするルイズに、御琴はなおも噛み付いた。
「だめですだめです! 絶対にだめ! お兄さまに、そんな破廉恥なことはさせられません!」
「み、御琴。るいずさんにも、こっちの事情があるんだろうし……」
見かねて仲裁に入ろうとする兄を、御琴はきっと睨み付けた。
「お兄さまも、こういうことはもっときっぱりと断ってください! ……だ、大体、わかってらっしゃるんですか。るいずさんはさっき、わたしも使い魔として呼ばれたと言ったんですよ……?」
「……あ」
御琴に恥じらったように顔を逸らされながらそう言われて、音鬼丸ははっとした。
確かに、そうだった。
ということは、このルイズという少女は自分の後に、御琴とも……。
「……じょ、冗談じゃない! 御琴に、そんないかがわしいことをさせられるものか! 今すぐに、その使い魔だとかを取り消せ!!」
普段は我の強い方ではない彼も、大切な半身の危機となれば話は別である。
かつては赤子の時以来十五年間行方不明になっていた御琴を探すために、故郷を後にして日本中を捜し歩いたほどだ。
「ちょ、ちょっと……。あ、あんたたち、頼むから落ち着いて……」
兄妹二人に揃ってものすごい勢いで詰め寄られる破目になって、ルイズは半泣きになった。
相手は所詮ただの平民のはずなのだが、あまりにすごい剣幕のためか、周囲の他の生徒たちもたじろいで野次を挟めずにいる。
引率のコルベール教諭も途中で割って入ってきてはくれたものの、何分彼は押しの弱い男で、あまり役には立たなかった。
最初こそ「これは伝統行事だから例外は認められないのだ」と断固とした態度で言って説き伏せようとしたものの、兄妹に殺気立った目で睨まれるとたちまち萎縮してしまい、それ以上強くは主張できなかったのである。
・
・
・
結局、二人は最終的には学院長のオールド・オスマンに直談判をさせてもらうに至った。
幸いにして、彼は話の分かる好々爺だった。
「まあ、召喚された使い魔を見てメイジの属性を決めるという趣旨の儀式なのじゃから、召喚までができておれば契約はせんでもよかろう。猛獣ならいざ知らず、人間なら話も通じるし危険もないじゃろうしの」
と、割とあっさりと契約をしないでおくことを認めてくれたのである。
また、二人には故郷に家族や仕事が残っているので、帰る手段を探してそれが見つかり次第帰還するという約束も取り付けた。
その代わりに、滞在中はルイズの使い魔として振る舞い、その役目を務めるというのが交換条件だ。
音鬼丸も御琴もそれについては特に異存はなく、安心して快諾した。
ルイズの側としては、二人の態度には多分に気に入らないところはあったし、正式な使い魔にならないというのも腹立たしいことではあった。
だが、そうすれば平民相手のファーストキスが免除されるというのはそれ以上に魅力的だった。
それで結局、双方ともにその条件で合意することとなって、ようやく長い一日が終わったのだった。