ちっぽけな魔術師の斬魔飛哮   作:望夢

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久し振りに適当にデモンベインやってたら姫さんルートに突入。丁度良いから色々とブチ込んでおいた。


正義の守護者――我等は威風堂々覇道を往く

 

 インスマウスの一件を片付けたあとはアーカムシティに帰還した。

 

 正式にミスカトニック大学秘密図書館特殊資料室に所属する事となったクロウは時間の許す限り、秘密図書館の蔵書を読み漁った。

 

 魔術師にとって知識とは武器である。

 

 経験が圧倒的に不足しているのならば、それを補う為に知識を身につける必要がある。

 

 魔導書を読み解く中でクロウは気付いた事がある。

 

 それはネクロノミコンに類する魔導書との相性の良さであった。

 

 クロハの本体――ナコト写本はクロハが自身に合わせてくれているから高い親和性を獲得しているに過ぎない。

 

 しかしなんの制御も受けていないネクロノミコン系列の魔導書との相性の良さは、この魔導書郡が己と真に相性の良い魔導書なのだと理解する。それはまるで遠い昔に引き裂かれた自分自身の一部の様な。

 

 そんな、言葉では言い表せない感覚だった。

 

 故にであろう。あるいは鬼械神を招喚する程の魔術師だからか。

 

 ミスカトニック大学秘密図書館の中でも最も貴重であり、邪悪であり、力を持つ魔導書の閲覧が叶った。

 

 あのウェイトリーが閲覧しようとしていた魔導書。

 

 ある意味で自身の運命に転換をもたらした魔導書と言えるだろう。

 

 ネクロノミコン・ラテン語版。

 

 未だラテン語の完全習得には至っていない。

 

 クロハに頼めば翻訳は朝飯前であるがこれも修練。

 

 辞書を片手に拙い翻訳を試みながら読み解いていく。

 

 時を忘れて読み耽る。

 

 修行を積んだ魔術師でさえ精神に異常を来す程の時間。

 

 ネクロノミコンという世界最高峰の魔導書(とはいえ機神招喚の記述はなく、ランクとしては幾分か落ちる)と向き合っても、特にこれといって異常が起きないのはやはりネクロノミコンとの親和性故か。あるいはそれほどまでに強靭な精神力があるのか。

 

 まるで魅了されたかの様に本の虫となって視線は記述を追い。手は手記に読み解いた端から記述を記載していく。

 

 読み解くに連れて感じる生臭い錆び鉄の香り。それは血の匂いだ。

 

 甘く、芳醇な、鼻腔を突く匂い。なのに何故か不思議と安心感を感じさせた。

 

「――――っ!?!?」

 

 訪れたのは膨大な思念。精神防壁を意図も容易く素通りして、それは容赦なく脳裡を灼く。

 

 それは術理(きおく)だった。

 

 それはまるでとって付けたような地獄だった。

 

 ガハッ! グゥゥ――ッ! ギィィィ……アアアアアアアアアア……! ヒィアアアアアアア!

 

 イタイイタイヤメテウゴカサナイデクルシイ。

 

 アグ……グゥア……アァァ……アアアア……ギャアアァアアアアアア――――――――ッ!

 

 イタイ……イタイ……ヤメテ……ヒドイコトシナイデ……アアア――ッ……。

 

 ガアアア……アガア……ヒィィ……ヒィヤアア……ヒギィィィアアア……アアアア……ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――。

 

 ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイユルシテクダサイユルシテユルシテェ――ッヒィィィィッ。

 

 ヒュ――ッ……ヒュルルルゥ……ゼェ――――ッ……ゥグゥア……ァァァァ……。

 

 それは意味もなく繰り返されている拷問だった。ただ苦痛を与えるために、ただ尊厳を否定する為に、ただ絶望を与えるために。

 

 それを止めようとしても脚はまるで凍ってしまった様に動かない。声も、発した傍から掻き消されるように無音になる。

 

 なにも出来ない悔しさと怒りだけが募っていく。

 

「タスケ、テ……」

 

 奥歯を噛み砕かんばかりに噛み合わせ、募る憎悪と無力感に流れ落ちる血涙。

 

 身体が自由になった事で振り向けば、そこには真紅の機械仕掛けの神の姿があった。

 

「お前がアレをおれに見せたのか?」

 

 しかし刃金の骸は答えない。答える為の器官が存在しないからだ。

 

 しかし機械仕掛けの神はその意志を伝える。その仮面の奥から滴り落ちる血の涙によって。

 

 何故あのようなものを見せたのか理解は出来ない。しかしそれはとても大切でいて重大な事なのだと伝わってくる。

 

 そして感じる。機械仕掛けの神に、それこそ魔術回路の隅々、構成素材の至るところまでも染み渡っているネクロノミコンの気配。

 

 それの意味する事は、目の前の神は元々ネクロノミコンの鬼械神だったのだろうかという憶測を呼び起こす。

 

 しかし考えた所で答えはない。

 

 ただわかっていることは、自らに敗北は許されないということだ。

 

 救いたければ、勝利し続けなければならないこと。

 

 ただの一度の敗北は許されない。それが血濡れし刃との、魔を断つ誓いだった。

 

 それを、魂にまで刻み込む。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「これ。もう閉館時間は過ぎておるぞ」

 

 魔導書を読み耽るクロウに、孫を咎める様に声を掛けたのはこの図書館の司書長も勤めているアーミティッジ博士であった。

 

「……あ、はい。今終わる所です」

 

 手記に最後の文字を書き留め、クロウはネクロノミコンを閉じる。

 

 それを見てアーミティッジは驚きを隠せなかった。

 

 ネクロノミコンを読み解くだけでもかなりの精神力を使うというのに、目の前の少年は同時に写本すら書き上げていたのだ。

 

 ただの文字だと侮る事なかれ。

 

 それは正しく外道の知識。人の正気を冒す禁断の知識の集大成。

 

 それを書き記すだけでも相当の精神力を必要とされる。一歩間違えれば発狂死しても不思議ではないほどの事をクロウは果たしたのだ。それも僅か半日足らずである。

 

 これが鬼械神を操る魔術師であるが故の精神耐久力なのか。

 

 いや、そうは思わない。

 

 鬼械神を操る魔術師をアーミティッジ博士は二人ほど知っているが、そんな彼らでもこのような暴挙はしないだろう。

 

 では若さ故の精神構造の未熟さからくる鈍さが働いたのか。

 

 それも少し説得力に欠ける。そうだとしても目の前の少年は正しく魔導書の内容を理解できるだけの知識と認識力を持ち合わせているのだ。

 

「クロウくん。今回は何事もなかった様だが、人としての尊厳を失わない為にも、今回の様な事は止めなさい」

 

「え、ええ。わかりました…」

 

 魔導書の閲覧と同時に写本の作成という暴挙を咎められても自覚がない様に生返事のクロウ。何故いけないことなのかを理解できていない様子だった。

 

 元々己の影の中にティンダロスの猟犬という宇宙的脅威の存在を飼っているからか、その図太い精神力は並外れているのだろう。

 

 クロウからすればこの方が効率が良く、しかも次に何時閲覧が叶うかわからない魔導書を熟読する暇を確保する為の術として、閲覧と同時進行の手記への記述の写本であった。

 

 その危険性をアーミティッジ博士は口酸っぱく説き。クロウはそれに従う他はない。何故なら秘密図書館への立ち入りを制限されてしまってはクロウも敵わないからだ。

 

 閉館時間を過ぎている為、そくさくと帰り支度を済ませて図書館を辞するクロウ。その姿が通り過ぎたあとに微かであるが血の匂いがしている事に気づけた者は、居なかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 鬼械神での戦闘を終えたあとは消費した魔力や精神力を養う必要がある。それは機神招喚は最高位の魔導書が行使できる魔術の奥義であるからだ。

 

 これを怠れば術者は忽ち精神力を使い果たし、正気を失って外道の知識の影響によって化け物へと変貌する。魔力が切れてしまえば死だ。

 

 従って充分な休息を必要とする。しかし休息の間に出来ることも多い。

 

 邪神狩人は少しでもクトゥルー邪神勢力を討ち減らさなければならないからだ。

 

 休息の合間、次なる標的の情報を集める事が邪神狩人の仕事でもある。

 

 そんな生活は邪神狩人見習いであるクロウにも適応される。

 

 人類の未開の地へ赴いた冒険家の恐怖体験。或いは小説家の描いた怪奇談。或いは画家の描いた奇妙な絵。或いは詩人の記した奇怪な唄。

 

 そういった様々な資料からクトゥルー邪神崇拝勢力の活動地域を割り出すのだ。

 

 そんなクロウはとある日のこと呼び出しを受けた。

 

 このアーカムシティの実質的な支配者。田舎の港町を世界有数の大都市へと変貌させた大富豪――即ち覇道財閥にである。

 

 ミスカトニック大学から覇道邸までは迎えの車による送迎。

 

 門から玄関までとても歩いて行こうという距離ではない広大な敷地。

 

 覇道邸に着いたクロウを出迎えたのは長身の執事を従えた一人の少女だった。

 

「クロウリードさんですね? 私の名は覇道瑠璃と申します。お爺様――覇道総帥に代わり、お出迎えに参りました。こちらは執事のウィンフィールドです」

 

「以後お見知り置きを」

 

 優雅な礼を披露する両者に、お金持ちは住む世界が違うなと率直に思うクロウだった。

 

 ちなみに名前は自分の名前と合わせた呪術対策の偽名である。

 

「初めまして。隣のは妹のクロハと言います」

 

 こちらの紹介にクロハはスカートの端を摘まんで会釈をする。

 

 一般ピープルなのはおれだけなのかな?

 

 挨拶もそこそこにクロウは瑠璃に案内されて地下へと降りる。

 

 覇道邸の地下には地上の邸宅とは比べ物にならない規模の地下施設が広がっている。それはさながら地下要塞である。

 

 この地下要塞こそ、ミスカトニック大学秘密図書館特殊資料室に並ぶ人類の対邪神勢力に対する最前線基地でもあるのだ。

 

 その地下格納庫では50m級の鋼の巨人が並び立っていた。

 

 片方は白を基調としたトリコロール。片方はクロウも勝手知ったる紅の巨人だ。

 

 並び立てば両者が共通の基本シルエットを持っていることを垣間見る事が出来るだろう。

 

 先のインスマウスでの戦闘後。

 

 デモンベイン・クロックは覇道財閥の地下格納庫へと収容された。それは実体化したままデモンベイン・クロックが消えることなく存在し続けたからだ。

 

 一度目のダンウィッチの怪――ダンウィッチ村での戦闘のあとは何処かへと消えてしまったデモンベイン・クロックではあるが、今回はそうはならずにいる所をミスカトニック大学特殊資料室によって回収され、格納されたのがこの覇道の地下格納庫だったのだ。

 

「待っていたよ。若き魔術師(ヤング・メイガス)くん」

 

 そう言ってクロウを出迎えたのはこの街では知らぬものなど居ないだろう人物であった。

 

「お初にお目に掛かります。ミスター・覇道」

 

 覇道財閥総帥――覇道鋼造であった。

 

「待っておったぞ。クロウくん」

 

 他にもアーミティッジ博士がやって来たクロウを出迎えた。

 

 50m級のスーパーロボットが並び立つ絵というものは壮観の一言に尽きる。

 

 何故この場にアーミティッジ博士が居るのかと言えば、それはクロウの機械神デモンベイン・クロックワーク・ブラッドの解析の為である。

 

「全体の2割程度はヒヒイロガネではなくオリハルコンが使われておるが、間違いなくこの機体もデモンベインである事は疑いようもない事実じゃ」 

 

 覇道財閥の地下格納庫にデモンベイン・クロックが収容されたのは、収容する空間の問題はさておき、それが最も適切であるというアーミティッジ博士の判断からである。

 

 デモンベインはアリゾナで覇道鋼造が発見した残骸が大元となっている。

 

 一体誰が、どの様にして造り上げたのか。その成り立ちは不明のものだった。

 

 しかし機械工業品として実空間に永久的に存在する鬼械神構想。

 

 長年邪悪な知識の番人として、その知識を狙う者たち。或いはシュリュズベリィ博士や覇道鋼造の様な邪悪と戦う人々を補佐し、時には自らも前線に立つ身としては、より強大な邪悪に抗う術というものの必要性は人一倍理解している人間のひとりとして、人類が更なる力を手に入れられるかもしれない機会を逃す理由はなかった。

 

「しかも覇道のデモンベインにはない独自の機能を幾つか有しておる。単独での飛行能力等は大いに参考になるものだ」

 

 デモンベイン・クロックはデモンベインと比較しても追加装甲の様なパーツが数多く散見される。

 

 そして脚部シールドの時空間歪曲エネルギーと、スラスターによる推進力で跳ぶデモンベインに対して。

 

 デモンベイン・クロックはその腰のパーツの機能として存在する電磁力推進機構によって浮遊から飛行を可能としていた。

 

 即ち覇道のデモンベインよりも幾分か進んでいる技術が散見されたのだ。

 

 それらを覇道のデモンベインに応用出来れば、デモンベインは更なる力を有する事になるが。

 

「しかしこれらの機能は今の人類の科学力に再現出来る技術力はない」

 

「どういうことです?」

 

 アーミティッジ博士の言葉にクロウは疑問を挟む。同じデモンベインという存在であるのならばそう難しい事ではないのではないかという理由だった。

 

「君のデモンベインの約2割は我々人類の科学力ではなく、魔術による物なのじゃよ」

 

「つまり君のデモンベインはデモンベインと何れかの鬼械神が融合している姿だというわけだ」

 

 アーミティッジ博士の言葉に覇道が続けた。

 

 そんなことが有り得るのだろうか。いや、有り得ているからこそ、デモンベイン・クロックは目の前に存在しているのだ。

 

「有り得るのですか? そんなことが…」

 

 その疑問を口にしたのは覇道瑠璃だった。覇道財閥の人間として。覇道家の人間として、ある程度の事情を知っている彼女であるが、最高位の魔導書と魔術師が揃うことで初めて鬼械神は現界する事も知っている。それが術者なしで、現実の物質として存在するデモンベインと融合して存在する事が出来るのかという疑問だった。

 

「お嬢さん。それを可能とするものがデモンベインには備わっておる」

 

 そうアーミティッジ博士に言われて瑠璃が思い当たるデモンベインの機能は、ただひとつ。

 

 獅子の心臓。

 

 銀鍵守護神機関によって平行世界から無尽蔵にエネルギーを引き出す動力機関。

 

「そして魔術である鬼械神と、工業品であるデモンベインの融合も決して有り得ない事でもないのだよ、瑠璃」

 

「お爺様……?」

 

 覇道はそう言いながら、自らの手掛けたデモンベインを見上げた。

 

 そこには哀悼と哀愁の色がある事をクロウは読み取った。

 

 そしてその鷹のように鋭い瞳を携えて、覇道はクロウに向き直った。

 

「君にこれを預けておこう」

 

 そう言って手渡されたものはパンチカードを束ねた書だった。

 

 しかし魔術師であるからわかった。これは魔導書だ。そして――。

 

「魔導書――しかもネクロノミコンの気配を感じる」

 

「ほう。わかるのか」

 

 クロウの言葉に思わず感嘆の息を覇道は漏らした。

 

「『ネクロノミコン・機械語写本』だ。見ての通り、ネクロノミコンの記述を解析機関にかけて出力した物だ」

 

 そんなものまで魔導書になるのかとクロウは驚いた。となればワープロで記述を記して印刷すればそれも魔導書になるのかと思考が逸れる。

 

 パンチカードであるからその手の知識の無いクロウでは読み解く事は叶わないが。感じる気配の質はシュリュズベリィ博士の持つ魔導書セラエノ断章に匹敵する。しかし魔力の波動が弱々しい。

 

「弱っている?」

 

「うむ。数年前のブラックロッジとの闘争において深傷を負ってしまってな。以来手頃な魔術師もなく回復も遅れている状況だ」

 

 魔力はともかく、この質ならばデモンベインを動かすには事足りる魔導書なのはクロウにも理解できる。

 

「君に預ける。この魔導書の復活が私から君に依頼する仕事だ。報酬は君のデモンベインの整備でどうかな?」

 

 デモンベイン・クロックも工業品であるが故に整備は必要だ。

 

 それを出来るのは覇道財閥を置いて他には存在しない。

 

 何しろデモンベインを維持するだけでも小国の国家予算では足りない程だ。それをもう一機揃えて維持出来るのもまた覇道財閥しかない。ミスカトニック大学という手もあるが、どのみち機械神の整備に関しては覇道財閥でなければ出来ない一代事業だ。

 

 ならば最初から覇道財閥に丸投げする方が面倒が少なくて済む。

 

 デモンベイン・クロックを維持する為には嫌とは言えないため、クロウは覇道の依頼を引き受ける事にした。

 

 そしてクロウはこの日から覇道の人間として過ごす事となったのだ。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 覇道鋼造の依頼を引き受けた日。

 

 クロウに身寄りがないことも知っていた覇道によってクロウは覇道財閥に引き取られる事になった。

 

 シュリュズベリィ博士の弟子でもあるクロウではあるが、その辺りに関しても覇道とシュリュズベリィ博士、アーミティッジ博士の間で既に話が通してあった。

 

 つまり既に外堀は埋められたいたのだ。

 

 日本語にすると覇道(はどう)黒羽(くろう)という事になる。

 

 一般人から世界有数の大富豪一家の人間になる。まるでシンデレラの気分だった。

 

 それこそテーブルマナーなんてのを一から学ばなければならなかったし。覇道の人間としての心構えというか、帝王学を学ばされるとまでは思わなかった。

 

 ナコト写本、セラエノ断章に、ネクロノミコンを有する魔術師としてクロウは瑠璃に対する魔術の師として、彼女の魔術の研鑽に付き合う事にもなった。

 

 表向きは世界の大富豪。しかし裏では長年邪悪との闘争に明け暮れる家の人間である為か、まだ未熟なクロウから見ても彼女のセンスには光るものがあった。

 

 少なくともそういった血筋ではない自分よりも素養があった。

 

 特に相性が良いのはネクロノミコン系統の魔術だった。

 

 まだ魔導書としては若すぎて力も神秘性も弱い『手記:ネクロノミコン・ラテン語版』を教科書にして、瑠璃は魔術に対する理解を深めていった。

 

 何より瑠璃自身が熱心に魔術に対する勉学を積んでいるからだろう。

 

「余り良い事とは言い難いがね」

 

「何故ですか?」

 

 デモンベインの格納庫にて、デモンベイン・クロックに使われている、しかし覇道のデモンベインには使われていない。だが人類の科学力にて再現可能な最新素材や機器への換装を見届ける覇道の傍らに立つクロウが問う。

 

「あの娘は両親をブラックロッジに殺された。下手に力をつけてしまえばあの娘は復讐者となってしまう可能性もある。私人としてはそれもまた邪悪に抗う力ともなるだろうが。それではダメだ。いずれ覇道を背負う身としては」

 

 そこにあるのは巨匠覇道鋼造ではなく、孫娘を想うひとりの老人の姿だった。

 

「かつて復讐を胸に闘い。壮絶な最後を遂げた魔術師が居た。彼のお陰でこの街や世界は救われたが、貴重な才能を持つ魔術師を失うことは人類の損失だ。復讐に駆られて過去に囚われてはならない。あの娘には未来を見て貰いたいのだ」

 

 それは子の明日を奪われた母の嘆き。

 

 それは子の明日を守れなかった父の怒り。

 

「それに。あの娘は純粋で、真っ直ぐだ。真剣であるほど、正しくあろうとするほど、魔術の闇黒に堪えられなくなる」

 

「確かに無知であることは、邪悪から身を守る唯一無二の方法でしょう。しかしそれで彼女は納得はしなかった。なら、的確で正しい知識を身につけさせる方が彼女を守る事になるのではないでしょうか?」

 

「だから君に任せたのさ。あの娘が道を違えぬ様に導いてやって来れ」

 

 この老人がただ者ではない事をクロウは短い付き合いながらも感じ取る事が出来たが。その絞り出す様な切実なる願いを込めた言葉に、一体どれ程の想いが込められているのかは、クロウにはまだ計り知る事が出来なかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 クロウリード。

 

 その存在は覇道瑠璃にとっては衝撃と言っても過言ではなかった。

 

 祖父である鋼造に招かれたミスカトニック大学の魔術師。

 

 アーミティッジ博士やシュリュズベリィ博士を知る瑠璃からすれば、ミスカトニック大学の魔術師と聞いて想像したのはやはり彼等のような大人の人間だった。

 

 しかしいざ実際会って見て驚いた。

 

 見掛けは自分よりも幼い少女であり。同い年程度のこれまた少女を連れていた。

 

 そして、ある日突然として地下格納庫に現れた紅いデモンベインのパイロットでもあるということだった。

 

 年齢を聞けば自分よりも歳上である事も驚いたが、それよりも、デモンベインのパイロットである事の方が瑠璃には衝撃的だった。

 

 そしてクロウが覇道財閥の人間となったのはある意味で想像の範疇だった。

 

 デモンベインを操縦出来る魔術師を祖父が囲う事は予想できた。

 

 デモンベインを前にしてまるで昔からその隣に居る様に祖父の隣に着いて回るクロウに些かの嫉妬を抱かなかったと言えば嘘になる。

 

 祖父の隣に立ち、祖父と同じ視線で語り合うその博識さに羨望を抱いた。

 

 自分とそう変わらない年齢のクロウに出来るのだ。覇道財閥の一人娘の自分が出来ない筈はない。

 

 瑠璃はクロウに頭を下げた。

 

 嫉妬を抱いても、祖父の会話に着いていける博識さは別の話だ。

 

 聞けばクロウはあのシュリュズベリィ博士の弟子でもあるという。

 

 多忙を極め、さらには魔術理論を学ぶことを良しとしなかった祖父よりも手透きでありその事情を知らぬクロウならばと。一縷の望みを掛けて瑠璃はクロウに魔術の師事を頼み込んだ。

 

 己もまだ修行中の身であるものの、それでも良ければと快諾してくれた。

 

 それから瑠璃は貪欲に魔術の知識を学び始めた。

 

 そして修行中とはいえ、ナコト写本と契約し。セラエノ断章、ネクロノミコンの知識を持ち、さらにはあらゆる伝承神話に詳しいクロウの講義は瑠璃をして嫉妬を抱くのはお門違いにも程がある程の知識量だった。

 

 元々そういった伝承神話に興味があったというクロウの話は、次はどの様な話が飛び出すのかと心を踊らせる物だった。

 

 もちろん魔術の研鑽においても抜かりはない。

 

 魔術において魔術師は世辞を言わない。何故ならその誇張が命取りになるからだ。故に魔術の師匠は正当な評価を弟子に下す。

 

 それはクロウも変わることはない。故に瑠璃の才能を正当に評価し、その内に眠る可能性を指摘し、餞別として手記ネクロノミコンを授けられた時は、尊敬する祖父に近付けた事に小躍りしそうな程の喜びを感じた程だった。

 

 いずれはデモンベインを操れる程の魔術師になってみせよう。

 

 そして祖父と共に邪悪と戦ってみせよう。

 

 瑠璃の貪欲なまでに魔術の研鑽に打ち込む原動力はまさにそれであった。

 

 しかし耳に聞く経験談と、実際の邪悪との闘争はまったく別物であり。その宇宙的な恐怖と絶望を、この時の瑠璃はまだ知る由もなかった。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 覇道財閥の人間となっても、邪神狩人見習いである事に変わりはない。

 

 ただ私生活は大いに変わった。というより今まで一般人だった生活が一夜にして大革命を起こして大確変。

 

 世界的大富豪の家族に名を列ねる事になったが、それで浪費癖や価値観が変わって贅沢三昧になる訳はなく。というより誰かに世話をされるという事に慣れない生活が続く。

 

 一般人が急に大富豪の生活を手に入れても困ってしまう典型をクロウは味わっていた。

 

 加えて変わったのは大学に通うことになったのも大きい。

 

 ミスカトニック大学の考古学科――表向きはそうだが、実際には陰秘学科に通うことになった。

 

 それも瑠璃を伴ってである。

 

「それにしても。魔術に対しては初歩的な事しか教えていませんのね。講師によっては解釈が少々怪しいものもありましたし」

 

 初日の講義を終えた瑠璃の評価は辛かった。

 

 それは前もって魔術について勉学に励んでいた瑠璃をして拍子抜けでもあったからだろう。

 

「仕方ないですよ。ここは魔術師を教育するというより、魔術の扱いに困って、それを身につける為にやって来る人間が大半ですから」

 

 魔術師の才能を持って生まれる人間がなにも魔術師の家系だけとは限らない。

 

 時として一般家庭に、そうした才能を持って産まれてしまう子供も居る。

 

 そうした子供は魔術の扱いすら知らずに、自身の持つ魔力で時として怪奇現象を引き起こしてしまう。

 

 そうした子供は親が過保護に匿うか、執拗に拒絶するかである。

 

 そういった子供の為に、魔術を学ぶ場としてミスカトニック大学陰秘学科は存在する。

 

 しかし瑠璃の学んだ魔術は、そうした学ぶ為の物ではなく、邪悪と対峙し、抗うための術だ。

 

 神話生物や邪神と相対する事など想定していない陰秘学科の講義に拍子抜けしてしまうのも無理はなかった。

 

 基礎を復習するにしても、講師によっては解釈がまちまちの内容は却って自身の学んだ理論に混乱を生む。

 

 そうした邪悪との対峙する術を学ぶ為には月日を掛けて魔術理論を学び、優秀な成績を修めている生徒の中からアーミティッジ博士や、時としてシュリュズベリィ博士の様な邪神狩人がチョイスして声を掛け、本人の承諾を得てより実践的な魔術を学ぶのだ。

 

 既にそうした域に居るクロウの師事を受けている瑠璃からして、独学ではなく体系化された基礎を学ぶ価値はあるのだが。クロウに学ぶ以前から独学でも牛歩の様な歩みでも学び続けていた瑠璃からすれば、基礎の基礎の学び直しは拍子抜けと退屈を感じるのは無理はなかった。

 

 逆にクロウからすれば物語でも現実的にも有名なミスカトニック大学で学べる事は有意義な時間だった。

 

 そして何気無く、感覚的に処理している魔術の基礎を改めて学べるのも必要と言える時間だった。

 

 確かに瑠璃の気分もわかる立場にあるクロウだが、それらの基礎を自身の知識に落とし込み応用する事も魔術師の位階を上げるのには必要な事だった。

 

 それでも口を突いて出てしまう言葉を聞いて、覇道財閥の娘だとしても瑠璃もまだ年相応の子供なのだと感じ取る。飛び級で大学に通うのだから無理はないか。それでいて本人の知識量もそれを裏付けるものがある。

 

 何故覇道鋼造は彼女をミスカトニック大学に通わせる事にしたのだろうか。

 

 勉学に関してはそれこそ優秀な家庭教師に事欠く事はない。

 

 しかしそれでは社会性は育たない。

 

 いずれは覇道財閥を継ぐ人間が社会性ゼロは頂けない。しかし社交会等もあるだろうし、そうした場に出ている事だろう彼女の社交性は問題なく思える。

 

 だから余計に態々大学に通わせる意味を考えてしまう。それも学ばせる事に難色を示していた魔術理論を学ぶ陰秘学科にである。

 

 しかし考えたところで答えは出ない。無意味である事をする様な人物でもないはずだ。

 

 そうして時間は過ぎて放課後。

 

 やはり覇道財閥の一人娘として知れ渡っている瑠璃を遠巻きに見ようと人が集まってくる。彼女自身が美少女なのもそれに拍車を掛けているのだろう。

 

 そんな人波をまるでモーゼの様に割って歩いていく先はミスカトニック大学の――アーカムシティのひとつのシンボルでもある巨大な時計塔だ。

 

 陰秘学科の校舎も兼ねているが、ホームルームは一般学生も居る普通の校舎で行われる。

 

 ホームルームが終わればクロウはその時計塔に戻る必要がある。

 

 クロウに師事している瑠璃も、クロウの後に着いて時計塔に向かう。その様子を他の生徒は不思議がって見送った。

 

 あの覇道財閥の人間と普通に親しくしている人間が物珍しく感じられてしまうのも無理はなかった。それこそ街の外から来たばかりの人間でも、このアーカムシティに少しでも滞在すれば覇道財閥の名は耳にするのだ。

 

 覇道財閥には逆らうな。が、この街の暗黙のルールだ。

 

 憧れと畏敬を集める覇道財閥の人間と普通に接する事の出来る人間は極僅かだ。

 

 まだ正式に覇道財閥の人間として発表していないクロウが、覇道財閥と関係のある人間として見られない事も仕方がなかった。

 

 ミスカトニック大学陰秘学科の生徒でもおいそれと足を踏み入れる事の出来ない闇の裏側。

 

 秘密図書館に立ち入り、クロウは様々な資料を引っ張り出しては目を皿のようにして資料とにらめっこをする。

 

 資料のなかには水夫のフェルナンデスという人物の体験した恐怖奇談について記した物もあった。

 

 それらの資料から導きだされる事象、或いは怪奇現象を書き出していく。それがクロウの仕事、邪神狩人としての仕事である。

 

 まとめ上げた資料から、或いはクトゥルフ神話の物語りを基準にして次なる目標に定められた場所はペルーはマチュピチュの近く。今は放棄されているというサラブンコ要塞近くの古代遺跡だ。

 

 一から証拠をかき集めるよりも、クロウにはクトゥルフ神話というひとつの指標がある。

 

 先入観は時として真実を曇らせてしまうが、初めから疑いを持ってアタリをつけられるアドバンテージは確かに存在している。

 

 資料を纏め上げたのを見計らった様に、図書館に風が吹き抜ける。

 

 閉めきった図書館に風が吹くのは有り得ないことだが。それこそ風を纏う賢者の登場を示していた。

 

「やあ。元気そうでなによりだクロウくん。そして久し振りだね、お嬢さん」

 

「シュリュズベリィ博士!」

 

「ご無沙汰しておりますわ。博士」

 

 シュリュズベリィ博士に優雅に挨拶する瑠璃。

 

 祖父である鋼造を通して瑠璃はシュリュズベリィ博士と面識があった。

 

「ふむ。風の噂に聞いたが、良い弟子を迎えた様だな。クロウくん」

 

 不敵に笑うシュリュズベリィ博士。しかし当の本人は少し肩を潜める。

 

「いえ。その。まだ未熟な自分がちゃんと教えてあげられているか心配で」

 

「謙遜する事はありませんわ。クロウリードさんの講義は実に有意義で理解もし易いものですもの」

 

「そう言って貰えるなら頑張った甲斐もありますよ」

 

 という和やかな空気になりつつも、クロウは纏め上げた資料をシュリュズベリィ博士に渡した。

 

「いくつかの断片的な資料と、現地住民の証言を照らし合わせた結果。最も最有力なのはペルーの奥地。マチュピチュの近くにある放棄されて久しいサラブンコ要塞近くの古代遺跡が該当します。あとは直接現地に赴いてみなければわかりかねますが」

 

「うむ。これだけの結果であれば充分だ。既に現地ではフェラン君たちも更なる調査を進めている。早速準備を整えて我々も向かうとしよう」

 

「はい!」

 

 話が纏まったところで広げていた資料を片付けるクロウを横目に、瑠璃が口を開いた。

 

「シュリュズベリィ博士。その調査に私も同行させてください」

 

「ダメだ」

 

 間髪入れずにそう言ったのは、シュリュズベリィ博士ではなくクロウだった。

 

「ふむ。瑠璃嬢、これは探検家や普通の調査団の探索とは違う。宇宙的邪悪との闘争は君が考えているほど甘くはないのだよ」

 

 クロウの後に続けて、その道の専門家であるシュリュズベリィ博士が言って聞かせる様に、優しくありながらも固く注意する様な声色で言った。

 

「ですが私は覇道の人間です。いずれは覇道を継ぐ身として、自らの立ち向かう邪悪を知らずに覇道を継ぐ事が出来ましょうか? いいえ、出来ませんとも。決して邪魔は致しません。自分の身は自分で守ります。ですからどうかお願いします」

 

 シュリュズベリィ博士から見て、瑠璃はようやく魔術師となれたばかり。ミスカトニック大学の基準で言えばようやく魔導書の閲覧が許されたといったところか。

 

 位階に当て嵌めるなら0=0新参入者(ニオファイト)といったところか。

 

 初歩的な魔術の行使ならば問題はないだろう事は見てとれる。

 

 その瞳に宿した覚悟は成る程。あの覇道に名を列ねる人間だ。

 

「実際、彼女はどうなのかね?」

 

 しかし見てとれる部分だけでは判断はつかない。故に彼女の師にシュリュズベリィ博士は問い掛けた。

 

「自衛…という意味でなら問題はないでしょう。しかし……」

 

 クロウが懸念しているのは精神的な方だ。まだ彼女には邪悪を前にして正気を保てる程の精神強度を持ち合わせている様にはどうしても思えなかったのだ。

 

 そんな心配をするクロウを、瑠璃は覚悟を秘めた表情で見つめる。了承するまで梃子でも動かないといった表情だった。

 

「よろしい。では軽く講義を始めようではないか」

 

 そう切り出したのはシュリュズベリィ博士であった。

 

 付け焼き刃になるが、瑠璃の精神強度を補強しようということだろう。

 

 旧支配者の存在を、ネクロノミコンをはじめ。ダレット伯爵の『屍食教典義』、『ナコト写本』、『エイボンの書』、フォン・ユンツトの『無名祭祀書』などの引用を利用し言及した。

 

 それらはきわめて異界的で恐ろしい意味(イメージ)を瑠璃の脳裏に焼きつけた。

 

 そして一字一句違えぬまでに覚えさせたのはネクロノミコンの177頁の一文であった。

 

 古代ムナールの石から刻み抜かれし五芒星形には、魔女、妖魔、深きものども、ドール、ヴーアミス、トゥチョ=トゥチョ人、忌まわしきミ=ゴ、ショゴス、ヴァルーシアの蛇人間等の旧支配者及びその末裔に仕える者たちに対抗しうる効能あるも、旧支配者自身には対抗しきれぬゆえなり。五芒星形の石を所有せし者は、忍び寄り、泳ぎ、這い、歩き、戻る道なき源にまで飛ぶすべての存在の支配が可能となることを知らん。

 

 イヘ、ルルイエ、イハ=ントレイ、ヨス、ユゴス、ゾティーク、ン・カイ、クン=ヤン、凍てつく荒野のカダス、ハリ湖、カルコサ、イブにて、五芒星形はその力を発揮したり。しかれども星が欠け、太陽が消え、星間宇宙が広がるにつれ、すべての力も減少したり。かくして五芒星形、旧神による旧支配者の封印はそれぞれ力を失い、過去が再現され、次の連句が立証されん。

 

 そは永久に横たわる死者にあらねど、測り知れざる永劫のもとに死を超ゆるもの。

 

 その一文を暗記し一字一句違えぬまでに覚えた頃に。と言っても覇道財閥の跡取りとして英才教育を受けている瑠璃には覚えるだけなら一時間掛かることはなかった。

 

 その頃に隣で何やら石灰石に彫刻刀で彫り物をしていたクロウの作業も完了し、出来た代物をシュリュズベリィ博士は検分し、満足気に頷くと、その石を瑠璃に渡したのだった。

 

「見てとれる様に旧き印(エルダー・サイン)を施してある。これを持っていれば大抵の怪異は君に近寄れないだろうが、過信は禁物だぞ?」

 

「…はい!」

 

 準備は整った。

 

「瑠璃さん。これを飲んでください」

 

 クロウがそうして渡したのは黄金に輝く液体の入った試験管だった。

 

 それは黄金の蜂蜜酒という魔術的に作られたドラッグだ。

 

 意を決してその蜂蜜酒を口にする。

 

 どのような美酒も年代物のいかなるワインも及ばぬほどの素晴らしい味だった。それは舌の肥えている瑠璃をしても唸らせるものだった。

 

 焼けるような辛い味と極めて芳醇な香り。

 

 だが、それを楽しんでいる余裕はない。

 

 瞬間、世界の全てが変貌する。

五感が激しく研ぎ澄まされ、普段は感じられないはずの霊気までもがしっかりと感じられる。

 

 それだけではなく、自分の肉体が霊的な空間、アストラル界へと移行した事を知る。

 

 この効果こそ『黄金の蜂蜜酒』のもたらすもの。

 

 バイアクヘーに搭乗する際に必須な魔術的ドラッグである。

 

 そして、シュリュズベリィ博士とクロウは揃って奇妙な石の笛らしき物を取り出すと、次の瞬間、呪文と笛の音が周囲に木霊する。

 

 ふたりの持つ魔導書から紙が溢れて二重螺旋を描き、光を伴って顕現するのは鋼の翼である魔翼機バイアクヘー。

 

 各々のバイアクヘーに乗るふたりの魔術師たち。

 

「お嬢様のエスコートは頼むぞ、クロウくん」

 

「わかりました」

 

 シュリュズベリィ博士の言葉に答え、クロウは瑠璃に手を伸ばした。

 

 その手を取って恐る恐る魔翼機に乗る。

 

 瑠璃が乗り込むとクロウのバイアクヘーはゆっくりと垂直に飛翔する。

 

 そして充分な高度に到達すると、光となって加速した。

 

 背景など望める事など出来はしない速度で、文字通りの光速でバイアクヘーは空を駆ける。

 

 しかし蜂蜜酒によって身体は守られ、霊視能力も高くなっている瑠璃は見た。

 

 水平線の彼方までも続き、地球は丸いという言葉を裏付ける程に弧を描く彼方を望む程の高度から流れ行く世界を望んだ。

 

 そしてあっという間に南米はペルー南部のとある峡谷に降り立った。

 

 そこでは既にシュリュズベリィ博士が助手たちと話し合いをしていた。

 

 目的の秘されし古代遺跡の所在は、サラプンコ要塞より1マイル半といった辺りが濃厚である事は、クロウが纏めていた資料を横で見ていた瑠璃も知っている。

 

 そして先行調査をしていたシュリュズベリィ博士の助手たちによる報告を照らし合わせ、より正確な位置を割り出して向かうことになる。

 

 覇道財閥のご令嬢の登場に博士の助手たちは危険性を説いたが。彼らよりも既に魔術師として位階を高めている瑠璃の能力を博士が説明すると異を唱える者は居なくなった。

 

 さらには鬼械神を操るシュリュズベリィ博士と同格扱いされているクロウがボディーガードを務めるとなれば万が一の心配もないだろうと助手たちは安堵する。

 

 準備を整えて一行は出発する。

 

 サラプンコ要塞より1マイルを徒歩で移動する頃には周りの雰囲気がまるで異界染みた様なものを瑠璃は感じていた。

 

 原始的な意匠ながら宗教的畏怖を演出するべく荘厳に造られた建築物の数々が散見される。

 

 近郊のインカ時代の遺跡とは明らかに違う様式を持つこれ等の建物はある種の神殿であると瑠璃の直感は告げる。

 

 奇怪な彫刻と壁画に囲まれながらもさらに先に進む。

 

 前へ、右へ、左へ、下へ、上へ。

 

 斜めへ、真下へ、螺旋へ、異常な角度へ。

 

 非ユークリット的な異界の方式で構成されたその建造物は、人間の感覚などいとも容易く捻じ曲げる。

 

 まるでミスカトニック大学の時計塔の内部。闇の裏側――秘密図書館に続く路の様だと、いや。まったく同じものだと瑠璃は見抜いた。

 

 今回の調査にウィンフィールドを連れて来なくて正解だと瑠璃は歩きながら思った。

 

 幼い頃から自分に仕えてくれている執事の能力を疑うところは何一つないのだが、魔術という領域の話になってしまうと如何に強靭な精神力と超人的な身体能力を持っていても畑が違う。

 

 魔術を体得していないウィンフィールドではミスカトニック大学秘密図書館に立ち入る事が出来ないように、このように空間の捩れ曲がった場所では抜けることの出来ない永久の迷子になってしまっていただろう。

 

 ウィンフィールドが居ない今は自分で自分の身を守るしかない。

 

 その不安がないわけではないが、我が儘を言って着いてきたのだ。それくらいはしなければこの先邪悪との戦いも乗り越える事は出来ないだろう。

 

 神殿の内部を進むに連れて、周囲の様子も変わってくる。

 

 建築物というより天然の洞窟を利用した地下洞窟。明らかに人の手が入っている様子が見てとれる。

 

 博士の助手たちが持つランプや懐中電灯の明かりが照らす僅かな範囲より向こうは、闇の深淵の様に(くら)い。

 

 石造りの壁の隙間から染み出し、湿った空気にはどういうわけか潮の香りを感じた。

 

 地下水脈かなにかが海と通じているのだとしても、こんな山奥で潮の香りを感じるのは有り得ないことだ。

 

 やがて足元が水苔とも泥ともつかないものでぬかるんできた。足元の不安定さに思わず前を歩くクロウの服を掴んでしまう程足場は悪かった。

 

 明かりに照らされて足元には何やら大きな生物の足跡が見えた。

 

 それらをスケッチする様にシュリュズベリィ博士は助手たちに告げる。

 

 それは大きさとしては人間のものに近いが、靴を履いている様な足跡ではなかった。

 

 極端に長い足指の間には水掻きがある様な形をしている。

 

 歩幅から見て、両足を揃えて蛙のように跳ねているようだ。

 

 人間サイズの巨大蛙。

 

 そんなものの存在に瑠璃は生理的な嫌悪感を抱かずにはいれなかった。

 

 スケッチを終えて迷路じみた洞窟を進む。幸にして道標は足元に大量に残されていた。

 

 程なく暗闇の奥から、微かな水音が聞こえてきた。

 

 それに混じって聞こえるのは人の言葉とも蛙の鳴き声ともつかない、低く潰れた音。

 

 シュリュズベリィ博士が手を上げて一同の進行を制する。

 

 その傍らでクロウの纏う空気が変わったのを瑠璃は感じ取っていた。

 

 冷たく暗い。しかし熱い闘志をその瞳に宿していた。

 

 ふんぐるい むぐるうなふ くするふ るるいえ うがふなぐる ふたぐん――。

 

 奇妙な掠れた言語の祈りが奥から響き渡ってきた。まるで魂を鷲掴みにされたような原初の原始的な恐怖を感じ、知らずの内に呼吸が荒くなる。

 

 それは邪神クトゥルーに祈る際の言葉。

 

 意味は『ルルイエの館にて死せるクトゥルー夢見るままに待ちいたり』。

 

 クロウやシュリュズベリィ博士から教えを受けた瑠璃は、その言葉の内容が理解できた。

 

 そっとシュリュズベリィ博士は奥を覗き込む。

 

 そこに広がるのは異様極まりない光景だった。

 

 緑色に光る地底湖に半島状に突き出した岬――いや、段のついた四角い形状から見て人工的なものである事は明らかだった。

 

 島の頂きには杭状のものが何かの法則性を持っているのだろう幾何学的な配置で刺さっている。

 

 それは祭壇である。

 

 それを見た瑠璃は声を出さずに、しかし息を呑んだ。

 

 杭に固定された人間の死体。老若男女問わず。

 

 それはただの祭壇ではなく生け贄の祭壇なのだ。

 

 その周囲には蛙と魚を混ぜた様な醜悪な顔が数十程湖面より顔を覗かせている。

 

 首から下の筋骨の構造は人間に酷似しているが、姿は明らかに人間に分類して良いものではない半魚人という言葉が当てはまる様相をしていた。

 

 即ちそれは深きものどもの特徴と合致していた。

 

 そんな彼らは祭壇の小島の彼方に向けられていた。

 

 緑色の光に照らされて、何本かの石柱が立っていた。

 

 高さはまちまちだが、概ね10m前後。環状に配置されているが、恐らくは人工のものではない。

 

 地下水の侵食によって偶然作り上げられた天然の環状列石だ。

 

 深きものどもは皆、その石柱群を注視している。

 

 まるで発情期の蛙の合唱の様に祈祷の詩を口にする深きものども。

 

 それは祭りの始まりを待ち望む声だ。

 

 ぞくりと、冷たい何かが瑠璃の背筋を駆け抜けた。

 

 反射的に一歩下がりそうになる足を気合いで踏みとどまらせる。

 

 シュリュズベリィ博士の助手たちも頬や額に冷や汗か、または脂汗を吹き出している。

 

 皆、瑠璃の感じたものを感じているのだ。

 

 この空間に急速に高まりつつある、得たいの知れない気配を。

 

 祭りの始まりと共に何かが起こる。

 

 その中でも涼しい顔をしているのはシュリュズベリィ博士と、目の前に居るクロウの二人だった。

 

 しかし他の者とは別の意味で険しい顔を浮かべていた。

 

「不味いですね」

 

「うむ。残されている時間は限られているが。猶予は残されている」

 

 そして振り向いたシュリュズベリィ博士は不敵に笑って口を開いた。

 

「――では諸君、これより講義を始める!」

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 神聖な儀式に乱入した闖入者に対し、深きものどもたちはじりじりと集まり、包囲の輪を作りつつあった。

 

 シュリュズベリィ博士は深きものどもらに注意を向けると、生徒たちに向かって話し始めた。

 

「見たまえ――ここが、『深きものども』の拠点である事はもはや明らかだ」

 

 生徒たちが一様に頷く。深きものどもの群れを前にしながら、その様子に緊張はあれ、恐怖の色はない。――若干1名は本日が初実地講義の為にカウント外とする。

 

 シュリュズベリィ博士は言葉を続けた。

 

「彼ら深きものどもはクトゥルー眷属邪神群――通称CCDの奉仕種族の中でも特に勢力の大きいものだが、それ故に情報が多く、対処法が確立していると言える。例えば――キーン君、彼らとの接触が予想される場合、君ならばどう行動するかね?」

 

 シュリュズベリィ博士の問い掛けに、彼の助手のひとり――エイベル・キーンが答えた。

 

「はい、ええと――深きものどもは旧き印(エルダー・サイン)を模した護符や対立神性の讃歌を苦手としていますので、これらの手段で相手を怯ませ、逃走を図ります。その際、海や河川などを避けつつ、出来る限り高速の手段で移動し、ミスカトニック大や覇道財閥などの管理下にある対CCD組織の支部に庇護を求めます」

 

 その回答にシュリュズベリィ博士は頷いた。

 

「うむ。模範的な回答だ。彼らはその一体一体が人間より強力な肉体を持つ。能う限り戦闘は避けるべきだろう。――しかし同時に、彼らは下水道網を通じ、あるいは不器用ながらある程度の変装をして、驚くほど深く人間の生活領域に侵入する。また我々の側が、調査や移動などのやむを得ない事情から、彼らのテリトリーである水辺の空間に侵入しなければならない場合もある。最悪の場合、正面から彼らと戦わざる得ない状況もあり得るのだ」

 

 今回の状況もまさしくそれにあたるものだ。

 

 一心に聞き入る生徒たちに、シュリュズベリィ博士は言った。

 

「そこで――本日の課題は『深きものどもとの近接戦闘について』だ」

 

 シュリュズベリィ博士は深きものどもを指し示した。

 

「見ての通り、彼らの肉体は強靭な筋肉と皮膚、そして鱗に覆われ、通常の手段では傷つける事は困難だ。たとえ拳銃を使用しても致命傷を与えるのは難しい。そこで、急所を狙う必要があるわけだが――フェラン君、彼らの急所とはどこだと思う?」

 

 次に博士に指名されたのはアンドルー・フェランという体格の良い青年だった。その身体つきと足運びから瑠璃は自らの執事を思い浮かべた。

 

 フェランは逡巡しながら口を開いた。

 

「はっ、ええ……たとえば、目でしょうか」

 

「うむ。彼らの突出した眼球は重要な弱点だ。他には?」

 

「……生殖器は、どうでしょう?」

 

 年頃の少女が居るからだろう。言い淀みながらフェランは答えるが、その答えはシュリュズベリィ博士の期待したものではなかったらしい。かぶりを振って博士は続けた。

 

「それは違うな。繁殖期を終え、身体的な『大変容』を迎えた後の深きものどもは、不死に近い生命力と引き替えに生殖能力を失う。その際に生殖器は退化してしまうのだ」

 

「では、心臓や腎臓など――」

 

「うむ。それらの重要な臓器を損傷することは、彼らにとっても致命傷になるだろう。しかし、それらは筋骨に鎧われた体内にあって、容易には傷つけられない」

 

「それでは……ううむ……」

 

 次なる答えが出ず、フェランは唸り詰まってしまう。

 

「降参かね?」

 

 考え込んだフェランに言い置き、シュリュズベリィ博士の視線がこの場で一番体格の細いクロウに向いた。

 

「先日クロウくんには講義したばかりだったな。覚えているか復習だ。実践してみたまえ」

 

「わかりました」

 

 呼ばれたクロウは一団から歩み出す。

 

 そして深きものどもの中の一体、クロウよりも一回り以上大きな――それでも深きものどもの中では平均的な体格をした個体が、その動きに反応して近づいてきた。人類猿の様に前傾姿勢のため、背はやや低く見える。

 

「クロウリードさん…!」

 

「心配は要らないさレディ。彼もああ見えて魔術師であり邪神狩人のひとりだ。あの程度に遅れを取る程ではないよ」

 

 心配する瑠璃をシュリュズベリィ博士が宥める。そして再び言葉を続けた。

 

「先ず前提として、彼ら深きものどもは、一応陸上での活動能力を持ってはいるものの、基本的には海棲生物であり、肉体の構造も水中生活に適応したものとなっている。つまり、彼らの弱点とは――」

 

 シュリュズベリィ博士の言葉に合わせるように、クロウは突然距離を詰め、深きものどもに肉薄する。

 

 深きものどもは蛙じみた掠れた叫び聲を上げて腕を振り上げた。鋭い鉤爪は、一撃で人間に致命傷を与えるだろう。

 

「っ、はッ!」

 

 クロウは臆する事なく、肘打ちを深きものどもの右脇腹に叩き込んだ。

 

 蛙の呻き声の様な音が深きものどもの喉から漏れ、苦し気に動きを鈍らせた所に回し蹴りを反対の左脇腹に叩き込めば、さらに呻き声を喉から発し、ついには両脇からおびただしい量の泡混じりの血が流れ始めた。

 

 深きものどもは反撃の鉤爪を振り下ろしたが、その勢いは明らかに弱まっている。

 

 バックステップでその爪をかわすと、充分な間合いのある事で放てる後ろ回し蹴りを放った。

 

 クロウの踵に横面を張り飛ばされた深きものどもは、その場に横様に倒れると、脇腹から血の泡を吐き出して、動かなくなった。

 

「………!」

 

 一連の動きに魔力は一切感じなかった。純粋な素手による打撃で、怪物じみた生命力を持つ深きものどもに致命傷を与えたのだ。

 

 その事実に生徒たちは息を呑んだ。

 

「見たかね?」

 

 シュリュズベリィ博士は満足気に頷いて不敵に笑って生徒たちに言った。

 

「彼らの弱点とは()()()、すなわち、体外に露出している(エラ)だ。ここばかりは筋肉や鱗で覆う事が出来ないため、徒手による破壊が可能なのだ。鰓に打撃を加える事によって、彼らは容易に()()()する」

 

 今度はシュリュズベリィ博士自ら前に出た。長身の博士よりもさらに一回り大きい個体。前傾姿勢ながらも2mは超える体高の大物だ。

 

「――そして、この基本はより大型の個体にも適応し得る」

 

「そんな……博士、無茶です!」

 

 生徒のひとり、クレイボーン・ボイドが叫ぶのと同時に、その深きものどもは、威嚇の聲を上げながらシュリュズベリィ博士に飛び掛かった。

 

「ふんッ!」

 

 シュリュズベリィ博士はかわし様、身体を半回転させて中段回し蹴りを放った。

 

 彼の太い脚は、全身のバネを一点集中の打撃力に変えながら、半魚人の怪物の脇腹に突き刺さった。とても老人の動きとは思えない軽々しく見事な一撃だ。

 

 深きものどもの脇腹がぐしゃりと重い音を立て、次の瞬間、血の飛沫を上げた。

 

「恐れることはない!」

 

 シュリュズベリィ博士は朗々と言い放った。

 

「彼ら深きものどもは年齢を重ねる毎に際限なく成長していくが、我々にとって幸いな事に、それは()()()()()()()()()()だ。陸上で活動が出来るのは『大変容』からせいぜい数年の間であり、その末期には――この個体がそうである様に――もはや陸上への適応を外れかけている。彼らは大気中では常に呼吸不全の状態にあり、また、その動作は陸に上がった海獣さながら、本来の素早さの一割も発揮出来てはいない」

 

 片腹から血を流しながら、深きものどもが咆哮する。蛙じみた口元からも、喉に回った血潮がごぼごぼと溢れる。

 

 深きものどもは低く身を屈めて、シュリュズベリィ博士に飛び掛かった。さながら相撲の力士の様な突撃を彷彿させる恐ろしい勢いの跳躍だ。

 

 だが、シュリュズベリィ博士は先程とは反対側に身をかわすと、もう片方の鰓にも回し蹴りを叩き込む。

 

 両脇の鰓を完全に破壊された深きものどもは、なおも両手で空中を無茶苦茶に掻きむしりながら突進するが、シュリュズベリィ博士はその直線的な動きを的確に避け、背後に退いた。

 

 ほんの十秒ほどで、深きものどもは地面に倒れ伏した。二度、三度と断末魔の痙攣をし、やがて動かなくなる。

 

 もちろん一連の動きに魔力は一切使われていない。

 

「見ての通り、如何に巨大であり、獰猛であろうとも、陸に上げられた鮫は恐るるに足りん。彼らは強力かつ危険な生物だが、陸上においては我々に地の利がある。的確な観察と判断によって、彼らとの格闘に勝利する事は充分に可能だ。――理解したかね?」

 

「はいッ!」

 

 生徒たちは声を揃えて答えた。

 

「よろしい――では、実習に移る!」

 

「はッ!」

 

「はいッ!」

 

 生徒たちは、手に棍棒や槍を持って深きものどもに向かっていく。ボクシングの心得のあるフェランは素手で向かっていく。

 

 助手の数は五人。

 

 アンドルー・フェラン。

 

 エイベル・キーン。

 

 クレイボーン・ボイド。

 

 ネイランド・コラム。

 

 ホーヴァス・ブレイン。

 

 永劫の探究者たちに対する深きものどもの数は数十はくだらない。一見して圧倒的数的不利の状況だが、彼らは臆する事なく戦闘に挑んでいる。

 

 背後で彼らを見守り監督する師に、絶対的な信頼を置いているからだ。

 

「彼らの動きは直線的だ。挙動の出鼻を読めば避けられる!――爪に気をつけろ! 毒を持っている! ――掴み合いでは勝てんぞ! 常に距離を取り、カウンターを狙っていけ!」

 

 檄を飛ばしながら乱闘の中を闊歩するシュリュズベリィ博士は、深きものどもに(つか)まりかけた生徒がいれば敵に蹴りを入れて脱出させ、反対に攻めあぐねている学生がいれば自らが注意を引き付け攻撃の機会を作る。さらには突出しすぎた生徒を下がらせるなどして、場の全体をコントロールし、生徒たちの安全を確保する。

 

 これが邪神狩人――ラバン・シュリュズベリィ博士による邪神狩人の邪神狩人による邪神狩人の為の講義風景だった。

 

「凄い…」

 

 その光景に瑠璃は圧巻させられた。

 

 大して魔力を使わずに深きものどもと渡り合うシュリュズベリィ博士の助手たち。

 

 この様に的確な教育があれば人類は邪悪に大して抗うことが出来るという証明は何よりも瑠璃に戦うことの活力を沸き起こさせた。

 

「ヴーアの無敵の印に於いて、力を与えよ。力を与えよ。力を、与えよ!!」

 

 緑色に照らされた地底湖を照らす程の灼熱が生まれる。

 

 それはクロウの手の中から生まれ、焔の中に浮かび上がる魔術模様――業火によって刃金を鍛え上げ、幾つもの三日月が折り重なった一振りの刀が実体を結ぶ。

 

「バルザイの偃月刀!」

 

 賢人バルザイがハテグ=クラの山頂にて鍛え上げた刀と言われる青銅の剣であり、魔術行使を補助する魔法使いの杖としても知られているネクロノミコンに記された呪法兵装である。

 

 パンチカードであるがゆえに読み取れはしないが、バルザイの偃月刀に関する記述は既にネクロノミコン・ラテン語版を読み解いた時に理解している。

 

 ネクロノミコン機械語版の術式から該当する記述を選択して偃月刀を招喚したのだ。

 

「バルザイの偃月刀、多重詠唱」

 

 魔導書から人の姿になったクロハが術式を複式。さらに四本の偃月刀が鍛え上げられ、クロウの周囲に滞空する。

 

「いけっ!」

 

 クロウの号令と共に射出されるバルザイの偃月刀。

 

 ソードビットという架空の自立機動型の兵器が存在する。

 

 それらの動きをイメージする事で偃月刀はそのイメージのままに飛び回り、深きものどもを切り裂いていく。

 

 人間としての闘争力の傍らで、魔術師らしいやり方で深きものどもを殲滅していくクロウ。

 

 半数程の深きものどもを殲滅すると、このままでは全滅するのは自分たちと見たか。深きものどもは水辺に撤退し始めた。

 

 深きものどもは十体程の死体を残して潮が引くように水中に消えていった。

 

「我々の勝利ですね」

 

 フェランがシュリュズベリィ博士に呼び掛けた。が――

 

「いえ。まだです」

 

 蜂蜜酒の影響か。鋭敏になっている瑠璃はむしろこれからが始まりなのだという予知じみた予感がしてならなかった。

 

 そしてその予感が的中する様に、地響きと共に、環状列石の中心に巨大な水柱が立った。底部から巨大な水圧を掛けられ、噴水の様に噴き出したのだ。

 

「これは……間欠泉!?」

 

「いや、この辺りに火山はなかったはずだが……!?」

 

 コラムとブレインが地響きを伴って噴出する水柱を見てそう溢すが、確かにこの辺りに火山等はない。それに熱気ではなくまるで海底に沈んでしまったかの様な強い冷気を瑠璃は肌で感じていた。

 

「まさか…。博士!」

 

「うむ。おそらくそうだろう」

 

 しかし魔術師であるシュリュズベリィ博士とクロウのふたりはこの現象について何かに行き着いた様だった。

 

「なにが起こっているのですか!?」

 

 瑠璃の疑問に答えたのはクロウだった。

 

「あの環状列石は『門』の役割を果たしていて、おそらく何処かの海底と繋がっている」

 

「マスターの仰る通りです。あれは海底都市ルルイエと繋がる門のひとつです」

 

 クロウの言葉に続け、詳細を語ったのはクロハだった。それにシュリュズベリィ博士がより詳しく現状を語り出す。

 

「つまりこの洞窟は今、太平洋の深海と超次元的に連結しているのだ! 水圧差によって海水が流入している! すぐにここは海底になるぞ!」

 

 地底湖は噴出する海水によって瞬く間に水かさを増し、一行の足元にも海水が押し寄せる。

 

「撤収だ!」

 

 シュリュズベリィ博士の号令一下、一行は海水を跳ね散らしながら、地下神殿の出口へと向かう。

 

 その時だった。

 

 一際大きな轟音と共になにかとてつもない気配が背後から現れた。

 

 それは十数階建てのビルに相当しよう程の巨大な人影。

 

「……デカい!」

 

 フェランが思わず叫んだ。

 

「博士、あ、あれも深きものどもなのですか!?」

 

 その巨体にキーンの声が上擦った。

 

「うむ」

 

 シュリュズベリィ博士も険しい顔を浮かべる。

 

 身体的特徴は確かに深きものどものそれに一致するが、ひたすらに巨大なのだ。目測で30m後半から40mはあるだろうか。

 

 地下神殿が狭いお陰でより巨体に見えるのかもしれない。

 

「年経て水中生活に完全適応した深きものどもの古老(エルダー)だとは思うが。しかしこれ程までに成長を遂げた個体は初めてだ。おそらくは太古の海より悠久の時を経て成長を続けた個体であるのだろうな」

 

 セラエノの大賢者すらも初めて目にする巨大な深きものどもの姿に圧倒されていた。

 

 しかもその巨大な深きものどもがまた一体、『門』を潜って現れようとしている。

 

「急げ! このままでは生き埋めになってしまうぞ!」

 

 数十mの巨体が複数収まる程、この地下神殿は広くはない。その内側からの圧力に何時神殿全体が崩れるか等わかるものではない。

 

 増水に追われながら、一行は神殿を脱出し、峡谷の底に走り出た。

 

 余裕は殆どなかった。

 

 一行が神殿から数十m離れ、岸壁の登攀(とうはん)ルートを登り始めた時、海水の噴出と共に神殿が崩れ、鉄砲水の様な濁流となって眼下を流れていく。

 

「みんな、落ちるなよ!」

 

 フェランが叫んだ。

 

 しかし濁流の勢いと神殿から噴き出す海水の勢いの生む振動は凄まじい。

 

「きゃあああ!!」

 

 それによって、濡れてしまっていた手でロープを掴んでいた瑠璃が、手を滑らせて落ちてしまう。

 

 直ぐ様追うように飛び降りたのはクロウだった。

 

「バイアクヘー!!」

 

 詠唱破棄。瞬時に脳内でバイアクヘー招喚の為の術式を構築し、名称に乗せて石笛の音色を声に乗せて放つ。

 

 一瞬で手記セラエノ断章が光となって魔翼機バイアクヘーへと変形し、その上に瑠璃とクロウは落ちた。

 

「大丈夫ですか、瑠璃さん」

 

「はい。ご迷惑をお掛けしました」

 

 安否を気遣うクロウに、瑠璃は謝罪を込めた礼を言う。

 

「大丈夫かね!」

 

「はい! 大丈夫です!!」

 

 声を掛けるシュリュズベリィ博士に返事を返しながら、ふたりを乗せたバイアクヘーは上昇する。

 

 しかしそのバイアクヘーを下から何者かが掴んだ。

 

「きゃあああっ」

 

「な、なんだ!?」

 

「いかん!」

 

 クロウのバイアクヘーを掴んだのはあの巨大な深きものどもの一体だっだ。

 

 濁流に呑まれず、その大木のような脚で地に立ち、挟み込む様にバイアクヘーを掴んでいたのだ。

 

「くっ」

 

 目の前には巨大な深きものどもの醜悪な顔がある。噎せかえる程の潮の香り、そしてギョロリとクロウと瑠璃を見つめる飛び出した巨大な眼球。

 

「い、い、いやぁぁぁあぁぁぁぁっっ」

 

 瑠璃が悲鳴を上げた。無理もないことだ。普通の人間ならば悲鳴を上げる前に気絶している。ある意味そちらの方が幸せだろう。

 

「第四の結印は旧き印(エルダー・サイン)。脅威と敵意を祓い、邪悪を討ち滅ぼすもの也!」

 

 シュリュズベリィ博士が五芒星を描き、旧き印の防御魔術を展開する。

 

 強烈な破邪の光に目を眩ませた深きものどもの拘束が一瞬緩む。

 

「クロウくん!」

 

 返事をする間もなくクロウはバイアクヘーを離脱させる。

 

 蜂蜜酒の効果が続いているかはわからなかった為、風圧やGから守るために瑠璃の身体を抱きすくめた。

 

 上空に逃れたクロウは眼下を睨み付ける。

 

 巨大な深きものどもは二体存在している。

 

「瑠璃さん。しっかりして、瑠璃さん」

 

「いや、いやいや、いやああああっっ」

 

 身体を話そうとしても、怯えきった子供の様に瑠璃はクロウにしがみついて離れなかった。

 

 こんな状態の瑠璃を連れていては戦えない。

 

 どうするか思案するクロウの耳に清らかな詩と共に、爽やかな風が頬を撫でた。

 

 我は勝利を誓う刃金(はがね)――。我は禍風に挑む翼――。

 

 無窮の空を超え、霊子(アヱテュル)の海を渡り、翔けよ、刃金の翼!

 

  舞い降りよ―――アンブロシウス!!

 

 紡がれた聖句と共に、瞬間、空が爆砕した。

 

 それは巨大な空間の歪み。そしてそこから姿を現すのはヒト型を模した鋼鉄の巨人。

 

 それは最高位の魔導書のみに許された奥義。

 

 それは巨大な痩せた猛禽の様であり、鋼鉄のフレームからなる骸骨の様であり、姿こそは人間に似ているが、二本ではなく四本の腕に鋭い鋼鉄の翼。

 

 これが魔導書『セラエノ断章』から招喚される鬼械神(デウス・エクス・マギナ)――アンブロシウスである。

 

 両手に握られた一振りの巨大な鎌。四本腕のその機体は、どこか禍々しく。例えて言うなれば、死神の鎌を持つ巨大な凶鳥、あるいは死神にも見える姿をした機械仕掛けの神。

 

 シュリュズベリィ博士の乗るバイアクヘーはその頭部と合体する。

 

 魔術師と魔導書と鬼械神。

 

 この三位一体が構築される事により、彼らは神すらも滅ぼす刃となるのだ。

 

 舞い降りたアンブロシウスは賢者の鎌を構えた。

 

 その一閃を深きものどもは腕の鱗で受け止めてしまう。

 

「硬い!?」

 

 アンブロシウスからセラエノ断章の精霊であるハヅキの驚愕が響き渡る。

 

 生半可な鋼鉄をバターの様に両断してしまうはずの賢者の鎌が受け止められた事は十二分にハヅキを驚かせるのには事足りる事象だったのだ。

 

「ふうむ。おそらくは旧支配者期からの、それこそ何千何億という時の悠久を生きてきた個体なのだろう。いやはや、敵ながら生命の神秘と言うものを垣間見たな」

 

「感心してる場合じゃないよダディ!」

 

「おっといかんいかん。では参るとしようか、レディ!」

 

「イエス! ダディ!」

 

 アンブロシウスは賢者の鎌では鱗を立ち切れないと見て急速離脱する。

 

 その背中からエーテルの光を爆裂させて高速機動で深きものどもを翻弄する。

 

「講義は聞いていたかな? レディ」

 

「ばっちり」

 

 後ろに後ろに、背後に背後に、回り込み続けて目を回したか。ふらついた深きものどもの横っ腹に、切るのではなく叩きつける様に賢者の鎌を振るったアンブロシウス。

 

 生々しいごきゃりという破砕音と共に深きものどもは噎せる。口から血が混ざる唾液を滴らせながら吼える。

 

「良いぞレディ! もう一撃だ」

 

「っ、動体反応! 後方7時!!」

 

「くおっ」

 

 しかしもう一体の巨大な深きものどもがアンブロシウスを襲う。

 

 二体一では充分な隙を伺うのに時間が掛かってしまう。

 

 そしてアンブロシウスは強力無比の鬼械神である代わりに弱点が存在している。

 

 それは戦闘時間。

 

 アンブロシウスのメイン動力であるフーン機関は魔術師の魔力と、黄金の蜂蜜酒によって駆動する魔術機関である。

 

 大賢者であるシュリュズベリィ博士が操る為、魔力は問題ないのだが、蜂蜜酒はそうではなく一度の戦闘時間に限りがあるのだ。

 

 故に悠長に隙を伺っている時間すら惜しいのだ。

 

 クロウは選択する。

 

「いくぞクロハ!」

 

「よろしいのですか?」

 

「こうなったら最後まで付き合ってもらうよ」

 

 剣指を作り、虚空に描くは招喚陣。

 

 真紅に輝く魔法陣を描き、クロウはその手に刃金の剣を執る為の聖句を口にする。

 

戦友(とも)よ。我が戦友よ。我は汝が名を高らかに謳う。世界最強の聖句と共に!」

 

 光がクロウを包み込み、天上に向かってその光は打ち上げられた。

 

 打ち上げられた光は、虚空の空に巨大な魔方陣を描きあげた。

 

 何も無いはずの虚空に、たった今、途方も無い質量の気配が生じた。

 

 そこに有り得べかざる物質が、存在する無限小の可能性。限りなく『0』に近い確率が集約され、完全なる『1』を実現する。

 

 巨大な何かが、強大な力を秘めた何かが、今、顕現しようとしていた。

 

 空間が圧倒的質量に弾き飛ばされ、粉砕した。

 

 急激な気圧の変動が、疾風となり稲妻を伴って吹き荒れる。

 

 虚空に飛翔する、圧倒的なその威容。

 

 刃金を纏い、人間の為にその力を振るう巨人。

 

 それは大地を砕きながら膝を着き着地した後、ゆっくりと立ち上がる。

 

 罪と血で穢れようと、正しき怒りを失わぬ無垢なる剣よ。

 

「虚空の空より来たりて、切なる願いを胸に、我は明日への路を切り開く――!!」

 

 聲高らかに紡がれし聖句は世界を超えてその剣を顕界させる。

 

「汝、血濡れし刃――()()()()()()!!」

 

 赤い招喚陣が虚空に現れ、その中より出でし機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)

 

 紅く、血の色に染まる鋼鉄の巨人。機械仕掛けのその(むくろ)を、闇が覆い尽くしている。

 

 魔導書の肩を抱く魔術師。

 

 魔術師の身体を抱く魔導書。

 

 主従の身体が紅い光に包み込まれてコックピットへと昇って行く。

 

 その胸が開き、操縦席が現れ、術者と本は互いの席に収まった。

 

 紅の機神の眼に光が灯る。血に濡れ、罪に濡れようとも、その心は邪悪を滅する魔を断つ剣。

 

 魔の属性に堕ちようとも、その本質は変わらない。その魂に刻まれた魔を断つ荒唐無稽の暗黒神話を打ち倒す御伽噺は確かに存在しているのだから。

 

 コックピットに瑠璃まで連れ込んで、クロウはデモンベイン・クロックで戦うことを選んだ。

 

 大地を粉砕しながら着地し、立ち上がるデモンベイン・クロック。

 

「しっかり掴まってて、瑠璃さん!」

 

「…え、あ、……ここ、は…?」

 

 瑠璃の身体を片腕で確りと抱きながら、術式を走らせる。

 

「ティマイオス、クリティアス!!」

 

「断鎖術式解放! 爆裂(エクスプロージョン)――!!」

 

「あっ…、きゃあああっ!?!?」

 

 瑠璃の悲鳴が鼓膜を叩くが、クロウは目の前に集中した。

 

 時空間歪曲エネルギーの爆裂によって飛び出したデモンベイン・クロックは重力を無視して飛び上がる。

 

 そのまま重力を味方につけた降下。飛び蹴りの姿勢に移行する。

 

「アトランティス・ストライク!!」

 

「いやああああああ!!」

 

 時空間歪曲エネルギーを纏った必殺の蹴りが巨大な深きものどもの背中に突き刺さる。

 

 その鱗を粉砕するが、内部までにダメージは届いていない様子だった。

 

 蹴りの衝撃がコックピットに激震をもたらし、瑠璃の悲鳴が木霊する。

 

 アトランティス・ストライクでも鱗を破壊する程度となればその強固さにシュリュズベリィ博士が感心を抱いても無理はなかった。

 

 しかし生命の神秘の追究よりもやらなければならないのはこの目の前の邪悪の尖兵の殲滅だ。

 

 鬼械神と戦える個体が人里に降りてしまえば街どころか国単位で滅びを撒き散らすだろう。

 

 それを許すわけにはいかないのだ。

 

 デモンベイン・クロックの左腕を前に突き出す。

 

 手のひらの前に輝く逆三角形の光。それは術式が発光しているのだ。

 

「汝の雷を死に浴びせよ!」

 

 そして迸る紫電。雷鳴を伴い、閃光と共に放つ。

 

「死に雷の洗礼を!!」

 

「ABRAHADABRA――!!」

 

 解き放たれた雷の閃光は深きものどもを直撃し、その身体を超高熱の紫電が灼いていく。

 

 所々が炭化して煙を上げるものの、その巨体に見合う生命力で深きものどもはまだ生きていた。

 

「ヒラニプラ・システム、接続(アクセス)――!!」

 

「術式解凍、ナアカル・コード形成。マスター!」

 

 剣指を作るデモンベイン・クロック。その合わせられた剣指の手の内には超高密度の魔力の塊が産まれている。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 クロウが吠え、重ね合わせた両腕を天に掲げ、左右に広げながら降り下ろす。

 

 後光の如く輝く五芒星の印――旧き印(エルダー・サイン)が、邪悪を討ち祓う結印が一際輝きを増し、結界を作り出した。

 

 そして紡がれるのは、未来永劫過去永劫現在永劫変わることなく語り継がれ紡がれる破邪の祝詞。

 

「光射す世界に、汝ら暗黒、棲まう場所なし!」

 

 天高く掲げられたデモンベイン・クロックの右の掌に超高密度の魔力が収束する。高密度の術式と魔力が駆け抜け、必滅の威力を封じ込めた術式が覚醒する。

 

「渇かず、飢えず、無に還れ!」

 

 デモンベイン・クロックが地を蹴り、疾駆する。掌から溢れ出す閃光が邪悪を、白い闇で染め上げる。

 

 巨人の右手に宿る輝きを見た瞬間、深きものどもは怯えた。その破滅の光を、魂が識っていた。だがもう、逃れるには致命的な距離だった。

 

 神をも滅する第一近接昇華呪法――その名も!!

 

「レムリア・インパクト――!!」

 

 必殺の一撃を乗せて、デモンベイン・クロックの右の掌は吸い込まれるように深きものどもへ叩き込まれ、必滅の術式がその内部へと浸透していく。

 

「第一近接昇華呪法、複式!!」

 

「銀鍵守護神機関第7層まで解放! 出力180%!!」

 

 普段ならば右手だけに収束する魔力が左手にも集まっていく。

 

 一体目の巨大な深きものどもへのトドメを差した勢いを乗せて、もう一度必滅の必殺技をデモンベイン・クロックは発動させる。

 

「レムリア・デュアル・インパクト!!」

 

 もう一体の巨大な深きものどもにもペテルギウスの浄化の炎を携えた巨人の左手が吸い込まれる様に叩き込まれた。

 

「双撃昇華!!」

 

 必滅の呪文が世界に響き渡り、デモンベイン・クロックの掌から放たれた光が、世界を白い闇で埋め尽くし、塗り潰し、染め上げ、閉じ込めた。

 

 暴虐の光の中。魂を冒さんばかりの断末魔。だがその断末魔は結界に封ぜられた無限熱量の暴虐によって、悠久を生きた生命の悉くを滅却し、昇華させた。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「あーあ。せっかくの出番だったのにヒドイんだから」

 

「まぁ、今回は仕方がなかっただろう。多目に見てやってはくれないか? レディ」

 

「人間って不便だよね」

 

「そう言うな、レディ」

 

 デモンベイン・クロックの胸の上。陽射しを浴びる鋼鉄の巨人の上で泣き崩れる少女をどうにか泣き止まそうとする少年を見ながら、出番を根こそぎ持って行かれたハヅキは愚痴る。

 

 しかし盲目の老賢者はその光景に満足している様だった。へそを曲げる娘に声を掛けながら、その鋼鉄の巨人の在り方を想う。

 

 人の為に存在し、人の為にその大理不尽を振り撒く機械仕掛けのご都合主義の神様。

 

「あれが、魔を断つ者(デモンベイン)か――」

 

 その戦い振りを束の間とはいえじっくり見ることが出来た。

 

 人類は確かに邪悪に抗う為の力をつけてきている。

 

 そう実感を抱くシュリュズベリィ博士は、バイアクヘーで弟子たちの前に降り立った。

 

「博士。あれが覇道財閥の切り札ですか」

 

 アンブロシウスにも劣らぬ破壊力を目にして、フェランは畏怖の目を刃金の巨人へと向けていた。

 

「うむ。人類の手にする最後の切り札だ」

 

 そう言い閉めて、シュリュズベリィ博士は背後を振り返った。

 

「諸君、これより神殿跡の実地検分を行う! 谷底に集合!」

 

「はッ!」

 

「はいッ!」

 

 シュリュズベリィ博士に続き、五人の弟子たちは谷底に降り立つ。

 

 陽光を浴びる鋼鉄の巨人が静かにその弟子たちや、己の胸の上で泣き叫ぶ少女と、それを慰める少年を見守っていた。

 

 

 

 

to be continued…

 


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